日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:八重の桜

新島八重 明治維新を駆け抜けた才女 NHK大河ドラマ「八重の桜」ハンサムウーマンの生涯を読み解く

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ついに最終回です。
いろいろ忙しくって、なかなかアップできませんでした。

明治27年11月。。。

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八重は広島の陸軍予備病院に赴任し、従軍看護婦として陣頭指揮を執っていました。
日清戦争の開戦から3か月。
大山は、遼東半島の旅順に!!!
一気に攻め落とそうとしていました。

病院には日本軍だけではなく、清国の兵も数多く運び込まれ。。。
そうか・・・清の兵まで日本に運ばれてきてたなんて。。。

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言葉が通じずに、暴れる敵国の兵を”日本語で”鎮める八重
そこには・・・敵であっても傷ついた者を助ける八重がそこにはいました。

怪我人も、伝染病患者も・・・

”味方の兵の上のみか 言も通わぬ敵(あだ)までも
    いとねんごろに看護する 心の色は赤十字”

戦では衛生兵が看護する・・・
今でもある女性に対する偏見は、この時代はもっと強く・・・
そんな時代に女性が兵士の看護をすることは、並大抵の苦労ではなかったようです。

11月21日
日本軍は、旅順総攻撃を行いました。
難攻不落と言われた旅順も・・・日本軍の猛攻撃の前に清軍は総崩れ・・・
要塞は1日で陥落したのでした。

一方広島では・・・
たくさんに犠牲が・・・多くの兵が亡くなっていっていました。
そこにやってきたのは、徳富蘇峰。
さすがにジャーナリスト、戦争に対してイケイケ!!ドンドン!!です。
多くの犠牲者が出ていることを記事にしてほしいと願う八重・・・。
でも、いつの時代も読者の求めているところはそんな部分ではない。。。
そう・・・一気に北京を攻め落とすために!!!

明治28年2月。。。
日本は勝利を確実とし、3月伊藤博文と李鴻章との間で講和条約が交わされる・・・会議が始まりました。
日本赤十字では668名の看護婦が活躍し。。。
戦争の終わりと同時に八重たち篤志看護婦もその任務を終えたのでした。

ひとり家に帰った八重。。。
しかし、立ち止まっている暇はありませんでした。

日清講和条約で遼東半島が返還されることになりました。
そこには、ロシア、ドイツ、フランスの思惑が働いていたのです。
日本外交の弱腰を非難する蘇峰。
新聞として世論に訴えます。
この時の屈辱は、次なる戦争へと繋がっていくのです。

八重は、茶の湯に傾倒していきます。。。

そんな静かな時が流れる明治29年・・・
八重の母・佐久が亡くなりました。
前後して、義母・登美、久栄も病で亡くなり。。。

自宅の茶室でお茶の稽古中。。。
京都府の役人がやってきました。

「新島八重を勲七等に叙し、宝冠章を授ける」

”女子が勲章を???”

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叙勲は、広島で看護婦たちを指揮したことによるもので。。。
皇室以外の女性では、はじめての叙勲でした。

時が過ぎ・・・大蔵は御宸翰を世に出すころではないかと・・・
そのことは、健次郎に託されます。

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会津が名誉を回復する日は必ず来る。。。
若き家老として会津藩を指揮し支え、全てを背負った男もまた・・・
この世を去っていきました。

慶喜にも復権の時が・・・

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”恐ろしかった・・・会津の愚直さが・・・!!
いや・・・まことは羨んでいたのかもしれぬ
信義で結ばれた主従の絆はわしには手に入らぬものであったゆえ・・・”

あ~、まだわからないのね・・・慶喜。
切れ者の筈では???
慶喜には勝さんがいるでしょう???
幕臣たちの身の振り方を考えたのも勝。。。
そう、早くに亡くなった息子の代わりに慶喜の息子を養子にしていますよ。。。

健次郎が御宸翰についての書物を刊行するという噂が政府内でささやかれていました。
大山にとっては義兄。。。
真偽を問う大山・・・書物の刊行を延ばせと???
慶喜は陛下にお目見えし許され名誉を回復したというのに・・・
亡き主君・容保の汚名を雪がなければ!!!と、反論する健次郎。

そうなれば、薩長の大義名分が!!
国家の安寧の為に、刊行を止めようとする大山!!

