日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:山中鹿之助

山城・・・それは、時として戦国武将の命運を左右する悲劇の城でした。
山陰地方の要となった巨大山城・月山富田城・・・
戦国時代、月山富田城に、三人の名将たちが挑みました。
名門守護大名・大内義隆、中国地方の覇者となる毛利元就、悲劇の忠臣・山中鹿之助・・・
しかし、如何に名だたる戦国武将と言えど、力でこの山城を落とすことができませんでした。
その攻略方法とは・・・??

室町時代に勃発した応仁の乱、京都を中心に11年間続いた権力闘争は、やがて全国に拡大・・・
群雄割拠の戦国時代に・・・!!
戦乱の火種は、山陰地方にも飛び火しました。
そこで急速に版図を広げたのは、守護代から台頭した尼子氏です。
出雲を拠点に最盛期には近隣諸国8か国の守護に任ぜられた尼子氏・・・
その隆盛を支えたのが、海の道です。
古来、朝鮮半島や中国に近い出雲は、日本海海運の要所でした。
さらに、山陰地方には石見銀山があり、尼子氏の経済基盤となっていました。
当時、世界の1/3の産出量をしめたといわれる日本の銀・・・中でも石見銀山は、ポルトガル人が書いた日本地図にも明記されているほどです。
こうした莫大な富を背景に領土を拡大した尼子氏・・・その拠点となったのが、月山富田城でした。

一見すると木々に覆われたただの山・・・

todajyou
















山全体が城になっています。
全国でも、屈指の大きさを持っていた山城でした。
総面積およそ70万平方キロメートル、東京ドーム15個分・・・日本代々級の城郭です。
山間部に至るまで500もの曲輪が築かれ、兵を配置し、守りを固めています。
軍事的な拠点でもあり、年の一部であり、政治の中心でした。

城の麓には城下町が形成され、商業施設もあったといわれます。
城下町を守る川は、軍事的な利用だけでなく、日本海海運の航路としても利用されていました。
いろいろな陶磁器・・・日本のものから海外のモノ(中国・タイ・ベトナム)まで、高級な青磁がたくさん出てきて、財力的にも強大でした。

1543年、第一次月山富田城の戦い!!
月山富田城に挑んだのは、中国地方を含め7か国の名門守護大名・大内義隆・・・!!
山陰の中心・月山富田城の攻略は、中国地方の覇者となり、天下への足掛かりとなる大事な戦いでした。
大内義隆は、1万5000の大軍勢で、月山富田城に迫りました。
尼子と決戦を挑もうとしたのです。
それに異を唱えたのが、当時大内の配下にいた毛利元就でした。
元就は・・・
「力攻めなど無理である
 たとえ日本全土の軍勢をもってしても、この城を容易く落とすことなど出来ぬであろう」
しかし、義隆は、元就の意見など聞かずに総攻撃をかけます。
大内軍は、城下町を焼き払うと、手勢を菅谷口・御子守口・塩谷口に分け城を攻撃!!
敵の猛攻を待ち受けていたのが、月山富田城に作られていた防御システムの土塁でした。
その一部が月山富田城内に今も残されています。
高さ6m、長さ130mの巨大な土塁・・・このような土塁が、城のあちこちに作られていたと思われます。
土塁の外側には深さ6m、幅10mの堀がありました。
外側に堀をセットにすることで、より高さを増して、敵を突破できないようにしていました。
戦国時代の土塁としては、最大級のものです。

このような土塁を突破したとしても、城内にはいろいろな仕掛けがあります。
花の壇と呼ばれる曲輪には・・・尾根筋を断ち、敵の接近を阻止する堀切りがあります。
本丸に向かおうとする敵は、屈曲した道に翻弄され、行ったり来たりを繰り返さざるを得ません。
花の壇を突破しても・・・上から攻撃されるようになっています。
月山富田城の進入路は三つ・・・その行き着く先は、山中御殿と呼ばれる膨大な曲輪です。
どの道を通っても、この曲輪に来るように仕掛けられています。
一気に撃退される・・・恐るべき守りの工夫です。
ここを突破しても、絶壁、七曲りを突破しなければなりません。
実際の戦いでは、城の堅い守りを前に、大内軍は城内に入る事すらできませんでした。
力攻めを諦めた義隆は、月山富田城を包囲!!

