新島八重 明治維新を駆け抜けた才女 NHK大河ドラマ「八重の桜」ハンサムウーマンの生涯を読み解く 価格:1,418円 |
いろいろ忙しくって、なかなかアップできませんでした。
明治27年11月。。。
八重は広島の陸軍予備病院に赴任し、従軍看護婦として陣頭指揮を執っていました。
日清戦争の開戦から3か月。
大山は、遼東半島の旅順に!!!
一気に攻め落とそうとしていました。
病院には日本軍だけではなく、清国の兵も数多く運び込まれ。。。
そうか・・・清の兵まで日本に運ばれてきてたなんて。。。
言葉が通じずに、暴れる敵国の兵を”日本語で”鎮める八重
そこには・・・敵であっても傷ついた者を助ける八重がそこにはいました。
怪我人も、伝染病患者も・・・
”味方の兵の上のみか 言も通わぬ敵(あだ)までも
いとねんごろに看護する 心の色は赤十字”
戦では衛生兵が看護する・・・
今でもある女性に対する偏見は、この時代はもっと強く・・・
そんな時代に女性が兵士の看護をすることは、並大抵の苦労ではなかったようです。
11月21日
日本軍は、旅順総攻撃を行いました。
難攻不落と言われた旅順も・・・日本軍の猛攻撃の前に清軍は総崩れ・・・
要塞は1日で陥落したのでした。
一方広島では・・・
たくさんに犠牲が・・・多くの兵が亡くなっていっていました。
そこにやってきたのは、徳富蘇峰。
さすがにジャーナリスト、戦争に対してイケイケ!!ドンドン!!です。
多くの犠牲者が出ていることを記事にしてほしいと願う八重・・・。
でも、いつの時代も読者の求めているところはそんな部分ではない。。。
そう・・・一気に北京を攻め落とすために!!!
明治28年2月。。。
日本は勝利を確実とし、3月伊藤博文と李鴻章との間で講和条約が交わされる・・・会議が始まりました。
日本赤十字では668名の看護婦が活躍し。。。
戦争の終わりと同時に八重たち篤志看護婦もその任務を終えたのでした。
ひとり家に帰った八重。。。
しかし、立ち止まっている暇はありませんでした。
日清講和条約で遼東半島が返還されることになりました。
そこには、ロシア、ドイツ、フランスの思惑が働いていたのです。
日本外交の弱腰を非難する蘇峰。
新聞として世論に訴えます。
この時の屈辱は、次なる戦争へと繋がっていくのです。
八重は、茶の湯に傾倒していきます。。。
そんな静かな時が流れる明治29年・・・
八重の母・佐久が亡くなりました。
前後して、義母・登美、久栄も病で亡くなり。。。
自宅の茶室でお茶の稽古中。。。
京都府の役人がやってきました。
「新島八重を勲七等に叙し、宝冠章を授ける」
”女子が勲章を???”
叙勲は、広島で看護婦たちを指揮したことによるもので。。。
皇室以外の女性では、はじめての叙勲でした。
時が過ぎ・・・大蔵は御宸翰を世に出すころではないかと・・・
そのことは、健次郎に託されます。
会津が名誉を回復する日は必ず来る。。。
若き家老として会津藩を指揮し支え、全てを背負った男もまた・・・
この世を去っていきました。
慶喜にも復権の時が・・・
”恐ろしかった・・・会津の愚直さが・・・!!
いや・・・まことは羨んでいたのかもしれぬ
信義で結ばれた主従の絆はわしには手に入らぬものであったゆえ・・・”
あ~、まだわからないのね・・・慶喜。
切れ者の筈では???
慶喜には勝さんがいるでしょう???
幕臣たちの身の振り方を考えたのも勝。。。
そう、早くに亡くなった息子の代わりに慶喜の息子を養子にしていますよ。。。
健次郎が御宸翰についての書物を刊行するという噂が政府内でささやかれていました。
大山にとっては義兄。。。
真偽を問う大山・・・書物の刊行を延ばせと???
