日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:徳川慶喜

江戸無血開城: 本当の功労者は誰か? (歴史文化ライブラリー)

中古価格
¥1,392から
(2018/10/16 16:11時点)



なんだか恐ろしい・・・今回の副題は、「慶喜の首」です。
慶喜の首には、どれだけの家臣の首がかかってるのか?と思うと、口にするのも恐ろしいわ~~!!

よくわかんないけど、歴史的には鳥羽伏見の戦いかな??

京の守りとして天子様に仕える新政府軍・・・
都を追われた旧幕府軍は、大坂城から御所に向けて進軍開始・・・。
1868年1月3日の鳥羽伏見の戦い!!

「こいでよか・・・」by吉之助

??何がこれでいいって言うんだ・・・。

兵力で勝る旧幕府軍に劣勢の新政府軍!!

「退くな~~!!退いてはいかん!!」by吉之助

と、前回の戦の鬼が続いているようです。

おゆうが作った偽の錦の御旗・・・これは史実かも知れんことをやっているからだけど・・・今できたの??
戦って傷つく兵士たちを見てショックの信吾!!
そこへ、錦の御旗登場!!

錦の御旗で形勢逆転!!と言っても、勢いづく吉之助ばっかり!!
普通、錦の御旗が出てくると、幕府軍が焦るシーンが絶対あるんですけどね・・・。
形勢逆転もわからんわ・・・。

戦いをやめさせようとして信吾撃たれる!!
首を押さえて・・・首を撃たれてたら即死なんじゃないの・・・??と、冷静に思ってしまうほど迫力なし!!

「信吾はんやおへんか・・・!!西郷さまの弟御です。助けておくれやす!!」byお虎

お虎はもういいよ・・・ゲンナリ・・・と思う反面、このキンチョーなシーンで、西郷どんの弟だから助けてほしいって・・・どうよ??
助からんとか、大事な人の弟だとか・・・私情満載な発言の中・・・私は知っている・・・。
信吾は第1話のOPに出ていたじゃない・・・。と。
ふ~ん・・・吉之助の弟だから助けるんだ・・・なんて思うとシラケちゃうわ・・・。

西郷どんは一応軍議中ですが、あんまり何を言っているのかもわからない・・・
と思っていたら、ケガしてる信吾のところに行ってやれなんて話・・・するか??武士が・・・!!
私情を挟むな!!と、戦いに突き進む西郷!!

やっと、錦の御旗でオロオロする慶喜登場!!
味方の兵を残して、僅か4日で大坂城を抜け出す慶喜・・・。
薩摩隼人たちはまたまたエイエイオー!!です。

しつこく信吾の元へ行け!!と言われるのを断って御所に向かう吉之助。
って・・・ほんと、信吾のところに行け行けって、話しに水差さないでよね・・・
それとも、信吾のところに行かないことが戦の鬼なの??
もっと、戦で鬼になってほしいわ・・・。

船で逃げている慶喜・・・その慶喜をバカにして狂ったように笑いだすフキ・・・。
「この船は・・・きっと沈みます!!
 罰が当たったんですよ・・・。
 慶喜さまにも、この私にも。
 もうすぐ海の藻屑とやら・・・ですね。

 天下の将軍様がこんな風に死んでいくのかと思ったら、なんだか可笑しくて・・・」byフキ

この後、何とか無事に江戸にたどり着きました。

う~ん・・・その場で成敗してやれよ・・・慶喜・・・。
江戸でも・・・ウナギを食べる慶喜・・・。
って・・・ウナギ必要か??

江戸にいることを勝つに怒られる慶喜。
その言葉が・・・
「まさか江戸前のウナギを食いたくて舞い戻ったと・・・。
 ウナギなんぞ、食ってる場合かい・・・!!」by勝

はい・・・この勝も、成敗でしょう。
幕臣の勝が、こんな言葉を使うなんて・・・ほんど・・・気になって身が入らないわ・・・。

「戦に負けたのも、徳川の名を血に貶めたのも、皆あんただ・・・!!
 あんたは、徳川の恥だよ・・・」by勝

勝は、最後まで慶喜を生かそうと頑張ったんだよ・・・
最後は江戸を火の海にしてまでも守ろうとしたのに・・・なんだよ、この演出・・・!!

「あなたは、西郷さまから逃げただけです。
 言っていたではありませんか。
 どこまで追ってくるんだって・・・。
 あなたは、西郷さまが恐ろしいから逃げたんです。
 謝ればいいではありませんか。
 あの方は、心根のお優しい方です。

 あなたが心から悔い改め謝れば、必ず許してくださいます!!」byフキ

??身の程知らずが~~~!!
慶喜、手打ちにしてください!!
普通はカッコいい言葉だから書き起こすんだけど・・・あまりにも開いた口が塞がらないアホな台詞に書き起こしちゃいました。
こんなこと、誰が言うか~~~!!
何で、下級武士に天下の将軍様が謝らんといかんねん!!
助けてくれた慶喜になんてこと言うねん・・・!!

だから・・・最初っからフキ・・・っていうか、お芳は新門辰五郎の娘のままで良かったんだよ・・・。
それなら、勝海舟と協力して逃げる算段のドラマができたのに~~~!!

「俺の前から失せやがれ!!」と、慶喜に言われ、
「いいんですね。私、本当に行っちゃいますよ!!」って・・・どれだけ自信過剰やねん!!
どこでも行けや~~~!!
と、その高飛車具合に、こっちが反吐が出るわ~~!!
おっと・・・下品で失礼・・・。
余りのひどさに我を忘れてしまいました。

やっぱり、当時の女性のリアルを書いてくれないとな・・・
こんな女いないわ・・・
と思っていたら、
「哀れだね・・・あんた・・・」by勝
??哀れって・・・フキに捨てられたことが??何が・・・??
取り乱してるところが・・・??
海舟・・・あんたも幕臣なら、敬語使いなさいよ~~~!!

信吾のいる治療場に、外国人がやってきました。
なんと医者だといいます。
「助けておくれやす!!お願いします!!」
と、優先的に信吾を手術。
この西洋の手術によって、多くの新政府軍の人々の命が救われたそうですが・・・
そんなこんな・・・本当はキンチョー感半端ないこの状況で必要か・・・??

なんと・・・京に医師を招き入れたのは、吉之助が信吾のために天子様に頼んだらしい・・・。
??なんだ・・・鬼になったんじゃなかったの??
公私混同も甚だしいな・・・。
こんな西郷・・・見たくないわ・・・。

多くの命を救いたい!!とか戦争始めたの自分じゃん・・・。
鬼が弟のためにそこまでしたとか・・・そんな話・・・ダメだろ・・・。
弟のためだからやっちゃダメなんじゃないの??って思う私は古いんだろうか??

関東を征伐する為に京を出発する西郷・・・って、征伐だって・・・悪モンなんだな・・・。
「西郷はん~~!!」と、信吾と一緒に来るお虎。
??歩けんの??信吾・・・そんな重症じゃないやんか・・・天子様にお願いするほどの・・・!!
って思っちゃったわ・・・。

でも・・・関東に行ったら、もう、所かまわず叫んだり、抱き着いたりするお虎は見なくって済むのね・・・良かった。

don2
















慶喜は寛永寺で謹慎中。
そこへ一人でやってきた勝海舟・・・
「奴らはあんたのお首が欲しいんです!!」by勝
あちゃー・・・そんなこと、口にしていいんかい??