しかし・・・籠城側に降伏する気配はありません・・・
籠城に耐えうる月山富田城の秘密とは・・・??
月山富田城の周りには、いくつも味方の城がありました。
月山富田城を守るため、尼子は城郭ネットワークを築いていました。
これを、尼子十旗と言います。
月山富田城が攻められても、他の山城軍によって兵站線が確保され、援軍としての後詰を担ったのです。
そして開戦から数か月後・・・事態は急転・・・!!
1543年4月30日、大内配下の武将たちが、次々と尼子に寝返ります。
5月7日、味方が動揺する中、大内軍全軍撤退!!
撤退する大内軍は、それを追撃する尼子軍に多くを失いました。
尼子軍の圧倒的勝利でした。

大内軍の猛攻を、完全にはねのけた月山富田城・・・次にこの城に挑んだのが、後に中国地方の覇者となる毛利元就でした。
第二次月山富田城の戦いが迫っていました。
大内の大軍勢をはねのけた名城・月山富田城・・・月山富田城の戦いに敗れた大内義隆は、勢力がおとろえ8年後、家臣の謀反に遭い自害することになります。(1551年)
大内に代わって台頭したのが毛利元就です。
1555年10月1日、大内を滅亡に追い込んだ陶春賢を奇襲攻撃で撃破!!・・・厳島合戦です。
主君の弔い合戦で勝利した元就は、大内の領地を継承・・・一気に戦国大名に変貌を遂げました。
これによって領国を接した尼子と毛利・・・中国地方の覇権争いはもはや避けられませんでした。

両者の戦いを決定づける事件が・・・1561年12月、尼子晴久死去。
家督を継いだのは、わずか21歳の尼子義久・・・元就にとって好機の到来でした。
しかし、大内軍の配下として参陣した前回の轍を踏めば月山富田城は攻略できません。
難攻不落の城を攻めるために元就が狙たのが、当時尼子の支配下にあった石見銀山でした。
1562年、元就は石見銀山を奪取。
尼子の経済基盤を奪取することに成功します。
続いて・・・月山富田城の防衛網・尼子十旗を崩壊させること・・・!!
尼子十旗が無くなれば、月山富田城は孤立・・・!!
籠城戦の援軍は望めなくなります。
出雲の南を守る赤穴城を皮切りに、1年がかりで次々と撃破・・・!!
残るは白鹿城のみ・・・!!
その矢先、元就を不測の事態が襲います。
1562年8月、元就の嫡男・毛利隆元死去・・・!!
この時、隆元は毛利家の当主でした。
この時元就、67歳・・・当時の平均寿命を大きく超える高齢でした。
跡継ぎとなる孫・輝元はわずか11歳・・・他の子どもたちは養子に出してしまっていました。
すぐ領国へ引き返し、内政を固めなければ毛利家が崩壊する危険性もありました。
ところが・・・元就は、諸将を集め、こう宣言します。

「隆元の供養は、尼子を退治する外にない・・・!!」

弔い合戦を大義名分として尼子との戦いを優先したのです。
最大の敵・尼子を倒してこそ毛利家は安泰となる・・・
1563年10月、白鹿城陥落

1565年4月、元就、3万5000の兵を率いて、月山富田城へ迫ります。
難攻不落の大要塞・・・いかに攻略すべきか・・・??

力攻め・・・??
しかし、守りに秀でた月山富田城には、山中鹿之助などの武勇に秀でた猛将たちがいます。
元就にとっても手ごわい相手・・・!!
力攻めで負け戦が重なれば、従軍していた家臣たちに離反者が出る可能性も高い・・・
前回の戦いのときも元就はこう言っていました。

「力攻めなどは無理である
 日本全土の軍勢をもってしても、この城を容易く落とすことなどできぬ・・・!!」と。

兵糧攻め・・・??
敵の兵站線をたたき、直接の戦闘を避け、自滅するのを待つ・・・!!
しかし、月山富田城には、長期戦に耐えられる工夫がなされていました。
井戸に水が湧き出ています。
山城を作る場所で、水が得られるというのは、大変重要な要素でした。
兵糧攻めに耐え、長期の籠城戦に耐えうる月山富田城・・・!!
戦が長引き、高齢の元就が亡くなれば、毛利は崩壊必至・・・!!

力攻めか、兵糧攻めか・・・??