「いわお~!!」by捨松
腑抜けた声で言うな~~~

「永遠に封印は出来ん!!」

と、山川兄弟が書き継いだ書物「京都守護職始末」が日の目を見るのは、さらに10年後のことです。。。

会津を訪れた八重。
そこにはあの大きな桜が・・・!!

登ろうとする八重を引き留めた老人・・・西郷頼母でした。
頼母は、神職を辞し・・・ただの桜守となっていました。

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「八重。。。
 わしはな・・・新政府がなじょな国つくんのか見届けんべと生き抜いてきた。
 んだけんじょ、戊辰以来、わしの眼に焼きついたのは、何ぼ苦しい時でも懸命に生きようとする人の姿。
 笑おうとする人の健気さ。
 そればっかりが俺の心を・・・胸を揺さぶんだ。。。


 八重。。。
 にしゃ桜だ。。。
 花は散っても時が来っと、また花を咲かせる。
 何度でも、何度でも、花、咲かせろ。」

 
京都で・・・茶室で蘇峰に茶を勧める八重。。。
軍備増強を煽っている蘇峰の刊行物・国民新聞を非難します。

言論が人を動かす・・・
蘇峰はその力を何処に使おうというのか・・・!!!

「力は未来を切り開くために使わねばなんねえよ。。。」

銃を持って戦った八重・・・
最後の一発を撃ち尽くすまで・・・
ひとりでも多くの敵を倒すために・・・!!!

しかし、今なら・・・
最後の一発はどうする???

そう・・・最後の一発は・・・

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そして・・・その空には・・・
綺麗な花が・・・!!!

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あ~、OPに繋がる良い感じ

ほんと、びっくらこいた、昭和7年6月14日。
新島八重は自宅にて死去。。。86歳でした。
戦いを憎んでいった八重は、戊辰戦争の後も日清・日露、第1次世界大戦をみることになりましたね。。。
亡くなった昭和7年には、満州国が建国されます。
大陸できな臭い匂いがプンプンしていたことでしょう。
繰り返される愚かな戦争を、どんな目で見ていたのでしょうか???


遂に、1年間が終わってしまいました。
なかなか良かったんじゃないかと思います。

当時の女性としては、本当にすごい人で。。。
生涯学習・・・なんて言葉は最近できたようにも思えますが、すでに実践してますしね。


「新しいことを始めるときは、いろいろ言う人がいる!!」
それでも頑張る前向きな精神が、1年間を通して観ることができたかな???

個人的には、”大河の主役=男性”みたいな偏見もあるので、う~ん!!と思ったところもありましたし、明治に入ってからは今一つ何をしたのか解らなかったのですが、銃をもっていた手を聖書に持ち替えて・・・
慈悲の心を持って生きた・・・というか、そこに救いを見出してたんじゃないかと思います。

だって、あまりにもたくさんの人が戊辰で死んでしまったから。。。

大河の皆様、1年間本当にお疲れさまでした。

っていろいろ書いてますが、心は来年の大河に飛んでいます。

やっぱり男性&戦国時代おまけに今回は、「黒田官兵衛」です。
そう、秀吉が最も恐れた男ですよ!!

いつもは、あんまりカッコよく書いてくれないんですけどね。。。
ほら、二兵衛の片方・竹中半兵衛が美男子でしょう???
黒田官兵衛は野心丸出しだしね。。。

そんな腹黒く書かれることの多い黒田官兵衛を、オットコマエの岡田准一君がどう演じてくれるのか???
本当に楽しみなのです。

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 前回から、最終回に向かって走って来ていますね。
この回は???

