日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:斎藤道三

かつての丹波国・・・京都市右京区にある慈眼寺・・・
ここには、とある戦国武将が祀られていますが・・・墨で塗りつぶされて真っ黒です。

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その武将とは・・・??

本能寺の変で主君である織田信長を討った天下の謀反人・明智光秀です。
この木像は、光秀が創建した寺に安置されていました。
肩には明智の家紋、桔梗紋があります。
どうして黒く塗りつぶされたのか??それは、光秀が逆賊とされたからでした。
しかし、最近の研究では・・・??
本能寺の変は、明智光秀が織田信長という鬼を倒しただけ??
天下の謀反人ではなかったのか・・・??

残された資料が非常に少ない明智光秀・・・
信長に仕えるまでの前半生は、ほとんど解らず多くの謎に包まれています。
通説では、美濃国の源氏の名門・土岐氏の一族・・・明智の家に生れたといいます。
室町時代の明智氏は、京都に常駐し、将軍の直臣として高い地位にありましたが、光秀の父に関しては、”光綱・光隆・光国”などの名が上がり、特定に至っていません。
出生地もはっきりせず、現在の岐阜県可児市・恵那市・大垣市・山県市・・・など諸説ありますが、近年では明智城のあった可児市を有力とする声が多くなっています。
生年も謎・・・
光秀を主人公とする軍記物「明智軍記」には、光秀の辞世の句があり、そこに”五十五年の夢”とあることから、亡くなった1582年に数えで55歳・・・それから逆算すると1528年生まれとされてきました。
つまり、光秀は1534年生まれの信長より6歳上。
しかし、明智軍記は光秀の死後100年以上たっている、作者も不明のために信憑性が低いとされてきました。

そして近年別の説が・・・??
本能寺の変の時、55歳・・・それは絶妙な年齢です。
しかし、17世紀成立の歴史書「当代記」には、光秀は羽柴秀吉との山崎合戦に敗れた後、落ち武者狩りで殺された・・・この時の年齢が齢六十七と書かれています。
最近では、1516年生まれという研究者もいます。
1516年生まれならば、信長より18歳年上・・・本能寺の変の際は67歳ということになります。

当時の美濃国は、守護である土岐氏が京都に滞在することが多く、それを美濃に持ち帰っていたため文化風流に富んでいました。
また、学問を重んじる寺も多く、そこには兵法書などが豊富にありました。
美濃国に生れた光秀は、幼少のころから様々な文化に触れ、多くの知識と素養を身に着けたのだと思われます。
そんな文武両道の光秀の前に、大きな試練の日々が待っていました。

1552年頃、油売りから身を起こしたともいわれる斎藤道三が、守護の土岐頼芸を追放し、美濃国を掌握。
明智氏はこの道三に仕えることとなりましたが、1556年4月、道三とその長男・義龍による長良川の戦いが勃発し、道三が討死・・・すると義龍は、道三に仕えていた明智氏を敵とみなし、その年の9月、3000の兵で明智城に攻め入りました。
対する明智方の兵は870人・・・城代を務めていた光秀の叔父・明智光安は勝ち目はない・・・と、光秀に明智の家の再興を頼みます。
明智城を脱出した光秀・・・。

妻・熙子と共に美濃を後にした光秀は、明智軍記によると諸国を放浪・・・極貧の暮らしの中、各地で禅寺を間借りしながら伊達氏、毛利氏、宇喜多氏などの所領を転々とします。
そして、1557年頃・・・越前国へと流れつきます。
福井県にある称念寺・・・光秀はこちらの門前に小屋を建てて住むことを許され、間もなくして朝倉義景に仕官。
この後、出世を果たしたといわれていますが、その理由は・・・??

ある日のこと、義景の前で鉄砲の腕前を披露することとなった光秀は、45mほど離れた的を、次々と打ち抜き、100発中99発命中・・・その褒美として鉄砲隊100人を預けられたといわれています。
これが本当に出世の理由・・・??
諸芸に通じた光秀ならば、鉄砲も上手かったと思われます。
鉄砲の話は作り話の可能性が高く、そもそも光秀がすぐに朝倉義景に仕えたという話そのものが疑わしいと思われます。
越前国に身を置いた光秀が、寺子屋の師匠をしていたという伝承もあります。
お医者さんをしていたという説もあり・・・その素養の高さが目に留まったのではないかと思われます。

1566年9月、光秀が身を寄せていた越前国に、足利義昭が逃げてきました。
前年に兄である室町幕府13代将軍・足利義輝が暗殺され、義昭にも危険が迫っていたため、幕臣の細川藤孝と共に逃亡・・・足利家と関係の深かった朝倉義景を頼って、越前までやってきたのです。
その時・・・明智の名を見つけた細川は、
「将軍の直臣だった明智氏の者か??」と、声をかけたのでは・・・??
光秀の人生が、大きく動き始めた瞬間でした。

そんな中、義昭は朝倉義景に声をかけ、足利将軍家を復興する為に共に上洛してくれるように要請します。
しかし、長男の急死などで気落ちしていた義景は、なかなか腰を上げようとしませんでした。
業を煮やした義昭は、義景を見限り一人の武将に希望を託します。
それが尾張の織田信長でした。
当時の織田信長は、美濃を制圧、その名をとどろかせていました。
思案する義昭に光秀は・・・??
光秀は、細川藤孝に「信長の妻に縁がある」と告げます。
信長の妻とは、正室・帰蝶のことで、帰蝶は美濃の斎藤道三の娘で、一説では母・小見の方は光秀の叔母・・・つまり、帰蝶と光秀は従兄妹になります。
光秀は、その縁を頼りに橋渡し役を買って出たのですが・・・
それによって信長とも運命の出会いを果たすのです。
この頃、信長が細川藤孝に贈った書状にも、

