日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:奇兵隊

面白き
  こともなき世に
          面白く

幕末、長州藩を率いて幕府と戦った高杉晋作の歌です。
理想に燃え、仲間の死に涙し、そして無鉄砲とも思える勇気で時代を動かした男です。
明治維新の先駆けとして活躍した長州の風雲児・高杉晋作。
晋作の代名詞と言えば奇兵隊・・・
身分の枠を超えて兵を募集した画期的な部隊です。
最新兵器で武装し、変幻自在に戦いを仕掛ける奇兵隊・・・晋作は戦の天才と言われました。
しかし、戦場から戻れば和歌を嗜み、三味線にも興じました。
誰もが晋作に憧れたといいます。
一見、誰にも縛られない粋な風流人・・・
ところが、事実は全く逆でした。
武士の家に育った晋作には、常に家名を汚すなというプレッシャーが襲いました。
人生を教えてくれた恩師との早過ぎる別れ。
夢を抱いて習った西洋航海術も、モノになりません・・・!!
教師に意見が通らず、酒に溺れ、頭を丸めることも・・・。

しかし、時代は晋作を求めていました。
長州藩取り潰しを狙う幕府に対し、仲間に決起を訴えかけます。
最初はたった80人でした。
晋作がつけた小さな炎は、やがて長州藩全体を燃え上がらせ、大きなうねりとなって日本中に広まっていきます。
しかし、そのさ中・・・晋作を待ち受けていたのは不治の病でした。

1862年、江戸時代の末、限られた人しか外国に行けなかった時代・・・
高杉晋作は、船の上から上海の街並みを見ていました。
幕府が作ったおよそ40人の視察団に、長州代表として参加したのです。
晋作は、かねてから外国に行くことを望んでいました。
どうして海外を目指したのでしょうか?

日本海を望む山口県萩・・・
1839年、この城下町に高杉晋作は生まれました。
高杉家は戦国時代から藩主毛利家に仕える名家です。
晋作の父・小忠太も、藩主の傍で要職を務めていました。
晋作は、高杉家の跡取りになるために厳しく育てられました。
特に、父の言うことには絶対に逆らえませんでした。
しかし、外では負けん気の強い性格が抑えられず・・・

15歳の時、晋作は、父と共に江戸に向かいました。
そこで目にしたのは、巨大な黒船・・・!!
1854年、15歳の時ペリーが来航。
ペリーは軍事力を背景に、日本に開国を迫ります。
大混乱の江戸の町・・・晋作は、激動の時代の始まりを肌で感じていました。
西洋列強が日本に迫ってきているのが、黒船を見ることによってリアルに感じられました。
これからの日本という国の形が変わっていく・・・彼の中で大きなテーマとなります。
この時、高杉晋作と同じ長州藩の中に、黒船に密航しようとした者がいました。
吉田松陰です。
晋作より9歳年上の兵学者で、若い頃から藩主にその才能を称えられていました。

1857年、18歳の時に萩に帰って吉田松陰の松下村塾に通い始めます。
松下村塾には、幼馴染の久坂玄瑞、後の総理大臣の伊藤博文も参加していました。
塾には自由な空気が流れ、時間の制約もなく、身分の制約もない・・・
熱い議論を交わしたといいます。
世界の情勢についても学びます。
そんな中、松陰の唱えたのは攘夷論でした。
松陰は、日本は西洋列強に学び力をつけ、その力で西洋を打ち払う攘夷を行うべきだと主張しました。
しかし、松陰の訴えと過激な行動は、一般の人たちには危険な行為としか思えませんでした。
そのため、晋作の家族は松下村塾に行くことを禁じます。
しかし、晋作は深夜にこっそりと松下村塾に通ったといいます。
国防論についても尊王論についても現実的で、そんな話が晋作は心底好きだったのでしょう。
日本の国を何とかしなければ・・・という積極的な燃えている炎があったので、松陰に引き付けられたのでしょう。

1858年、19歳の時に江戸に再遊学
この頃、藩の上層部に海外留学の希望をかなえてほしいと強く願い出ています。

”お願いしておりました私の洋学修行の件、どうなりましたでしょうか
 一刻も早く取りかからないと、手遅れになります”

ところが、この海外渡航の夢にも暗雲が立ち込めます。
晋作が江戸に来た年、幕府による危険分子の弾圧・・・安政の大獄が始まりました。
そして、晋作の師、吉田松陰も江戸の牢に投獄されてしまいます。

晋作は、牢に入った松陰のため、文具や書物を工面するなど奔走します。
この頃、晋作が感銘を受けた松陰の言葉があります。

”死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし”

そして松陰は・・・過激な思想の持ち主として処刑されました。

”松陰先生の仇は必ず取る
 しかし、主君も父もいて、わが身はわが身のようでわが身ではない”

それからおよそ5か月・・・20歳になった晋作に、海外渡航のチャンスが巡ってきました。
幕府の軍艦教練所で航海術を学び、様式軍艦の訓練をせよと命が下ったのです。

”男子としてこの宇宙に生れたのだ
 筆や硯の家来などになっていられない”

しかし、毎日書き続けていた日記がある日から書かれていません。
航海術の勉強を放棄したのです。
理系の航海術が得意ではなかったようです。
航海術は挫折したものの、藩主の跡継ぎの側近となります。
そして今度こそ、海外へ行くチャンスが・・・
1862年、22歳で海外視察団の一員となります。
行先は、清国の上海・・・晋作22歳、遂に海外に飛び出す時が来ました。
病に倒れる4年前のことです。

幕末・・・身分制度に縛られた世の中に、新風を吹き込んだ人がいました。
武士から商人、浪人に至るまで身分を問わず志ある者で編成された革新的な集団・・・その名も奇兵隊です。
創設者は、高杉晋作です。
晋作はどうして奇兵隊を作ったのでしょうか?

