現在教科書に日本初の鋳造貨幣として書かれているのは、和同開珎ではなく、富本銭です。
富本銭は、既に江戸時代の古銭図鑑に載っていてかなり古くから知られていましたが、近年まで数枚しか発見されていなかったので、貨幣ではなく祭事用に作られた特別なまじない銭だとされてきました。
さらに、いつ造られたものかもわかっていませんでした。
ところが、19999年1月、奈良県明日香池工房遺跡で富本銭が大量に出土・・・大発見でした。
ここは、飛鳥時代の漆やガラス、金銀細工の工房跡で、銅の鋳造も行っていました。
発掘された富本銭は、鋳ばりが残っていたり、型や不良品が発見されたのです。
これは、天武・持統朝の時代だとされています。
日本書紀には、天武天皇12年(683年)に「今より以後銅銭を用いよ」という記述があります。
この銅銭が、和同開珎なのか、富本銭なのか、どの銅銭なのか、ずっと議論されてきました。
富本銭の年代がそこに遡るということで、富本銭が作られたのは683年頃と判明しました。
708年の和同開珎より20年近くも古い683年頃の富本銭・・・歴史が大きく変わった瞬間でした。
天武天皇は、中国式の新しい国づくりを行っていました。
都・飛鳥浄御原宮、藤原京、律令制度、氏姓制度、貨幣制度・・・そこで作られたのが富本銭でした。
当時の東アジアで、貨幣を鋳造していたのは中国と日本だけでした。
中国を手本にしながら、それに引けを取らない国づくりをしようとした天武天皇の心意気が、意気込みが感じられます。
富本銭の大きさは、唐の改元通宝とほとんど一緒です。
改元通宝を手本にして作られたと思われます。
実際に富本銭は使われていたのでしょうか??
出土が少ないことから、貨幣として鋳造されたものの、本格的な流通はしなかったと思われます。

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