「詳細は明智に申し含めました
 義昭さまによろしくお伝えください」

とあります。

織田信長は、天下布武というだけあって、上洛の機会をうかがっていました。
信長にとって義昭の護衛は渡りに船だったのです。

1568年9月7日、信長は足利義昭を奉じて上洛。
光秀も幕臣として同行したといわれています。
こうして光秀は、放浪の身から歴史の表舞台に出たのです。
この時、通説なら41歳、当代記説なら53歳・・・。
9月26日に京都に到着した信長は、義昭の兄・義輝を殺害した勢力を京都から追い払い、平定。
翌10月、義昭は室町幕府第15代将軍に就任するのです。
光秀の橋渡しによってすべてはうまく行きましたが、光秀自身は複雑な状況になります。
この頃は、幕臣として義昭に仕える一方、信長からも扶持を受けていました。
光秀は二人の主君に仕える両属だったのです。
当時は武士たちは有能な主君を自由に選ぶことができたのです。

1569年、信長は直臣である丹羽長秀、木下秀吉、中川重政らと共に、新参者の光秀を京都奉行に任命します。
そうすれば、足利義昭の監視役とき、教養のある光秀は使えると思われていたようです。
光秀は、信長の期待に見事応え、京都の治安維持や税の徴収などで辣腕を発揮!!
和歌や茶の湯を通じて朝廷との交渉役となり、武骨ものの多い織田家臣団の中でなくてはならない存在となっていきます。
そんな中、光秀のもう一人の主君である足利義昭は、将軍とは名ばかりで実権を信長に握られていることに腹を立て、諸国の戦国大名に信長に圧力をかけるように命じます。
すると・・・光秀は、義昭の監視役としてその動きを逐一信長に報告していました。

1570年1月・・・信長は義昭に対して五か条の条書を突き付けます。
そこには・・・”重要な政治や軍事は信長が執行する 将軍は口出しするな”と記されていて、信長の印と共に光秀の署名がありました。
中立的な立場にいた光秀が、信長側に立ったのです。
どうして信長を選んだのか??
将軍・義昭よりも、天下統一に邁進する信長の将来性に賭けたのです。

織田家臣団の中にあって知略に富んだ交渉人として貢献する明智光秀・・・
さらに武将としてもその力を見せつけていくこととなります。

信長から政治に口出しするなと言われた将軍・義昭は、それに従うことはなく水面下で動きます。
朝倉義景を味方に付けようと画策します。
義景がこれに応じたため、1570年4月20日、大軍を率いて朝倉攻めに出発します。
光秀もこれに参戦・・・光秀にとって義景は、根無し草だった自分を拾い上げてくれた恩人・・・しかし、主君と決めた信長のために迷いはありませんでした。

4月25日、越前国に入った織田軍は、圧倒的戦力で金ヶ崎城と天筒山城を落とします。
織田軍が取った朝倉郡の首は1300以上だったともいわれています。
勢いそのままに朝倉義景のもとに攻め入ろうとした信長に・・・とんでもない情報が・・・!!
信長と同盟を結んでいた北近江の浅井長政が突然反旗を翻したのです。
長政の正室は、信長の妹のお市の方でした。
浅井氏に絶対の信頼を寄せていた信長は、言葉を失うほど狼狽したと言われています。
このまま残れば朝倉軍と浅井軍に挟みうちされるのは必死!!
家臣たちに説得された信長は、止む無く撤退を決意します。
戦において最も難しいのが退却戦・・・
本体を無事に退却させるためには、最後尾の殿が身を盾にして敵の追撃を食い止めなければなりません。
この難役に名乗りを上げたのが木下秀吉でした。
秀吉は金ヶ崎城に残って朝倉軍の追撃を必死に食い止め、兵の大半を失ったものの時間を稼ぎ、無事に帰還しました。
金ヶ崎の退き口と呼ばれるこの退却は、秀吉の武功として広く知られていますが・・・??

資料には「金ヶ崎城に 木藤 明十 池筑 その外残し置かれ・・・」とあります。

木藤=木下秀吉
明十=明智光秀
池筑=池田勝正

のことです。

つまり、この三人の共同作戦でした。
しかも、勝正は、多くの鉄砲を用意して参陣しています。
つまり、池田勝正と明智光秀が主力だった可能性が高いのです。
にもかかわらず、秀吉一人の武功とされているのは、太閤記に秀吉の武功ばかりが書かれています。
謀反人となった光秀の武功など、無用だと意図的に書き残さなかった可能性があります。
秀吉やその家臣によってかき消された光秀の功績は他にもあったと思われます。

信長の危機を命がけで救い、益々信長の信頼を得た光秀ですが、その一方で・・・
ルイス・フロイスは・・・
「織田家にあって、光秀は余所者・・・
 ほとんどすべての者から快く思われていなかった節がある
 また、光秀は裏切りや、密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的。
 己を偽装するのに抜け目なく、戦においては謀略の達人であった」と言っています。
浮いた存在だったようです。

フロイスは、キリスト教の受け入れに批判的だった光秀を、快く思っていなかったようですが・・・。
しかし、主君のためならば、残忍なことも、汚いこともするという一面が、光秀にはあったようです。

織田信長と対立していた石山本願寺法主の顕如が、浅井長政や朝倉義景に反信長連合を呼びかけます。
これに呼応した浅井・朝倉連合軍は、京都へ向けて進軍を開始し、比叡山延暦寺に布陣します。
すると信長は延暦時に対し・・・
「我が方に味方するなら山門領を安堵しよう
 それが無理ならばせめて中立を守って欲しい」
と、申し入れ、さらに
「味方もしない、中立を守らないというのであれば、敵とみなして焼き払う」
と脅しをかけました。
しかし、延暦寺はこれを聞き入れずに、無視・・・!!

翌年・・・1571年9月・・・ついに信長は、比叡山焼き払うように光秀に命じます。
比叡山延暦寺は、平安時代から朝廷の鎮護の役目を担ってきた由緒ある寺院です。
焼き打ちなどすれば、朝廷、更には京都の人々からの非難を免れることはできません。
通説では、光秀はこれに強く反対した!!

光秀の反対を押し切って、信長が比叡山の焼き打ちを決行!!
執拗な焼き打ちは4日間にわたって行われ・・・男女合わせて3000人以上が落命しました。
しかし、その真相は・・・??