1860年、20歳・・・上海に渡航する2年前・・・晋作は結婚しました。
相手は城下一の美人と言われた4歳下のマサでした。
晋作はマサと仲睦まじく、上海から手紙を送っています。

”無事にお暮らしとのことめでたく思っています
 長崎でめずらしい高価な反物を買って送りました
 しかし、どうかこの反物で作った着物や帯で人の多いところ、お祭りなどへ出かけないでください
 あなたが武家の立派な妻の手本となれば、私も安心です
 稽古事や和歌の勉強をしながら、家のことをお願いします”

1862年5月、上海に到着
しかし、目の当たりにしたのは、かつての大国・清の惨状でした。
イギリスにアヘン戦争で敗れた清は、外国人が所有する居留地を各地に置かれ、貿易の主導権を握られていました。

”清の人たちは、イギリス人が街を歩けばみな避けて道をゆずっている
 その上、ことごとく外国人にこきつかわれている
 実に上海の地は清に属してはいても、イギリス、フランスの属地といえるくらいのありさまだ”

更に晋作が驚いたのは、イギリス軍の設置した砲弾・・・最新鋭の兵器・アームストロング砲です。
日本にある大砲とはけた違いの威力・・・西洋列強に武力で対抗するには軍備が欠かせない・・・!!
帰国した晋作は、長崎のオランダ商館へ。
最新鋭の武器を買うためです。
現在の価値で10億円の軍艦の契約を、藩に無断で契約!!
しかし、藩の了承を得ることができず、軍艦が買えませんでした。

”国の情勢が切迫している・・・!!”

もはや一刻の猶予もならない・・・!!
晋作は、自らの手で外国人を攻撃し、攘夷を決行しようと考えます。
向かったのは江戸・・・!!
1862年12月、23歳の時・・・
久坂玄瑞や伊藤博文ら松下村塾の仲間たちと共に、品川のイギリス公使館を焼き打ちしました。
極秘に進められたこの計画は、犯人が晋作たちだと判明するのは、明治時代になってからです。

晋作は、長州藩に攘夷のための軍備を主張し続けましたが、なかなか理解が得られません。
自暴自棄になる晋作・・・。
23歳の時、藩の要職を辞して休職・・・さらに、晋作は武士の命である髷を落とし、頭を丸めてしまいました。
酒を飲んではどんちゃん騒ぎの毎日・・・その胸には、むなしさと焦りが渦巻いていました。

”空しく月日を送り 愚か狂か 智か節義か
 なんだか訳も分からぬ人物にあいなり”

そんな中、ある事件から晋作の主張が認められるようになります。
1863年、23歳の時・・・下関事件です。
長州藩は下関を通る外国船を砲撃しました。
長州藩としては、外国船を打ち払い、攘夷を実行したのですが・・・
しかし、すぐに外国船から砲撃を受け、蹴散らされてしまいます。
初めて列強の武力に直面した長州藩・・・軍備の重要性を思い知った上層部が、晋作に意見を求めてきました。
この時、晋作は新しい部隊の新設を進言します。

”有志の士を募り、一隊を創立 名付けて奇兵隊と云わん”

奇襲をかけるなど敵の不意を打つための部隊という意味です。
武士だけで戦うには限界がある・・・戦いに長けたものを広く集め、武士ともども戦闘部隊にしようという考えでした。
志があればだれでも入隊ができる・・・
中での扱いも身分の上下はない、実力で決めていく・・・!!
後に庶民も入ってきて、それを軍事力として利用していきます。
封建社会を壊す一つのステップになりました。

1864年、25歳の時に四国(イギリス・フランス・アメリカ・オランダ)連合艦隊が下関に来襲。
前年に行った長州藩の攻撃に対し、更なる報復に出てきたのです。
この時、晋作の奇兵隊も初陣を飾ります。
しかし、圧倒的な戦力の四国連合艦隊にあえなく惨敗・・・
そればかりか、沿岸の砲台まで占拠されてしまいました。

追いつめられた長州藩は、戦いを諦め停戦交渉を行うことに・・・。
圧倒的に不利な仲での和平交渉に誰もがしり込みします。
結局、頼りにしたのが晋作でした。
藩の全権を任された晋作は、船に乗り込みます。
その姿は、家紋が入った直垂、黒の烏帽子・・・家老の正装でした。
居並ぶ提督たちに格で負けないように家老の息子だと偽っての交渉でした。
列強の代表は、安全な航行のための砲台撤去や、補給のための下関港への立ち寄りなどを求めます。
その上、300万ドルという巨額の賠償金を求めてきました。
これは、長州藩の年間予算の10倍でした。