1565年4月17日、元就、3万の大軍勢で月山富田城の総攻めを開始!!
力攻めで城を陥落させようとしました。
籠城している尼子軍は1万!!
城の三法の登城口で激戦が繰り広げられること10日以上・・・
しかし、終始尼子軍は3倍の敵に対して勝利を得、さしたる大敗もなかったといいます。
毛利軍には犠牲者が続出し、大損害を被ります。

総攻めの愚を悟った元就は、城を包囲し徹底した兵糧攻めに転じます。
月山富田城を包囲する為に川を挟んだ山頂に布陣した毛利軍・・・
勝山城にはこの時の元就の覚悟の痕跡が残っています。
畝状空堀群・・・侵入する敵の動きを限定し、上から攻撃をしやすくする防御の工夫です。
勝山城を築いた元就の狙いとは・・・??
月山富田城を見下ろす本格的な陣城・・・これほどまで備えなければ、毛利元就であっても月山富田城を攻めることができなかったのです。
尼子氏の月山富田城がいかに強い城であったのかがわかります。
周囲に要塞を築き、完全に月山富田城を包囲した元就・・・
城内では、次第に兵糧の不足が深刻化していました。
その隙を浮いて、城内の離反を狙い調略します。
それが功を奏したのか、事件が起こります。
1566年、当主・義久が、謀反の疑いで重臣・宇山久兼を斬殺!!
これを機に、尼子の家臣たちは、次々と毛利方にくだりります。

そして1566年11月・・・尼子義久降伏・・・!!

毛利の総攻めから1年7か月・・・戦国時代まれにみる籠城戦でした。
この時、毛利の重臣たちは禍根を残さぬように義久の命を絶つことを主張しました。
しかし、元就は助けてやるのが武士たるものの法として義久を許したのです。
尼子滅亡・・・
しかし、戦国一の知将・毛利元就ですら月山富田城を武力で落とすことは、遂にできませんでした。

山陰の雄・尼子氏を滅ぼし、中国地方の覇者となった毛利元就。。。
毛利の城となった月山富田城・・・しかし、ここで三度の合戦が起こります。
尼子との死闘から3年後・・・
1569年6月・・・沖から軍船に乗り込んだ尼子再興軍、毛利領内に上陸・・・!!
尼子家の再興に燃える山中鹿之助・・・武勇誉れ高い尼子の武将です。
鹿之助の元には、尼子の旧臣たちが続々とやって来て6000人に及んだといいます。
この時、毛利本体は、九州・大伴氏との戦いに駆り出されていました。
月山富田城に残された毛利軍はわずか300・・・!!
対する鹿之助の尼子再興軍は6000・・・月山富田城に精通した尼子の旧臣たちでした。
毛利軍は、軍勢のはるかに勝る尼子方に降伏を申し入れました。
それを受け、尼子の旧臣を月山富田城に迎え入れます。
その時・・・入城した尼子軍に、毛利勢は一斉射撃を加え、だまし討ちで撃退したのです。
以来、月山富田城は、鹿之助たちの猛撃を寄せ付けず、戦いは翌年までもつれ込みます。
やがて毛利の援軍が到着・・・
1570年、山中鹿之助ら毛利領から撤退・・・!!
月山富田城の奪還に失敗した鹿之助はその後も毛利との死闘を繰り広げます。
しかし、尼子家の再興叶わず・・・1578年7月、山中鹿之助死去。
月山富田城の一角には、悲願を果たせなかった山中鹿之助の銅像がひっそりとたたずんでいます。
名門守護大名・大内義隆、中国知能の覇者・毛利元就、そして忠義の武士・山中鹿之助・・・
名だたる武将の前に立ちはだかり、彼らの夢を打ち砕いた月山富田城・・・そこは兵どもの悲劇の舞台となったのです。


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 山中鹿之助・・・今大河でやっている”軍師官兵衛”では、別所哲也さんがやっていました。
もっとカッコよく、話を膨らませて欲しかったなあ・・・なんて、物足りなさを感じながら。。。

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尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月祈った逸話は有名です。

その山中鹿之助・・・
「尼子十勇士」を集めた智将・山中鹿之介幸盛。
山陰、山陽で「11州の太守」と言われていた尼子氏が、毛利元就に滅ぼされ・・・
再興をかけて十勇士と共に、何度も毛利氏を攻め立てた男です。

