日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:強制収容所

独裁者アドルフ・ヒトラー・・・彼には唯一心を許した正式な妻がいました。
その名はエヴァ・ブラウン・・・ヒトラーより23歳年下の女性です。
しかし、その存在はドイツ国民に知らされることはありませんでした。
秘密の関係を続けたエヴァとヒトラー・・・二人が結婚式を挙げたのは、共に命を絶つ前日でした。
独裁者アドルフ・ヒトラーが愛した一人の女性・・・エヴァ・ブラウン。
幼いころから自由奔放、政治には関心がなく、ハリウッド女優になることを夢見ていました。
やがてヒトラーと恋人となると、エヴァはヒトラーが用意した豪華な山荘で暮らしました。
ファッションを楽しみ、大好きな動物を飼い、気ままに過ごす日々・・・
第二次世界大戦が勃発し、ドイツ国内が戦火に包まれる中でも、身の危険や貧困からは無縁の暮らしでした。
ヒトラーをはじめ、ナチスドイツの高官と他愛もない会話で周囲を和ませたエヴァ・・・
多くの召使に囲まれ、山荘の女主人と称しました。
しかし、その裏では家族との確執を抱えていました。
ヒトラーの過激な言動に反発し、別れを勧める父・・・
ナチスドイツの反ユダヤ政策に反対する姉・・・
そしてヒトラーには常に何人もの女性の影が付きまといました。
その一方でエヴァの存在は極秘・・・山荘という鳥かごに閉じ込められていました。
しかし、ナチスドイツが滅びる2か月前・・・
エヴァは自ら鳥かごを出てヒトラーがいる戦火のベルリンに向かいました。

エヴァ・ブラウンとヒトラーが出会ったのは1929年。
17歳のエヴァは、ミュンヘンにある写真館で働いていました。
そこへ店主に連れられて一人の男がやってきました。

「おかしな口ひげを生やし、大きなフェルトの帽子をかぶった中年紳士が入ってきたの
 私の足を見つめていて、あまりいい気がしなかったわ」

「君は、あの方が誰だかわからないのか?」

「さあ・・・」

この男こそ、アドルフ・ヒトラー。
当時40歳、急激に勢力を伸ばしていたナチ党の党首・・・すでにメディアを賑わす有名人でした。
エヴァにとっては、この中年男の初対面の印象はよくありませんでした。
しかし、後にエヴァとヒトラーは恋人同士になします。
どうして惹かれていったのでしょうか?

エヴァ・ブラウンは、1912年、ドイツ・ミュンヘンの中流家庭で誕生します。
エヴァは三姉妹の次女で、教員だった父のフリードリヒと母フランツィスカの元、娘たちは厳しく教育されました。
学校の成績は優秀でしたが、いたずら好きの問題児・・・教師たちに手を焼かせる生徒でした。
エヴァは思春期を迎えると、父の監視は益々厳しくなります。
父は娘たちの手紙すべてに目を通します。
門限を設けて夜10時には床につくように・・・。
1928年、16歳になるとカトリック修道会の女学院に入学させ、模範的な淑女に育てようとしました。
しかし、この頃エヴァが夢中になったのは恋愛小説と映画。
特に学芸会では演劇に熱心に取り組みます。
いつしか、ハリウッド女優として成功することを夢見るようになっていました。

教師の父親が一番重要視していたのは、娘たちに一流の専門教育を受けさせること・・・。
しかし、エヴァ達娘は、反抗的でした。
17歳になったエヴァは、近所の写真館で働き始めます。
これが、彼女の運命を大きく変えることとなります。

この頃ドイツは、第1次世界大戦で敗戦し荒廃していました。
戦争を再び起こさないように軍備を制限され、戦後賠償で経済はどん底・・・町には失業者が溢れていました。
そんな時、経済復興と失業問題の解決を掲げ、支持を集めたのがヒトラー率いるナチ党でした。
エヴァが働く写真館の店主は、熱烈なナチ党員・・・ヒトラーの専属写真家も務めていたため、店はヒトラーの写真で埋め尽くされていました。
ヒトラーと出会った夜、エヴァは父に聞いてみました。

「アドルフ・ヒトラーってどんな人?」

「ヒトラー?
 あいつは自分が万能だと思い上がっている青二才だ!!」

父親はもちろん心配していました。
なぜなら、当時のナチ党は、極めて暴力的で殺人を犯すこともありました。
しかし、エヴァは、父への反抗としてヒトラーに近づきました。
一方、ヒトラーは、エヴァを気に入りました。

「彼女は私を和ませるんだ」

ヒトラーは、周りを側近や気の置けない人で固める傾向にありました。
そういった狭い交友関係の中で女性も選んでしまうのです。
その後、ヒトラーは写真館を訪れるたびにエヴァへプレゼントを持ってくるようになりました。