こんな大金を払えば、藩の財政は壊滅・・・強硬な姿勢を崩さない外国人を前に晋作は言い放ちます。

”長州には、主君の為に命を捨てることなどなんとも思わないものが大勢いる
 もし、戦争を続けるというのならば、最後の一人になるまで戦うつもりだ”

この晋作の気迫の前に、賠償金は一銭も払われませんでした。
藩の存亡をかけた停戦交渉に成功した晋作、この時25歳。
病に倒れる1年前のことでした。

1864年12月、長州藩が幕府の圧力に屈しようとしている中、晋作は反乱を起こします。
晋作の呼びかけに応じたのは、最初はわずか80人ほど・・・長州藩は2000もの兵を動かし反乱を押さえようとするものの、戦いが進むにつれて晋作に共感するものが増え・・・800人にまで膨れ上がりました。

1864年7月、長州藩は、兵を率いて京に上りました。
御所で天皇に嘆願し、長州の地位回復を狙ったのです。
そこで、御所を警備する有力藩と激突・・・禁門の変です。
この戦闘で、長州藩は敗北し、晋作の仲間も命を落とします。
その中には松下村塾で共に学んだ久坂玄瑞もいました。

”後れても後れてもまた
 君たちに誓いし言を
 吾忘れめや”

この事件をきっかけに、幕府は長州征討を決定!!
15万を超える兵を動員します。
この動きに対し、長州藩は真っ二つに割れます。
幕府に抵抗し戦いも辞さない抗戦派と、幕府に謝罪して従うべきという恭順派です。
晋作は、抗戦派を支持していました。
しかし、藩の存続を優先するべきという恭順派が主導権を握ることとなります。

長州藩は幕府に従う証として禁門の変に関わった家老3人を切腹させ重臣たちを処刑しました。

”処刑の知らせを聞き 胸中やけるがごとく
 藩が受けた辱めをそそぎたい”

もはや武力決起しかない・・・!!
晋作は、奇兵隊の元へ・・・!!
晋作は隊士たちに恭順派の打倒を訴え決起を促します。
しかし、それに応える者はいませんでした。
この時奇兵隊は、自分たちの地位を保証してもらう代わりに藩の方針に従うという約束を交わしていました。

”この腰抜けどもが!!
 ぼくは毛利家300年の家臣だ
 たとえこの身が打倒されようと忠義を尽くす”

晋作が次に向かったのは、松下村塾の同志・伊藤博文の元でした。
この時伊藤は、下関で力士隊を率いていました。
伊藤は晋作の訴えに共鳴します。
他の部隊からも続々と集まってきました。
晋作は、約80人あまりの同志と共に決起します。

自分が死んでも自分の志を誰かが引き継いでくれるだろう・・・!!

”下関の鬼となり討ち死にする覚悟
 これより長州男児の肝っ玉をお見せする”

晋作は下関の役所を狙い、占拠することに成功。
この騒ぎを聞きつけた商人が資金援助を申し出ます。
次に晋作は、長州藩の海軍局へ・・・そこで軍艦三隻を手にします。
一方奇兵隊にも変化が・・・藩に反旗を翻します。
やがて奇兵隊は、晋作の隊に合流・・・
晋作がつけた決起の炎は、800人にまで燃え広がりました。
1月7日、ついに奇兵隊と藩兵が激突!!
最新式の銃を使いこなす奇兵隊は圧倒的勝利をおさめます。
すると藩の上層部に変化が・・・。
晋作の主張を受け入れなければ内乱はおさまらないと判断し、恭順派が更迭され始めます。

そして決起から40日後・・・藩主は徹底恭順の方針を撤回。
幕府へは恭順の意を示すもののもし攻撃を受ければ最後の一兵まで戦い抜くという武備恭順の方針を固めます。
この決起をきっかけに、晋作は長州藩の指導者の一人になるのです。

晋作が25歳の時に、マサとの間に待望の長男が誕生します。
名は梅之進・・・自分の好きな花の名で、溺愛しました。
しかし、晋作には家族と共に過ごす時間は残されていませんでした。
1865年9月、長州藩が敵対的な態度に変わったことを察知した幕府は、再び長州征討に乗り出します。
長州藩は徹底抗戦の構え・・・幕府との戦いの大義名分を文章にして民衆に示し、士気を高めていきます。
長州藩全体が沸き立つ中、25歳の晋作は、原因不明の病にかかっていました。

”腹痛がひどかったが、少し良くなった
 征長軍との戦いまでは命を保ちたいと鬼神に祈っている”

1866年6月7日、幕府軍は長州藩を取り囲み、四方向から攻めてきました。
長州藩の存亡をかけた戦い・・・幕府軍の兵数は、長州軍のおよそ50倍だったともいわれています。
しかし、晋作は怯むことなく最前線で指揮を執り、敵艦に奇襲をかけています。
小型の船を使った奇襲は大成果を納め、200隻余りを焼き払いました。
これをつぶさに見ていたのが土佐の坂本龍馬です。
龍馬は長州藩に味方し、軍艦を率いて参戦していました。

”晋作は兵士たちを鼓舞し、敵を打ち破り敵陣の陣幕屋旗などを奪っていった”

6月22日・・・激戦のさ中、晋作は突然倒れてしまいます。
不治の病と言われた肺結核でした。
それでも晋作は、病床で作戦会議を行います。
敵を蹴散らし進めと長州男児たちを鼓舞し続けます。
しかし、病は悪化・・・
喀血を繰り返すようになり、8月には戦線離脱、下関にある友人の家で療養することに・・・

