日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:天安門事件

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 歴史を変えた民衆の力・・・
大規模デモ、大暴動、学生運動・・・いま、香港でも大規模デモの真っ最中です。

学生たちが街を占拠し、警官たちと争っています。
しかし、香港は中国の一部。。。
デモは成功するのでしょうか??

中国のデモと言えば・・・25年前の天安門事件。
100万人の人々が軍隊に鎮圧されました。
今回のデモも、天安門事件の二の舞に???
1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊から25年。。。
民衆の力は、世界を変えてきました。
その歴史を変えた民衆の力とは???

1989年6月4日天安門事件。
観光地にもなっている天安門広場。
25年前に、ここで悲劇が起こりました。
学生たちが民主化を求めて天安門に集結・・・。
その数、100万人!!
しかし、中国は中国共産党の事実上の一党独裁、言論の自由は制限されています。
中国政府の行動は???
武力での鎮圧でした。

軍が、武器を持たない民衆に対して発砲!!
100万人は、軍隊に蹴散らされてしまいました。
中国本土でも、民主化を求めてデモが行われましたが、携帯電話もインターネットもない時代、どうして100万人も集まったのでしょうか?

80年代、民主化運動をしていたのは、一部の学生たちでした。
しかし、胡耀邦元総書記の死が、人々を集めていきました。

「民主化運動する学生たちの気持ちはわかる」by胡耀邦

それが、他の幹部が気にくわなくて・・・胡耀邦を追放してしました。
理由は・・・「彼は若すぎる・・・」
当時、胡耀邦は72歳でした。

1989年学生たちが胡耀邦の追悼集会を開催しました。
「辞めさせたのは、間違いだった」と認めて欲しい!!と、政府に要求しましたが、それを認めなかった政府に対して、反政府デモへと発展したのです。

おまけに・・・ソ連・ゴルバチョフ書記長が訪中。
仲が悪かった中ソ対立の終結を宣言しました。
それを世界中に見せるために、外国の報道陣を初めて取材許可していたのです。
多くの外国メディアが中国にやって来ました。
「ここで抗議活動をすれば、私たちの声が世界に届く!!」と、生徒たちは天安門広場に集まってきたのです。
天安門広場で100万人、中国全土では1000万人が街頭に出たと言われています。
しかし・・・共産党はそれを許さなかった・・・。
人民解放軍が人民を攻撃したのです。

軍隊を導入して、徹底的にデモを弾圧していきます。
その結果、中国政府の発表だけで319人が亡くなったと言われています。
が・・・死者数万人という説もあります。

学生たちにこのようなデモをさせないために・・・
・共産党を批判すると逮捕
・天安門事件の参加者は逮捕
・大学で軍事教練

共産党を批判させないために、愛国主義を教え込みます。
かつて中国は、日本にひどい目にあっていて・・・そこから助けてくれたのは中国共産党だ!!ということを教えるのです。
結果的にかつての日本を批判する・・・愛国主義教育が反日感情を育てたのです。
1972年にはパンダ、ランラン・カンカンが来日したりして仲が良くなってきていたのに、天安門事件から日中関係が悪化していったのでした。


1989年11月9日ベルリンの壁崩壊
ここから冷戦終結、ソ連崩壊が始まったとも言えます。

世界各国がアメリカ陣営とソ連陣営に分かれて争っていた東西冷戦。。。
ドイツの西はアメリカ、東はソ連陣営に分かれていました。
資本主義の西ドイツは経済が発展し、言論の自由を保障。
社会主義の東ドイツは経済が低迷し、自由は制限されていました。
多くの家族や友人たちが壁で分断していました。
壁を越えようとすれば、容赦なく射殺!!
数々の悲劇を生んできました。
その壁が崩壊したのです。


kabe
そのベルリンの壁は、言い間違いで崩壊しました。
壁は国境にあったのではなく・・・
首都・ベルリンをも東西に分裂したのです。


東ドイツが西ベルリンに逃げ込まないように・・・西ベルリンを囲んで作ったのが、ベルリンの壁なのです。

当時、西ベルリンの人々は、直通の高速道路などを使って西ドイツとを行き来していました。

そして壁を越えようとすると、射殺したのです。


その崩壊のきっかけは???
当時、ソ連の支配下にあった東ヨーロッパの国々のなかで、ハンガリーが民主化します。

1989年5月ハンガリーとオーストリアの間の国境が解放されました。
東ヨーロッパの国々は、観光ビザ免除協定を結んでおり、観光旅行など一部のビザを免除していました。