戦うべきだという勝に、このままでは日本は異国の物になってしまう!!と、戦うことを断念する慶喜。
ま、徳川を世界の笑いものにしたくないとかそれがなんだかはわからないけど、戦うべきだと言った勝に、もう戦わないと慶喜が言ったのは本当です。

「どんな沙汰でも甘んじて受けよう。」by慶喜

最後はカッコいいですね。慶喜!!
でも・・・よく考えたら、慶喜がフランスに薩摩を売り渡そうとしていたから戊辰戦争が始まったってことになってたんじゃないの??
それなら精神崩壊したフキのあやふや情報で、吉之助が兵を挙げたってことになるじゃないの??
こんなの・・・たくさんの人が死んでいるし・・・これからも死ぬのに本末転倒だ・・・。

慶喜にいきなり山岡鉄舟を引き合わせる勝・・・。
どこにいたんだよ・・・控えてるにせよ・・・。やっぱり「西郷どん」は、セキュリティーZEROなのですね・・・。
でも、私の大好きな藤本隆宏さんなので許す~~!!

一人で駿府に行く山岡・・・
ここら辺も、藤本さんの熱演も残念ながら一人で行けちゃうところがリアリティーなし!!
どうやって、どの信念で行ったのか・・・そこは書いてくれないのね・・・。

don3















交渉のために切腹しようとする山岡ですが・・・
「いまこの国で・・・酷い殺し合いをしている場合でしょうか?
 この命と引き換えに、我等が願い・・・天子様へお伝え願いとう存じます。」by山岡

「何故・・・あの慶喜公のためにそこまで・・・??」by吉之助って・・・馬鹿か??吉之助はバカなの??
将軍様だからだよ!!幕臣だったら守るだろ??
情に訴えて、情に絆され勝と会うことになった吉之助でした。

本当の交渉はこんなもんではありません。
もっと、現実的なものとなっています。
本当の交渉がどんなものだったのか??それはこちら「江戸城無血開城 勝海舟の知略」

お食事処でご飯を食べている嫌われ者の西郷たち・・・
磯田屋で女子たちと遊びたかったとか訳の分からんことをまた・・・と思っていたら・・・聞き覚えのある女性の声が・・・。
幾島でした。
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーンお虎がいなくなったのに、新しい強敵登場!!
それにしても、この期に及んで女遊びをしたいんか??と、腹立たしい限りです。
女遊びは歴史には残せないけど、そこここでやってるじゃんよ~~~!!

幾島に導かれ・・・なんと、大奥に入ってしまう西郷どん。。

don4















そこには懐かしい天璋院がいました。

もう・・・江戸城無血開城されてるじゃん・・・!!

先日、「ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年」という映画を見ました。

内容は・・・花輪君家に何人かの子供たちがホームステイに来て、おじいちゃんと同じマルコという名前からまるちゃんに興味を持った少年がまる子の家に泊まるというお話しで・・・
おじいちゃんのマルコは亡くなったので、その思い出を探しに日本に来た・・・みたいな内容でした。
ちびまる子ちゃんということで、子供にもわかりやすい起承転結な作品となっていました。
お話しはすべて回収し、最後はどうなるか、わかりきっているのにクライマックスで泣いてしまいました。
よくできた作品でした。

歴史のお話も、見る側はどうなるか解っていてそれでも作品にする・・・それが、脚本家さんの腕の見せ所だと思います。
たくさんの人が死んできている「西郷どん」ですが、あまりにも内容が浅く・・・涙も出ません。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ 

江戸無血開城: 本当の功労者は誰か? (歴史文化ライブラリー)

中古価格
¥1,392から
(2018/10/16 16:11時点)

西郷隆盛とは何者か1 西郷は実像以上に美化されている

あの世からの徳川慶喜の反論 鳥羽伏見の戦いの真相を語る

中古価格
¥11,353から
(2018/10/11 15:47時点)



副題は、「戦の鬼」なんですが・・・遂に、人の良い西郷どん、戦の鬼になるんでしょうか?

大政奉還をしてしまった慶喜・・・その予定外の行動に、焦る西郷。
武を以て徳川を潰そうと・・・そして、新しい国を作ろうと考えます。
が、なんか、龍馬と考え方が合わなくなってきたようです。
袂を分かつ・・・??

そんな話をしている二人が、何にもキンチョー感がありません。
腹が減ったのか??と、カステラを差し出す龍馬って・・・。
なんだかなあ・・・食べもん出さんと気が済まんのか・・・??

一人になっても討つとかいいだした西郷どん・・・そこまでのいきさつが全くわかりません。
物思いにふけって話しているのかもしれないけど、眠そうな西郷どんです。
「国のかたち」について語りあかそうと思っていたのに・・・と席を立つ龍馬。
この国のかたちは、司馬遼太郎さんに語らせてあげて!!

don















世の中は、ええじゃないかでした。
京都はもっと殺伐としてるんじゃないの??
これ以降、龍馬は吉之助と会うことはありませんでした。

倒幕のために、兵を上洛させるように・・・と、薩摩にいったん戻る吉之助。
なんだか、久光もやる気のようです。
実際の久光は違うと思うけどね・・・いや、絶対に違う!!。

で・・・西郷家では赤ちゃんが生まれていました。
・・・こういう家族パート、もう要らないでしょ??
しら~~~!!って目で見ちゃうわ。

その頃、近江屋では・・・中岡慎太郎と坂本龍馬!!
風邪か?くしゃみをする龍馬・・・って、こんなところは細かくやるんだ・・・シラケちゃうわ・・・。
軍鶏を買ってくるところも史実通り・・・。
いきなり斬りつけられて龍馬、絶命!!

なんだか・・・あっさり死んでしまった・・・。
なんの志があったのか?
この国をどうしたかったのか??
全く解らずの龍馬でした。

どうしてここまで盛り上がらない龍馬暗殺なんでしょう??
クサいまでの演出があってもいいぐらいの見せ場なんですけどね??
この人が描けば、池田屋事件の沖田総司もドラマチックに吐血しないんだろうか??

3000の兵と共に京に来た吉之助は、初めて龍馬の死を知るのでした。
というナレの途中で、耳障りな女性の声が・・・。
お龍だ・・・。

don2















「あんたがうちの人を殺したんやろ!!」byお龍
じたばた、ヒステリックに叫ぶお龍・・・
もうやめてくれ・・・こんな展開・・・!!

私は幕末のカッコいい女性を3人挙げろというなら・・・
桂小五郎の幾松、山本八重子(八重の桜)、そして坂本龍馬の妻・お龍です。
山本八重子は八重の桜であったように、男勝りに鉄砲担いで戦ったカッコいい女性ですが・・・
幾松とお龍は、あげまんというか・・・
国家を背負って戦う男に惚れてしまった女性として、支えて、支えて、そして、見苦しい真似は絶対にしない・・・
肝の据わったカッコいい女性と思ってきました。

なんだよ・・・このお龍・・・龍馬を好きになる資格なんてないわ・・・
頭おかしくなったんか・・・??
ええじゃないか踊るお龍を鼻で笑ってしまった・・・どうでもええわ・・・。

大政奉還によって村を出ることを許された岩倉は、京都に戻ってきました。
呑気な岩倉具視にももう嫌だ・・・。
西郷&大久保は、そんな岩倉具視を使って慶喜を丸裸にするそうです。

なんだかいきなりな展開!!

何かわからない方はこちらを!!

