日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:山本八重

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総集編・・・最終章です。

明治に入ってのいろいろを・・・。
当時は、新島八重の明治維新後をする必要性って何なのかな??なんて思ってみたり、そう書いている感想も沢山見かけました。
でも、今年の大河「西郷どん」を見ていると、やっぱりあれはあれで良かったんじゃないかと思って・・・。
あたらめて観ると、総集編なのに政治のあれやこれや、心の機微が感じられて、とっても良かったです。

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女性ながら第一線で大活躍する八重さんです。
皇室以外で初めて受勲しました。
それだけ身を粉にして一生懸命働きました。
何のために・・・??

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そこにはやっぱりこれ・・・
松平容保が山川健次郎に公開を託した「孝明天皇の御宸翰」・・・があるんだと思います。

会津という国が無くなっても、そこに殿がいる限り・・・松平容保がいる限り、会津の人たちは前を向いて一生懸命生きたんだと思います。

そして・・・最期まで世の中を見続けるという西郷頼母の姿も・・・

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武士が切腹によって名誉を守ることができた時代に、あえて汚名を浴びながら時代を生き抜いた・・・そんな芯の強い人たちです。
ほんとね、お互いに尊敬し、信頼しているのが分かります。


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着物の着こなしも、所作も、とってもいい感じに・・・丁寧に小奇麗に仕上がっていました。
その着物のように折り目正しいという言葉がぴったりの作品だったと思います。

大河ドラマ・・・ドラマなので歴史に忠実にとは思いませんが、やっぱりドラマにするならかっこよく!!
あ・・・今年の大河を批判しちゃったわ・・・この「八重の桜」ではするつもりなかったのに・・・
登場人物をリスペクトして、歴史をリスペクトして、同じフィクションならかっこよくしてほしいものです。

ほんと、八重の桜は綾瀬はるかさんはもちろん、お話も綺麗だったわ・・・。
涙涙の作品でした

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あ~お盆と夏祭りでバタバタしてなかなかじっくり見れません・・・

鶴ヶ城開城ののち、会津はお家再興の許しを得ましたが・・・領地は北辺・陸奥の国・・・23万石は3万石と減らされました。
大蔵たちはこの地を斗南とし、交易を中心とした国を作ることを決意します。

米沢の八重たちは、行商などでどうにか暮らしていました。。。

そんな八重に、お手紙が・・・
そのお手紙は、尚之助からのものでした。

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良い知らせ???と思ったその手紙は・・・離縁状でした。。。
当時は男性に三行半を言い渡されれば別れるしかなかった時代。
八重にはどうすることもできません。。。
何も言わないまま。。。
何でも一人で決める尚之助を勝手とする八重。。。甘んじて受け入れるようです。。。

その頃斗南では、寒さと飢えで多くの死者が出ていました。。。
大蔵は名を浩と改名し、藩の舵取りに当たっていましたが。。。3万石と言われても・・・実のところは7000石・・・。
まさに、藩ごと島流しにあったようなものでした。

辛抱してたら死んじまう・・・

生きてなお苦しみを味わうことになった会津藩士たち・・・
一縷の望みは北海道で奔走していた尚之助の米の買い付けでした。
しかし、尚之助は詐欺事件に巻き込まれていたのです。。。

行き倒れていたのはユキ。。。
斉藤一が家に連れて帰ると時尾がいました。
連れて来てくれた人が斉藤一だと知ったユキは・・・
新選組が人斬り集団であること、やり過ぎたために長州が会津を憎むのだ・・・と、

会津の為に命がけで最後まで戦ってくれた斉藤一たち。。。
みな生きるのがつらくて・・・恨みをぶつける相手を探してしまうのです。。。

「戦の後に、もっとつらい目に遭うなんて・・・」

東京では・・・駆け足で近代化が行われていました。

新政府もお金がないようです。。。
廃藩置県を論じています。。。

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武士が無くなってしまうと、200万の武士が失業してしまう。。。
それは、また戦が起こるかもしれない・・・武家の世に幕を引く。。。
それは、腹を切るかも知れない。。。覚悟が必要でした。


