日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:伊藤博文

面白き
  こともなき世に
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幕末、長州藩を率いて幕府と戦った高杉晋作の歌です。
理想に燃え、仲間の死に涙し、そして無鉄砲とも思える勇気で時代を動かした男です。
明治維新の先駆けとして活躍した長州の風雲児・高杉晋作。
晋作の代名詞と言えば奇兵隊・・・
身分の枠を超えて兵を募集した画期的な部隊です。
最新兵器で武装し、変幻自在に戦いを仕掛ける奇兵隊・・・晋作は戦の天才と言われました。
しかし、戦場から戻れば和歌を嗜み、三味線にも興じました。
誰もが晋作に憧れたといいます。
一見、誰にも縛られない粋な風流人・・・
ところが、事実は全く逆でした。
武士の家に育った晋作には、常に家名を汚すなというプレッシャーが襲いました。
人生を教えてくれた恩師との早過ぎる別れ。
夢を抱いて習った西洋航海術も、モノになりません・・・!!
教師に意見が通らず、酒に溺れ、頭を丸めることも・・・。

しかし、時代は晋作を求めていました。
長州藩取り潰しを狙う幕府に対し、仲間に決起を訴えかけます。
最初はたった80人でした。
晋作がつけた小さな炎は、やがて長州藩全体を燃え上がらせ、大きなうねりとなって日本中に広まっていきます。
しかし、そのさ中・・・晋作を待ち受けていたのは不治の病でした。

1862年、江戸時代の末、限られた人しか外国に行けなかった時代・・・
高杉晋作は、船の上から上海の街並みを見ていました。
幕府が作ったおよそ40人の視察団に、長州代表として参加したのです。
晋作は、かねてから外国に行くことを望んでいました。
どうして海外を目指したのでしょうか?

日本海を望む山口県萩・・・
1839年、この城下町に高杉晋作は生まれました。
高杉家は戦国時代から藩主毛利家に仕える名家です。
晋作の父・小忠太も、藩主の傍で要職を務めていました。
晋作は、高杉家の跡取りになるために厳しく育てられました。
特に、父の言うことには絶対に逆らえませんでした。
しかし、外では負けん気の強い性格が抑えられず・・・

15歳の時、晋作は、父と共に江戸に向かいました。
そこで目にしたのは、巨大な黒船・・・!!
1854年、15歳の時ペリーが来航。
ペリーは軍事力を背景に、日本に開国を迫ります。
大混乱の江戸の町・・・晋作は、激動の時代の始まりを肌で感じていました。
西洋列強が日本に迫ってきているのが、黒船を見ることによってリアルに感じられました。
これからの日本という国の形が変わっていく・・・彼の中で大きなテーマとなります。
この時、高杉晋作と同じ長州藩の中に、黒船に密航しようとした者がいました。
吉田松陰です。
晋作より9歳年上の兵学者で、若い頃から藩主にその才能を称えられていました。

1857年、18歳の時に萩に帰って吉田松陰の松下村塾に通い始めます。
松下村塾には、幼馴染の久坂玄瑞、後の総理大臣の伊藤博文も参加していました。
塾には自由な空気が流れ、時間の制約もなく、身分の制約もない・・・
熱い議論を交わしたといいます。
世界の情勢についても学びます。
そんな中、松陰の唱えたのは攘夷論でした。
松陰は、日本は西洋列強に学び力をつけ、その力で西洋を打ち払う攘夷を行うべきだと主張しました。
しかし、松陰の訴えと過激な行動は、一般の人たちには危険な行為としか思えませんでした。
そのため、晋作の家族は松下村塾に行くことを禁じます。
しかし、晋作は深夜にこっそりと松下村塾に通ったといいます。
国防論についても尊王論についても現実的で、そんな話が晋作は心底好きだったのでしょう。
日本の国を何とかしなければ・・・という積極的な燃えている炎があったので、松陰に引き付けられたのでしょう。

1858年、19歳の時に江戸に再遊学
この頃、藩の上層部に海外留学の希望をかなえてほしいと強く願い出ています。

”お願いしておりました私の洋学修行の件、どうなりましたでしょうか
 一刻も早く取りかからないと、手遅れになります”

ところが、この海外渡航の夢にも暗雲が立ち込めます。
晋作が江戸に来た年、幕府による危険分子の弾圧・・・安政の大獄が始まりました。
そして、晋作の師、吉田松陰も江戸の牢に投獄されてしまいます。

晋作は、牢に入った松陰のため、文具や書物を工面するなど奔走します。
この頃、晋作が感銘を受けた松陰の言葉があります。

”死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし”

そして松陰は・・・過激な思想の持ち主として処刑されました。

”松陰先生の仇は必ず取る
 しかし、主君も父もいて、わが身はわが身のようでわが身ではない”

それからおよそ5か月・・・20歳になった晋作に、海外渡航のチャンスが巡ってきました。
幕府の軍艦教練所で航海術を学び、様式軍艦の訓練をせよと命が下ったのです。

”男子としてこの宇宙に生れたのだ
 筆や硯の家来などになっていられない”

しかし、毎日書き続けていた日記がある日から書かれていません。
航海術の勉強を放棄したのです。
理系の航海術が得意ではなかったようです。
航海術は挫折したものの、藩主の跡継ぎの側近となります。
そして今度こそ、海外へ行くチャンスが・・・
1862年、22歳で海外視察団の一員となります。
行先は、清国の上海・・・晋作22歳、遂に海外に飛び出す時が来ました。
病に倒れる4年前のことです。

幕末・・・身分制度に縛られた世の中に、新風を吹き込んだ人がいました。
武士から商人、浪人に至るまで身分を問わず志ある者で編成された革新的な集団・・・その名も奇兵隊です。
創設者は、高杉晋作です。
晋作はどうして奇兵隊を作ったのでしょうか?

1860年、20歳・・・上海に渡航する2年前・・・晋作は結婚しました。
相手は城下一の美人と言われた4歳下のマサでした。
晋作はマサと仲睦まじく、上海から手紙を送っています。

”無事にお暮らしとのことめでたく思っています
 長崎でめずらしい高価な反物を買って送りました
 しかし、どうかこの反物で作った着物や帯で人の多いところ、お祭りなどへ出かけないでください
 あなたが武家の立派な妻の手本となれば、私も安心です
 稽古事や和歌の勉強をしながら、家のことをお願いします”

1862年5月、上海に到着
しかし、目の当たりにしたのは、かつての大国・清の惨状でした。
イギリスにアヘン戦争で敗れた清は、外国人が所有する居留地を各地に置かれ、貿易の主導権を握られていました。

”清の人たちは、イギリス人が街を歩けばみな避けて道をゆずっている
 その上、ことごとく外国人にこきつかわれている
 実に上海の地は清に属してはいても、イギリス、フランスの属地といえるくらいのありさまだ”

更に晋作が驚いたのは、イギリス軍の設置した砲弾・・・最新鋭の兵器・アームストロング砲です。
日本にある大砲とはけた違いの威力・・・西洋列強に武力で対抗するには軍備が欠かせない・・・!!
帰国した晋作は、長崎のオランダ商館へ。
最新鋭の武器を買うためです。
現在の価値で10億円の軍艦の契約を、藩に無断で契約!!
しかし、藩の了承を得ることができず、軍艦が買えませんでした。

”国の情勢が切迫している・・・!!”

