聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実ー [ 役所広司 ]

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戦争の20世紀です。

第1次世界大戦中、大戦景気に沸いた日本。。。
しかし、1918年11月11日第1次世界大戦終結。
その反動で、日本の株式市場が暴落、関東大震災もあって、経済不況に陥っていきます。
時を同じくして、アメリカでも株価が大暴落。
世界恐慌が始まり・・・世界中が不況の渦へ・・・

世界恐慌のあおりを受けた日本。
政界・財界も信頼できなくなった日本国民。
国民が頼ったものは軍でした。

軍と農村は身近な関係にありました。
貧乏だけれど頭がいい・・・そんな人は、先生になるか軍人になるしかありませんでした。
それは・・・師範学校や軍学校はタダだったからです。職業軍人となっていきました。
ああ・・・私の祖父もそうですね・・・あせあせ(飛び散る汗)
田舎の貧乏だったので、軍人で・・・なお且つ教師をしていました。あせあせ(飛び散る汗)

在郷軍人・・・平時は民間で働き、戦果時は必要に応じて召集される軍人がたくさんいました。
軍人は、農村と近い関係にあったのです。
だからこそ、軍が何とかしてくれるのではないか!!と、思うようになります。

日露戦争で南満州の利権を手にした日本・・・
その警備にあたっていたのが関東軍・・・遼東半島租借地と南満州鉄道の警備が主な任務でした。
関東軍は政府を無視し、独自で軍事行動を展開。
1928年張作霖爆殺事件
1931年柳条湖事件

1932年3月満州国建国・戦火が拡大していきます。

関東軍暴走の理由は・・・
軍には軍の論理があります。
石原莞爾はドイツにも留学した陸軍のエリートです。
彼の持論は、「世界最終戦論」
それは、日本とアメリカの間で行われ、航空戦となり・・・その戦争が終わった後には幸せが来る・・・というものでした。

しかし、今戦ったとしても、圧倒的な国力の差で負けてしまう!!
経済力も違う!!
この戦いに勝つためには、国土を広げなければ!!ということで侵略していくのです。

国民は、昭和恐慌で不景気・・・
輸出は減少し、企業の倒産・失業者の拡大・・・深刻な恐慌状態に陥っていました。
何とかしてくれ!!
軍に対して期待がありました。

では、どうして陸軍の暴走を止めることが出来なかったのでしょうか?
第28代首相岩槻禮次郎内閣は、それ以上拡大しない・・・不拡大政策を打ち出します。
が、関東軍はいうことを聞きません。
それは、内閣が不拡大政策に一致していなかったということと、軍には統帥権があったからです。統帥権は、軍隊の指揮統率権のことで、天皇が議会の協力なしに行使できるものです。
政治の権利は内閣に、軍隊の指揮権は天皇にあるものの軍に一任されていたということ、そして何よりもマスコミがイケイケと煽ったということです。
国民のほとんどがこれを支持していたのでは???

第29代首相犬養毅は、国際的な非難を避けるためにも満州国を認めませんでしたが・・・
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しかし、1932年5.15事件で犬養毅は海軍青年将校の集団に襲われ・・・首相官邸で射殺されてしまいます。

当時の国民感情としては・・・
「5.15事件減刑嘆願委員会」が設立され、署名活動していたということからも、支持している人は多かったようです。

この関東軍の暴走を中国はどう見ていたのでしょうか?
どうして、蒋介石は文句を言わなかったのでしょうか?
蒋介石は、内戦を収束させよう・・・という方向で、日本の暴走を黙認せざるを得なかったようです。

1932年9月日本政府が満州国を承認。
しかし、その実態は、日本の傀儡国家でありました。
国際連盟は、満州を占領している日本軍の撤退を求めることを圧倒的多数で可決。
それによって1933年2月日本は国際連盟を脱退することになりました。

