日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:勝海舟

1905年、日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃破しました。
その時の司令長官・東郷平八郎は、戦後、「仁義礼智信」の文字をある幕臣の子孫に送りました。
あて先は、小栗・・・書を送るにあたり、東郷はこう述べました。

「小栗上野介殿による横須賀製鉄所建造が、日本海海戦の完全な勝利にどれほど役立ったかしれません。」

横須賀製鉄所は1865年、徳川幕府によって建造が始まった日本初の近代的造船所です。
横須賀アメリカ海軍基地に、その一部が残っています。
1号ドライドック・・・日本海海戦の勝利には、ここで建造、整備された艦艇が大きな役割を果たしました。
その建設を手掛けたのが、小栗上野介です。

群馬県高崎市にある東善寺・・・
小栗を象徴する品が残されています。
何の変哲もない一本のネジ・・・
アメリカのワシントン海軍造船所を見学した時に、ひと箱もらってきたものです。
蒸気機関を用いて、大量に作っている工業ネジ、みんな規格が同じ・・・。
アメリカの近代工学、文明のシンボルです。
日本もこういうものを作りたい・・・!!

日本の近代化をネジに託して持ち帰った小栗・・・
その先見性はどのようにして生まれたのでしょうか?
1827年、小栗上野介は旗本の嫡男として生まれます。
幼い小栗は、エリート教育を受けます。
小栗は僅か7歳で、漢学者・安積艮斎の塾に入門しています。
艮斎は、非常に開明的な人で、著書「洋外紀略」には次のような一節があります。

「国を守るには大船や大砲を数多く作るしかない
 諸外国は、その費用を交易で賄っている」と。

まさに時代は変革期にありました。
1853年黒船来航。
圧倒的な武力を前に、日本は、1854年日米和親条約の締結に踏み切ります。
艮斎から学んだことが、小栗の目の前に・・・!!

1859年、33歳を向かえた小栗は歴史の表舞台に・・・!!
日米修好通商条約批准の使節に抜擢されたのです。
役職は、使節一行を監督する目付・・・。
その才能を認めた井伊直弼直々の抜擢だったといいます。
使節を乗せたアメリカの軍艦ポーハタン号は、太平洋を横断し、サンフランシスコを経由して東海岸へ・・・およそ2か月の航海の後、首都ワシントンへ・・・!!
大統領に国書を奉呈します。
現地の新聞はその様子を大々的に報じています。
しかし、果たすべき仕事はまだあります。
小栗は出発前に、井伊大老から使命を帯びていました。

「我が国にとって海軍創設は急務。
 海軍工廠を見学したい。」と。

条約批准の8日後・・・1860年4月5日、ワシントン海軍造船所を見学。
最新の造船技術は、小栗の目にどのように映ったのでしょうか?

”銅や鉄製の部品が、すべて蒸気機関を用いて作られている”

とりわけ小栗たちを驚かせたのが、巨大なスチームハンマーでした。
そこではおよそ3トンものハンマーが、蒸気の力で持ち上がり、巨大な鉄の棒をひと打ちで切断していました。
1860年5月13日、ニューヨークを出港。
日本への帰路につきました。
日本を外国から守るため、近代的な造船所を建設する・・・小栗の中に、確かな目標ができました。

しかし、帰国した小栗を待ち受けていたのは、驚くべき報せでした。
1860年3月3日に起きていました。
大老井伊直弼が、尊皇攘夷を掲げる薩摩や水戸の浪士たちによって暗殺されたのです。
桜田門外の変です。
自らをアメリカへ派遣した大老の死・・・夢を描いて帰国した小栗・・・その行く手は突如暗転しました。

アメリカから帰国して一月・・・外国奉行に抜擢されます。
処が翌年事件が起きます。
1861年2月、ロシア軍艦対馬を占拠。
小栗はすぐに現場に急行します。
しかし、ロシア船の船長は、幕府を交渉相手と認めず、対馬藩を交渉相手と直接交渉を主張します。
交渉は行き詰まり、江戸に戻る小栗・・・
一説には、この時小栗は、対馬を幕府領としてロシアと交渉することを考えていたといいます。
しかし、幕閣はこの案を却下。
東アジアに大きな勢力を持っていたイギリスに、対馬に軍艦を派遣してもらい、ロシア軍艦を退去させたのです。
この外交の裏側には、外国通として知られた勝海舟がいたと言われています。

「日本が正面から単独で、ロシアと談判したものなら、なかなかうんとは承知しなかっただろう」by勝海舟

1861年7月、小栗は責任をとって外国奉行を辞任
軍事力無くして国家は成り立たないことを痛感することとなりました。
しかし、幕閣はその才能を放ってはおきませんでした。
1862年、勘定奉行に就任。
これを機に造船所建設を推し進めようとした小栗・・・
しかし、その道は平たんではありませんでした。
当時、幕府内では莫大な金のかかる造船所建設に疑問の声が上がっていました。

「船は外国から買えば良い」

というのです。

「海軍を運用する人材育成に、イギリスは300年かかっている
 日本では500年かかる
 造船所建設よりそちらを優先すべきである」by勝海舟

「我が国はすでに、外国から購入した船を何隻も保有している
 破損すれば修理する場所が必要ではないか?」by小栗

短期的な目で見れば、外国から船を買った方が早い・・・
しかし、メンテナンスせず、ずっと動くかと言ったらそうではない。
外洋を走る船には貝殻が付き、船体が腐らないように塗装をするのです。
そのためには、船を造るだけではなく、実際に毎日修理できる場所が必要なのです。

1864年、幕府は造船所建設に動きます。
しかし、大きな課題が残っていました。
高度な技術と莫大な資金です。
当時の日本に単独での建設は不可能でした。
幕府には、当初アメリカに援助を求める計画がありました。
ところが・・・1861年南北戦争勃発!!
小栗は新たなパートナーを探す必要が出てきました。
虎視眈々と日本を狙う列強・・・!!
もし選択を誤れば、植民地化につながる恐れがあります。

イギリスにする・・・??
海軍に置いてイギリスは世界に冠たる国で、一早く蒸気機関を実用化し、最先端の造船技術は他国の追随を許さない・・・。
しかし、イギリスのアジア進出は、極めて暴力的!!
立ち寄った香港では道の真ん中はイギリス人が歩き、清国人は端に追いやられていた・・・。
造船所建設には多額の費用が要る・・・もし、支払いが滞れば、イギリスに国の富を根こそぎ奪われる事態になりかねない・・・。
そして、イギリスは最近薩摩と接近している・・・!!
この頃薩摩藩は、幕府政治の改革に動き出していました。
政治工作でそれを実現しようとしたが果たせず、方針を転換・・・
イギリスから最新式の武器を購入し、軍隊の近代化を進めていました。
イギリスがその後押しをしているとすれば・・・幕府の要請にこたえてくれるだろうか・・・??

オランダは・・・??
古くから付き合いがあり、海軍建設(長崎海軍伝習所)にあたり頼っていた国だ。
教官はオランダから派遣された士官が勤めていました。
オランダに、技術者肥田浜五郎を派遣してもいます。
目的は、造船の機会の注文と造船所建造方法伝習です。
幕府の一部では、オランダでの造船所建設が具体的に上がっていました。
しかし、近年その国力は衰えていると聞く・・・。
造船所建設という大プロジェクトの全面的援助が可能だろうか・・・??

