世界から戦争がなくならない本当の理由

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今回は、「戦争とは何なのか?」
戦後70年を迎えるに当たり、このお題を解説してくれます。

戦争とは何なのか?その始まりは何で、終わりはどうなのか?

戦争は宣戦布告や最後通告で始まります。
宣戦布告は国際ルールで決まっていて・・・

真珠湾攻撃は日本の奇襲攻撃??
日本は宣戦布告しようとしていましたが・・・暗号を英語に訳してアメリカ政府に渡すのが遅れてしまいました。
日本は宣戦布告したつもりでしたが、アメリカには通じなかったのです。

最近は宣戦布告することがないこともあり・・・自らが戦争を始めたとなると良い印象がないので、それは自衛のため、自国民を救出するためということにするのです。


平和条約を結ぶ前に、休戦協定(停戦協定)を結ぶことがあります。
戦争の終わりは・・・平和(講和)条約を結んだ時とされています。
第二次世界大戦の終結は・・・サンフランシスコ平和条約で、戦争の終了と、領土・賠償金などが決定します。
なので・・・日本人は1945年8月15日に戦争が終わったと思っていますが・・・9月2日休戦協定締結
1951年9月8日サンフランシスコ平和条約締結となり。。。
8月15日はポツダム宣言を受諾したと宣言した日、領土の扱いや武装解除など戦争を終わらせる条件を飲んだ日となるのです。

60年以上も戦争が続いているのが朝鮮です。
1950年6月25日に開戦し、1953年7月27日に休戦したままとなっています。
つまり、韓国と北朝鮮の間の線は、国境線ではなく・・・休戦ライン・・・軍事境界線となるのです。
中東戦争では、イスラエルとエジプト・ヨルダンは平和条約を結んでいますが、他のアラブ諸国とは休戦状態です。


日本が戦った国は連合国、日本側は枢軸国(ドイツ・イタリア・日本他)と言います。
連合国が作った世界のほとんどの国が加盟する国際組織は国際連合。
連合国の中心だった国は常任理事国(アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国)となっており、安保理において拒否権など特権を持っています。

戦争の終わりに結ぶ平和条約・・・日本が平和条約を結んだのは・・・40ヵ国以上・・・連合国に味方する国がどんどんと増えていき、48か国となりました。
しかし、この中には中国・ロシアは入っていません。
1952年中華民国と日華平和条約を締結
1972年日中共同声明で、中華人民共和国と戦争締結を確認しました。
ロシアとは現在でも平和条約を結んでいません。
それは・・・北方領土問題があるからです。
領土が確定出来ていないので、結べないのです。

国際連合には、日本の思いがあります。
United Nations・・・連合国が中心となってできましたが、日本の外務省が、連合国を国際連合と訳しなおしました。
国連安保理の常任理事国は、連合国の中心的な国が選ばれています。

枢軸国は現在でも不平等な扱いを受けています。これを旧敵国条項と言われています。
連合国と戦っていた国々・・・それは、ドイツ・フィンランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・イタリア、そして日本・・・。
旧敵国はどのような扱いを受けているのでしょうか?

他国に攻撃されたら、国連全体で対処するのが通例ですが、旧敵国には国連に知らせることなく反撃していいことになっています。
1995年に次の国連憲章改正で旧敵国条項を削除すると決定しました。
が・・・次の改正は決まっていません。


総理談話とは・・・??
談話とは・・・総理大臣の意見・見解・考え方・・・戦争がテーマとは限りません。
”総理の談話”と”総理談話”とでは違いがあります。
”総理の談話”は総理大臣個人の見解、考え方のことで、”総理談話”は、内閣全体・・・他の大臣らがOKを出したものです。
しかし、どちらも国内・海外に向けた大事なメッセージであることに変わりはありません。

そして、談話というと”村山談話”
1995年。。。戦後50年という節目の年に、村山富市総理が出した談話の事です。
日本の植民地支配に対し、痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明しました。
閣議決定されての戦争のお詫びの談話は、戦後初めての事でした。

