日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:斎藤龍興

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秀吉の軍師として有名な竹中半兵衛。
はじめは美濃国の斉藤家に仕えていました。
1564年、半兵衛は突然、斎藤龍興の稲葉山城を占拠してしまいました。
理由は藩主が不甲斐なかったから???とも言われています。
目を覚ましてくれた藩主に、半年後城を返します。
その後、近江の浅井長政に仕えます。

1567年に信長が美濃を平定。
半兵衛は、信長の与力として羽柴秀吉に仕えるようになります。
秀吉の智将として各地を転戦し・・・しかし、播磨国・・・三木城攻囲の陣中で、病死してしまうのでした。

そんな半兵衛の晩年・・・
敵方の有岡城の牢に幽閉されてしまった黒田官兵衛。。。

信長は、官兵衛が寝返ったと疑い、官兵衛の嫡男で人質となっていた松寿丸を殺すように秀吉に命じました。
半兵衛はこの時、「官兵衛に二心なき」と、信じて密かに松寿丸を匿ったのでした。

後に官兵衛の疑いが晴れて釈放された時、信長は半兵衛の計らいによって問い違いを犯さずに済んだと深く感謝したそうです。

半兵衛が病没した時、息子の重門はわずか7歳。。。
重門は元服後、秀吉に仕えます。
1588年4月の聚楽行幸の際は、従五位下丹後守に叙任され、諸太夫に列せられました。

翌年美濃不破郡で5000石、さらに1594年には河内の大方郡・安宿郡で1000石加増され、6000石を知行しました。

文禄・慶長の役は、幼少のため参加が許されませんでしたが、関ヶ原の合戦でははじめ西軍に属していました。
しかし、岐阜城落城後、東軍に加わるように説得したのが黒田長政・・・かつて半兵衛に助けられた松寿丸だったのです。

重門は、合戦で西軍が敗北後、小西行長を捕え、その身柄を家康に引き渡した功により、竹中家は領地を安堵されました。

その後、子孫たちも徳川家の旗本として、明治維新まで存続しました。
そして、両家の信仰も、末永く続いたといいます。

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岐阜県岐阜市・・・難攻不落の岐阜城の城下町です。
織田信長が天下統一を掲げた城下町。。。
四方を山に囲まれて・・・長良川の流れる城下町。
天空にそびえる白亜の城です。

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美濃を代表する戦国武将は斎藤道三、そして織田信長。
岐阜城のある金華山は、戦国時代には稲葉山城と呼ばれ、斎藤道三の居城・稲葉山城がありました。
この道三によって、城下町の基礎がきずかれましたが、1567年・・・斎藤龍興の時代に・・・
難攻不落の稲葉山城は信長の手によって攻略。
この地を平定した信長は・・・井口という地名を・・・中国の故事に習って岐阜と改めました。
斎藤道三・織田信長・・・ふたりの偉大な戦国武将の地です。

標高329mの金華山山頂にそびえる岐阜城・・・
天守閣からは、眼下に濃尾平野の絶景を望むことが出来ます。
信長は、この岐阜から天下布武を掲げ・・・野望実現に向かったのです。

今は昭和31年に再建された岐阜城ですが。。。
信長の建てた岐阜城とはどんなものだったのでしょうか?

信長の屋敷跡は、今も発掘調査が行われています。
今からおよそ440年前に、信長が築いた岐阜城・・・
金華山の麓には、信長の居城があったと言われ。。。
昭和59年から、居館発掘調査が行われています。

2013年に、この居城から発掘された瓦・・・
牡丹と菊花紋は、金箔がはられていました。
従来の定説からは、金箔は安土城が最初・・・と言われていましたが、その始まりは岐阜城からだったのです。

時は戦国時代・・・防衛よりも・・・
守りに徹する武骨な城よりも、敵方にも存在を誇示するような”見せる城”で・・・。
迎賓館としての役割・・・外交の拠点もあったようです。
楽市楽座も発祥の地で・・・信長統治下の岐阜を訪れたルイス・フロイスは・・・
「まるでバビロンの町のよう。。。」
と言い、当時は京に次ぐ繁栄を極めていました。
信長が、天下統一を果たすために築いた新感覚の城下町だったのです。