尼子氏が滅ぼされたのは、鹿之介が21歳の時。。。
降伏した尼子義久に、元就は切腹を許さず・・・兄弟共々、安芸に幽閉してしまいました。

山伏姿となり、各地を歩き、十勇士を集めた鹿之介・・・
しかし、再興のためには旗印・・・尼子の血を引いた殿が必要だと考えるようになります。
そこで以前、内紛の時に京都に預けられていて僧侶となっていた・・・全盛期の当主・尼子経久の次男の孫を説き伏せ、当時17歳だった彼に尼子孫四郎勝久を名乗らせるのでした。

勝久を当主とし、200の兵を率いて但馬に渡った鹿之介・・・
この地で海賊・奈佐(なこ)日本之介などの見方を得、出雲に上陸しましたが、この時の兵力は6000人を超えていました。

その時・・・尼子のかつての居城月山富田城には300の兵しかいなかったので、毛利方は降伏を願い出ます。

遂にお家再興が・・・!!

と思ったものの・・・謀略長けた毛利の家臣が鹿之介に斬りかかります。
鹿之介は、命からがら逃げのびて、奪還計画は失敗に終わったのです。


でも・・・へこたれません。
次は、毛利と戦っている九州の大友宗麟と結んで挟み撃ちにする作戦に出ます。
この時も、わずか6000の尼子軍は1万5000の毛利軍に敗れてしまいました。
吉川元春に捕えられた鹿之介は、赤痢にかかったと言って何度も厠へ・・・その隙をついて逃げ出したのでした。
その2年後にも挙兵しましたが、やはり失敗してしまいます。

これまで鹿之介を援助してきたのは、毛利と敵対していた織田信長。
毛利を羽柴秀吉に攻めさせたとき、上月城に尼子軍を2300の兵と共に戦わせました。
毛利3万の大軍が上月城に!!

このままでは攻め落とされる!!と、信長に訴える秀吉。。。
しかし、共倒れになることを怖れた信長は、上月城を見放したのです。

鹿之介はまたもや破れてしまいました。

毛利は、勝久が切腹すれば、ほかの者は助けると言うので、26歳の勝久は自害。。。
敵の吉川元春に一太刀浴びせてから後を追う!!と、約束した鹿之助も、安芸に護送される途中で斬りつけられ・・・思いを遂げぬまま34歳でこの世を去りました。

この鹿之介。長男は新六幸元。
1570年生まれの幸元は、山中氏の一族、黒田幸隆の養子でした。
秀吉の攻撃で黒田城が陥落すると摂津国伊丹近くの鴻池村に移り、武士を捨て・・・
商人になることを決意します。
名も鴻池新右衛門直文と改めました。

鴻池では濁酒造りが盛んで。。。
しかし、苦労の末、芳醇な清酒造りに成功します。

この清酒造りに関しては、新右衛門を恨んでいた下男が、腹いせに酒に灰を投げ込んで出来た・・・という伝説まであります。

この清酒を江戸に運んで・・・評判となります。
その後、酒造りを辞め、運送業が主となります。
さらに両替商となった鴻池は、大坂一の豪商となり、やがて銀行業を始めます。
それが三和銀行・・・現在の三菱東京UFJ銀行なのです。

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「見捨てられた城」・・・ってどこ?
っていうことで、始まりました。

上月城は5万の毛利軍に囲まれていました。
兵糧が無くなっても立て籠もり続ける尼子・・・。

kan












う~ん、援軍を待っているだけの官兵衛がいます。。。
織田の中でそこまでの力を持っていなかったのかなあ。。。
でも、策士な方に描いてほしい。。。

でも・・・
信長に見捨てられる上月城。。。
官兵衛は相変わらず「援軍を~!!」と、律儀に叫んでおります。
「利用するだけ利用して、捨てるおつもりか~!!」と。
う~ん、篤い男・官兵衛ですが、軍師はもっと冷静に・・・
判断としては700の兵の為に5万と戦うのは・・・。という信長様の判断が正しいと思うの。。。
kan3












おまけに降伏するように尼子を説得に行く官兵衛。。。
ま、籠城している所にどうやって入ったのか?なんかはドラマなのでね。。。
でも、これをドラマ中に考えちゃうところが官兵衛になれていないのでしょうね。
好きだったら、どんなストーリーでも熱くなれるんですけどね。

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あ~、やつれ果てた鹿之助。。。

「貴公とは短い縁であったが実に楽しかった。。。
 また来世で会えたら・・・その時は思う存分飲み明かそうぞ・・・!!」by鹿之助

1578年7月5日・・・
尼子勝久の自刃を以て落城する上月城。。。

殿に命を全うするように下知された鹿之助。。。
そして家臣たちは毛利家の召し抱えられることになりましたが。。。

kan5












しかし、それはまたしても毛利の罠!!
討たれてしまった鹿之助。。。って、もっとドラマにかけたんじゃないの?
山中鹿之助なのよ・・・!!
毛利がそんなひどいことするから、「八つ墓村」に繋がるんだよ~って??