「エヴァさん・・・オペラに招待してもよろしいですかな?」

23歳年上の男からの紳士的な誘いに魅了されていったエヴァ・・・
出会いから2年がたったころには姉にこう打ち明けています。

「絶対にあなたもヒトラーに会うべき!
 会えばあの人のイメージも変わるから・・・!!」

ヒトラーの女性に対するマナーには、うっとりとするものがありました。
夢中になってしまったのは、エヴァからでした。
しかし、この頃のヒトラーには特別に親密な女性がいました。
姪のゲリ・ラウバル(23歳)です。
ヒトラーの姉の娘で、エヴァより4歳年上でした。
ヒトラーとゲリは、2年の同居生活を送り、叔父と姪を超えた深い関係だったといいます。

「私は姪のゲリを愛している
 だが、結婚は出来ない」

タイプとしては、エヴァとおなじように非常に快活で行動的な女性でした。
そんな中、ヒトラーとエヴァが急速に近づく事件が起こります。
1931年ゲリが自ら命を絶ちました。
一説ではヒトラーの束縛が原因ともいわれています。
ヒトラーは憔悴しきっていました。
ゲリを失ってしまったショックがあまりにも大きかったのです。
それを見たエヴァは・・・

「ヒトラーにとってあの女は、きっと特別な人だったのね」

この直後、エヴァは思いがけない行動に出ます。
髪型や風貌、話し方まで自分をゲリそっくりに真似たのです。
いつしか二人は恋人同士になりました。
エヴァ19歳、ヒトラー42歳の時でした。

自ら望んでヒトラーの恋人となったエヴァ・ブラウン・・・しかし、わずか2年の間に2度も自殺を企てます。
何が原因だったのでしょうか?
エヴァがヒトラーと出会って3年後、1932年7月、ヒトラー率いるナチ党は、ドイツ国会選挙で第1党に躍進します。
ますます政治活動に力を入れるヒトラー・・・
エヴァをミュンヘンに残し、ドイツ中を飛び回ります。
以前より会う時間は減っても二人の関係は続いていました。
当時ヒトラーは、側近にこう漏らしています。

「私はミュンヘンにいる一人の娘を愛している」

しかし、エヴァの存在は、限られた一部の人だけの秘密でした。
それは、ヒトラーの結婚に対する考えからでした。

「私には既に花嫁がいる
 私はドイツと結婚したのだ!」

独身であることで、女性の支持が得られるという考え方がヒトラーにはありました。
結局最後まで、ヒトラーはエヴァと言う存在を国民の目からひた隠しにしました。
ヒトラーにとっては、女性よりも政治の方が大事だったのです。

この時、エヴァ・ブラウンは20歳・・・ミュンヘンの実家でヒトラーからの連絡を待つだけの生活でした。
そんな中、ある事件を引き起こします。
エヴァは、ヒトラーに別れの手紙を投函・・・そして・・・銃弾は首をかすめ、一命をとりとめました。
知らせを聞いたヒトラーは、すぐに病院へ駆けつけました。
そして医師にこうただしました。
 
「彼女は本気で自殺しようとしていたのか・・・??」

「彼女は心臓を狙っていましたが、なんとか助けられました」

エヴァは、ヒトラーとの関係が終わるのではないかと深く絶望していました。
これからは、この娘を気にかけてやらなければ・・・
2度とこんなことが起きてはならない・・・
ヒトラーは、いつでも連絡が取れるようエヴァの部屋に電話を設置しました。
自殺未遂の翌年・・・1933年1月にヒトラーは首相に就任。
一層政局に謀殺されていきます。
21歳の誕生日を迎えたエヴァの元には、ヒトラーから指輪やネックレス、ブレスレットが届きました。
しかし、肝心のヒトラー本人は現れませんでした。

「彼が殊勝になったところで、私に何の関係があるの??
 彼に会えない日が増えるだけだわ」

翌年ヒトラーは、ナチ党の党首・首相・大統領と全ての権限を持つ総統に就任し、独裁色を強めていきます。
武力を背景に、反対勢力を排除していきます。
しかし、エヴァは、ヒトラーの政治には関心を示さず、生涯ナチ党に入りませんでした。
そんなエヴァにとっての最大の関心ごとは、ヒトラーの周りの女性たちでした。
絶大な人気を誇るヒトラーの周りには、有名女優や歌手、映画監督などが集まりました。
青年時代は画家志望だったヒトラーは、芸術的才能を持つ女性たちと積極的に触れ合います。
それに対して、エヴァの存在はあくまで秘密にされ、公の行事に参加する事さえ許されませんでした。
エヴァは、ヒトラーに寄ってくる女性たちに、激しい嫉妬心を抱いていたといいます。
ヒトラーは、多くの著名な女性と出会っては、彼女たちの機嫌を取るため贈り物までしていました。
しかし、エヴァは、自分がとても難しい立場にいることも自覚していて、すべてを受け入れるしかありませんでした。