近年の研究によると、光秀は比叡山焼き打ちには反対していないようです。
むしろ、忠実に比叡山の焼き打ちを実行しました。
その大きな根拠は、比叡山山麓の土豪に宛てた光秀の書状です。
そこには・・・

・弾薬の補給
・抵抗する集落の皆殺し

焼き打ちを実行するための細かな指示が書かれていました。
つまり、比叡山の焼き打ちに反対せず、入念な下工作をして信長の命令通りに実行したのです。
やはり謀略の達人なのか・・・??

しかし、この焼き打ちは、近年の発掘調査によってちょっとした山火事程度だったという説も出てきています。

光秀は、信長に反対せずに焼き打ちを実行したものの・・・それは脅し程度のもので、虐殺ではなかった可能性が高いのです。
1571年12月、光秀は比叡山焼き打ちの褒美として近江国志賀郡5万石を与えられ、さらに琵琶湖の湖畔に城(坂本城)を築くことを許されました。
これによって、光秀は延暦寺の監視と、琵琶湖水運の権利獲得を任されたのです。
これは、一国一城の主になったということ・・・
この時点では、まだ織田家臣団で一国一城の主になったものはおらず、新参者の光秀が第一号だったのです。

光秀は築城の名人で・・・ルイス・フロイスも、
「築城について造詣が深く、優れた築城手腕の持ち主」と評し・・・坂本城については、
「安土城に次いで豪壮絢爛な城」と絶賛しいます。
坂本城は、特殊な構造で、城から直接琵琶湖に船で出ることのできる攻めの拠点の城でもありました。
天下統一に突き進む信長・・・光秀は、何を見て付き従っていたのでしょうか?

1573年、室町幕府15代将軍・足利義昭は、再び信長討伐を掲げますが、全く歯が立たずに降伏・・・
7月、義昭は信長によって京都から追われ、室町幕府は事実上滅亡しました。
これによって信長は畿内をほぼ制圧!!
残るのは丹波国のみとなります。
京都に近い丹波国には、朝廷や将軍の領地が多く、義昭を蔑ろにする信長に良い感情を持っていない土豪が多く、なかなか手が出せずにいました。
しかし、丹波国を攻略し、畿内全土を掌握しなければ、天下布武は実現できない!!
そこで、1575年信長は丹波国を攻めるべく兵を起こし、その総大将に光秀を任命しました。
光秀は、期待に応えるべく奮戦し、4年の月日を費やして、丹波の城を次々と制圧・・・
1579年丹波国平定。

信長は大いに喜び・・・
「丹波国での光秀の働きは、天下の面目を施した」と光秀を絶賛しました。
そして、その丹波一国が光秀に与えられるのです。
丹波一国は29万石に相当し、近江国の志賀郡と合わせると光秀の所領は34万石・・・まさに、大出世でした。
丹波国の領主となった光秀は、福知山城などを築き領地経営に着手。
自らが考える理想の国づくりをしていきます。

長引く戦で疲弊した農民のために年貢の引き下げ、商業地では地場産業を奨励、水害から町を守るために福地山城下を流れる由良川の堤防を造成しました。
ケガを負った家臣には手紙を書いたり薬を渡し心配りをし、敵対した相手でも降伏後は自分の家臣に組み込むことが多かったといいます。
光秀の優しさは志賀郡でも変わらず・・・
西教寺には・・・戦で命を落とした明智軍18名の供養米を供えた際の寄進場状が残されています。

本来は、温厚、温和な人物であったと思われます。
誰もが幸せに暮らせる国を築きたかったのです。
信長の天下統一は、この国を豊かにするに違いない・・・そのために、自分の粉骨砕身お仕えしなければ・・・と思っていた光秀は、本能寺の変の1年前、家中軍法を作っています。
戦場での雑談や抜け駆けを禁止するなど細かな規定が18か条にわたって記されていますが、その結びには光秀のこんな言葉が・・・

「落ちぶれた身から信長様に拾ってもらった私が、莫大な軍勢を任されたからには、明智家の法度が乱れていると
”武功がない人間だ”とか”国家の穀潰しで公務を怠っている”と嘲笑され迷惑をかけてしまう
 抜群の働きを見せれば、速やかに信長様のお耳に入ることだろう」

信長への感謝と兵を預かる責任感を家臣たちに表明したものです。
しかし、その一方で、天下の謀反人となる変を起こすのです。
明智光秀は謀反人なのか?名将なのか?
光秀は、名将になった故に謀反人になったのでは・・・??
天下統一を目前にした信長は、天皇を超える存在になろうとしていました。
信長が、社会を乱す鬼となってしまったと感じた光秀は、自分の最後の大仕事として鬼を退治しようとしたのでは・・・??
信長の最後の城・安土城は、天皇を迎え入れる際の御幸の御間より、信長の暮らす天守の方が高い位置にありました。
自分は天皇を超える存在であるという強烈な意思を示したのです。
また、晩年の信長は、敵将の生首を蹴飛ばしたり、それまで以上に傍若無人な振る舞いが目立つようになってきていました。
その鬼を退治したのが本能寺の変・・・
謀反の後、もし光秀の天下が続いていれば、どんな理想の国を築いていたのでしょうか?

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感想(5件)

ご無沙汰していました。
久し振りの大河レビューになります。
去年の「いだてん」面白かったですが、どちらかというと男版朝ドラのような感じがして楽しく拝見しました。
って、今年の「麒麟がくる」を厳しく見るわけではないですけどね??

みなさん見て見てどうでしたか??
あまりにも鮮やかな色彩にビックリ!!した方が多かったみたいですが、実は私も同じです。
もしかしたら、草木は今よりも栄養もあったから色が鮮やかだったかもしれませんが、着物はなあ・・・と思う私です。
さて??1年間どんな感想になるのやら??
楽しみです~~!!

さて・・・時代は??
天正2年(1574年)・・・光秀は19歳です。
時代は、京都での戦乱に次ぐ戦乱で足利幕府が弱体化した室町末期、争いは各地に伝染していきました。
舞台は京都から四十里の美濃国・・・ここから物語が始まります。

綺麗に豊かな作物が実っている明智荘。

キリリとした一人の青年・・・彼がこの物語の主人公、明智十兵衛光秀です!!