で・・・このことに播磨の小大名はどう動く???

その頃官兵衛は、尼子を見捨ててしまったことを悔いていました。

「ただ最良の策を考え実行する。。。
 その為嫌われ憎まれ、命を落とすことがあってもそれこそが軍師というもの。。。
情けに溺れ、泣き言を言っているだけでは鹿之助殿も浮かばれまい。。。」by半兵衛

そうなのよ~!!
目を覚まして官兵衛・・・!!

神吉城を落とした織田信忠・・・
勢いに乗って次は志方城・・・。
志方城って??
そう、櫛橋左京進です。

軍議を行っているところに仙千代っていますが・・・。仙千代は森蘭丸以前の信長の小姓です。
が・・・戦地に来てるってことは、蘭丸に変わったのかな???

で・・・調略に乗り出したのは・・・黒田官兵衛???っと、小早川隆景が言ってますが・・・そこをみせて欲しいのよ・・・!!
なんで軍師官兵衛なのに調略やってくれないんだろう・・・

吉川・小早川そんな密談中に、毛利にやってきた宇喜多直家。。。
ぬけぬけとやってきました。
毛利VS宇喜多のキツネとタヌキの化かし合いをやっております
あ~、やっぱりいい俳優さんが出ていると重厚でいいわ

やっぱり戦国で生き残っていくひとはこうでないとね。
命がかかっているんだから。。。

宇喜多がどう出るのか結局わからない中・・・撤退する毛利軍。。。
毛利軍の味方をしていた城は取り残されることになってしまいました。

そう・・・左京進の言葉を借りれば・・・
「織田は上月を捨て、毛利は我らを見捨てた」のです。

「乱世の盟約とは儚いものよ・・・」

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そうして左京進は自刃。。。
子供たちは力の子供同様、黒田家に引き取られたのでした。

あ~、今度は秀吉が、”また戦のない太平の世を作る為!!”という大義名分を言っているわ・・・
「新しい世を作る為、どこまでも秀吉様についてまいりまする。」by官兵衛。

kan7












そして御着では・・・
お紺が死んでしまいました。。。
あ~、お紺がいなくなっちゃったら政職はどうしたらいいの???
ここにも不安材料が出来ちゃいました。。。

この回では尼子勝久・山中鹿之助・櫛橋左京進・お紺・・・。
キーマンがたくさん死んじゃいましたね。。。
勝久&鹿之助はともかく、こんなにバタバタと死ぬ必要があったの?と思えるほどバタバタと亡くなっちゃったのです、

で・・・まずは鹿之助・・・山陰の麒麟児ですが、麒麟児感ありました???
別所哲也さんはとってもいい俳優さんですから、厚みのある鹿之助に見えましたが。。。
尼子家を再興してまた滅ぼされる・・・その為だけに出てきたような感がありました。

戦国時代の事はよくわからないことも多いので何が真実かはわかりませんが、でもドラマです。命を賭けてるんですからカッコよく書いてあげたいものです。

鹿之助は尼子滅亡後、しばらく足取りはわかっていません。
が、尼子再興への気持ちはとっても強くって、京に上って画策し、殿・織田信長に協力を願っていた感もあります。
「八つ墓村」の怨霊よろしく、本当に尼子家再興に命を賭けてたんですよ~
「官兵衛」では小早川隆景が首級を確認してましたが・・・
鹿之助を肥溜に逃がしてしまったのは吉川。
隆景は鹿之助に一目置いていたとも言われています。
恨んでいたのは吉川元春の方じゃないのかなあ・・・なんて思っちゃうんですけどね。
ま、どうして勝久と共に自刃しなかったのか???
そこはわからないのですが。。。「官兵衛」では、両川と刺し違えて・・・とありましたが、どちらかというと吉川??
尼子再興を願う鹿之助を生かしておくわけにはいかない・・・!!
みたいな感じではっきりドラマしてほしいなあ。。。