いきなり鬼になる吉之助・・・これまた意味が解らない・・・。

岩倉具視も正装してどこか??へやってきてますが、何をしているのかがさっぱりわからない。

don3















あ・・・天子様の前か・・・何かわからないことは「王政復古の大号令」でした。
なんか・・・なんでこうなったんか、全く説明してくれないので、わかんないわよ・・・。
ただでさえ難しい時代背景なのに、教えてくれなければ全くわかりません。
解らんでもええってことか・・・

だから、わからない方はこちら

「西郷が御所門前に立っているから殺るなら今しかない!!」と言い出す容保・・・。
そんなの一々、慶喜の許可いんのかい??
でもって、「西郷に銃を向けるのがどういうことか解っているのか??」と言う慶喜・・・。
向けたらどうなるんだよ??
う~ん・・・朝敵となるらしいわ・・・。
錦の御旗は・・・??
錦の御旗で朝敵となったんじゃないの??
御所に銃を向けることは出来ぬと・・・朝敵だけにはなりたくないと慶喜・・・あ・・・ここだけあってる。

で・・・「短刀一本あれば事足りる・・・」も、あってるわ・・・。

don4















こんな、嘘っぱちの話の中に少しのホントを入れられても、なんだか真実味がなくって困っちゃうわ・・・。

小御所会議もなんだかわからないうちに終わっちゃったわ・・・。
もっと、いろいろ策していただろうになあ・・・。

いきなり気がおかしくなった慶喜登場!!
なんと、そこには西郷がいました。
刺される慶喜・・・なんと、夢落ちでした。
なんだよ・・・この三文芝居は・・・。

しゃべらなくなった西郷は、重い人間を表現したいんかな・・・そうそう、戦の鬼を表現したいんかな・・・??
変な笑みを浮かべたり、ウオー!!とか、エイエイオー!!とかで誤魔化して、小御所会議終了。

慶喜が京都から大坂に逃げたことが判明!!
すぐに戦を始める手はずはもう、整えている西郷だそうですが・・・。
その手はずを細かくやれよなあ・・・。
全く解らんわ。

薩摩の挑発に業を煮やした庄内藩が薩摩藩邸に火を放ったと・・・そこだけナレ!!
なんだよ・・・庄内藩、悪モンじゃん・・・。

年が明け・・・
戦の鬼になっている吉之助が気に入らない信吾です。
う~ん・・・これまでもイケイケの信吾だったし、これからも史実ではイケイケどんどんの信吾なのにね・・・。

「必ず勝つ!!」by慶喜

いきなり言われてもなあ・・・何の脈絡もなし!!

「慶喜さま・・・本当は西郷さまが怖いのではありませんか・・・??」とフキに言われて、逆切れする慶喜ですが・・・。
ま、逆切れするわな・・・そんな無礼な女に・・・!!??

う~ん・・・本当に、どうして戦っているのか??何をしているのか??全く解りません。

信吾・・・薩摩隼人だろ・・・!!
どんな手段を使ってでも慶喜を追いつめるという吉之助。
お・・・薩摩御用盗を認める吉之助。

「戦の鬼になってしもた・・・西郷どん・・・」byナレ

今回も、何が何だかわからない回でした。

そういえば・・・先日、娘とこんな話をしました。
「ママ、光源氏って、そんなにカッコよかったんかなあ・・・??」by娘
「??そうやなあ・・・大沢樹生でママと同級生やし、年下ばっかりやし、興味なかったなあ・・・」by私
「??違うで!!源氏物語やで??」by娘
あ・・・娘は、古典のテスト勉強中でした
「あんたがジャニオタやから・・・ゴメンゴメン・・・
 でも、めっちゃ、イケメンやったん違う??
 モデルはたくさんいて、いいところをとったみたいよ。
 そのうちの一人が「この世をば~」の藤原道長ともいわれてて、道長はこの源氏物語を政治に利用したんやで~~!!
 あ・・・ごめんごめん、テストやからな・・・これ以上は言わんとくわ。
 勉強し~~!!」by私
「でも、小さな女の子を自分の理想に育てるって気持ち悪いな~~!!」by娘
「??そんなことないよ。
 この時代は、親子や親族で結婚したり、めっちゃ年の離れた人にお嫁に行ったり、恋文が人生のすべてだったり、フラれて食べ物が喉を通らなくなって死んじゃったり・・・今とは違うんよ、常識が!!
 だから・・・この時はこれが常識で真実なんよ。
 ほら、宮崎駿も言ってたわ。
 『何か一つ嘘を入れようと思う(この時はポニョ)と、全てを真実に書かないと、全てがウソになってしまうって!!』
 特にトトロなんか、いてると思うやろ~~??」by私

と言ったんですが・・・それを言っている途中で腹が立ってきて、テスト勉強中の時間の惜しがっている娘に言ってしまいました。
「だから、西郷どん嫌いやねん!!
 大体、あの当時の女の人、あんなしゃべり方やったなんて・・・すべてが興ざめなんよ~~~!!
 ムキ~~!!」by私

娘は「またなんか言ってるよ・・・」と、あきれていましたが、そうなんですよね。
殆どウソの「西郷どん」の中に、今回もいくつかのホントがありました。
でも、そのホントも嘘くさくなってしまっています。
そして、ホントにしてほしいウソ(ポニョ)は、西郷どんの豪傑さ、清濁併せ呑むところ、大久保の頭の良さ、お龍の粋な感じ、慶喜の冷静な感じ・・・
そこは嘘でもいいから全部カッコいい感じに仕上げて欲しかった・・・。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

【戊辰戦争の出来事が時系列でわかる】その時、幕末二百八十二諸藩は?『戊辰戦争年表帖』鳥羽伏見戦~箱館戦争の同時進行・多発戦を追う

新品価格
¥1,620から
(2018/10/11 15:46時点)

図解 明治維新 (エイムック 3920)

新品価格
¥999から
(2018/10/11 15:46時点)


王政復古 天皇と将軍の明治維新 (講談社現代新書)

新品価格
¥972から
(2018/10/4 17:50時点)



幕末動乱の京都・・・1867年12月9日、事件が起きました。
薩摩藩や土佐藩の兵士が、京都御所を制圧!!
天皇を中心とした新政府の樹立を宣言しました。
王政復古のクーデターです。
それから25日後の1868年1月3日、鳥羽伏見の戦いで新政府軍は、旧幕府軍に勝利し、明治維新への扉を開きました。
その中心にいたのが、薩摩藩の倒幕派、西郷隆盛と大久保利通でした。
彼等のシナリオ通りに倒幕は実現したかに見えがちですが、果たして真相は・・・??

手掛かりとなる絵が去年発見されました。
bosin小波魚青画「戊辰之役之図」です。

京都御所の鳥羽伏見の戦いの戦端が開かれた日の夕方の光景です。
舞台は、格式高い公家門です。

洋式の軍服に身を包み、門を警固する数えきれないほどの兵士たち・・・竹に雀の紋は宇和島藩です。
当時、宇和島藩は、徳川慶喜を支持していました。
戦いがが始まった時は、慶喜側の勢力が御所の要を押さえ、政局の主導権を握っていたのです。
西郷と大久保はどのようにして倒幕を成し遂げたのでしょうか?

