日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:斉藤義龍

群雄割拠の戦国時代・・・各地の大名が覇権を争い戦を繰り広げていました。
そんな中、一介の油売りから身を興し、美濃国の国主にまで成り上がったといわれる戦国時代の下克上を象徴する男・・・美濃の蝮と恐れられた斎藤道三です。
織田信長や明智光秀に影響を及ぼしたともいわれていますが・・・
彼自体について残された史料は極めて少ない・・・。
信長の一代記”信長公記”には、裏切りや暗殺を繰り返し、君主を追放した卑劣な男として描かれ、牛裂き、釜茹でなど残酷な刑を好んだとも記録されています。
しかし、近年の研究によって、新たな人物像が・・・・。

岐阜城の麓にある常在寺・・・斎藤道三は晩年にこの寺で出家・・・道三と名乗ったとされています。
謎に包まれた戦国大名・斎藤道三・・・
これまで彼は、一介の油売りでありながら、美濃国で実権を掌握し、国主にまで成り上がったとされてきました。
しかし、近年発見された史料によって、その通説が覆り、道三の人物像が一変したといいます。

近江国の守護大名六角氏の書状「六角承禎条書写」
ここに、斎藤道三の真実が隠されています。
この書状は、永禄三年七月二十一日に近江の六角承禎が息子の家臣たちに宛てて出した書状です。
斎藤道三の息子・義龍について書かれたこの書状・・・
斉藤家の先祖は、京都妙覚寺の僧侶だったとあります。
そこから西村と称し、美濃国で侍となり、その後出世し、長井と名を変えました。

そこに・・・祖父新左衛門尉と書かれています。
斉藤義龍の祖父ということは、道三の父・・・
道三が一人で国盗りをしたんのではなく、道を整備していったのは新左衛門尉だったのです。

かつての研究では、道三が一人で美濃の国主になりあがったとされていました。
しかし、この書状によって、親子二代による国盗りだったことが分かります。
まず道三の父は、京都で法華宗の僧侶をしていました。
江戸時代に書かれた美濃の記録には、寺を出たのち、美濃で油を売る商人になったとされています。
この油売りの経験こそが、その後の出世の謎を解くカギになります。
京都にある大山崎町・・・ここは、かつて明かりをともす油・・・えごま油の生産地として知られていました。
製造と販売を担っていたのが、神社に仕える神人と呼ばれる人たち・・・彼等は、各地を行き来する特権を得ていました。
西日本の各地でえごまが栽培されているので、えごまを優先的に買い付けに行ける特権を持っていたのです。
関所、淀川の水運、瀬戸内海の港の利用料を支払う必要がありましたが、山﨑の油売りは免除されていました。
広範囲を自由に行き来できた当時の油売り・・・かつて僧侶だった道三の父は、法華宗の商人のネットワークの中で商売を行っていたと考えられています。
油を売り歩く中で、彼が目をつけた場所・・・それが美濃国でした。

司馬遼太郎が斎藤道三を描いた小説「国盗り物語」でこの地を公表しています。

”美濃を制する者は天下を制す”

美濃は、京と関東の間にあり、多くの街道が通じる交通の要衝・・・
豊かな穀倉地帯である濃尾平野や長良川などの河川が流れる肥沃な土地でもありました。道三の父は、美濃の守護代・斉藤家に出入りするようになります。
すると、行商で得た各地の知識が重宝され、斎藤氏の家臣である長井家の武士に取り立てられます。
この頃、名を西村勘九郎と改名します。
さらに、戦で多くの武功をあげたことで、長井の姓を与えられ、長井新左衛門尉と改名。
道三の父は、名前を変えながら着々と美濃での地位を上げていきました。

どうして彼がそのような出世をすることができたのでしょうか?
美濃は、昔から上質な和紙の産地として知られる場所・・・
道三の父は、この美濃の経済的拠点を押さえ、紙の流通を支配することで多額の利益を得ていたとみられます。
次第に美濃での力を強めて行った道三の父・・・
事実、当時美濃で買わされた文書には、長井新左衛門尉の名が、いくつも見受けられます。
しかし、ある時を境にその名が記録から一切見られなくなるのです。
そこには、長井新九郎規秀と書かれていました。
これこそが、道三・・・??
この書状が書かれた前後に、道三の父は亡くなったとされています。
当時の美濃は、代々守護を務める土岐氏が家督争いをする不安定な状態でした。
土岐氏に続いて権力を持っていたのが、守護代の斎藤氏・・・
その重臣であったのが、長井氏であり、道三は父から長井のナンバー2の地位を引き継いでいました。
そこから彼は、美濃での地位を上げるために暗躍をはじめます。
六角氏の書状には、こう記されています。

”惣領を討ち殺し諸職を奪い取り”