長良川沿いには・・・古い町家が残っていて・・・道三の時代から水上運送による市場があり、商業が発展していました。
岐阜団扇は室町時代から生産され、その材料は、地元の竹、美濃和紙が長良川によって運ばれてき。。。
提灯や和傘づくりも盛んに行われてきました。

金鳳山正法寺には大仏があります。

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この大仏は・・・真鍮を通して・・・主に木材や和紙で作られた日本一の乾漆像です。
奈良大仏・・・14.98m
岐阜大仏・・・13.63m
鎌倉大仏・・・11.31m
と、引けを取りません。
竹や和紙で作られた岐阜大仏は、岐阜産業の集大成とも言えます。
岐阜の城下町ならではの大仏様なのです。

1300年前から行われている古の漁法・・・
夏の風物詩は、長良川の鵜飼い・・・古事記にも描かれている伝統の漁法です。
江戸時代は、尾張藩の保護によって娯楽へと発展していきます。
松尾芭蕉は・・・
「おもしろうて
 やがてかなしき
       鵜船かな」
と、詠んでいます。

この句は、当時の鵜飼の姿を伝えています。

戦国の梟雄達が自らの野望を実現する為に争った岐阜・・・
しかし、それは、長い歴史の中の一コマなのです。

人々は、いつまでも変わらない長良川と金華山に誇りを持っている・・・
そんな城下町でした。

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先週・・・おたつはきっと幸せになると言って・・・浦上に嫁いで行ってしまいました。。。

この同盟に反発する赤松が・・・室津城に兵を進めます。
1564年、赤松は婚礼の日に室津城を攻め。。。
それは・・・おたつと浦上清宗の婚礼の儀のまさに最中でした。

清宗は、すぐにおたつを逃がします。
官兵衛と武兵衛が駆けつけた時。。。室津城はすでに荒らしつくされ。。。
婚礼が行われていた部屋は血の海。
おたつは???おたつは・・・???

外の小屋で・・・武兵衛が見たのは白無垢姿のおたつ。。。
虫の息でした。。そして・・・官兵衛を待っていたかのように。。。

kan1












「一緒に帰ろう・・・!!!」

官兵衛の手の中で、こと切れたのでした。

御着城では。。。今後のことを思案しています。

「怖れながら申し上げます。
 今こそ赤松を攻めるべきでございます!!
 お味方の浦上が・・・当主、嫡男共に撃たれたのでございます。
 このまま赤松を放っておくは部門の恥!!
 今すぐ兵を挙げ、赤松を討つべき時と存じます!!」by官兵衛

仇討ちしたい一心でした。

「実の姉ではなくて良かったではないか。。。」by左京進。。。

あまりの苛立ちに、飛びかかっていく官兵衛。。。

おたつを・・・あの時手放さなければ良かった・・・??
絶望のどん底に突き落とされる官兵衛がいました。



天下を狙う信長は、美濃攻略に苦戦を強いられていました。
稲葉山城を龍興から落としたのは、軍師として仕えていた竹中半兵衛。。。
見舞いに行くと見せかけて・・・
しかしその”長持ち”の中には武具が・・・!!
そうして稲葉山城を奪取したものの・・・
その目的は、殿を諌めるためだったのです。

おたつが亡くなってからというもの、何事にも身の入らない官兵衛。。。
赤松が鉄砲を手に入れたという情報が入り、官兵衛は父から堺へ行って鉄砲を買い付けるように命じられました。

『「怒りはまた喜ぶべく 憤りはまた悦ぶべきもの
 亡国はまた存すべからず 死者はまた生くべからず」by孫子

 一時の怒りや憤りで戦を起こしてはならぬ。
 死んだ者が再び生き返る事もない。
 今のお前には解るまい。。。

 今のお前は黒田家の恥だ。』by父・職隆

父にそう言われてしまった官兵衛・・・海を見ながら何を思う???
官兵衛の祖父・重隆は。。。

おたつの最後の言葉を聞いていました。

「悔いはありません。
 ただ・・・お聞きいただきたいことが。。。

 私は・・・官兵衛さまをお慕い申しておりました。
 でも、このお話をお受けした時に、その想うはきっぱり捨てました。
 私は・・・黒田の娘となり、官兵衛さまは弟です。