もはや一刻の猶予もならない・・・!!
晋作は、自らの手で外国人を攻撃し、攘夷を決行しようと考えます。
向かったのは江戸・・・!!
1862年12月、23歳の時・・・
久坂玄瑞や伊藤博文ら松下村塾の仲間たちと共に、品川のイギリス公使館を焼き打ちしました。
極秘に進められたこの計画は、犯人が晋作たちだと判明するのは、明治時代になってからです。

晋作は、長州藩に攘夷のための軍備を主張し続けましたが、なかなか理解が得られません。
自暴自棄になる晋作・・・。
23歳の時、藩の要職を辞して休職・・・さらに、晋作は武士の命である髷を落とし、頭を丸めてしまいました。
酒を飲んではどんちゃん騒ぎの毎日・・・その胸には、むなしさと焦りが渦巻いていました。

”空しく月日を送り 愚か狂か 智か節義か
 なんだか訳も分からぬ人物にあいなり”

そんな中、ある事件から晋作の主張が認められるようになります。
1863年、23歳の時・・・下関事件です。
長州藩は下関を通る外国船を砲撃しました。
長州藩としては、外国船を打ち払い、攘夷を実行したのですが・・・
しかし、すぐに外国船から砲撃を受け、蹴散らされてしまいます。
初めて列強の武力に直面した長州藩・・・軍備の重要性を思い知った上層部が、晋作に意見を求めてきました。
この時、晋作は新しい部隊の新設を進言します。

”有志の士を募り、一隊を創立 名付けて奇兵隊と云わん”

奇襲をかけるなど敵の不意を打つための部隊という意味です。
武士だけで戦うには限界がある・・・戦いに長けたものを広く集め、武士ともども戦闘部隊にしようという考えでした。
志があればだれでも入隊ができる・・・
中での扱いも身分の上下はない、実力で決めていく・・・!!
後に庶民も入ってきて、それを軍事力として利用していきます。
封建社会を壊す一つのステップになりました。

1864年、25歳の時に四国(イギリス・フランス・アメリカ・オランダ)連合艦隊が下関に来襲。
前年に行った長州藩の攻撃に対し、更なる報復に出てきたのです。
この時、晋作の奇兵隊も初陣を飾ります。
しかし、圧倒的な戦力の四国連合艦隊にあえなく惨敗・・・
そればかりか、沿岸の砲台まで占拠されてしまいました。

追いつめられた長州藩は、戦いを諦め停戦交渉を行うことに・・・。
圧倒的に不利な仲での和平交渉に誰もがしり込みします。
結局、頼りにしたのが晋作でした。
藩の全権を任された晋作は、船に乗り込みます。
その姿は、家紋が入った直垂、黒の烏帽子・・・家老の正装でした。
居並ぶ提督たちに格で負けないように家老の息子だと偽っての交渉でした。
列強の代表は、安全な航行のための砲台撤去や、補給のための下関港への立ち寄りなどを求めます。
その上、300万ドルという巨額の賠償金を求めてきました。
これは、長州藩の年間予算の10倍でした。

こんな大金を払えば、藩の財政は壊滅・・・強硬な姿勢を崩さない外国人を前に晋作は言い放ちます。

”長州には、主君の為に命を捨てることなどなんとも思わないものが大勢いる
 もし、戦争を続けるというのならば、最後の一人になるまで戦うつもりだ”

この晋作の気迫の前に、賠償金は一銭も払われませんでした。
藩の存亡をかけた停戦交渉に成功した晋作、この時25歳。
病に倒れる1年前のことでした。

1864年12月、長州藩が幕府の圧力に屈しようとしている中、晋作は反乱を起こします。
晋作の呼びかけに応じたのは、最初はわずか80人ほど・・・長州藩は2000もの兵を動かし反乱を押さえようとするものの、戦いが進むにつれて晋作に共感するものが増え・・・800人にまで膨れ上がりました。

1864年7月、長州藩は、兵を率いて京に上りました。
御所で天皇に嘆願し、長州の地位回復を狙ったのです。
そこで、御所を警備する有力藩と激突・・・禁門の変です。
この戦闘で、長州藩は敗北し、晋作の仲間も命を落とします。
その中には松下村塾で共に学んだ久坂玄瑞もいました。

”後れても後れてもまた
 君たちに誓いし言を
 吾忘れめや”

この事件をきっかけに、幕府は長州征討を決定!!
15万を超える兵を動員します。
この動きに対し、長州藩は真っ二つに割れます。
幕府に抵抗し戦いも辞さない抗戦派と、幕府に謝罪して従うべきという恭順派です。
晋作は、抗戦派を支持していました。
しかし、藩の存続を優先するべきという恭順派が主導権を握ることとなります。

長州藩は幕府に従う証として禁門の変に関わった家老3人を切腹させ重臣たちを処刑しました。

”処刑の知らせを聞き 胸中やけるがごとく
 藩が受けた辱めをそそぎたい”

もはや武力決起しかない・・・!!
晋作は、奇兵隊の元へ・・・!!
晋作は隊士たちに恭順派の打倒を訴え決起を促します。
しかし、それに応える者はいませんでした。
この時奇兵隊は、自分たちの地位を保証してもらう代わりに藩の方針に従うという約束を交わしていました。

”この腰抜けどもが!!
 ぼくは毛利家300年の家臣だ
 たとえこの身が打倒されようと忠義を尽くす”

晋作が次に向かったのは、松下村塾の同志・伊藤博文の元でした。
この時伊藤は、下関で力士隊を率いていました。
伊藤は晋作の訴えに共鳴します。
他の部隊からも続々と集まってきました。
晋作は、約80人あまりの同志と共に決起します。

自分が死んでも自分の志を誰かが引き継いでくれるだろう・・・!!

