日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:大野治長

徳川家が見た「真田丸の真実」 [ 徳川宗英 ]

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徳川と豊臣の戦が目前に迫る中、
信繁は、監視の目をあざむいて九度山から脱出、大坂城へ入城を果たした。
そこで彼を待っていたのは・・・


幸村を待っていたのは、歓迎だけではなく・・・仲間となるはずの浪人たちとの実力を計る小競り合いや確執がありました。

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14年ぶり・・・懐かしい茶々との再会・・・そこにいたのは、織田有楽斎でした。

この有楽斎、真田丸では新キャラですが・・・本当はもっと有名。
信長の弟・・・というよりは、千利休の弟子・・・茶人としての方が有名かもしれませんね。
織田家が滅びている中、秀吉の御伽衆として仕え・・・しかし、関ケ原では家康方として戦い・・・つまり、秀吉と家康の間を取り持っている重要人物ってとこでしょうか??
でも、ここだけ聞くと、信長の弟でなければ暗殺されてんじゃないの・・・??って思っちゃいます。

怪しい・・・胡散臭さも感じる有楽斎・・・どうする??幸村・・・!!??

「真田殿が来てくだされば、我らの勝利は疑いなし!!」by有楽斎

しかし・・・幸村が退席した後・・・

「これくらいおだてておけば十分でござろう。
 浪人たちの間でも、真田の人気は凄まじい・・・
 使い方次第・・・といったところでござろうなあ。。。」by有楽斎

煮ても焼いても食えぬ男・有楽斎・・・といったところでしょうか??

でも、ちゃんとした血筋の有楽斎からすれば、真田の方が胡散臭いのかも・・・。

今も大坂城にどんどんと増えつつある浪人たち・・・
石田三成や大谷吉継がやっていたであろうその世話を、今は大野治長ひとり。。。
人材のなさが悲しい豊臣家ですが・・・

多くの浪人たちが相部屋の中・・・幸村には一人部屋、いろいろな便宜が治長(秀頼の命)によって図られていました。
が・・・それを断る幸村。
幸村の特別扱いに、後藤又兵衛・毛利勝永に絡まれちゃいました。

なので・・・相部屋に・・・。お相手はこの人!!

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長宗我部盛親!!

怖い感じの鬼瓦!!

その頃・・・駿府の家康は・・・真田の大阪入りに激しく動揺!!

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「それは、父親か!!息子か・・・!!」

真田という名を恐れ・・・うろたえにうろたえるも・・・

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「大御所様は、日に日に年老いていかれているのでございます。
この戦、大御所様にとっては、最後の戦となることでございましょう。
日の本中の大名を率いるのでございます。
一気に攻め滅ぼしてしまわれませ!!」by阿茶

が・・・家康は秀頼に嫁いだ孫娘・千姫を気にしている様子・・・

「豊臣家は・・・どうなさるおつもりで・・・??」by阿茶

「どこか遠国に追いやって、そこでおとなしく暮らしてもらうよりなかろう。」by家康

「あ~、そのような生ぬるい事を・・・!! 
 先々の不安の芽は摘んでおくに限ります。
 千姫さまの事は、どうにでもなります。
 千姫を返せば、秀頼の命は助けると伝え、姫様を取り戻したら討ち滅ぼしてしまえばよいのです。」by阿茶

「怖い女子じゃ・・・」by家康

「殿!!かようなことで悩まれますな!!
 信長公も、秀吉公も、もっとひどいことをしてこられました。
 それが、乱世というもの!!
 そして大御所様が、その乱世を終わらせるのです・・・!!by阿茶

って・・・阿茶・・・怖い・・・。

この真田丸の家康は、とっても人情味のある家康となっているので、悪役は忠勝と阿茶になっちゃうんでしょうね。

10月11日、家康は手勢を率い、大坂に向け駿府を出発した。

江戸城では・・・駿府に行くまで待つという約束だったのに・・・
と、フライングな家康にあきれる秀忠。

居眠りしている正信・・・
みなさん、歳をとってきて、代替わりをしてきているのだから当たり前か・・・。
そして信之に代わり出陣することとなった息子達も・・・。


秀忠の軍は、大坂に向けて江戸を出発。その数5万!!

そこへまずい知らせが・・・

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幸村が大坂に入ったとの報が信之にも伝わったのです。
「もっと早く届けんか!!」by信之

しかし・・・佐助にもうその足の速さはありませんでした。
信之も、病を押していけばよかった・・・と後悔する・・・

「弟は名前を変えた・・・ 
 わしが捨てた”幸”の字を拾いおった・・・
 奴は本気じゃ・・・
 この戦、長引くぞ・・・!!」by信之

そして佐助が・・・大坂で幸村が作兵衛を呼んでいると・・・

「しかし、ようご決心なされたのう。
 徳川は亡き殿の仇敵、源三郎さまのお立場もわかるが、せめて、源次郎さまはと思うておったが・・・
 殿もあの世でお喜びであろう・・・。」by作兵衛

大坂方につくことに決めた作兵衛。。。
今更、徳川につくのは気が進まなかったと大喜びの作兵衛ですが・・・

一つだけ心残りが・・・
すえに仮祝言を挙げさせる作兵衛。。。

出て行くところ・・・信之に見つかっちゃいました。

「黙って見過ごすわけにはいかん・・・
 今なら何もなかったことにしてやる。」by信之

「今更、徳川に組みしとうはございません。」by作兵衛

「甘えるな!! それが、戦国の世に生まれた者のさだめじゃ!!」by信之

「源次郎さまが待っておられるのです。」by作兵衛

「それは、聞いた!!」by信之

佐助を制して・・・信之に槍を向ける作兵衛・・・。

「作兵衛・・・わしに斬らせるな・・・わしに斬らせるな・・・!!」by信之

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槍を真っ二つに斬られてしまった作兵衛・・・絶体絶命!!

「わしは徳川に忠義を誓ったのじゃ!!
 源次郎のようにはなれんのじゃ・・・!!
 覚悟・・・!!」by信之

危機一髪!!信之の手が・・・刀を握れなくなって・・・
情けを書けたわけじゃないんですが・・・
作兵衛・・・行っちゃいました。

いいですね、このシーン。
実は、私、作兵衛が大好きなんです。
というか、藤本隆宏さんのやる役って、私にとっていつもドストライクなんです。

takeo



初めて知ったのは、「坂の上の雲」の広瀬武夫でした。

広瀬の生き方も、一本筋が通っていて、とっても男らしくってよかったのよ~~~!!

でもって・・・またやらないかなあ・・・なのがこちら。





このシリーズは、ほんと大好きでした。

豪快に良く食べて、一本筋は通っているけれど、気は優しくて力持ち!!
わたしが子供の頃から大好きなキャラ要素が満載です。

このシーンで、戦いたくないという与八の想い、源次郎について大殿の無念を晴らしたい作兵衛の想い、そして気持ちはわかるが長男として真田家を守らなければならない・・・我慢ばっかりしている信之の想い・・・
みんなの想いが入り混じって、よくわかるシーンになっていましたね。

でも、やっぱり作兵衛、大好きだ~~~!!