一方、尚之助の米の買い付けは、訴訟と決まってしまいます。
米の代金が工面できなかったのは、仲買人に騙されたためでしたが、3000両が用意できない・・・
斗南藩としては。。。助けようにも金がない。。。

尚之助は取り調べで、

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「藩命ではない・・・これはすべて、これはすべて私の一存で執り行ったことでございます。。。」

斗南の為にやった米の買い付け。。。
しかし無情にも山川は
「あずかり知らぬ」と返答します。

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3000両の借財を背負ったら、斗南は間違いなく野垂れ死にする。。。

自ら鬼となり、斗南を守ろうとする山川浩がそこにはいました。
そう、その借財を背負ったための離縁状と言われています。


遂に廃藩置県が行われます。斗南藩は、わずか2年でした。
藩がなくなる・・・武士は・・・殿はどうなるのでしょう???
そして・・・薩長への恨みも何処へ。。。。。


そんな不安の中、ひとりの若者が山本家へ・・・手紙を持ってやって来ました。
覚馬の使いでやってきたのでした。

消息不明だった覚馬。。。生きていたのです!!!

これから京都府に出仕することになります。
みんなを都に迎えたい・・・と思っているようです。
しかし、覚馬は時枝の間に子を儲けていました。。。

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心境複雑なうら。。。

山川浩は東京へと行くことに・・・東京に行ったみんなの身がたつ様に・・・
散り散りとなる会津藩士たち。。。

その時梶原平馬は・・・二葉と離縁するのでした。
山川家に戻って二葉と寅次郎を東京へと頼む平馬。。。

「別れるのはいやでごぜえます。。。
 私は・・・梶原平馬さまの妻にごぜえます。。。」

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「無理言うな・・・俺はぬけがらだ・・・
 東京でやり直す気力が俺にはねえ・・・」

梶原平馬は会津戦争当時の立場は若いのに家老。
最後に藩の責任を負って切腹した家老の萱野権兵衛に、その命を伝えたのがこの平馬でした。

そして容保が、鳥取藩江戸屋敷に幽閉されたとき随行したのも平馬でした。

おもだった家老たちが戦死していった中、生き残って代表して責任をとったのが萱野権兵衛。
一方、生きて「その後」の責任を負う立場だったのが、梶原平馬です。

亡くなった萱野と、生きて地獄を歩んだ梶原・・・
本当に、もう、燃え尽きてしまったのかもしれません。。。


うらは、京都には行けないという。。。

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身を切る思い出みねを手放すのでした。。。
うらは会津へ、山本一家は京都へと向かうのでした。。。
京都では・・・身なりもきちんとした京女。。。
若い女性・時枝が待っていました。



勝手の違う家で・・・若くてきれいな女性が・・・
生きていた覚馬。。。しかしその眼は・・・・・見えなくなっていたのです。。。

探すことも迎えに行くこともできなかったと覚馬。。。

「すまなかった。。。」

「生きててくれて良かった・・・」

あ~やっぱり肉親か・・・???
って感じのする終わり方でした。


この回は、3組の夫婦の「離縁のわけ」を書いたわけですが。。。
やっぱり覚馬が納得できませんか???

女の身・・・嫁の立場からすると、うらさん可哀想です。。。
やっぱり、嫁は嫁!!
って感じがプンプンしちゃって。。。
尚之助はあげあげ
平馬も苦労したんだね~と、納得の離縁です。。。
実際、二葉は明治10年ごろには東京女子師範で教えていたと言われています。
彼女もエリート山川の血が流れています。
埋もれさすには惜しい賢い人だったのでしょう。。。

それなのに覚馬ですよ。。。

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アメリカ、マサチューセッツ州の教会にいるのは、オダギリジョー・・・いえいえ、新島襄です。


日本では・・・1869年・・・会津戦争から半年が過ぎ。。。
八重は、米沢城下で反物を売っていました。

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時がたち、藩士たちは謹慎していた猪苗代から東京へ移送されていました。