 これで胸のつかえが取れました。」 

仇討ちのことを諭されます。

この後、黒田家の礎を築き、官兵衛を育てた祖父・重隆は世を去るのでした。


そうして鉄砲の買い付けに向かう官兵衛と武兵衛、善助。

山賊に襲われる官兵衛を助けた男。。。
荒木村重です。
汚い恰好ですが・・・そう、この頃はまだ浪人でした。
そう、官兵衛の今後を左右する男

荒木村重によると・・・13代将軍・足利義輝が暗殺されたとのこと。。。
松永久秀と、三好三人衆の謀反でした。

乱世もここに極まれり!!
畿内一円が戦場と化していると聞くのでした。

荒木村重は、歩き回って情報を集め、一国一城の主になる機会を・・・下剋上をうかがっていたのでした。

道中は・・・いたる所に戦禍が広まり・・・悲しみが憎しみを生み・・・また戦となっていました。

が、堺は富みで発展していました。
まるで異国のようです。
この堺で一番力があるのは会合衆といわれる商人たちでした。

堺で鉄砲と言えば、豪商・今井宗久。
宗久から織田信長がたくさん買ったことを聞かされます。
買い付けに来たのは・・・木下藤吉郎!!

町を歩いていて・・・鐘の音に導かれるようにやってきた場所では・・・
ルイス・フロイスがキリスト教を説いていました。
もしかすると、おたつに導かれたのかも知れません。。。

kan2












「世界は広い・・・とてつもなく広い・・・
俺には・・・解らないことばかりだ・・・。。。」

爽やかですね・・・官兵衛・・・もとい、岡田くん!!
これから腹黒くなってくれるのか???と思いきや、もう、キリスト教に目覚めちゃうの・・・???

う~ん、スイーツ大河まっしぐらなのだろうか・・・??
来週から光が出て来ます。

失った人をふりきる展開・・・早くない???
っていうか、そう思うと、”おたつのエピソード”が必要だったの???
ってことになっちゃうのだけれど。。。

う~ん・・・おたつのポジションは微妙です。
先日、実在しなかったと書きましたが。。。
御師の娘・おたつはともかく、本当は官兵衛には妹がふたりいて・・・
その一人が浦上家に嫁いだとか、でも生き残って子を生したとか・・・とも言われています。

ま、当時の女性はほとんど資料が残っていないので、わからないのが現状です。

でもね、妹がいたかも???ってことは、”妹”で良かったんじゃね???ってこと。

スイーツ路線に走ってますよね。。。
おまけに、あんなに好きだったのに、次回から光の登場です。
だ・か・ら・・・”妹”でも怒りはあっただろうし、「仇討ち!仇討ち!」言っても良かったのよ。。。


視聴率が今一つとも言われていますが、その一因に人物が多すぎる!!というのがありました。
最近の大河って、すぐ大人になっちゃいますよね。
昔は子役・少年役で2か月以上は持たせたんじゃないかなあ???
ま、2時間ドラマでも10分以内に殺されないと視聴率が悪いなんて言われますから
早く岡田くんに切り替えたかったのかもしれませんが、もっと一人一人を大事に描いてくれたら、多すぎる人物も理解できると思うのですがどうでしょう???

早く、腹黒い岡田くん観たいなあ・・・

あ・・・今思いました。
スイーツ大河になるためには、早く大人にならないと駄目なのか・・・!!!

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 今回は・・・お話的には良い感じで大好きでしたが・・・
本当にこの副題で良いのですか???
「忘れえぬ初恋」で???

もっと大事なことがたくさん表現されていたと思うんだけどなあ・・・

先週元服した官兵衛です。
父と、今の黒田家・・・小寺家の立場を話しています。

そして・・・父の言うには
「我らの役目は、西の赤松から御着を守ること。。。
 御着の家中は、先祖代々の結びつきがことのほか強い。。。
 我ら外様が生き残るには、人一倍働くことだ・・・!!」

と。
で・・・あの殿に、身を粉にして仕えて何かいいことあるのかしら???