黒船来航で幕を開けた幕末動乱の時代・・・政治の中心は京都でした。
二条城は、将軍上洛の時の宿所として徳川家康が築きました。
大広間にある四方を囲むように書かれた常緑の松は、徳川家の不滅の権力を表しています。
上段の間は最高の格式を表す”折上げ格天井”・・・太平の江戸時代を含めて、この部屋が歴史の表舞台に登場することはありませんでした。
しかし、長い時を経て、徳川慶喜がこの場所に現れたとき、時代は大きく動きました。

1867年10月14日・・・慶喜は、徳川幕府始まって以来の決断をしました。
”大政奉還”です。260年間、徳川が担ってきた政権を朝廷に返上したのです。
ところが・・・これを忸怩たる思いで見ていたのが、慶喜と対立していた薩摩と長州でした。
この時、薩摩の西郷隆盛と大久保利通はすでに、長州と共に武力討伐に動いていました。
大政奉還当日、朝廷から薩長両藩に下された「討幕の密勅」・・・
”逆臣・慶喜を”殄戮(殺し尽す)”せよ”と!!
しかし、慶喜は自ら政権を返上することで、密勅を無効にしました。
そこには、新しい政権でも主導権を維持しようという思惑が隠されていました。
西郷と大久保にとっては、どうしても食い止めなければならない事態でした。

一番大事なのは、徳川家の体制に打撃を与えること!!
残しておけば、今までと変わらない・・・
天皇の下、徳川慶喜が新たな政権の首班になる・・・。
そこには大きな大名も招集し、公議を尽くし新しい政権を運営する。
重要なことは会議で決めなければならない・・・。
そうなると、大久保や西郷が考えている大改革は発現しにくくなるのです。
二人は、志を同じくする公家・岩倉具視とともに、挽回の策を練ります。
たどり着いた結論が、大制復古のクーデターでした。

徳川慶喜の官位一等を降し、領地返上させる。

慶喜が持つ内大臣という官位を降格させることで、今後の政治活動を制限する。
全国400万石ともいわれる幕府直轄領をすべて新政府に返上、新政府のものとする。
徳川家への懲罰を天下に示すのが、大久保と岩倉の狙いでした。
具体的なクーデターの方法とは・・・??

当時の京都における幕府の警備体制は・・・
慶喜のいる二条城・・・周囲には、京都所司代を務める桑名藩の下、約400の兵が駐屯していました。
今の京都駅付近には新選組の屯所、兵士は約200人。
さらに御所の東にある金戒光明寺には幕府側最大の京都守護職・会津藩本陣が1000人!!
幕府の兵力は侮れませんでした。
そんな中でのクーデター・・・御所の迅速な制圧が重要でした。
御所の門は、外郭、内郭併せて15!!
諸藩の兵士がそれぞれの門につき、数十人単位で警護いていました。
難関は幕府側の桑名の公家門、会津の蛤門!!
しかし、不意を突いて門を押さえてしまえば、相手が御所に向けて発砲しない限りは奪い返されることはない・・・。
勝算は十分にありました。
クーデター側は、薩摩を中心に尾張、芸州、越前、土佐・・・山内容堂、松平春嶽などの慶喜と気脈を通じている
大名も参加していました。
彼等は、岩倉から次の政権にも慶喜を参加させるという条件のもとに、クーデターに同意していたのです。

そして決行の日・・・12月9日午前10時・・・。
武装した兵士たちが、御所への侵入を開始しました。
難関の一つ公家門の桑名兵は数十人・・・不穏な形勢に薩摩藩の到着前に退去。
蛤門を守っていたのは数十人の会津兵・・・。
不意を突かれた彼らは、土佐藩兵に門を明け渡し退去。
クーデター側は、完全に御所を制圧!!
王政復古の大号令が発布されました。

朝廷の最高官職である摂政、関白、そして将軍職を廃止する!!
天皇に直属する中央政府を創設し、総裁・議定・参与を政権を担う。
皇族や公家、クーデターに参加した大名だけでなく、大久保や西郷たち藩士も参与として登用されました。
大久保は、この日のことを興奮をもって日記に書いています。

我が兵を以て 禁闕警衛の様 未曽有の壮観 見る者肝を失う

クーデターは成功しました。
しかし、大久保は、この日が25日間に及ぶ熾烈な権力闘争の始まりだとは知る由もありませんでした。
どうして、大久保、西郷は執拗なまでに、慶喜を排除しようとしたのでしょうか?
①慶喜の能力、行動力への恐怖感
②下級藩士の大久保、西郷は新政府での主導権を握りたいという野心

武力衝突をしないで、大政奉還という安全策をとった慶喜・・・
大政奉還は、損を確定させる安全策でした。
しかし、それは経済的には合理的な方法で、この期に及んでこの方法をとれる慶喜が、恐怖の対象だったのです。

西郷、大久保は、自分が日本のすべてだと、自分で代表できません。
天皇というフィルターを通すことが必要でした。
大政奉還によって、慶喜もその方法をとってしまったので、より分かりやすく排除する必要がありました。

どうして簡単にできたのでしょうか?
それは、この王政復古の大号令が、事前公開クーデターだったからです。
松平春嶽達には、「慶喜は議定という役職で参加させる」と、うそを伝えます。
これが慶喜の耳にも入り、恭順の道をとるのですが・・・強硬派である会津・桑名藩にはこの情報は漏らしませんでした。
考えたのは、岩倉、大久保たちだったのです。

クーデター当日の午後4時・・・
武装した兵士たちが取り囲む中、紫宸殿の北東にある小御所で、慶喜の処遇をめぐる会議が開かれました。
小御所会議です。
三部屋続きの広間で、公家や大名たちが議論します。
ここには岩倉は入っていますが、大久保たちは下の部屋・・・。
身分の差から、基本的に発言は許されていませんでした。

会議は紛糾します。
慶喜の失政を責め、新政府入りを阻もうとする岩倉達倒幕派。
話が違うと、土佐・山内容堂が真っ向から反論します。
「大政奉還という大英断を行った慶喜公を、この場に参加させなくては公議の意味が失われる!!」
越前の松平春嶽も続きます。
「徳川氏が数百年にわたって朝廷を助け、政治を行った功績は、今日の罪を覆う」と。
徳川擁護の理路整然とした主張が会議を支配しようとしていました。
その時・・・大久保が!!
「幕府の失政は重税に値す!!
 慶喜の官位を貶し、所領を収め、それに不平を言わず応じることがなければ、新政府入りは認められぬ」

大久保や岩倉は、厳しい条件を突き付けて、丸裸に資、一旦は新政府に完全服従すると意思表示させる・・・
耳目を一新する!!
世の中が変わったんだということを、日本中に知らせて、改革を覚悟させようとしたのです。
外で警護を担っていら西郷は・・・
「短刀一本あれば片が付く」と、岩倉達に伝えて鼓舞しました。
そんな岩倉は、慶喜の参内を拒否!!
徳川擁護派も頑強に抵抗!!
春嶽は、国元への書簡にこう書いています。
”死しても我魂は 守護天幕する”・・・と!!
激しい議論の末、慶喜の辞官納地については、春嶽らが交渉したうえで慶喜から返上を申し出るという穏便な形でおさめられました。
大久保や西郷にとってクーデターの結果は、苦い勝利と終わりました。
さらに・・・12月12日、思わぬ事態が・・・
春嶽との交渉も始まらないうちに、慶喜が会津、桑名の大軍と共に大坂へ・・・!!
このままでは辞官納地は棚上げされかねない・・・大久保と西郷の危惧は深まります。
おまけに、大名達が新政権に背いてしまったら、完全に薩摩は孤立してしまう・・・!!
12月24日、西郷と大久保は、更に大きな後退が・・・!!
”先刻の大名は話し合いのうえ、新政府の財政のため領地を提供する”事が決まりました。
徳川以外の大名も領地を提供することになれば、徳川だけ領地を召し上げ懲罰を天下に示すという目論見は吹き飛んでしまう・・・!!
12月28日、慶喜、新政府の決定を受け入れる!!
官位は返上するものの、徳川の権威は維持したまま新政府に入るという道が開けたのです。
風向きの変化に動揺したのか岩倉は・・・
「自分は最初、討幕論だったが、大政奉還で慶喜公を見直した。
 新政府には不可欠な人物である。」と漏らしています。
徳川擁護派にすり寄るかの岩倉の態度・・・
西郷と大久保は次第に窮地に立たされていきます。