米沢藩士の内藤新一郎の申し出で、離れに身を寄せていた八重は、反物を売り歩いて細々と家計を繋いでいたのです。
しかし、尚之助の行方はまだ知れず・・・。

大蔵たちの助命嘆願により、大殿たちは死一等を減じられ・・・
新政府は代わりに首謀者の首を差し出すように命じました。

そして・・・それは、萱野権兵衛に。。。

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大変なとばっちりです。
本当は、首謀者3人の首を差し出せ・・・とのことでしたが。。。
この時すでに、神保内蔵助と田中土佐は切腹していたので、あと一人・・・本当は、上からいくと西郷頼母・・・となるところ、行方知れずだったので、次席の萱野権兵衛になってしまいました。
これには新政府軍も、とっても可哀想・・・と思ったみたいで・・・
この件ですべて勘弁してくれたみたいです。。。

大殿からの親書には・・・
「そなたの忠義・・・終生忘れぬ・・・」
照姫様からは。。。
「夢うつつ 思いも別かず 惜しむぞよ まことある名は 世に残れども」

「ただ一つ無念なのは、会津が逆賊の汚名を晴らす日を見届けずに死ぬことだ・・・
 さらばだ・・・」
平馬と大蔵にそう言い残して・・・処刑されるのでした。


同じころ箱館の五稜郭では、旧幕府軍は奥羽越列藩同盟の生き残りと共に激しい戦いに中にいました。
その中には、土方歳三も・・・

しかし、萱野の処刑の日と同じくして降伏。。。
鳥羽伏見からおよそ1年半にわたった戊辰戦争は、これをもってついに終結したのでした。

その箱館に西郷頼母がいました。
「松平容保公のかわりに首を討たれるのは某の役目でござった・・・
 萱野権兵衛殿ひとりに責めを負わせてしまった・・・」

泥水をすする覚悟で敵陣に下る頼母。
「わしは生きる。。。 
 千恵・・・わしはいきっぞ・・・
 わしらの会津を踏み潰してった奴らが、どんな世の中つくんのか、この目で見届けてやる・・・!!!」

そして・・・八重もまた泥水をすすって生きる・・・
世間からは、会津にはそんな目が向けられていました。
しかし、どんなに誹られようとも、侮辱されようとも・・・恥を忍んで生きるそんな八重がいました。

「今は生きていくことが戦だ!!!
 生きていればいつかきっと会津に帰れる。。。
 それを支えに生きていくべ。。。!!」

そんな苦労の中、会津藩士にはお家存続の許しが出たのでした。
しかし、与えられた地は・・・
会津ではなく、陸奥の国・下北の3万石。。。でした。
会津でないことに承服しかねる藩士たち。。。
23万石をたった3万石・・・島流しではねえか!!!

「新しい藩名を”斗南”とする!!」

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意味は、北斗星より南。
転じて、天下。斗南の一人《「唐書」 狄仁傑伝から》天下第一の人。天下に並ぶ者のない人。のことです。

最北の地も帝の領地・・・我らは朝敵ではなく、帝の民であるとの意味だそうです。
”斗”とは・・・戦うという字。。。
我らは会津武士。。。
戦い続けていつの日か故郷の土地と会津の名を奪い返す!!!」

富国強兵をして、再び立ち上がるために・・・!!!

大蔵は、家名再興を受けて藩筆頭の第参事に就任します。
平馬は戦の真の首謀者は自分であったと・・・役職を退くことを決めていて。。。
藩を率いることを大蔵に託したのでした。

山川健次郎は、平馬の命で脱走し・・・
長州の奥平謙輔の元へ書生として預けられていました。

健次郎は死んだ者たちの想いを両肩に背負って・・・
会津を捨てて生きることを決意したのです。

「命がけで学べ!!
 お家の為に!!!」

その年の秋・・・大蔵が八重を訪ねてやって来ました。
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「会津の再興がかないやした。」

尚之助は東京にいるらしく・・・その後、斗南に来るらしい。。。

「八重さん。。。 
 斗南に来ねえか???
 ここより厳しい暮らしになっかもしんねえが、新しい国を造るために、八重さんの力を借りてえ。」


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しかし、八重の心には、まだ恨みが・・・
そして・・・恨みだけでは前には進めない・・・