OPはいい感じにレトロ感です。
やっぱり大河は王道でないと安心できないもう既に年寄りか?な私です。


kirin5











明智荘が、野盗に襲われるところから始まりました。
野盗は15騎!!
地の利を生かして倒す判断をし、迎え討ちます。

キリッと判断する光秀、農民の土地を思いやる光秀、そして何より強い、強い!!
なんともリーダーです。
が・・・なんとか村人は守れたものの、放火され、米俵を奪取され・・・そして野盗の置き土産は”鉄砲傷”!!
見たこともない鉄砲に興味を覚える光秀。

kirin













叔父・光安に、村の現状を訴えますが、叔父も解っているようで・・・

「この明智の里は、美濃の国教にある故野盗に狙われやすい。
 他国からもすぐ攻め込まれる。
 それゆえ、殿も何かとご配慮下さっている。」

と言っているものの・・・明智だけでは国境は守れないと反論する光秀!!
まだまだ若いだけあって、血気盛んな正義感の強い青年です。

稲葉山城下に向かった光秀・・・鷹狩りに行く殿(斎藤道三)を待ってに話を聞いてもらうためです。
で・・・道三の息子・斎藤高政に会います。
高政=のちの龍興ですね??
この二人は幼なじみです。
会いたければ城に入ればいいのに・・・と言ってくれる高政に、叔父に怒られるから偶然を装って会うつもり・・・と遠慮するものの、結局城の中へ・・・。
そこで、道三の妻・小見の方が病気であることを小耳に挟みます。

殿は、高政に目の前にあるサンゴの数をどれだけあるのか聞きました。
「1500か、1600・・・」と答えた高政に対し光秀は、

「2000を少々超えるかと。
 数珠ならば一連で108個、20人分として2160個となります。」

名を聞かれ、明智十兵衛ですと答える光秀。

そこで、高政の幼なじみであったことを思い出します。
四書五経をわずか2年で読み終えたことも・・・。
「お前は七年もかかったのに・・・」と言われて「六年です!!」という高政。

なんだか、このやり取り、本当に性格が出ているというか・・・今までのピッタリの感じが出ています。
斎藤道三は油売りから下剋上で成り上がったのだから、お金の算段は得意でしょうし、龍興のコンプレックスもいい感じで導かれそうです。

昨日来た野盗に肝を冷やしたこと・・・鉄砲です!!

kirin3














殿は鉄砲のことを知っていました。
美濃の外で作られた鉄砲を見て見たい!!
美濃から出てみたい!!
これから何度もくる野盗・・・野盗は美濃の外を知っている、鉄砲を知っている、しかし、我々はそれを知らない・・・だから、外を見て見たい!!
堺を見て見たい!!
この美濃のために・・・!!

理論立てて殿にお願いします。

「どうか、旅をさせていただきたいのです・・・!!」

旅には金がかかるがその金はどうする??そのたびに出すことで自分にどれだけの得があるのか?という殿・・・
流石、道三です。
汚くのし上がった感が出ていますね。
あ~、モッくんの綺麗なお顔からはまだそんな感じが出ていませんが・・・これから蝮感が出てくるのかしらね??
私的には、モッくんの昭和天皇が大好きです~~!!

syouwa











邪心のない綺麗な昭和天皇から、邪心の塊の蝮の道三に・・・楽しみです~~!!

得になること・・・
鉄砲を買ってくるという光秀ですが、道三の心には響きません。
「小見の方のために京都から名医を連れてくる」と頑張ります。
やっとお金を出してくれるようです。
そして、そんな頭の回転の速い光秀のことを頭に捕らえた道三でした。
いいですね、蝮ってだけでなく、奥方に優しい一面と、光秀の才能を見抜く一面・・・ただの蝮ではなさそうです~~!!

家に帰って母上に旅に出ると告げる光秀、母に相談もせずに決めたことを謝ります。
そして家の者たちは、光秀が旅に出るのを心配し用意をするのでした。
それは、光秀の父も同じでした。
土岐一族として都にあがったこと、大事にされていたこと・・・土岐源氏の誉として生きていく心得を母に聞き、心に念じて出発・・・!!

旅の途中でいろいろ経験する光秀・・・広い世の中に希望を持って・・・!!
鉄砲のこと、堺のことを収集します。
堺の刀は宗次郎・・・!!

比叡山では僧兵が「ここを通りたければ一人15文をおいていけ!」と、無法地帯です。
野盗にも襲われ、人買いも見てしまいました。

堺に入った光秀・・・町の様子にビックリです!!
カラフルで活気のある堺!!
化粧をした男子、見たこともないお菓子、大道芸人・・・全然違う~~!!
さぞ豊かな街に映った事でしょう。

宗次郎の店にやってきた光秀。
斎藤山城守のために、鉄砲を売ってほしいと頼みます。

成り上がりの田舎大名には売れない・・・??

そこへやってきたのは誰・・・??
大塚明夫~~!!
じゃなかった宗次郎~~!!
お店にいた三淵藤英(細川藤孝の兄です~~!!こんなところにもう出会いが!!)が、鉄砲の試し打ちを始めました。
試し撃ちをした感想は・・・??
弓矢なら次々撃てるが、鉄砲は1回うつと次まで時間がかかる・・・戦には不向きと判断しました。

が・・・光秀は欲しいというものの、人気商品なので2月、3月かかるという・・・。

美濃ならば山奥だから狸でも撃てばよかろう~~~!!

などと馬鹿にされてしまいましたが・・・??
そこへ誰??吉田剛太郎登場!!

kirin4














剛太郎さん、私の中では信長のイメージが強いんですが・・・今回は松永久秀ですよ~~!!
って、とっても似合っているわ~~!!
既に松永久秀!!