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秀頼&千姫にお目通りなった幸村。
そうそう、秀頼と千姫は仲が良かったんですよね。
若いのに、可哀想・・・。

豊臣の総大将となってほしいと頼む秀頼。。。
しかし、滅相もないと断る幸村。

味方のほとんどは、関ケ原以来の浪人たちで、上に立つ者が欲しいという・・・

「左衛門之佐を於いてさようなものが他におろうか・・・??」by秀頼

おお!!殿に言われて、断るなんて出来るでしょうか??

「恐悦至極に存じます・・・!!」by幸村

「それは、誉れの限りではございませんか。」by内記
目出度いと喜ぶ内記ですが・・・気が重いという幸村です・・・。
後ろで植木に水をやっている長宗我部盛親がお茶目で可愛すぎて・・・頭に入りません・・・??

同室になった長宗我部盛親にも総大将を勧められます。

「やはり戦は、柱になる者がおらんと・・・
 わしなんぞは、とうに・・・戦の仕方も忘れてしもうたわ・・・」by盛親

そういう盛親は、京で寺子屋を開いて子供たちに読み書きを教えていたという・・・
長宗我部家再興のために、家臣たちに後押しされて、戦に加わったと・・・。
強面の顔して、戦が怖いんだって。
だって、関ケ原の戦いに参加して、1回も戦わなかったんだから、戦うことが嫌いでしょう・・・??
そんなところも可愛い!!
第一、家臣たちに望まれて・・・というところが、きっと、家臣想いのいい人だったんでしょうね。

「わしは・・・肝のちいさな男でな・・・!!」by盛親

幸村が来るまで、大きな部屋で一人、寂しかったらしいよ・・・。

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上に立つであろうと思われる幸村に、名刺を差し出す者も・・・

しかし・・・そんな風に言ってくれる人ばかりではない。。。

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皆が集まる・・・。

「我々は皆・・・豊臣家の御為に、馳せ参じた者ばかりでございます。
 皆・・・徳川に刃向かったために、禄を失い、そして皆、殿様をお守りしたい一心で、ここに集い申した。
 思いは一つ!!
 となれば、昔の身分、禄高、しがらみなど一切なくしてもらいたい。
 禄を失えば皆浪人。そんなことで、差をつけられてはたまらん・・・それだけは申しておく・・・!!」by又兵衛

そして・・・全軍の総大将を選ぶことに・・・

「殿は、真田左衛門之佐殿をお望みである。」by治長

と言ったものの・・・横やりを入れる又兵衛。

「我らは、真田に使われるために、入城したわけではない。」by又兵衛

「私も総大将になりたいわけではござらん。」by幸村

「では、辞退なされよ。」by勝永

「しかしながら、我らはそれぞれに腕はあっても、まとめていく力がなければ徳川には勝てませぬ。
 対局を見ることの出来る誰かが上に立つ。
 それによって、何倍もの力を得ることができるのです。」by幸村

「だからそれが何でお前なのだ・・・??」by又兵衛

「私には二度、徳川勢と戦い、二度勝ちを手にした武功がござる。
 徳川の戦を熟知しております。」by幸村

「確かに・・・上田城の話は聞き及ぶ。
 しかし、はじめの戦いは、今から30年も前の話・・・
 お主は二十歳にもならぬ若造だったはずだが・・・
 その時は、旗を振っていただけだという噂もあるが・・・」by勝永

「噂は噂・・・!!」by幸村
ガヤガヤ・・・軍議が紛糾しちゃいました。
そうねえ・・・こういうところが一枚岩になり切れていない・・・勝てないところなのでしょうが・・・
ま、又兵衛や勝永の言っていることは当たっているんだけれども・・・
いきなり又兵衛に総大将を乞われる四国の大大名・長宗我部盛親も驚いちゃいます。
だって、戦嫌いなんだもん・・・!!

第一、秀頼が頼んでいるんだから幸村でいいんじゃないの??
て、私なんかは思うんですが、そこは禄もなく、苦労に苦労を重ねてきた浪人たちの心がそうさせるのかもしれませんね。

辞退する幸村・・・そして盛親も辞退・・・

「私に一つ策がございます。
 誰か一人が際立ってしまうと、かえって角が立つ事がわかり申した。
 されど、勝つための戦をするにはやはり大将は欠かせませぬ。
 10万の兵を5つに分け、それぞれに大将を置き、その上に総大将として右大臣・秀頼公御自らが立たれるというのはいかがでしょう?」by幸村

それならば・・・と、又兵衛も、勝永も了解!!

「例えばこうしてはいかがかな?
 私に、毛利殿、長曾我部殿、明石殿、そして後藤殿の5人・・・」by幸村

ということで、大坂五人衆が出来上がりました!!

前途多難な大坂の陣の始まりを示唆しているようですね。
先が思いやられる・・・
浪人たちは自分たちの事しか考えていないし、治長にはまとめる度量がないと、内記は分析!!

しかし、嬉しそうな幸村・・・

「確かに浪人衆にまとまりはない。
 だがそれは、各々が自分の行く末に望みを持っているからこそ。
 あの者たちは、今の境遇から這い上がろうとしてここに集った。
 無理やり駆り出された徳川の兵たちとはそこが違う!!」by幸村

こりゃあ、一本取られたとばかりに頭をたたく内記。

「この戦・・・十分勝てる・・・!!」by幸村

おお・・・!!
どこから来るのか・・・この自信・・・!!
って感じです。
九度山を出るときとは全然”自信”が違いますね。

この真田丸の真田幸村はポジティブというか、みんなと目線が違うんですよね。
だから・・・この幸村がいれば、勝てちゃうんじゃないだろうか・・・??って思ってきちゃいます。

そんな自信が、どんなふうに崩れていくのか・・・??
それが、これからの見どころになるんでしょうね。
ああ・・・さみしいなあ・・・終わっちゃうの。


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豊臣と徳川の激突は避けられなくなっている。
信j繁は真田幸村と名乗り、大坂方に味方することを決意。

関ケ原から十四年の歳月が流れていた。

そう・・・関ケ原から14年が経ってしまっていました。

大坂城に入ることを決意し、家族にもそう伝えました。
徳川家康に一矢報いるために・・・!!

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みんなで力を合わせて・・・
脱出作戦を練りますよ~~~!!


その頃、大坂城には、各地から集められた浪人たちでごった返していました。

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やってきたのは・・・元黒田家家臣・後藤又兵衛です!!