戦争が迫っていました。
日本は一丸となって、富国強兵へと邁進!!
その波紋は同志社にも・・・。
入学者が五分の一に減ってしまったのです。
学者の中には、キリスト教は教育勅語に反すると批判する者もいました。

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そう、明治23年、「教育勅語」が発布され・・・学校にも配布されました。
そこには、親への孝行、兄弟への友愛など日本古来の道徳心を重んじるとともに、
「国家の危機には忠義を以て天皇に尽くすべし」
との一条がありました。

「教育の名のもとに、人を縛ることはあってはなんねえ・・・」

覚馬はそう思っていたのです。

時代は日清戦争に突き進んでいましたが・・・八重は、学校で看護を教えていました。
自分が実践で学んだことを昔話のように語りながら・・・。

覚馬は咳きこむようになっていました。
そこへやってきたのは山川健次郎。
山川家でも、大蔵の調子が良くないようですが・・・大蔵は、尚之助の未完の仕事を引き継いで・・・
あの時、会津に何があったのか?
「京都守護職始末」を書き残そうとしていました。

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京で一体何があったのか???
当時小さかった健次郎は、覚馬に聞くのでした。

そうですね・・・。
昔は総集編があったものでしたが、これが総集編って感じなんでしょうか?

しかし・・・「勤皇の志は、薩長も持っていた」という覚馬の言葉に、激昂する八重と健次郎。。。

あ~、この覚馬の説明、全く解りません。。。
抽象的すぎます。。。
会津と新政府軍を平等に話しているのでしょうが・・・いくら教育者になったとはいえ、個人的にもここまで平等になれたのか?なれなかったと思うんですけどね。。。

会津が敗れた痛み・・・国を失う痛み・・・人間の知恵や知識で戦争を回避することは出来ないのか???
学問は武器とならないのか???
日清戦争に突き進もうとしている日本を憂いでいる覚馬。。。

同志社の卒業式で・・・挨拶をする覚馬。

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「諸君は、学業を終え、これからそれぞれの仕事に就かれる。
 どうか、弱いものを守る盾となってください。

 かつて・・・私は会津藩士として戦い、京の街を焼き、故郷の会津を失いました。
 その償いの道は、半ばです。

 今、世界が力を競い合い、日本は戦に向けて動き出した。。。
 どうか、聖書の一節を心に深く刻んでください。
 ”その剣を打ちかえて鍬となし、その槍を打ちかえて鎌となし、国は国に向かいて剣をあげず
 二度とふたたび戦うことを学ばない・・・!!”

 諸君は、一国の・・・いや、世界の良心であってください。
 いかなる力にも、その知恵であらがい、道を切り開いてください。
 それが、身を以て戦を知る私の願いです。」

覚馬は、その翌年、小崎弘道に総長の職を譲り、学校運営から身を引いたのです。

明治25年12月28日。。。
64年の苛烈な生涯を閉じたのでした。

って、山本家、すっごく血濃い!!
娘の久栄の立場はどうよ!!って感じが、違和感として残るのは、私だけでしょうか???
そう、嫁×2はともかく、久栄は娘なのに~!!
仲間に入れてあげてよ・・・!!!

大蔵と健次郎は容保公を見舞っていました。
容保が二人に見せたのは”御宸翰”。。。

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会津が逆賊でないことの証です。
2人に託したいとのことです。

どうしてこの御宸翰を見せなかったのか???
それは、自分が逆賊の汚名を雪ぐよりも、この国に戦いの火を撒かないという・・・容保の強い意志でもありました。

「いつか・・・御宸翰を世に出してくれ。
 会津がいかに誇り高く戦ったかを・・・死んでいった者たちの心を・・・!!

 ただし、再び同じ道を辿らぬよう、戒めとしてこれをそなたらに託した。
 わしの最後の願いじゃ。。。」

そう言って・・・
明治26年12月5日、松平容保病没。。。

そうなんですよね。
容保公は、ず~っと、死ぬまで御宸翰を手放さず、見せなかったといいます。
やっぱり、たくさんの被害、たくさんの死者を出してしまったことに悔いていたからなのでしょう。。。

「みんな・・・いなぐなってしまった。。。」
そこには、独り泣く八重がいました。。。

明治27年3月。。。
朝鮮半島南部で農民の反乱「東学党の乱」が勃発。

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朝鮮政府は清国に派兵を要請します。これに対し、伊藤内閣は8000人という大兵力を派遣する閣議決定を下しました。
ホント、清に頼ったことに腹を立てた日本は、お願いもされていないのに派兵しちゃうのです。

ロシアも南下政策の下、朝鮮半島&府凍港を狙っています。
だからこそ、日本にも猶予はありませんでした。

8月1日ついに日清宣戦布告!!