晋作が最前線で戦う仲間に送った手紙は・・・

”進撃や勝利に大変喜んでいます
 体調は日々よくなっていますが、戦場に赴くほどではありません
 ご笑殺ください”

この頃、晋作を看病したのは愛人のうのでした。
元々下関の芸者だったうの・・・晋作が口説き落として一緒に暮らすようになったともいわれています。
うのは優しい性格で、正妻のマサといがみ合うこともなく、明治になっても二人の交流は続いたといいます。
そんなうのの看病の会もなく・・・晋作の病状は悪化の一途をたどります。
余命いくばくかの晋作の元へ、萩からマサと梅之進がやってきました。
医者が最後の別れに呼んだのです。
この時晋作はこう言います。

”しっかりやってくれろ・・・しっかりやってくれろ・・・”

そんな晋作の心の支えになったのはアルバムです。
そこには松下村塾からの盟友伊藤博文をはじめ晋作と深くかかわった人たちの写真が・・・
それだけではなく、アメリカ合衆国16代大統領のリンカーン、イギリスのビクトリア女王の写真まであります。

翼あらば
 千里の外も飛めぐり
よろづの国を
   見んとぞおもふ

1867年4月13日、晋作の命の炎が静かに消えました。
27歳でした。
最晩年に詠んだ歌が残っています。

面白き
   こともなき世に
          面白く

晋作がこの世を去ってから半年後・・・日本は明治維新を迎えます。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

戦国時代ランキング

tシャツ メンズ 俺流 隼風Tシャツ【おもしろきこともなき世をおもしろく】漢字 文字 メッセージtシャツおもしろ雑貨 お笑いTシャツ|おもしろtシャツ 文字tシャツ 面白いtシャツ 面白 大きいサイズ高杉晋作 辞世の句

価格:2,380円
(2019/10/29 21:05時点)
感想(0件)

吉田松陰と高杉晋作の志 (ベスト新書) [ 一坂太郎 ]

価格:880円
(2019/10/29 21:05時点)
感想(0件)

高杉晋作 (PHP文庫)

新品価格
¥680から
(2015/9/17 16:14時点)




日本の未来をかけた幕府と長州の戦いが始まりました。
高杉晋作らが幕府軍を撃破したその頃・・・
と、そのお話は終わってしまい、美和が中臈になって興丸様の好き嫌いを治すお話が始まりました。

「幕府軍に勝てたのは、小田村様が幕府軍の足並みを乱してくれたおかげです。」by伊藤博文
・・・「高杉晋作の遺言」の回なのに、晋作のおかげではないのね・・・。
おまけに伊藤によると、興丸がすくすく育っているのは美和のおかげだそうです。
だって、先週まで赤ちゃんだったのに、もう大きくなってるからなあ・・・

あ~、何だかなぁ・・・

私の見たい奇兵隊は、すでに勝利を祝っていました。
そんな中・・・晋作・・・吐血!!

でも・・・そんなことはどうでもいいらしい。。。
「高杉晋作の遺言」なのに。。。

hana4











野菜嫌いの激しい興丸様にこんなことをさせたり・・・

他の女性たちが大変だと怒っていると・・・

hana5











大殿がこんなことをやっていたりして。。。
「そうせい。」

銀姫もアホっぽいし口調だし・・・。
おまけに、この畝じゃあ、何も育たないわよ・・・。
どう見ても土が固い。。。畝っぽく土を乗せただけの美術に見えるのは私だけ・・・??


高杉の病状が悪化していると奥にまで来て言う伊之助。
おまけに、美和に手紙を持ってきました。

「話したいことがあるのでできれば下関まで来て欲しいと。。。」by美和
「行ってくれるか・・・??」by伊之助

宿下がりをしてまで下関に向かいますよ。。。
興丸をほったらかしていいのか・・・??
おまけに、畑の世話まで頼んでますよ。。。
こんな話でいいのか・・・??

下関の外れの庵で養生していた晋作。
かなりのやつれよう・・・。

hana1












なんと、元徳様から世話をするようにと命じられていたようです。
「お前たちも来たとはのう・・・」と、パーンしたら、雅と梅之進でした。
??妻なんだから、来ちゃダメなのか・・・??
それは、おうのがいるからか・・・??
ちょっと出て来てた望東尼は・・・??

「本当に、おひとりでございますね!!」
と、病人にきつい嫌味な一言を言った雅、「さっ!!」と・・・

hana2










結核なのに梅之介膝の上に乗せたらだめだろう・・・。

「家族そろって仲睦まじく。。。」と、晋作らしからぬ??いろいろ話してるんですが・・・美和・・・出て行ってあげてください。。。
それ以上に・・・「それはようございます。」って、お前が相槌打つんじゃないよ・・・。
と、邪魔者以上の何ものでもありません。

そして・・・なんと、「高杉晋作の遺言」とは、「久坂の子を引き取って育てろ」ということでした。
なんだこれは・・・。
明日の日本はどうなったの・・・??って感じ。
長州の全てを託された男のすることがこれか・・・