何を以って植民地支配、侵略というのか??この時のことが大きな問題となっています。
日本は侵略をしてしまったのか??今も意見が分かれています。
この時、日本国内でももめていたのに、海外に発信してしまったのです。
どうして村山総理はこの時、植民地支配を認め、お詫びをしたのでしょうか?
そこには、村山総理が感じた日本と外国の温度差がありました。
日本は戦争責任をそれほど感じてはいませんが、東南アジア・韓国・中国は厳しく受け止めています。
それが、お互いの摩擦の根源となっています。
村山総理は、その温度差を政府の見解として出すことが大切だと考えたのです。
謝罪と思われがちな村山談話・・・過去の歴史に対する歴史認識をきちっと整理する・・・過ちを二度と繰り返さないためにも、平和に向かっていくための談話だったのです。
55年後大成以来初めて・・・社会党の総理だったからでたお話??
自衛のための戦争だ・・・植民地支配、侵略を認めない自民党の人たち・・・批判的な声もありましたが、村山総理が総辞職をもって説得し、全会一致で決まりました。

2005年には、戦後60年ということで”小泉談話”が出されましたが・・・
村山談話とほとんど同じだったので、話にもならなかったようです。
戦後70年談話・・・閣議決定しない総理の談話になる可能性も出てきました。
今回の安倍総理の談話はどうなるのか??注目されています。


東京裁判・・・日本が戦争に関する罪で裁かれた裁判です。
しかし・・・正しい裁判ではないと思っている人たちもいます。
東京裁判・・・正しくは、極東国際軍事裁判で、1946年5月に開廷しました。
裁判が行われたのは、旧陸軍士官学校でした。
記者席・傍聴席は700席以上、国際裁判ならではの同時通訳のブースもありました。
裁判は公平・中立が原則ですが、矛盾がたくさんありました。

東京裁判の被告となったのは、戦争を始めたとされるA級戦犯です。
真珠湾攻撃時の総理大臣・陸軍大将だった東条英機をはじめ、内大臣であり天皇の補佐役だった木戸幸一などの28人、多くは日本軍を指揮した人物個人です。
なので、日本を捌いたものではありません。
しかし、戦争犯罪はA級だけではなく・・・B・Cもありました。
ABCと重いのではなく・・・カテゴリーに分けたものです。
A級戦犯・・・平和に対する罪であり、侵略戦争を計画、準備、開始および遂行した行為。
B級戦犯・・・捕虜などを虐待した罪。
C級戦犯・・・人道に対する罪であり、国家、集団が一般の国民を惨殺、奴隷化した行為。

東京裁判で裁かれたのはA級戦犯のみ。
様々な国から選ばれた人々によって裁かれました。
判事は11人、色んな国から選ばれましたが・・・中立国は入っておらず、戦勝国が敗戦国を裁いた裁判です。
公平・中立が原則ですが・・・戦争の勝利に貢献していない中立国が選ばれるのはおかしい・・・と、戦勝国が中立国を入れませんでした。
対日戦での「犠牲」と「貢献」が裁判の参加基準だったのです。

東京裁判は、本来復讐が目的だった??
1946年5月3日に開廷。。。
裁判初日、起訴状が読まれましたが・・・
「日本の国民精神は、他民族に対する優越感により毒されており、日本の議会制度は侵略の道具として使われ、日本人の幸福は無視され、こうして自由の基本原則も、人格に対する尊敬も壊されてしまった。
被告はこの侵略戦争により、征服地を搾取し、略奪し、人々を虐殺し、陵辱した。」
侵略という言葉が使われています。
侵略戦争は罪になる・・・からの裁判なのです。
侵略と自衛の定義はあいまいですが・・・

戦争が始まった時のことを、東条英機は・・・
「日本は当時、戦争か自殺かということを迫られている感じでありました。
 書くの如き情勢において、日本は自衛上、戦争することも致し方なかった。
 私は最後までこの戦争は、自衛戦争であり、国際法に違反しないと主張する。」と述べています。