1561年・・・外様の黒田家から、官兵衛が人質となります。
これは、戦国の武士の家に生まれた宿命。。。
しかし・・・”出る杭は打たれる!!”

ま、色んなことを勉強するんでしょうが、中には今川義元の家で人質だった家康は・・・太原雪斎に勉強を教えてもらったり・・・お客さんのようなところもあるのですが。。。

この小寺家はちょっと違うようです。

”目薬屋の三代目””余所者”として中傷されることも・・・!!


・・・殿には勝負事に勝ってはならない事。
なのに・・・囲碁で殿に勝ってしまいました。
「職隆だったら・・・わしに勝ちゃあせん・・・
 飼い主の手は噛んではならん・・・(笑)戯言じゃ・・・!!」

立派に初陣に出る官兵衛・・・どうなるのでしょう???
そして・・・官兵衛を見守るおたつ。。。

先鋒に加わりたいという櫛橋左京進。
殿はその心意気に感心しています。
が・・・官兵衛は・・・??
左京進は・・・官兵衛に対抗心を燃やしているようです。

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良いですね。。。
この戦い方。
まるで戦闘中・・・
もとい、農民の戦いです。
っていうか、戦国時代のみんながみんな、甲冑つけて・・・みたいなのはありえないですよね。

実際秀吉も、もともと農民で・・・そんな恰好で足軽だったんだから・・・
華やかさに欠けるかもしれないけれど、こちらの方がしっくりきます。

子供の頃に遊んだ場所で・・・官兵衛にとっては庭のような場所。。。
武兵衛と物見にでます。
「震えているぞ・・・!!」
「若も・・・」
と、初陣で緊張~!!

父や叔父は・・・そして左京進も戦っています。
が・・・何か察する官兵衛。。。

「誘ってる・・・???
 罠だ・・・!!」

官兵衛の機転から、なんとかピンチを脱した味方。。。

「やりました!!
 この左京進、兜首をあげましてござりまする!!」
父に報告するも、浅はかさを叱られてしまう左京進。。。
「余計なことをするな・・!!目薬屋!!」
嫌味を言われるも、自分が戦で何もできなかったことに呆然とする官兵衛でした。

そう、こんな四面楚歌な外様状態で、頑張っていたのですね、官兵衛。。。

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そんな針のむしろな官兵衛。。。
姫路に戻ってひと時の安らぎでした。。。
きっと・・・おたつが好きだ・・・そんな気持ちに気付いたひと時でした。

kan2
そんな官兵衛に家臣が・・・!!
栗山村の善助です。

黒田家が、生まれが賤しいものでも実力があれば使ってくれるといううわさを聞いてやってきたのです。

kan3


ま、武兵衛は黒田家家臣だし、側近だからいいのか・・・?





で・・・斎藤龍興の稲葉山城を攻めている織田信長・・・
痛い目に遭う訳ですが・・・その痛い目に遭わせたのは・・・この男。。。
kan6

竹中半兵衛です。







あ~、信長の弟を暗殺するシーンですが・・・回想シーンです・・・
あれでいいの???ホントに???
っていうか、必要ですか???
解らない人には全く解らないんですけど・・・???
goe

そして・・・
さる(秀吉)⇒信長も・・・
別に必要ないような・・・





おまけに信長さん、五右衛門にしか見えません。。。

この竹中半兵衛が、黒田官兵衛を軍師に導いていくわけですが・・・そう、ナレーションは間違っていないのですが。。。

私のイメージとしては、病弱で戦えずおまけにいつ死ぬか分からない身なので、褒美ではなく、戦略を立てることが生きがいの半兵衛と知り合った官兵衛が・・・
今まで自分は功名ばかりを望んでいたと・・・反省して覚醒してほしかったのですが、すでに岡田官兵衛兄さんは、出来ているというか、ブラックな部分が全くなし・・・

その頃播磨では・・・
浦上との縁談を決めた小寺。
人質として・・・誰かを嫁に出すことに・・・

殿の正室お紺・・・お紺もまた、元は人質でした。
政職を・・・想いながら・・・官兵衛に説くのでした。

「官兵衛は・・・好きな女子はいますか?
 いるなら・・・手を離さないことです。
 一生悔いて生きることになりますよ。。。」

あ~、これが副題の伏線になるわけですね。。。

思いを継げに来た官兵衛・・・でも、何だかおたつは変・・・???