そこで東ドイツの人々は・・・東ドイツ⇒チェコスロバキア⇒ハンガリー⇒オーストリアで西ドイツ大使館に逃げ込む!!という抜け道「ヨーロッパ・ピックニック計画」を考えたのです。

このままでは国民がいなくなる!!??
東ドイツは、出国にはビザが必要としますが、これに国民が猛反対し、出国ビザの大幅な規制緩和が決定されました。

その記者会見で・・・発表を間違えてしまいました。
予定では、「誰でも出国ビザを申請できる。」というものでしたが・・・。
「誰でも出国できる。。。すぐに。」と言ってしまったのです。

民衆が、国境に集結してきました。
パスポートを使うことなく、行き来しだし・・・壁を壊し始めたのです。
ここから東ヨーロッパでの民主化が加速して・・・ソ連の支配力が利かなくなって・・・
冷戦終結、ソ連崩壊へと繋がっていくのでした。


宗教が国を変えたイラン革命
イランは、反米でイスラム文化の国と思われています。
しかし、1960~70年代にかけて、米国から援助を受けて近代化が促されました。
欧米文化を取り入れていたのです。
しかし、ひとりのイスラム法学者の革命運動によってイスラム原理主義の国になったのです。

その人物こそ、イスラム法学者・ホメイニ師です。
当時のイランは、パーレビ国王による独裁政権で、欧米化に反対する民衆運動を弾圧していました。
その体制を公然と批判したのがホメイニ師でした。
弾圧をされていた民衆の英雄となりましたが、1964年独裁政権によってホメイニ師は国外追放され、パリへ亡命。。。
しかし、パリからイランの民衆家反体制運動を呼びかけ続けます。
その言葉に民衆たちは立ち上がりました。
その数2000万人!!
これに対し、独裁政権は軍隊を出動させ、無差別攻撃によって3000人の民衆が死亡しました。
これを受けて・・・民衆の怒りは燃え上がります。
ホメイニ師はカセットテープを活用!!
メッセージを吹き込んで、大量に作り、カセットデッキで演説を聞き・・・
そのパワーに押され、独裁者パーレビ国王は国外へ逃亡!!
民衆による革命が成功した瞬間でした。
1979年ホメイニ氏は15年ぶりに帰国。。。
民衆のパワーも加わって、イスラム原理主義の国へと進んでいったのです。
この革命は、日本にも影響しました。
石油にばかり頼っていてはいけない!!ということで、原発推進をするきっかけとなったのです。


黒人たちの怒りが爆発!!ロス暴動。
1992年黒人に暴行した八区人警官らが裁判で無罪に・・・
これに抗議をした黒人たちが暴徒化!!
店先の商品の略奪、放火、暴行、警察も手が付けられなくなるほど・・・
死者53人負傷者約2000人、被害総額は1300億円とも言われています。

根深いアメリカの人種差別が原因でした。
1963年ワシントンで・・・
奴隷解放宣言から100年目のこの年に、人種差別の撤廃を求めて黒人たちがリンカーン記念館に集結しました。
その数20万人以上。
そこで行われた20世紀最高と言われたキング牧師の演説。。。

「私には夢がある
 ある日 この国が立ち上がり
 すべての人間は生まれながらにして平等という この国の心情を
 真の意味で実現させるという夢が

 私には夢がある
 私の4人の子供たちが 
 ある日肌の色ではなく 人物の内容によって
 判断される国に住むことを」

この演説をきっかけに、世界中が反応し・・・
1964年公民権法が制定されることになります。
アメリカが建国以来悩み続けている人種差別問題は、法律を作っただけではなくなりませんでした。