”下関の鬼となり討ち死にする覚悟
 これより長州男児の肝っ玉をお見せする”

晋作は下関の役所を狙い、占拠することに成功。
この騒ぎを聞きつけた商人が資金援助を申し出ます。
次に晋作は、長州藩の海軍局へ・・・そこで軍艦三隻を手にします。
一方奇兵隊にも変化が・・・藩に反旗を翻します。
やがて奇兵隊は、晋作の隊に合流・・・
晋作がつけた決起の炎は、800人にまで燃え広がりました。
1月7日、ついに奇兵隊と藩兵が激突!!
最新式の銃を使いこなす奇兵隊は圧倒的勝利をおさめます。
すると藩の上層部に変化が・・・。
晋作の主張を受け入れなければ内乱はおさまらないと判断し、恭順派が更迭され始めます。

そして決起から40日後・・・藩主は徹底恭順の方針を撤回。
幕府へは恭順の意を示すもののもし攻撃を受ければ最後の一兵まで戦い抜くという武備恭順の方針を固めます。
この決起をきっかけに、晋作は長州藩の指導者の一人になるのです。

晋作が25歳の時に、マサとの間に待望の長男が誕生します。
名は梅之進・・・自分の好きな花の名で、溺愛しました。
しかし、晋作には家族と共に過ごす時間は残されていませんでした。
1865年9月、長州藩が敵対的な態度に変わったことを察知した幕府は、再び長州征討に乗り出します。
長州藩は徹底抗戦の構え・・・幕府との戦いの大義名分を文章にして民衆に示し、士気を高めていきます。
長州藩全体が沸き立つ中、25歳の晋作は、原因不明の病にかかっていました。

”腹痛がひどかったが、少し良くなった
 征長軍との戦いまでは命を保ちたいと鬼神に祈っている”

1866年6月7日、幕府軍は長州藩を取り囲み、四方向から攻めてきました。
長州藩の存亡をかけた戦い・・・幕府軍の兵数は、長州軍のおよそ50倍だったともいわれています。
しかし、晋作は怯むことなく最前線で指揮を執り、敵艦に奇襲をかけています。
小型の船を使った奇襲は大成果を納め、200隻余りを焼き払いました。
これをつぶさに見ていたのが土佐の坂本龍馬です。
龍馬は長州藩に味方し、軍艦を率いて参戦していました。

”晋作は兵士たちを鼓舞し、敵を打ち破り敵陣の陣幕屋旗などを奪っていった”

6月22日・・・激戦のさ中、晋作は突然倒れてしまいます。
不治の病と言われた肺結核でした。
それでも晋作は、病床で作戦会議を行います。
敵を蹴散らし進めと長州男児たちを鼓舞し続けます。
しかし、病は悪化・・・
喀血を繰り返すようになり、8月には戦線離脱、下関にある友人の家で療養することに・・・

晋作が最前線で戦う仲間に送った手紙は・・・

”進撃や勝利に大変喜んでいます
 体調は日々よくなっていますが、戦場に赴くほどではありません
 ご笑殺ください”

この頃、晋作を看病したのは愛人のうのでした。
元々下関の芸者だったうの・・・晋作が口説き落として一緒に暮らすようになったともいわれています。
うのは優しい性格で、正妻のマサといがみ合うこともなく、明治になっても二人の交流は続いたといいます。
そんなうのの看病の会もなく・・・晋作の病状は悪化の一途をたどります。
余命いくばくかの晋作の元へ、萩からマサと梅之進がやってきました。
医者が最後の別れに呼んだのです。
この時晋作はこう言います。

”しっかりやってくれろ・・・しっかりやってくれろ・・・”

そんな晋作の心の支えになったのはアルバムです。
そこには松下村塾からの盟友伊藤博文をはじめ晋作と深くかかわった人たちの写真が・・・
それだけではなく、アメリカ合衆国16代大統領のリンカーン、イギリスのビクトリア女王の写真まであります。

翼あらば
 千里の外も飛めぐり
よろづの国を
   見んとぞおもふ

1867年4月13日、晋作の命の炎が静かに消えました。
27歳でした。
最晩年に詠んだ歌が残っています。

面白き
   こともなき世に
          面白く

晋作がこの世を去ってから半年後・・・日本は明治維新を迎えます。

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明治天皇は在位中、北は北海道から南は鹿児島まで全国巡幸を繰り返しました。
学校や工場など訪れたところで多くの人々と接した天皇・・・そのわけは、新政府を率いた大久保利通たちの戦略でした。
幕末動乱のさ中、14歳で即位となった明治天皇・・・その存在は、まだ全国に知られていませんでした。
無名の青年君主を、新しい日本を導く天皇としてあまねく知らしめる・・・
巡幸は、人々の心にどのように印象付けたのでしょうか?
そしてどのように受け入れられていったのでしょうか?

幕末の動乱・・・明治維新・・・天皇は大きな時代の流れに飲み込まれていきます。
1868年鳥羽伏見の戦いで旧幕府勢力に勝利した新政府は、新しい国づくりに着手します。
この時、大久保、西郷、木戸らが構想したのは、天皇を中心とした国家でした。
しかし、そこには乗り越えなければならない壁がありました。
当時、多くの国民にとって、天皇は遠い存在だったからです。

京都では、行事もあり、御所もあるので天皇の存在は当然でしたが・・・
普通の人々に天皇の存在は知られていません。
かなり茫漠としたもの・・・江戸では天皇は神様のような存在だったのです。

江戸時代、天皇は御所の外にはほとんど出ませんでした。
民衆の抱く天皇には、多くのばらつきがありました。
そこで、天皇の存在を知ってもらう必要がると感じた大久保は・・・

”天皇が玉廉の中にいて、公卿にしか会えないのでは、民の父母であるという天から授かった職掌を達成できない
 外国においても、帝王は国中を歩き、万民を慈しむものである”

新しい時代の天皇は、人々に姿を見せる西洋の君主になるようにと、大久保は考えました。
1868年、大久保たちは、天皇を御所の外に出すことから始めました。
3月大坂行幸、7月東京行幸を計画します。
天皇はその求めに応じ、9月20日、京都から東京へ出発。
道中、民衆とのふれあいを楽しみます。
そして20日後の10月13日、江戸城へ到着。
東京では大勢の人々が天皇を祝福。山車が繰り出され、2日間にわたるお祭り騒ぎ・・・
ひとまず新政府は、京都以外の人々に天皇をアピールすることに成功しました。
そして、東京は西洋諸国に倣って文明開化!!
そして、天皇自身が新時代にふさわしい天皇になることを求め始めます。

