日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:有岡城

石山本願寺戦争―続念仏の叛乱

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信長に反旗を翻し、籠城していた村重が逃亡・・・
有岡城に幽閉されていた官兵衛が、遂に帰ってき。。。
そして、織田軍は、三木城の兵糧攻めの総仕上げにかかろうとしていました。

兵糧も底を尽きかけたころ・・・
やってきた織田方の使者は地獄から帰ってきた官兵衛でした。

2年も戦ってきた別所長治。。。
叔父の重棟も降伏を薦めます。

「長治さまと御一族がお命を差し出せば、残る家臣は助けると、羽柴さまは仰せでございます。」by官兵衛

賀相は、毛利の援軍がやってくると・・・

しかし、その言葉を遮るように官兵衛が。。。

「毛利は動かぬ! 
 摂津の有岡城の末路は御承知のはず。

 長治さま、家臣を守るのも城主の務め。
 その務めを果たさねば、荒木一族の二の舞になりまするぞ!!」by官兵衛。

あ~、官兵衛・・・まさに地獄の使者です。。。
鬼気迫るってこの事???

kan












「わかり申した。
もはやこれまで。。。」by長治

長治・友之(長治の弟)・賀相(ベンガル)の切腹で、秀吉に堪えてもらうんだけれども、往生際の悪い賀相。
この降伏勧告を良しとせず、潔く自害するのではなく”城に火を放つ!!”って言いだしたもんだからさあ大変。
焼け死んでさらし者になるのを防ぎたかったのでしょうが・・・
そうは問屋が卸してくれません。
城に続いた自分の家を放火したことに激怒した城兵が、殺害して首は安土に届けられたらしいの。。。
結局、さらし者になっちゃったんです。
甥の別所長治の方が、坊ちゃんなりにも、よっぽど強かったですね。

そしてここに・・・2年という長きにわたる三木城の戦い”三木の干殺し”は終わりを告げるのでした。
って、籠城戦って、そんなに長いことかかるのね・・・と、思うものの。。。
そう言えば、一番長かった籠城戦は石山本願寺戦で10年間と言われています。

残るは小寺・・・!!

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別所の三木城も落ちて、アタフタする職政。

次々と逃げていく家臣たち。。。もうどうすることもできません。

「殿も御覚悟を!!」

と、江田が頼むものの、覚悟の全くない小寺の殿様、腹など切らぬ!!と、ごねて・・・
江田も愛想を尽かしてお暇をしてしまいました。

「今まで・・・よくぞこのような主君に仕えてきたものよ・・・
 障害の不覚であった・・・!!」by江田


あ~、良いですね、人間らしいです、政職。
誰だって腹を切りたくはないよね・・・
こんな主君もいて当然だったんじゃないかしら???

おまけに、金目のものをかき集めて御着城を抜け出しました。
混迷を極めた播磨の争乱が、ここに終わったのでした。
って、政職らしいっていうか・・・この情けない播磨のp乱の終わり方が・・・

で・・・
太兵衛に捕まってしまった政職。
政職でないと言い張っているかと思いきや、職隆や官兵衛見るなり恩を着せにかかる殿。

「主君じゃぞ・・・!!」by政職

全部村重のせいにしております。
何にも悪いことしてないんだって。

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「武士らしく・・・腹を召されよ・・・」by官兵衛。
あ~、目力の強さに、政職も泣いてしまいました。

「いやじゃ!!許してくれ~~~!!
 わしには出来ぬ・・・!!」

そこには・・・ゆるしを乞う哀れな主君がいました。
「覚なる上は、致し方ございません。。。
 城主としての務めを果たされよ・・・!!」

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しかし・・・
助けてしまう官兵衛なのでした。

ま、ここでの感じは・・・別所とは違って、手を下す価値もない!!ってところでしょうか?
何処までも小物ってとこですね。。。
あ~、これで御着の殿が出てこなくなると思うと、ちょっと寂しい・・・。

