日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:新島八重

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八重の桜で出て来ました、徳富健次郎・・・ホトトギスで有名な徳富蘆花さんです。


そして・・・八重の桜・「駆け落ち」の回で東京へと行ってしまいましたが・・・
後に自伝的作品を作っています。



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それが山本久栄との恋愛を描いた「黒い目と茶色の目」です。

で・・・この「黒い目と茶色の目」には徳富蘆花と山本久栄の恋愛の話だけでなく、 久栄の母・時栄と父・覚馬の離婚の話も出てきます。

それがなければ、この離婚、ただの噂話として・・・大河にはならなかったかもしれませんね。。。


登場人物は、名前を少し変えています。

主人公は得能敬二(蘆花)。
敬二は12歳のとき、飯島先生が創立した協志社で勉学しはじめたこと。

協志社を創立する上で、全面的にバックアップしたのが山下勝馬で、山下の妹が飯島先生の夫人(これが八重ね。)です。
熊本の実家で、兄が結婚すると、家に居づらくなり、伊予にいる従兄の又雄の家に世話になり。。。
又雄の妻はお稲(みね)です。

物語は、又雄一家が伊予から京都に移ったときから始まります。

敬二も一緒に京都に行き、協志社に再入学し。。。
又雄の家には、お稲の妹の寿代(久栄)がよく訪ねてきていました。

寿代は15歳で、協志社女学校に通っていて。。。
敬二は寿代と会ううちに、寿代に惹かれてきます。

お稲が産後、急逝したのち、敬二と寿代の仲は急速に深くなり。。。
いつしか、二人は将来を約束する恋人同士になっていきました。

寿代は山下の後妻の子・・・その後、妻は若い男と不倫をして子を身ごもり、山下家から追い出されていました。
そのとき、後妻を家から追い出す急先鋒だったのが、義理の妹の飯島先生の夫人(八重)だったのです。

母親がそのような女であったためか、寿代にはどこか男好きのするようなところがあり。。。
敬二は寿代に関しての艶聞に悩みますが、敬二は断固として寿代と結婚しようとします。
ところが、敬二と寿代の関係は、又雄だけでなく、兄そして飯島先生も猛反対!!!

敬二は悶々として、学校も休みがちになり、おまけに方々から借金をして、いよいよ学費を払うことも生活することもできなくなり。。。敬二は寿代と別れ、京都から逃げたのでした。

こちらの方が、ホントのように思えなくもないですが、どうでしょう???
ほら。。。太宰治もお坊ちゃんの甘ちゃんですし・・・
当時、物書きを志す人は、夢や理想はあっても、お金もないでしょうし。。。

一応自伝的小説なので、ホントもあり、ウソもあり・・・って感じで創作部分も多いのでしょうが・・・
八重にとっては隠しておきたかった山本家の汚点を、全国的な出版物にされてしまったということで激怒していたかもしれませんね。。。

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明治思想史の一断面―新島襄・徳富蘆花そして蘇峰

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今回は、久栄と徳富蘆花のお話です。

明治20年1月。
みねは同志社の教師となった伊勢時雄と共に京都に戻り、長男・平馬を出産しました

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幸せそうな山本家ですが・・・
なんだか久栄は複雑な気持ち。。。
それは、厄介者の・・・不義の母を持つ娘だから。。。

そんな気持ちをわかってくれるのは、伊勢家に居候していた徳富猪一郎の弟・健次郎。

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健次郎も学力では兄・猪一郎の足元にも及ばない・・・
従兄・伊勢家の居候だから。。。

時代は小説が流行ってきていました。
近代文学の始まりです。
健次郎も同志社の学生でありながら、勉学よりも小説に・・・小説家を目指していました。
そして・・・久栄の慰みは、健次郎から小説を借りて読むこと。。。

猪一郎は、日本初の総合雑誌・国民の友を創刊。
明治のジャーナリズムを牽引する存在へとなっていきます。

世の学生たちは、小説に・・・低俗なものにうつつをぬかし・・・東京帝大の山川健次郎も御立腹!!

