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調所笑左衛門は、幕末の薩摩藩財政を再建した立役者です。
1830年12月、調所はときの藩主・島津重豪から、
①50万両を蓄えること。
②幕府への納付金及び非常用の手当金を準備すること。
③500万両の古借証文を回収すること。
を命じられます。
家老兼側詰の重臣となり、翌年から10か月の期間でこれを達成させます。
調所が財政改革の主柱としたのが、奄美大島など3島からの砂糖の総買入制度。
改革着手から10か年の売り上げは、それまでに比べ98万4000両にものぼりました。
また、彼は大胆にも500万両の負債を無利子250年賦与とし、偽金を造ったり・・・また琉球を通して大々的な密貿易を行いました。
加えて・・・調所は、”近代工業の開発””軍備の近代化””各主産物の振興”にも着手。
しかし・・・財政改革を成し遂げたあと・・・
藩経営に携わろうとした時。。。
江戸桜田藩邸で変死します。死因は服毒自殺。。。
定説では、自殺させたのは後の・・・第11代藩主島津斉彬だとするのが通説となっています。
調所が財政改革すべく、危険を冒して行った密貿易を、斉彬が幕府に密告したというのです。
そして・・・その責任を一身に背負っての・・・・つまり、謀殺???
これには、調所の推し進めた農政・軍政の改革が、藩士の不満を高めていたからだと言われています。
また、重豪亡き後の斉彬と久光の家督争いが絡んでいたことに最大の理由がありました。
斉彬は早くから英才の評が高く、藩政を執ることを期待する藩士が少なくありませんでしたが、調所は財政再建の当事者として、斉彬の妨害者のひとりと見られ、憎むものも多かったと言われています。
突破700年 島津家退くことを知らずは
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