松永久秀は、斎藤道三が大好きらしい。
やっぱり成り上がり者は成り上がりが好きなのかしら??
尊敬しているそうです~~!!
でも、怪しいですよ~~!!
損な怪しい男に「お金を持ってる」って言っちゃったわ!!
おまけに飲みにまで誘われて・・・なんだか怪しいでしょ~~??
でも、久秀が何も知らない光秀のために京都のあれやこれやを教えてくれます。
おお!!まさに、剛太郎劇場!!
京都のふんぞり返っている人よりも、道三の方を尊敬すると言い出します。
あまりに褒めるので、不満を爆発させる光秀!!
しゃべってストレス発散する光秀。

「ケチなのか・・・!!」by久秀

論語で政を語り出した光秀・・・
懐には大金が・・・!!
意気投合した二人ですが・・・??

次の日の朝・・・懐にあった大金は無くなっていました。
が・・・枕元には鉄砲が・・・!!
書置きをして出ていっていた久秀の仕業でした。
喜んで飛び上がる光秀!!
鉄砲を片手に颯爽と宿を後にします。

名医を探して京都に来たものの・・・戦いに次ぐ戦いで・・・そこは廃墟のようになってしまって・・・貧しい者たちの巣窟となっていました。
将軍様も近江に逃げ、名医もいないという・・・
そこで、六角堂の望月東庵がいるかも・・・??と話を聞くのです。
東庵のもとへ行った光秀ですが、出てきたのは駒という少女でした。
薬を支払うお金もないという・・・
かくかくしかじかで、美濃に来て診てもらいたいと願います。

お金に困っていると思われる東庵・・・駒は、美濃に行けばいくらくれるのか??聞きます。
「100貫ぐらい??」
「・・・相応の・・・」
と、東庵のもとへ・・・。

近所の子供・お梅とすごろくをしている東庵・・・
医者といっても道具も薬も、何もなさそうです。

お金では動かないという東庵。
自分は名医でもない、名医なら御所の周りにという。

貧乏で薬を買うお金もないし、名医にもなれない・・・という駒に、話しだします。

東庵は、ある時から御公家や大名の脈を取るのはやめようと決めました。
具合が悪いから診てくれと言われ、病人を残して出かけた・・・。
見事な一室に通されたものの、病人はいない・・・
連れていかれた中庭には・・・そこに犬が一匹いたのです。


「大事な犬ゆえ、金はいくらでも出す。

 それで申し上げた。
 犬に打つ鍼は、ありませぬ。
 以後、二度とお呼びはかかるまいと思うたけれど、それでよいと。」

「わかりました・・・」

光秀は、幼くして亡くした父のことを思い出します。

「大事なのは一つ・・・ただ一つ・・・誇りを失わぬことだ」と。

お気持ち、腑に落ちました。と、帰ろうとしたとき・・・悲鳴が!!


火事が・・・!!盗賊の仕業でした。

お梅が建物の中に取り残されてしまった・・・!!
水を被って火の中に飛び込む光秀・・・!!
柱に足を挟まれて動けなくなっていた梅・・・挟まれた足を気遣いながら、なんとか助け出します。

kirin2














気は失っているものの、生きていた梅・・・
その処置からも、東庵が名医であることが伺えます。

助けててくれた光秀に、駒が話し出しました。
自分は先生に拾われたことを・・・
そして、自分の両親も戦の火事で亡くなったこと、自分もお梅と一緒だったと・・・

その時助け出してくれた人の大きな手は覚えている・・・
大きな手の人はこう言いました。

いつか、戦が終わる。

戦のない世の中になる。

そういう世を作れる人が、きっと出てくる。

その人は、麒麟を連れてくるんだ。

麒麟というのは、穏やかな国にやってくる不思議な生き物だよ、って。

それを呼べる人が、必ず現れる。

麒麟が来る世の中を・・・。

だから、もう少しの辛抱だ。

と。


「何処にも麒麟はいない・・・何かを変えなければ・・・誰かが!!
 美濃にも京にも麒麟は来ない・・・!!」by光秀

そして・・・家も焼けてしまったので、美濃にでも行くと言い出した東庵でした。

美濃に帰れることとなった光秀。

その頃、尾張の織田信秀が、隣国美濃に攻め込む構えを見せていました。

ということで、いよいよ明智光秀が始まりました~~!!
第1回、いい感じでした。
とんとん拍子でご都合主義的なと言われるかもしれないですが、戦国時代はやっぱり冒険活劇!!
麒麟が何たるかも紹介してくれて、ストンとすんなり心に入る作品だったと思います。

今回の大河を見て、明智光秀を誰がやってるのかな??って思ったんですが、あんまり思い出せません。
個人的には”江”の市村正親さんぐらいしか思い出せません。
ちなみにこの時の信長は豊川悦司さんですが・・・覚えていません。
”真田丸”の吉田剛太郎信長に蹴られていたのは、岩下尚史光秀ですが、覚えていません・・・。
いろいろな作品での明智光秀を見て見ましたが、みんなインパクトないんですよね・・・。
どうして市村正親さんを覚えているのか??
それは、「え~~??この年で~~!!」と、あまりにもインパクトがありすぎたからです。
ま、信長さんよりは年上ですけどね??

ということで、明智光秀・・・戦国を描くうえで絶対必要なのに、演じた役者さんもほとんど覚えていないという・・・
この大河には期待しかない・・・!!