フランスは・・・??
あまり付き合いのないフランス・
その頃、日本とフランスの関係は転機を迎えていました。
新たな公使レオン・ロッシュが来日、イギリスの植民地政策を非難、幕閣の好意を得ていました。
フランスは正義の国だと宣伝していました。
ロッシュには、日本で手に入れたいものがありました。
それは・・・蚕。
当時、絹織物は、フランスの輸出産業の主力で、伝染病の大流行で蚕が絶滅に瀕していました。
ロッシュは幕府の許しを得て、種紙を購入し本国に送っています。

「日本政府は我が国に皇位を持っています。
 毎日私は、フランスが日本政府に与えた幸福な影響を確認しています。」byロッシュ

友好的な関係を築きつつあるフランスとなら植民地の危険性はないかもしれない・・・。
それにフランスは、イギリスに負けじと造船技術の近代化に努めていると聞く・・・
そこにかけてみる価値はあるのでは・・・??
イギリスか?オランダか?フランスか・・・??

小栗が選んだのはフランスでした。
何が決め手となったのでしょうか?

”小栗上野介がフランス公使ロッシュに要請した造船所建設担当者について回答があった
 ヴェルニーという者が適任だという”

ヴェルニーは、清国で造船所建設の経験もある、フランス海軍きっての技術者です。
そのヴェルニーを日本に派遣し、工事の指揮を執らせると、ロッシュが確約したのです。
ヴェルニーは、契約を待たずに来日し、測量しました。
大型船でも侵入可能な横須賀に白羽の矢を立て設計に取り掛かりました。

ドックから備品の工場まで・・・小栗がアメリカで目の当たりにした造船所が日本で実現しようとしていました。

小栗が勘定奉行として直面していたのが、建設費年間100万ドルです。
ひっ迫する幕府財政の中、何を財源とすべきか・・・??
目をつけたのは生糸でした。
フランスとの契約との何か月も前から、根回しに動く小栗・・・そこで、生糸に気付きます。
生糸の安定供給・・・輸出によって外貨を得、造船所のための機材を買うことができる・・・!!
そしてその、生糸を現物で納めさせ、幕府が海外で売れば、大きな利益が得られるのです。
幕府は動き始めます。

”幕府の改印のない生糸や種紙の売買は一切許さない”

小栗は、幕府による生糸独占に舵を切ったのです。
さらにこの年、幕閣に組合商法の設立を提案しています。
計画は・・・??
幕府が改印制度を使って日本中の生糸を独占します。
さらに、日本とフランスで大商人に組合を作らせ、独占して生糸貿易を行います。
日本とフランスで生糸貿易を独占し、その費用を造船所建設に使おうと考えたのです。
造船所の建設は順調に・・・
しかし、国内情勢は悪化の一途をたどり始めました。

1866年第二次長州征伐
薩摩の仲介でイギリスから最新兵器を購入した長州を相手に、幕府軍は大敗北を喫します。
幕府の威信は充足に低下していきます。
この時、長州との講和講習に臨む勝海舟に対して小栗は・・・
「幕府の下に郡県制度を立てようと思う」
すべての藩を廃止し、将軍が任命した知事が地方を治める中央集権制です。
小栗は、徳川中心の近代国家を構想していました。
明治維新の2年前でした。

1868年鳥羽・伏見の戦い
薩摩長州の新政府軍と旧幕府軍との間に戦いが勃発!!
旧幕府軍は敗北を喫します。
登城した小栗上野介は慶喜に、徹底抗戦を訴えます。
慶喜の袖をとってまで秘策を・・・!!
”東海道を上ってくる新政府軍を幕府陸軍で迎撃
 孤立した敵を、幕府の誇る最新鋭の軍艦で海から砲撃する”

新政府軍の参謀・大村益次郎は・・・
「あの策を用いられれば我が軍は全滅していたかもしれない」と言っています。
しかし、すでに恭順を決めていた慶喜は、小栗の策を却下し、勘定奉行から罷免します。
そして恭順派の勝が・・・江戸城無血開城をするのです。
徳川中心の近代化の夢はついえたのです。

1868年3月1日、小栗は、知行地・権田村に退去
移住から間もなく、この地に屋敷の普請を始めます。
敷地の一角には・・・お茶の苗木を江戸から運んで植えています。
当時お茶は、生糸と並んで重要な輸出品目でした。
この地でも、国をとませる方法を考えていたのです。

国の基本は国民、国民が豊かになって落ち着いた暮らしができるということが大事なのです。
しかし、4月22日、新政府軍から付近の諸藩に一通の命令書が届きます。
小栗上野介は権田村に陣屋を厳重に構え、砲台を築いている・・・反逆の謀略は明らか・・・
手に余るようであれば、誅滅すべし!!

4月5日、小栗は逮捕され、翌日付近の河原で斬首されます。
享年41歳でした。

小栗が手掛けた造船所建設は新政府に受け継がれ、1871年横須賀製鉄所完成!!
製鉄所とは当時の用語で造船所を含む海軍工廠を指します。
後の日本海海戦でバルチック艦隊を沈めた駆逐艦や、魚雷艇の多くがこのドックで建造補習されたといいます。
小栗が造船所建設にあたって同僚に語った言葉が残されています。

「この造船所ができれば たとえ幕府を売り出すとしても、 土蔵付き売り家の栄誉が残る」by小栗上野介

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なんと、最終回BSも、リアルタイムも録画し逃すという失態を侵してしまいました。
今年の大河に対する私の気持ちが表れているのか??それとも呪いか??
土曜日を録画し直しましたよ~~!!

「敬天愛人」・・・菊次郎が職場の部屋に飾ったこの言葉は、西郷さんが大好きだった言葉です。

菊次郎のナレから始まります。
時代の流れに乗り切れなかった男・・・西郷隆盛・・・を。
って、時代の流れに乗り切れなかったのは、いわゆる旧幕府軍の方ではないのか??
よく考えると、西郷さんは戊辰の時は官軍で・・・悲劇としては中途半端ななのかしらね??
1877年8月17日・・・延岡にて・・・戦場にいる糸が、どうも不自然な・・・。
みんなを残し、鹿児島に向かった西郷さん。。。西郷さんに従った者たちと共に・・・。

山縣有朋と西郷従道が糸を尋問しています。
って・・・おまけに謝る従道もなあ・・・もっと、戦う気満々じゃないの??不自然だよ・・・。

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山中を駆けずり回る西郷軍・・・やっと、鹿児島の城山にたどり着きました。

なんと、その山で子供の頃の落書きを発見しました。
そして、故郷・鹿児島で”はつらつ”と、戦ったのだそうだ。
はつらつ、溌剌・・・この言葉でいいの??戦うのに溌剌なのか??言葉の選び方、間違っているような気がする・・・。

しかし、反撃もここまで・・・政府軍の圧倒的な攻撃と、陸と海からの援軍に包囲され、山の上にと押し戻されていきます。
って・・・この政府軍の圧倒的な攻撃と、陸と海からの援軍の出し方やあれこれをやってくれたら、面白い戦いになります。
そんなこんなを、このナレ一言で終わらせるから、わかんなくなっちゃうのよ・・・戦いが・・・!!

で・・・いきなり東京の大久保邸です。
今までの大河でも、家族のことを描くことはあっただろうけど、
「女が口出しする」大河があったかな??そこがシラケるのよね??って思っちゃうんです。
私も女ですが、私が男尊女卑というよりも、この時代が男尊女卑です。
でもって、この大河では女性たちはみんな口をそろえて言います。
「話せばわかってくれる」って!!
話してわかってくれたら、戦争なんて悲惨なことにはならないんだよ~~!!
第二次世界大戦だって、官僚たちは止めようと思っていたけど、関東軍がイケイケ陸軍で暴走しちゃったんだろ??って思うの。
止めようにも止まらない戦いとか・・・よく言うでしょ??