そして櫛橋左京進。。。
尼子が見捨てられたように、毛利から見捨てられちゃうわけです。。。
その裏には、宇喜多直家が怖かった。。。というのがあったようです。
本当に上月城が欲しかったのは宇喜多直家。。。
なのに、出陣したのは弟で。。。
やはり信用できない!!って思ったのでしょう。
織田・毛利・・・どちらにとっても厄介な宇喜多直家だったのです。

それにしても、主人公の義兄という言いポジションだった左京進。。。
あまりにも可哀想な最期でした。
本当にどんな人かは分かんないので、もっと人間的に膨らませてあげて欲しかったです。。。

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 あ~、いつになったら、軍師官兵衛が見られるのやら・・・。
岡田准一君は歴史の先生になりたかったらしく・・・
BSプレミアムでは”ザ・プロファイラー”やってますからねえ・・・
歴史に詳しい人なので、この官兵衛は嫌なんじゃないかなあ・・・なんて思っちゃうの???

早く軍師になってください。。。

播磨ではすべての人が戦いの渦に巻き込まれていました。
天正6年3月。。。

三木・神吉・野口淡河・高砂・端谷・志方・・・が寝返りました。
西の毛利、東の別所に対抗するために本陣を移そうと考える半兵衛・・・。

って、ここは、地の利で官兵衛が率先しないといけないんじゃないの???

毛利はどう出る???
織田との大戦に備えて”三道並進”で頑張ります。
三方向から攻め上がるというものです。

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あ~、これこそ軍師って感じよ。
5万の兵をもって上月城を取り返すという作戦です。

ピンチ!!上月城に向かった官兵衛・・・

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尼子を慕って集まった兵は700・・・。
どうなる尼子???






本陣に帰ってきた官兵衛を待っていたのは錯乱寸前の荒木村重。。。
しかし、誰も上月には兵を進めてくれないという。。。

トラブル続きの中・・・
半兵衛吐血・・・。

そんなピンチに安土城では絢爛豪華な中、能を楽しんでいる上層部のみんな。。。
って、だからこんなに集まっておかしいって・・・。
戦国時代でみんな戦ってんだから・・・。
暇なら播磨に行って・・・

いろいろ説明くさく話し出す信長様・・・。
全ての官職を辞するという。。。
トップダウンな人なのに、こんなこと了解得るようにいう???
負けに家臣一同驚いてますが・・・こんな進言できる???
進言出来たら村重も病気になんかなってないし、光秀も謀反は起こさないんだって。。。

って、「信長=神」だって、みんな知ってるでしょう???

信長に援軍を依頼する秀吉。。。

その頃・・・宇喜多直家は仮病中
陣内さんいい味出してるわ~
毛利軍も一枚岩ではないらしい・・・ということはわかった官兵衛なんだけれども、どうしてここでグイグイ作戦練らないかなあ。。。

と思っていたら・・・
九郎右衛門が尼子の兵を装って、敵を上月城に引き入れ・・・
5万の大軍相手にゲリラ戦のようなことをしながら時間稼ぎ。。。
って、やっと軍師っぽいことしてますね。。。
このまま軍師が続くといいんですけどね。。。

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村重のもとへ、酒を持って秀吉参上。
でも・・・村重どんどんおかしくなってきていて人たらしの秀吉もお手上げです。。。


やっと信忠を大将とする丹羽・明智の軍勢3万が播磨・本陣にやってきました。
わずか700の尼子勢の救援を願い出る秀吉ですが、裏切り者(尼子)は許さない・・・と、三木に援軍をまわすと言い出しました。
末席に座っていた官兵衛は耐えきれずに上月を見捨てない様に願うのですが。。。
この意見は信忠に聞き入れられないのでした。

「上月には秀吉と村重でいけ!!」by信忠

この2人も今一つかみ合わないふたり。。。
その軍1万・・・。到底毛利に対抗できるものではありません。

「どうにもならん・・・官兵衛!!」by秀吉。
ここで一計案じてるよ、半兵衛なら。。。

で・・・一人突っ走る光。。。
お福を連れて兄・左京進の仕方城へ・・・。
代々続いた櫛橋の家を守るために。。。

光の説得もむなしく、

「言っておくがわしは官兵衛が憎くて毛利についたわけではない。
 さまざまなことを考え、この道しかないと決めたのだ。。。」by左京進

って・・・解った!!
このドラマ、この文句の”様々なこと”が書かれてないのだ・・・!!
代々続いてきた櫛橋家・・・
ここに来るまでには色んなことを画策し、悩んで・・・でもどうしようもなくてここまで来たんだと思うのです。
なので、家族ドラマやるんじゃなくって、その部分!!”悩んだ様々なこと”を描いてほしいの。。。
だからこその”軍師”官兵衛だと思うんですけどね。。。
このままでは・・・三宅健君の言うまっすぐでお気楽な”官兵衛兄さん”になっちゃう・・・。