八重は大山巌を訪ねていました。
赤十字の京都支部が広島の陸軍予備病院へ従軍することについての相談でした。
敵味方の区別なく、傷ついた人々を救護するために!!
しかし、清は赤十字に参加していません。
敵を助けるのか???という声もあります。
その声を鎮めてもらうためだったのです。

「いたわり救うは人の常なり
 仁愛の心をもって対すべし」

大山は約束してくれ。。。

八重は、再び戦へと赴くことになるのでした。

私がうがっているからでしょうか?
今回は、ブラコン大爆発の回でしたね。
八重が覚馬を尊敬していたのは確かでしょうが・・・八重はほんと、覚馬の事が好きだったのでしょうね。。。
そんな感情が、ひしひしと伝わってきました。

前回も書きましたが、尚之助や襄の立場も台無しです。

個人的には、覚馬は会津にいたころの方が好きでした。
ま、身体も今一つだったでしょうから、もちろんそれ以上の・・・十分すぎる生き方をしたのでしょうが。。。
個人的に思うのは・・・辛酸を舐めつくす生活をしていた会津の人たちの中では、覚馬たちは”いい生活”をしていたということです。
武家のお嬢様な八重さんは、金勘定ができずに・・・
襄の死後は、同志社におんぶにだっこ・・・学校のお金を使いこんでいたとも言われています。
でも、当時のお嬢様は、金勘定なんかしないので、八重が悪いってわけじゃないのよ・・・。
ただ、もっと貧乏で、苦労している人たちがたくさんいたということです。
きっと、快く思っていない人もたくさんいたんじゃないかしら???
良い服着て、洋食食べてるしね・・・。

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1888年・・・もう、明治も21年になっています。の1月・・・。
翌年に憲法発布を前に・・・伊藤博文は草案作りに熱心に取り組んでいました。

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そして・・・この政治的難局に、相反する大隈重信を迎えました。
不平等条約の改正に向けて・・・


山本家は母・みねを失った平馬を養子に迎えていました。

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子供がひとりいるだけで大騒ぎ・・・。
佐久は若返ったように。。。賑やかな毎日でした。
いや~、やっぱり当時は跡取りがいさえすればよかったの???みたいな展開です。。。
結構嫁に対してシビアあなんですよね・・・山本家。。。
嫁として言おう!!
「誰が痛い思いして産んだと思ってるねん!!」と。。。

が、この年の元旦に襄は心臓の発作で倒れていました。
なのに、仕事で頑張る、頑張る!!
来年の憲法発布に向けて、人材を育てるために大学設立に向けて頑張ります。

徳富蘆峰の雑誌「国民之友」。
そこに、福沢諭吉と並べて新島襄が語ってあり・・・恐縮する襄。。。
こう書いてありました。
「二君は実に、明治年間教育の二大主義を代表する日となれば、すなわち、物質的知識の教育は福沢君によって代表せられ、精神的道徳の教育は新島君によって代表せらる」と。。。

そう、東に慶応義塾の福沢あり、西に同志社の新島あり!!なのです。


大学創設の為に東京で募金集会をする機会があるという・・・提案する徳富蘆峰。。。
しかし、襄は病み上がりでした。。。
反対をする八重。。。
襄が無理をしないように、一緒に東京に行くことになりました。

温かくなってきた6月になって、東京にやって来ました。
東京帝国大学の山川健次郎を訪ねます。

「あの角場は・・・私が物理の道に進んだ出発点でした。。。」by山川健次郎

大隈重信邸で・・・
人々に寄付の参加を呼びかけます。
あ・・・岩崎弥之助がいる。。。
財閥・・・有力者たちは、襄の演説を聞いて・・・援助をかってでてくれます。
その金額は・・・現在の金額で億を超えていました。