天皇のイメージチェンジ・・・
明治神宮には、明治天皇が明治5年に着用した燕尾服と帽子がが残されています。
帽子には鳳凰の刺繍、ボタン掛けの上着は、菊唐草紋の刺繍で覆いつくされています。
金の糸をふんだんに使った豪勢な作り・・・

tennou

天皇の軍服は、主に儀式などで使われたと思われます。
黒羅紗の地に金モール・・・天皇は20歳の時、この軍服を身にまとい、カメラの前に・・・

明治天皇の代表的な肖像写真です。

白粉やお歯黒を落とし、ひげを蓄え、威風動堂な姿・・・
江戸時代の天皇とは全く違う天皇が誕生したのでした。



明治天皇は、全国巡幸で訪れた先々で、花瓶や茶碗などを下賜しました。
それらは、大切に保管され、人々は後々まで天皇のことを語り継いでいきます。

権威や徳の大きさを印象付けるだけが巡幸の目的ではありませんでした。
群馬県では新町の中心にあった工場を視察しています。
巡幸の前年に作られた工場に、明治天皇は1時間滞在しています。
この工場、明治10年にできたときは屑糸紡績所でした。
この紡績所で屑糸をリサイクルし、生糸を作っていたのです。
ここは、大久保や岩倉らが新たな外貨獲得を目的として建設した政府肝いりの工場でした。
もともと群馬には、フランスの技術を導入し、輸出用の生糸を生産していた富岡製紙工場がありました。
この製糸場に近く、屑糸が手に入りやすいため、屑糸紡績所を作ったのです。

明治天皇は全国巡幸で、工場をはじめ近代化の象徴とされる施設を多数訪問しました。
学校、地方行政を担う庁舎、天皇ができたばかりの施設を視察することで、文明開化や殖産興業を図ったのです。



巡幸は、人々が明治天皇を広く知ることだけではなく、天皇自身が為政者としての自覚を促すきっかけになったといいます。
天皇に日本の隅々までご覧いただきたい・・・日本はこれだけ広くて、これだけいろんな地方がある・・・
豊かなところもあれば、そうでないところもある・・・それも含めて日本だ・・・ということを、新しい時代の天皇として知っていただきたい・・・。
巡幸を通じて、君主としての自覚が生れてきたのです。
巡幸なくして、意識の変革はなかったのです。

1878年・・・明治11年5月、事件が発生!!
大久保利通暗殺!!
赤坂上御所に向かう途中、紀尾井坂でのことでした。
実行犯たちは斬奸状を起草して、明治政府を糾弾!!

現在の法律は天皇の御威光でもなく、人民の意見を取り入れて作られたものでもない。
要職にいる一部の官吏の独断によるものである。

この事件を契機に、宮中で天皇の在り方を変えようとしていた勢力が動き出しました。
中心となったのが、熊本藩出身の儒学者・元田永孚や土佐藩出身で新政府の参議も務めた佐佐木高行・・・侍補と呼ばれる側近たちでした。
侍補は明治10年に天皇の補佐・指導を目的として宮内省に置かれた役職で、天皇の傍に仕えながら、政治や道徳を教え、相談を受ける役割を担っていました。
天皇が主に学んだのは、元田の意向を反映した書経や詩経・・・儒学の古典でした。
侍補たちは、天皇を「徳」を備えた聖人君子にしようとしたのです。
大久保が暗殺された直後、侍補たちは、かねてからの構想を実行に移しました。
大臣・参議による専制を批判し、天皇が政治の実権を握る天皇親政を進めるべきだと言ったのです。

薩摩・長州の一部の人間が牛耳り、陛下の意向を無視して進められている・・・
このままだと天下の人心に不平が起こり、政府要人を狙った暗殺事件が再び起きるかもしれない・・・
今こそ、古代中国の聖人君子のように徳を備えた聖人君子となり、天皇親政を実現しなければっ!!

明治天皇は涙を浮かべて奏上を聞き、侍補たちに同調しました。
自ら政治に介入する動きに出ます。
当時空席となっていた工部卿に佐佐木高行を推薦。
しかし、それは天皇親政を恐れた太政大臣・三条実美らに認められず、実現できませんでした。
天皇親政運動の結果としては「天皇の政治的意思は内閣が担う。もう侍補は要らない」となったのです。

政府の外でも動きが・・・地方の士族や豪農を中心とする自由民権運動です。
国民の自由や権利の拡大を目指した政治運動で、国会開設と憲法制定を要求しました。
国民主体の政治を目指しました。
運動の過激化を防ごうとした政府は、明治14年、9年後の国会開設と憲法制定を表明します。
憲法の制定作業に本格的に取り組むことなります。
この動きの中心となったのが、大久保亡き後政権の中枢にいた伊藤博文でした。
当時、政府よりも早く民間では様々な憲法案が発表されていました。
議会優越、天皇大権・・・天皇の廃位を求めるモノまで・・・天皇を憲法の中でどこに位置付けるのか??
憲法制定の中核を担った伊藤は頭を悩ませていました。

そんな中、明治15年3月、伊藤は憲法調査のためにヨーロッパへ。
そしてウィーンで重要な人物と出会います。
ウィーン大学の法学者ローレンツ・フォン・シュタイン教授です。
伊藤はこの講義を受け、感銘を受けます。
シュタインの教えは、君主に一定の統治権を認めつつ、行政を中心に据えることで君主や議会の横暴を止めるというもの。
当時ヨーロッパの新興国だったドイツ・プロイセンの考え方・・・立憲君主制でした。

明治16年8月、構想を固めて伊藤博文帰国。
政治に復帰した伊藤は宮中改革を進めますが・・・
そこに直面したのは、自らの意思を反映できずに政治への意欲を失った天皇の姿でした。
たまりかねた伊藤は、明治18年8月、三条実美に書簡を認めます。
政務に熱心でない明治天皇への嘆きが率直に書かれています。

天皇の知らないところで、大臣たちが全てを決めているという現状・・・。
明治天皇に立憲君主としての在り方をどう理解してもらうのか??
伊藤の苦悩は深かったのです。

明治天皇にどのようにして憲法を学んでもらうか・・・伊藤には秘策がありました。
「澳国スタイン博士講和録」・・・伊藤と同じくシュタイン博士の講義を受けた人の記録です。
侍従の藤波言忠は幼いころから宮中に出入りし、天皇の信頼も厚い学友でした。
伊藤は当時ヨーロッパで滞在していた藤波に目をつけ、ヨーロッパでシュタインのもとで憲法を学び、帰国後明治天皇に進講することを要請します。
藤波はおよそ1年にわたりシュタインの憲法を徹底的にたたき込まれ、天皇の立憲君主としての心構えまで学んで帰国しました。
明治20年に始まった進講は30回以上、4か月に及んだといいます。
憲法を熱心に学ぶ明治天皇・・・。