今年8月にも、白人警察官が黒人少年を射殺・・・。
今でも白人警官による黒人への暴行が行われています。
そんな中、2009年オバマ大統領就任は、初の黒人アメリカ人大統領としてすごいことでした。
が・・・今でも差別は続いています。


天安門事件の再来か???香港抗議活動。
9月28日、学生たちが香港の中心街を占拠。
その数7万人・・・。
警官隊が催涙弾で鎮圧するも・・・学生たちは激しく抵抗!!
10月21日には、学生側と政府の代表との対話が設けられました。
しかし・・・平行線のまま・・・

彼等が叫ぶ民主化とは??
中国みたいになりたくない!!というところがあります。
香港は中国であって中国ではありません。
19世紀半ば・・・アヘン戦争の結果、香港はイギリスの植民地となりました。
資本主義が導入され、自由な経済活動が行われ、急速に発展していきます。

中国は社会主義でした。
中国に返還された時、中国は悩みました。
繁栄している香港を中国化すれば、
「金のガチョウを絞め殺すようなことになる」
このまま・・・繁栄したまま中国に取り入れたい!!
ということで、一国二制度を取り入れました。
一つの国のなかに、通貨、法律など2つの制度があるというものです。
資本主義のままにしたのです。その保障は50年・・・
つまり、2047年までは、自由を保障されているのです。

どうして自由な香港で若者が立ち上がったのでしょうか?

共産党による中華人民共和国ができた時に、共産党支配を嫌った人たちが香港に逃げ込んだということがあります。
その子供たちが今デモの若者なのです。

そんな中、行政長官・・・香港特別行政区のTOPの選挙方法が変わることになりました。
この行政長官は誰でもなれるわけではなく、1200人からなる選挙委員会が選出します。
この親中国派の1200人だけが投票できるのです。

香港の民衆は、長年全員での投票を訴えていました。
2007年中国政府は2017年の行政長官選挙は全員投票で実施してもいいと決定しましたが。。。
その内容に民衆が激怒したのです。

満18歳以上ならだれでも投票できるとしましたが、立候補できる人は・・・
親中国派が多いとされる指名委員会が、候補者を事前に2~3人指名するというものでした。
中国共産党の言うことを聞くだけの人を選ばなければいけない・・・!!
これは自由ではない!!

と、反対運動を始めたのです。

今、中国は、香港に頼らなくてもいいような経済成長をしています。
香港に自由を与える必要もなくなってきたので、香港の中国化を進めているのかもしれません。

今もなお抗議活動をしていますが・・・??

歴史は名もなき民衆の力で動かされることがあります。
そして、日本を良くするためには・・・学ぶべきところもたくさんあります。

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中国の失敗と発展・・・
中国現代史は、・・・反日のルーツは天安門事件に始まります。

中国のインターネットで”六四”と検索しても出て来ません。
6月4日・・・天安門事件の日の隠語です。
中国当局は、この事件のあったことを闇に葬りたい・・・若者たちに知られたくないのです。

どうして出てこないのか??

中国にはサイバーポリスが5万人以上いるとも言われています。
ネット・ブロク・ツイッター・メールなどを調べていて、「六四」「天安門事件」などのキーワードが出てきたら直ちに削除しているのです。

そして。。。
天安門事件や民主化のことをつねにブログにアップしていると拘束されます。
なので最近の隠語は「5月35日」となっています。
これも削除対象となっています。
で・・・「8の2乗」になったものの・・・これも気付かれ、削除対象になってしまいました。
厳しい言論統制がされているのです。

1989年6月4日が天安門事件です。
その少し前・・・中国で民主化運動が活発になってきていました。

その頃、ソ連のゴルバチョフ大統領が民主化を進めていました。
長い間、睨み合っていたソ連と中国が歴史的な和解をする為に、ゴルバチョフが中国にやってくることになりました。
それを世界中のメディアが取材したいと、中国側に申し入れしたのです。
当時の中国は、海外メディアを入れることはほとんどなかったのですが、この時は受け入れよう・・・となり、海外から多数のメディアが北京に取材にやって来ました。