「男なら、負けるとわかっていても戦わなければならない時もある」って言葉もあるし・・・!!

糸たちが鹿児島の家に帰ってきました。
そんな家族パートをするのは諦めたけど・・・
西郷どんの妹・琴子、従道に戦争をやめるように怒るんですが・・・
それを言うなら、西郷どんに言わないといけないし・・・
だいたい、嫁に行ったのに・・・出戻ってんの??
昔は嫁に行った娘は年に1回藪入りでないと帰れなかったんだよ??
そんな・・・今どきの嫁でもこんなに実家にいてへんわ・・・!!

西郷どんの陣営は、村田新八によるアコーディオンの演奏で指揮を揚げます。
”ラ・マルセイエーズ”で、戦力アップ!!
踊るんですが・・・まるで阿波踊りです。

その頃・・・大久保は昔を懐かしんでいました。

don3















西郷さんの好意に預らなかったものはおらんか??とか言い出す山縣有朋です。
が・・・この大河って、なんとなく話が進んでいくんですよね??
そう思うなら、山縣有朋と西郷隆盛の大事なエピソードを入れればいいだけのことなのに・・・。
そのエピを端折っているから、その好意が解らんから、”どうして西郷さんが慕われているのか”がわかんないのよね~~!!

総攻撃が行われることが西郷さんに手紙で届きました。
この手紙、山縣有朋からではなく、この大河では大久保からになっております。

don4















どうする??
西郷さんだけは生きてほしいという桐野以下全部!!

あ・・・こんなキンチョーな場面でまたもや東京の大久保・・・。
呑気な音楽で内国勧業博覧会で、商売です。

自分が死ぬことで、”戦が終わる”と戦うことを決心する西郷さんでした。
最期の夜も、最後の晩餐って感じじゃなくって、若者のコンパみたいだわ・・・。
でも、そうだったのかもなあ・・・とも思う。

当日・・・またもやお腹の鳴る村田新八・・・ってどうよ??
あきれるわ・・・。
武士は食わねど高楊枝なんですけどね・・・??
それは、もっと位の上の人なのかな??

don5
















戦って、戦って・・・みんな死んでいきます。
そりゃあそうだよね??

って思っていたら、川路が桐野を撃ったの??
東京にいた川路が・・・??

村田新八も撃たれて死んじゃいました。
なんの感動もさせずに・・・。

「圧倒的じゃないか!!我が軍は!!」と、ギレン・ザビに言わせるぐらいの政府軍です!!

??西郷さん、撃たれちゃいました・・・!!

糸のもとへ西郷が戦場で連れていた犬たちが戻ってきました。
そうね・・・この犬の演技は、犬を飼っているものとしては涙を誘ったかなあ・・・??

大久保邸では・・・吉之助を追いつめたことを悔いる一蔵・・・。

フキとなんだかんだと住んでいたんですね・・・慶喜・・・。
西郷さんをアゲアゲするフキ・・・。
当時の新聞で見てますが・・・そんなに早く新聞でるか??今よりもタイムラグは計り知れないほど大きいというのに・・・。
どうして逃げなかった??という慶喜ですが、慶喜、逃げたんじゃないって言ってたよね??
西郷星も出て来ましたが・・・どうして西郷星が出てきたのかも説明してくれませんでした。
当時の人がテレビのニュースがあるわけでも、字が読めたわけでもなく。全員が西郷さんを知っているとは思えないしなあ・・・。

西郷従道邸では、こんな大きい家を作ったのは、皆を呼び寄せるためだったんですね??なんていう奥さんの前でうな丼をほおばる従道ってなんだよ??諭されている子供か??

みんな普通の生活してますけど・・・そこに何の意味が??
そこは家族愛なのか??で、やっぱりいる琴子です。

1878年5月14日・・・西郷が死んで翌年・・・紀尾井坂にて大久保利通暗殺・・・!!

なんと・・・西郷どんが迎えに来ました。

??終わると思っていたら、這いずり回る西郷どんです。

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「もう・・・ここらへんでよか・・・」by西郷どん

??何回終わったら気が済むん??っていうほど、終わりがたくさんありましたね・・・

なんだか西郷どんの死に方・・・時間軸がよくわからなかったなあ・・・。
西郷さんより桐野利秋が先に死んだし、別府晋介もどっかいったし・・・もやもやです。

で・・・最終的に、吉之助さあと一蔵どんが手に手を取ってあの世へ行ったんですか??
そう見えたんですけど・・・。
やっぱり1年かけてBLだったんでしょうか??
1年見ていて思った事・・・それは、本筋でBLをやるのはなしだなあ・・・ってことです。
今年は「おっさんずラブ」が流行りました。でも、そのBLとはまた違うんですよね??
彼等は150年前に確かに生きていて、子孫の方がいらっしゃるんです。
司馬遼太郎さんは、100年経たないと歴史にならない・・・みたいなことを言てらっしゃいましたけど、やっぱり幕末の人は、かなり資料も残っているし、ちゃんとした子孫の方が生きていらっしゃる・・・。

と書いていて思ったのは、この作品、BLでなくてもみんなをサゲサゲの作品だったなあ・・・と、思うのです。
誰の正義もちゃんと書けていなかったなあ・・・それならみんな人殺しだよ・・・。

話はそれてしまいましたが、BLについて・・・
私が子供の頃にJUNEという雑誌があって・・・やおいや百合がかなり流行った時代でした。
もともとの日本の歴史に男色があったこともありますが、腐女子爆発的に人気が出たのはなんだろう??
個人的には「リングにかけろ」だと思っていますが・・・。
長浜ロマンロボシリーズかも知れないですね??
長浜ロマンロボシリーズが機動戦士ガンダム(腐女子の大好物はシャアガル)になっていくわけですが・・・。

先日、某塾講師の先生のテレビ番組で「新選組もBLだった」みたいな見出しでやってましたけど、今のBLと男色を一緒にしないでほしいなあ・・・と思ってみていました。
男色や衆道の理由にはいろいろあって・・・そこには愛でないものもあると思うんです。
尊敬とか、主従関係とか、僧侶だったとか、女性が少なかったとか・・・
そして、BLは二次作品でないと・・・ってことです。

「好き」って感情でなく・・・
例えば、西郷さんはその尊敬されるあまり桐野利秋によって「新政府軍には渡したくない」と、殺されたともいわれています。
このワンシーンを加えるだけで、腐女子たちは自分でBL化できると思うんです。
それこそ、西郷さんの首を渡すわけにはいかないと、首を隠したという人もいます。
もちろん、ここでBLしたかったであろう大久保利通・・・ただ単に号泣させるのではなく・・・
心の底ではわかりあっていた・・・そう表現することで、腐女子たちは自らBL化してくれるでしょう。
腐女子が好きなのは、友情や、信頼関係なんですよね・・・
ジャンプの友情マンガには、そんな作品が溢れています。
だからそれが腐女子が求めているモノなんですよ・・・。
スラムダンクでの花道と流川のハイタッチとか・・・ただ単に「愛」ではないと思います。

そしてもう一つ・・・歴女が好きな大河について・・・。
誰かが書かれていましたが・・・腐女子はラブラブとかを見たいわけではなくて・・・
斬り合いの中で、吐血しながら階段を転げ落ちる(これは沖田総司な感じ)を見たいのだ、と。
なんかわかる気がする・・・。
私は歴女という言葉が嫌いです。
だって、女性が歴史を好きになっても普通でしょ??
歴女とか、山ガールとか・・・別に女を強調する必要ないんじゃないかな??って思うからです。
そんな私、昔は永倉新八の良さがわかりませんでした。
だって、最後まで新選組隊士として戦わなかったから。
今は、あの時代にあの生き方はしんどかっただろうなあ・・・って思うけど。
若い頃は、そんな儚い男子が好きだったんですよ・・・たぶん歴女はみんなそうじゃないかな??
だから、突っ走った長州はともかく、寝返った薩摩は好きじゃないけどね・・・??