藤波は、立憲君主の仕組みを工夫を凝らして説明し、天皇を助けます。
何から何まで自分が統治するのではない・・・法律の中にあるのが天皇である!!
明治21年春まで続いた進講によって、明治天皇は憲法の中に規定されている自らの役割を理解し、理解を深めていきました。
伊藤の目論見通り、天皇は新しい立件国家に相応しい君主へと成長したのです。

明治21年6月、憲法草案について最後の審議が行われました。
天皇の諮問機関として設けられた枢密院・・・1か月にわたり伊藤を議長とし、皇族や大臣が参列する中、激しい議論が行われます。
憲法の制定に深い関心を示す天皇の姿・・・明治天皇は一度も欠かすことなくご臨席されます。
夏の暑い時に、長時間の難しい議論もじっと聞いていられる・・・根気のいることでした。
明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布。
新築された宮殿で、天皇御隣席のもと、盛大な式典が催されました。
憲法で天皇はどう位置付けられたのか??
第1条・・・萬世一系の天皇これを統治す・・・天皇家が日本の統治権を担うことを宣言。
その一方、第4条で天皇の統治権は憲法の条規により・・・憲法の従うことが明記されました。
立憲君主として憲法の制約を受ける天皇の役割を明確に規定した憲法となりました。

皇居前広場・・・憲法発布の前に式典公開のために整地された敷地です。
宮殿での発布式を終えた明治天皇と皇后は、馬車に乗ってパレードを行いました。
皇居前広場は、多くの民衆で溢れ、憲法発布を祝いました。
喜びの声は、東京から各地へと広がります。
幕末維新の動乱のさ中に即位した明治天皇・・・
それから22年・・・近代日本の立憲君主として国民の前にその姿をようやく定着したのでした。


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なんと、最終回BSも、リアルタイムも録画し逃すという失態を侵してしまいました。
今年の大河に対する私の気持ちが表れているのか??それとも呪いか??
土曜日を録画し直しましたよ~~!!

「敬天愛人」・・・菊次郎が職場の部屋に飾ったこの言葉は、西郷さんが大好きだった言葉です。

菊次郎のナレから始まります。
時代の流れに乗り切れなかった男・・・西郷隆盛・・・を。
って、時代の流れに乗り切れなかったのは、いわゆる旧幕府軍の方ではないのか??
よく考えると、西郷さんは戊辰の時は官軍で・・・悲劇としては中途半端ななのかしらね??
1877年8月17日・・・延岡にて・・・戦場にいる糸が、どうも不自然な・・・。
みんなを残し、鹿児島に向かった西郷さん。。。西郷さんに従った者たちと共に・・・。

山縣有朋と西郷従道が糸を尋問しています。
って・・・おまけに謝る従道もなあ・・・もっと、戦う気満々じゃないの??不自然だよ・・・。

don2















山中を駆けずり回る西郷軍・・・やっと、鹿児島の城山にたどり着きました。

なんと、その山で子供の頃の落書きを発見しました。
そして、故郷・鹿児島で”はつらつ”と、戦ったのだそうだ。
はつらつ、溌剌・・・この言葉でいいの??戦うのに溌剌なのか??言葉の選び方、間違っているような気がする・・・。

しかし、反撃もここまで・・・政府軍の圧倒的な攻撃と、陸と海からの援軍に包囲され、山の上にと押し戻されていきます。
って・・・この政府軍の圧倒的な攻撃と、陸と海からの援軍の出し方やあれこれをやってくれたら、面白い戦いになります。
そんなこんなを、このナレ一言で終わらせるから、わかんなくなっちゃうのよ・・・戦いが・・・!!

で・・・いきなり東京の大久保邸です。
今までの大河でも、家族のことを描くことはあっただろうけど、
「女が口出しする」大河があったかな??そこがシラケるのよね??って思っちゃうんです。
私も女ですが、私が男尊女卑というよりも、この時代が男尊女卑です。
でもって、この大河では女性たちはみんな口をそろえて言います。
「話せばわかってくれる」って!!
話してわかってくれたら、戦争なんて悲惨なことにはならないんだよ~~!!
第二次世界大戦だって、官僚たちは止めようと思っていたけど、関東軍がイケイケ陸軍で暴走しちゃったんだろ??って思うの。
止めようにも止まらない戦いとか・・・よく言うでしょ??

「男なら、負けるとわかっていても戦わなければならない時もある」って言葉もあるし・・・!!

糸たちが鹿児島の家に帰ってきました。
そんな家族パートをするのは諦めたけど・・・
西郷どんの妹・琴子、従道に戦争をやめるように怒るんですが・・・
それを言うなら、西郷どんに言わないといけないし・・・
だいたい、嫁に行ったのに・・・出戻ってんの??
昔は嫁に行った娘は年に1回藪入りでないと帰れなかったんだよ??
そんな・・・今どきの嫁でもこんなに実家にいてへんわ・・・!!

西郷どんの陣営は、村田新八によるアコーディオンの演奏で指揮を揚げます。
”ラ・マルセイエーズ”で、戦力アップ!!
踊るんですが・・・まるで阿波踊りです。

その頃・・・大久保は昔を懐かしんでいました。

don3















西郷さんの好意に預らなかったものはおらんか??とか言い出す山縣有朋です。
が・・・この大河って、なんとなく話が進んでいくんですよね??
そう思うなら、山縣有朋と西郷隆盛の大事なエピソードを入れればいいだけのことなのに・・・。
そのエピを端折っているから、その好意が解らんから、”どうして西郷さんが慕われているのか”がわかんないのよね~~!!

総攻撃が行われることが西郷さんに手紙で届きました。
この手紙、山縣有朋からではなく、この大河では大久保からになっております。

don4















どうする??
西郷さんだけは生きてほしいという桐野以下全部!!

あ・・・こんなキンチョーな場面でまたもや東京の大久保・・・。
呑気な音楽で内国勧業博覧会で、商売です。

自分が死ぬことで、”戦が終わる”と戦うことを決心する西郷さんでした。
最期の夜も、最後の晩餐って感じじゃなくって、若者のコンパみたいだわ・・・。
でも、そうだったのかもなあ・・・とも思う。

当日・・・またもやお腹の鳴る村田新八・・・ってどうよ??
あきれるわ・・・。
武士は食わねど高楊枝なんですけどね・・・??
それは、もっと位の上の人なのかな??

don5
















戦って、戦って・・・みんな死んでいきます。
そりゃあそうだよね??

って思っていたら、川路が桐野を撃ったの??
東京にいた川路が・・・??

村田新八も撃たれて死んじゃいました。
なんの感動もさせずに・・・。

「圧倒的じゃないか!!我が軍は!!」と、ギレン・ザビに言わせるぐらいの政府軍です!!

??西郷さん、撃たれちゃいました・・・!!