慶喜は陛下にお目見えし許され名誉を回復したというのに・・・
亡き主君・容保の汚名を雪がなければ!!!と、反論する健次郎。
そうなれば、薩長の大義名分が!!
国家の安寧の為に、刊行を止めようとする大山!!
「いわお~!!」by捨松
腑抜けた声で言うな~~~
「永遠に封印は出来ん!!」
と、山川兄弟が書き継いだ書物「京都守護職始末」が日の目を見るのは、さらに10年後のことです。。。
会津を訪れた八重。
そこにはあの大きな桜が・・・!!
登ろうとする八重を引き留めた老人・・・西郷頼母でした。
頼母は、神職を辞し・・・ただの桜守となっていました。
「八重。。。
わしはな・・・新政府がなじょな国つくんのか見届けんべと生き抜いてきた。
んだけんじょ、戊辰以来、わしの眼に焼きついたのは、何ぼ苦しい時でも懸命に生きようとする人の姿。
笑おうとする人の健気さ。
そればっかりが俺の心を・・・胸を揺さぶんだ。。。
八重。。。
にしゃ桜だ。。。
花は散っても時が来っと、また花を咲かせる。
何度でも、何度でも、花、咲かせろ。」
京都で・・・茶室で蘇峰に茶を勧める八重。。。
軍備増強を煽っている蘇峰の刊行物・国民新聞を非難します。
言論が人を動かす・・・
蘇峰はその力を何処に使おうというのか・・・!!!
「力は未来を切り開くために使わねばなんねえよ。。。」
銃を持って戦った八重・・・
最後の一発を撃ち尽くすまで・・・
ひとりでも多くの敵を倒すために・・・!!!
しかし、今なら・・・
最後の一発はどうする???
そう・・・最後の一発は・・・
そして・・・その空には・・・
綺麗な花が・・・!!!
あ~、OPに繋がる良い感じ
ほんと、びっくらこいた、昭和7年6月14日。
新島八重は自宅にて死去。。。86歳でした。
戦いを憎んでいった八重は、戊辰戦争の後も日清・日露、第1次世界大戦をみることになりましたね。。。
亡くなった昭和7年には、満州国が建国されます。
大陸できな臭い匂いがプンプンしていたことでしょう。
繰り返される愚かな戦争を、どんな目で見ていたのでしょうか???
遂に、1年間が終わってしまいました。
なかなか良かったんじゃないかと思います。
当時の女性としては、本当にすごい人で。。。
生涯学習・・・なんて言葉は最近できたようにも思えますが、すでに実践してますしね。
「新しいことを始めるときは、いろいろ言う人がいる!!」
それでも頑張る前向きな精神が、1年間を通して観ることができたかな???
個人的には、”大河の主役=男性”みたいな偏見もあるので、う~ん!!と思ったところもありましたし、明治に入ってからは今一つ何をしたのか解らなかったのですが、銃をもっていた手を聖書に持ち替えて・・・
慈悲の心を持って生きた・・・というか、そこに救いを見出してたんじゃないかと思います。
だって、あまりにもたくさんの人が戊辰で死んでしまったから。。。
大河の皆様、1年間本当にお疲れさまでした。
っていろいろ書いてますが、心は来年の大河に飛んでいます。
やっぱり男性&戦国時代おまけに今回は、「黒田官兵衛」です。
そう、秀吉が最も恐れた男ですよ!!
いつもは、あんまりカッコよく書いてくれないんですけどね。。。
ほら、二兵衛の片方・竹中半兵衛が美男子でしょう???
黒田官兵衛は野心丸出しだしね。。。
そんな腹黒く書かれることの多い黒田官兵衛を、オットコマエの岡田准一君がどう演じてくれるのか???
本当に楽しみなのです。
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