新品価格 |
赤禰武人・・・長州の奇兵隊第三代総督をつとめた男・・・
「不忠不義の至り」と断罪されて刑死しました。
冤罪だという声もあるにはありましたが・・・長く捨て置かれてきました。
こちらが本人です。
花燃ゆでは、阿部亮平さんが演じてくれています。
こんなに笑っていますが、実は、いわゆる奇兵隊の闇を一人で背負ってくれています。
柱島の島医師・松崎三宅の次男に生まれたといわれています。
15歳の時に妙円寺の僧侶・月性に学び、月性の紹介で浦靱負の郷校である克己堂で学びます。
1856年、15歳の時に短期間でしたが松下村塾で学びました。
その後、長州藩重臣浦家の家老・赤禰雅平の養子となり、陪審ながら武士の身分を手に入れ・・・梅田雲浜の望南塾に入塾します。
安政の大獄で捕縛されるものの、釈放され帰郷。
その後、吉田松陰らに相談し江戸において雲浜の救出を試みるが失敗、藩から謹慎処分を受けています。
1862年4月に謹慎が解かれると、松下村塾メンバーと共に尊王攘夷活動に・・・。
英国公使館焼き討ち、下関戦争に参加、その後、第三代奇兵隊総督となります。
1864年の第一次長州征伐のあと、藩内の幕府に俗論党(椋梨藤太・恭順派)VS正義派(奇兵隊などの主戦論派)の融和を図ろうとしますが、それが二重スパイの疑いをかけられることとなり、いろいろあって高杉らと対立するのでした。
ようやく奇兵隊を残すこととなったのに、高杉晋作またもやの暴走!!
武人は、同志から俗論派のスパイ、裏切り者と疑われ・・・そのせいで脱藩して大坂に逃走!!
その後も、一人で長州藩を何とかしようと頑張りますが、長州藩士に捕縛されて・・・
山口に送られるも、一度も詮議されることなく・・・
「奇兵隊総督当時に、馬関戦争に於いて敵前逃亡した罪」によって斬首され、首級は、出合河原に晒され・・・むごい最期を遂げるのです。
武人の獄衣の背には・・・
「真は誠に偽りに似 偽りは以って真に似たり」
と書かれてありました。
その死に山縣狂介(有朋)が関わっていたという説もあるのですが・・・この花燃ゆではどう描かれるのでしょうか??
もしかして描かれない???
奇兵隊は、上下の関係のないフラットな集団みたいな感じがします。
が・・・本当はそんなことは全くなく・・・
変な言い方になりますが、武士という”くくり”のない集団。。。
粛清に粛清を重ねた新選組の方が、当時の荒くれ者を管理するのには当たり前な感じがします。
もしかすると、闇の部分はこの赤禰武人が全部持って行ったのかもしれません。。。
奇兵隊150年 奔走する幕末最強集団はこちら。
↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。
にほんブログ村
幕末・明治時代(日本史) ブログランキングへ
司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像 (集英社新書) 新品価格 |
新品価格 |