その懇親会で・・・襄の体調は悪化していきます。。。

勝海舟のもとを訪ねた2人。。。
あ・・・今、政府に残っている人たちは小物揃い・・・と、勝海舟は言っとります。。。
それは本当だったという人もたくさんいますよね。
初代総理大臣の伊藤博文も???という人もいますが、山県有朋に至ってはだそうです。。。

勝海舟から、「国民之友」を使って募金を集めるべきだ。。。と、提案されます。
鎌倉で静養したあと、京都に帰ってきた八重と襄。。。って、本当に行っていたのかしら?八重。。。
お母さんのお世話の為に残ったんじゃないの???

そして、その京都では・・・
主治医に襄の余命を聞かされる八重・・・。

「次に発作が起きたら、破れるかもしれん・・・」と。。。

「私にはやることがあるんです。
 その日が近いなら、準備をしなければならない。。。
 怖いのは死ぬことではない。。。
 覚悟も決めず、支度もできぬままに、突然命を絶たれることです。。。」

という襄に、心を打ち明ける八重。。。

「命は、主の御手に委ねてあります。
 恐れることはない。。。」

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襄の原稿をもとに、蘆峰が仕上げた大学設立の旨意は、「国民之友」をはじめ、全国20余りの新聞に掲載され、大きな反響を呼びました。

ますます仕事が増える襄。。。

身体が思うように動かない襄。。。
もどかしさが!!!

「やはり、間に合わないのか・・・???
 あともう少し!!もう少しで大学に手が届くのに・・・!!

 何一つ、たやすく出来たことはない。。。
 邪魔され、罵られ。。。
 全ては主のおぼしめしだと思えば試練も喜びに代えられた!!
 でも、耐えられない!!

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 こんな所で・・・こんな所で死ぬなんて・・・!!!
 主はなぜもう少し、時を与えて下さらないのだ!!!
 死が私に追いついてしまう!!!」

あ~なんだか辛いですね。。。
”死が私に追いついてしまう!!”
切ないというか、哀しいというか。。。

「私がやらなければならないのです!!」

何がそんなに襄を駆り立てるのでしょう・・・???

「最後の一日まで、共に戦ってください・・・!!!」

強く、強く、教育の為に生きることを誓う襄なのでした。


1889年2月11日・・・
やっと大日本帝国憲法の発布式が行われました。。。
人民の声が、国を動かす日がやってきたのです。

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そして襄もまた・・・
関東へと資金集めの旅にでるのでした。

最近の八重さん、あんまり活躍していませんがどうでしょう?
もともと男勝りで、おだてて男を持ち上げるような”あげまん”タイプじゃないですよね。
戦いの中でこそ光る八重・・・っていうのも、カッコいいですが、平和な時代には必要ないしなあ。。。
とも、思っちゃうのです。

そこで思い出したのが、少し前の大河ドラマ”江”です。
饅頭食って、子供産んで、お菓子食って、子供産んで、頓珍漢な事言って、子供産んで・・・みたいなの。。。
ガッツリ働いて、カッコいい女の人。。。なかなかいないのかも知れませんね。。。
となると、”鹿鳴館の華”であり、前妻の子を含めた8人の子どもを育て、夫婦仲もとっても良かった”良妻賢母”の大山捨松の方が、公私に渡って魅力的だったかも???

でも・・・次の次の大河は、松陰の妹です。
オタクの私でさえ、”久坂玄瑞の妻”ということしか知りません。。。
男尊女卑かも知れないけれど、やっぱり主役は男の人の方がいいと思うんです。
やっと今、男女同権ぐらいですからね。。。
きっと、女性のやることには制限がたくさんあったでしょうから・・・。
卑弥呼や持統天皇ぐらいまで遡らないとな~、って、マイナーもダメか???