そんな頃・・・
みねは産後の肥立ちが悪く・・・24歳で亡くなりました。
みねの葬儀は同志社で行われ・・・八重からみねの形見分けをされる久栄・・・。
そう、自分を唯一理解してくれたみねは本当に死んでしまったのです。。。

って、みねが八重に頼むシーンですが、座って話せるってのが、何だか不自然に思ってしまった。。。

「私ができることは何でもするつもりだ!!」
「おば様の力を借りるつもりはありません。
 母を追い出した人に頼るわけにはいかへん!!」

母を山本家から追い出したのはおば様・・・
久栄の心の傷はまだ癒えてはいませんでした。。。

それを聞いた健次郎は・・・
「久栄さんの御母上は人間らしか人て思う。。。」
と、言ってくれました。

みねの葬儀の翌日から・・・襄の父・民治が寝込み・・・亡くなりました。

久栄のことを・・・八重のことを案じて。。。

「子を信じきるということは、親にとって一番難しい。。。
 七五三太、励めよ。。。」

そう言って、無くなったのでした。

校内では・・・久栄と健次郎が交際していると噂になっていました。
勉強に身が入らない小説家志望の青年と不義の母を持つ久栄。。。
新島先生の親戚であるのに、示しがつきません。。。

問い詰める八重。。。
久栄は結婚する気満々です。。。
同志社を辞めて東京に出る健次郎について行くという久栄。。。
でも健次郎は・・・???
未熟者の自分では・・・結婚はまだできない???

そして・・・おば様は母ではない・・・???

「健次郎さんは口では大きなことを言ってるけんじょ・・・まだ何もできない子供だ・・・」
「明治の生まれか・・・
 昔に比べっと身分も家柄も構いなしになった。。。
 己の才覚だけで生きていく自由もまた、恐ろしかろう」
「にしろ・・・あまりに軟弱だ・・・
 兄つぁまはあのぐらいの時は・・・江戸で藩の為に必死に学んでた・・・
 近頃の若いもんは・・・」
と、八重と覚馬がおしゃべりしてます。

いや~否定はしませんよ・・・。
武士の時代と小説家・・・小説家・・・なんて軟弱なイメージでしょう???
でも、覚馬の時代は徳川が250年、連綿と続いていつ時代の終わりの方でした。
もちろん、士農工商がはっきりとしているので、出世もできない代わりにあまりの大失態をしない限り、そのままの生活が保障されていて・・・その流れで、覚馬も藩の為に働いていたのです。
なんだか解らない時代のうねりが納まったばかり、明治となってまだ20年ほど・・・
どんな仕事があってどんな風に生きていたらいいかなんて、まったくわかってなかったんじゃないかと思います。
だから、八重のこの言葉は、本当にきつい一言だったんじゃないかしら???

ま、キツイ女子ですからね。。。八重さん。

そして・・・夏休みを利用して・・・静養の為に、北海道へと渡る八重と襄。
静養の為って・・・ホント、外人みたいな優雅な生活してますね。。。

今回は、ついでに会津戦争で別れてしまった”日向ユキ”に会うために。。。

ユキは、薩摩の人と15年前に結婚していました。。。

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う~ん、若すぎるよね。。。この二人。。。
出されているトウモロコシ、ジャガイモが、北海道らしいですね。

が・・・いつも思うんですが、八重、いい服着てますよね。。。
私がうがっているのかもしれないけれど、なんだかんだ偉そうなこと言っても、本当はこのユキの方が、貧乏・・・苦労もしているし、人間的にもできた人になったんじゃないかと思うのです。。。

母親となったユキに励まされて、久栄と向き合おうとする八重。。。
そして襄は・・・
「私たちにはもう、1000人を超す子供たちがいます。
 学生さんたちです。
 八重さんがともに歩んでくれたから、私は子沢山な父親になれました。」

なんて優しいの、襄。

夏休みいっぱいを北海道で過ごし、京都に戻った八重・・・
って、本当に母親代わりで心配しているなら、そんな長いこと静養する???

健次郎は、家財道具一式を処分して、東京に出ることに・・・
久栄もいません。。。
駆け落ち???

探し回った揚句・・・
2人は最後に、みねのお墓参りをしていました。

怒る八重に久栄は・・・ふたりで東京に行くという。。。

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健次郎に、小説で食べていく自信はあるのか??と問う八重。。。
しかし、そんな自信などあるはずもなく。。。
でも・・・
「食べるために小説ば書いとるんじゃなか!!
 小説ば書くために食べると!!」

八重はその言葉を聞いて・・・
駆け落ちは里帰りができなくなるから駄目・・・里帰りができなくなる・・・
東京に行ったら、きっと苦労する。
んだけんじょ、苦労と不幸は違う。
健次郎さん、久栄のこと、蚊張らず幸せにしてくなんしょ」

と、2人を許したのでした。

しかし・・・健次郎は・・・一人で東京に行ってしまいました。

「もはや・・・この思いを止めることは出来ないのです。
 このような策をとる己の身勝手を・・・はなはだ恥じ入るばかりです。。。
 お世話になりました。。。」

そんな予感をしていた久栄。。。

いや~今回も、佐久さんの「さすけねえ。。。」が出ました。。。
無口なのかもしれないけれど、それだけじゃ伝わらないよね。。。
いやいや、血のつながりがあるから、伝わるのか???