糸のもとへ西郷が戦場で連れていた犬たちが戻ってきました。
そうね・・・この犬の演技は、犬を飼っているものとしては涙を誘ったかなあ・・・??

大久保邸では・・・吉之助を追いつめたことを悔いる一蔵・・・。

フキとなんだかんだと住んでいたんですね・・・慶喜・・・。
西郷さんをアゲアゲするフキ・・・。
当時の新聞で見てますが・・・そんなに早く新聞でるか??今よりもタイムラグは計り知れないほど大きいというのに・・・。
どうして逃げなかった??という慶喜ですが、慶喜、逃げたんじゃないって言ってたよね??
西郷星も出て来ましたが・・・どうして西郷星が出てきたのかも説明してくれませんでした。
当時の人がテレビのニュースがあるわけでも、字が読めたわけでもなく。全員が西郷さんを知っているとは思えないしなあ・・・。

西郷従道邸では、こんな大きい家を作ったのは、皆を呼び寄せるためだったんですね??なんていう奥さんの前でうな丼をほおばる従道ってなんだよ??諭されている子供か??

みんな普通の生活してますけど・・・そこに何の意味が??
そこは家族愛なのか??で、やっぱりいる琴子です。

1878年5月14日・・・西郷が死んで翌年・・・紀尾井坂にて大久保利通暗殺・・・!!

なんと・・・西郷どんが迎えに来ました。

??終わると思っていたら、這いずり回る西郷どんです。

don6
















「もう・・・ここらへんでよか・・・」by西郷どん

??何回終わったら気が済むん??っていうほど、終わりがたくさんありましたね・・・

なんだか西郷どんの死に方・・・時間軸がよくわからなかったなあ・・・。
西郷さんより桐野利秋が先に死んだし、別府晋介もどっかいったし・・・もやもやです。

で・・・最終的に、吉之助さあと一蔵どんが手に手を取ってあの世へ行ったんですか??
そう見えたんですけど・・・。
やっぱり1年かけてBLだったんでしょうか??
1年見ていて思った事・・・それは、本筋でBLをやるのはなしだなあ・・・ってことです。
今年は「おっさんずラブ」が流行りました。でも、そのBLとはまた違うんですよね??
彼等は150年前に確かに生きていて、子孫の方がいらっしゃるんです。
司馬遼太郎さんは、100年経たないと歴史にならない・・・みたいなことを言てらっしゃいましたけど、やっぱり幕末の人は、かなり資料も残っているし、ちゃんとした子孫の方が生きていらっしゃる・・・。

と書いていて思ったのは、この作品、BLでなくてもみんなをサゲサゲの作品だったなあ・・・と、思うのです。
誰の正義もちゃんと書けていなかったなあ・・・それならみんな人殺しだよ・・・。

話はそれてしまいましたが、BLについて・・・
私が子供の頃にJUNEという雑誌があって・・・やおいや百合がかなり流行った時代でした。
もともとの日本の歴史に男色があったこともありますが、腐女子爆発的に人気が出たのはなんだろう??
個人的には「リングにかけろ」だと思っていますが・・・。
長浜ロマンロボシリーズかも知れないですね??
長浜ロマンロボシリーズが機動戦士ガンダム(腐女子の大好物はシャアガル)になっていくわけですが・・・。

先日、某塾講師の先生のテレビ番組で「新選組もBLだった」みたいな見出しでやってましたけど、今のBLと男色を一緒にしないでほしいなあ・・・と思ってみていました。
男色や衆道の理由にはいろいろあって・・・そこには愛でないものもあると思うんです。
尊敬とか、主従関係とか、僧侶だったとか、女性が少なかったとか・・・
そして、BLは二次作品でないと・・・ってことです。

「好き」って感情でなく・・・
例えば、西郷さんはその尊敬されるあまり桐野利秋によって「新政府軍には渡したくない」と、殺されたともいわれています。
このワンシーンを加えるだけで、腐女子たちは自分でBL化できると思うんです。
それこそ、西郷さんの首を渡すわけにはいかないと、首を隠したという人もいます。
もちろん、ここでBLしたかったであろう大久保利通・・・ただ単に号泣させるのではなく・・・
心の底ではわかりあっていた・・・そう表現することで、腐女子たちは自らBL化してくれるでしょう。
腐女子が好きなのは、友情や、信頼関係なんですよね・・・
ジャンプの友情マンガには、そんな作品が溢れています。
だからそれが腐女子が求めているモノなんですよ・・・。
スラムダンクでの花道と流川のハイタッチとか・・・ただ単に「愛」ではないと思います。

そしてもう一つ・・・歴女が好きな大河について・・・。
誰かが書かれていましたが・・・腐女子はラブラブとかを見たいわけではなくて・・・
斬り合いの中で、吐血しながら階段を転げ落ちる(これは沖田総司な感じ)を見たいのだ、と。
なんかわかる気がする・・・。
私は歴女という言葉が嫌いです。
だって、女性が歴史を好きになっても普通でしょ??
歴女とか、山ガールとか・・・別に女を強調する必要ないんじゃないかな??って思うからです。
そんな私、昔は永倉新八の良さがわかりませんでした。
だって、最後まで新選組隊士として戦わなかったから。
今は、あの時代にあの生き方はしんどかっただろうなあ・・・って思うけど。
若い頃は、そんな儚い男子が好きだったんですよ・・・たぶん歴女はみんなそうじゃないかな??
だから、突っ走った長州はともかく、寝返った薩摩は好きじゃないけどね・・・??


とにかく、今回西郷隆盛をいろいろ調べて思ったのは・・・
テロリストと言われるだけあって、なかなか黒い部分の多い人でした。
あれだけ黒い人を大河で綺麗に書くのは本当に難しいだろうなあ・・・ってことです。
ほんと、かなりえげつないことしてますもん。

この大河では、大久保利通とっても悪者でしたが、大久保利通という人は義理とか人情とかよりも日本政府をつくることが第一の人でした。
なので、西郷さんとは対極にある人というか・・・義理と人情を無視しても日本政府を作る人だったんです。
対極にある二人でしょ??
だから、西郷さん一人なら難しいけど、大久保利通と一緒に描いたら友情物語ができたのになあ・・・って思います。
その二人の心が繋がっていれば・・・
それを書くだけで、脚本家先生の書きたかったBLになったのにね??