長井家の当主を殺害、自らが惣領となり家を乗っ取ったのです。
さらに、土岐頼芸と結託し、家督争いをしていた土岐頼純を追放、頼芸を美濃の守護に押し上げます。
道三は、頼芸から守護代である斎藤の姓を使う承認を得て、斎藤利政と名を変えました。
父の死からわずか4年ほどで、道三は美濃の守護代・ナンバー2にまで上り詰めたのです。

岐阜県山県市・・・かつてここに、大桑城という山城がありました。
斎藤道三の主君・土岐頼芸の居城です。
道三によって美濃の守護に擁立された頼芸・・・
しかし、国主の座を狙う道三との関係は、次第に悪化していきます。
頼芸は道三からの攻撃に備え、居城の大桑城を全面的に整理しました。
そこには当時最大級ののぼりの工夫がなされていました。
城に作られた防御施設からは、当時の土岐頼芸の強い警戒心が感じられます。
土岐氏は、斎藤氏を非常に恐れていたことを示しています。

更に山麓には、土岐氏が周辺勢力と協力して築いた防御システムが残されています。
道三側の侵入を防ぐ深さ5メートル~8メートルの四国堀・・・越前の朝倉氏や近江の六角氏など4つの国の加勢により築かれたといわれています。
土岐氏と朝倉氏は友好関係を結んでいたので、土岐氏のバックアップを・・・
斎藤道三は、戦国下克上!!元の権力を否定して力をつけてきていました。
簡単に土岐が道三に負けてもらっては、朝倉氏としても困るのです。
朝倉など旧来勢力にとって、急速に力をつける道三は、看過できない存在でした。

一方、道三はどのような城を作っていたのでしょうか?
岐阜城・・・かつては稲葉山城と呼ばれ、斎藤道三が居城として整備しました。
後に織田信長によって、全面的に改修されたと考えられています。
しかし、近年の調査でこの城についての新しい説が浮上しました。
一部の石垣が道三時代のものであり、それを信長が使用したのではないか?というものです。
道三は、高い築城技術を持っており、稲葉山城という歴史があって初めて織田信長の岐阜城が生まれたのではないのか??
信長への影響は城郭だけではなく、道三は山麓に大規模な城下町を建築し、城からのびる百曲という道に大桑城から町人を移住させました。
城からのびる主要な道を中心に、町が形成されるタテ町型城下町・・・これは後の信長や秀吉の時代に多くみられるものです。
町の外側に、道三は市場を建設、そこでは信長の楽市楽座に先立って自由な商取引が行われていました。
信長が経済を重視し、流通を重視し、城下町政策、経済政策をしていく・・・
このお手本となったのが斎藤道三だったのです。
稲葉山城を拠点に、美濃の実効支配を進める斎藤道三・・・
しかし、彼に対抗意識を持つ周辺勢力が牙をむく時が訪れます。

1544年、尾張の織田と、越前の朝倉が、土岐氏の復権を名目に、斎藤氏の稲葉山城に攻め込んできたのです。
この時、織田軍を率いていたのが織田信秀・・・信長の父です。
織田軍は村に火を放ちながら侵攻・・・その軍勢は、2万以上でした。
城下にまで押し寄せる織田軍・・・しかし、道三は城に籠って動こうとしません。
攻めあぐねた織田軍は、日没とともに攻撃を中断・・・兵を引き上げかけたその時!!
道三が潜ませていた軍が一斉に奇襲をかけたのです。
不意を突かれた織田軍は狼狽・・・逃走します。
追撃した道三の軍は5000もの兵を討ち取ったとされています。
織田と朝倉の侵攻を防いだ斎藤道三・・・しかし、周辺勢力の脅威は見過ごせないほどの状況になっていました。

美濃での支配力を強める斎藤道三・・・しかし、周辺には多くの脅威を抱えていました。
南には尾張・織田信秀、北には土岐氏と手を組む越前・朝倉、西には近江の浅井や六角、東には東海の雄・今川氏と強敵が四方にひしめいていました。
そんな中、道三に思わぬ話が舞い込みます。
織田からの和睦の提案です。
当時、尾張国内の敵対勢力と対抗することを強いられていた織田信秀・・・さらに東には、今川氏が三河の西部にまで進出・・・
国内外の脅威により窮地に陥っていました。
この逆境を打開する為に、道三に和睦を申し入れてきたのです。
しかし、織田側から和睦の証として両国間の縁組が持ちかけられました。
信秀の息子である信長のもとに、道三の娘・帰蝶を嫁がせることを求めてきたのです。
美濃の国盗りを前に、大きな選択を迫られた道三・・・どうする??

