【日本の城】城と城下町 東の旅・西の旅 1函2冊入り★日本通信教育連盟★1998年発行【中古】※中古ですので使用感劣化等はご容赦ください。【送料無料】

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日本初の世界自然遺産・白神山地に懐かれ・・・美味しい米と酒・美人な城下町です。

初代藩主・佐竹義宣がこの地を開きました。
佐竹一族には、宗家・北家・西家・南家と残っています。
佐竹一族はもともと常陸国(茨城)を治めていました。
関ヶ原の戦いで西軍にも東軍にも属さなかったので・・・
家康の逆鱗に触れて秋田へ転封となりました。
54万石は20万石の大幅ダウン・・・。
全ての家臣を連れて行くことができず・・・。
しかし、美人を連れて行ったのです。
新しい生活のために・・・国づくりのために・・・子孫繁栄のためだったのかもしれません。

現在の秋田県のPRポスターも。。。


美人の宝庫な秋田・・・
江戸時代の飢饉にあっても藩の政策で飢饉をほとんど受けなかったので、とてもふくよかで健康的でした。

akita






























そして・・・
厳しい寒さとあまり日照時間がない・・・という気候が秋田美人を育てたのだそうです。


秋田城は・・・本来は御隅櫓。
初代・義宣が築いたころから天守はなく、天守という飾りよりも、見知らぬ土地での政治を整える方が大事だとしたのです。
この佐竹家は・・・
始祖・源氏・・・源義光から明治時代に至るまで・・・
常陸国・20代にわたり470年、出羽国・12代270年・・・つまり、740年間絶えることなく続いてきた日本武家史上最も長く続いてきた家のひとつです。
でも・・・どうしてそんなことができたのでしょうか?
どちらかというと・・・武人ではなく・・・文人でした。
なによりも一族の繁栄を願い・・・争うことなく長らえること・・・無益な戦いは避ける・・・そんな武士でした。

秋田は日本酒で有名で、多くの銘酒が作られてきました。
しかし・・・東北のお酒は昔は駄酒と呼ばれていました。
昔は、江戸では、京都・大坂・神戸で・・・上方のお酒が一番だと言われ。。。
田舎で作る・・・それだけで、駄酒と言われていました。
2000年ある日本酒の歴史の中で、100年前に・・・明治の終わりに名が轟くことになります。
明治40年第1回全国清酒品評会で秋田の日本酒が1等賞となったことから始まったのでした。


青森のねぶた、仙台の七夕と並ぶ東北三大祭りの一つが秋田の竿燈まつり。。。
夏の秋田の風物詩です。

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どうしてこれをするようになったのか?
江戸時代・・・「ねぶりながし」と呼ばれていました。
七夕の時期に・・・病などでねむることのないように、提灯に書いて町を練り歩いたのが始まりです。
竿燈まつりで使われる提灯には、町内ごとに街のシンボルが描かれています。
縁起を担いだこのシンボルは、秋田の名君・9代藩主・佐竹義和が民の幸せを願って描いたと言われています。
それは、今も受け継がれ、男性は3歳から5歳の間から竿燈を担ぎ始めます。

秋田の郷土料理は・・・冬のきりたんぽ、魚醤で作るしょっつる・・・
でも・・・夏にも鍋。。。”かやき”。貝焼きが語源だと言われています。

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昔は自分の帆立かやきを持つことが、武士の一人前の印でした。
佐竹家に伝わる純銀製の殿様用専用かやきもあります。

冬の寒さに耐え、夏を慈しみながら独自の文化を築き上げてきた秋田の城下町・・・
そこには美味い酒、美しい人、楽しい祭り、なにより優しく迎えてくれえる秋田の人々が待っていました。

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