何はともあれ、皆さんお疲れさまでした。

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薩摩に帰ってきた西郷どんです。

「明治6年11月、東京から鹿児島に戻った隆盛は、畑仕事をしたり、時には犬と狩りに行ったりと、静かな毎日を過ごしていました。」

だそうだ・・・。

そこへやってきたのは、後に西南戦争に参加する男たち!!
役目を捨てて、薩摩に戻ってきました。
西郷どんを慕って続々と帰ってきていると言い出しました。

「そんなに若さのことを慕って・・・」by熊吉

ですが、阿呆でしょうか??
それこそ、会津の人たちは、政治参加も全くできず、食べることも難しく・・・
だからこそ、学力でなんとか生きようと頑張るわけです。
それは、「坂の上の雲」の主人公のひとり、秋山好古もそうです。
ま、紆余曲折あって軍人の道を歩みますが、元々は佐幕藩だった松山藩だったので、出世ができない=教師の道・・・師範学校に入ります。
彼もまた佐幕藩だったからこそ出世が出来ないことをわかっていたからの教師の道だったのに・・・。
何を好き好んでこの西郷どんのために辞めて帰ってくるねん・・・。

「官もいらず、名もいらず、こいが薩摩隼人の心意気でごわす!!」なんて、半次郎が言うんですが、そこは西郷どんが言ってこその言葉だと思うわ・・・
政府の要職を蹴ってまで!!ってとこがいいのよね~~!!

ちなみに帰ってきた人たちは300人!!+300人!!
ほんま、アホやなあ・・・。

その頃、鹿児島県令は、幼馴染の大山綱良になっていました。

不穏な空気が立ち込める薩摩・・・。
毎日のように西郷どんに会いに来る若者たち・・・。
それを叱り飛ばすお糸。

内務省の頂点に君臨する大久保利通。

洋行帰りの川路利良と村田新八に仕事を・・・って、なんで洋行してん??
村田新八は、西郷どんが帰ってしまったことが心に引っかかっているよう・・・。
突然、岩倉具視が襲われたとの連絡が・・・!!
「マロが襲われた~~!!」by岩倉具視
というほんとお粗末で御下品で・・・もう、なんて言っていいのか・・・。

呑気にお風呂に入っている西郷どんです。
いい体をしている鈴木さんが、役のために太っているのはほんと、可哀想です・・・。
そういえば・・・私の大好きな里見浩太朗さんも、「田原坂」で太ったなあ・・・

薩摩の大久保家では、投石されたりして家族が辛くて怖い目に遭っていました。
ま・・・ここはいい表現だったと思う・・・。
でも・・・満寿が東京へ行ってもいいか??みたいなことを相談するのも、政治をしてくれていればアリなんだけどなあ・・・。

明治7年2月15日、江藤新平率いる佐賀軍6と政府軍が衝突=佐賀の乱です。
なんで乱を起こしたのか??やってくれないと皆さん無駄死にです。
そしてまだまだくすぶっている薩摩隼人たち・・・!!

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江藤新平が、西郷どんを頼ってやってきました。
挙兵してほしいと・・・!!
そして江藤新平の処刑がナレ!!
斬首・さらし首だったんですが・・・ま、見せしめ的な感じもあったんでしょうね・・・。

と、政治になってきた??と思っていたら、東京に移った満寿の家に、おゆうがやってきていました。
もうな、どうでもええわ・・・。ビデオとばそう・・・。
と思っていたけど、
これから一のつく日と六のつく日は家に来ることが決まった・・・って大久保に言うボケたおゆうを書かずにはいられませんでした。
妾だろ??
毎日、来るか来ないかわからない主人を、薄化粧で待ってるんじゃないんか??
家も身も、綺麗にしてつつましやかに待っているんやないんか??
それが昔の女やないんか~~!!

江藤新平のさらし首に蹶起だつ薩摩隼人・・・!!
最早、無秩序の乱暴以外の何物でもない・・・浅はかだけど、そこは本当かもしれない。。。

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そんな彼らのために、公費を使って学校を作ろうとお願いに来た西郷さんです。
この頃、新島襄は、私学校を作るために・・・国に認めてもらうために自力で奔走していました。
それも、国費を頼ったりなんかしてないわ!!
おまけに、西郷どんの兵学校と違って、ホントに勉強するキリスト教の学校だしな!!

村田新八も帰ってきました。

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なんだか呑気に歌を歌っています。

東京に行かずに私学校を始めるという西郷どんに幻滅する半次郎。

don
















一生懸命訴えるけど、西郷どんの気持ちは変わりません。
ほんま、国費を使って何やっとんねん・・・。
そこへ、菊次郎が帰ってきました。
お・・・菊次郎・・・”はだしのゲン”の子ではないか??
あの泣きの演技、忘れられへんわ~~!!

と感激していたら、私学校にいきなり賊がやってきました!!
覆面して・・・まるでマンガのキャラクターのようです。
鉄砲も敵わず、斬鉄剣のように鉄砲をぶった切る!!
それは、半次郎でした。

って・・・シラケるわ~~!!

銃や大砲には弾がいる、弾が無くなったら使いものにならんから、剣が一番強い!!

みたいなことを言うくせに、西郷どんにお世話になるそうです。
何じゃ・・・この三文芝居は・・・。
剣が一番強いと思っているのは歳さん以外の新選組隊士でいいんだよ!!

お・・・西郷の下へ密偵を放っている大久保の下へ、いろんな情報が入ってくるのでした。

ということで、今回はお開き・・・。

ほんま、シラケちゃいましたよ・・・。

鉄を斬れるのは、斬鉄剣だけでいいんだよ!!

zanntetukenn















ともかく、旧幕府軍は、新しい兵器に負けたと言うのに、剣が一番だそう・・・逆行している・・・。
それにな!!
廃刀令後も剣を差していて怒られる緋村剣心は、そんなに容易く剣を抜かないわよ!!

kennsinn

















悔いてるんだから!!
背負ってるもんが違う・・・いやいや、半次郎も人斬りでした。

「人斬り働きで栄職につく気は毛頭ないんですよ・・・。」by緋村剣心

と、山縣有朋に言った緋村剣心のなんとカッコいいことか・・・!!
マンガでさえ・・・直接ギャーギャー言わなくったって・・・この一言で、剣心がどれだけ悔いているのかがわかる・・・!!