薩摩藩上屋敷・・・この地で政局を揺るがす事件が起こります。
1867年12月25日、薩摩藩邸焼き打ち事件!!
旧幕府の治安部隊が、薩摩藩邸を焼き打ちしたのです。
発端は一月前・・・
江戸市中の豪商が、浪士団に襲撃される事態が横行!!
治安部隊は、浪士たちが薩摩藩邸に匿われていることを突き止め、引き渡しを要求!!
しかし、これを薩摩藩が拒んだことで、焼き打ちとなったのです。
従来、この件は、武力討幕のきっかけを作るために、西郷が浪士を使い旧幕府軍を挑発した謀略だとされてきました。
ところが・・・近年異なる説が・・・。
根拠となるのが、このことを聞いた西郷の書簡に・・・
「大いに驚愕している
 残念旋盤の次第」と書いているからです。
西郷は、この件には関与していない・・・??
薩摩にとっては、予想もしなかった事態に・・・!!

大久保の武力倒幕か・・・??
西郷の薩摩に帰って時期を待つのか・・・??

1868年1月2日、旧幕府軍、京へ向けて進発!!

目的は、敵対する薩摩藩士を新政府から排除すること・・・!!
巨大は軍事力を擁した慶喜のデモンストレーション!!
西郷、大久保、どうする・・・??

決断が下されたのは、クーデターから24日目・・・1月2日でした。
大久保の日記には・・・
慶喜は上京して薩摩の罪を問うつもりだろうが、その機先を制して戦に決する!!・・・と!!
旧幕府軍の上洛を阻止せよと朝命を受けた大久保に西郷も同意!!
ここに、武力倒幕が決まりました。
御所から10キロ・・・伏見区小枝橋・・・薩摩・長州両軍は、藩兵を布陣させます。
そして・・・1月3日夕刻・・・進軍してきた旧幕府軍に薩摩の大砲が火を噴き、鳥羽伏見の戦いが始まりました。
周到に陣地構築していた薩摩兵の前に、旧幕府軍は不意をつかれ、次々とうち倒されていきます。
初戦の勝利によって戦局は大きく動きました。
日和見をしていた公家たちは、鳥羽で維新派が勝ったと知り、岩倉や討幕派の公家たちに面会を求めます。
1月4日・・・戦場に錦の御旗が・・・慶喜追討が発せられます。
諸藩は雪崩を打ったように新政府軍に・・・!!

土佐・山内容堂も・・・「この上は、朝廷の御沙汰次第に・・・」と、答える以外にありませんでした。
武力倒幕という危険な賭けにまで出て、西郷、大久保が手に入れたいものとは何だったのか・・・??

全国の藩主が版籍奉還・・・
この精神があったようです。
”一君万民”の体制を作ること・・・天皇の下に、日本の全人民を結集できる体制を作ること。。。
挙国一致体制を作れれば、西欧からの圧迫も跳ね返せるのでは・・・??

明治維新へと至る25日間の戦い・・・
勝敗を分けたのは、この国の形を根底から覆そうという西郷と大久保の固い志でした。



↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

大政事家 大久保利通 近代日本の設計者 (角川ソフィア文庫)

明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ

新品価格
¥1,620から
(2018/10/4 17:52時点)

王政復古 天皇と将軍の明治維新 (講談社現代新書)

新品価格
¥972から
(2018/9/28 17:34時点)



慶応2年6月・・・世に言う第二次長州征伐が始まりました。
幕府は十万の兵を率い、僅か3500の兵で長州に襲い掛かったのです。
ところが、長州は薩摩から入手した最新鋭の武器で、紀州をしかけ、数で勝る幕府軍に次々と勝利していきました。

と、ナレーションが始まりましたが・・・
ほんと、長州の味方ですよね??
”幕府は十万の兵を率い、僅か3500の兵で長州に襲い掛かったのです。”って、テロリストは長州でしょ??

と思っていたら、簡単に長州軍の勝利・・・の途中で、いとも簡単に将軍・家茂が亡くなったのでした。
窮地に立たされた幕府は、休戦に持ち込まざるを得なくなり・・・

下品な岩倉具視が喜んで・・・そのおんぼろ岩倉邸に来た吉之助はまたもや網に足をすくわれ、罠に引っかかってしまうという、全く緊張感のない幕末が始まりました。

なんだよ・・・これ・・・??
で・・・??なんで勝海舟がここにいんねん??
家茂死んだのに、目が回るほどいろいろすることあるだろ??

全く理解不能な「西郷どん」が始まりました。

楽しそうに岩倉邸で歓談してますわ・・・
西郷、大久保、勝、岩倉が・・・!!
なんだかゲンナリ・・・
長州に一人で乗り込んでいったことを話し出す勝・・・。
って、一人で乗り込むの好きだよね??この大河!!
タイマンはるのがカッコいいと思ってるのかな??って思う。
それなら本宮ひろしを推薦するよ・・・??

「これで幕府も終わりだ・・・」なんて悲しい言葉が勝さんの口から出てしまいました。

勝さんはホントはこんなこと考えてましたよ??
「江戸城無血開城 勝海舟の知略」はこちら
この文章をそのまま読んだ方が面白いので、読んでみてください。
ほんと、ここに出てくる人たちはどうしてもがいてくれないのかなあ・・・
徳川260年が終わるんだよ??
人の考え方なんて、おいそれとは変わらない・・・生みの苦しみを・・・もがいてくれ~~!!

その頃、慶喜は孝明天皇のもとへ・・・
信頼されているようですが・・・これは松平容保に・・・やっぱり容保だろ~~~!!

いきなり咳出す孝明天皇、やっぱり崩御!!

慶喜は、徳川15代将軍となりました。
フランス公使ロッシュと会談し、フランスの後押しをお願いします。

天皇崩御で気が狂ってしまう岩倉具視。
岩倉具視が暗殺したって説もあるのに・・・
「じゃかましわ!!」って御下品です。
やめてくれ~~!!品格落としたいんか??

雄藩諸侯を巻き込んで、始まるんですが・・・
雄藩諸侯を巻き込もうとしている薩摩ですが、そこら辺のことが全く理解できないほどの演出です。
地図を出すとか、系図を出すとか・・・

総代をしてほしいと言われ喜ぶ久光もアホっぽくって嫌だ・・・

テロップで前藩主とかって出てくるけど、政治的なあーだこうだが全くドラマでやってくれていないので、幕府が終わったのかどうかもわかんない・・・「そうだっけ???どうだっけ??」って思っちゃう。
それだけ大政奉還の影が薄いってことだし、王政復古の大号令も薄いからなんだろうなあ・・・。
心が揺さぶられていない・・・感動していない証拠だよ・・・全く。

で・・・いきなり四候会議。

いきなり慶喜登場で、写真を撮ると言い出しました。
俳優さんが言葉は発しているものの・・・何を言いたいのか全く分からない・・・。
そう、もう2回目なのに・・・なんで理解できないんだ・・・。

「余はもはや一橋ではない。征夷大将軍・徳川慶喜だ・・・」と、カメラの横で言って緊張感ZERO~~!!
おまけに、吉之助たちは将軍にしたかったのに・・・なったことさえ知らなかったのか??ビックリ!!です。

??会議しろよ~~!!