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明智光秀って、紹介するにはいろいろエピソードがあって・・・
でも、本当のことはあまりよく知られていないという・・・なんとも難しいキャラです。
が、色々話があるのにわからないってことは、いろんな話が作れるってことで、ドラマとしては面白くなるのかもしれないですね。

mituhide













先日紹介しましたが、「麒麟がくる」では長谷川博己さんがやってくれます。

mituhide2



















明智光秀は、みなさんご存じだと思いますが、本能寺の変で織田信長に謀反を起こし、でも・・・根回しが不十分で誰も味方がおらず、中国大返しで意気揚々な羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、三日天下で終わる・・・あの光秀です。

後に世を治めるのが、光秀のライバルであった秀吉や家康だったので、なかなかいいところは書物として残されていないというのが現状です。
だから、光秀のことはよくわからないんだと思います。

光秀の本姓は、源氏、清和源氏の家系で、土岐氏の支流である明智氏の出身です。
糟糠の妻は熙子、子供にはあの細川ガラシャもいます。

私のイメージでは、武闘派で田舎者の多かった織田家臣団にあって、唯一の知性派だったと思います。
もちろんそこは信長も一目置く・・・というか、光秀の公家とのあれこれを最大限に利用します。
そうして、真面目で使い勝手のいい光秀・・・
だからこそ、一国一城の主となったのは、家臣団の中で光秀が第一号でした。
信長に出会ってから3年・・・出世争いで秀吉を大きく引き離します。

ちなみに、この時秀吉は、裏切った浅井攻略を任されていましたが、大苦戦!!
浅井氏の居城・小谷城を攻め落とし、浅井氏を滅ぼすのに3年の月日を費やしてしまいます。
その後、1573年信長から落とした小谷城と北近江3郡13万石を与えられます。
一国一城の主に・・・家臣団の中では第2号・・・光秀からおよそ2年遅れてのことでした。

後に信長に領地を取り上げられますが・・・
領地で善政を行ったとされ、光秀を祭神として忌日に祭事を伝える地域もあるほどです。

聞けば聞くほど・・・光秀のことを知りたくなります。
大河ドラマでは、どんなふうに色付けしてくれるのか・・・とっても楽しみです。



「明智光秀が築いた京の奥座敷 亀岡の城下町」はこちら
「明智光秀・本能寺への葛藤」はこちら
「悲劇!二君に仕えた男~明智光秀~」はこちら
「光秀VS秀吉 信長はどちらを評価?」はこちら
「明智光秀~"天下の謀反人"の真実~」はこちら
「新説・山崎の戦い~なぜ光秀は天下をとれなかったのか?~」はこちら

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来年の大河ドラマは、「麒麟がくる」です。
今年は歴史ものではないので、ただ単に楽しく大河ドラマを見ることにした私。
でも、「いだてん」も、楽しく見させてもらっています。

来年は、戦国時代ということで、心が躍ります~~!!
しかも、明智光秀ってことで、気になってるんです!!

主人公の明智光秀は長谷川博己さんです。

kirin















長谷川博己さんと言えば・・・

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「八重の桜」の川崎尚之助を思い出します~~!!
個人的にはちょっと華がないかなあ・・・とも思うんですが、この大河で化けてもらいましょう!!

NHKさんによると・・・

「麒麟がくる」は、大河ドラマの原点に戻り、戦国初期の群雄割拠の戦乱のなか、各地の英傑たちが天下を狙って、命をかけ愛をかけ戦う、戦国のビギニングにして「一大叙事詩」です。

脚本は、第29作「太平記」を手がけた池端俊策のオリジナル。
大河ドラマとしては初めて智将・明智光秀を主役とし、その謎めいた前半生にも光があてられます。物語は、1540年代、まだ多くの英傑たちが「英傑以前」であった時代から始まり、丹念にそれぞれの誕生を描いていきます。

若き明智光秀、織田信長、斎藤道三、今川義元、そして秀吉が、家康が、所狭しと駆け巡る…
「麒麟がくる」―新たな時代の大河ドラマの始まりです。

そして、NHKで放送されるオリジナルストーリーということになります!!

王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟。
応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから
解放してくれるのは、誰なのか・・・
そして、麒麟はいつ、来るのか?
若き頃、下剋上の代名詞・美濃の斎藤道三を主君として
勇猛果敢に戦場をかけぬけ、その教えを胸に、やがて織田信長の盟友となり、
多くの群雄と天下をめぐって争う智将・明智光秀。
「麒麟がくる」では謎めいた光秀の前半生に光を当て、彼の生涯を中心に、
戦国の英傑たちの運命の行く末を描きます。
従来の価値観が崩壊し、新たな道を模索する現代の多くの日本人に向けて、
同じように未来が見えなかった16世紀の混迷の中で、
懸命に希望の光を追い求めた光秀と数多くの英傑たちの青春の志を、
エネルギッシュな群像劇として描き、
2020年、新たな時代を迎えるすべての日本人に希望と勇気の物語をお届けします。
明智光秀とはいったい何者なのか?
麒麟は一体、どの英雄の頭上に現れるのか・・・
今、すべてが、始まる──


タイトルの「麒麟(きりん)」は、王が仁のある政治を行う時に頭上に現れるとされる中国の伝説の霊獣・・・
その麒麟が明智光秀なのか・・・??
ということです。

私は信長は、外様の光秀と秀吉をとっても評価していて・・・でも、秀吉は絶対に家臣だと思っていただろうけど、光秀は自分に持っていない品格を持ち、都ともつながりがあると・・・家臣だけど一目置いていたと思います。
そんな光秀だからこそ、信長を天下人にするわけにはいかなかったのかも・・・??
今までの大河では、謀反人としての光秀が書かれてきましたが、本当の光秀・・・家族思いで、家臣思いで、領民思いという非の打ち所のない光秀がやってくるのかもしれません。

とにかく楽しみですね~~!!


「明智光秀が築いた京の奥座敷 亀岡の城下町」はこちら
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「わが敵は本能寺にあり!!」
主君を裏切った悪人??
光秀の実像はあまりよくわかっていません。
が・・・どうして主君を討つことになったのでしょうか?

本能寺の変の後、光秀が味方を集めようと各地に送った書状が見つかりました。
この発見で、どうして光秀が信長を討つことになったのか??に関心が集まりました。
もともと長い間浪人生活を送っていた光秀・・・そんな彼を、一国一城の主としたのが織田信長です。
信長のもとで、光秀は裁縫をいかんなく発揮します。
朝廷との交渉、戦場での活躍・・・まさに信長の右腕といえる存在でした。
いわれたことをきっちりこなす理想的な部下・・・とんとん拍子の出世でした。
しかし、光秀は突如、信長に反旗を翻します。

怨恨説、野望説、四国説、前途悲観説、黒幕説・・・真相はいまだ闇の中・・・。

天下の謀反人の真の姿とは・・・??