と、落ち込んでいたら伊之助。
「大義であった。。。」と、大殿に褒められてます。
大きなことを成し遂げた伊之助が幕府に狙われる可能性があるから、「名を改めよと」と言われます。
なんと、大殿の右腕となっていたんだって。
「有り難き幸せ。」と、楫取素彦と名を改めます。

う~ん・・・この頃の人は、みんないくつも名前を持っていました。
伊之助だけではないんですよ。。。狙われていたのは。
晋作もいくつも名前があって・・・最後は谷潜蔵です。

晋作に会いに来た伊之助・・・
まだいたのか・・・美和。
庭掃除なんか・・・妻もおうのもいるだろうに・・・。

またもやお菓子を作って・・・松下村塾を思い出すのでした。
「うまい。。。」という晋作、思い出を語る美和・・・そこには雅は入っていけない雰囲気ですよ。。。

「高杉のことを頼んだぞ」by素彦
「はい」by美和

hana3











薬を持ってきたのはまたもや美和。
さっき・・・家族の時間を持たせてやれてよかったって言ってましたよね、美和。。。
お世話を雅にさせてあげてください。

ウフフ・・・と、いろいろ話していますが、もう、私の耳には入りません。
と、やっぱり子供を引き取れという晋作。
引き取ることは出来ないという美和。

これからの日本が心配でたまらないと、美和に託してますよ・・・
新しい世を。。。
近くにいるじゃないの・・・??あなたが振り回していた伊藤博文が・・・!!!

「新しい日本を作れ!!新しい日本人を作れ・・・!!
 おまえならできる・・・!!美和・・・それが天命じゃ・・・!!」by晋作

と、言わなければならなかったことを必死に言った晋作は、血を吐いて危篤!!
あ~、最期ぐらい家族水入らずで・・・と思っているのに、晋作の最期の手をとったのは美和でした。
何でじゃ~~~!!
なんで、雅じゃないんや~~~!!な、展開です。
いくら託されててもなぁ・・・。
しんみり・・・やっと出ていったよ・・・美和。。。

「おもしろき こともなき世を(に) おもしろく」

波乱万丈の人生を遂げた・・・って言ってるけど、そこをやって欲しかった。。。

享年29歳の早すぎる死でした。

臨終には、雅と梅之進の他、父・小忠太と母、野村望東尼、山県もいたのです。
ま、この句は、最期に詠んだのではない・・・少し前に詠んだ句なので、下の句を呼んだ望東尼は今回欠片も出てきませんでした。
そんななら、なんで前回出したんだろう・・・望東尼。。。
美和よりも随分、重要なポジションなのに・・・
なんとも寂しい最期です。


やっと奥御殿に戻ってきた美和。
なんと、大きく育った小芋!!そんなに行ってたのか・・・??
興丸様も好き嫌いが治って万々歳の美和でした。

で・・・京で戦(戊辰戦争)が始まるという。
元徳の足りない薬を運ぶのは、またもや美和。
久坂の忘れ形見を探したいんだそうだ。。。
妾がいて当然の時代に、奥では久坂に忘れ形見がいたことをブーブーサイテーみたいなことを言ってます。
それって・・・どうよ。。。
元徳様の薬を忘れたお付の者は完全に大失態!!
おまけに届けるのは私情をたっぷり挟んだ美和だなんて・・・。

「ありえね~っつうの!!」て言わしたらどうですか”つくし”に。
ま、江も、神君伊賀越えやってますから・・・いいのか・・・

亡き夫、久坂の忘れ形見を探す為京へと旅立つこととなった・・・
と、ナレーションでは言ってますが、駄目ダメ、本当は薬を持って行くことなんですよ・・・!!
吉田松陰は、私情は捨てて公に生きろって言われたんじゃないの・・・??

  

体は私(わたくし)なり、心は公(おおやけ)なり。

私を役(えき)して公に殉(したが)う者を

大人(たいじん)と為(な)し、

公を役して私に殉う者を小人(しょうじん)と為す。


体は私で、個別的なものであり、

心は公で、普遍的なものでなければならない。

私の肉体を使って、身をかえりみずに公のために

役立てる者は、りっぱな人であり、

公である心を私の欲望のために満足させることに

使おうとする者は、

徳のないとるに足らない人である。


松陰が27歳の時、「丙辰幽室文稿」七生説の中でいった言葉です。


さすが”松陰の妹”というんだったら、松陰の妹を貫いてください。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

幕末・明治時代(日本史) ブログランキングへ 


司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像 (集英社新書)

新品価格
¥821から
(2015/9/17 16:14時点)

月刊高杉晋作

価格:3,908円
(2015/9/17 16:15時点)
感想(0件)

奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 (落合秘史)

新品価格
¥1,944から
(2015/7/4 14:37時点)



赤禰武人・・・長州の奇兵隊第三代総督をつとめた男・・・
「不忠不義の至り」と断罪されて刑死しました。
冤罪だという声もあるにはありましたが・・・長く捨て置かれてきました。

kane
こちらが本人です。

akane


花燃ゆでは、阿部亮平さんが演じてくれています。

こんなに笑っていますが、実は、いわゆる奇兵隊の闇を一人で背負ってくれています。




柱島の島医師・松崎三宅の次男に生まれたといわれています。
15歳の時に妙円寺の僧侶・月性に学び、月性の紹介で浦靱負の郷校である克己堂で学びます。

1856年、15歳の時に短期間でしたが松下村塾で学びました。
その後、長州藩重臣浦家の家老・赤禰雅平の養子となり、陪審ながら武士の身分を手に入れ・・・梅田雲浜の望南塾に入塾します。

