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皇女の結婚 潔姫
律令に基づいて政治が行われるようになった奈良時代。
朝廷の様々な制度が確立、天皇の娘である皇女には、内親王という称号が与えられることに・・・。
更には皇女は天皇か4世代までの皇族としか結婚できないと定められました。
皇族の血筋をむやみに広げないということが目的でした。
ところが平安時代、この時代を破って、皇女が臣下と結婚するという前代未聞のことが・・・!!
それは、嵯峨天皇の皇女・潔姫です。
嵯峨天皇は、女性好きで知られ、50人もの子を設けました。
しかし、これが問題で・・・当時、律令によって、天皇の子には一品から四品までの品位が与えられ、その品位に応じて税収の権利や私有地などの膨大な俸給が支払われていました。
これに倣い、50人の子全員に俸給を払うと・・・その額は膨大で、朝廷を圧迫することは目に見えていました。
そこで目をつけたのが臣籍降下です。
臣籍降下とは、皇族がその身分を離れ、「源朝臣」という姓を与えられて臣下となることです。
これなら、子供達への俸給は払わなくて済むのです。
この時、嵯峨天皇が格下げしたのは50人中32人!!
皇女は15人!!
皇女が臣下に下ることは史上初のことでした。
源潔姫もその一人ですが・・・どうして格下げされることとなったのでしょうか?
潔姫の母親が、当麻治田麻呂(下級役人)の娘だったので、内親王になることができなかったからです。
臣籍降下となった潔姫・・・ほかの14人の皇女たちも同じ理由からでした。
皇族でなくなった彼女たちの生活は一変!!
俸給カット、御所への出入り禁止、身の回りの世話をする女官もいません。
潔姫は、母方の実家に身を寄せますが、下級役人だったので、その生活は天と地との貧しいものでした。
そんな清姫を不憫に思ったのが、張本人の嵯峨天皇。
幼いころから潔姫を人一倍かわいかったので・・・思いついたのが貴族との結婚!!
皇族ならば限られていましたが、臣下となった立場なら貴族との結婚が可能です。
裕福な貴族と結婚し、不自由ない生活をさせてやろうと考えました。
相手探しに奔走し、見つけたのが藤原良房でした。
良房は、時の左大臣・藤原冬嗣の次男で、藤原氏の中でも藤原北家という家系に属していました。
藤原北家は、奈良時代に活躍した藤原不比等の子がそれぞれ・・・
藤原南家・・・・武智麻呂
藤原北家・・・・房前
藤原弐家・・・・宇合
藤原京家・・・・麻呂
を祖とする家系の一つで、平安時代に入り他の家が力を失う中、天皇の側近として頭角を現していました。
そんな有力な藤原氏との結婚を取り付けた嵯峨天皇、この結婚にはもうひとつ思惑が・・・
潔姫を大変可愛がっていたことは事実ですが、この結婚で藤原氏を天皇家を守る一族にしようとしたのです。
潔姫は、皇女だった女性として初めて臣下である貴族に嫁ぐこととなります。
その結婚は、当時の貴族の結婚・・・婿取婚でした。
結婚式にも独特のしきたりが・・・
決まると陰陽師が日取りを決めます。
その日が来ると、花嫁に恋文を認め、ふみ使いの子供に届けさせます。
その夜、花婿は牛車に乗り花嫁の家へ・・・
嫁入り行列ではなく、婿入り行列で、上流貴族ともなると盛大でした。
花嫁の家に着くと、道中の灯りに使った日をその家の灯籠と燈台に移し、1か月にわたって消さないように守りました。
その後、花婿と花嫁は帳台に新枕(共寝)をします。
花婿は、翌朝には自宅に戻り、後朝の文を送ります。
花嫁を慕う恋の歌を記して・・・。
新枕の夜から3日間、花婿は花嫁の家に通い続け、ようやく結婚が成立するのです。
そして、結婚が成立した3日目に・・・三日夜餅の儀式が・・・。
寝所にお餅が供えられ、二人が自分たちの結婚を祝うのです。
女性の家のお餅を男性が食べる・・・そのことで、男性を女性の家の一員に迎えるという儀式です。
この夜、露顕(ところあらわし)と呼ばれる現代の披露宴が行われ、夫婦になったことを周囲に認めてもらいました。
有力貴族・藤原良房の妻となった潔姫の暮らしは向上します。
おまけに、皇女をもらった良房の地位も上がります。
天皇から引き立てられ、出世していきます。
二人の娘・明子(あきらけいこ)が文徳天皇と結婚、二人の間の男の子が清和天皇となり、天皇の母方の祖父となった藤原良房は、皇族以外で初めての摂政となり、絶大な権力を手に入れるのです。
潔姫の結婚を機に、藤原氏は皇女の結婚相手にされるようになり、それ以来、平安時代を通し、皇女の結婚は、藤原氏の権威を高めるために利用されていくのです。
平安時代の皇女はなかなか結婚できませんでした。
というのも、律令によって、結婚相手は皇族か一部の貴族だけに限られていたこと。
そして、斎王を務める義務があったからです。
斎王とは、天皇に代わって、伊勢神宮と京都の加茂神社に仕える女性のこと。
延喜式には・・・”天皇が即位したら、未婚の内親王を選んで斎王に定めよ”とあります。
そのため、皇女は幼いころから斎王となり務めを果たすことに・・・。
斎王に任命された皇女は、沐浴などで二年間身を清めた後、斎王として周囲から隔離された生活を送ります。
姿を見せるのは、毎年4月の葵祭の時だけ・・・。
斎王は、華麗な行列を率いて加茂神社に参拝。
神に使える身として祭祀を行いました。
そんな斎王は一度なると、天皇の崩御、譲位、親族がなくなるなど、よほどのことがない限り、解かれることはなく・・・斎王である間は結婚が許されませんでした。
いつ終わるとも知れない長い孤独の日々を送る斎王・・・。
その選び方は亀占い??
占いは形式上で、本当は天皇や重臣で決まっていたとも・・・??
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