あ~ 真田幸村、やってくんないかなあ・・・

帝国憲法はこうして誕生した ~明治・夢と希望と国家ビジョン~はこちら

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八重の桜で出て来ました、徳富健次郎・・・ホトトギスで有名な徳富蘆花さんです。


そして・・・八重の桜・「駆け落ち」の回で東京へと行ってしまいましたが・・・
後に自伝的作品を作っています。



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それが山本久栄との恋愛を描いた「黒い目と茶色の目」です。

で・・・この「黒い目と茶色の目」には徳富蘆花と山本久栄の恋愛の話だけでなく、 久栄の母・時栄と父・覚馬の離婚の話も出てきます。

それがなければ、この離婚、ただの噂話として・・・大河にはならなかったかもしれませんね。。。


登場人物は、名前を少し変えています。

主人公は得能敬二(蘆花)。
敬二は12歳のとき、飯島先生が創立した協志社で勉学しはじめたこと。

協志社を創立する上で、全面的にバックアップしたのが山下勝馬で、山下の妹が飯島先生の夫人(これが八重ね。)です。
熊本の実家で、兄が結婚すると、家に居づらくなり、伊予にいる従兄の又雄の家に世話になり。。。
又雄の妻はお稲(みね)です。

物語は、又雄一家が伊予から京都に移ったときから始まります。

敬二も一緒に京都に行き、協志社に再入学し。。。
又雄の家には、お稲の妹の寿代(久栄)がよく訪ねてきていました。

寿代は15歳で、協志社女学校に通っていて。。。
敬二は寿代と会ううちに、寿代に惹かれてきます。

お稲が産後、急逝したのち、敬二と寿代の仲は急速に深くなり。。。
いつしか、二人は将来を約束する恋人同士になっていきました。

寿代は山下の後妻の子・・・その後、妻は若い男と不倫をして子を身ごもり、山下家から追い出されていました。
そのとき、後妻を家から追い出す急先鋒だったのが、義理の妹の飯島先生の夫人(八重)だったのです。

母親がそのような女であったためか、寿代にはどこか男好きのするようなところがあり。。。
敬二は寿代に関しての艶聞に悩みますが、敬二は断固として寿代と結婚しようとします。
ところが、敬二と寿代の関係は、又雄だけでなく、兄そして飯島先生も猛反対!!!

敬二は悶々として、学校も休みがちになり、おまけに方々から借金をして、いよいよ学費を払うことも生活することもできなくなり。。。敬二は寿代と別れ、京都から逃げたのでした。

こちらの方が、ホントのように思えなくもないですが、どうでしょう???
ほら。。。太宰治もお坊ちゃんの甘ちゃんですし・・・
当時、物書きを志す人は、夢や理想はあっても、お金もないでしょうし。。。

一応自伝的小説なので、ホントもあり、ウソもあり・・・って感じで創作部分も多いのでしょうが・・・
八重にとっては隠しておきたかった山本家の汚点を、全国的な出版物にされてしまったということで激怒していたかもしれませんね。。。

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明治思想史の一断面―新島襄・徳富蘆花そして蘇峰

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今回は、久栄と徳富蘆花のお話です。

明治20年1月。
みねは同志社の教師となった伊勢時雄と共に京都に戻り、長男・平馬を出産しました

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幸せそうな山本家ですが・・・
なんだか久栄は複雑な気持ち。。。
それは、厄介者の・・・不義の母を持つ娘だから。。。

そんな気持ちをわかってくれるのは、伊勢家に居候していた徳富猪一郎の弟・健次郎。

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健次郎も学力では兄・猪一郎の足元にも及ばない・・・
従兄・伊勢家の居候だから。。。

時代は小説が流行ってきていました。
近代文学の始まりです。
健次郎も同志社の学生でありながら、勉学よりも小説に・・・小説家を目指していました。
そして・・・久栄の慰みは、健次郎から小説を借りて読むこと。。。

猪一郎は、日本初の総合雑誌・国民の友を創刊。
明治のジャーナリズムを牽引する存在へとなっていきます。

世の学生たちは、小説に・・・低俗なものにうつつをぬかし・・・東京帝大の山川健次郎も御立腹!!