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「後藤又兵衛は黒田家きっての名将・・・数々の戦で名を挙げた剛の者でございます。」by治長

「亡き父上の名に恥じぬ戦をしたいものだ。」by秀頼

そしてもう一人・・・

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毛利勝永・・・。

この二人について・・・
まず、後藤又兵衛は、とっても有名な・・・というか、幸村よりも戦功のあるとってもスゴイ武将です。
黒田家・・・つまり、官兵衛に仕えていたわけですが・・・
官兵衛の死後、長政との関係がこじれていきます。
「軍師官兵衛」では、兄弟のように育ててもらった長政と又兵衛。
父・官兵衛が、長政に厳しく当たったので、又兵衛に嫉妬するような感じで・・・黒田家に居づらくなって出奔した・・・みたいな感じでしたが・・・
細川氏、池田市などと頻繁に書状を交わしていたことに原因があったともいわれています。
で・・・細川忠興に抱えられたり・・・徳川家康に仲裁してもらったり・・・福島正則、前田利家、結城秀康などが、又兵衛の武勇を惜しんで召し出しがかかりますが・・・
黒田家から「奉公構」(再仕官を妨害!!)が出ていたので、実現せず・・・。
いろんなつてを転々として・・・最後は京都で浪人生活を送っていたそうです。

なので、この人が浪人たちの中で、一番武功を挙げていると思うんですが・・・
誰もが召し抱えようとしていた武士なんですから・・・。

で・・・毛利勝永は・・・??
ちなみに、毛利輝元とは全く関係がありません。
秀吉の家来で・・・その指示で、姓が森→毛利に変わったんです。
関ケ原で父と共に豊臣方につき・・・領地を奪われ浪人・・・というお決まりのパターンを行っていますが・・・
領地を奪われた後は、加藤清正→山内一豊と主が変わり・・・山内家では1千石も与えられていたと言います。
朝鮮出兵や、関ケ原の戦いに参加しているので、こちらも幸村よりはよっぽど実戦経験豊富な即戦力です。


駿府城では・・・??

大坂城に浪人たちが溢れかえっている・・・
「愚かな事じゃのう・・・数を揃えたところで、所詮寄せ集め・・・
 烏合の衆では戦には勝てぬわ・・・

 秀頼も、おとなしゅうしておれば、どこぞの一大名として生き抜くこともできたであろうに。
 むしろ、わしはそれを望んでおった。

 何故滅びの道を選ぶ・・・??
 秀頼の周りには、ロクな家臣がおらぬようだ。」by家康

片桐且元の言っていたことは本当でしたね。
且元の言うとおりにしておけば、どこかの大名として残っていられたかもしれません。

そして浪人たち・・・そうなのよね・・・まさに烏合の衆・・・
戦国時代は土地を治める殿やお館様(織田信長)がいて、その下についている武将(柴田勝家・丹羽長秀・羽柴秀吉など)・・・そしてその武将についている兵(秀吉なら蜂須賀小六・黒田官兵衛・竹中半兵衛・山内一豊・・・)ということで、その土地に根付き、生活の上下関係がそのまま戦の上下関係にもなっていて、信頼も厚く、上に立つ者は上に立つ者、従うものは従う者と決まっていました。

関ケ原で敗れた西軍の武士(ドラマでは宇喜多秀家なんかは流罪ですから家臣はみんな浪人→再雇用)はもとより、東軍であっても必要のない切り捨てられた浪人たちがたくさんいて・・・そんな人たちがたくさん大坂城にやってきました。
なので、上に立つ人ではなく、雑兵がどれだけ集まっても、なかなか勝てません。
誰が指示するの・・・??って感じでしょうか??

「時に・・・真田はどうしておる?」by家康
「大坂に入ったという話は聞きませぬ。」by正純
「確か・・・安房守は死んだな。」by家康
「数年前に・・・」by正純
「息子は何というたかの・・・??ほれ、父親とともに流された・・・」by家康
「左衛門之佐信繁でございます。」by正純
「生きておるのか・・・??」by家康
「おそらくは。。。」by正純
「九度山だったのう・・・見張りをふやせ・・・あれが大坂に入ったら、面倒になる。」by家康
「すぐに手配を・・・」by正純

耄碌していると思われる家康も、まだまだ戦上手・・・??
それとも用心深い性格から・・・??
それ以上に、真田が怖い・・・??

真田紐で儲けたからと、宴会を開こうとする幸村。
村も、幸村のおかげで潤ったと、長兵衛も感謝しています。


手のしびれの取れない信之・・・そんな信之にも嬉しいことが・・・

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幸村が流されてから親代わりとなっていたすえが嫁に行くという・・・。
ま、当時としては行き遅れですが・・・ま、伯父さんが手放さなかったんでしょうね。

そして信之の元に文が・・・
とうとう家康が大坂へ出陣するという知らせ・・・
豊臣家もいよいよ終わり・・・??
この参陣で、信之家も跡取りを誰にするのか・・・決めるいい機会だと考えていました。
剣術の得意な稲との子・信政と、剣術の嫌いなこうとの子・信吉・・・どちらにする・・・??

自分の体のことを考えて、今回は参陣を息子たちに託して自分は残ると言い出した信之・・・
さて・・・誰が跡取り・・・??

悩んでいた信之に・・・

「一つお願い事があるのですが・・・
 良い機会でございます。
 信吉を正式に嫡男にするというのはいかがですか。

 先に生まれたのは信吉・・・ 
 嫡男となるべきは信吉にございます。」by稲

「わしも同じことを考えていた。
 確かに武芸は信政の方が秀でておる。
 それゆえ、信政が嫡男になれば信吉はどうなる。
 ますます居場所を失う・・・

 真田家を継ぐのは信吉。
 信政がそれを支える。
 逆はない。」by信之

「此度の大将・・・是非とも信吉に・・・!!」by稲

聞いたこうはビックリ・・・!!

「信吉を正式に嫡男にしようと思っている。
 稲の・・・たっての願いである。」by信之

「これまで尽くしてくれた、あなたへの私からの礼です。」by稲
 
形としては稲の養子とするものの、こうから取り上げるつもりはないという・・・。
なんとできた人たち!!

「立場が人を育てる・・・信吉には、死に物狂いで精進してもらわねばならぬ。」by信之

「これ以上の喜びはございません。」byこう

「おこう・・・これからも、私たちを支えてくださいな。」by稲

嬉しくて・・・嬉しくて・・・泣き崩れるこう・・・

本当に、綺麗な代替わりでした。
ま、補足をすれば、本当はこうの父が真田家の嫡男でした。
が、死んでしまったので、弟だった昌幸が後を継いでいるわけで・・・
こうの子が継ぐ・・・というのは、本家の血筋に戻ったと言った方が正しいかもしれません。
が、当時はまだまだ下剋上で、能力のあるものが後を継いだ時代・・・
信之には先見の明があったのかもしれません。
だって、これから先、文治政治となっていくのですから。。。
ま、生き残ってるしな・・・。

1614年10月7日・・・

九度山の長兵衛の屋敷では、宴会が行われていました。

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監視役の竹本さまも、飲まされる、飲まされる・・・??

踊っている真田家の人々・・・一人抜け・・・二人抜け・・・
逃げる算段を進めます。


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幸村たちが飲んでいたのは酒ではない!!米のとぎ汁だ・・・!!
「図られたっ!!」by竹本さま

どこへ・・・??真田が・・・消えてしまっている・・・!!
村の・・・寂れた寺ではないか・・・??という長兵衛!!

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最後に幸村が揃って・・・全員集合!!
さあ、大坂城へ!!