正親町天皇の仲裁によって本願寺と和睦した信長。
佐久間信盛の交渉によって、10年間に及ぶ戦いに終止符が打たれたのです。
蓮如はもう戦いを続けるのもなあ~、と、朝廷に和平交渉を申し込んでいたような節があります。
でもって、紀伊の鷺の森に移ることになるのです。
が・・・この蓮如、スゴイですね。
お坊さんなのに、奥さんが5人もいて、27人の子供が居たそうで、最後の子供は84歳の時の時に生まれたんだとか・・・
なんともスケールの大きな、私たちの思うお坊さんとは一味もふた味も違うお坊さんです。


あ・・・例の人事異動事件です。
そう、最古参に入る佐久間信盛・・・信長に見放されます。。。

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突如、十九箇条に及ぶ折檻状を突きつけ、一切の弁明さえも許さず、織田家より追放してしまいました。

信盛、焦るも策なし・・・!!
兵は光秀が引き取ることになりました。
みんな神経ピリピリです。。。

光秀が一番出世となりました。
それまでは、村重でしたが。。。
信長に魅入られてしまったら、狂気になるのかしら???

秀吉から1万石を遣わされ・・・遂に大名となった官兵衛。


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「藤巴紋」にしたそうですよ。
この大河では、土牢に入っていた時に見た藤の生命力の強さからヒントを得たってことになっています。
が・・・

黒田の家紋は「石餅(石持)」と「藤巴」。


「藤巴」紋は、職隆が仕えた小寺氏の家紋で、室町時代に成立した『見聞諸家紋』にも小寺氏の「藤橘巴」が収録されています。
小寺氏は播磨守護職を世襲した赤松氏の一族で、藤巴紋は赤松氏の巴紋を変化させたものと思われます。
そして、小寺氏の藤巴は橘紋と組み合わせているのが特徴で。。。
黒田氏は主家小寺政職から小寺の名字を名乗ることを許されたとき、藤巴紋も賜ったとも言われています。
こちらの説が本当だとしたら、政職を斬ることのできなかった官兵衛&義に篤い男官兵衛が表現できたように思うんですけどね。。。私はこっち押し。

で・・・もう一つの「石餅」紋は、ともに羽柴秀吉の帷幄にあった竹中半兵衛からもらったものだといわれています。

これから戦いが多くなってきそうな匂いがプンプンです。
佳境に入ってきましたね。これからがとっても楽しみ。

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え~??
「半兵衛の遺言」なの???
「過酷・・・荒木一族の運命」とかじゃなくって???
半兵衛とだし・・・キーマンなふたりなのに、何も同じ回で死ななくってもいいのになあ・・・
そう言えば、前にもこんなつめこみがあったような気がする~

天正7年11月・・・
有岡城落城・・・官兵衛は、家臣たちの手で救出されました。

髪も髭もキリスト状態の官兵衛・・・
助け出されたものの、まさに虫の息。。。

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その頃有岡城では・・・
織田に捕えられ・・・荒木の者は、京へと連行されるのでした。

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そして官兵衛が生きているとの知らせは、秀吉にも・・・
一刻も早く信長にも伝えなければ・・・。

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「黒田官兵衛、決して裏切ってはおりませぬ!!
 何とぞ官兵衛のことをお許し願いたい・・・」by秀吉

って何を許すの・・・??

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そして、なんと粋な計らい・・・松寿丸との再会。。。

官兵衛が生きていたことに”あっちゃー”と思っていた信長。。。
そう、あの信長様が・・・
『信長公記』によると、官兵衛の生還を知った信長は、思わず嘆息
「官兵衛にあわせる顔がない・・・」と呟いたといわれています

ホント、人たらし、上手いわ・・・秀吉。

「半兵衛め・・・わしを謀ったな。。。
 さすが稀代の軍師、死してなおこの信長を手玉にとったか・・・
 官兵衛・・・許せ・・・」

と、労うために有馬温泉で治療に励むように指示したのでした。
さすが、後ろめたさMax・・・。
療養してもなおPTSDに悩まされる官兵衛・・・
殿の体が元に戻らない場合は、手と足となって戦う覚悟をする家臣たち。。。
やっぱり命を賭ける男同士は信頼が一番よね。