そんな頃・・・
みねは産後の肥立ちが悪く・・・24歳で亡くなりました。
みねの葬儀は同志社で行われ・・・八重からみねの形見分けをされる久栄・・・。
そう、自分を唯一理解してくれたみねは本当に死んでしまったのです。。。

って、みねが八重に頼むシーンですが、座って話せるってのが、何だか不自然に思ってしまった。。。

「私ができることは何でもするつもりだ!!」
「おば様の力を借りるつもりはありません。
 母を追い出した人に頼るわけにはいかへん!!」

母を山本家から追い出したのはおば様・・・
久栄の心の傷はまだ癒えてはいませんでした。。。

それを聞いた健次郎は・・・
「久栄さんの御母上は人間らしか人て思う。。。」
と、言ってくれました。

みねの葬儀の翌日から・・・襄の父・民治が寝込み・・・亡くなりました。

久栄のことを・・・八重のことを案じて。。。

「子を信じきるということは、親にとって一番難しい。。。
 七五三太、励めよ。。。」

そう言って、無くなったのでした。

校内では・・・久栄と健次郎が交際していると噂になっていました。
勉強に身が入らない小説家志望の青年と不義の母を持つ久栄。。。
新島先生の親戚であるのに、示しがつきません。。。

問い詰める八重。。。
久栄は結婚する気満々です。。。
同志社を辞めて東京に出る健次郎について行くという久栄。。。
でも健次郎は・・・???
未熟者の自分では・・・結婚はまだできない???

そして・・・おば様は母ではない・・・???

「健次郎さんは口では大きなことを言ってるけんじょ・・・まだ何もできない子供だ・・・」
「明治の生まれか・・・
 昔に比べっと身分も家柄も構いなしになった。。。
 己の才覚だけで生きていく自由もまた、恐ろしかろう」
「にしろ・・・あまりに軟弱だ・・・
 兄つぁまはあのぐらいの時は・・・江戸で藩の為に必死に学んでた・・・
 近頃の若いもんは・・・」
と、八重と覚馬がおしゃべりしてます。

いや~否定はしませんよ・・・。
武士の時代と小説家・・・小説家・・・なんて軟弱なイメージでしょう???
でも、覚馬の時代は徳川が250年、連綿と続いていつ時代の終わりの方でした。
もちろん、士農工商がはっきりとしているので、出世もできない代わりにあまりの大失態をしない限り、そのままの生活が保障されていて・・・その流れで、覚馬も藩の為に働いていたのです。
なんだか解らない時代のうねりが納まったばかり、明治となってまだ20年ほど・・・
どんな仕事があってどんな風に生きていたらいいかなんて、まったくわかってなかったんじゃないかと思います。
だから、八重のこの言葉は、本当にきつい一言だったんじゃないかしら???

ま、キツイ女子ですからね。。。八重さん。

そして・・・夏休みを利用して・・・静養の為に、北海道へと渡る八重と襄。
静養の為って・・・ホント、外人みたいな優雅な生活してますね。。。

今回は、ついでに会津戦争で別れてしまった”日向ユキ”に会うために。。。

ユキは、薩摩の人と15年前に結婚していました。。。

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う~ん、若すぎるよね。。。この二人。。。
出されているトウモロコシ、ジャガイモが、北海道らしいですね。

が・・・いつも思うんですが、八重、いい服着てますよね。。。
私がうがっているのかもしれないけれど、なんだかんだ偉そうなこと言っても、本当はこのユキの方が、貧乏・・・苦労もしているし、人間的にもできた人になったんじゃないかと思うのです。。。

母親となったユキに励まされて、久栄と向き合おうとする八重。。。
そして襄は・・・
「私たちにはもう、1000人を超す子供たちがいます。
 学生さんたちです。
 八重さんがともに歩んでくれたから、私は子沢山な父親になれました。」

なんて優しいの、襄。

夏休みいっぱいを北海道で過ごし、京都に戻った八重・・・
って、本当に母親代わりで心配しているなら、そんな長いこと静養する???

健次郎は、家財道具一式を処分して、東京に出ることに・・・
久栄もいません。。。
駆け落ち???