エヴァの23歳の日記には・・・ヒトラーと自分の関係が・・・その時々の気持ちが書かれています。

「昨日は思いがけなく彼が来て、うっとりとするような夜になったわ」

それから2週間後には・・・

「彼はもう、14日間も来ていない
 私は彼がなぜ怒っているのかわからない」

さらに12日後には・・・

「今は政治的にいろんなことが起きているから彼が私に興味を示さないのは当然のことよ
 ただ静かに待っていればいいのよ」

この日記が書かれた1935年3月16日、ヒトラーは第1次世界大戦後に禁止されていたドイツの再軍備を宣言しました。

エヴァの日記に書かれているのは、ありふれた日常ばかり・・・
国がひっくり返って、世界が崩壊するかもしれない中で、エヴァがはヒトラーが自分のために時間があるかどうかという観点からしか見ていませんでした。

翌月のエヴァの日記には・・・

「愛なんてものは彼の計画から外されてしまったんだわ」

そしてエヴァは再び事件を起こします。
自宅で大量の睡眠薬を飲み、2度目の自殺を図ったのです。

「親愛なる神様、今日中に彼と話すことができるようにお力をお貸しください
 明日では遅いのです
 私は35錠飲むことに決めました」

しかし、姉がすぐに発見して手当てをしたため、命はとりとめました。
この時姉は、エヴァの自殺の原因を両親に知られるのを恐れ、日記の一部を破りとりました。
エヴァの日記は後になくなりますが、姉が破った4か月分だけが偶然残りました。
再び自殺を図ったエヴァに対し、ヒトラーは驚くとともに心打たれたといいます。
ヒトラーは、自分に絶対的な忠誠心を誓った仲間に非常に温情をかけるような面があります。
自分の命をかけてまで、自分に忠誠を示してくれたというのが、ヒトラーの気持ちを動かしました。
2度目の自殺未遂から3か月後、ヒトラーは公式行事にエヴァも参加することを許しました。

1935年秋、ニュルンベルク党大会・・・ヒトラーのもとに10万もの人が集まるのをエヴァは初めて目の当たりにしました。
この党大会中にヒトラーはある重要な法案を可決しました。
ニュルンベルク法と呼ばれるユダヤ人の市民権を奪う人種差別法です。
エヴァは日記にこうつづっています。

「地球でもっとも偉大な人の恋人の私」

エヴァ・ブラウン23歳の秋のことでした。

エヴァとヒトラーが出会って6年が経った1935年、父・フリードリヒはヒトラーに手紙を送ろうとしました。
恋人とはいえ、秘密で結婚もしようとしないというエヴァとの中途半端な関係を心配したからです。
「子供達は結婚して初めて両親のもとから離れるもの」
これ以上付き合うなら、エヴァと結婚してほしいと遠回しに迫っています。
この手紙はヒトラーに届けられる前に、エヴァに見つかり破り捨てられてしまいます。
しかし、父が手紙の写しを持っていたため、どんな内容だったのかわかっています。

もちろん、エヴァは結婚したかったのです。
しかし、自分の立場を受け入れ、一度たりともヒトラーの邪魔をしようとはしませんでした。
常にヒトラーの言われたように動きました。
だから、あのような関係が長く続いたのです。
ミュンヘン近郊・・・自然に囲まれたオーバーザルツベルクの山荘・・・ここを気に入ったヒトラーは、山荘を買い取って改築しました。
改築が完成すると、エヴァ・ブラウンは実家から出て山荘で暮らすようになります。
この時、24歳・・・山荘には巨大な大広間をはじめ、30以上の部屋があり、最高級の木材などが使われていました。
人里離れた山荘は、関係を公にできない二人にとって絶好の隠れ家でした。
この山荘で、エヴァに仕えていた女性の証言が残っています。

「”ハッキリ言っておくわ”と初日に言われたの
 ”あれがヒトラーの部屋で、こっちがエヴァの部屋、利口ならば2人の関係はわかるわね
 あともうひとつ
 何を見ても、何が起こっても、絶対口外したり、書き留めたりしないこと
 エヴァの存在は極秘よ”とね
 だから、2人がどこまで進展しているのかは分からなかった」

エヴァとヒトラーは、人前では仲のいい友人として振る舞い、決して親密な態度は見せませんでした。
そんな2人が楽しみにしていたのが夜の映画鑑賞です。
その日何を見るか決めるのはエヴァ、特に好きだったのはハリウッド映画「風と共に去りぬ」でした。
エヴァは、主役のスカーレット・オハラを真似た衣装を着て、映画の一シーンを再現するほどお気に入りでした。

エヴァが山荘に移って3年が経った1939年、第2次世界大戦勃発。
9月、ドイツ軍はポーランドに侵攻。
戦争が始まると、山荘は総統大本営となりました。
ヒトラーは、ここで日夜作戦会議を開いて戦略を立てました。