おまけに、2週間以上も会議はしたのに慶喜の根回しによって惨敗・・・って、久光のあほ顔をを見せられてもなあ・・・。
こんなとこにも品は皆無!!
それに、根回しってなによ、根回しって!!
山内容堂も、松平春嶽も、一応思想はあるんですよ!!
大政奉還をさせたのは、松平容堂(坂本龍馬、後藤象二郎)だし、松平春嶽も賛同していました。
彼等はやっぱり幕臣です。
なので、慶喜の根回しっていうより、やっぱり徳川方の人間なんだと思うんですけど・・・??

don2















大阪城ではパークスと慶喜が何だか交渉しています。
「女王陛下に乾杯!!」by慶喜
そんなこと、どうでもいいんだよ・・・
こんな諸外国との交渉で、復権しているらしいわ・・・
諸外国はそんなに甘く無いわよ・・・

そして・・・フランスに薩摩の割譲するという情報を盗み聞きするフキ・・・そんなバカな!!
でも、そんなバカな!!は、まだまだ続きます。

困った人の多い京都で江戸前のウナギを食べるみんな・・・
春奈の「西郷はん」のイントネーション、気持ち悪いねん・・・。

そんなところへやってきたのは、きれいなベベ着たフキでした。
「フキどん・・・」って、将軍様の妾なんだから、お芳様・・・ぐらい言ったらどうなの??いつまでフキやねん!!
春奈の京都弁も最悪・・・品が無いわ・・・
フキと吉之助、何暢気に話とるねん・・・。
お虎だけでもゲンナリなのに、フキの登場って白々しい・・・もう、辟易だ・・・。
「あの方が心配でお傍を離れられません・・・」って殊勝なこと言ってるフキですが、お前、お傍を離れて外出しとるやんけ!!

薩摩を割譲するって吉之助にチクるフキですが・・・
敵にそんなこと言っていいんかい??
それも、あんた、英語解るんかい・・・!!

イギリスも、薩摩に武器弾薬を提供してくれるらしい!!

そうね・・・この頃、アメリカで南北戦争が終わり、世界は武器弾薬が余っていました。
なので、日本を狙っていたんですよ~~!!
でも、日本で何とかするとイギリスに言う吉之助でした。

don3















「もう・・・腹をくくるしかなか・・・!!
 武力をもって、徳川を討つ!!」by吉之助

という吉之助、それに賛同する大久保利通です。

つまり、慶喜が薩摩をフランスに切り売りするってフキに聞いたから、徳川をぶっ潰そうということになったんですね・・・この大河!!

でもって、「討幕の密勅」に至るのでした。

なんか・・・鶴瓶の岩倉具視、大阪弁丸出しなのも嫌だけど、腹が座っていないのがもっと嫌!!
この頃のお公家さんは、結構武闘派も多く、吉之助から討幕の密勅や戦を聞いても腰抜かしたりせんわ!!
と、私は思う。
偽勅ですよ~~!!

長州藩、正規の兵を連れて上洛!!
その他の藩も・・・参戦!!
いよいよ戦いが始まりました。

みんな、今まで通り、「戦わずして勝つ!!」だろ??なんて言ってますが・・・
お前たち・・・薩摩隼人だろ・・・!?

そして、土佐藩も・・・??
いえいえ、龍馬は戦をしないで幕府を潰そうと考えていました。

突然1867年10月13日、京にいる10万石以上の重臣が二条城に招集されました。

do1















????これが二条城??
小さくないかい・・・??
え・・・??大政奉還、まだしてなかったんかい・・・??
いきなり”ええじゃないか”です。
何がいいんだか・・・。もっと大政奉還見せてくれよ~~!!

don4















大政奉還を喜ぶ龍馬・・・
「やっぱり坂本さんやったか・・・!!」by吉之助
これで日本中の雨漏りが直るという龍馬でした。
・・・もっとカッコいい言葉ないんかい・・・??
これでは何も変わらないという吉之助。

don5















おやおや・・・なんだか二人の間に溝が出てきたのでした。

実は、慶喜に大政奉還をされてしまった西郷たちは、打倒徳川の大義名分を失ってしまいました。
徳川260年・・・朝廷はトッポに機能できるわけもなく、人々は治安維持のためにやっぱり将軍様でした。
だって、長州はテロリストなんだもん!!
なので、このままの政権で行けば、またもや徳川の世になることはわかりきっていました。
今や、幕府に反逆した薩摩の・・・それも身分の低い侍なんか、一握りで潰されちゃうんです。
なので、どうにかして幕府を武力討伐したかったんです。
政権を倒して、新しい政権を作る!!それは、自分たちに後がないからしたことであって・・・ここで言う”民のため”なんてのは、後付けにしかならないと思う・・・。
”民のため”って言わすなら、板垣退助だろ・・・!!

ということで、政治的な流れが全くわからないので、毎回年表とにらめっこの私です
幕末は知っていると思っていたけど、いい復習になるわね~~!!と思いつつ、最近は「西郷どん」に突っ込むのでした。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ

新品価格
¥1,620から
(2018/9/28 17:34時点)

薩長史観の正体

新品価格
¥1,620から
(2018/9/28 17:34時点)

江戸無血開城: 本当の功労者は誰か? (歴史文化ライブラリー)

新品価格
¥1,836から
(2018/9/23 17:20時点)



1868年3月・・・江戸の町はえもいわれぬ緊張感の中にありました。
二人の男の話し合い如何によっては、江戸八百八丁が火の海に包まれる可能性があったからです。
その二人とは・・・清背OFF軍・東征大総督府下参謀・西郷隆盛と、旧江戸幕府陸軍総裁・勝海舟です。
15代将軍だった徳川慶喜の首をとるべく京都から江戸へと乗り込んできた西郷、江戸での戦いだけは阻止したかった勝!!
勝はこの絶体絶命の危機を数々の知略で脱していきます。
いかにして江戸漂無血開城は行われたのでしょうか?

1867年10月、15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上し、260年に及ぶ江戸幕府が幕を閉じます。
すると、藩幕府派の長州藩と薩摩藩がクーデターを起こし、12月9日明治天皇隣席のもと、王政復古の大号令を発布。
新政府樹立を宣言します。
1868年1月、慶喜を擁する旧幕府軍が反撃すべく新政府軍と京都で激突!!鳥羽伏見の戦いの戦いです。
結果は、新政府軍の圧勝に終わり、慶喜は朝敵となって大坂から江戸へと逃げ帰ります。
2月15日、新政府は慶喜を追討すべく、軍を派遣!!
京都を出発した軍勢は、北陸道、東海道、中山道を通って、進軍します。
その実質的な指揮を任されたのが、薩摩藩東征大総督府下参謀・西郷隆盛でした。

徳川を新政権から排除するのが目的でした。
というのも、700万石を有する旧幕府は、国内最大勢力だったのです。
西郷はこの時、慶喜を切腹させるつもりだったのです。
新政府軍が江戸へ攻め込んでくる・・・!!
慶喜に残されていた選択肢は二つ!!
①再び戦いを挑む
②恭順の意を表す
でした。
陸軍奉行並の小栗忠順らは主戦論・・・徹底抗戦を主張しました。
しかし、慶喜は恭順することを選びます。
そして、歓待する小栗を罷免!!人事を刷新する中、勝海舟を陸軍総裁に抜擢します。
さらに、その勝に新政府軍との交渉をさせることになります。

勝海舟は、慶喜との関係はいまひとつ悪かったといいます。
鳥羽伏見の後、江戸城に帰ってきた慶喜と幕臣たちに対し・・・
「こんな事態を招いて、あなた方はどうするおつもりか!!」と。
世が世なら、勝はその場で切られてもおかしくなかったのです。
そんな勝がどうして交渉役に・・・??