とにかく、今回西郷隆盛をいろいろ調べて思ったのは・・・
テロリストと言われるだけあって、なかなか黒い部分の多い人でした。
あれだけ黒い人を大河で綺麗に書くのは本当に難しいだろうなあ・・・ってことです。
ほんと、かなりえげつないことしてますもん。

この大河では、大久保利通とっても悪者でしたが、大久保利通という人は義理とか人情とかよりも日本政府をつくることが第一の人でした。
なので、西郷さんとは対極にある人というか・・・義理と人情を無視しても日本政府を作る人だったんです。
対極にある二人でしょ??
だから、西郷さん一人なら難しいけど、大久保利通と一緒に描いたら友情物語ができたのになあ・・・って思います。
その二人の心が繋がっていれば・・・
それを書くだけで、脚本家先生の書きたかったBLになったのにね??

何はともあれ、皆さんお疲れさまでした。

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いよいよドキドキの江戸無血開城です!!

1868年4月、西郷吉之助率いる新政府軍は、鳥羽伏見の戦いで徳川慶喜を大将とする旧幕府軍を打ち破りました。
吉之助は家臣たちを残して逃げ出した慶喜を追い、5万の大軍と共に江戸へと向かいます。
江戸総攻撃の日は、3月15日と決まりました。

ということで、前回、幾島と再会した吉之助は、なんと篤姫に会いに大奥へ!!
これじゃあ、山岡鉄舟の説得も、勝海舟との会談も、必要なしよね??

don4















吉之助が懐かしいだとか、篤姫が「頭を下げねばならぬのは私の方じゃ・・・
 西郷、頼みを聞いてくれ。」
その頼みとは・・・??慶喜の助命嘆願ではなく・・・
「慶喜殿の首ひとつで、この戦を終わらせてくれ・・・!!」でした。

思考回路停止だよ・・・全く・・・。
長州征討に当たっては、当主に責任を負わせたら家臣が黙っていない!!ということで、家老の首3つで勘弁してもらったんです。
そして、白旗を揚げて当主の助命嘆願をした会津は許してもらえず、吉之助たちが松平容保の首を!!と言ったもんだから、あそこまで戦争になったわけです。
だって、松平容保は、会津戦争の頃はもう当主ではなかったし、戦争をしたくなかったのに・・・
つまり、殿の首ひとつで勘弁してほしいなんて、当時の人は言わないんです!!
慶喜の命は、家臣の命すべてよりきっと重かったはず・・・。
そんな赤穂浪士的な感じだったんですよ・・・それなのに・・・
徳川家存続をあんなに望んでいた篤姫の口からこんな事を言わせるなんて・・・最低だよ・・・。

実際の篤姫&和宮は、吉之助や新政府軍に手紙を書いて江戸を守るために頑張ります。
そこんところ、お忘れなく!!
実際に会うなんて、恐れ多い・・・!!
そして、この手紙に西郷は涙したとも・・・

自分も自害する覚悟だと頭を下げる篤姫。
嘘かくなよな・・・
「どうか・・・徳川家だけは救ってほしい・・・」by篤姫
って、その慶喜の首が徳川家なんだよ!!

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・・・それなのに、慶喜の首案件はあっさり却下!!
完膚なきまでに叩くんだそうだ!!

嘘ばっかりの内容に、もう・・・見たくなくなっちゃった・・・。

そんな聞き入れてくれない西郷に、「私も命をかけて戦うのみです!!」という篤姫ですが、どんなにして戦うのか??そんなこんなは全くしてくれません。
幾島のゲホゲホ血を吐くのも、必要ないわい!!
憐れみを誘ってんのか??と思っちゃう。
血を吐いても頑張るって”言うこと”が頑張るんじゃなくって、頑張っているところ・・・例えば、〇〇に文を書いたとかそういうのを見たいんだと!!

「よ・・・西郷どん!!」by海舟
なんの緊張感もなく会談が始まったの・・・??

don















西郷どんに江戸を戦で火の海にするのは止めてほしいとサラっという勝さん。
いや・・・勝さんも火の海にしても慶喜を守ろうとしたんじゃん・・・。
条件も、山岡鉄舟で根回し済みなんじゃないの??
スラスラと降伏条件を話し出す勝さん・・・
それって交渉じゃないよね・・・??
話の分かる勝さんで、慶喜の心も、吉之助の心も汲んだ話し方だわ・・・
この時点で勝海舟は緊張な感じで吉之助と対峙すると思っていたのに、どうしてこう負け犬な感じに仕上がっちゃったんだろ・・・??
もっと、交渉バトルしてほしいのに~~!!

「西郷どんが背負う新しい日本って何だい・・・??」by勝

なんて、フラットに聞く勝さんですが・・・
この時点で、西郷どんにはそんな新しい日本の構想なんてのはありませんよ・・・きっと。

「民を見捨てることは、おいはできもはん!!」by吉之助

と、前半、くどいほど民を思っていたことを、今頃思い出した西郷どんなのでした。
いや・・・民を救うためなら戦争しないからね・・・??

「わかりもした・・・明日の総攻撃は取りやめじゃ・・・!!」by吉之助

「ほんとにいいのかい・・・??」by勝

と、涙ぐむ勝海舟・・・。
西郷どんびいきの男・・・と、自ら西郷好き好き光線を発する勝海舟。
慶喜に会いに行けばいい・・・と、慶喜の首を狙っている男に言うという・・・最低の幕臣だ・・・。
今、自分が幕臣だから慶喜の命だけは・・・みたいなことを言ったのに、その舌の根も乾かないうちにそんなこと言う??
自分達のケンカは自分たちでけりをつけろと、サシで勝負しろって言い出しました。
まさに8933かヤンキーの様です。
泣くなよ~~~!!!
「江戸が焼けないで良かった。
 おかげで今年も上野の桜が見られる・・・。
 西郷どん、ありがとよ。
 こうなったら、上野におめえさんの銅像とやらでも建ててもらわねえと・・・!!」by勝

don3















はああ???なんじゃこの展開・・・!!??
銅像の未来予知・・・ありえへんわ・・・。
この一言、要る??蛇足ってもんでしょ??
で・・・これで終わり??無血開城!!??

こんな勝さん見たくない・・・。
本当に見たい勝さんはこちら

で・・・勝海舟の通り、慶喜に会う吉之助。
護衛もないのか??慶喜・・・??

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この姿・・・もう心は決まっている格好ですが・・・。
「俺を殺しに来たんだろう・・・」と言い出します。
それ・・・死に装束ですよね??慶喜さん・・・??
で・・・早く殺せとか、なんだとか、おバカな話です。

どうして逃げたのか?と聞く吉之助に・・・「おれは・・・ロッシュ殿から逃げたのだ・・・」by慶喜

は??