12月13日・・・信長による前代未聞の成敗が行われました。
見せしめとして・・・荒木一族とその重臣を捕え、尼崎で・・・家臣の妻ら122名を磔串刺し、銃殺刑。。。
残った500名を家4軒に押し込めて火を放ったのでした。
そう、尼崎・・・でやった・・・村重に対する怒りが・・・尋常ではない怒りが爆発した信長なのでした。

さらに16日。。。
女子供であるにもかかわらず、妻子36名を京都市中を引き回しの上、六条河原で斬首刑に処します。
そこには気高きだしの姿もありました。
一族郎党は、草の根分けてでも、根絶やしにする!!

『信長公記』にはだしのことを・・・
処刑に際し、車より降りる時には、帯を締め直し髪も高々と結い直し、
小袖の襟を押しのけて、尋常に斬られた。
見物の衆人はその立派な死に際を褒め称えた。。。とあります。

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荒木だしをはじめ一族の最期でした。

尼崎城を捨てて逃げ出した村重の行方は、ようとしてわからなかった・・・
と、ナレーションしていますが。。。

花隈城に移り、最後の抵抗を試みたようです。
が・・・既に一族を見殺しにした彼に味方する者など殆どなく・・・
結局彼は毛利を頼って落ち延びていったと思われます。

で・・・一人生き延びる村重なのです。。。
ホント、戦国武将の妻として立派な最期を遂げたのにね・・・だしは。。。

ところで・・・有馬温泉で療養しても一向に治らない官兵衛・・・。
「もうや~めた・・・!!」
と、リハビリも投げ出しがち。。。
そんな官兵衛に右近からの死者が・・・それは、だしの処刑でした。。。

で・・・官兵衛はやっぱりPTSDに悩まされていました。

そんな折、一足早く、九郎右衛門が松寿丸と姫路に帰るという。。。

その松寿丸からやる気のないパパ兵衛にプレゼントが・・・!!

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なんと、それは・・・
半兵衛の軍配だったのです。

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自分の命が長くないことを知っていた半兵衛・・・
受け継ぐ軍師は官兵衛しかいないと思っていました。
つまり、松寿丸を助けたのも、人情・・・といってはそれで終わりですが、軍略的にもmastな選択でした。

もし松寿を殺していたなら・・・
官兵衛が生きていたとして、

①信長への怒りがMax
②姫路が混乱する
③稀代の軍師・半兵衛の認めた男が敵にまわる・・・

と、いいこと全くなし

自分の命がもう長くないと思っていた半兵衛は、今までも官兵衛を軍師にするように教えてきました。
自分の後を継げる男は官兵衛しかいない!!と思っていたのに、松寿を殺すことで官兵衛を失ってしまうのです。

ということで、女の私としては”年端もいかない子供が殺されるのは可哀想・・・”・・・誰だって、殺されたら可哀想か・・・
ですが、”大仕事”という意味でも、完璧な作戦でした。
今後の官兵衛の働き・・・中国大返しも見えてきましたよ。

ホント、この軍配の件、カッコいいです。
稀代の軍師の・・・自分の命である軍配を受け継いだ官兵衛、身の引き締まる思いだったでしょう。

お仕事しよう~!!と、姫路城に戻った官兵衛・・・

「皆も知ってのとおり、わしは以前のようには動けぬ。。。」

「殿!!我らにお任せくださりませ!!」by家臣団。
あ~、ここもいいですね。。。少年漫画的で。
今まで敵を信用して策略にはまっていた官兵衛ですが・・・
当時は”どれだけ寝返らせることができるか!!”ということが、最大の軍略だったといいます。
つまり、”信用に足る男か”ということが必要なんだそうです。
なので、”信頼されていること”が第一だったみたい。


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ひとり・・・半兵衛のお墓参りをする官兵衛・・・
感慨深げに何を思う???