中国の若者たちは、この民主化運動を世界に発信してもらおうと考えたのです。
メディアがあれば弾圧されないだろう!!と、天安門広場に大勢の若者たちが集まってきて座り込みをし、民主化運動を求めたのです。
共産党の支配には反対せずに、汚職や格差社会の改善を要望する運動だったのです。

中国政府は軍隊を使って弾圧します。
中国の軍隊・・・中国人民解放軍は、世界的にも珍しく国家の軍隊ではなく、中国共産党の軍隊です。
なので、国の言うことを聞かないで、中国共産党の言うことだけを聞きます。
学生の排除に向かいます。

戦車の前に立ちはだかるひとりの学生。。。

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これは勇気ある有名なシーンですが。。。
この学生は軍隊によって連れ去られ・・・行方がわかっていません。


全国から集まった学生たちが民主化を求めて集まったのですが。。。
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軍隊によって制圧されてしまいました。
学生の民主化運動は、中国共産党の統治のあり方に対する異議申し立てでした。
中国のTOPや幹部たちは、だれも選挙で選ばれていません。
選挙が存在しないのです。
各国のリーダーは、国民の選挙によって選ばれています。だからこそ、正当性があるのです。
中国は???
正統性が問われたのです。
共産党の危機が・・・??
ここから中国の”一大愛国運動”が始まるのです。

「国を愛しなさい」「中国共産党を愛しなさい」
かつて・・・日本の軍隊によって中国が蹂躙されていた・・・それを共産党が追い出した・・・
だから共産党が中国を統治する正統性があるのだ!!という言い方をしたのです。

「愛国運動⇒日本がいかに酷いことをしたかを宣伝⇒反日教育」となったのです。
中国の若者たちが、昔から反日だったわけではなく、天安門事件を教訓にした中国共産党が、徹底的に共産党が素晴らしいという教育をし、結果的にそれが反日教育となったのです。

中国の反日のルーツは天安門事件だったのです。


ここまで来た中国の現代史は??
1949年10月1日に中華人民共和国ができます。
毛沢東が建国を宣言したことに始まります。
毛沢東は、大躍進政策をとります。

daiyakusinn


















当時中国はソ連と仲がよく・・・
1957年に、ソ連のフルシチョフ第一書記は「15年以内にアメリカを工業生産で追い抜くと宣言しました。
社会主義の方が優れている??
中国はソ連よりも貧しい・・・ソ連が15年でアメリカを抜くと言うなら、中国は15年でイギリスを抜こう!!と宣言したのです。
そのうち、「15年ではなく、5年でイギリスを追い越してやる!!」となるのです。
それが大躍進政策なのです。
どうしてイギリスは世界第2位の工業国なのか???
当時のイギリスは鉄鋼生産が盛んで世界第2位の工業国だったのです。

イギリスに追いつき追い越すためには、中国で鉄鋼生産を高めればいいんだ!!
全国をあげて鉄鋼生産に取り組みます。

yakusinn

巨大な製鉄所が必要なのですが、毛沢東は全国の農家が庭先で・・・製鉄所を作ればすぐにイギリスを追い抜ける!!と考えたのです。
農家で鉄を造る・・・これが悲劇を生み出します。


ただ鉄をつくれと命令され・・・
耐火煉瓦をつくる技術がなければ、そもそも鉄鋼生産は無理です。

古い寺院など・・・歴史的由緒ある建物をどんどん取り壊して、その連歌を使って炉を作りました。
石炭も要りますが・・・石炭もないので、山の木を・・・畑の木を全部切って燃料として燃やし始めます。


鉄鉱石がないと鉄は作れませんが。。。
鉄鉱石がない中で「鉄を造れ」という命令だけ・・・目標だけが与えられます。

身の回りにある鉄製品・・・鍋・釜を炉の中に投げ入れます。
鋤や鍬までも・・・
しかし、これで品質のいい鉄が造ることなどできません。
本末転倒なのです。
本業の農業までおろそかになっていきます。
結果的に農業の生産性がどんどん落ち込んでいm/きます。

きちんとした計画のない・・・産業の基盤がない中でしたからといって、経済が発展することはないのです。
経済は上からの命令ではなく、大勢の参加者のいろいろな思惑によって動いていく・・・これが経済行動なのです。



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