戦争中でも、エヴァの暮らしにはほとんど変わりはありませんでした。
しかし・・・エヴァ自身にはある変化が起きていました。
ヒトラーが山荘を離れるとエヴァはそれを待っていたかのようにいそいそとパーティーの準備を始めるようになります。

「それまでおとなしくしていた彼女が一瞬で豹変した
 すぐに様々なお楽しみの準備が始まった
 はめを外し、まるで子供だった」

さらに、エヴァは家族も山荘に呼んで一緒に優雅な生活を送るようになりました。
そこには、ヒトラーをかつての青二才と嫌っていたフリードリヒの姿もありました。
この頃には、父もナチ党に入党しています。
いつしかエヴァは、自らを山荘の女主人と名乗るようになっていました。

開戦当初、ヒトラー率いるドイツ軍は快進撃を続け、1940年6月にはパリを占領するなどヨーロッパ中を震え上がらせました。
戦争を拡大する裏で、ナチスは数百万人のユダヤ人を強制収容所に送ります。
こうしたユダヤ人迫害など、ヒトラーの政策を批判していたのは姉のルイゼでした。
山荘で公然とヒトラーを批判する姉に対して、エヴァはこう言いました。

「総統が、あなたを強制収容所送りにしても私は助けないわよ!」

第2次世界大戦末期の1945年4月30日・・・
ナチスドイツの総統官邸でエヴァはヒトラーと共に命を絶ちました。
一体どうして・・・??
1944年、ヒトラー率いるナチスに開戦当初の勢いはありませんでした。
6月には連合軍がノルマンディ上陸作戦に成功。
ドイツ国内では市街地への空襲が激化!!
山荘にいたエヴァは、故郷ミュンヘンから立ち上る炎をじっと見つめていたといいます。
更に翌月には、ヒトラー自身に衝撃的な事件が起こります。
1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件・・・会議中、ヒトラーの傍に置かれていたカバンが爆発・・・戦争の敗北を悟った側近たちのクーデターでした。
この爆発で4人が命を落としたものの、ヒトラーは奇跡的に軽傷を負っただけで済みました。
この時、エヴァのもとにヒトラーからあるものが届けられました。
爆発の衝撃でボロボロになった軍服です。
エヴァはヒトラーにこう返事を書きました。

「あなたの身に万一のことがあったら、私は生きていくことができません
 たとえ死んでもあなたについていくと誓ってまいりました
 あなたを愛することが私の全てです・・・あなたのエヴァ」

1944年10月、エヴァは細かい遺書を書きます。
遺書には現金や車、買いそろえた毛皮のコートやじゅうたんなど、家族や友人の誰に渡すか・・・事細かに記されていました。

1945年1月、連合軍は首都ベルリンに迫っていました。
ヒトラーは、総統官邸の地下に作られた地下壕に籠り、ベルリン防衛を指揮。
エヴァに対しては、戦火から遠く離れた山荘に留まるように指示していました。
しかし、3月7日、ベルリンの戦火を抜けて走る一台の車が・・・
エヴァ・ブラウンでした。
ヒトラーは、彼女が言いつけに背いてやってきたことを心から喜んだといいます。
その後も連合軍の猛攻は続き、地下壕の側近たちにも不安が募っていきます。
しかし、エヴァは、地下壕に家具一式を運び込んで、美しく着飾って、山荘にいるのと同じように過ごしました。
エヴァは、ヒトラーが部下の前で弱みを見せることを許さず、時には軍服の乱れを注意することもありました。

「そんな薄汚れた格好で歩き回ってはいけないわ」

1945年4月、連合軍は総統官邸の目前まで迫ってきました。

「1日ごと、いや1時間ごとに最後が私たちに近づいてきています
 総統は、この戦争の全ての希望を失いました
 けれど、私たちは生きて捕らわれるつもりはありません」

敗戦が濃厚となり、逃亡する兵士が続出・・・
その中にエヴァの妹の夫・・・義理の弟もいました。
逃亡先で捕まった義理の弟には、処刑命令が下りました。
しかし、エヴァは救いの手を差し伸べませんでした。
すでに地下壕は絶望的な状況・・・連合軍がいつ押し寄せてもおかしくありませんでした。
そして、4月29日未明・・・
エヴァは、ヒトラーと結婚式をあげようとしていました。
写真館の出会いから16年が経っていました。
エヴァは、光沢を帯びたロングドレスに身を包み、美しい宝石で着飾ります。
式は、ナチスドイツの婚姻条例に従ってベルリン市役員立会いの下で行われました。
結婚証明書に署名する際、エヴァはブラウンと書きそうになり、慌ててエヴァ・ヒトラーと書き直しました。
朝になるとエヴァは使用人にこう言います。

「私のことをヒトラー夫人と呼んでもいいのよ」

結婚式の翌日・・・1945年4月30日午後3時・・・
ヒトラー夫妻はそろって部屋へと入っていきました。
そして銃声が・・・こうして、エヴァ・ヒトラー33年の生涯に幕を下ろしました。