そして・・・1937年7月日中戦争開戦。
中国との全面戦争に入ります。
日本はこの当時、ほとんどの石油をアメリカから輸入していました。
アメリカに石油を止められてしまう!!
どうしよう!!
と、東南アジアに目を向けます。

軍は積極的でしたが、政府は・・・
しかし、東南アジアへの進出は、アメリカとの戦いを覚悟しなければならないとして反対でした。
ここでマスコミが後押しします。

第2次世界大戦がはじまり、ドイツが勝って勝って勝ちまくる中、もうアメリカとの戦争になっても構わない!!という考えが出てきます。
ドイツと軍事同盟を結ぶべきだ!!
その結果、1940年9月日本が北部仏印に進駐。
日独伊三国同盟を結んでしまいました。
ここに大きな失敗がありました。

戦争が拡大し・・・
当時の保険には・・・
“徴兵保険”がありました。
兵隊にとられた場合、戦死した場合に下りる保険がありました。
戦争を身近に感じられるようになってきた日本。

ついにアメリカから石油を止められてしまいます。
しかし、日本は戦争をやめません。。。
アメリカとの戦いを決意するようになっていきます。
それは、軍や国民の意思で・・・政府はやはりアメリカとの戦争は・・・駄目だと、回避したがっていたようです。

当時第38代近衛文麿内閣。
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アメリカとの戦争を避けるために日米交渉を始めていました。野村吉三郎とハルとの交渉です。
野村吉三郎って、和歌山人なのですね。。。知らなかったです失恋

そこで突き付けられたのがハルノート。
・中国・仏印からの撤退
・満州国・汪兆銘政権の否認
・三国同盟の廃棄
つまり、満州事変以前の状態を要求したのです。

交渉の余地はないと判断した政府・・・ここに太平洋戦争が始まりました。

1941年12月8日真珠湾攻撃が!!
ついに太平洋戦争の火ぶたが切って落とされました。

宣戦布告なしの戦争です。
真珠湾攻撃とは、日本がやった奇襲攻撃だと思われていますが・・・
実は奇襲するつもりはなく、大使館に対して最後通牒を打電していたのですが・・・。
どうしてか、真珠湾の跡になってしまいました。

しかし、すでに日本の暗号は解読していたはずなので、知らなかった?というには無理があります。

アメリカは、もともと孤立主義・国際問題に関与せず、同盟の設定を拒否する伝統的外交政策をとっていました。
ルーズベルト大統領は・・・積極的にヨーロッパ戦線に参加したかったようです。
そこには大事な市場を荒らされたくないという気持ちと、戦争介入によって儲ける、本当にドイツがヨーロッパを占領したら、次は航空戦となってアメリカ本土まで来るかもしれない・・・ということで、積極的に介入したかったようです。

日本は、日独伊三国同盟に参加していたので、思うままに戦争に入っていける!!
おまけに奇襲という卑劣な形を取られたということが・・・
“Remember Pearl Harbor”となったのです。
そして、日本への戦争・ヨーロッパ戦線・・・へと自然に参戦していきます。

そんな日本とアメリカの対立の火種は日露戦争にありました。
1904年2月に始まった日露戦争。
アメリカが積極的に支援しています。
どうして???
ロシアが持っていた南満州・・・将来的に南満州の利権をアメリカも日本と共同で・・・と、思っていたのです。
しかし、ポーツマス条約で日本はアメリカとの共同経営を白紙撤回してしまいました。
そこでアメリカは深く日本のことを恨むようになっていきます。


太平洋戦争開戦の理由は・・・
①アメリカが巧みに誘導した
②軍部の暴走は、軍部・マスコミによって支持されたのだ
ということでした。

1945年原爆が投下され・・・ポツダム宣言を受け入れて・・・
多くの被害を出した第2次世界大戦が終わります。
しかし、その後もアメリカとソ連は対立・・・。
冷戦という緊張状態が続いていくことになります。


ミッドウェー海戦 敗北が語る日本の弱点はこちら
真珠湾攻撃への7日間・外交官たちの苦悩と誤算はこちら

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