戦争直前の日本は、各国から輸出を止められ経済制裁を受けていました。
生きるか死ぬかの瀬戸際で・・・資源を求めて戦争に突き進んでいった・・・国を守るための戦争だ!!と主張したのです。

しかし、侵略にしなければA級戦犯は裁けない・・・。

そこで、侵略の定義はあいまいなまま裁判が始まりました。
1928年のパリ不戦条約・・・戦争放棄に関する条約で、侵略戦争は犯罪となっていました。
1928年張作霖爆破事件は、違反となるので裁ける!!
しかし、そこまで遡らなければ裁けない状況だったのでは?と言われています。

日本も・・・自衛とは言いにくい状態にありました。
そこで、弁護団は、裁判自体の無効を訴えました。

弁護団の主張の根拠となったのはポツダム宣言です。
米・英・中が日本に出した降伏条件ですが・・・
「降伏せよ・・・さもなくば壊滅!!」と書かれていました。
ポツダム宣言第10項には・・・
「一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加へらるべし」と。。。
日本がポツダム宣言を受諾したことで、裁判に同意したことになってしまいました。
しかし、ポツダム宣言は、あくまで太平洋戦争に限った取り決めで、過去の戦争を持ち出すのはおかしいと、主張したのです。

判事が下した決断は・・・”却下!!”

太平洋戦争の罪を裁く裁判で、別の戦争を持ち出されて裁かれたことが、東京裁判がおかしいという人がいる理由です。
さらに大きな矛盾は・・・判事としての資質です。ほんとうに法律家なのか・・・??
そして、東京裁判は過去の行動を新たに作った法律で裁いています。
罪のうち・・・第二次世界大戦前からあったものは、B級犯罪によるものだけで、A級犯罪、C級犯罪はポツダム宣言後に作られたものなのです。
新しい法律で前の罪を裁いていいのか・・・??
しかし、この主張も却下・・・。
全ての罪が裁かれることになってしまいました。

1948年11月・・・刑の宣告がなされました。
「被告東条英機 絞首刑に処する」
ほとんどのA級戦犯が死刑か終身禁錮をいいわたされましたが、A級犯罪で死刑になったの??
A級戦犯が死刑になった理由は・・・B級犯罪(捕虜などを虐待した罪)でした。
A級戦犯は55の罪状があり・・・A級犯罪のみで有罪でも死刑ではありません。
事後法で死刑にするわけにはいかない・・・ということで、罪のうちのB級犯罪で死刑になっているのです。

なので、連合国の正当性を後世に残すための裁判ではないか??と言う人もいます。
結局は、勝った側が負けた側を裁いた裁判なのです。

日本は戦争で、多くの国に被害を与えたことは間違いありません。
しかし、裁判のやり方に問題があったのでは??と言われています。
もちろん反論したアメリカ人・ブレイクニー弁護人もいました。
「戦争は国家の行為であり、個人の行為ではありません。
 戦争における殺人は殺人罪ではない。」と。。。
そして原爆も・・・
「キッド提督の死が、真珠湾攻撃による殺人罪に当たるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げることが出来る。
 その国の元首の名前も我々は承知している。
 彼等は殺人罪を意識していたか・・・してはいまい。
 我々もそう思う。
 それは彼等(連合国)の戦闘行為が正義で、敵(日本)の行為が不正義だからではない。
 戦争自体が犯罪ではないからです。
 原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認した者の名をあげよ。
 それが正義ではないのか??」
これに対し裁判長は・・・
「申し出はすべて却下!!」でした。

一般市民が巻き込まれた広島や長崎の原爆投下、一夜にして10万人の命が犠牲となった東京大空襲・・・。
これらを計画したアメリカ人将校たちは、「戦争で負けたら戦犯」と言っていたという話もあります。
無差別虐殺だと自覚していた節もあるのです。
しかし、勝ったので罪には問われませんでした。

判事のなかにも、裁判の在り方を批判した人物がいます。
インドのパール判事です。
判決に対する反対意見書を1,219ページも提出します。
そこに書かれていたのは・・・?