って感じの第46回でした。

このところずっと書いているのですが・・・今回も。。。
ま、”八重の桜”ですから!!
な回でした。

まずは・・・日向ユキ・・・。
会津城に入れなかったユキ・・・
会津藩降伏後の翌年、翌年ですよ!!
父親の遺体を探していた日向ユキは加須谷邸の竹藪でようやく、ボロボロになった日向左衛門の紋付きと頭蓋骨とを発見します。
そんな父を浄光寺に埋葬しました。

そして・・・兄・日向新太郎は自害し、その首は、部下によって稲田にあった稲束に隠されました。
その後、犬が日向新太郎の首を咥えて持ち出したので、処分に困った村人が日向新太郎の首を川に捨ててしまいました。
兄の消息も探していた日向ユキ。。。
その村人が捨てた日向新太郎の首を探し出し、浄光寺にある父・日向左衛門の墓の隣に埋葬したのです。

って、スゴイと思いませんか???
何処がすごいかっていうと、新政府は会津藩士の亡骸を、当時埋葬することを禁止していました。
でも・・・時が経つにつれて、その不衛生な匂いと病気が蔓延し・・・埋葬することになりました。
しかし、当時の日本は、埋葬するのは埋葬する身分の人たちでないと駄目だったので・・・
不憫に思った会津藩士たちは、自ら身分を貶めてまで亡骸を埋葬したと言われています。

ま、ユキが身分を貶めたということはなかったでしょうが・・・
あの時代、会津藩士を埋葬することは至難の業でした。

そして。。。苦難を乗り越えたあとの結婚も・・・
会津と薩摩の和平のためにも???
薩摩人と結婚したユキ、大山巌と山川捨松の結婚よりも、11年も早く結婚しています。
「萬年青(おもと)」も書き残していますし、ありきたりな子育て論より、そんなこんなを紹介してほしかったです。。。


で・・・徳富健次郎ですが・・・
ま、小説家志望なので、夢見る夢男君でいいんじゃないでしょうか???
ただ・・・あんな綺麗なわけではなく・・・。
健次郎と久栄に割り込んでくるのは竹崎土平。
三角関係なんかになったりして・・・
ま、久栄は結構奔放だったとか・・・
ただ、健次郎とは母・時枝が出て行ってすぐに会っているので、夢見る姿に惹かれたのかも。。。現実逃避したのかも知れませんね。

で・・・八重さん、いい感じに描かれていますが、本当は。。。
八重&佐久が久栄を寄宿舎に入れ監視、健次郎から来る手紙も勝手に全部読んで、やり過ぎ状態でした。
久栄が現実逃避したかったのも解らないではないですね。。。

そんなこんなをすっとばし、綺麗な第46回でした。

でも・・・最近思うんです。
もちろん”八重の桜”ですから、八重さんが輝くように書いてありますが、あれだけ気が強かった人です。
そんなに慮れる人だったのかしら???
なんて、疑問に思っちゃう・・・人の悪い私でした。

ただ・・・徳富蘆花の小説に対する思いは心に響いたからね。


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いよいよのこの回です。

1885年5月・・・琵琶湖の工事が始まりました。
そして・・・焼け野原となっていたのに・・・復興する京都。。。
しかし、寄る年波には勝てず・・・すでに覚馬は57歳となっていました。

そして、女学校では問題が起きていました。
宣教師たちがスタークウェザーと共に引き揚げるというのです。
ジャパン・ミッションが・・・女学校から手を退く・・・廃校だというのです。

この機会に、学校を作り直そうという八重。。。
しかし、そのためには資金が必要でした。
八重は、覚馬から商工会議所の会員名簿をもらい、説得することにしました。

見かけない時栄・・・
覚馬によると、時栄は書生の青木と一緒に縁日に行ったという。。。

「なにしてんのや!!」
久栄の声がしました。

その声は・・・
なんと、青木が時栄の手を握るところを見てしまったのです。

「うそつき!!母様は不道徳やわ!!」

「これ・・・どういうことだし??」
あ~とっても怖い八重さんです。
「先生に話します!!」と、青木は覚馬の元へ!!