お???官兵衛、何だか顔が違うよ。
ひとまわり大きな男になって帰ってきましたね。
なんだか軍師の顔になってきました。
今までのあまちゃん官兵衛は、ここに来るまでに布石だったのでしょうか?
土牢に入ってからの官兵衛、鬼気迫るものがあります。

ジャニーズもびっくりです。
ホント、いい俳優さんになりましたね。

これからの官兵衛、楽しみになってきました。


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有岡城で囚われた官兵衛は・・・
暴れるから遂に・・・土牢へ入れられてしまいました。

有岡城下には、黒田の家臣が商人に紛れて潜入していました。
救出の機会をうかがっていました。

kan












遂に・・・
織田の総攻めが始まるという。。。
総攻めに乗じて救い出さればいいのだけれど・・・
万見仙千代率いる軍が総攻めを開始しますが・・・

四方から聞こえる鉄砲の音・・・
どうしても村重を落とせません!!
やっぱり村重は、信長が一目置いている男に間違いないのね・・・

そんな村重を攻略できずに・・・仙千代たちは村重の罠に落ち・・・命を落としました。
その鮮やかな戦いぶりに、官兵衛の影を見てしまった信長・・・

「官兵衛・・・官兵衛が裏切った・・・!!
 松寿丸の首を刎ねよ・・・!!」

kan2












秀吉の懇願もむなしく、首を刎ねよという信長に、半兵衛が承知するのでした。

あ~、髪ぼさぼさ、髭ぼうぼうの官兵衛がキリストみたい。。。
高山右近、信仰する???


その頃長浜城では・・・
半兵衛が松寿丸を処刑しようとしていました。。。
それを承知で松寿丸を連れてこさせるおね。。。

そして・・・松寿丸の処刑を官兵衛に伝える村重。。。
やはり、官兵衛を寝返らせたいようです。

そのお話は・・・秀吉によって光・職隆にも伝えられたのでした。。。

松寿を殺されてもなお、黒田の家を守ろうとする職隆。。。
でも、もう跡取りはいなくなってしまったのよ???

若の仇を討つという太兵衛・・・

「誰を討つというのだ。。。!!
小寺か、荒木か、それとも織田か・・・!!」by善助。

あ~、今回の一押しはこの善助でしょう。
カッコいい~~~


土牢に入っても、官兵衛を支えようとするだし。

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しかし・・・詫びる以外になすすべなし。。。

1579年正月・・・安土城での年頭での出仕は見送られました。
あ・・・出て来ました土田御前。。。
相変わらずピンポイントで出て来ては、信長の卑劣さを吐き捨てる。。。

そして、ガビーン!!
荒木への毛利の援軍が、日延べとなりました。
原因は、宇喜多直家の動きが定まらないから。。。
やはり、こちらのほうも信長同様切り捨てるのか???

半兵衛のもとへやってきたおね。
そこにいたのは松寿丸でした。

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「息災でしたか?」
秀吉に内密に匿うという。。。
長くはない自分の命、だからこそ、松寿を生かそう・・・半兵衛の心意気です。

武術・学問・・・半兵衛直々に教えてもらって、だからこその黒田長政になるのです。
そして、この半兵衛に対する恩は、二世たちに引き継がれていくのでした。

冬が来て・・・
土牢の中で息も絶え絶えの官兵衛・・・
迫真の演技の岡田くんです。


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土牢から見る景色には・・・黒田の紋・藤巴の藤が・・・

なんとこの”藤巴紋”は、もともと官兵衛の主君であった小寺政職が使用していたといわれています。
黒田家が小寺家に尽くしてくれたことに、小寺の姓と共にこの”藤巴紋”を使うことを許されたといわれています。

そしてこの・・・自分を切り捨てた主君の紋を使い続けたのは、官兵衛の主君を大切にする性格と、この土牢の中から見えていた藤に心癒されたから・・・とも言われています。

あ~、みなさん、松寿丸や官兵衛が助かるので、緊迫感がない?でも、迫真の演技で楽しく見られています。
そう、視聴率も最近は絶好調!!
やはり大河はこうでなくっちゃ!!