2人の遺体は地下壕の外に運び出され、焼却されました。
2日後ベルリンが陥落し、ドイツは敗戦を迎えます。

 
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秘密の闇に隠されたお宝ロマン・・・現代に残された巨大な謎・・・それはナチス黄金列車でした。
2015年8月、ポーランド・ワルシャワにて・・・衝撃のニュースが発信されます。
「私が思うには、列車は99%埋まっています」byポーランド文化・国家遺産省・ジュコフスキ副大臣
ポーランドで地下に埋められた列車・・・
謎のナチス黄金列車発見か??
ヒトラーの秘密の黄金列車??!!
第二次世界大戦末期、黄金など300tの財宝を積んだ列車をナチスドイツがどこかに隠したのか??
その幻の列車の隠し場所は、戦後70年を経て判明したのか??

黄金列車発見か?となった発信地は、ポーランドのバウブジフ。
この町は、第二次世界大戦のさ中、ナチスの支配下にありました。
その頃に生まれ、語り継がれているのがナチスの黄金列車伝説です。

バウブジフを通る鉄道路線・・・線路わきの土手に・・・??
第二次世界大戦の終わりごろ、その辺りで列車を埋める作業に関わったとある老人が証言を残したのです。
その証言をもとに、レーダーなどで調査したところ、地中に列車のような反応を確認・・・
ここに、長さ100m級の列車が埋まっていると発表されたのです。

トレジャーハンターに聞いてみると・・・
レーダーで確認すると、自然の物体ではなく左右対称の人工のものが埋まっている・・・!!
その形は、第二次世界大戦の装甲列車が軍用列車のようにも見えました。
車両の大きさや、レーダー画像と一致するというのです。
ここに黄金や宝石など高価なものを載せていた可能性があるというのです。
100mもの列車をどのようにして埋めるのか??
現場には、元々トンネルが存在し、そこに列車を引き込んで、トンネルを爆破して丸々埋めてしまう!!
こんな大胆な隠蔽工作が、本当にあり得るのでしょうか?
ここから3㎞ほど離れたクションシュ城で、大工事が行われていました。

アドルフ・ヒトラー・・・自ら率いるナチ党を、ドイツ国家と一体化させ、独裁者として君臨。
ヨーロッパで領土拡大を重ね、第二次世界大戦を引き起こした張本人・・・
ナチス・ドイツは、このクションシュ城を第二次世界大戦中手に入れ、秘密基地として改修工事を行っていました。

城内のヒトラーの部屋から通じる秘密の扉・・・
その向こうに作られていたのは、専用のエレベーター・・・2基のエレベーターは、1944年に作られました。
完成すれば、地下50mまで降りることができました。
その地下には、巨大なトンネルが・・・現在残っているトンネルの長さは1km。
一説によると、ベルリンまで直通の専用列車を計画していたともいわれています。
これほどの大工事があったのなら、列車を丸ごと埋めたというのも信じられる・・・??

しかも財宝を満載した黄金列車・・・という伝説を裏付ける根拠がもう一つあります。
ナチスドイツがヨーロッパに作った巨大な鉄道網です。
ナチスドイツは、多数の物資を一度に運べる列車に注目・・・
1937年、鉄道を国家直営とし、あらゆる輸送を可能にしました。
大勢の兵士や武器を前線に送り届ける軍用列車、ヒトラー自身も専用の特別列車を作らせ動く司令本部としました。
莫大な金銀など財宝を運ぶ黄金列車が存在したのか??
ナチスの財宝は、ヨーロッパ各地で数多く隠されているという。
現代のポーランドで俄によみがえったナチス黄金列車と秘密の財宝伝説・・・その謎は・・・??

ナチスが略奪した財宝・・・
琥珀の間は、現在の価値で数百億円と言われ、財宝の中の財宝です。
ソビエトのエカチェリーナ宮殿に置かれていたものを、1941年ドイツ軍が略奪しました。
その後、空襲で燃え尽きてしまったが・・・密かに運び出され、人知れずどこかに眠っているという噂は絶えません。
そして、今でもヨーロッパでは、ナチスの財宝が発見され続けています。

2014年ドイツ北部のリューネブルク。
かつて岩塩の採掘で栄えた古い町並みの残る地方都市です。
ナチスの財宝を発見した人は、金属探知機で文化財の調査をしていました。
地元の考古学者から、古いお墓と思われる場所の調査をされたのです。
ある木の根元付近で金属探知機が反応・・・しかし、たいていは金属のゴミのことが多いのですが・・・
そこには1枚の見慣れない金貨がありました。
そして立て続けに9枚も・・・!!
翌日、役場の担当者、考古学者と調べてみると・・・2mほど掘り進んだところに・・・!!
金貨を集めるのに10日ほど・・・発掘されたのは19世紀から20世紀初頭にかけての古い金貨217枚!!
現在の価値にして550万円に当たります。
更に金貨入りの袋を閉じていたと思われるアルミ製の封印には、ナチスの鉤十字が!!
まさに、ナチスの財宝だったのです。