探し回った揚句・・・
2人は最後に、みねのお墓参りをしていました。

怒る八重に久栄は・・・ふたりで東京に行くという。。。

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健次郎に、小説で食べていく自信はあるのか??と問う八重。。。
しかし、そんな自信などあるはずもなく。。。
でも・・・
「食べるために小説ば書いとるんじゃなか!!
 小説ば書くために食べると!!」

八重はその言葉を聞いて・・・
駆け落ちは里帰りができなくなるから駄目・・・里帰りができなくなる・・・
東京に行ったら、きっと苦労する。
んだけんじょ、苦労と不幸は違う。
健次郎さん、久栄のこと、蚊張らず幸せにしてくなんしょ」

と、2人を許したのでした。

しかし・・・健次郎は・・・一人で東京に行ってしまいました。

「もはや・・・この思いを止めることは出来ないのです。
 このような策をとる己の身勝手を・・・はなはだ恥じ入るばかりです。。。
 お世話になりました。。。」

そんな予感をしていた久栄。。。

いや~今回も、佐久さんの「さすけねえ。。。」が出ました。。。
無口なのかもしれないけれど、それだけじゃ伝わらないよね。。。
いやいや、血のつながりがあるから、伝わるのか???

って感じの第46回でした。

このところずっと書いているのですが・・・今回も。。。
ま、”八重の桜”ですから!!
な回でした。

まずは・・・日向ユキ・・・。
会津城に入れなかったユキ・・・
会津藩降伏後の翌年、翌年ですよ!!
父親の遺体を探していた日向ユキは加須谷邸の竹藪でようやく、ボロボロになった日向左衛門の紋付きと頭蓋骨とを発見します。
そんな父を浄光寺に埋葬しました。

そして・・・兄・日向新太郎は自害し、その首は、部下によって稲田にあった稲束に隠されました。
その後、犬が日向新太郎の首を咥えて持ち出したので、処分に困った村人が日向新太郎の首を川に捨ててしまいました。
兄の消息も探していた日向ユキ。。。
その村人が捨てた日向新太郎の首を探し出し、浄光寺にある父・日向左衛門の墓の隣に埋葬したのです。

って、スゴイと思いませんか???
何処がすごいかっていうと、新政府は会津藩士の亡骸を、当時埋葬することを禁止していました。
でも・・・時が経つにつれて、その不衛生な匂いと病気が蔓延し・・・埋葬することになりました。
しかし、当時の日本は、埋葬するのは埋葬する身分の人たちでないと駄目だったので・・・
不憫に思った会津藩士たちは、自ら身分を貶めてまで亡骸を埋葬したと言われています。

ま、ユキが身分を貶めたということはなかったでしょうが・・・
あの時代、会津藩士を埋葬することは至難の業でした。

そして。。。苦難を乗り越えたあとの結婚も・・・
会津と薩摩の和平のためにも???
薩摩人と結婚したユキ、大山巌と山川捨松の結婚よりも、11年も早く結婚しています。
「萬年青(おもと)」も書き残していますし、ありきたりな子育て論より、そんなこんなを紹介してほしかったです。。。


で・・・徳富健次郎ですが・・・
ま、小説家志望なので、夢見る夢男君でいいんじゃないでしょうか???
ただ・・・あんな綺麗なわけではなく・・・。
健次郎と久栄に割り込んでくるのは竹崎土平。
三角関係なんかになったりして・・・
ま、久栄は結構奔放だったとか・・・
ただ、健次郎とは母・時枝が出て行ってすぐに会っているので、夢見る姿に惹かれたのかも。。。現実逃避したのかも知れませんね。

で・・・八重さん、いい感じに描かれていますが、本当は。。。
八重&佐久が久栄を寄宿舎に入れ監視、健次郎から来る手紙も勝手に全部読んで、やり過ぎ状態でした。
久栄が現実逃避したかったのも解らないではないですね。。。

そんなこんなをすっとばし、綺麗な第46回でした。

でも・・・最近思うんです。
もちろん”八重の桜”ですから、八重さんが輝くように書いてありますが、あれだけ気が強かった人です。
そんなに慮れる人だったのかしら???
なんて、疑問に思っちゃう・・・人の悪い私でした。

ただ・・・徳富蘆花の小説に対する思いは心に響いたからね。


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