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あ~、最後はまた”戦のない世”に繋がってるよ。。。

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しかし・・・光の説得にも応じない左京進。。。


兵糧攻めにあっている上月城の尼子。。。
もう食べるものもありません。。。

「もうすぐ官兵衛殿が・・・」by鹿之助。。。

重くてカッコいい俳優さんの別所さんが、こればっかりです。
もっといろいろあるじゃん、鹿之助にもエピソードが・・・!!

と、もちろん主人公は大事ですが、ドラマでもマンガでもアニメでも・・・
とっても人気のある作品はひとりひとりのキャラが立っていて魅力的だと思うの。。。

例えば今回よく出て来た櫛橋左京進、いろいろわからないことだらけみたいなのですが・・・
小寺政職の妹が正室だそうで。。。そして政職の・・・小寺家の重臣のように書かれていますが、当時はみんなドングリの背比べだったようです。
播磨にうじゃうじゃいる小さい勢力の者が、左右から押し寄せてくる強大な力にとなるわけですが。。。
光とは27歳も離れていたとか。。。

つまり、官兵衛ともすっごく年が離れていて・・・
どちらかというと官兵衛を有能な武将と見抜き、赤合子の兜・具足を送っています。
次の回で死んじゃうみたいですが・・・。
官兵衛は義弟として信長に助命嘆願をしたり、何とか櫛橋を助けようと頑張ります。
おまけに城を無くした”櫛橋氏”は黒田傘下に入ったとも言われています。

何が本当で嘘かはわからなくって、定かではないですけどね。。。
わからないからこそ、人間的に魅力を膨らませて欲しかったんですけどね。。。
櫛橋左京進の”大義”はどこにあったんだろう???

って、戦国時代だから大義はないか・・・

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この題を見て・・・
あ~、今回も女性が中心の・・・
戦略の微塵もない回になるんじゃないかとちょっとですが、どうでしょう??
ホント、この頃はみんな引き裂かれてるんですよ。
お市だって、江だって・・・
ん???それって、信長や秀吉の力がすごかったから波乱万丈だったんだろうか・・・??

1577年11月。。。
織田と毛利の戦いが播磨で・・・!!
わずか一日で福原城を落とした織田軍・・・
播磨で毛利に組しているのは上月のみになってしまっていました。
ここには光の姉、力が嫁いでいました。
姉妹は敵味方に分かれようとしていたのです。

官兵衛は、上月城に説得に向かいます。
しかし・・・
「官兵衛殿・・・さらばじゃ。。。」

そう、織田に仇名す者は・・・
先鋒を願い出る官兵衛・・・
その本意は、上月が身内であるため後方にいれば、裏切りを疑われかねないということ。。。
そして・・・義姉と娘たちを救いたいということ。。。

先鋒を任された官兵衛。。。
戦に勝つことを誓うのでした。

その頃、宇喜多直家の陣では・・・上月景貞も参戦。
「播磨きっての戦上手がどれほどのものか・・・
 見せてもらおう。。。」by直家。

って、いつも言っているのですが、この回までで、官兵衛がどれほどの働きをしたというのか・・・
ドラマだけでは全く解りません。。。

kan1












官兵衛兄さんなので、アクションにも期待しますが、もっと戦略を練ってほしいのよね。。。
そんな場面に飢えているの・・・私。
だって、「軍師官兵衛」でしょう??
それにしても、青の馬具がとってもgood。
毎回目を覚ましてくれます。

う~ん、何だか分かんないけど、山中鹿之助が参戦して形勢逆転!!
三日月の前立て尼子十勇士の筆頭・山陰の麒麟児。

そう、尼子再興を目指す山中鹿之助です。
竹中半兵衛が調達してくれたのでした。
って、これじゃあ”軍師半兵衛”です。。。

一度、半兵衛に怒られた官兵衛は、半兵衛をリスペクトするようになります。
まだなのかなあ・・・リスペクト。。。早くしないと官兵衛幽閉されちゃうから、半兵衛が松寿をかくまってくれないじゃないの・・・???!!!