ナチスの財宝の多くは、1945年第二次世界大戦のドイツ敗北の頃に続々と発見されました。
チューリンゲン州メルカースの岩塩を採掘した穴には、金塊が8000個以上・・・全部で100tも隠されていました。
現在の価格でなんと5000億円!!
大量の指輪は、チューリンゲン州の強制収容所近くで発見されました。
囚人たちから奪ったものと思われます。
国家予算に匹敵するほどの隠し財産の多くは、ナチス・ドイツが略奪によって手に入れたものだとされています。
ナチスドイツが他国を占領した目的の一つは、その国が貯蓄している金を略奪することでした。
ドイツの利益のためというよりも、戦争を行う資金を調達するためです。
略奪と戦争・・・ヨーロッパ制圧の野望を実現する為に・・・!!

1939年9月1日、ドイツ軍は突然、隣国ポーランド侵攻。
第二次世界大戦がはじまりました。
周辺の国々を瞬く間に侵略する圧倒的な軍事力・・・
それを支えたのが、戦争を始める前から段階的に行ってきた略奪経済でした。
戦争開始の1年半前の1938年3月、ドイツは隣国オーストリアを外交圧力によって併合。
この時、オーストリアの国立銀行をドイツが吸収するという法令を出し、金1800億円をドイツへ!!
合法的にドイツの国家財産としました。
1939年にはチェコを保護領とすると、チェコ国立銀行の取締役を脅迫し、800億円相当の金をドイツへ譲渡させます。
こうして他国からの奪略を財源とし、第二次世界大戦を開始するや否や、占領したオランダ、ルクセンブルク、ベルギーからも金を略奪。
国家資産を1兆円以上も増やし、戦線を拡大させていきます。
略奪と戦争を一体化させた経済政策という恐ろしい国家運営を進めたのです。
更にナチス・ドイツは戦争の費用を生み出すために、個人・・・特定の民族から財産を略奪していきます。
狙われたのは、憎しみの対象となっていたユダヤ人でした。

1938年11月9日、11月ポグロム・・・
ドイツ全土で、ナチ党の党員や一般市民がユダヤ人に対し、暴動を起こしました。
数百ものユダヤ教教会堂に火が放たれ、7500ものユダヤ人商店が襲撃されるというすさまじいものでした。
これをナチ党の指導者たちは悪用します。
暴動の原因はユダヤ人側にあるとし、10億マルクの税金をユダヤ人社会全体に課しました。
依田屋人は全財産の25%を税金として納めよ!!
という法令まで発布!!
合法的な略奪を行っていきます。
新たな法律によって・・・
1938年11月 宝石美術品
1939年 2月 貴金属
1940年11月 カメラ、望遠鏡
1942年  1月 毛皮、ウール
貴重な財産をユダヤ人から奪い続けます。

ポーランドにあるアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所・・・ナチスドイツはこのような6カ所の強制収容所に財産を絞り尽したユダヤ人たちを送り込みます。
ここでは最後の略奪が行われました。
ユダヤ人の遺体から抜き取った金歯の山・・・金塊へと加工し、国家財産へ!!
ヨーロッパ隠されに隠され、伝説として私たちを引き付けるナチスの財宝は、こうして生み出されたものなのです。

ナチスドイツの略奪は、極めて合法的、組織的に行われました。
ナチスドイツの考え方としては、ユダヤ人の富は、ドイツ人に寄生して蓄えたと考えています。
だから、ユダヤ人からドイツ人が取り返すとなるのです。
当時はアーリア化と呼ばれ、ユダヤ人の土地・事業を売却し、所有権をドイツに移行していくのです。

問題なのは、国家的に特定の集団を収奪したことで、その手段は、税金・・・。
ユダヤ人に特別税を課し、いくら不法・不当であっても国家が課す以上払わないといけない仕組みになっています。払わなければ処罰されるのです。
合法的にユダヤ人の富を吸い上げることが可能となるのです。



財産税は持っている財産の25%・・・出国税25%・・・すべて吸い上げて身ぐるみをはいで海外に移住させる・・・強制収容所に送るシステムでした。

普通の法律は倫理的に正しいのですが、しかし、ここにおける合法的は、非倫理的な法律を作り、合法的な行為をして国家が行っていたのです。
アウシュビッツへドイツの国鉄で連れてくる場合、1キロ当たり4ペニヒ(約20円)を取っていました。
それが、当時の国鉄の収入の5割を占めていました。
平時の経済の中に「収奪」がシステムとして入っていたのです。
従順なユダヤ人は収奪を手伝わされました。
嫌だけど・・・やっている間は生きていられるかもしれない・・・極限の状態でした。