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「先生に伺います。
 時栄さんをなんと思っておいでだべか。。。
 妻ですか?
 それとも・・・

 14の年から先生の世話だけに明け暮れて、今日・・・縁日に行ったぐれえで子供みてえに喜んでた。。。
 名士の妻などと言っても、まるで女中のような暮らしだ。。。
 
 時栄さんは、先生の手足ではねえ!! 
 ひとりの女だ!!

 僕は・・・あの人を解き放ってあげたい・・・
 八重さんには自由であれと言っておきながら、時栄さんには忍従を強いでる!!

 先生は偽善者だ!!」

あ~、言ってしまいました。。。
でも、これって当たってるよね。
八重は自由奔放にやっていたけど、うらも時栄も・・・本当に忍んでばっかりで可哀想でした。。。
だって、あんな怖い小姑がいて、姑もきつかっただろうしね。。。
覚馬を好きで、尊敬していたんだろうけど・・・
っていうか、14からだと、世間の事も知らずに自分の置かれている境遇に疑問もなく来ていたんでしょうね。
多分。


何もなかったという時栄。。。
青木を国に返すとい覚馬に、勉強だけは続けさせてくれと願う時栄。。。
青木は大阪の私塾に行くことになったのでした。
でも。。。八重はなんだか不満そう。。。


八重は、女学校の為に・・・資金を作ろうと奔走していました。
そして、学校見学会を開き。。。
寄付もどうにかこうにか集まってきました。
大垣屋も協力してくれるそうです。

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罪を悔い改めるために・・・改心するためか・・・
覚馬の勧めで・・・時栄は覚馬と共に洗礼を受けました。
2人はキリスト教の信徒となったのです。

新しい生活が始まるはずでした。。。

12月・・・太政官が廃止され、内閣制度が発足しました。

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襄も帰国して・・・
アメリカンボードから5万ドルの寄付をもらってきました。
襄と八重の”対等に”仲睦まじい姿を見ると・・・やっぱり時栄が不憫になります。。。


突然・・・山本家にやって来た青木・・・。
「一目だけでも。。。」
「近寄ったら、いかん。。。」

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目撃されてしまいました!!!

噂話に尾ひれがついて・・・京都の町に広がっていきました。

宣教師たちも・・・不道徳だと。。。
山本覚馬の名前にも、傷が。。。
そして、学校経営にも・・・

あ~、ここから綺麗な時栄と八重の喧嘩が始まりましたよ。。。
で・・・結局・・・
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「お願いです。
 この家から出ていってください。
 兄と別れてください。」

あ~覚馬が商工会議所を辞めたからってどうなるというのだ。。。
やっぱり山本家を中心の作品なので、ほんと、うらさんのときも、時栄の時も、腑に落ちませんよね。。。


う~ん・・・徳富蘇峰の書いた小説によると。。。
時栄の妊娠が発覚し、その時5か月。
身に覚えのない覚馬・・・しかし、許してくれようとしたのに八重が・・・
「臭いものに蓋をしてはなんねえ」と、追い出したとなっています。
事実かどうかも解りませんが。。。

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とにかく、三行半を突き付けられて追い出される時栄。。。
久栄は母のことを憎んでいます。。。
で・・・
マリア様のような八重登場!!
母を憎まないように、自分が鬼となって母娘を演出します。
そして・・・時栄は山本家を後にしたのでした。

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う~ん・・・とっても綺麗に納まりましたね。。。
とにかく、みねも久栄も、
”後で言い聞かす”みたいな感じで・・・今とは感覚が、納得のいき方が違うのかなあ。。。

時栄さん(谷村美月)の演技が上手すぎるのか???
京都に来てからの覚馬はいいとこなしです。

もっとドロドロっていうか、そんなに優しい八重じゃないでしょう???
八重は家事が全くできなくって、新島家には女中が2人はいたと言います。
もちろん会津の山本家にもいましたよね。使用人。

たくさん税金を払っていて、投票してもらえる権利を持っていた覚馬なのに・・・
その家に女中のひとりもいないなんて・・・
いくら時栄が働いていないからと言って・・・おかしいですよね。。。

やっぱり嫁は嫁!!ってことなんでしょうか???