という時に・・・
村の若者が・・・連れて行ってくれという。
大坂に行きたい!!行って徳川を負かし、大名になりたいという・・・
そして・・・山を下りる近道も知っていると・・・。
どうする??信じるのか??幸村!!


長兵衛が・・・踏み込む!!
その荒れ寺に、幸村たちの姿はありませんでした。
すっとぼける長兵衛は味方だったみたい。時間稼ぎに竹本さまを荒れ寺に連れてきたのね。
世話になった幸村に・・・こころから一礼する長兵衛でした。


なんですが・・・色々説はあります。
個人的には、長兵衛たちも酒に入れられていた眠り薬で寝てしまった・・・というパターンが好きです。
だって、これから何もかもを大坂城にかける幸村たちとは違って、長兵衛たちには明日の生活というものがあります。
なので、”自分たちは知らなかった”とか、”自分たちも幸村たちに騙された”ということが必要だったということです。
積極的に助けたにしろ、自分たちも騙されたということにしろ・・・村人たちと幸村一家との絆が見受けられていいですね。
ま、それだけ九度山での生活が長かったから・・・というのもあるでしょう。

幸村たちが九度山を出たという知らせは、駿府の家康にすぐに届きました。
息子の方・・・しかし、真田安房守の息子だから心配だとい家康。
真田左衛門佐がどれだけの力を持っていようと関係ない・・・
大事なのは、あの安房守の息子という事・・・!!
やっぱり気にかかるようです。

服部半蔵に襲われたりしながら、大坂城にやってきました。

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得体のしれない爺に変装して入城!!
敵を欺くために・・・!!
長年にわたる九度山の生活がその風貌をも変えてしまった・・・と印象付ける!!と、本人は言っていますが、事実、兄・信之にお金の無心をしたときの手紙には、白髪になって、歯も抜けて・・・と、最近めっきりと年を取った・・・と書いているので、本当はこんな感じだったのかもしれません。

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でも、それでは全国の真田幸村ファンに怒られちゃうので・・・

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変身!!

浪人たちが続々と集まる中・・・上に立つ者が居なくて困っていたと喜ぶ大野治長。
現在兵の数は、雑兵を入れるとおよそ10万・・・しかし、それを束ねる武将が不足しているのです。

一方、秀頼は、立派な青年に成長していました。

「私を覚えておるか?」by秀頼

「もちろんでございます。
 拾様と呼ばれていた頃から存じ上げております。」by幸村

「私もお主を覚えておる。
 また会えてうれしいぞ。」by秀頼

「かつて私は、この大坂城で、太閤殿下に息子のように可愛がっていただきました。
 今こそ、その恩返しの時と考えます。」by幸村

「上田城に籠り、二度にわたって徳川勢を退けたというのは、真か・・・??」by秀頼

「殿、それは、左衛門之佐の父・真田安房守・・・」by治長

「私でございます。
 世間では、父・安房守が采配を振るったことになっておりますが、実を申せば、徳川を打ち破ったのは私、父は黙って見守るのみでした。」by幸村

戦う気満々!!というか、もうすでに策謀をめぐらそうとしているというか、はったりをかましている幸村!!
早速、秀頼に頼みます。
集まった兵10万・・・その兵糧を・・・堺の港を押さえ、大坂にある徳川方の大名屋敷の兵糧米を取り上げる・・・それだけで10万石をこえる米が手に入ると・・・!!

「修理・・・真田が来てくれて良かったのう。」by秀頼

何もかもが昔のまま・・・太閤殿下と過ごした日々が夢のよう・・・
幸村を頼っているのは秀頼だけではありませんでした。

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石田三成が植えた桃の向こうには・・・淀殿が・・・!!

「茶々様・・・」by幸村

「また会えましたね・・・ 源次郎。」by茶々


なんとドラマティック!!
いよいよ最終章へ突入です。

最期をわかっているだけに・・・
思い入れが強い分・・・ここから先はとっても悲しい、悔しい、寂しい作品です。
よく考えれば、この時点で大坂方が正義な戦いはあんまりないんじゃないかと思います。
だって、大坂方で主人公になってきた人が少なすぎるから・・・
個人的には、又兵衛がもっと知られていてもいいのになあ・・・って思うんですが、まメジャーはやっぱり真田幸村でしょう。

少年漫画でも今でもよくありますが、戦隊ヒーロー、ジャニーズでもそうですが、真田十勇士のように何人かの仲間、グループヒーローを作るのは日本人のお得意ですからね。

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っていうか、真田十勇士や南総里見八犬伝が最初だと思うんです。
戦隊ヒーローの!!

「私は〇〇が好き!!」って感じで、今も昔も熱く語るオタクがいたことでしょう。




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昌幸の死後も、信繁の幽閉が許されることはなかった。
真田紐を考案するも、九度山での厳しい暮らしは続く。
そんな折、彼の前に現れた男は・・・

明石全登・・・元宇喜多秀家の家臣です。
この当時、宇喜多秀家は流人として八丈島に流されています。
主をなくし、結構苦労の日々が続いていたと言います。
本当ならば、自分の主である宇喜多秀家のところに行かなくっちゃ!!なんですが、行けないわなあ・・・八丈島。
ってことで、九度山に来たのかしらね・・・??

「真田左衛門之佐信繁様でございますね。
 元宇喜多秀家家臣・明石掃部守全登。
 左衛門之佐さまをお迎えに参りました。」

信繁の家人たちは久しぶりの宴に賑わっていましたが・・・
気付くきり・・・。

「わたくしと共に大坂へ来てくだされ。」by全登

「何故・・・??」by信繁

「まもなく戦が始まります。
 豊臣方の将として、一軍の采配をお取りいただきたいのでござる。」by全登

「敵は・・・??」by信繁

「徳川家康っ・・・!!」by全登

「お断りする・・・!!」by信繁

囚われの身の信繁は断ったものの・・・会わせたい人がいる・・・
全登が連れてきたのは・・・・??

信之の方でも、戦になるのではないか・・・??
きな臭さを感じていました。
そんな信之・・・手がすべった・・・??
手が・・・??

信繁に会わせたい男・・・それは片桐且元でした。

もはや戦は避けられない・・・
話だけでも聞いてほしいと願う片桐且元。

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「関ケ原で石田治部、大谷刑部らがああいうことになり、その後も加藤肥後守ら豊臣家の重臣が次々と世を去って・・・
 気づいたら、秀頼公のおそばに仕えるのはわしだけになってしまった。。。
 事の発端は、方広寺の大仏開眼供養・・・
 太閤殿下が進められていた大仏殿の造営は、文禄の大地震で一旦頓挫したが、秀頼公のお声がかりで5年前から普請が始まった。
 今年は太閤殿下の17回忌。
 是非ともそれに合わせて開眼供養を執り行おうというのが、秀頼公のお考えであられた。」by且元

この大仏殿を建て直すことを薦めたのは家康・・・死者の供養が生き残った者の務め・・・と京や大坂の寺社の修復まで薦められます。
が、そう言いながら、本当は、大坂城に蓄えられた金銀を秀頼公に使わせる事・・・!!