服従・・・「自分は不本意」の感覚がある
同調・・・やはり少し「不本意」の感覚がある
同一視・・・嫌なことを美に感じる

一般市民たちは、最初は「ユダヤ人気の毒」と思っていても、繰り返しているうちに「やっぱりユダヤ人は悪いし・・・」と変わって正当化されていくのです。

略奪によって集められた莫大な財宝を乗せてどこかにあるというナチス黄金列車伝説・・・
第二次世界大戦当時、実在した黄金列車がありました。
「ハンガリーの黄金列車」です。
50両の貨車に金塊や宝石類、財宝を積み込んで・・・その総額はおよそ3億ドル・・・なんと4700億円に当たるといいます。
しかし、その輝きとは逆に、ハンガリー黄金列車には、略奪の連鎖という人間の闇が隠されていたのです。

ハンガリー黄金列車の悲劇①
略奪されたユダヤ人の財宝
第二次世界大戦でハンガリーはドイツと共にソビエトと戦いました。
しかし、政治的にはドイツと距離を置いていました。
首都ブダペストの人口の1/5を超える16万7000人のユダヤ人は、経済活動に重要な役割を果たしていました。
そのため、ハンガリー政府は、ドイツからのユダヤ人引き渡し要請に協力を拒んでいたのです。
しかし、1944年1月、スターリン率いるソビエトは攻勢を開始すると、状態は一変!!
1944年3月、ハンガリーはソビエトへの寝返りを疑われ、ドイツによって軍事的に制圧されるのです。
ドイツの傀儡政権となった・・・ナチスの「略奪経済」を採用し、ユダヤ人財産の差し押さえを開始!!
従順なほどに提供するユダヤ人たち・・・「あとで戻す」・・・為政者が理不尽な略奪に人びとを従わせるカギがありました。
一連の法案の初期の段階では、財産の内容を報告することが義務づけられていました。
財産は管理され、戦争が終われば戻されるという印象を与えながら実際は押収・・・。
ユダヤ人も財産を手渡せば、これ以上のひどい目には遭わないと信じていました。
しかし、それは全くの幻想だったのです。

ナチスドイツの制圧からわずか4か月・・・およそ44万人のハンガリー系ユダヤ人はアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に移送・・・
今、理不尽な命令に従っておけば、あとで穏便に元の状態に戻れる・・・そう信じた人々にあとは来ませんでした。

持ち主の失われた莫大な宝石や貴金属・・・これら略奪品は、一旦ハンガリー政府に納められるものの、すぐに別の場所へ・・・。
その積み込まれた先は、黄金列車でした。

ハンガリー黄金列車の悲劇②
相次ぐ”略奪の連鎖”
1944年9月、ソビエト軍ハンガリーへ侵攻・・・首都ブダペストに近づいてきました。
ソビエト軍の略奪を恐れたハンガリー政府は、国家資産をドイツへ避難させ始めました。
工業製品など様々な国家資産を積んだ列車が次々とドイツに向かいます。
列車の便は1000本にも上りました。
そんな中、ハンガリー政府が秘密裏に用意した列車がありました。
ユダヤ人から略奪した財宝を非難させるための特別列車でした。
12月15日、金塊や宝石類、高価なじゅうたんなどの4700億円相当の財宝を積んだ48両の列車がブダペストを出発!!
その後、国境の町ブレンベルグバーニャに3か月停車。。。この停車中、財宝は仕訳けられ、周辺で略奪した財宝も運び込まれました。
ところがこの間に、戦争の状況は大きく進み、黄金列車は窮地に立たされます。
ソビエト軍はハンガリーの大部分を占領し、黄金列車に迫っていました。
一方西からはアメリカを中心とした連合軍が、ドイツ本国へ侵攻。
当初はドイツに逃げ込むはずだった黄金列車は、ヒトラーのアルプス要塞と噂されていたオーストリアのザルツブルク方面へと向かいます。
ところが・・・3月29日、最初の事件が起こります。
財宝のうち、仕訳けられたダイヤモンドや金などの高級品が多数持ち去られたのです。
持ち去ったのは、財宝の管理をしていたハンガリー憲兵隊のトルディ・アールバード大佐でした。
トルディ大佐は、自分が車で先行し、列車が進めるように段取りをつけてくると称し、なぜか40箱以上の財宝と共に姿を消したのです。
指揮官自らが財宝を持ちだしたのを皮切りに、黄金列車は人々の欲望を引き寄せるかのように略奪の危機にさらされます。
軍隊の襲撃・・・しかも味方であるはずのドイツ軍の兵でした。
一体どうして・・・??
1945年4月16日、ベルリン総攻撃!!
5月2日、ソビエト軍に攻め込まれ、遂に陥落!!
略奪経済で人々を従え、ヨーロッパを戦火に巻き込んだアドルフ・ヒトラーも4月30日に自殺!!
5月10日、国家の後ろ盾を失ったドイツ兵は、黄金列車へと群がったのです。
さらに・・・国破れ敗北者となって彷徨う列車には、民間人や鉄道員までが財宝に殺到!!
ユダヤ人から略奪した財宝は、略奪される側へと転落!!
その忌まわしい略奪の連鎖は、数十年後の現在まで影響を及ぼしていき、予想しない事態に発展していきます。