安政の大獄で捕縛されるものの、釈放され帰郷。
その後、吉田松陰らに相談し江戸において雲浜の救出を試みるが失敗、藩から謹慎処分を受けています。
1862年4月に謹慎が解かれると、松下村塾メンバーと共に尊王攘夷活動に・・・。
英国公使館焼き討ち、下関戦争に参加、その後、第三代奇兵隊総督となります。

1864年の第一次長州征伐のあと、藩内の幕府に俗論党(椋梨藤太・恭順派)VS正義派(奇兵隊などの主戦論派)の融和を図ろうとしますが、それが二重スパイの疑いをかけられることとなり、いろいろあって高杉らと対立するのでした。
ようやく奇兵隊を残すこととなったのに、高杉晋作またもやの暴走!!

武人は、同志から俗論派のスパイ、裏切り者と疑われ・・・そのせいで脱藩して大坂に逃走!!
その後も、一人で長州藩を何とかしようと頑張りますが、長州藩士に捕縛されて・・・
山口に送られるも、一度も詮議されることなく・・・
「奇兵隊総督当時に、馬関戦争に於いて敵前逃亡した罪」によって斬首され、首級は、出合河原に晒され・・・むごい最期を遂げるのです。

武人の獄衣の背には・・・

「真は誠に偽りに似 偽りは以って真に似たり」

と書かれてありました。

その死に山縣狂介(有朋)が関わっていたという説もあるのですが・・・この花燃ゆではどう描かれるのでしょうか??
もしかして描かれない???

奇兵隊は、上下の関係のないフラットな集団みたいな感じがします。
が・・・本当はそんなことは全くなく・・・
変な言い方になりますが、武士という”くくり”のない集団。。。
粛清に粛清を重ねた新選組の方が、当時の荒くれ者を管理するのには当たり前な感じがします。

もしかすると、闇の部分はこの赤禰武人が全部持って行ったのかもしれません。。。


奇兵隊150年 奔走する幕末最強集団はこちら

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

幕末・明治時代(日本史) ブログランキングへ

司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像 (集英社新書)

新品価格
¥821から
(2015/7/4 14:37時点)

吉田松陰と高杉晋作の志 (ベスト新書)

新品価格
¥864から
(2015/7/4 14:39時点)


長州藩 [ 時空旅人編集部 ]

価格:1,620円
(2015/6/29 05:25時点)
感想(0件)



あ~、テンションあがりませんね・・・この題・・・。
ほんと、こんなのは昼ドラでやってほしい。。。

前回・・・壊滅的に負けてしまった長州・・・敗戦の責任を負ったまま・・・京都へと向かう玄瑞がいました。
攘夷実行に奔走する玄瑞。
お・・・桂さんもいる。。。
でも・・・最重要人物・孝明天皇いないわ・・・。

hana











・・・そんなことを教えてもらっていなかった文・・・。
またもや、晋作の妻・雅からの情報でした。
ま・・・そこが一番可哀想だな・・・。信頼してもらえていないというか・・・。

そして・・・辰路は薩摩藩のスパイとして、玄瑞の情報を探ります。

なんと・・・ひとりで旅立った玄瑞のもとへ・・・長州の志士たちが京都へやってきました。
そして、みんな・・・大きな歴史の渦に巻き込まれていくのです。

みんなが戦いに協力する中、敏三郎も奇兵隊に参加すると言い出しました。
晋作が誘ったのです。
って、玄瑞よりも頼りになるよ・・・晋作。。。

hana2











さすがに・・・「せわあない」では済まない母。。。

が・・・結局、敏三郎は奇兵隊に参加します。
もちろん史実でも志願はしていますが・・・本当だったのかなあ。。。
そんな敏三郎を文が送っていきます。


玄瑞は、三条実美らに働きかけ・・・尊王攘夷派をまとめ御上による大和行幸を実現させようとしていました。
晋作は・・・下関で砲台を造り・・・調練を行っていました。

下関に着いた敏三郎と文。

そこで京で一大事が起きたことを晋作の口からきくのでした。

「久坂を助けに・・・!!」

そう・・・八月十八日の政変ですね。
お・・・薩摩の旗、会津の旗に萌えるわ・・・。

って・・・この八月十八日の政変・・・重要ポイントですが、本当にややこしくて・・・
よーく考えないと理解しにくいんですが・・・
このやり取りをやってくれないのね・・・。

hana5












天子様に銃を向けてはならないと、伊之助に踏みとどまることを命じられる奇兵隊・・・。
すでに、七卿をこちらに迎えて再起を図るというのですが・・・
玄瑞は責任もので切腹かも?と、心配するとか、晋作が奇兵隊総督を免じられこの危機に藩の政に参加するように言いつけられるのですが・・・。

こんな一言で済ませて良いのか・・・。
「七卿落ち」のシーンは無いのか・・・??
待ってるんですけど・・・。

敏三郎を置いて、萩に帰る文がそこにはいました。

hana3










お・・・京では・・・来島又兵衛も登場してきました。
玄瑞にとっての鬼門さんです。

杉家では、敏三郎の手紙に喜んでますが・・・

もっと七卿落ちを・・・!!