鐘に刻む銘文を・・・

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南禅寺の僧・清韓に頼みます。
秀頼公の許可も出て・・・
しかし、家康から格調がないとクレームが入りました。
難癖を・・・!!

もうひとひねり・・・!!と願う且元。
そして出来上がったのが・・・あの「国家安康」「君臣豊楽」の文字が・・・!!

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「これにはいささか趣向がございましてな。
 ”国家安康”の文字がござろう。
 ”国が安らかに栄える”という意味だが、よくよくご覧あれ。
 ここに”家””康”の二文字が隠れておる。

 さらにこちらの”君臣豊楽”。
 意味は、”皆が豊かに楽しく過ごす。”だが、見方を変えれば、”豊臣を君として楽しむ”と読めなくもない。
 必ずや、家康公も、秀頼公も、お慶びくださるはず。」by清韓

家康の了解も得て、鐘にその銘文を刻んだものの・・・
いよいよ大仏開眼供養の近づいたその日・・・家康に日延べを言い渡されてしまいました。

鐘に刻んだ文言に、自分に対しての呪詛の言葉があるという・・・
”国家安康”・・・諱を二つに割るなど縁起でもない・・・!!と。
草案を見せていたのに・・・言いがかりだ・・・!!
鐘を作り直せという・・・!!
来月の供養に間に合わない・・・!!

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清韓は、洒落の分からない男だ・・・!!と、言うものの・・・
どちらかというと、二つに分けたら呪詛っぽいというのが普通だったらしいのです。
なので、この清韓が、家康のまわし者なんじゃないか??って噂まであります。
ま、どちらにしても、難癖をつけたいのは当たってますけどね。
でも、その難癖は、後ろの”君臣豊楽”の可能性の方が高いという説もあります。

茶々に相談するも・・・駿府に行って家康を説き伏せて来いと言われてしまいましたが・・・
一月待っても会ってもらえません。

そしてやってきたのは大蔵卿局。
アッサリと家康に会えることができました。

で・・・言ってしまいました。

「わしは本多正純殿から、事を治めるための三か条を預かっておる!!
 秀頼公は大坂城をお立ち退き、伊勢もしくは大和へと移ること、
 お上様を人質として関東に送ること、
 秀頼公は、諸大名と同じく江戸に参勤すること」by且元

「ありえませぬ!!」by大蔵卿局

「叶わぬ場合は、徳川に対する異心ありとして豊臣を討ち滅ぼすと・・・!!」by且元

「大御所様が、そのようなことを仰せられるはずがない!!」by大蔵卿局

「本多殿は大御所様の御意向とはっきりと申された・・・!!」by且元

と・・・且元・・・嘘をついてしまったのです。
このままでは戦になりかねない・・・そう考えての事でした。

「策を弄したのは貴殿ではないのか・・・片桐殿。
 徳川からの命と偽り、三か条を我が殿にのませ奉り、それを手土産に徳川に召し抱えられる手はすではなかったか・・・??」by大野治長

と・・・信頼を失っていく且元。。。

そんな度胸も知恵もない・・・と、茶々は庇ってくれますが・・・

責めを負って且元はお役御免・・・
おまけに・・・大野治長たちの暗殺計画に大坂城を後にする且元。。。

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「わしは・・・大坂城を去った・・・」by且元
ところが・・・これがまたもや悪い方向へ・・・
大坂を追われた・・・取次役を追い出した豊臣方は・・・徳川に手切れと見なされてしまったのです。

で・・・なんでこんなことに・・・??
って思うけれど、史実を考えてみると・・・
実はこの片桐且元、小林隆さんみたいなキャラではありません。
この大河では小林隆さんにピッタリな役ですが・・・
本当は、この時点で家康とは家に泊まらせてもらえるほどの仲でした。
豊臣から領地をそして、徳川からも領地をもらっていて、このドラマのように秀頼べったり信仰ではなかったんです。
つまり、出来る男だからこそ家康との交渉に当たり、出来る男だからこそ(家康とも仲がいいってこと)大野治長たちに狙われたと言ってもいいでしょう。
そう、加藤清正も豊臣と徳川から領地をもらっていましたが、同じ感じですね。
そして・・・大坂の陣まで粘らせたのは・・・実は、家康も一大名として豊臣を残したかったのかもしれません。

maru12















「徳川が・・・攻めてくる・・・!!」by秀頼

「秀頼公は、太閤殿下恩顧の大名たちに書状を送り、味方に付くよう呼び掛けている。
 大坂城には徳川との一線を望む浪人たちが続々と集まってきておる・・・!!
 明石殿もその一人・・・!!

 左衛門佐・・・
 わしはもう、大坂に戻ることはできぬ。
 お主の太閤殿下への忠義の心は誰よりも深い。
 秀頼公のために一肌脱いではもらえないか・・・??
 大坂城へ入って、兵を預かり、徳川勢を迎え討ってくれ・・・!!」by且元

しかし・・・

「片桐様・・・残念ながら、はじめに申し上げた通りでございます。
 お力にはなれませぬ・・・

 訳は三つ。
 まず、私は大軍を率いて戦った事がありませぬ。
 さらに、私は囚われの身。
 そして。。。私は戦がそれほど好きではないのです。」by信繁

曲げて頼まれても・・・断ってしまうのです。

とってもわかりやすい説明です。
切れ者だなあ・・・って感じがよく出ていますね。

そんな信繁を見ていたのはきり・・・??


「誰とあっていたの・・・
宇喜多秀家さまの家来に似ていた・・・明石様だっけ?
 ガラシャ様のところで何度かお見かけしたことが・・・」byきり

「まもなく戦が始まる。
 徳川が大坂城に攻めかかる。
 大戦だ・・・
 豊臣に加勢をしてほしいと頼まれた。」by信繁

「いつかこんな日が来るような気がしていた・・・
 行くの・・・??」byきり

「断った・・・
 行きたいと思った・・・
 だが・・・今の私には、もっと大事なものがある。」by信繁

「 お行きなさいよ・・・」byきり

「驚いたな・・・止めるのかと思った。。。
 向こうには淀の方様がいる・・・
 前に言っていたな・・・あの方は人を不幸にすると・・・」by信繁

「あなたは行きたいと思っている・・・
 なら、行くしかないでしょう。
 あなたに来てほしいと思っている人がいるんでしょう。
 助けを求めている人たちがいるんでしょう。
 だったら・・・」byきり

大軍と戦った事もない・・・と、弱気なことを言う信繁・・・

「真田昌幸・・・徳川と二度戦って二度勝った男!!
 あなたにはその血が流れている・・・
 真田源次郎は安房守の息子・・・戦上手に決まっている。
 この人に従っておけば間違いない。
 誰も疑わないわ。
 ほとんど戦に出たことがないなんて・・・
 あとは・・・はったりよ。 

maru7












 ここで一生を終えたいの?
 それでいいの??
 あなたは何のために生まれてきたの・・・??

 大事なのは、誰かがあなたを求めているという事・・・
 今まで何をしてきたの??
 小県にいる頃は、父親に振り回されて、大坂に来てからは太閤殿下に振り回されて・・・

 なにを残したの・・・??
 真田源次郎がこの世に生きたという証を何か一つでも残してきた??