そして・・・大蔵は尚之助の想いを話して聞かせるのでした。

「川崎殿は仰せでした。
 開城の日・・・己の勝手な思い出八重さんから誇りを奪ってしまった。。。
 それを返す為に、斗南の地に八重さんの故郷をもう一度作りたい。。。
 その想いを胸に斗南に行くんだ・・・と。」

「尚之助さんに伝えてくなんしょ。
 待っていますと。。。」

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年が明けて・・・
会津藩士たちは、次々に新天地斗南を目指したのでした。


いやあ・・・先週会津戦争は終わったのですが・・・
戦後処理はどうなったのでしょう?
萱野権兵衛が切腹というのはそうなんだけれども・・・。

例えば、会津藩士たちは戦死しても野ざらしにされた・・・とか、
それを埋葬しようとすると処罰されたとか・・・
NHKだから出来ないのかしら???
そののち・・・疾病の原因になるからと埋葬が新政府軍によってようやく許可されるのですが・・・
それも埋葬という形とは程遠いものでした。。。

っていうか、本当に書けないぐらいの悲惨さなんですよね。。。
そこから這い上がってきた会津藩士たちって、本当にすごいのです。

これから這い上がってくる会津藩士たちをみんなで温かく見守りましょう。

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新政府軍の圧倒的な兵力を前に、東北諸藩は、次々と降伏。。。
遂に、鶴ヶ城への総攻撃が・・・!!!

大蔵の妻・登勢が被弾。

兵糧も尽き・・・補給路確保のために決死隊が編成され、八重の父・権八が参加することになりました。

「八重、わしらが場門を出るときは、にしが鉄砲隊を指揮して守ってくれ!!
 誰かが行かねばなんねえ・・・。」

降伏した米沢藩から書簡が・・・
そこには、降伏を勧めるような内容が描かれていました。
「降伏の道を探るが最善・・・」と。

冬が来れば・・・幹部は、敵が会津の冬を怖れての総攻撃と。。。
しかし、冬まで城が持つのか・・・!!!

登勢の死を知った大蔵、帰ってきた健次郎に怒り大爆発です!!!

「なぜ討ち死にしなかった・・・!!
 なじょして帰ってきた!!!
 女でさえ、命を落としている!!!
 腹を切れ!!今ここで腹を切れ・・!!!」

と、怒りに任せる大蔵。。。

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無念の健次郎さんです。。。
「もうたくさんだ・・・!!これ以上、死ぬことはねえ・・・!!!」


降伏した諸藩を巻き込んで、大軍が会津へと向かってきていると、尚之助は判断しているようです。
2000発は超えるであろう砲弾を浴びる鶴ヶ城。。。
夜中でもその砲弾は止むことはなく。。。
その砲弾の中、秋月悌二郎がお城を後にしました。。。
密命を帯びているようです。

新政府軍の総攻撃が始まって4日が経ちました。。。

何もかも戦で燃やしてしまった・・・誇りまでも・・・。
苦悩する容保。

総督の元へ・・・
会津の降伏を伝えに行った悌二郎。。。
板垣には会わせてはもらえません。。。ひとり、また一人命を失っているというのに。。。

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権八も、米の補給をして帰ってくるも・・・
砲弾を浴びて命を落としてしまいます。




「女子がすすだらけで・・・
 やっぱり、鉄砲を教えたのは間違いだ・・・
 八重・・・にしは、わしの誇りだ・・・
 皆をまもれ。。。」

総攻撃7日目。。。
悌二郎が白旗を掲げて帰ってきました。。。

降伏嘆願が受け入れられたのです。
そして間もなく、城への砲撃は止みました。

その翌日、城内の者たちに・・・女たちには照姫の口から、降伏が伝えられました。
藩士は・・・男たちは、猪苗代で謹慎が命じられます。

男たちは容保から・・・。
あ・・・その中に八重もいます。。。

殿が頭を下げるのを止めるみんな。。。

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「罪は我が一身にある。
 この上は、この一命を以って、会津を・・・皆の行く末を守る・・・!!
 何があっても生き延びよ!!!
 最後の軍命じゃ。生きよ!!!」