当時の人たちは、なんやかんやと心の傷を抱えて生きていました。
その傷が癒えないまでも、一生懸命時代を切り開く・・・
切り開かなければ、失った命があまりにも多すぎる・・・!!
その命を背負って生きていく覚悟が、この「西郷どん」のキャラには全くなくって・・・

みんなどうして苦悩しないんだろう・・・??
人間としての深みを、全く感じられません


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薩摩では・・・大砲・・・??いえいえ、久光が空に放った花火でした。
が・・・この花火、久光の憂さ晴らしみたいになってますけど、その”うさ”が何だったのかをやってくれないから、ストレス解消かな??とか思っちゃいますけど、そこには政府への・・・廃藩置県への抵抗っていう確固たる目的があります。
ほんと、この大河、政治的側面をことごとく省くって言う・・・なら、主人公は西郷どんでなくって結構です。
その悔しさも、けたたましいほど騒ぐ久光って・・・久光は、ほんと、ちゃんとした政治家さんです

そして・・・閣議では、岩倉使節団を派遣するかどうかでもめております。
政治的混乱が治まっていない今、行く価値があるのか??という問題です。
その必要性を解く伊藤博文ですが・・・
「ちゅうこっちゃ!!」by岩倉具視
って・・・やめてくれよ・・・大阪弁・・・。
あんまり突っ込むのもどうかなあ・・・と思っていますが、近畿のオマケ県の私でも、大阪弁と京ことばの違いがわかります。
こんな大阪弁のお公家さんなら、ちょっと東京人がやったおじゃるマロ言葉の方が良かったかも・・・なんて思うんですよね。。。
「ほな!!」とかも・・・如何にも品がない!!

薩長閥がはびこって怒るその他のメンバー・・・使節団に行っている間に挽回しようと画策中・・・ですが、誰が誰やら・・・板垣退助とか、江藤新平とか、大隈重信ほかいろいろってことね・・・解らず・・・残念!!
なので、その間のことを西郷に頼む大久保利通でした。

で・・・薩摩の西郷家では、使節団に女子や子供までがいく・・・みたいな話をしています。
菊次郎を無理に行かせることはないとか・・・そんなこと、どうでもええわ・・・。

久光は、薩摩中の訴えを受け・・・家臣たちが断髪したのも気に入らない様子・・・。
そんなこんなも、リアクション大というか・・・久光さんは、””静””って感じがするんだけど・・・だから、ご自分も、みんなが洋装で会議に出席するのに自分は着物で・・・。とか、言わないけど抗議!!みたいなのがあってると思います。。。
なんでもかんでも、会って言うとか、口に出す・・・とか、男は黙っての時代じゃないのか・・・??
ちなみに、西洋かについていけずに、もっと東洋的な発展を・・・!!と思っている人がたくさんいて、そんなこんなな不満が日本には渦巻いていました。

で・・・またもや西郷さんの長屋でなんだかんだとお仕事してんの??これ!!
ちゃんと庁舎でやれよなあ・・・。
ちまちまとした政治するなよなあ・・・大局を・・・と思っていたら、またもやお腹が鳴るとかアホみたいな演出で仲良しこよしです。ほんと、薩摩隼人が情けない・・・

そして、宮中の改革に乗り出した西郷隆盛。
相撲やって・・・??
なんか、ほんとにこんな表現してたんかなあ・・・。つらいわ・・・。
日本の津々浦々を見てほしいと天子様に言上する西郷どん。
こんな象徴天皇をこの当時やっていたのか??と、不思議に思う私は、勉強不足なんだろうか・・・??
第二次世界大戦までは現人神で恐れ多いでしょ??

 don1














西郷さんを信用している明治天皇・・・
何を思って信用しているのかもわからんし・・・
で・・・
明治天皇が岩倉使節団の派遣の勅を出します。
みんなアップになるんですが・・・誰が誰だかもわかりません。

don2















「あとは頼んだで。 
 お前がおるから安心して欧米行けるんや。
 
 後藤と江藤や・・・
 くれぐれも用心せえよ。
 実験を奪い取るにはどんなことでもしよるからな!!

 まろが帰ってくるまで何もしたらあかんど!!

 新しいことは何もしたらあかん!!
 人事も動かすな、ほな頼むで、西郷。
 約束は守るんやで!!」by岩倉具視

と、子供に留守番の間悪さはするなみたいな言い方で洋行する岩倉と大久保・・・

って、この大事な時期に、政府を放っておいて洋行するんやから、もっと”なんで人事を動かしたらあかんのか??”とか言えんのかなあ・・・??
アホみたいやんか・・・!!

でもって、岩倉具視の予言通り、薩長以外が幅を利かせ始めるのでした。

長屋のみんなが一揆や暴動の話を噂しています。
それを立ち聞きしてしまう西郷さん・・・とか、もうええ・・・。

「お役人のなかでも、西郷さんだけは違いますから・・・!!」by長屋の女性

って・・・こういうのもなあ・・・。
長屋に住んでいると見せているこのドラマの弊害というか・・・
官舎で聞く方が、緊張感あっていいでしょう??
そんなこと、気楽に西郷さんに話すのもおかしいだろ・・・。

で・・・政府内部で山形有朋が起こした山城屋事件を糾弾!!
ま、山形有朋のやったことをこの山城屋事件という汚職事件だけにしているのもなあ・・・
他にもいろんなことをしてくれた山形有朋です。
徴兵制を取り入れたとかさ・・・

rurouni










るろうに剣心では奥田英二さんが演じて・・・
明治の代に要職にもつかずにフラフラしている剣心を政府に入れようとしますが・・・
「人斬り働きで要職につくつもりはない。」と、断られるあの人です。
川路さんも出てますよね・・・。
ま、るろ剣は私も大好きだし有名な作品ですが、マンガでも一本筋が通って面白いんだなあ・・・って、改めて「西郷どん」を情けなく感じちゃいました。

ま、みんな甘い汁を吸っていたのは事実です。
が・・・それは、当時の政治家、みんな同じなんですよ~~!!

薩摩・・・久光からの手紙には、新政府に対する不満が高まっていると書かれてありました。
って・・・全国で不満が高まっていましたけどね??

そんなことしてるのに、菊次郎の留学問題の方が大事だそうです。
あれだけ血を流したのに・・・!!

天子様は、西国を巡行します。
多くの臣民と触れ合うために・・・!!
そして、薩摩にもやってきました。
洋装で・・・靴を履いてやってきた天子様に驚く久光!!

久光と西郷どんの話し合いで・・・
こんな国を作りたかったわけではない・・・みんなに申しわけないという西郷を、「このやっせんぼ!!最後までやり抜くんじゃ!!」と叱咤する久光!!
やって、やって、倒れたときには薩摩に戻って来いという久光。

あ・・・どう考えても、西南戦争のフラグにしか見えないのは私だけなんだろうか・・・??

ホントね、久光って賢い人なのよ・・・それなのになあ・・・。
感情だけしか話にのぼらないから、政治的に何をして、何に怒っているのか・・・??
何にもわからないから・・・全くどのキャラにも魅力がないわ・・・。

で・・・家パートに入るのね・・・。
もう・・・ほんと、どうでもええんよ・・・。
その結果、菊次郎は留学することが決まるのでした。
その菊次郎に負けてられないと、西郷どんも気張るんだって!!

何をやりたい西郷どんなのか・・・??
全く解らないのでした。

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西郷どん完結編 NHK大河ドラマ・ガイド

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