フランス軍12万軍と、銃5万丁を援助するって言われたんだって・・・。
その代わり、勝利した暁には薩摩をよこせと言われたらしい。。。
薩摩からはイギリス軍も参戦し、日本の中でフランスとイギリスが戦って勝った方が乗っ取るから、乗っ取られないように逃げたのだと言い出しました。

あ~、さいですか・・・。

史実は、勝さんが手配して、イギリスに亡命でもする??って話でしたけど・・・??

吉之助は、慶喜が恐ろしかったらしい・・・
「ようやくわかりもした・・・徳川慶喜様ではなく、ヒー様こそがあなたなのでございもすな?」by吉之助

あ??何言っとんじゃ・・・言いたいことが全く理解できません。
おまけに、徳川に生まれたことが不幸だなんて恐れ多い事を言う始末・・・。
??ヒー様が本当の慶喜ってことは、品川宿で飲んで遊んでいるバカだってことを言いたいのか・・・??

「もう・・・よかでごわす
 徳川将軍としてのお覚悟、この牛男、しかと見せていただきもした。
 ヒー様、よくぞ逃げて日本をお守りいただきもした。」by吉之助

だから・・・何のこと??
”徳川将軍としての覚悟”って、どの部分??なんなの??全く解らないわ・・・
っていうか、脚本家先生の言いたいことが、こっちに全く伝わってこないのよ・・・。
ま、フランス精鋭部隊12万軍って言われた時点で「ウソこけ・・・」って思っちゃうから真実味全くなし!!

で・・・殺す、殺すって言ってた慶喜を殺さなかった西郷・・・
木戸が怒ってますが、当たり前でしょう。
史実ではイケイケどんどんの大久保ももう、戦争反対派だしな・・・。

江戸は江戸も徳川家も助かったと、勝と山岡に礼を言う慶喜。
「苦労を掛けたな・・・」by慶喜
「いや・・・一番苦労したのは私たちじゃござんせんよ・・・西郷です!!
 あの男がやってくれやした!!」by勝

やめて~~~!!

勝さん、そんなこと言わないよ・・・
で、何やったって言うんだよ、西郷吉之助!!
敵だろ??なに敵の事褒めてんねん!!天晴なこと、いつしたんだよ!!

1868年4月11日、江戸城明け渡しの日・・・。

城明け渡しでは・・・
またもや篤姫&幾島にあって・・・慶喜の命をとらなかったことを、「西郷さん・・・相変わらず本当に人がよろしいわ・・・」と、幾島に言わす・・・この展開・・・最悪。
「そなたが勝ったのです。そなたの決めたことには逆らえません。」by篤姫
いやいや・・・そんなこと言いません。
徳川の家を守ってくれたことに感謝する篤姫。

「西郷・・・礼を言います。」だって・・・。
徳川が260年かけた書物を差し出す篤姫。
こんだけしかないんか??と言いたくなるしょぼい量です。
西郷の作る国が見たくなった・・・と、ホンワカな3人ですが・・・こんな笑って応対できひんやろ・・・??

もう・・・なんでもええわ・・・。

どこにもいない西郷を、「先生、先生」と探すみんな・・・吉之助は・・・
二宮尊徳の書を胸に寝ていました。
あ・・・キンチョー感ないわ・・・。
で・・・放っていくなよ、みんな・・・。

こうして後の世に言う江戸無血開城は終わったのです。
う~ん・・・全く違うから江戸無血開城って言わないで・・・

しかし、新たな騒乱が起きようとしていました。
上野寛永寺には、彰義隊が・・・やりたくない戦いが始まりました。
って・・・やりたかったんだろ??新政府軍!!
え~!!
会津や米沢、庄内、仙台が徹底抗戦だって。
榎本武揚も軍艦で脱走!!
って・・・会津は、さっきも書いたけど、恭順の意を示してたんだよ・・・
でも、振り上げたこぶしを慶喜に振り下ろすつもりが慶喜が隠居しちゃったから会津に振り下ろしたかったんでしょ??
やりたかったのは、新政府軍の方じゃないの・・・!!
どうしてそうなるかな・・・!!??

そして、そして、いきなり大村益次郎登場。
いきなりだよ・・・「以後お見知りおきを・・・」って、そんないきなり出てきて戦略言い出しても説得力なし!!

「そうか・・・あの大村が出てきたか」by勝

この一言で、大物感を出すという作戦かっ??
「せっかく江戸で血を流させずに済んだってのによ・・・
 お前さん、これからも戦い続ける気かい??」by勝

なんで西郷と酒酌み交わしてんねん・・・??

「死んじゃいけねえよ・・・西郷どん、西郷どん、龍馬が言った新しい国を作ってくれ」by勝

・・・

きっと、勝さんはそんな人じゃない・・・。

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勝海舟×西郷隆盛 明治維新を成し遂げた男の矜持 『氷川清話』『南洲翁遺訓』に共通する「ゆるぎない精神」

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慶応2年6月・・・世に言う第二次長州征伐が始まりました。
幕府は十万の兵を率い、僅か3500の兵で長州に襲い掛かったのです。
ところが、長州は薩摩から入手した最新鋭の武器で、紀州をしかけ、数で勝る幕府軍に次々と勝利していきました。

と、ナレーションが始まりましたが・・・
ほんと、長州の味方ですよね??
”幕府は十万の兵を率い、僅か3500の兵で長州に襲い掛かったのです。”って、テロリストは長州でしょ??

と思っていたら、簡単に長州軍の勝利・・・の途中で、いとも簡単に将軍・家茂が亡くなったのでした。
窮地に立たされた幕府は、休戦に持ち込まざるを得なくなり・・・

下品な岩倉具視が喜んで・・・そのおんぼろ岩倉邸に来た吉之助はまたもや網に足をすくわれ、罠に引っかかってしまうという、全く緊張感のない幕末が始まりました。

なんだよ・・・これ・・・??
で・・・??なんで勝海舟がここにいんねん??
家茂死んだのに、目が回るほどいろいろすることあるだろ??

全く理解不能な「西郷どん」が始まりました。

楽しそうに岩倉邸で歓談してますわ・・・
西郷、大久保、勝、岩倉が・・・!!
なんだかゲンナリ・・・
長州に一人で乗り込んでいったことを話し出す勝・・・。
って、一人で乗り込むの好きだよね??この大河!!
タイマンはるのがカッコいいと思ってるのかな??って思う。
それなら本宮ひろしを推薦するよ・・・??

「これで幕府も終わりだ・・・」なんて悲しい言葉が勝さんの口から出てしまいました。

勝さんはホントはこんなこと考えてましたよ??
「江戸城無血開城 勝海舟の知略」はこちら
この文章をそのまま読んだ方が面白いので、読んでみてください。
ほんと、ここに出てくる人たちはどうしてもがいてくれないのかなあ・・・
徳川260年が終わるんだよ??
人の考え方なんて、おいそれとは変わらない・・・生みの苦しみを・・・もがいてくれ~~!!

その頃、慶喜は孝明天皇のもとへ・・・
信頼されているようですが・・・これは松平容保に・・・やっぱり容保だろ~~~!!

いきなり咳出す孝明天皇、やっぱり崩御!!

慶喜は、徳川15代将軍となりました。
フランス公使ロッシュと会談し、フランスの後押しをお願いします。

天皇崩御で気が狂ってしまう岩倉具視。
岩倉具視が暗殺したって説もあるのに・・・
「じゃかましわ!!」って御下品です。
やめてくれ~~!!品格落としたいんか??