「願わくば・・・我に七難八苦を与えたまえ。。。」

あ~!!鹿之助伝説の言葉を官兵衛が立ち聞きしてるの???
おまけにその後声をかけるなんて・・・

尼子が大大名だったなんて、みんな知ってるよ・・・
当時の武士は、こんなにベラベラしゃべるんだろうか。。。
う~ん、”武士=語らない”は江戸時代なのかなあ。。。
尼子の亡霊は、どの作品でも気味悪いわ~。

amago
















でも、やっぱり一番気味が悪いのはこの人。「毛利元就」の尼子経久です。
子供ながらにこの人は怖かった。。。
大好きだったのよ・・・緒形拳さん。。。

で・・・鹿之助と話していて・・・
「いずれとてつもない戦上手になるでしょう。。。
 生き残っておれば・・・の話ですが。。。」by鹿之助
って、だ・か・ら!!戦上手の要素ってどこにあるのよ・・・!!

そう、例えばこの尼子経久・・・とっても不気味ですが、当時は”不気味”も一種の褒め言葉になりえたと思うんです。”老獪”とかね。
不器用なまでに愚直に仕えるのは江戸時代の武士のカッコよさで、当時は生き残ってなんぼの時代。。。
愚直はまさにおろか・・・才能がないってことを言いあらわしていると思うの。。。

対照的なのが上月。。。
”裏切りの直家”を愚直なまでに信頼して・・・
これこそ、才能がない=上に立つ資格がないってことなんですよね。

そして・・・事態は急展開。
城主・景貞の首級が秀吉の元へ届けられました。
重臣の裏切りによるものだったのです。

これも戦国時代なら有でしょう。下剋上なんだし。。。
だって、当時は殿の力量を見て家来になれるかどうかを家臣が決めることが出来ました。
だって、命を預けるのだから。。。勝てる人の下についておきたい・・・
まさに、鹿之助が言った「生き残っておれば・・・」というのがここになるわけなんですが。。。
そして城に乗り込んだ黒田の者たちに助けられた力と娘たち。。。

で・・・キーマンとなった鹿之助。。。尼子家再興を・・・という鹿之助の望みどおりに・・・
秀吉から上月城を与えられたのでした。

「主の寝首をかくものを信じられん。。。」by信長。
上月城で裏切っていた家臣たちを皆殺しにさせる信長・・・
おいおい、人、信じとったんかい。。。

直家に会いに岡山城に来た官兵衛。。。
上月家臣の裏切りの後ろには、直家がいたことを匂わせます。。。
kan2












あ~、これぐらいでないとなあ・・・
悪も。。。
そう、官兵衛に爪の垢でも煎じて飲ませてあげてください。。。
やっぱりこんな所もないとなあ。。。
軍師官兵衛、闘わずして勝つんじゃないの・・・???

「生き残った者が勝ち・・・そうであろう。。。」by直家。

まさにその通り・・・!!

kan3












「殿・・・お願いでございます。
 一日も早く・・・この乱世を終わらせてください・・・
 女が泣き・・・子供たちが辛い思いをするような・・・」by光

この考え方も、秀吉が天下を統一させてからの考えだと思うのです。
もちろん幸せ・・・が一番ですが、人生50年・・・生きているのがやっとの時代。。。
戦国時代は、1467年の応仁の乱か、1493年の明応の政変に始まったといわれています。
終わりは・・・1568年の信長入京か、1573年の足利義昭の追放で終わるとされています。
ま、まだまだ安土桃山時代も戦いなわけで・・・戦いが本当になくなるのは大坂の陣だとすると・・・1615年。。。
150年ぐらい戦っている訳です。
戦っているのが普通の時代で、
乱世が終わる・・・ってことを考えようともしなかったかも???って思うんですけどね。。。

で・・・相変わらずの中央の信長、断片的で何をやっているのか全く分かりません。。。
茶道具出て来てるのに、千利休全く出てこずだしね・・・

そう思うと、ふと気づいたのですが、地図もあんまり出てこないですよね。。。
”軍師官兵衛”なんだから、

kan4



















こんな感じでもっと地図を入れて、詳しく戦略をしてほしいって思うのは私だけでしょうか???
最近の戦国時代ブームはゲームからきているって聞いたことがあります。
ゲームも戦略よね。

情に訴えるのは、年末年始なんかにやっている某スペシャル時代劇なんかに任せたらいいのに・・・。

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