京都府亀岡市・・・かつて、明智光秀の居城・亀山城がありました。
町では光秀の功績を称え、毎年祭りが行われます。
もともと農家が点在する場所に、光秀が城を築き、城下町として発展させたのです。
織田信長のもとで成功を手にした光秀・・・しかし、信長に仕え始めたのは41歳の時でした。
その年で、どうして信長を主君と仰ぐようになったのでしょうか?

光秀は戦国時代を迎えていた1528年美濃国明智城主の子として生まれました。
その後、美濃国は下剋上でのし上がった斎藤道三が治めるところとなり、土岐明智家も道三に仕えることに・・・。
ところが、光秀29歳のころ・・・
斎藤道三の息子・義龍が兵を挙げ、道三を討ったのです。
そして、道三の家臣だった明智家も攻撃を受けます。
1556年、29歳の時に明智城落城・・・光秀は城から逃れます。
以来、再び明智家を再興することが、光秀の使命となります。

光秀は主君を探し、何年も諸国を渡り歩きます。
「再び我らの領国を手にするためには、力ある主君に仕えねばならぬ。」by光秀
しかし、生活は厳しく、食事にも事欠く始末・・・

そんなある日、客人をもてなすことになって困り果てた光秀・・・。
しかし、豪華な料理が・・・!!
客人の帰った後、妻に聞くと・・・長く美しかった煕子の髪を売って客をもてなしていたのです。
光秀は生涯側室を持つことはなく、煕子を大切にしたといいます。
子宝にも恵まれ、光秀の三女は、後の細川ガラシャ・・・関ケ原の戦いの際に、人質になる事を拒み、死を選んだことで有名です。

放浪生活の末、越前の朝倉義景に仕えることに・・・
すでに戦国の世、武田信玄、上杉謙信、新興勢力の織田信長も台頭しつつありました。
ある日、光秀が仕える朝倉家に、思いもよらない人物が・・・後に室町幕府の第15代将軍となる足利義昭です。
当時の室町幕府は、有力大名に牛耳られていて、足利家に何の実権もありませんでした。
義昭は、復権を望んでいました。
そこで、昔から将軍家と関わりのあった朝倉家に支援を求めてきたのです。
この時光秀は、足利義昭の家臣・細川藤孝と出会います。
二人は意気投合し、強い信頼関係で結ばれます。
足利義昭の意向を知りながら、主人・朝倉義景はなかなか動こうとしません。
遂に光秀は、細川藤孝に切り出します。

「残念ながら、朝倉家には義昭公を京に上らせ奉るほどの武力も、気力もござりませぬ。
 もっと強い力と、果敢な意気に燃えた大名を求めねばなりませぬ。
 尾張の織田信長さまがおよろしかろう。」by光秀

光秀は、仲介役として信長の元へ・・・!!
二人が対面したのは、光秀41歳、信長35歳の時でした。
信長は光秀の申し入れを承諾します。
足利義昭を将軍に就かせ、その権威を利用しようとします。
こうして信長は、義昭を擁し、京へ上ります。
1568年、上洛
義昭は室町幕府第15代将軍に・・・!!
そして光秀は、朝倉義景のもとを去り、足利義昭と織田信長に仕えることになるのです。
両属といって、二人から禄をもらっていたのです。

信長と出会った光秀は、その後、織田家臣団のTOPに上り詰めます。
信長は光秀をこう評しています。
「明智光秀の働きは、天下に誇れるものである。」
どうして信長の信頼を勝ち得ることができたのでしょうか?

信長に仕えることになった光秀は、重要な役職に抜擢されます。
京都奉行です。
都の治安維持や朝廷や公家との交渉を行う要職です。
光秀は歌会や茶会を開いては、公家たちの要望を聞きだしていきます。
貴族は、各地に荘園を持っていましたが、応仁の乱以降、武士に侵略されたその公家や調停の荘園を取り戻す仕事もやっています。
公家と光秀は親密になっていきます。

1570年、朝倉義景討伐!!

しかし、同盟関係にあった近江の浅井長政に裏切られ挟み撃ちに・・・!!
撤退することさえ難しい、信長最大のピンチに、光秀は秀吉と共に金ヶ崎の退き口と呼ばれる武功を挙げます。
撤退する軍の殿を担い、見事撤退させたのです。
続いて信長が取り掛かったのが比叡山焼き討ちです。
当時、武装していた比叡山は、戦国大名さながらの一大勢力で、信長と対立していました。
しかし、寺院や仏像を焼き、僧侶を殺すことに家臣の多くは二の足を踏みます。
そんな中、光秀は、信長の命に忠実に従います。
光秀は、比叡山を壊滅させます。
こうした光秀の働きを、信長は評価します。
そして、比叡山に近い近江・坂本に5万石の領地を与えるのでした。
光秀はここに坂本城を築城し、念願の城を手に入れるのでした。
信長の家臣の中で、一国一城の主となった最初です。
明智城の落城から17年・・・ついに光秀は、明智家再興の悲願を達成したのでした。

信長に仕える一方で、足利義昭にも仕えていた光秀・・・しかし、厳しい選択を迫られることに・・・
将軍・義昭を飾りとしか考えない信長に不安を募らせた足利義昭が挙兵!!
光秀が選んだのは信長でした。
戦いに敗れた義昭は、京都から追放され、室町幕府は事実上の滅亡!!
室町幕府を滅ぼした信長は天下統一へ・・・!!
そして、48歳の光秀に新たな命が・・・!!
丹波攻略!!
丹波国には、堅固な山城が点在し、信長をはじめ、多くの戦国武将が攻めきれずにいました。
その丹波攻略を命じられた光秀!!
しかし、他のものの援軍も命じられ、各地を転戦します。
1576年、過労によって・・・陣中で病に倒れます。
それでも復帰を果たした光秀は、5年がかりで丹波攻略をします。
信長は光秀を絶賛!!
「明智光秀の働きは、天下に誇れるものである。」by信長
光秀は、攻略した丹波29万石を加増。
元々の5万石とで34万石の大名に!!
信長につかえて12年・・・信長の右腕となった光秀なのでした。

