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懐かしいです。「その時歴史が動いた」です。
1600年9月15日・・・関ヶ原の合戦で・・・
豊臣・徳川が16万の軍勢で戦いました。
天下分け目の戦いです。
東軍の総大将は徳川家康、西軍は石田三成。
東軍7万五千、西軍8万2千の戦いでした。
不利だった陣形の東軍が、どうして勝てたのでしょうか?
その勝利の秘密は、合戦から半年前の・・・外国船の漂着にありました。
その積み荷は・・・西洋の武器が!!!
その中で、家康が最も重要視したのが西洋式甲冑でした。
鉄砲の弾を跳ね返す!!!
それを改良した南蛮甲冑で戦いました。
当時最強の甲冑だったのです。
家康、最前線へ!!!
動揺した西軍・・・家康の大勝利となりました。
鉄砲の弾をも跳ね返す南蛮甲冑とは???
大分県臼杵市黒島1600年3月・・・オランダ船・リーフデ号が漂着しました。
この船が日本の歴史を大きく変えました。
航海の途中暴風雨で日本に漂着したのです。
その頃、実権を握って大坂城にいた家康は・・・大坂・堺で積み荷を調べました。
織物・ガラス玉・・・そして武器弾薬。。。小銃50丁大砲19門、砲弾5000発、火薬2500㎏・・・そしてその中に見たこともない西洋製甲冑がありました。
その船に乗っていたのはウィリアム・アダムス(三浦按針)。。。
アダムスは、銃撃戦で身を守る道具だと教えました。
日本の甲冑は・・・小さな金属の板を組み合わせて作っていました。
だから、板の間に弾がめり込んでしまうのです。
しかし、西洋甲冑は分厚い鉄板1枚で・・・鉄砲の弾を弾き返しました。
密かにこの甲冑を江戸に運びます。
関ヶ原の戦いは、当時でも類を見ないほどの銃撃戦でした。
日本は様々な銃が開発される銃大国となっていたのです。
そして・・・日本の甲冑と西洋甲冑のいいところを取り入れた甲冑を作ります。
起伏の多い日本に良いように改造されていました。
まさに、秘密兵器だったのです。
当時はまだ防御することに引け目を感じていました。
”守る”という価値を見出したのです。
7月2日家康は大坂から江戸へ・・・
会津に上杉景勝謀反の疑いで討伐に向かったのです。
1月17日家康を快く思わない人たちが、大坂城で挙兵します。
その中心が石田三成でした。
9万5千の兵を集めます。
上杉景勝の挙兵も実は三成の罠・・・家康を挟み撃ちにしようとしたのでした。
7月24日小山のあたりで三成の挙兵を知ります。
引返し三成と???
しかし、この時家康と一緒にいた兵のうち家康直属は3千。
残りの5万5千は豊臣系の武士でした。
家康ピンチ!!!
7月25日小山軍議が行われます。
以外にも・・・家康に従います。
家康は黒田長政に南蛮甲冑を与えています。
それは、家康につくように豊臣系の武将を説得したことへの見返りだったのです。
福島正則、加藤嘉明・・・家康は、豊臣政権の中枢を担う人物を説得していきます。
こうして家康軍は、3千から5万8千となったのです。
8月10日三成は大垣城へ・・・
その兵力は8万2千。ここを西軍の前線基地としました。
8月24日東軍の福島正則、黒田長政ら大垣城近くの赤坂に布陣。
総大将家康の到着を待っています・・・。
その頃、家康は江戸城で戦略を練っていました。
9月1日極秘に出発。。。三成の虚をつくために・・・。
そして、9月14日正午赤坂に到着!!!
突然翻った葵の紋に、三成は浮足立ちました。
家康はこの西軍の動揺に・・・大坂城へ登ると偽情報も流します。
きっと三成は大垣城から出てくるに違いない!!!
夜7時三成率いる西軍は大垣城を出ました。
関ケ原で待ち受けて・・・戦う準備を始めます。
そして家康も、秘策・・・南蛮甲冑をつけて7万5千の兵で、夜中に出発します。
西軍は8万2千の兵で陣取った場所から家康を見下ろしていました。
山から見下ろされる場所・・・平野に陣を敷くことになった家康・・・。
9月15日8時・・・
天下分け目の関ケ原の合戦が始まりました。
火ぶたを切ったのは井伊直政。
福島正則も突進します。黒田長政、加藤嘉明・・・家康から南蛮甲冑を貰ったメンバーが躍り出ます。
しかし・・・一進一退。。。
東軍は劣勢になっていきます。
桃配山の陣から見ていた家康は・・・
松尾山に陣取っていた小早川秀秋に苛立っていました。
合戦が始まると同時に寝返るという話だったのに・・・!!!
午前11時・・・。
家康は決断しました。
桃配山から最前線へ!!
南蛮甲冑に身を包んだ家康が叱咤激励をします。
黒田長政隊が前線を突破!!!
さらに小早川秀秋は・・・三成に裏切りの意思を固めたのです。
西軍の陣へ攻め込みます。
小早川の裏切りに、西軍の包囲網は崩壊してしまいました。
午後3時東軍勝利!!!
開戦から7時間のことでした。
和歌山県立博物館に家康が来たとされるものがおさめられています。
弾のあとが残っています。
試し撃ちをして戦いに臨んだようです。
この甲冑によって天下を手中にし、徳川260年を築いたのです。
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