・・・選ばれたのは”おたつ”。
お年頃の女性がいなかったので・・・黒田家の養女となり、黒田家の為に嫁ぐことになっていました。

「こちらからお願いしました。
 それが・・・おたつにとっても一番良い道・・・
 もし、おたつがあなた様に嫁いだとしても・・・これは相応しゅうございません。
 身分がつりあいませぬ・・・。
 おたつも肩身の狭い思いをいたしましょう。。。」
「おたつはなんと・・・」
「おたつは父の頼みを快くうけいれてくれました。」

止めることも・・・思いを告げることもできない官兵衛。。。

「本当に・・・良いのか・・・?」
「はい。。。
 御恩のある黒田家のお役にたてるのですから・・・
 官兵衛さまは・・・人質でも幸せになれると言いましたよね。。。
 たつは・・・きっと幸せになります。。。」

輿入れするおたつ・・・何もできない官兵衛。。。

これを機に、赤松は動きます・・・!!
攻めるのは小寺ではなく・・・嫁ぎ先の浦上・・・!!
祝言の最中に攻めようという魂胆です。

強気者だけが生き残る時代・・・
おたつの為に馬を飛ばす官兵衛です。

今回は続く。。。

”官兵衛おたつ”と思っていた人には申し訳ないのですが、いいストーリーでしたが・・・おたつは物語なので、フィクションなようです。
最近の大河ドラマは、恋愛が絡んでくるのどうもな自分がいます。
あ・・・自分が女であることを忘れている・・・

でも・・・いろいろ見てみると・・・廣峯神社は黒田家と関わりがあったのは本当ですが、この神社自体が天平から続いているということ。吉備真備のお墨付きということ・・・なんかを考えると、黒田家とはお世辞にもつりあわない・・・
ってことは、黒田家>廣峯神社ではなくって、廣峯神社>黒田家ってなると、黒田家の養女になるのもおかしいし・・・。
ま、そこはフィクションということで。。。
1話目で官兵衛を紹介して、2話目で女性の視聴者をぐっとつかもうとしたのかも知れませんね。

個人的には、本当に農民に毛が生えたような身分なのに、これから”黒田二十四騎”の核となる善助が出てきたのに・・・!!
おまけに・・・竹中半兵衛も出てきたのに・・・!!
50回ぐらい放送するんだから、ぜ~んぶ今回に詰め込む必要あったのかしら???
って思ったので、今回の副題「わすれえぬ初恋」に???がつくのでした。

歴史大好きの岡田くんは、”歴史好きが見ても面白い作品にする”と言ってくれているので・・・
監督さん、ラブストーリー以外でお願いします。

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竹中半兵衛重吉です。
今回見たTHEナンバー2は、「戦略のアーティスト~竹中半兵衛重吉~」、秀吉を支え続けた若き天才軍師です。

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この半兵衛、まだ秀吉が木下藤吉郎だった頃、山賊だった秀吉軍を常勝軍へと押し上げた天才なのです。そして秀吉の器を天下人の器にしたのも半兵衛でした。

では、山賊集団をどのようにして常勝集団へと導いたのでしょうか?

それは、刀を捨てること・・・。「戦わずして勝つ」というもので、半兵衛は調略の天才でした。私達は、戦国時代、合戦で領地を取っていたと思いがちですが、本当は、合戦するとダメージが大きいので、合戦よりもお金で口説くというのが常套手段でした。つまり、合戦する時は、もう勝負は決まっていたのです。

そうして、半兵衛はこの調略の天才から、「和製孔明」というイメージをもたれています。

その最初は稲葉山城で、齢21歳、わずか16名で成し遂げました。

では、この半兵衛どんな人物なのでしょうか?