綺麗すぎて困っちゃう???
追い出すなら、追い出すなりの理由と醜い心も見せて欲しかった回でした。

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山本覚馬と幕末会津を生きた男たち (新人物文庫)

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新島八重の茶事記

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徴兵令執行以来10年が経ちました。
1883年12月。
列強から国を守るために・・・軍備の拡張が求められていました。

明治政府は山県有朋の主導で徴兵制度を改革。。。
私立学校は徴兵免除の特典から除外される事となりました。

その翌年、思わぬ形で襄に降りかかることになります。

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「私学の学生たちから学問の機会を奪わないでください。」

伊藤博文の元へやって来た襄・・・しかし、政府の管轄外と取り合ってくれません。

「国を背負う人物は、国が造ります。
 その為に東京大学があるんです!!
 自主独立をうたい文句にしながら、こねえな時だけ官学と同列を願うんは、ちいと虫がええんじゃありゃせんかね。」

と・・・。
そして・・・とうとう官立学校に転校したいと、退学届けを持ってくるようになりました。

容保公は・・・照姫様を見舞っていました。
肌身離さずもっている御宸翰を見せ・・・
あの頃を懐かしむふたり。。。
走馬灯のように想い出が溢れで・・・
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しかしそれは、甘ったるいものではなく。。。
会津が逆賊でない証・・・。
新しい時代が始まって・・・今もなお重荷を背負っている容保がそこにはいました。

「いつの日も、私を支えてくださったのは、姉上の真心でした。。。」

それからほどなくして・・・照姫は静かに息を引き取ったのでした。


資金集めに走る襄。。。
顔色も悪く、疲れているようです。

「急がなければ・・・私たちの同志社がつぶれてしまう・・・!!」

大学設立に向けて、生徒を集めたいときなのに・・・!!
生徒は辞めていってしまいます。。。
そして・・・大学を作るには、資金集めもしなければなりません。

覚馬の元へやってきたのは広沢安任。
青森で大きな牧場を作り・・・会津人たちの暮らしを支えているそうです。

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会津から連れてきたのは、そう、問題児となる青木栄二郎。
覚馬の家の書生となって・・・同志社に入ることになりました。

襄は・・・
資金集めの為に、イタリア、スイス、アメリカに行くことになりました。
「八重さん、留守を任せられるのはあなたしかいません。。。」
女学校と、父母の事を頼んで・・・
明治17年4月、旅立っていきました。

襄がいない時に・・・学生の流失は止まりません。
おまけに、女学校では生徒と宣教師先生が対立。
スタークウェザー先生と対立する八重・・・険悪なムードに。。。

山本家では、青木が時栄の手伝いをしています。
田舎でちょっと成績の良かったぐらいでは、同志社でやっていけるのか気弱になってきている青木を励ます時栄。。。

「諦めるのは男のすることやない!!
 しっかりしなはれ!!
 愚痴や泣き言は、うちが何ぼでも聞いてあげるさかい
 話して気済んだら、学業に励んでおくれやす。」

「はい・・・

いやー、こんなこと言われるとホント、になっちゃうでしょうね。
駄目ですが・・・。
でも・・・青木さんのお世話は時栄がすることに・・・。
娘の久栄はちょっと気がかり。。。


そんな中、襄から妙なハガキが届きました。

「先に届いた手紙は早合点したものが、誤って送った。
 さぞ驚いたろうが、心配はいらない。当方無事!!」

と・・・。

その後に届いた・・・襄にとっては先に書いてあった手紙・・・
それは遺書だったのです。

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そう、襄はスイスで倒れていたのです。
息の苦しくなった襄は、最後の手紙をしたためていたのでした。

どうして遺書なんか・・・
「この遺書は本物だ・・・」
しかし、何もわかるすべのない八重。。。
「襄のライフは私のライフだ。。。」
それでも一緒に戦おうと誓う八重なのでした。

女学校では、宣教師先生たちが、女生徒たちを謹慎させていました。
男子校に行ったという理由で。。。
しかし、それは八重が許したものでした。
襄を雇われ校長として・・・認めない宣教師たちと、さらに険悪なムードになる八重。

「一歩引いても学校を守るのが八重の務めだ・・・」

そう言って、佐久が舎監を辞めることで決着をつけることになりました。

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そして・・・来週は・・・
山本家にも嵐が吹き荒れるのでした。

