川崎尚之助と八重―一途に生きた男の生涯

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いや~・・・題からしてもう悲劇に突き進んでおります・・・。

全ての責任を引き受けて自刃した神保修理・・・
そして・・・若くして戦死した三郎・・・

遠い京で起こっていたことは・・・江戸へ・・・そして会津へとやって来そうです。。。

鳥羽・伏見の戦場に錦の御旗が揚がり、朝敵となる事を恐れた慶喜は会津公・松平容保らを共にして・・・
江戸に逃れ、そのまま恭順を示すために謹慎しました。

慶喜の命により、2月16日、容保は僅かな供回りを連れ、ひっそりと江戸を去りました。
藩士たちを残して大坂を去ったことを恥じながら。。。

「わしはこれより国元に戻る・・・ 
 江戸引き上げのこと、よろしく頼みいる・・・」


京都守護職に就いて以来、5年ぶりの会津への帰国でした。
あんなに会津の帰りたかったのにね・・・
こんな形の帰国になるなんて・・・

江戸屋敷に仕えていた藩士たちも帰ってきました。
懐かしい人たちが帰ってきます。
そして、江戸に勉強に行っていた尚之助も・・・

しかし・・・帰国者の中に・・・
覚馬・三郎の姿はありませんでした。。。

「1月6日は・・・鳥羽伏見最後の戦いでした。
 三郎さんは、果敢に敵陣に向かっていき・・・銃弾を浴びて命を落とされました。
 ・・・最後は、大蔵殿が看取られました。。。」

でも・・・どうしてもそれを受け入れられない八重・・・
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しかし、その軍服の腕には・・・八重が縫い付けた”南天”の刺繍が・・・

覚馬は???
「開戦の日・・・京で薩摩兵に捕えられました。
 御所の戦で負傷され・・・眼を患っておいでだったそうです。
 都から引き揚げてきた人の話では・・・四条河原で・・・処刑されたと・・・」

どうしても受け入れられない八重・・・

「討ち死には武士の本懐・・・
 未熟者だけどもお役に立ったならば・・・三郎は本望だべ。。。
 ・・・覚馬は・・・無念であったべ・・・。
 目を傷めたのが戦ゆえなら止むをえねえ・・・

 息子たちの最期・・・確かめてくれてありがとうごぜえました。。。
 両名とも山本家の男として恥ずるところはねえと存ずる・・・」


悲しみに包まれる山本家・・・

「仇は・・・私が討つ!!!」

東海道・・・東山道・・・北陸道・・・
新政府軍は、3方に分かれて東に進軍してきました。。。


その頃、容保は・・・そのまま家督を喜徳に譲り、御薬園で謹慎生活に入るのでした。
そして・・・修理の事を思うのでした。。。

覚馬は・・・薩摩に捕まっています。。。
目も不自由な上に、怪我もしているようで・・・
嘆願書を書くつもりのようです。。。

会津に戦軍が迫る中・・・

イケイケ佐川は戦うつもり、それは、今まで戦ってきた人々の・・・なくした命を想ってのこと・・・

”戦に敗れたままで・・・武士の一分が立ちましょうや”
武士の一分の為に・・・息子の汚名を晴らすために・・・神保内蔵助も恭順には反対でした。。。

が・・・容保は・・・

「皆の考え、よく分かった・・・
 わしの存念を述べる。
 会津はあくまで恭順を貫く!!
 元より朝廷に刃向う心はない!!
 ただし・・・攻めてくるなら、全藩をもってこれと戦う・・・!!!」

ひとり反対を唱える頼母!!!
しかし、軍制改革を行って・・・対抗するようです。
会津での戦いを決心した瞬間でした。

1868年3月10日・・・天明以来の長沼流軍学を捨て、軍制改革を行いました。
部隊は・・・年齢別に・・・玄武隊・青龍隊・朱雀隊・・・そして・・・白虎隊・・・
色々あわせて3000人の正規軍です。

都では・・・九条道孝を奥羽鎮撫総督に迎え・・・出陣しようとして来ていました。
降伏の条件は・・・容保の首のみ。。。

山本家では・・・若者たちが鉄砲の訓練をしています。。。
少年たちを・・・どうしても三郎に見えてしまう八重・・・
いきなり鉄砲を抱えて走り出しました。。。

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そこへ山川大蔵!!

「私が行けば良かっただなし!!!
 私の方が、つええんだから!!!」

尚之助と共に仇を討ちに行こうとする八重を止めるのでした。。。

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江戸には東征軍が続々と集結していました。
いよいよ江戸城総攻めという時・・・西郷の元へ現れた勝。。。


慶喜公は隠居の上、水戸で謹慎。
幕府に味方した諸侯に寛典を願う。
武器軍艦は一部を残して引き渡す・・・。

これを条件に無血開城に持って行こうとしています。

万国公法を持ち出して・・・説得する勝・・・。

よ~く考える西郷。。。
パカッって西郷の頭を割ってみないと分かりませんが・・・

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海外と対抗するために・・・
アヘン戦争の二の舞なんかにならないためにも、本当は江戸が火の海になるのも困る西郷さんだったことは間違いないと思うのです。
そんなときの勝の無血開城の懇願は、渡に船だったんじゃないかなあ・・・

西郷さん、太っ腹見せた・・・みたいな感じになってますけど

「さて・・・そげんなれば・・・
 振り上げたこぶしをどげん下すかじゃな。。。」

そう、いったん走り出したらなかなか止まれない・・・。

新政府軍も、会津も・・・
会津では、尚之助、大蔵が中心となって。。。調練しています。


そして・・・覚馬の嘆願書を見た西郷は・・・
覚馬の処刑の中止を言い渡します・・・

万国公法にのっとって・・・恭順をするものは討たない!!

それが国際法なんだけれども・・・

新政府軍も集結し・・・会津側も集結し・・・
まさに戦わなければいけない方向に向いて行くのでした。。。

この回で・・・いよいよ玄武隊・・・以下が結成されてしまいました。
いよいよ会津を・・・磐梯山を背に戦いが始まろうとしています。

西郷たちは、カッコよく余裕綽綽に見えていますが、実際のところ下級武士。。。
この戦を勝たないと死ぬわけで・・・それだけ必死だったということが根底にあります。

だからこそ、新政府をつくるにあたってお金のかかること・・・はしたくないし・・・
街づくりなんかは江戸に・・・東京にスッポリ入りたいわけです。。。

色んな人を・・・不満を巻き込んで大きくなる新政府軍。。。
もう誰にも止められません。。。
会津と戦うまでは・・・

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