歴史書には長身・痩躯・閑雅の風采=女装すれば類稀な美女になるほどのユニセックスなイケメンだったのです。華奢な体で、結核を患っていました。

この弱点を補うため、中国の兵法・孫子の兵法を身につけます。孫子の兵法は、最も優れた軍略で、少しの兵隊で最大の効果を上げるものでした。これは、結果として家臣の命を大事にするということに繋がります。

余談ですが、この半兵衛の兵法の軍法極秘伝書を、大東亜戦争でも軍が参考にしています。天才軍師は時代を超えてなお軍配を振るっていたのです。

それでは、話は戻って稲葉山城攻略について。
1564年、21歳の時、半兵衛の主は斉藤龍興、蝮の道三の孫でした。華奢で結核を患っていた半兵衛を、龍興、家臣は蔑んでいました。正月に稲葉山城に伺いをたてた時、家臣たちから小便をかけられます。

これに対して、「龍興の不明を正すほかは無い」と、稲葉山城を落とす計画を立てるのです。たった16人で・・・。

しかし、半兵衛には自信がありました。まず、城に人質にとられていた弟、竹中久作重矩を病気と偽らせ、見舞いと称して家臣16名と共に入城します。その家臣は屈強なものを選び、お見舞いの長持ちには武器が入っていました。

そうして、城内一の手練、斉藤飛騨守を狙うのです。この混乱で、龍興が城を脱出、それに乗じて城を陥落させるのです。この騒動の首謀者は、西美濃三人衆の一人で、後に信長に寝返ることになる半兵衛の義理の父・安藤守就が言い出したという説もありますが、とにかく、若干21歳、天才軍師の誕生でした。

もう一人の天才、信長は、天下布武を果たすため足掛け7年にわたって稲葉山城を攻略していました。この稲葉山城がのどから手が出るほど欲しかったのです。

半兵衛が若干21歳で、しかも16人で落城させたことに驚嘆し、「城を譲るならば、美濃半国を進ぜよう」と手紙を出します。しかし、半兵衛はこれを拒否、城を斉藤龍興に返還、自らは菩提山城に帰り、弟に家督を譲って隠棲生活に入るのです。このことが後に「知らぬ顔の半兵衛」と言われることになるのですが、欲の湧かない変わり者でした。

この半兵衛、どのようにして秀吉と結びつくのでしょう?

逸話として残っています。秀吉が墨俣城を作っていた頃、10日間も留守にします。この時、秀吉は半兵衛の下で政治談議をしていました。

半年に7回行ったとされていますが、これは明らかに後付で「三顧の礼」をモチーフにしています。しかし、この2人の出会いは歴史を大きく変えるものでした。

今までは秀吉はまだ戦の規模が小さく、大きな戦になってきた頃から精彩を欠き始めていました。山賊の寄せ集めであることの限界を感じていたのです。自分には無い、正統な軍略を持つ半兵衛、おそらく戦国一!。どうしても欲しい逸材でした。


信長は半兵衛を欲しかったものの、動いたのは秀吉。秀吉は野心家で、半兵衛が入ってくれると織田軍はさらに強くなる!!と。半兵衛にとっては、命令もされていないのに、主君の意を汲んで動く秀吉が奇妙にも見えました。半兵衛は、一国一城の主、秀吉は城を持たない武将、そんなところに織田家の斬新さを感じたのかも知れません。

半兵衛は織田軍に仕えることになります。秀吉をチェックする目付でした。半兵衛としては強烈な信長に付くよりも、秀吉をかませた方が楽でした。また、秀吉は、半兵衛には野心が無く、調略の成功を喜ぶのみ、文句も言わない、と、お互い都合の良い存在でした。

2人に大ピンチが訪れます。

小谷城主浅井長政が寝返ったのです。秀吉が武士の誉れである魁の任を負いましたが、喜びませんでした。単なる魁ではなく、お市の方と三人の娘を城から救い出すという任務が魁の条件だったのです。

戦闘中、女子供を助け出すのは至難の業です。失敗すれば信長の逆鱗に触れ秀吉は失脚してしまいます。だれもが尻込みする中、半兵衛は、
「案ずるに力攻め落城に及べば大殿妹母子の一命は無常助けがたし」とし、浅井の弱点を突くのです。この戦、浅井家では父が朝倉との関係を強くしようとして始まった戦いでした。そこで、

「浅井親子の情は一世、夫婦の契りは二世。されば、親子それぞれの居城の中間にある京極つぶらを抱かえて親子ともどもの連絡を絶つことが得策でしょう」と、中間点の京極丸を占拠しようとしました。