 聚楽第の落書きの科人、とうとう見つからなかったよね。
 沼田を巡って談判はしたけど、最後は北条に取られちゃった。

 氏政さまを説き伏せに小田原城に忍び込んだみたいだけど、氏政さまがお城を明け渡したのはあなたの力ではないですから。
 後から会いに行った、なんとか官兵衛さまのお手柄ですから・・・!!

 何もしてないじゃない。
 何の役にも立ってない。
 誰のためにもなってない。

 私が大好きだった源次郎さまはどこへ行ったの・・・??
 がむしゃらで、向こう見ずで、やんちゃで、賢くて、明るくて、度胸があって、キラキラしていた・・・!!
 真田家の次男坊はどこへ行ったのよ・・・!!
 私が胸を焦がして大坂までついて行ったあの時の源次郎さまは・・・!!」byきり

「鬱陶しいんだよ、お前は・・・!!」by信繁

「わかってるわよ、そんなこと・・・!!」byきり



そんなこと、自分でもわかっていると声を荒げる信繁・・・

「もう言わない・・・二度と・・・」byきり
 
「きり・・・!!
 だが・・・自分で問いかけるよりも、お前に言ってもらう方が心にしみた・・・
 礼を言う。。。」by信繁

相変らずのケンカ腰ですが・・・
きりちゃんいきなりの愛の告白です。ってか、もっと大きな愛よね、これは・・・!!

いつも、信繁の岐路にはきりちゃんがいますね。
今回は、死ぬかも??と思っていて送り出すのですから、きりの言葉は重いですね。
でも、さすが・・・信繁をよくわかているきりだからこその言葉です。


呼び起こされる大坂城での想い・・・
 
生き生きと・・・戦っていた頃の・・・武士だったころの想い・・・。
そして、父の無念・・・。

そして・・・

「大助・・・父は、新しい名を名乗ることにした。
 その新しい名をこれから決める。
 一文字は決まっている。
 兄上が捨てた「幸」の字をいただく。
 これは、わが父・昌幸の「幸」でもある。
 我が真田一族に代々受け継がれる文字だ。

 さて・・・あとは残りの一文字だ。
 お前に決めてもらう。

 この壺の中から目をつむって一枚だけ選んでくれ。
 どの文字も、私にかかわりの深いものばかりだ。」by信繁

「しかし・・・そのように大事なことを、くじで決めてよろしいのですか?」by大助
 
 大事な事だからこそ、くじで決めるのだ。
 父は八百万神に託したのだ・・・!!」by信繁

おお・・・昌幸の縁起を担いでるんだな!!
父上と、息子に決めてもらうのね。

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決めかねて・・・選んだ文字・・・それは・・・

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「村幸」??
「幸村」でした。

「真田左衛門之佐幸村・・・良い名だ!!」by信繁

その日、信繁は真田幸村となった。
後に日の本一の兵と呼ばれる戦国最後の名将の誕生である!!

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おお!!スゴイ!!なんとも涙、涙、クライマックスへののぼり方が尋常じゃないわ・・・!!
とってもかっこよく出来上がっていて・・・何回見てもいいですね。



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真田信繁「勝利」への条件

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感想(0件)



「狙うは家康の首・・・ただ一つ!!」
大坂夏の陣で、大阪城が陥落したその日・・・無念の最後を遂げた武将がいました。
真田幸村こと、真田信繁です。
日の本一の兵と恐れられ、家康を恐れさせたその武将・・・その真実とは・・・??

信州の豪族の次男として1571年に生まれます。
甲斐の武田家についていた真田家は武田氏滅亡後、父・昌幸はお家を守るために次々と主君を変えます。
上杉家や羽柴家の養子となっていた信繁・・・元服後は、父・昌幸について領地問題で揉めていた徳川家康と闘い・・・兵力的に劣っている中、見事徳川軍を撃退します。

その後も二度の戦で徳川を追いつめます。
が・・・天下をかけた徳川家康と石田三成の戦いでは、東軍には兄・信幸が、わかれた信繁と父は西軍についたのです。
信州上田で秀忠軍に勝利したものの、関ケ原の戦いで東軍が勝利したことで1600年、父とともに九度山への蟄居となります。
その生活は、兄からの仕送りだけで成り立っていました。
苦しい生活の中で打倒家康・・・父から兵法を学び、再び家康と会い見えんことを!!願っていました。
1611年・・・絶望の中父が亡くなり、蟄居生活も14年・・・
ここまでか・・・と諦めていた1614年、徳川家康は、天下統一の最後の仕上げとして豊臣の討伐に動き出しました。
大坂冬の陣です。
秀頼は、秀吉恩顧の大名たちに相次いで書状を送り・・・諸国の浪人たちを集め出し、徳川を迎え撃つ準備を始めました。
そして・・・信繁のもとにも待ち望んでいた使者が・・・!!
秀頼から出された条件は破格!!
支度金・黄金200枚、銀39貫目、家来5000人!!
さらに勝利した際には、50万石が与えられる・・・!!
信茂は、秀頼の招きに応じます。
赤一色の武具を数千人分用意し、かつての家臣たちに声をかけ九度山を出発!!
大阪城に入城しました。

それは、すぐに家康に伝わります。
「その真田というのは親か、子か・・・??」
今まで痛い目に遭っていた真田の存在は怖かったようです。
「大阪城に入ったのは、子の信繁のようです。」
家康は安堵の表情を浮かべたといいます。
まだまだ信繁は恐れられる存在ではなかったようです。

1614年10月1日、家康は秀忠を通じて全国の大名たちに出陣を要請!!
徳川方は19万5000に膨れ上がりました。
一方豊臣方は・・・真田信繁・後藤又兵衛・長曾我部盛親・毛利勝永・木村重成などの牢人たちと豊臣家臣たちで10万・・・。
どのように戦うのか・・・??
信繁ら牢人たちは、これ以上人数が集まらないのであれば、城の外に出て迎え撃って戦う・・・積極策を主張します。
大野治長は・・・これを無謀とし、籠城し持久戦を主張します。
大阪城での籠城策で行くことが決まります。
信繁が兄・叔父が徳川方だったために、豊臣方から本当に味方なのか??疑われていたようです。
おまけに豊臣方上層部が牢人たちの意見を聞かなかったのです。
牢人たち同士も、功名を競い合い、意思疎通ができなかったから・・・内部がガタガタだったのです。

籠城戦と決まったからには守りを固めないと・・・!!
難攻不落の大阪城の南に大きな砦・・・真田丸と作ります。
徳川軍を苦しめた真田丸。
信繁はそこに徳川軍を追いつめる策をめぐらせました。
1か月の突貫工事で作られた真田丸。