「裁判官が戦勝国の判事のみで構成されているのは適切なことだとは言えない。
 さらに戦争が始まってから作られた法律で裁くこの裁判は、無効だ。 
 一般市民への侵害が戦争犯罪になるなら、原爆を投下した者こそ裁かれなければならない。
 だから全員無罪にする。」

それは弁護団の主張と同意見で、東京裁判を痛烈に批判したものでした。
この主張は、無視され・・・終了します。

A級戦犯は100人以上・・・この東京裁判は続く予定でした。
が、冷戦が激しくなり突如中止となります。
日本をアメリカ側に引き入れるために裁判を止めたのです。
A級戦犯が次々と釈放されて・・・それは、A級戦犯の靖国合祀へと流れていくのです。
これで終わりにしてしまった日本・・・日本人による戦争責任が行われていないままなのです。

慰安婦問題、靖国参拝問題、教科書問題・・・と戦後70年なのに問題が山積みの日本。
自分で自分を裁いた国はドイツ!!
犬猿の仲だったフランス人も、友好的な人も多いのです。
どうやって戦後処理をしたのでしょうか??

戦争を始めたドイツの指導者はアドルフ・ヒトラー。
国民の支持を得てナチスを率い、選挙を勝ち抜き独裁者へ!!
ドイツはヨーロッパ中に領土拡大を望んで侵略していきました。

戦争中ナチスが行ったユダヤ人の大量虐殺。。。600人が殺されたとも言われています。
ヨーロッパ中のユダヤ人が強制収容所で労働させたり殺害しました。

どうしてユダヤ人??
戦争とは別に行われたユダヤ人虐殺。
もともとヨーロッパにあったユダヤ人差別・・・
それは、「キリストを殺したのはユダヤ人」であると聖書に書かれているからです。
ユダヤ人を敵にして、国をまとめる・・・それは、あまりにも身勝手な理由でした。

多くの国々を攻撃したドイツ。
ユダヤ人を殺害・・・。

ユダヤ人虐殺にかかわったドイツ治安部隊・・・ナチスの犯罪を人々はどう思っているのでしょうか??
過去の歴史を隠したりせず、勉強する・・・知らない世代に伝えるドイツの教育がそこにはありました。
中学3年生の社会の授業です。
ナチスの犯罪を残酷なことも含めて全て教え、答えさせます。

そして過去を忘れないために・・・
都心の一等地に「絶対に忘れてはいけない恐怖の場所」・・・強制収容所の名前が書かれています。
町にはユダヤ人差別を表現した看板が忘れないようにたくさんかけられています。
階段や地面には町から追放されたユダヤ人の名前が・・・

教育や街角からナチス犯罪を伝え続けるドイツ。。。
その徹底的な姿勢には理由がありました。
9か国と陸続きなドイツ。反省の姿勢を示し、周辺の国々と仲良くしなければなりません。

ナチス時代の徹底的な否定・・・それは裁判にも表れています。
今も続いているドイツの戦争裁判・・・。
犯人が生きている限り、追求し続けています。
戦勝国でだけで無く自分達でも裁判をして裁く・・・そしてそれを海外にアピールする・・・。
ナチスは今でも絶対的悪です。
ドイツでは・・・ナチス式の敬礼は3年以下の懲役または罰金。
車のナンバーは自分で決めることができますがSS(ナチス親衛隊)は禁止。
徹底的にナチスの時代を禁止することが、海外に受け入れられているのです。

ヨーロッパの中でもドイツとフランスは戦争を繰り返してきました。
1800年代・・・ナポレオン戦争・独仏戦争
1900年代・・・第1次世界大戦・第2次世界大戦
が、今では警察、消防、医療、学校でも協力しています。

しかし、戦争の悲劇が忘れ去られたわけではありませんが・・・

資源の取り合いで戦争へと発展しないように。。。
戦争の教訓としてEUの前身・ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)が作られました。
戦争の教訓がヨーロッパを一つにしたのです。
ここからECC、EAEC・・・そしてECが生まれ、EUへと発展していくのです。

戦後70年・・・70年間日本は戦争することなく平和でした。
これが・・・戦後と、ずっと言っていられるような世の中であることを望みます。



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