信長は次々と支配地域を拡大!!
1582年、最大のライバルだった武田氏を滅ぼします。
天下統一に大きく近づいた信長・・・
しかし、その数か月後、本能寺で討たれることとなるのです。

どうして光秀は、信長に反旗を翻したのでしょうか?
様々な説があります。
黒幕説も・・・
・朝廷黒幕説
天下統一目前の信長は、朝廷に対し不遜な態度をとるようになっていました。
そこで朝廷が光秀をそそのかし、信長を討つように仕向けたというものです。
・幕府黒幕説
信長に追われ毛利家に滞在していた足利義昭が、後ろで糸を引いていたと言うものです。
・秀吉黒幕説
本能寺の変の後の素早い行動は、事前に光秀の動きを知っていたからというのです。

光秀自身の決断??
・四国説
四国統一を目前にしていた長宗我部元親。
信長と同盟関係にあり、その仲を取り持ってきたのは光秀でした。
しかし、一方的に信長が元親との同盟を破棄!!
領地を差し出すように命じます。
光秀は面目丸つぶれ・・・信長は四国討伐を決意!!
本能寺の変の当日、四国征伐軍が出陣予定だったのです。
光秀がこれを阻止しようとした??
・怨恨説
ポルトガルの宣教師が人々から聞いたところによると、口答えをした光秀を、信長が足蹴にした。
この理不尽な仕打ちに恨みを抱いた・・・??
・前途悲観説
この頃信長は、息子たちなど身内を重用するようになっていました。
一方で、織田家に長年仕えてきた家老二人を、最近目立った働きがないと追放!!
そして、光秀にも信長の命令が・・・
現在の領地・近江と丹波を手放し、山陰地方(出雲・石見)に移れと言うもので・・・しかも、その二つは毛利家の領地・・・実力で奪えというものでした。
この時、光秀は55歳・・・将来への不安が心を占めます。
「人を道具としてしか見ておらぬ・・・」
・野望説
本能寺の変の4日ほど前、毛利出陣のための戦勝祈願を神社でしています。
翌日、この神社で連歌会がありました。
その時光秀が詠んだ歌は・・・
「時はいま 雨が下しる 五月かな」
時は土岐明智家、雨が下は天下、しるは治める・・・
つまり、今こそ自分が天下を治める時だ!!という解釈です。

果たして、光秀の真意は・・・??

1582年6月1日・・・
この時、信長の主だった家臣たちは京都から遠く離れたところで戦っていました。信長は、僅か100人の手勢と共に、本能寺に・・・!!
光秀は、毛利攻めをしている秀吉の援護に向かうために、夜8時ごろ、丹波・亀山を出発!!
光秀の決意を知るものは僅かな者だけ・・・

「我が敵は、本能寺にあり!!」by光秀

一万を越える軍勢が、本能寺に攻め入ります。
ただならぬ物音に起きた信長は、謀反を知ります。
「相手は、何者・・・??!!」by信長
「明智光秀にございます!!」by家臣
「是非に及ばず・・・!!」by信長

信長は自害し、亡骸は、炎に包まれたのでした。

信長を討った光秀は、天下をとろうと動き始めます。
しかし、光秀の天下は僅か11日・・・後に三日天下という言葉が生れるほど、あっけないものでした。
光秀は、何を読み違えたのでしょうか?
信長、長男・信忠を討った光秀は、安土城へと向かいます。
我こそが天下人という立場を示すためでした。
しかし、信長の家臣によって、安土城への橋が落とされます。
止む無く光秀は坂本城に戻りました。
橋の復旧には3日かかりました。
その間に、各地の大名たちに書簡を書き続けます。

「信長父子の悪逆は、天下の妨げ、討ち果たし候」

信長を討ったことを知らせるとともに、協力を要請します。
3日後、橋が復旧し、光秀は安土城に入城!!
しかし、ここでも足が止まります。
光秀は朝廷からの使者を待つことに・・・。
天下人として朝廷からのお墨付きをもらおうとしたのです。
待ちに待った勅使が来るまで、3日間待ちます。
朝廷からの公認を得た光秀。
一安心ですが・・・気がかりは書状を受け取って集まってくるはずの武将たちがなかなかやってきません。
原因は、秀吉の策略でした。
本能寺の変が起きたとき、秀吉は京都から200キロ離れた備中高松城に!!
毛利勢と睨み合っていました。
信長が討たれたことを知ると、迅速に行動に出ます。
毛利勢に信長の死が伝わらないようにし、停戦!!
そして、各地の武将に書状を送ります。
「信長さまは、無事に切り抜けられた!!」
遺体が見つかっていないことをいいことに、生きているというニセ情報を流したのです。
そして、猛スピードで京都へ・・・中国大返しです。
稀に見る強行軍で、1日で70キロの日もありました。
光秀は完全に秀吉に出遅れ、協力を得られず孤立していきます。
かつての盟友・細川藤孝にも断られてしまいました。
ガラシャを細川家に嫁がせていたのに・・・藤孝は出家をしてしまいました。

いよいよ秀吉の軍が迫ってきました。
上京の途中で兵が加わり、2倍以上になった秀吉軍!!
6月13日、山崎の戦い!!
光秀の軍1万VS秀吉3万6000以上!!
圧倒的な兵力の差に、勝負は短時間でつきました。
そして光秀は、落武者狩りをしていた農民に命を落としたのです。
享年55歳。。。

ながい放浪生活に耐えた苦労人。
家族を大切にしたよき夫。
恩をアダで返した逆臣!!

かつて光秀が治めた近江坂本にある寺には一通の書状が残っています。
光秀が戦で亡くなった家臣を弔うために供養米を収めたときのものです。
当時、部下である家臣を弔うのは、珍しい事でした。
一人一人の名前、同じ量の供養米・・・身分の分け隔てなく、家臣を平等に弔った光秀・・・
中には苗字を持たない低い身分の者もいました。
天下の謀反人といわれた男の素顔は、ようやく光が当たり始めたばかりです。


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