遂にやって来ましたね。。。
山本家に吹く嵐。。。

個人的には、嫁の立場なので、時栄さんの不憫さは思っていました。

そりゃあ、何もわからない歳で覚馬の元に来て・・・
気がついたら継子と姑ととっても怖い小姑がついてきて。。。

本当に一人で召使のように働いていたんじゃないかと思います。
だって、ドラマの八重は家事もやっているように見えますが、家にはお手伝いさんが2人いたこともあるとか・・・。
経済観念もなく、っていうか、武士の娘なので、金勘定をすることは”厭らしい”ことだったんでしょうね。。。
お金も湯水のように使ったと言われています。

前回?出てきていた”うらさん”も貧乏くさく・・・って感じでしたが、
こちらの時栄も小奇麗にはしているものの、洋服を着るわけでもなく、質素倹約みたいな感じでしょう?
ホント、子供のころから覚馬のお世話をしてきて・・・
最強の小姑にも疲れ果てて。。。っていうのは当たり前じゃなかったかしら???
って、同情しちゃいますよね。

って、こちらは「八重の桜」なので、それはタブーでした。

次回、どんなに八重をやさしく、いい女に演出するのか?楽しみです。

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新島八重と幕末会津を生きた女たち (新人物文庫)

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明治の兄妹 新島八重と山本覚馬

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1882年(明治15年)。
伊藤博文と対立して政府を追われた大隈重信は、・・・早稲田大学の前身となる東京専門学校を開校しました。

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その頃・・・襄もまた、大学設立に向け準備を始めていました。
会津へ行った後、襄は体調を崩し。。。
しかし、心配する八重をよそに襄は精力的に働いていました。

デービス先生がアメリカから帰ってきました。
途中・・・船の中でに会津の女性に会ったという。。。
名前は・・・山川捨松。

文部省で・・・
帰国した山川捨松は同じく帰国子女の津田梅子と共に、女子大学の設立を求めて政府に掛け合っていました。
でも・・・日本語もあまり話せない。。。なかなか相手にされません。

この捨松の留学は、10年前に北海道開拓使が勝手に募ったもので。。。
当時としては、大事な娘を留学さ汗対なんて思うものなどおらず。。。
逆賊の東北諸藩や幕臣の子弟にお鉢が回っただけだという。。。
女は嫁に行って、男子を生むことが、国家への最上のご奉公であると、却下されます。

ま、健次郎でさえ留学できたのは同じような理由だと言えますから、
当時は男尊女卑の時代・・・
女性に学は要らない。。。嫁に行って男子を生むこと。。。
今でもそんな風に言う人いますからねえ。。。

なかなか仕事が見つからない捨松。。。嘆くものの。。。
健次郎の勤めている東京大学でさえ女性教員はいないという。。。
おまけに、山川家の人々は書生たちの面倒を見、会津にも送金していました。
形見の狭い捨松。。。

女が身をたてるのは難しい。。。
自分のアメリカでの10年は無駄だったの???


陸軍大阪鎮台となっていた山川浩は、山本家を訪問していました。
・・・会えなかった15年という長い年月。。。

「覚馬さん・・・
 俺も戦で敗れて・・・あわせる顔がなかったんです。
 そんじも・・・こうしてまた無事に会えた。。。」

浩と覚馬にはお互いに負い目がありました。

浩は・・・捨松の就職を頼みに襄に会いにきたのです。
二つ返事で捨松のことを受け入れる襄。。。

突然、浩は東京に呼び戻されました。
陸軍省人事局への栄転です。
日陰の身である会津モンに・・・なぜ、栄転??

突然山川家を訪れたのは、陸軍中将・大山巌。

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理由は・・・
”山川殿の妹御・捨松さんを・・・おいの嫁に戴きたく・・・”
とやってきたのです。

「此度の栄転は・・・妹を釣るためのエサ???
 言い訳は要らん・・・
 妹を人質に出すぐらいなら、陸軍など辞職いたしやす!!」

怒って席を立った浩。
なぜ、捨松なのです?と健次郎。

「不平等条約の改正は、日本政府の悲願。
 そいには日本が文明国じゃち列強に認めさす必要がある。
 捨松さは、西洋ん流儀を身に着けられ、才媛としてアメリカでも名高い。
 ゆえに我妻に最適・・・」

「妹を道具のように言うな!!」by浩。

それを聞いて捨松は・・・

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「日本の為に働けるなら、大山のアクセサリーになります。よろこんで。」