最後の決断の時・・・
ここで本当の幕末ドラマを!!
おにぎりや男女のあれこれではなく・・・ここをやってほしかった。

史実とされているのは・・・
妙法院の中で一番大きな建物である宸殿上段の間に着座した七卿・・・
協議の末、長州に落ち延びて再起を図ることを決めました。
苦渋の決断を締めくくるかのように、玄瑞は即興の今様を歌います。
その歌は、「七卿都落舞歌」と題され名作と呼ばれているのです。
すんごいドラマチックなんですが・・・ドラマ的にもしびれるほどの絶好のシチュエーションなんですが・・・。
やってくれません。

長州藩士・阿久根に利用され捨てられた辰路と傷心の玄瑞。。。
辰路の苦労話・・・必要ですか??
神社のおみくじの話必要ですか??
七卿落ちは・・・??

hana4










ふたりのねんごろシーン・・・要らないんですが。。。

「俺はサイテーじゃ・・・」by玄瑞。

サイテーなのは、こんなことを書いてる脚本なんじゃ・・・
やってくれよ!!「七卿都落舞歌」!!
久坂玄瑞、一世一代の見せ場だったんだから・・・!!


で・・・いきなり久米次郎養子の話を手紙でよこしてくる玄瑞。。。
帰ってきたのに京都に戻るという玄瑞。

妻として迎える文は・・・一言相談してくれてもいいのに・・・みたいなことを愚痴っとります。

「俺を見んな・・・京の女と情を通じた。。。」by玄瑞。

やっぱり・・・副題はこの事だったんだ・・・。

悔いる玄瑞がそこにはいました。

って・・・お国の事は??
松陰先生は、私事より国事を大事にしたんだよ
ほんとう吃驚。

個人的には、京に集まった志士たちは、女遊びも盛んだったといいます。
ま、土方歳三がモテてモテて仕方がないと、実家の手紙に書いたのは有名ですが、玄瑞もモテモテだったといいます。
あのお顔の局長・近藤さんもモテモテだった。。。というか、そんなカッコいい男と粋な女が集まっていたんだと思うのです。

ま、玄瑞が文を愛していたか?はよく判りませんが・・・
辰路とのことは、どこまで後ろめたさを感じていたのかは分かんないですよね。
時代が時代ですからね・・・だいたい、遊郭が公然とあった時代です。
個人的には、全く感じていなかったんじゃないかとさえ思えます。
文的には・・・ここで知ってしまうということは、後々”子供がいた”という事実のインパクトも無くなっちゃうんじゃないかと、これからの筋書きに心配を感じます。


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。


にほんブログ村

幕末・明治時代(日本史) ブログランキングへ

  

吉田松陰と長州の志士たち

価格:579円
(2015/6/29 05:25時点)
感想(0件)


奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 [ 落合莞爾 ]

価格:1,944円
(2015/6/29 05:26時点)
感想(0件)



【匠刀房】 人気のリアルな模造刀! 幕末 武士 長州藩士 奇兵隊 高杉晋作 拵 大刀 NEU-033 【代引きOK】

価格:7,780円
(2015/6/19 17:11時点)
感想(0件)




お久しぶりの「花燃ゆ」です。
テンションが上がらなかったのは、体調が悪かったから??
それとも、松陰先生不在の後遺症・・・??

そう言えば、長井雅樂の死はやったんだろうか・・・??

1863年5月10日、久坂玄瑞らによって攘夷が決行され・・・幕末の動乱へと進んでいきます。
??下関事件だよね・・・??

勝った勝ったと大騒ぎの長州藩!!
そこにいるのは、またもや握り飯を作っている文さん。
そして・・・

hana2











「お文もきれいじゃ・・・」by玄瑞
などと言って膝枕なんかしていますが・・・。
京都行って要らんこと覚えたん??みたいな玄瑞です。
ま、ほんと、思うんですよね。
この夫婦、どこまで仲が良かったかは知らないですが・・・
今風の夫婦っぽく書くなら、芸妓は必要ないし、芸妓をだすなら昔の感じにしないと・・・ねじれて来ちゃってます。

そんな悠長なことしてたら6月・・・アメリカ・イギリス・フランス・オランダが大砲ぶっ放してきました。

爆風で怪我人が・・・!!
「せわあない・・・」と震える手で怪我人の手を握るの文ですが、そんなことでは治らないんだよ!!
ああ・・・「ならぬことはならぬ!!」と、キリッと言っていた八重を思い出してしまいました。
そう・・・今まで我慢してきていましたが、「せわあない」で済まないこともあるんです。。。

大筒をぶっ放したことが原因で、こんな惨事になったと・・・手のひらを返したように人々は怒るのでした。

「帰った方がええ・・・!!」by玄瑞

ですが、きっと史実では下関に来ていないだろうなあ・・・。

萩に戻った文・・・父・兄は、海岸に沿って土塁を築いていました。
そう・・・外国からの攻撃は、萩にも来るかも知れない・・・!!

軍艦も、報復攻撃で砲台も壊滅状態!!
そして町も・・・。
責任は久坂にとらせる・・・??