「お殿様は間違ってごぜえやす。
 何があっても、お殿様には生きていただかねばなりませぬ!!!」

と、八重、すっご~い!!
殿様に意見してるよ!!!
この八重の一言が効いたのか?殿は一生御宸翰を身につけて生き続けましたよ。yae5


「殿は、我らが命に代えてでも守りますゆえ・・・!!!」


そうそう、これから大蔵さんが走り回って、殿の助命嘆願を成し遂げます。


白い旗に「降参」
翌朝、降伏の白旗が城壁に掲げられました。
官兵衛にも知らせが・・・!!!

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yae8城の正面で降伏式が執り行われました。







そして、容保は謹慎所の妙国寺へと移っていったのです。






その夜・・・
「あすの夜は 何国の誰か眺むらん なれし御城に 残す月影」

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あ・・・間違いました。
スーちゃんでした。

頭上に浮かぶのは美しい会津の月。。。
辞世の句を書きしるし、猪苗代に向かおうとする八重。。。
その八重を抱いてなく母・・・謝る八重・・・そして、そんな二人を見ている尚之助がいました。。。


鶴ヶ城は明け渡しとなります。
9月23日開城。。。官軍の兵が続々と入ってきました。
女たちが磨いた廊下をずかずかと土足で入る板垣達。。。


男たちは城に残って・・・
その中には八重が・・・いえ、山本三郎がいました。

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「女だ!!女が紛れているぞ・・・!!!」

「私も猪苗代に活かせてくなんしょ!!
 お願いしやす!!私も一緒に戦いやした!!
 鉄砲で・・・!!
 私はあなたのお味方を殺しやした!!
 お願いしやす。猪苗代に・・・!!
 尚之助様・・・!!!」

そう、女がいると言ったのは尚之助・・・。
きっと、八重と、佐久と、権八のことを想って・・・
ひとり城に残されてしまった八重。。。

何もかも消えてしまったお城に立ち尽くす八重。。。
そう、八重の辞世の句は、荒城の月のモデルだとも言われています。


春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ

今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐

天上影は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月

作詞した土井晩翠の宮城県仙台市の青葉城、同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城。そして滝廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市の岡城、く富山県富山市富山城なんかをモデルにしたようですが。。。

いろんなことを踏まえると、やっぱり鶴ヶ城がイメージ的に強いのは言うまでもありませんね。。。

尚之助は、本当に八重を死なせたくなかったのでしょうね。。。
みなさんご存知の通り、この後八重は新島襄と結婚するわけですが・・・
尚之助さんはこの後どうなったのかはあまりよく分からないのが実情です。

斗南藩の為に、いろいろ事業を始めようとしたようですが、それも武士の商売・・・。
上手くいかないまま、その上、藩は知らん顔を決め込みます。
尚之助がひとりでやったこと・・・みたいな感じになって、尚之助は多くの借金を背負うことになるのです。

本当ならば、戸籍を作るときに”妻・八重”となるところでしょうが、たくさんの借金を抱えたためにその借金を同じように背負うとなることを思って、妻の欄は空白にしてあったのでは?と言われています。

尚之助の気持ちはわかりませんが、八重が借金を背負うことがないように・・・
と思う人なら、八重を生かすために、ドラマのようなこともしたかもしれませんね。。。

だから八重は、尚之助が生きていたかどうかも解らないまま・・・
新島襄と結婚したのかも知れません。

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慶応4年8月23日、新政府軍は会津城下に侵入。
八重は、スペンサー銃を肩に入城。
少年たちを率いて銃撃戦の指揮をとり・・・

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土佐と内蔵助は腹を斬り・・・飯盛山では白虎隊の少年たちは自刃。
頼母の家族たちは命を断ち。。。
政府軍に抵抗の意を示します。

