日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:彼岸獅子


慶応4年8月23日、新政府軍は会津城下に侵入。
八重は、スペンサー銃を肩に入城。
少年たちを率いて銃撃戦の指揮をとり・・・

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土佐と内蔵助は腹を斬り・・・飯盛山では白虎隊の少年たちは自刃。
頼母の家族たちは命を断ち。。。
政府軍に抵抗の意を示します。

そして・・・八重は夜襲にも参加。。。

う~ん、土佐と内蔵助の命・・・この戦禍で絶ってもなぁ・・・。
新政府軍には届かないのでは???
と、思っちゃうんですよね。。。
これを大々的にニュースにしないと、負け=戦争が終わるにはならないでしょう?
ますます被害拡大です。。。

「八重さま!!
 日新館が燃えています!!」

春英先生によると、敵に奪われないように焼き払ったとのこと・・・。
そして、動けないものはみな、自害したのだと。。。

ユキは泊めてくれる家を探していますが、誰も泊めてくれません・・・
そこで思ったのですが・・・やっぱり武士しか戦をしていないのでしょうか?
ほら、徳造やお吉も村に帰っていったし。。。

お城では、兵糧づくり、病人の介抱・・・女性たちも戦っていました。

そして、お城の外でも女性たちが・・・
中野竹子率いる「娘子隊」も出陣することに!!!

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老中たちの会議では・・・
土佐と内蔵助の自害の後も、戦いに邁進する老中たちの中、やはりひとり恭順を唱える頼母。。。
そうなんですよね・・・
結局会津戦争の責任を取って上から3人自害します。
すでに自害してあった土佐・内蔵助・そして・・・本当なら西郷頼母なんですが、行方不明だったのでとばっちりで萱野権兵衛

これが責任なら、この時に責任取れば何とかなったかもしれないのになあ・・・。

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そして、娘子隊も・・・
中野竹子も。。。

「首を・・・敵に渡してはならぬ!!!」

痛い!!!首!!!
と思ったけれど、やはりNHK。首は回収しませんでしたね。。。

みんな疲れMaxの中、砲弾がお城に飛んできます。。。
火薬庫も敵の手に落ちてしまいました。。。

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ちなみに、落城すぐの鶴ヶ城はここまでコテンパンにやられていたのでした。

火薬を失い・・・この戦を止めることを大殿に進言する頼母。。。
「今、恭順開城せねば・・・会津の民は根絶やしにされてしまいます。」
官兵衛に、「頼母さまは腰抜けだ!!」とか、
平馬に「負ける事ばかり言われる!!」とか言われ、
止めは大殿の「ことここに至っては、海上恭順の道などない!!城と命運を共にするのみ。。。」
でした。

生け捕りにされていたお雪様。。。
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「お願いがごぜえやす・・・
脇差をお貸しください・・・」
と・・・修理の元へ・・・。

8月26日山川大蔵は兵を率いて城下近くまで戻ってきていましたが・・・お城にたどり着けません。。。
「今は・・・一兵たりとも失いたくねえ。。。」
と、奇策に出た大蔵。。。

「おっかさま・・・彼岸獅子が来た。。。」

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彼岸獅子となって、山川大蔵鶴ヶ城に入城です。。。

敵の目を欺いての入城・・・
これぐらいしか”明るいエピソードがない”っていうぐらいの、エピソードなんですが、ドラマでやっていたほど敵の目を欺いていたのか???
それはわかりません。。。
もう落城は目の前なのに入場しようとする山川大蔵に、新政府軍が”武士の情け”をかけたのでは?とも言われています。

容保に、
「勇気を持って恭順の意・・・お示しくださりませ。。。
 会津を助けてくださりませ・・・」
と、お願いする頼母。。。
しかし、別の役が言い渡されます。
「越後海道の萱野の元へ行き、城に入らずその場で戦えと伝えよ」と。。。
その軍命は、頼母に会津を去れ。。。というものだったのです。。。

八重、強いですね!!!
こんな古い頭の会津で・・・でも、八重も頑固だから同じでいいのか???