やけになる捨松。。。
一度会って、自分の目で見極めろ。。。と、健次郎が諭しました。

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パーティーで会った大山は。。。
何度かパーティーで捨松の事を見かけ・・・一目ぼれしていたという。。。
「おはんは外国人などではありもはん。
 誇り高か会津んおなごでごわす。
 おいが薩摩ん人間じゃっとが気に障っとでごわんそ。
 じゃっどん・・・
 海外に出れば同じ日本人です。」

実際、とっても紳士的だったと言います。
なんだか良い人。。。

会ってきたことに反対する山川家の人たち。。。
代々会津家老の家柄の娘が・・・会津には嫁げない。。。
会津の汚名を雪ぎ、国の礎となるための留学だったのに。。。
と、母に責められるのでした。

助けることの出来なかった尚之助の「会津戦記」を読んで忍びなく兄の背中を見て・・・
未だ残る・・・癒すことのできない心の傷を知るのでした。
やはり・・・この結婚は無理だと悟る捨松でした。

大学設立の為に東京にやって来た襄。ついてきた八重の本当の仕事は・・・
山川家に乗り込むことでした。
宿に訪ねてきたお客様は・・・捨松。。。
このまま京都に連れて行ってくれと頼みます。

「薩摩との縁談など、会津の者には迷惑です。
 兄は断っています。
 それでも大山さまは毎日うちに来ます。」

山川家に乗り込んだ八重。。。
そこには大山がいました。
大山は言う。。。
「捨松さあとの結婚・・・薩摩と会津が恨みを乗り越えたと・・・民に示すためにも意味のあること。。。
 お許し願いたか。。。
 海の外に出たら、同じ日本人でごわそ。。。」
「ここは日本です。」
「そげなせまか見識じゃ・・・日本は立ち行かん。。。」
「狭い??
 日本の政治は、薩長の狭い見識で決められてるではねえですか・・・」
バチバチな大山VS山川。

ごちゃごちゃいう男たちに・・・腕相撲で決めようという八重。
なんと、大山VS八重になっちゃいました。

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いや~八重に託されちゃいました。
この感じじゃ、八重は本気だったように思えるんだけども、もっと女性らしく、捨松の気持ちも想っての腕相撲にしてほしかったなあ。。。って思います。

「大山様」by捨松

「よい勝負でした。
 かつて・・・命がけで銃を撃ちあった手で・・・
 腕相撲ができた。
 15年・・・
 誰にも等しく時は流れたんです。
 この手は形を変えると・・・」
なんて優しい襄。
 
「戦は終わったの・・・山川・・・」

「この屋根の下では、兄上と呼んでもらおうか。。。」

う~ん、良い男ばっかりです。
これをみる限り、八重が一番ガサツです

1883年8月伊藤博文が帰国しました。
強力な官僚組織を作ろうとしていました。

東京大学を有能な官僚の育成機関とするように命じられる健次郎。。。

「学問は、国家によって左右されるものであっては断じてなりません。
 大学は、政治から独立した教育と研究の場です。」

「会津モンか・・・」

ここでも未だ偏見が残っていました。

12月には・・・鹿鳴館で大山巌と捨松の結婚披露宴が行われたのでした。

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「兄上・・・山川家の出世頭は、捨松かも知れませんね。。。」
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「時が乗り越えさせてくれるものもある。。。
 だけんじょ、俺が忘れぬうちは相手も同じ。。。
 逆賊と呼ばれ続けんだろう。。。
 それでも100年後、会津が日本の誉んなる日がくっかも知んねえ。。。
 それは、若いもん次第だ。。。」

一方、官僚が帝国大学に集まる中・・・私立大学生は徴兵に行かなければならなくなります。
そう、同志社は今後、徴兵による生徒不足に頭を悩ませることになるのでした。
 
山川捨松さんは、本当にカッコいい女性だったようです。
八重と比較しちゃいますが、親子ほども歳の離れた大山家に・・・もう世話をする必要はないとはいえ、前妻の子3人の親となり、世界で活躍します。

そう思うと、「八重の桜」は八重桜をもじったものなんでしょうが・・・
いつも思うのは、福島=大河ドラマ=捨松でも良かったんじゃないの?って思っていました。
捨松だったら題は何になったんだろう???松・・・う~ん、松。

良妻賢母・おまけに当時の働く女性のNo,1だったんじゃないかしら?

山川捨松さんです。はこちら

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