雄藩諸侯を巻き込んで、始まるんですが・・・
雄藩諸侯を巻き込もうとしている薩摩ですが、そこら辺のことが全く理解できないほどの演出です。
地図を出すとか、系図を出すとか・・・

総代をしてほしいと言われ喜ぶ久光もアホっぽくって嫌だ・・・

テロップで前藩主とかって出てくるけど、政治的なあーだこうだが全くドラマでやってくれていないので、幕府が終わったのかどうかもわかんない・・・「そうだっけ???どうだっけ??」って思っちゃう。
それだけ大政奉還の影が薄いってことだし、王政復古の大号令も薄いからなんだろうなあ・・・。
心が揺さぶられていない・・・感動していない証拠だよ・・・全く。

で・・・いきなり四候会議。

いきなり慶喜登場で、写真を撮ると言い出しました。
俳優さんが言葉は発しているものの・・・何を言いたいのか全く分からない・・・。
そう、もう2回目なのに・・・なんで理解できないんだ・・・。

「余はもはや一橋ではない。征夷大将軍・徳川慶喜だ・・・」と、カメラの横で言って緊張感ZERO~~!!
おまけに、吉之助たちは将軍にしたかったのに・・・なったことさえ知らなかったのか??ビックリ!!です。

??会議しろよ~~!!

おまけに、2週間以上も会議はしたのに慶喜の根回しによって惨敗・・・って、久光のあほ顔をを見せられてもなあ・・・。
こんなとこにも品は皆無!!
それに、根回しってなによ、根回しって!!
山内容堂も、松平春嶽も、一応思想はあるんですよ!!
大政奉還をさせたのは、松平容堂(坂本龍馬、後藤象二郎)だし、松平春嶽も賛同していました。
彼等はやっぱり幕臣です。
なので、慶喜の根回しっていうより、やっぱり徳川方の人間なんだと思うんですけど・・・??

don2















大阪城ではパークスと慶喜が何だか交渉しています。
「女王陛下に乾杯!!」by慶喜
そんなこと、どうでもいいんだよ・・・
こんな諸外国との交渉で、復権しているらしいわ・・・
諸外国はそんなに甘く無いわよ・・・

そして・・・フランスに薩摩の割譲するという情報を盗み聞きするフキ・・・そんなバカな!!
でも、そんなバカな!!は、まだまだ続きます。

困った人の多い京都で江戸前のウナギを食べるみんな・・・
春奈の「西郷はん」のイントネーション、気持ち悪いねん・・・。

そんなところへやってきたのは、きれいなベベ着たフキでした。
「フキどん・・・」って、将軍様の妾なんだから、お芳様・・・ぐらい言ったらどうなの??いつまでフキやねん!!
春奈の京都弁も最悪・・・品が無いわ・・・
フキと吉之助、何暢気に話とるねん・・・。
お虎だけでもゲンナリなのに、フキの登場って白々しい・・・もう、辟易だ・・・。
「あの方が心配でお傍を離れられません・・・」って殊勝なこと言ってるフキですが、お前、お傍を離れて外出しとるやんけ!!

薩摩を割譲するって吉之助にチクるフキですが・・・
敵にそんなこと言っていいんかい??
それも、あんた、英語解るんかい・・・!!

イギリスも、薩摩に武器弾薬を提供してくれるらしい!!

そうね・・・この頃、アメリカで南北戦争が終わり、世界は武器弾薬が余っていました。
なので、日本を狙っていたんですよ~~!!
でも、日本で何とかするとイギリスに言う吉之助でした。

don3















「もう・・・腹をくくるしかなか・・・!!
 武力をもって、徳川を討つ!!」by吉之助

という吉之助、それに賛同する大久保利通です。

つまり、慶喜が薩摩をフランスに切り売りするってフキに聞いたから、徳川をぶっ潰そうということになったんですね・・・この大河!!

でもって、「討幕の密勅」に至るのでした。

なんか・・・鶴瓶の岩倉具視、大阪弁丸出しなのも嫌だけど、腹が座っていないのがもっと嫌!!
この頃のお公家さんは、結構武闘派も多く、吉之助から討幕の密勅や戦を聞いても腰抜かしたりせんわ!!
と、私は思う。
偽勅ですよ~~!!

長州藩、正規の兵を連れて上洛!!
その他の藩も・・・参戦!!
いよいよ戦いが始まりました。

みんな、今まで通り、「戦わずして勝つ!!」だろ??なんて言ってますが・・・
お前たち・・・薩摩隼人だろ・・・!?

そして、土佐藩も・・・??
いえいえ、龍馬は戦をしないで幕府を潰そうと考えていました。

突然1867年10月13日、京にいる10万石以上の重臣が二条城に招集されました。

do1















????これが二条城??
小さくないかい・・・??
え・・・??大政奉還、まだしてなかったんかい・・・??
いきなり”ええじゃないか”です。
何がいいんだか・・・。もっと大政奉還見せてくれよ~~!!

don4















大政奉還を喜ぶ龍馬・・・
「やっぱり坂本さんやったか・・・!!」by吉之助
これで日本中の雨漏りが直るという龍馬でした。
・・・もっとカッコいい言葉ないんかい・・・??
これでは何も変わらないという吉之助。

don5















おやおや・・・なんだか二人の間に溝が出てきたのでした。

実は、慶喜に大政奉還をされてしまった西郷たちは、打倒徳川の大義名分を失ってしまいました。
徳川260年・・・朝廷はトッポに機能できるわけもなく、人々は治安維持のためにやっぱり将軍様でした。
だって、長州はテロリストなんだもん!!
なので、このままの政権で行けば、またもや徳川の世になることはわかりきっていました。
今や、幕府に反逆した薩摩の・・・それも身分の低い侍なんか、一握りで潰されちゃうんです。
なので、どうにかして幕府を武力討伐したかったんです。
政権を倒して、新しい政権を作る!!それは、自分たちに後がないからしたことであって・・・ここで言う”民のため”なんてのは、後付けにしかならないと思う・・・。
”民のため”って言わすなら、板垣退助だろ・・・!!

ということで、政治的な流れが全くわからないので、毎回年表とにらめっこの私です
幕末は知っていると思っていたけど、いい復習になるわね~~!!と思いつつ、最近は「西郷どん」に突っ込むのでした。

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明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ

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1868年3月・・・江戸の町はえもいわれぬ緊張感の中にありました。
二人の男の話し合い如何によっては、江戸八百八丁が火の海に包まれる可能性があったからです。
その二人とは・・・清背OFF軍・東征大総督府下参謀・西郷隆盛と、旧江戸幕府陸軍総裁・勝海舟です。
15代将軍だった徳川慶喜の首をとるべく京都から江戸へと乗り込んできた西郷、江戸での戦いだけは阻止したかった勝!!
勝はこの絶体絶命の危機を数々の知略で脱していきます。
いかにして江戸漂無血開城は行われたのでしょうか?