ハンガリー黄金列車の悲劇③
現代まで残る略奪の傷
1945年5月、ドイツ敗北!!
混乱の時代、ユダヤ人から略奪した財宝を乗せ国外脱出しながらも逆に略奪の的として狙われたハンガリー黄金列車・・・窮地に立たされた指揮官たちの苦渋の選択は・・・アメリカ軍への幸福でした。
ソビエト軍や敗残ドイツ兵に略奪されることよりも、アメリカ軍に平和的に保護を求めることで、ルールにのっとった管理下に置かれる道を選びました。
1945年5月11日、ハンガリー黄金列車はアメリカ軍が接収・・・財宝も連合国軍の管理下に入りました。
ところが・・・略奪の連鎖は止まりません。
アメリカ軍兵士たちが財宝を私物化!!
最後まで奪略を免れた財宝は、アメリカ駐留軍の推定によれば推定1990億円・・・
半分以上の財宝が消えていたのです。
それから50年近く・・・1998年アメリカ連邦議会で、ユダヤ人が奪われた財産の行方を調査する「ホロコースト資産委員会法」が制定。
これによってアメリカ合衆国第42代大統領ビル・クリントンを中心とする大統領諮問委員会が芸術や文化財、金融資産の分野で調査を開始。
ハンガリーの黄金列車も調査対象となり、アメリカ兵による略奪について報告がなされました。
「米軍の高官は、自分たちの個人的用途のために黄金列車から財産を盗み、さらにその財産は、陸軍取引所を通して売られました。
 黄金列車から財産が盗まれたことを示す明らかな証拠も存在します。」
アメリカ政府は、自国平氏の50年以上前の略奪、犯罪行為を認めたのです。
この後、アメリカに住むハンガリー系ユダヤ人からの集団訴訟に・・・アメリカ政府は2550万ドルを支払い、和解しました。
アメリカ政府は、略奪された被害者とその相続人に対する社会福祉のための基金設立に2550万ドルにあてられました。
しかし、「あとで戻す」という国家の偽りの言葉によって略奪された宝石、指輪、貴金属などの大切な宝物が、元の持ち主にかえることはありませんでした。

戦場で、勝った側が負けた側のものを持ち帰る・・・これは常にあり得ることです。
たとえ横領したとしても、そんなに悪いことをしているという感覚はないのです。
非常に短いタイムラグで課題をこなすことを繰り返していると、人間は思考が浅くなります。
なので、想像する心の動きが戦争によって失われていくのです。
「どうしてそんなことができるのか?」
そんな現代の日本の私たちの感覚・・・それは深い思考ができる状態で、静かな中で考えるからできることなのです。
戦争になったら論理は変わってしまうのです。
圧倒的多数が死亡している・・・その死亡した人の財産はどうするのか?
個人に返しようもないのです。

人から物を奪う略奪、そしてその略奪の連鎖・・・
戦争は、人が人を殺す以上のことがあります。
それは、人間が歴史の中に作り上げてきた「規範」を破壊する・・・人間の存在価値である規範、人間性が気付かないうちに破壊されることが怖いのです。
ホロコーストは、史上最大の強盗殺人・・・600万人という人間が死んでいます。
その背後では、物凄い額の財産が奪われていて、それについては討論してきていません。
もちろん、物より命の方が大切なのですが、物を失うこと・・・それは、そのもの自体の価値を越えた何かを失うこと・・・家族の思い出、歴史という付加価値が奪われているのです。
付加価値は対価がなく、奪われた人はお金を返してもらってもそれは同じではないのです。
ナチスの略奪は、たくさんのものを破壊しました。

財を奪うことが人間の根底、心理面も破壊し、命だけではなく、奥ある付加価値も奪う・・・その闇の部分が垣間見ることができます。
しかし、その「闇」は、人間みんなが持っているものなのです。

ポーランドの黄金列車は結局どうなったのでしょう?
2015年に世間をにぎわせたポーランドのナチスの黄金列車発見騒動・・・
地元大学の研究チームが地中を調査した結果、
「トンネルはあったとしても、そこに鉄製の構造物はないでしょう」
期待された100m級の列車は存在しない??という結果となりました。
列車のようなレーダー画像は、現場の上を通る電線の影響か??と指摘されました。
2016年とレジャーハンターが現場を掘ってみると・・・古い鉄道のレールを発見!!
隣の線路の廃材らしい・・・最終的に6mのところまでショベルカーで掘り、財宝を積んだ列車は発見されませんでした。
再び伝説の彼方へ消えた黄金列車・・・そのまばゆい輝きに心がひきつけられるとき、欲望の闇は私たちを争いへと引きずり込むのです。


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