1823年勝海舟は、江戸本所で、禄高僅か41石の旗本の家に生まれます。
若き日に打ち込んだのは蘭学でしたが、家が貧しくオランダ語の辞書を買うことができません。
借りてきて、まず、それを写し二部作成、その一部を売り辞書の借り賃に宛てたといいます。
蛍雪の功を積み、会得した語学力でオランダの兵学所を読み漁り、28歳の時に西洋式兵学の私塾を開校。
諸藩の藩士たちが通ってくるようになると、勝の名が知れるようになっていきます。
そんな勝の大きな転機となったのが、1853年ペリー来航です。
アメリカから開国を迫られた幕府は、大名だけでなく旗本にも広く意見を求めました。
勝も意見書を提出。
その提案は・・・
江戸湾に台場の建設、軍艦を購入したうえで軍隊を西洋式に変えるべきである。
この具体的な意見が幕府の目に留まり、長崎に開設された海軍伝習所の候補生に・・・。
そして、3年以上にわたり、オランダ人仕官から指導を受けます。

1858年日米修好通商条約が締結されると、遣米使節団として咸臨丸で渡米。
アメリカ西海岸に滞在した勝は、見聞を広め西洋の脅威を実感。
日本の海防の強化の必要性を確信するのです。
勝は、”幕藩体制に代わる政治形態”を模索し始めました。
帰国後、勝は軍艦奉行並を命じられます。
大阪湾の防衛のために、神戸海軍操練所を作ることを提案します。
その準備として開港した私塾には、最新式の海軍技術を学ぼうと、全国各地から多くの若者がやってきました。
その中には、坂本龍馬の姿もありました。
弟子入りを志願する龍馬・・・。

1864年・・・薩摩藩士・西郷隆盛も勝のもとを訪れていました。
西郷は、勝に質問します。
「もし、大阪湾に外国船が攻めてきたらどうするのか??」by西郷
「私は最早、幕府の力を見限っている。
 これからは、いくつかの諸大名が連合して、強力な軍事力を保持したうえで、諸外国との談判に当たらなければ、対等な交渉は行えない!!」by勝
幕府の人間とは思えない発言に驚く西郷。

そして、同じ薩摩藩士の大久保利通への手紙にこう書きます。
”勝海舟という人は、どれだけ知略のある人かわからない
 ひどく惚れ申した”
勝は、様々な藩の藩士と交流!!
中には、長州藩の木戸孝允など、明治維新の中心人物となるものも沢山いました。
その人脈の広さをかわれ、江戸幕府滅亡後の旧幕府側の代表者として新政府との交渉を任されたのです。

1868年2月12日、勝海舟に新政府との交渉を任せた徳川慶喜は、上野・寛永寺に蟄居。
自らが謹慎することで恭順の意を示そうとしました。
実は慶喜は、松平春嶽、山内容堂など新政府に顔が利く人物に仲介を頼みましたが、どこからもいい返事をもらうことができずにいました。
そこで、何とかことを収めようと謹慎した慶喜でしたが・・・
新政府側の気持ちは収まりのつかないところまで来ていました。
慶喜の頼みの綱は、勝海舟のみでした。
交渉役を任された勝は、大役を引き受けるにあたって慶喜に言います。
「わが軍の武器をもってすれば、新政府軍に勝てる可能性もまだございます。
 それでも上様は、恭順の道を・・・??」by勝

新政府軍と戦うにあたって、勝つ可能性もあったのにどうして恭順の道を選んだのか??
それは、新政府軍との戦いが長期化すれば、欧米列強に侵略される可能性があったからです。
日本を守るためにとも考えられます。
そして、勝も同じ気持ちでした。

「最早、内乱などしている暇はない!!」by勝

慶喜の覚悟を聞いた勝は、動き出しました。
まず、御内である旧幕府側の人間に、新政府への恭順を徹底させることでした。
まだ・・・一部で主戦論が燻っていたからです。
そこで勝は、幕府が築いて来ていたフランスとの良好な関係を解消。
フランスは、幕府が倒れる前から軍事顧問団を派遣、幕府軍の西洋化に協力していましたが、その一方で親密になっていた陸軍奉行並の小栗忠正らに新政府軍と戦うことを焚きつけていました。
勝は、自らフランス公使のもとへ・・・軍事顧問の解雇を申し渡します。
しかし、この行動が、旧幕府軍で反感を買うこととなり、勝は孤立・・・命を狙われる羽目に・・・。

この時勝は、新政府軍に対し、無条件降伏するつもりではありませんでした。
そこには、一歩も譲れない条件がありました。
この時、勝が望んでいたのは・・・
①徳川慶喜の命の保証
②徳川家家臣団の生活の保障
でした。

もし守られない場合は、新政府軍と戦う覚悟があったともいわれています。
和平交渉がまとまったとしても、新政府への恨みが後々まで残ってしまうからです。
勝はそう考えていました。
この後勝は、徳川のため、日本のために邁進していくことになります。

しかし、この時、その交渉の足掛かりさえありませんでした。
そこで目をつけたのが、西郷隆盛でした。
西郷はこの時、新政府軍を率いて東へと向かっていました。
そして、2月28日、駿府に到着!!
勝は、ここに手紙を届けるのです。

その内容は驚くべきものでした。
”徳川の軍艦を東海道筋の要所に配置すれば、新政府軍を撃退することができる
 それをしないのは、朝廷に恭順の姿勢を貫いているからだ。
 然るに、慶喜追討の姿勢を崩さないのはいかがなものか。
 箱根の西に軍をとどめておいていただきたい。”
と、強気なものでした。

これを読んだ西郷は、当然激怒!!
軍艦からの方が優勢・・・この作戦は、新政府軍の最大の弱点でした。
新政府軍の弱点を指摘し、西郷を怒らせた勝・・・。
勝は、一刻も早く江戸には行ってほしかったのかもしれません。
新政府軍の力を借りて、江戸の町を統治しようとしていた可能性もあります。
勝自身が江戸で西郷に時期談判しなければ、新政府軍は止められない!!
そして、新政府軍を江戸の町へ入れることで、政権が交代したことを民衆に実感させたのです。
大政奉還、王政復古の大号令は京都で行われ、江戸の人々は政権交代を実感していなかったのです。