1867年10月、15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上し、260年に及ぶ江戸幕府が幕を閉じます。
すると、藩幕府派の長州藩と薩摩藩がクーデターを起こし、12月9日明治天皇隣席のもと、王政復古の大号令を発布。
新政府樹立を宣言します。
1868年1月、慶喜を擁する旧幕府軍が反撃すべく新政府軍と京都で激突!!鳥羽伏見の戦いの戦いです。
結果は、新政府軍の圧勝に終わり、慶喜は朝敵となって大坂から江戸へと逃げ帰ります。
2月15日、新政府は慶喜を追討すべく、軍を派遣!!
京都を出発した軍勢は、北陸道、東海道、中山道を通って、進軍します。
その実質的な指揮を任されたのが、薩摩藩東征大総督府下参謀・西郷隆盛でした。

徳川を新政権から排除するのが目的でした。
というのも、700万石を有する旧幕府は、国内最大勢力だったのです。
西郷はこの時、慶喜を切腹させるつもりだったのです。
新政府軍が江戸へ攻め込んでくる・・・!!
慶喜に残されていた選択肢は二つ!!
①再び戦いを挑む
②恭順の意を表す
でした。
陸軍奉行並の小栗忠順らは主戦論・・・徹底抗戦を主張しました。
しかし、慶喜は恭順することを選びます。
そして、歓待する小栗を罷免!!人事を刷新する中、勝海舟を陸軍総裁に抜擢します。
さらに、その勝に新政府軍との交渉をさせることになります。

勝海舟は、慶喜との関係はいまひとつ悪かったといいます。
鳥羽伏見の後、江戸城に帰ってきた慶喜と幕臣たちに対し・・・
「こんな事態を招いて、あなた方はどうするおつもりか!!」と。
世が世なら、勝はその場で切られてもおかしくなかったのです。
そんな勝がどうして交渉役に・・・??

1823年勝海舟は、江戸本所で、禄高僅か41石の旗本の家に生まれます。
若き日に打ち込んだのは蘭学でしたが、家が貧しくオランダ語の辞書を買うことができません。
借りてきて、まず、それを写し二部作成、その一部を売り辞書の借り賃に宛てたといいます。
蛍雪の功を積み、会得した語学力でオランダの兵学所を読み漁り、28歳の時に西洋式兵学の私塾を開校。
諸藩の藩士たちが通ってくるようになると、勝の名が知れるようになっていきます。
そんな勝の大きな転機となったのが、1853年ペリー来航です。
アメリカから開国を迫られた幕府は、大名だけでなく旗本にも広く意見を求めました。
勝も意見書を提出。
その提案は・・・
江戸湾に台場の建設、軍艦を購入したうえで軍隊を西洋式に変えるべきである。
この具体的な意見が幕府の目に留まり、長崎に開設された海軍伝習所の候補生に・・・。
そして、3年以上にわたり、オランダ人仕官から指導を受けます。

1858年日米修好通商条約が締結されると、遣米使節団として咸臨丸で渡米。
アメリカ西海岸に滞在した勝は、見聞を広め西洋の脅威を実感。
日本の海防の強化の必要性を確信するのです。
勝は、”幕藩体制に代わる政治形態”を模索し始めました。
帰国後、勝は軍艦奉行並を命じられます。
大阪湾の防衛のために、神戸海軍操練所を作ることを提案します。
その準備として開港した私塾には、最新式の海軍技術を学ぼうと、全国各地から多くの若者がやってきました。
その中には、坂本龍馬の姿もありました。
弟子入りを志願する龍馬・・・。

1864年・・・薩摩藩士・西郷隆盛も勝のもとを訪れていました。
西郷は、勝に質問します。
「もし、大阪湾に外国船が攻めてきたらどうするのか??」by西郷
「私は最早、幕府の力を見限っている。
 これからは、いくつかの諸大名が連合して、強力な軍事力を保持したうえで、諸外国との談判に当たらなければ、対等な交渉は行えない!!」by勝
幕府の人間とは思えない発言に驚く西郷。

そして、同じ薩摩藩士の大久保利通への手紙にこう書きます。
”勝海舟という人は、どれだけ知略のある人かわからない
 ひどく惚れ申した”
勝は、様々な藩の藩士と交流!!
中には、長州藩の木戸孝允など、明治維新の中心人物となるものも沢山いました。
その人脈の広さをかわれ、江戸幕府滅亡後の旧幕府側の代表者として新政府との交渉を任されたのです。

1868年2月12日、勝海舟に新政府との交渉を任せた徳川慶喜は、上野・寛永寺に蟄居。
自らが謹慎することで恭順の意を示そうとしました。
実は慶喜は、松平春嶽、山内容堂など新政府に顔が利く人物に仲介を頼みましたが、どこからもいい返事をもらうことができずにいました。
そこで、何とかことを収めようと謹慎した慶喜でしたが・・・
新政府側の気持ちは収まりのつかないところまで来ていました。
慶喜の頼みの綱は、勝海舟のみでした。
交渉役を任された勝は、大役を引き受けるにあたって慶喜に言います。
「わが軍の武器をもってすれば、新政府軍に勝てる可能性もまだございます。
 それでも上様は、恭順の道を・・・??」by勝

新政府軍と戦うにあたって、勝つ可能性もあったのにどうして恭順の道を選んだのか??
それは、新政府軍との戦いが長期化すれば、欧米列強に侵略される可能性があったからです。
日本を守るためにとも考えられます。
そして、勝も同じ気持ちでした。

「最早、内乱などしている暇はない!!」by勝

慶喜の覚悟を聞いた勝は、動き出しました。
まず、御内である旧幕府側の人間に、新政府への恭順を徹底させることでした。
まだ・・・一部で主戦論が燻っていたからです。
そこで勝は、幕府が築いて来ていたフランスとの良好な関係を解消。
フランスは、幕府が倒れる前から軍事顧問団を派遣、幕府軍の西洋化に協力していましたが、その一方で親密になっていた陸軍奉行並の小栗忠正らに新政府軍と戦うことを焚きつけていました。
勝は、自らフランス公使のもとへ・・・軍事顧問の解雇を申し渡します。
しかし、この行動が、旧幕府軍で反感を買うこととなり、勝は孤立・・・命を狙われる羽目に・・・。

この時勝は、新政府軍に対し、無条件降伏するつもりではありませんでした。
そこには、一歩も譲れない条件がありました。
この時、勝が望んでいたのは・・・
①徳川慶喜の命の保証
②徳川家家臣団の生活の保障
でした。

もし守られない場合は、新政府軍と戦う覚悟があったともいわれています。
和平交渉がまとまったとしても、新政府への恨みが後々まで残ってしまうからです。
勝はそう考えていました。
この後勝は、徳川のため、日本のために邁進していくことになります。

しかし、この時、その交渉の足掛かりさえありませんでした。
そこで目をつけたのが、西郷隆盛でした。
西郷はこの時、新政府軍を率いて東へと向かっていました。
そして、2月28日、駿府に到着!!
勝は、ここに手紙を届けるのです。

その内容は驚くべきものでした。
”徳川の軍艦を東海道筋の要所に配置すれば、新政府軍を撃退することができる
 それをしないのは、朝廷に恭順の姿勢を貫いているからだ。
 然るに、慶喜追討の姿勢を崩さないのはいかがなものか。
 箱根の西に軍をとどめておいていただきたい。”
と、強気なものでした。

これを読んだ西郷は、当然激怒!!
軍艦からの方が優勢・・・この作戦は、新政府軍の最大の弱点でした。
新政府軍の弱点を指摘し、西郷を怒らせた勝・・・。
勝は、一刻も早く江戸には行ってほしかったのかもしれません。
新政府軍の力を借りて、江戸の町を統治しようとしていた可能性もあります。
勝自身が江戸で西郷に時期談判しなければ、新政府軍は止められない!!
そして、新政府軍を江戸の町へ入れることで、政権が交代したことを民衆に実感させたのです。
大政奉還、王政復古の大号令は京都で行われ、江戸の人々は政権交代を実感していなかったのです。

