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小田村伊之助さん・・・文の姉・寿の旦那さんで・・・後の楫取素彦さん・・・そう、文さんの再婚相手になる方です。
”花燃ゆ”では大沢たかおさんが演じてくれています。
藩医松島瑞蟠の次男として生まれます。
そして13歳で儒者小田村家の養子となるのでした。
藩校・明倫館に学び・・・江戸に出て佐藤一斎や安積艮斎に師事、帰国後は明倫館で指導するようになります。
吉田松陰の妹・寿と結婚し、松陰の投獄後は松下村塾でも教育にあたりました。
安政6年(1859)藩主・毛利敬親の側儒に抜擢され、文久元年(1861)以降、江戸・京都・萩の間を奔走する藩主に随行し、藩政中枢に参与。。。
慶応元年(1865)の長州征討にさいし、宍戸たまき(山県半蔵)とともに広島に赴いて幕府側との交渉にあたり、翌年、長州戦争(四境戦争)直前には広島に一時拘留されました。
慶応3年、藩命により楫取素彦と改名。。。
明治維新後は新政府に出仕し、地方官を経て、明治9年(1876)群馬県が新たに発足したことにより、そう・・・草創期の群馬県政を担った初代県令となったのです。
約10年間の在任中には、県庁を高崎から前橋に移転して伝統産業の養蚕・製糸業を奨励し、また教育にも力を入れるなど、草創期の群馬県政に大きく貢献しました。
富岡製糸場が世界遺産に登録されたのも・・・この伊之助の功績に依るところも多いと思われます。
明治14年、妻・寿をうしない、明治16年、松陰のもう一人の妹・文(文子、久坂玄瑞の未亡人、美和子と改称)と再婚しました。
その後、元老院議官、宮中顧問官、貴族院議員などを歴任し・・・83歳で亡くなりました。
松島剛蔵の弟であり、小倉健作の兄でもあります。
松陰はとっても過激だったので・・・何度も獄に入れられましたが・・・
その手紙の取次ぎをしたのが伊之助だと言われています。
影ながら松陰をサポートした人物だったようです。
松陰が囚われの身となった後・・・松陰が松下村塾を託したのは伊之助だったといいます。
松陰が処刑される前に書いた遺書「留魂録」に出てくる名前には・・・
久坂玄瑞・入江九一・高杉晋作・・・誰の名より伊之助の名が多かったと言われています。
それだけ松陰が頼りにし、信頼していたのでしょう。
あんまり知られていませんが、とっても日本に尽くしてくれた人ですね。
大沢たかおさんがどう演じてくれるのか楽しみです。
が・・・
どう見ても仁先生??
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