そして・・・八重は夜襲にも参加。。。

う~ん、土佐と内蔵助の命・・・この戦禍で絶ってもなぁ・・・。
新政府軍には届かないのでは???
と、思っちゃうんですよね。。。
これを大々的にニュースにしないと、負け=戦争が終わるにはならないでしょう?
ますます被害拡大です。。。

「八重さま!!
 日新館が燃えています!!」

春英先生によると、敵に奪われないように焼き払ったとのこと・・・。
そして、動けないものはみな、自害したのだと。。。

ユキは泊めてくれる家を探していますが、誰も泊めてくれません・・・
そこで思ったのですが・・・やっぱり武士しか戦をしていないのでしょうか?
ほら、徳造やお吉も村に帰っていったし。。。

お城では、兵糧づくり、病人の介抱・・・女性たちも戦っていました。

そして、お城の外でも女性たちが・・・
中野竹子率いる「娘子隊」も出陣することに!!!

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老中たちの会議では・・・
土佐と内蔵助の自害の後も、戦いに邁進する老中たちの中、やはりひとり恭順を唱える頼母。。。
そうなんですよね・・・
結局会津戦争の責任を取って上から3人自害します。
すでに自害してあった土佐・内蔵助・そして・・・本当なら西郷頼母なんですが、行方不明だったのでとばっちりで萱野権兵衛

これが責任なら、この時に責任取れば何とかなったかもしれないのになあ・・・。

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そして、娘子隊も・・・
中野竹子も。。。

「首を・・・敵に渡してはならぬ!!!」

痛い!!!首!!!
と思ったけれど、やはりNHK。首は回収しませんでしたね。。。

みんな疲れMaxの中、砲弾がお城に飛んできます。。。
火薬庫も敵の手に落ちてしまいました。。。

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ちなみに、落城すぐの鶴ヶ城はここまでコテンパンにやられていたのでした。

火薬を失い・・・この戦を止めることを大殿に進言する頼母。。。
「今、恭順開城せねば・・・会津の民は根絶やしにされてしまいます。」
官兵衛に、「頼母さまは腰抜けだ!!」とか、
平馬に「負ける事ばかり言われる!!」とか言われ、
止めは大殿の「ことここに至っては、海上恭順の道などない!!城と命運を共にするのみ。。。」
でした。

生け捕りにされていたお雪様。。。
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「お願いがごぜえやす・・・
脇差をお貸しください・・・」
と・・・修理の元へ・・・。

8月26日山川大蔵は兵を率いて城下近くまで戻ってきていましたが・・・お城にたどり着けません。。。
「今は・・・一兵たりとも失いたくねえ。。。」
と、奇策に出た大蔵。。。

「おっかさま・・・彼岸獅子が来た。。。」

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彼岸獅子となって、山川大蔵鶴ヶ城に入城です。。。

敵の目を欺いての入城・・・
これぐらいしか”明るいエピソードがない”っていうぐらいの、エピソードなんですが、ドラマでやっていたほど敵の目を欺いていたのか???
それはわかりません。。。
もう落城は目の前なのに入場しようとする山川大蔵に、新政府軍が”武士の情け”をかけたのでは?とも言われています。

容保に、
「勇気を持って恭順の意・・・お示しくださりませ。。。
 会津を助けてくださりませ・・・」
と、お願いする頼母。。。
しかし、別の役が言い渡されます。
「越後海道の萱野の元へ行き、城に入らずその場で戦えと伝えよ」と。。。
その軍命は、頼母に会津を去れ。。。というものだったのです。。。

八重、強いですね!!!
こんな古い頭の会津で・・・でも、八重も頑固だから同じでいいのか???

ここ何週間か、みんなバタバタとというか、淡々と死んでいくわけですが・・・
これが漫画なら、「八重カッコいい!!」みたいになるのかなあ・・・って思いながら、でも人間が演じるということはあまりにもシリアスで怖くもあって・・・。。。

でも、本当に・・・死ぬことに麻痺してきそうなほど死んで行っていますね。。。
それだけ悲惨だった。。。ってことなんでしょうけど。

完膚なきまでに叩きのめされた会津が・・・どんなふうに立ち直っていくのか???
絶対それを書いてくださいね。。。


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