1868年3月6日駿府・・・
新政府軍司令部は、3月15日に江戸総攻撃を決定!!
新政府軍の実質的な指揮官にあった西郷は、京都にいた薩摩藩士に手紙を送っています。
”徳川方には、軍略に優れた勝海舟らがいる
 この知勇に優れた男を相手に、雌雄を決するのは男子としては快事”
西郷は、勝海舟との戦いを待ち望んでいました。
同じころ、勝海舟の元を一つ里の男が訪れます。
旗本・山岡鉄舟です。
山岡はこの時、剣の腕を買われ、寛永寺で謹慎生活を送っていた慶喜の護衛をしていました。
慶喜が恭順の意を示しても、新政府軍に伝わらないことに歯がゆさを感じ、自分が新政府軍と交渉するとやってきたのです。
そんな山岡に勝は尋ねます。
「どうやって新政府軍の陣営に乗り込むつもりか?」by勝
「新政府軍の陣営に入ったら、まず自分の刀を差し出し、敵が縄で縛るというなら、言われるがままになりましょう。
 敵とて、私を斬り殺すなどという不条理なことはしてこないでしょうから・・・」by山岡
勝は、この覚悟に感服し、西郷のもとへ送ります。
3月6日、3日後には駿府に到着。
3月9日・10日、西郷との会談を取り付けます。
そこで、西郷から慶喜助命の条件を引き出すことに成功!!
しかし、提示された内容は・・・
①慶喜の身柄を備前藩に預ける
②江戸城を明け渡す
③旧幕府軍すべての軍艦・武器を没収する
という・・・事実上、無条件降伏のようでした。

山岡はひとまず預かり、勝のもとへ急ぎます。

山岡鉄舟が江戸に戻る前に、続々と新政府軍が江戸に入ってきました。
3月11日、板垣退助率いる部隊が八王子に布陣!!
12日には別部隊が板橋到着!!そして、この日、ようやく山岡鉄舟が江戸に戻ってきました。
この条件を勝が聞いたのは、江戸城総攻撃の僅か3日前でした。
その翌日、13日には東海道を進軍してきた西郷隆盛率いる部隊が池上に布陣。
江戸の町は包囲されました。
様々な手を打ってきた勝・・・実際のところ、この交渉がまとまるかどうかの保証はありません。
最悪の事態も想定していました。

対抗策は・・・江戸焦土作戦でした。
交渉が決裂し、新政府軍との戦いとなった場合、新政府軍もろとも江戸の町を焼き払おうと考え、密かに進めていました。
自ら町火消やとび職の親分のもとを訪ね、もし新政府軍が攻撃しだしたら合図をするので、そこかしこに火を放ってもらいたいと説きました。
どうして徳川軍で真っ向から戦おうとしなかったのでしょうか?
徳川軍の中には、新政府への抵抗を唱え、江戸から離れるものが多くいました。
勝は、庶民の力を借りて、新政府軍を迎え撃とうとしたのです。
近隣の漁師たちに江戸の民衆を船で救出してくれるようにも要請!!
しかし、勝とて江戸を焦土にしたくはありません。
新政府軍との交渉に・・・!!

3月13日、京都から進軍してきた新政府軍が江戸を包囲!!
異様なまでの緊張感に包まれます。
そんな非常事態を収拾すべく、勝海舟は西郷隆盛のもとを訪れます。
4年ぶりの再会でした。
会談は13日と14日に行われたといいます。が、場所は・・・??
池上本門寺説、薩摩藩蔵屋敷説、愛宕山の山頂説・・・
会談は勝が待ち望んだものでしたが、初日は慶喜助命の条件に付いての質問だけでした。
会談前日に江戸に戻ってきた山岡の持ち帰った条件を西郷に確かめたかったのです。
会談を終えた勝は、江戸城に戻り、嘆願書をまとめ上げます。
そして、14日会談に臨みます。
勝は、嘆願書を提出・・・!!
それは、新政府軍の条件をほとんど無視したものでした。

慶喜を備前藩に預ける→兄の水戸藩での謹慎
軍艦・武器をすべて新政府軍に差し出す→処分が下った後、徳川家に必要な分以外を差し出す

条件を認めたのは、江戸城を明け渡すことぐらいでした。
当然西郷は激怒し、突き返すと思いきや・・・
即決できないと預かり・・・結論が出るまでは江戸城総攻撃は延期するとし、朝廷のある京都へと戻っていきました。
どうして西郷は嘆願書を拒否しなかったのでしょうか?
それは、13日に、西郷にとって不測の事態が起きていました。
この日、横浜で・・・新政府軍の木梨精一郎は、ハリー・パークスに会いに行っていました。
薩英戦争後、薩摩藩は最新の武器を擁してもらうなどイギリスと親密な関係にありました。
イギリスに新政府の後ろ盾になってももらっていました。
そこで、江戸城総攻撃をかけるとパークスに報告すると・・・
「恭順の意を表している慶喜公を攻撃する必要などないのでは・・・」と、江戸総攻撃に反対したのです。
その裏には、勝の根回しがありました。
4日前の3月9日江戸で・・・
勝はパークスの通訳であるアーネスト・サトウと会っていました。
勝はサトウに訴えます。
「慶喜の命と、家臣たちの生活の保障があれば、どんな条件にも応じる用意があります。
 さもなければ、戦いも辞さない!!
 そのような事態を、貴国の力で未然に防いでもらえないだろうか??」と。

新政府が江戸を攻めると、イギリス人にも犠牲・損害が出る恐れがありました。
戦争を避けたいイギリスを利用して、新政府軍の西郷に圧力をかけていたのです。
イギリスの意向を無視できない西郷は、旧幕府軍の嘆願書を受け取らざるを得なかったのです。
イギリスという薩摩藩と新政府が逆らえない相手を利用した勝海舟渾身の一手でした。

篤姫は、旧知の西郷に、長さ3メートルの手紙を認めます。
徳川家のことを願って・・・!!
”私の一命にかけて何卒お頼み申し上げます”
徳川家を必死に守ろうとした篤姫の手紙に、西郷は涙を流したといいます。
一説には、勝が篤姫にこの手紙を書かせたともいわれていますが、真相はやぶの中・・・。

朝廷の判断如何では危険になる可能性が残っていたので・・・
勝は、イギリス公使パークスのもとへ出向き・・・
「イギリスに帰国するであろう貴国の軍艦を、もう一月だけ停泊しておいてもらいたい・・・!!」と。
勝はその理由を、山岡鉄舟に明かしています。
”慶喜公の命が危なくなったら、イギリスの軍艦にお乗せする計画がある。”と・・・!!

イギリスに亡命させることまで考えていたのでは??
あらゆる可能性を考え、リスクを抑え、次の新しい時代に、命、文明、すべてを譲ろうとしていました。
しかし、勝の心配は杞憂に終わりました。
おおむね、朝廷が承諾してくれたのです。

そこには西郷隆盛の尽力があったといいます。
西郷は、勝の想いに応えてくれようとしたのかもしれません。
共に新しい時代を作ろう!!と。
そして・・・4月11日、江戸城が新政府に明け渡されました。
血を流すことなく・・・!!

その後、西郷隆盛、勝海舟も、高い能力を買われ新政府で要職を任されました。
しかし、西郷は征韓論で新政府と対立し下野!!
そして西南戦争で反乱軍を指揮したとして、朝敵の汚名を着せられ亡くなります。
そんな西郷の汚名を回復しようと誰よりも動いたのは、勝でした。
上野の銅像を建てる運動にも積極的に参加したといいます。

勝は解っていたのです。
西郷無くして江戸無血開城は果たせなかったと・・・!!
そして、西郷無くして、明治という新しい時代は迎えられなかったと・・・!!


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西郷隆盛とは何者か1 西郷は実像以上に美化されている

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