1868年3月6日駿府・・・
新政府軍司令部は、3月15日に江戸総攻撃を決定!!
新政府軍の実質的な指揮官にあった西郷は、京都にいた薩摩藩士に手紙を送っています。
”徳川方には、軍略に優れた勝海舟らがいる
 この知勇に優れた男を相手に、雌雄を決するのは男子としては快事”
西郷は、勝海舟との戦いを待ち望んでいました。
同じころ、勝海舟の元を一つ里の男が訪れます。
旗本・山岡鉄舟です。
山岡はこの時、剣の腕を買われ、寛永寺で謹慎生活を送っていた慶喜の護衛をしていました。
慶喜が恭順の意を示しても、新政府軍に伝わらないことに歯がゆさを感じ、自分が新政府軍と交渉するとやってきたのです。
そんな山岡に勝は尋ねます。
「どうやって新政府軍の陣営に乗り込むつもりか?」by勝
「新政府軍の陣営に入ったら、まず自分の刀を差し出し、敵が縄で縛るというなら、言われるがままになりましょう。
 敵とて、私を斬り殺すなどという不条理なことはしてこないでしょうから・・・」by山岡
勝は、この覚悟に感服し、西郷のもとへ送ります。
3月6日、3日後には駿府に到着。
3月9日・10日、西郷との会談を取り付けます。
そこで、西郷から慶喜助命の条件を引き出すことに成功!!
しかし、提示された内容は・・・
①慶喜の身柄を備前藩に預ける
②江戸城を明け渡す
③旧幕府軍すべての軍艦・武器を没収する
という・・・事実上、無条件降伏のようでした。

山岡はひとまず預かり、勝のもとへ急ぎます。

山岡鉄舟が江戸に戻る前に、続々と新政府軍が江戸に入ってきました。
3月11日、板垣退助率いる部隊が八王子に布陣!!
12日には別部隊が板橋到着!!そして、この日、ようやく山岡鉄舟が江戸に戻ってきました。
この条件を勝が聞いたのは、江戸城総攻撃の僅か3日前でした。
その翌日、13日には東海道を進軍してきた西郷隆盛率いる部隊が池上に布陣。
江戸の町は包囲されました。
様々な手を打ってきた勝・・・実際のところ、この交渉がまとまるかどうかの保証はありません。
最悪の事態も想定していました。

対抗策は・・・江戸焦土作戦でした。
交渉が決裂し、新政府軍との戦いとなった場合、新政府軍もろとも江戸の町を焼き払おうと考え、密かに進めていました。
自ら町火消やとび職の親分のもとを訪ね、もし新政府軍が攻撃しだしたら合図をするので、そこかしこに火を放ってもらいたいと説きました。
どうして徳川軍で真っ向から戦おうとしなかったのでしょうか?
徳川軍の中には、新政府への抵抗を唱え、江戸から離れるものが多くいました。
勝は、庶民の力を借りて、新政府軍を迎え撃とうとしたのです。
近隣の漁師たちに江戸の民衆を船で救出してくれるようにも要請!!
しかし、勝とて江戸を焦土にしたくはありません。
新政府軍との交渉に・・・!!

3月13日、京都から進軍してきた新政府軍が江戸を包囲!!
異様なまでの緊張感に包まれます。
そんな非常事態を収拾すべく、勝海舟は西郷隆盛のもとを訪れます。
4年ぶりの再会でした。
会談は13日と14日に行われたといいます。が、場所は・・・??
池上本門寺説、薩摩藩蔵屋敷説、愛宕山の山頂説・・・
会談は勝が待ち望んだものでしたが、初日は慶喜助命の条件に付いての質問だけでした。
会談前日に江戸に戻ってきた山岡の持ち帰った条件を西郷に確かめたかったのです。
会談を終えた勝は、江戸城に戻り、嘆願書をまとめ上げます。
そして、14日会談に臨みます。
勝は、嘆願書を提出・・・!!
それは、新政府軍の条件をほとんど無視したものでした。

慶喜を備前藩に預ける→兄の水戸藩での謹慎
軍艦・武器をすべて新政府軍に差し出す→処分が下った後、徳川家に必要な分以外を差し出す

条件を認めたのは、江戸城を明け渡すことぐらいでした。
当然西郷は激怒し、突き返すと思いきや・・・
即決できないと預かり・・・結論が出るまでは江戸城総攻撃は延期するとし、朝廷のある京都へと戻っていきました。
どうして西郷は嘆願書を拒否しなかったのでしょうか?
それは、13日に、西郷にとって不測の事態が起きていました。
この日、横浜で・・・新政府軍の木梨精一郎は、ハリー・パークスに会いに行っていました。
薩英戦争後、薩摩藩は最新の武器を擁してもらうなどイギリスと親密な関係にありました。
イギリスに新政府の後ろ盾になってももらっていました。
そこで、江戸城総攻撃をかけるとパークスに報告すると・・・
「恭順の意を表している慶喜公を攻撃する必要などないのでは・・・」と、江戸総攻撃に反対したのです。
その裏には、勝の根回しがありました。
4日前の3月9日江戸で・・・
勝はパークスの通訳であるアーネスト・サトウと会っていました。
勝はサトウに訴えます。
「慶喜の命と、家臣たちの生活の保障があれば、どんな条件にも応じる用意があります。
 さもなければ、戦いも辞さない!!
 そのような事態を、貴国の力で未然に防いでもらえないだろうか??」と。

新政府が江戸を攻めると、イギリス人にも犠牲・損害が出る恐れがありました。
戦争を避けたいイギリスを利用して、新政府軍の西郷に圧力をかけていたのです。
イギリスの意向を無視できない西郷は、旧幕府軍の嘆願書を受け取らざるを得なかったのです。
イギリスという薩摩藩と新政府が逆らえない相手を利用した勝海舟渾身の一手でした。

篤姫は、旧知の西郷に、長さ3メートルの手紙を認めます。
徳川家のことを願って・・・!!
”私の一命にかけて何卒お頼み申し上げます”
徳川家を必死に守ろうとした篤姫の手紙に、西郷は涙を流したといいます。
一説には、勝が篤姫にこの手紙を書かせたともいわれていますが、真相はやぶの中・・・。

朝廷の判断如何では危険になる可能性が残っていたので・・・
勝は、イギリス公使パークスのもとへ出向き・・・
「イギリスに帰国するであろう貴国の軍艦を、もう一月だけ停泊しておいてもらいたい・・・!!」と。
勝はその理由を、山岡鉄舟に明かしています。
”慶喜公の命が危なくなったら、イギリスの軍艦にお乗せする計画がある。”と・・・!!

イギリスに亡命させることまで考えていたのでは??
あらゆる可能性を考え、リスクを抑え、次の新しい時代に、命、文明、すべてを譲ろうとしていました。
しかし、勝の心配は杞憂に終わりました。
おおむね、朝廷が承諾してくれたのです。

そこには西郷隆盛の尽力があったといいます。
西郷は、勝の想いに応えてくれようとしたのかもしれません。
共に新しい時代を作ろう!!と。
そして・・・4月11日、江戸城が新政府に明け渡されました。
血を流すことなく・・・!!

その後、西郷隆盛、勝海舟も、高い能力を買われ新政府で要職を任されました。
しかし、西郷は征韓論で新政府と対立し下野!!
そして西南戦争で反乱軍を指揮したとして、朝敵の汚名を着せられ亡くなります。
そんな西郷の汚名を回復しようと誰よりも動いたのは、勝でした。
上野の銅像を建てる運動にも積極的に参加したといいます。

勝は解っていたのです。
西郷無くして江戸無血開城は果たせなかったと・・・!!
そして、西郷無くして、明治という新しい時代は迎えられなかったと・・・!!


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

西郷隆盛とは何者か1 西郷は実像以上に美化されている

松方弘樹主演 大河ドラマ 勝海舟 総集編【NHKスクエア限定商品】

新品価格
¥8,424から
(2018/9/23 17:21時点)

このページのトップヘ