真田丸の本体は、馬出しのようなものでした。
①位置
大阪城は、北・東・西は、水に囲まれた天然の要害でした。
しかし、南は平坦な大地・・・徳川はここからくる・・・??
ここに真田丸を築きます。
②地形
真田山と宰相山を外郭として利用し、城内との高低差は10mあり、高いところを防御の拠点としました。
谷も利用します。谷を砦の背後に置き、堀を作り、大阪城に容易に攻め込まれないようにします。
③構造
本隊の前には複数の柵があり、ただの丸馬出しではなく、小さな曲輪がありました。
守りながら攻撃力を高める!!
まさに無敵の砦でした。

1614年11月18日・・・家康は、大阪城の南にある茶臼山に本陣を構えました。
徳川19万5000は、完全に大阪城を包囲し、真田丸の前には、前田隊、井伊隊、松平隊2万もの軍勢・・・信繁は、これらをわずか6000の兵で迎え撃つことになります。

12月4日午前2時・・・
先制攻撃を仕掛けたのは前田勢。。。これは、信繁が挑発したからです。
前田勢は信繁の策にまんまとはまり、真田丸と惣構からの一斉射撃で多くの犠牲者が出てしまいました。
事態に気付いた徳川・・・退却する!!
しかし、後方から大軍が来ていたために味方同士が大混乱となってしまいました。
信繁の戦法は、真田丸と惣構の連携を生かして、敵を思い切り引き付けるというものでした。

混乱する敵軍を見た信繁は、門を開いて兵を出撃!!徳川方に大打撃を与えました。
松平、井伊勢も真田丸に攻撃しようとしますが・・・一向に攻め込めず・・・
真田丸からの銃撃によって次々に倒れていきました。
信繁の作戦は成功し、一気に名を高めたのです。
家康は。。。大坂城や真田丸を落とす裏工作を数々行っていたようですが、内通者も見破られ・・・なかなか大坂城を落とすことができません。
徳川方は食料不足に悩まされ、輸送に使っていた牛や馬まで食べている緊迫した状況でした。
これ以上の戦は難しい・・・と、思った家康。。。
当時の最新兵器”大筒300門”を用意し、大坂城う激しい攻撃を・・・!!
響き渡る拷問に精神的に打撃を受けた豊臣軍・・・
12月18日和睦交渉。
徳川方の攻撃で淀の方の侍女が亡くなり、淀の方が怖気づいてしまったため・・・ともいわれています。
おまけに、豊臣方の武器・弾薬が不足していたともいわれています。
12月19日和睦成立!!

①秀頼の領地を確保すること
②牢人たちの罪を問わないこと
の代わりに、大坂城二の丸惣構(三の丸)の破却と堀を埋めたてることを認めさせました。

家康は和睦が成立すると、20万人を動員し、二の丸と惣構の堀を1か月で埋めてしまいました。
難攻不落の城は丸裸・・・残るは本丸のみ!!
この時、真田丸も破壊されてしまいました。
大坂城の防御機能を完全に破壊した家康は、内部工作に打って出ます。
目を付けたのが信繁・・・
冬の陣で勝てなかったのは、信繁の想定外の活躍だったからです。
徳川方についていた叔父を利用して引き抜きにかかります。
一度目は10万石、二度目は信濃一国・・・それでもきっぱり断ります。
実の兄がいたにもかかわらず、これを拒否する信繁・・・どうして・・・??

信繁は、九度山で貧困していた自分に、大坂城入城を誘ってくれた秀頼に恩返しがしたかった・・・
九度山で朽ち果てるよりも、武士としての意地があったのです。
そして何よりも、父の時代から続く徳川との因縁があったからです。
徳川に着く気はなかった・・・。


死を覚悟して臨んだ夏の陣・・・赤備えで戦に臨みます。
1615年3月・・・大坂冬の陣での和睦成立からわずか3か月・・・
家康は再び諸大名に声をかけて戦の準備を始めました。
徳川軍15万5000VS豊臣軍わずか5万5000!!

大坂城の南に集結した徳川軍に対し、豊臣軍は迎え撃つ作戦は・・・
徳川軍の先鋒隊を引き付けてはたたき、引き付けてたたき・・・最後は秀頼軍が5万の兵で出陣し、全軍で秀吉軍に突撃し、徳川軍が気後れしたところを紀州街道からきた援軍と挟み撃ちにする!!というものでした。

戦いの火ぶたが切られました!!
信繁隊は茶臼山に陣取り、全軍で前に出て対峙したのは松平忠直です。
この時信繁は、忍びを使い「徳川方の浅野長明晟が裏切った」と、偽の情報を流します。
戦に不慣れだった忠直隊は、これに驚いて逃げ出す者が続出!!
隊が崩れた忠直は、もはや戦うのは無理と、退却し始めました。
これを見た家康は旗本に行かせるものの・・・収拾がつかなくなってしまいます。
この間・・・敵を縫って家康本陣に攻め入ったのは信繁でした。
撃退されても果敢に突撃!!突撃!!
ついに、家康の馬印を破壊し、隊を混乱させることに成功します。
家康に自害を考えさせるほどのピンチにさせるのです。

この時信繁と大野治長は勝利を確信し、総大将である秀頼の出陣は今しかない!!と考えます。
大野治長隊が、秀頼を呼びに大坂城へ戻りますが・・・これが風向きを変えてしまったのです。
治長は血まみれでボロボロ・・・わずか10騎を連れて戻ったのですが・・・その姿を見た見方は、治長が負けてのどってきたのだと誤解し、動揺!!混乱してしまったのです。
その一瞬のスキを家康は逃しませんでした。
豊臣方の混乱に乗じ、前進を再開したのです。
信繁は、秀頼がなかなか来ないことにしびれを切らし、家康の本陣に再び攻め入ります!!

「狙うは家康の首・・・ただ一つ!!」by信繁

しかし、その願いはかないませんでした。

その死については諸説あります。
通説では、信繁が戦の傷をいやすために安居神社付近で休んでいたところを徳川方に見つかり・・・
「首を取って手柄にするがいい・・・」と、斬られて死んだとされています。
現在有力とされている説は・・・生國魂神社、勝鬘院の間を移動している際に、徳川方の武将・西尾仁左衛門と出会います。
西尾は信繁と知らずに勝負を挑み・・・西尾の槍で命を落とし首をとられてしまったというものです。

1915年5月7日・・・45歳で戦死。。。
命を懸けて守った大坂城が陥落したその日・・・無念の死でした。

翌日・・・秀頼、淀の方は自害、栄華を誇った豊臣家は滅亡し、戦国の世が終わるのです。
宿敵・家康を追いつめた真田幸村こと真田信繁・・・
突撃を重ねるその雄姿は・・・「日の本一の兵」として、現在にまで語り継がれています。

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先日のBS歴史館です。

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柳生宗矩さんです。名前だけで、うっとりしてしまいます。(* ̄∇ ̄*)

剣術で平和を作り上げた男です。この剣術とは、ご存知柳生新陰流です。剣術とは、人を斬るためのもの、つまり凶器でしたが、この柳生新陰流は、人を殺さない剣、活人剣でした。

(命を)取らず、切らず、勝たず、負けざる剣だというのです。

将軍家兵法指南役、柳生宗矩は、戦国から平和へと流れる世の中で、殺人刀から活人剣へ、やって良い事と悪い事の仕分けを行った人物でした。剣術を人を活かす為に使ったのです。

徳川実紀にも、柳生宗矩の活躍や、人を殺めたという記録は残っていません。では、一介の剣客が、どのようにして徳川三代に仕え、閣僚になり、どのようにして大目付までに出世したのでしょうか?