窮地を脱するには、異国を見てきた高杉晋作の意見を取り入れる!!と・・・。
そうせい公の前で控える玄瑞のもとへやってきたのは晋作。。。

「付け焼刃の軍艦、大砲の増強では西洋のそれにはとても追いつきませぬ!!
 今までの戦い方では到底異国には敵いませぬ。
 
 正面からは勝てぬ相手・・・。
 ならば、奇策を持って戦う兵を作ります。
 名付けて”奇兵隊”!!」by晋作。

身分を問わず兵を募る!!
それが奇兵隊!!
長州の男たちを皆、決起させ、長州を守る!!
いよいよ奇兵隊の登場です。

寅次郎の遺志をついでの草莽崛起・・・奇兵隊総督となった高杉晋作。
玄瑞は自分の指揮でなくなったので、テンションダダ下がり・・・。

下関に行く晋作について・・・
「では、久坂たちの援軍になってくださったのですね。」と、お気楽な文に対して・・・

「援軍?このたびの無残な負け・・・
 久坂様に、もはや戦は任せられんから、代わりに対象を務めるために行かれたんじゃありませんか!!」by雅

う~ん・・・当たってますよ。。。
この2人、ボケとツッコミでいいコンビになりそうです。
が、こんなことは男側で話を進めた方がいいのでは・・・なんて思ってしまいます。
だって・・・女は嫉妬や勘違いも多いかな??なんて思うから。。。

でも・・・いつも渦中に・・・家中にいる文、鈍感というか・・・
ここにきても夫の立場、わかんないのかしら・・・??
あげまんにはなれませんよ。。。


台場造りをしようと父上や兄上に申し出る文。。。
亀も、母上もやるそうな・・・。

女子が沿岸防備に参加するなんて・・・ありえないことをやり始める文。。。

「私はやります!!だれにどねなことを言われようと・・・」by文

テンションダダ下がりの玄瑞を尻目に”奇兵隊”が結成されます。

hana4













下関の海を守るために・・・!!
身分を問わず、志を同じくする者たちの集まりでした。

お~、緊張感のない中、女達の「お台場」造りが始まりました。
「女子台場」です。


hana













って、着物がないから参加できない・・・などと、女心を出すところもなんだか緊張感がないわ~~~
着物を椋梨美鶴に借りに行くのもなぁ・・・
なんだか必死さが伝わらないのよ・・・。

おまけに高杉小忠太に、どんな着物を着て行ってもいいと許可をくれと進言しに行きます。
「女子の性でございます」by美鶴
前代未聞だという小忠太に、息子・晋作の奇兵隊に比べれば・・・なんて言い出す美鶴・・・
奇兵隊と一緒にしないでください。。。

こんな感じに毛利家奥御殿聡取締の老女・園山までもが出てきて働くのでした。

このお話は、史実ですが・・・ちなみに、絹も着て良いことになっていたんだって・・・
着飾りたいのは今も昔も女子!!
まさにファッションショーのようになってしまって、藩では風紀が乱れるといい顔をしなかったとも言われています。
おまけに、晋作⇒雅の手紙には、「おまえは行くな!!」みたいな文面が残っているとも言われています。
一生懸命命を賭けている男を横目に、アホな女子には成り下がるな!!ということだったのかもしれません。

百姓たちにも銃の使い方を教える晋作に対して・・・
京に上るという玄瑞・・・攘夷を実行するために!!

「現実を見ろ!!認めんか!!
 おまえは異国に負けたんじゃ。」by晋作

「ああ・・・負けた。
 大砲は壊され、船は沈められ、町が焼かれた!!
 何人も無残に死んだ!!
 長州の者が殺された。
 俺は負けたんじゃ。。。完膚なきまでに!!

 お前こそ、寄せ集めの百姓、町人数十人ぽっちで何ができる??どう守る??どう勝つんじゃ???
 やらんにゃいけんじゃろ!!
 無謀じゃろうと、見込みがなかろうと、捨て駒になろうと!!
 この命、なげうって国を動かさんにゃならんじゃろ??

 俺は京へ行く!!」by玄瑞

意固地になってますね・・・玄瑞・・・。

反対する晋作と・・・袂を分かっての出発でした。

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし!!
 生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし!!
 
 松陰先生はそう言われた・・・
 久坂・・・俺はこの奇兵隊で必ずや大業を成す!!
 俺は死なんぞ!!

 死ぬなよ・・・。」by晋作

良いですね・・・このシーン。。。少年漫画的で。
そんな晋作が萩に残っているからこそ、京に上ることが出来るのね。
なんて思ったりもしますが、どうでしょうか??

今回はこの最後のシーンに尽きるかなあ・・・
やっぱりこれからの戦いの世界にカッコいいお龍(龍馬の奥さんね)や山本八重子以外はちょっとなぁ・・・。
そうでないなら、当時の女性らしく夫を立てて忍んで欲しいなあ・・・。


四か国連合艦隊に歯が立たなかった大砲。はこちら
奇兵隊150年 奔走する幕末最強集団はこちら


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。


にほんブログ村

幕末・明治時代(日本史) ブログランキングへ

[DVD] 時代劇スペシャル 奇兵隊

価格:4,892円
(2015/6/19 17:11時点)
感想(0件)

高杉晋作と長州

価格:2,160円
(2015/6/19 17:12時点)
感想(0件)

このページのトップヘ