織田と和睦する??
四方を囲む強敵に対抗するため、織田との和睦は道三にとっても好都合でした。
国外の敵が減れば、土岐頼芸から国主の座を奪うことに専念できる・・・!!
しかし、道三にとって気がかりだったのは、娘の縁組の相手・信長の存在でした。
当時、信長の評判は極めて悪く、”信長公記”にさえ信長公を大うつけという人ばかりと書かれています。
信長は言わずと知れたうつけもの・・・織田家に先はない・・・??

織田家ではなく今川と手を組む・・・??
今川氏は、代々駿河に君臨する名家中の名家。
足利将軍家の祖である足利高氏は・・・

”御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ
 吉良が絶えなば今川が継ぐ”

と、書き残したとされる家柄でした。
その今川氏は、当時織田家への侵攻を計画、道三が今川と手を組めば、織田を急撃し、尾張の地を奪うことも可能・・・!!
織田か、今川か・・・どちらと手を組むべきか・・・??

織田からの提案を受け、帰蝶と信長との婚姻が成立・・・道三は、織田との和睦を選んだのです。
後に道三は、娘婿となった信長と対面し、その時こう述べッと伝わっています。

「自分の子は将来、信長の門前に馬を繋ぐことになる」

うつけと呼ばれていた信長ですが、道三はその器量を見抜いたとされています。
一方信長は、その翌年今川方を攻める際に、自分が留守にする城の守りを道三に依頼、両者の関係は強固なものとなっていきます。
1548年、道三と織田との和睦と時を同じくして、土岐氏を支援していた越前の朝倉孝景が急死。
千載一遇の機会を手にした道三は、土岐頼芸を近江に追放・・・
名実ともに美濃の国主となり、親子二代にわたる国盗りがここに完成します。

その後の1554年、家督を息子・義龍に譲ります。
親から続いた道三の国盗り物語は、次の代に継承されたかに見えました。
しかし、親子の関係は次第に悪化、道三は実の息子・義龍を信長程高く評価していなかったとされています。
対立を深めた末に、1556年、親子の間で合戦が勃発・・・長良川の戦いです。
義龍が1万7000の兵を集めたのに対し、道三のもとにはせ参じた兵はわずか2000余りだったといいます。
結果、長良川での戦いで、道三は討死・・・
その戦の前日に、道三が書いたとされる遺言状が残されています。

”終には織田上総介の存分に任ずべき”

道三は、美濃国を息子の義龍ではなく信長に譲り渡すとしているのです。
それから11年後の1567年、道三が亡くなって以来斎藤氏との関係を悪化させていた信長が、稲葉山城の攻略に成功・・・
道三の遺言通り、美濃国は信長の治めるところとなりました。
父から受けついだ国盗りに道程・・・それは、娘婿である織田信長の天下取りへの道へと引き継がれていったのです。

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交通の要衝にある岐阜城。。。
長良川の河畔にあって、斎藤道三、織田信長の居城としても有名です。
斎藤氏の時は、稲葉山城と呼ばれていました。

ま、岐阜って言葉を作ったのは信長だしね。

道三は、油売りから下剋上でのし上がりました。一国一城の城主となり、”まむしの道三”と、怖れられていました。
しかし・・・下剋上された道三は、この下剋上が仇となっり・・・息子の義龍に殺されてしまいました。

道三は、主人の主人の主人・土岐頼芸を滅ぼして、その愛妾を妾にしました。
しかし、その時すでに腹には義龍が・・・

道三は死の間際、「三年を経ずしてお前の五体は生きながら地獄に落ち、稲葉山の城に入るものは一人も生かしておかぬ」と、呪いの言葉を吐いたのです。

その呪い通り、義龍は急死・・・次に稲葉山城城主となった龍興は織田信長に「舅の仇」という大義名分のもとに滅ぼされるのです。

信長は、この稲葉山城を岐阜城と改め、天下人に相応しい豪華絢爛に作り上げました。
しかし・・・天下統一を目前にして本能寺の変で死んでしまうのです。

その後、信長の三男・信孝・池田輝政・織田秀信など、歴代の岐阜城主たちはみんな非業の死を遂げています。

その上、岐阜城では幽霊が出ると評判で・・・。

稲葉山城は斎藤道三の居城になる前は、道三に殺された長井氏の居城でした。
その長井藤左衛門尉景引の幽霊に始まり・・・道三・義龍・信長の幽霊が出ては城主たちを悩ませました。

そして・・・江戸時代・・・この城を与えられた家康の娘婿・奥平信昌は、入城前からこの噂に怯え・・・この城を廃城してしまいました。

しかし・・・斎藤道三=土岐頼芸という説もあって・・・
ってことは、義龍は実子ってことになるし。。。
ま、この時代、畳の上で死ぬことは許されない武士達・・・
みんな非業の死を遂げていると思うんですけど。

なので、きっと弱い人間の心が・・・後ろめたい人たちが作り上げた怨霊のように思うのですが、どうでしょう???


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