この柳生宗矩、有名な柳生十兵衛の父です。天下一と謳われながら、武勇伝はありません。というのも、いわゆる機密工作(スパイ活動)に当たっていたせいか、記録は残っていないのです。

もともと、柳生の里の剣術使いでしかなかった男を変えたのは、家康との出会いでした。

関ヶ原を遡ること5年前・・・。家康は、京都にて宗矩と、父石舟斎との試合を見ました。宗矩が刀を持ち、石舟斎が素手だったこの試合、宗矩が吹っ飛んで終了します。これは、柳生新陰流、・無刀取りといわれる技ですが、それを見た家康は、石舟斎に指南してくれるよう申し入れます。

が、歳もあり、24歳の宗矩が指南することになるのです。名もなき若き剣客の、未曾有の大出世の始まりでした。

が、この時代、剣術指南役なんていませんでした。みんな、戦場で、実践で強くなるのですから・・・。でも、家康はお稽古事が大好きで、弓も剣も習っていました。だから、剣術指南役は、天下を取った家康を真似て、各大名が指南役を置きだしたのです。

話は反れましたが、宗矩は、1571年奈良市柳生町で柳生但馬守宗厳の5男として生まれます。

では、柳生新陰流とはどのような剣術なのでしょうか?この”陰流”とは、室町時代に始まった剣術の流派のひとつをついでいます。陰流とは、刀・片刃の剣を指します。当時の最高水準の剣術であったそうです。

”陰”というのは、”陽”(隙間)が入らない=刀の陰に隠れるところから始まります。相手の目線から外れ、相手が攻め込んできたところを打たせて勝つ、というもので、気を起こし、殺気を感じ、自分を守るのだそうです。

また、禅の考え方も取り入れ、沢庵に師事し、死の恐怖を克服し、悟りを開く剣術を作ろうとしたのです。

武道を通じて、人格を養う、精神的な面を大切のしました。
「兵法は人を斬るにあらず 悪を殺すなり」剣を取らない剣豪の誕生でした。

この頃はまだ、秀吉の時代、朝鮮征伐で不満が爆発し、徳川家康への期待が高まっていました。
この、一介の剣客が重用されるようになったのは、剣術以外でも、例えば諜報、スパイ活動に長じていたからでした。

宗矩の本当の武器は何だったのでしょうか?

天下分け目の関ヶ原、どうすれば石田を始末できるのか?宗矩の使命は伊賀者甲賀者と通じ、石舟斎と共に西軍の背後を撹乱する工作でした。これは、彼が、忍者との係わり合いが深く、情報収集のネットワークとして使っていたからでした。東軍、西軍、徳川の見方に引き入れる為に・・・。

この後、宗矩は1000石の旗本となります。将軍家指南役となりました。柳生新陰流が日本一のブランドとなった瞬間でした。

大坂の陣では、城の攻撃の責任者に抜擢されます。例えばお堀を埋める・・・。とか、案を出したのかも知れません。

千姫の救出作戦は、本当にあったかどうかはわかりませんが、豊臣家の家臣、大野治長が、命乞いの為に大阪城の外に出したのではないか?といわれています。

しかし、この大坂の陣で、宗矩が何をしたか?という正式な記録はありません。が、一介の剣客にはふさわしくないダイナミックな考え方で、彼は間違いなく徳川家のCIA長官だったのです。

彼が使った忍者とは?もともと、伊賀たや甲賀は山の中。米や作物はなかなか取れず、貧しい生活を送っていましたが、いつの頃からか”情報”を売って生活するようになっていたのです。そしてそのためには強くなる=忍術や剣術を使い、雇われ傭兵のようになっていったのです。

柳生家も、徳川家に仕えるまでは、組織としてフリーランスの状態でした。つまり、石舟斎が息子を家康に仕えさせたのも、石舟斎自身には色々なしがらみがあったからなのです。

江戸時代に入り、元和えん武という時代がやってきます。武器を納めて使わない、という時代です。

そんな中、坂崎出羽守の暴発が起こります。
これは、千姫の結婚について・・・
  ①自分にくれるといったのに、秀忠が約束を破った
  ②結婚相手を探したのに、反古にされた。

何が理由かわかりませんが、この反乱事件を一任されたのが宗矩でした。
屋敷に単身、丸腰で行き、説得します。幕府は、自害するならば、それと引き換えに家名は存続させると約束します。出羽守は切腹、この事件の解決が宗矩の評判を高めますが、幕府は家名の存続を撤回し、家はお取り潰し、所領は没収となるのです。

宗矩は、幕府が約束を反古にしたことに心を痛め、息子や家臣を引き取っています。

以前はこのような反乱があった場合、武力を持って征するのは当然でしたが、これを機会に話し合いの時代に入ったのです。まさに活人剣、柳生流の真骨頂でした。

「収まれる時 乱を忘れざる 是兵法也」
平和の時こそ火種は消さなくてはならない。これをスローガンに、忍者を使い、各地の大名の弱みを握り、ブラックリストを作ります。今後、大名の「改易」を一身に背負い、幕藩体制を支えるのです。

台風による水害で壊れた城を修理した安芸49万石の福島正則を武家諸法度違反として改易、これ以外にも、改易にされた大名は100以上に上ります。

徳川幕府は大名との連合政権でした。つまり、家康や秀忠が支配しているわけではなく、それぞれの国をお殿様が治めているわけです。つまり、すべてが仮想敵国なのです。

それを潰していくのが惣目付であり、そのためには情報ネットワークが必要でした。この仕事が戦争の目を摘むことになるのです。つまり、マキャベリズム(政治において、目的を達成するために、手段を選ばないこと。戦争よりはまし)なのです。

そうして、幕藩体制は磐石なものになって行きます。

秀忠の死と同時に惣目付(大目付)となります。

彼は、貧しく虐げられていた忍者を江戸に集めます。笄町という場所が東京にありますが、これは甲賀伊賀町がなまったものだといわれています。彼らに土地を与えて、影の軍団に市民権を与えたのです。

忍者を正当化し、情報の大切さを知らしめたのです。

彼は徳川三代に仕えます。家康には「天下取り」を、秀忠には「安定」を、家光には「治にいて乱を忘れず」という心構えを教えたのです。

この先、柳生家は残りますが、少なくとも宗矩ほど活躍はしません。十兵衛は実行部隊の隊長で家は継がなかったと思われます。まあ、影なので、輝くことはありませんね。

76歳で生涯を閉じるのですが、家光は「宗矩がいたらどうしただろう?」と、いつも言っていたそうです。

剣術だけではなく、天下の指南役だったのです。

ああ、宗矩と書くだけで、山村聰さんの顔がちらついていました。(* ̄∇ ̄*)
それは、柳生十兵衛暴れ旅でしたね。。。


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