そうすれば、長政は子煩悩だから子供を道連れにはしないだろう、と、判断したのです。

結果、子供は秀吉の手に渡り、喜んだ信長は、秀吉に対して絶大な信頼を置くようになり、長政の所領の殆どを秀吉に与えるのです。この戦功は秀吉にとって大きなターニングポイントでした。

どうしてこのように喜んだのか?信長は、天下を取るに当たり右手に家康、左手には長政を期待していました。だからこそ、大事なお市の方を出したのです。この天下構想がぐらついた時、そこにすっと入ったのが秀吉だったのです。領地を貰って羽柴姓をなのる秀吉。半兵衛が最大の功労者だったのは言うまでもありません。


しかし、半兵衛は、素直には喜べませんでした。万福丸の磔・・・。幼い子の命までも奪う非情な信長に。

ここに、黒田官兵衛という男がいます。後に半兵衛と共に「二兵衛」と呼ばれる軍師です。

毛利攻めをするに当たり、播磨あたりを手に入れたい信長。この官兵衛が小寺家を織田家につかせます。秀吉に仕え、秀吉に姫路城を譲渡、余りにも露骨な官兵衛の取り入りように、無私無欲で働いてきた半兵衛の見る目は冷ややかでした。

そんな2人が、2人だけで酒を飲む機会がありました。官兵衛が半兵衛に証文を差し出します。そこには秀吉が官兵衛を弟のように慕っていると・・・。書かれてありました。そして、

「羽柴殿はこれほどまでに約してくださり後生大事に納うてござるがいっこうに・・・」とぼやいたのです。

それに対し半兵衛は、「このようなものを何時までも当てにしているようでは忠節は尽くせぬばかりか愚痴の種にもなろうというもの。証文など時が経てば反故同然、人の心は変わるものです」と、証文を破いたといいます。

そんな中、荒木村重の謀反が発覚、これに官兵衛の主だった小寺が加担していました。面食らった官兵衛は説得するため荒木村重の下へ・・・。しかし地下牢に幽閉されてしまいます。今までの行いから、功名心のある官兵衛のこと、寝返ったのでは?という噂が立ちます。人質にとっていた松寿丸を殺せ!という判断が信長によって下されます。

半兵衛はもう自分が病気で先が短いことを感じていました。
自分が亡き後は、官兵衛の調略が必要でした。そうして、官兵衛のことも信じていました。

しかし、信長を絶対視している秀吉には、信長に背くことは出来ません。そこで、自分がその任を負うことにしました。松寿丸は、殺さずに菩提山城にかくまうのです。信長に背いてまでも・・・。

一年後、有岡城で幽閉されていた官兵衛が助けられます。信長は自分のしたことを悔いたといいます。が、その子供は生きていたことが解り、ホッとするのです。

その殺さずに育てた子供が、黒田長政です。
この黒田長政、徳川家康を天下取りに貢献します。

助けられた官兵衛は功名心が一切無くなり、名軍師となっていくのです。
1579年6月13日竹中半兵衛死亡、享年36歳。播州攻めの最中でした。

黒田長政がつけている一の谷兜、これは半兵衛が愛用していたものだといいます。

なんだか、女装の似合うイケメンというのにビックリしました。(* ̄∇ ̄*)
美人薄命といいますが、憎まれっ子世に憚るといいますが、竹中半兵衛たくさんの密度の濃いドラマを作れそうですね。

今年の大河ドラマ、「江」まだやめずに見ています。ここまでくれば年末まで見そうですが、(ちなみに去年の龍馬伝は評判良かったのに私は途中でやめてしまいました・・・。)「江」も、食べるか、子供を産んでいるかで、政治に口出ししても「そんな大それたこと言える?」とか、「政治に口出しは無理だろう」とか、思ってしまいます。(/□≦、)

上野樹里ちゃんかわいいですが・・・。男尊女卑をするつもりはありませんが、当時の女姓は結局「食べてるか、産んでるか、おしゃべりしている」ぐらいなのかも知れませんね。

来年の松ケンに、アクションは期待します。。。


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