ここ何週間か、みんなバタバタとというか、淡々と死んでいくわけですが・・・
これが漫画なら、「八重カッコいい!!」みたいになるのかなあ・・・って思いながら、でも人間が演じるということはあまりにもシリアスで怖くもあって・・・。。。

でも、本当に・・・死ぬことに麻痺してきそうなほど死んで行っていますね。。。
それだけ悲惨だった。。。ってことなんでしょうけど。

完膚なきまでに叩きのめされた会津が・・・どんなふうに立ち直っていくのか???
絶対それを書いてくださいね。。。


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山川大蔵。「知恵の山川」ですね。
とっても若くて聡明な人です。揺れるハート
玉山鉄二さんが演じてくれます。

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川崎尚之助を恋敵と思ってますね黒ハート黒ハート黒ハート

1845年、会津藩国家老・山川家の長男として生まれ、19歳で藩主・松平容保の京都守護職に側近として同行します。
鳥羽伏見の戦いでは最後まで大坂城に残り、会津藩の指揮官不在の中で、多くの会津藩の負傷兵を江戸に送り届けました。
1866年には22歳で幕府の派遣した訪問団に選ばれ、ヨーロッパ諸国を廻り見聞を広めています。

この知恵の山川、悲壮なお話の多い会津戦争にあって・・・唯一痛快な出来事を起こしています。

それは・・・新政府軍により鶴ヶ城が包囲される中・・・地元に伝わる彼岸獅子の姿で堂々と入城するというできごとです。
これを指揮したのは山川大蔵、白虎隊士(白虎隊知っていっても340人近くあって・・・飯盛山で自害したのはそのうちの19人です)で東京帝国大学総長になった山川健次郎の兄。。。そ、山川大蔵の弟は、白虎隊士なのです。黒ハート

山川大蔵は朱雀隊などを指揮し、日光口の五十里に宿陣していましたが、他の国境が破られ・・・鶴ヶ城での籠城戦が決定されると、帰城の命令を受け会津城下に駆け戻ります。飯寺まで来ると鶴ヶ城がすでに新政府軍の包囲網の中にあることを知り・・・

ここで大蔵は一計を案じ、会津伝統の彼岸獅子の姿で入城することを思いつきます。
笛と太鼓を先頭に堂々と敵陣を進む。。。
鶴ヶ城の城兵は味方と気づき砲撃を止め、敵はあっけに取られただ見送るだけであった。
大蔵の一団は味方が開いた西追手門を通り抜け城内に消えた。

というストーリーです。

もしかすると、新政府軍も、あっけにとられたのではなくて、武士の情けをかけてくれたのかもしれません。たらーっ(汗)

新政府軍の世界に・・・明治維新になって・・・
会津松平家は再興を許されますが、領地として旧領内の猪苗代湖畔、もしくは北奥の旧陸奥南部藩領のいずれか三万石を提示されます。その際「農業により領地の財政基盤を築け」との条件があったため、農業に有利である思われる領地の広い北奥への移住が決定したのですが。。。

そこは不毛の地・・・民は厳しい生活を送ることになるのですが・・・
会津藩降伏後は山川浩と改名、斗南藩の権大参事となり、松平容保の後を継いだ幼い藩主と多くの藩士を守り抜くという生き恥を晒すことなく・・・新時代に貢献した人です。黒ハート

1871年の廃藩置県で斗南藩が消滅すると、明治政府のたっての勧めで陸軍に入り、西南戦争では熊本城で薩摩軍を撃破する功績を挙げます。
陸軍少将、東京高等師範校長、貴族院議員となり、そして明治31年には男爵となり・・・会津藩からは異例の出世コースを歩みました。
きっと、必要な人材だったんでしょうね。
 
山川浩の著した「京都守護職始末」で、孝明天皇が松平容保に与えたご宸翰(しんかん)が明らかとなります。この「京都守護職始末」が世に出たのは、山川浩の没後、13年経過した明治44年のことでした。故人の意思を継いだ弟・健次郎が発行したものです。
会津は正義だった・・・
朝敵の汚名を雪ぐことは出来た???
そう、やっと無念な思いを晴らすことが出来たのでしょうね。

私の好きな白虎隊では堤大二郎さんが演じていました。黒ハート
カッコ良かったですが、題が”白虎隊”。
あの時代劇ではあんまりクローズアップされていなかったような・・・あせあせ(飛び散る汗)
今回は、八重の幼馴染として・・・初恋の相手として書かれているので、色んなエピソードを見ることが出来そうですね黒ハート

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