でも・・・ここから荒木家の・・・もう一つの悲劇が始まるのです。

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荒木村重研究序説―戦国の将村重の軌跡とその時代

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播磨平定の為、官兵衛たちは三木城攻略に取り掛かっていました。
お~!!軍議を引っ張っております、官兵衛。
三木城の周りの要所要所に付城を40ほど築くそうです。
秀吉の大好きな兵糧攻めです!!

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その奇想天外な調略に満足げな秀吉。

って、奇想天外なんだろうか・・・??
それすらもよくわからないのは私が詳しくないからだろうか・・・。

驚異的な速さで付城を作るあたり・・・
この辺ががやっぱり長けてるんでしょうね。
そういうところをぐんぐんぐんって、強調してほしいんです。
迫ってくるような演出で・・・

袋の鼠となった三木城の別所。

荒木村重は、急遽信長に呼び出されていました。

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にっちもさっちもいかなくなっている石山本願寺・・・
おまけに万見仙千代に神吉藤太夫を見逃したことをチクられてしまいました。
でもそこには、その判断に間違いはなかったと、申し開きをする荒木村重がいました。

怒られると思いきや・・・
なんと慮って信じてくれた信長。

「上様の恩為、この村重身、命を賭して働きまする!!!」
あ~、フラグ立ってる、立ってる・・・!!

でも、荒木村重は、本当によく出来た人だったようです。
ここで殿も言っているように、天下を取るためには村重の力が必要だったのかも知れません。
謀反を起こして、早くに死んじゃうからなあ・・・。

そんな村重が、どうして謀反に及ぶのか・・・??
あ~、なんと不憫な。。。
本願寺へ兵糧を運んでいたのは自分の家中の者・・・??

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おまけに・・・当たり前でしたが、誰が門徒で誰が門徒でないのか・・・??
そんなことはわからないので、余計に始末が悪い・・・

上様には釈明は通じない・・・敵わないのでは・・・???という中川清秀。。。
あ~、ピンチです。
どうする??村重!!

そんなこんなが細川藤孝から殿のお耳に入ってしまいました。
信じない信長・・・。それだけ村重を信じていたんでしょうね。

村重との縁続きである明智光秀に真偽を問います。
が・・・寝耳に水のようです。
村重の縁者??聞き逃しそうにすらっと言いましたが・・・
光秀は、自分の娘を村重の嫡男・村次の妻に入れています。
織田家中の中ではどちらも新参者のふたり・・・
もう一つの共通点は、摂津は石山本願寺&丹波は波多野氏どちらも手ごわく・・・どちらも要所なのです。

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確かめさせるために・・・有岡城へ仙千代・光秀を向かわせる信長。

有岡城が謀反を起こせば今までの苦労が水の泡・・・!!
って、宇喜多情報を知らなかった官兵衛ですが。。。
どうよ!!本当に知らなかったんだろうか???
って思っていたら、半兵衛、たおれちゃいました。

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場面代わって、村重が申し開きをしても・・・仙千代は信じてくれません。。。
あくまでも噂なのに・・・追い込まれていく信長。。。
もう一度安土に申し開きを・・・。

と・・・しかし、信長に二度はない。。。かも知れない・・・
毛利と天下をとる???
疑心暗鬼な村重。。。
生き残るためにはどうすればいいのか・・・!!

謀反を止める高山右近!!
って、これは史実みたいです。

なのに・・・きれちゃいました。
「わしは・・・信長を信じることは出来ぬ!!
 天下布武などまやかしだ!!
 わしは信長が作る世など見とうない!!
 これより我らは織田信長を討つ・・・!!」

う~ん、準備の全くない・・・勝てる見込みのない戦いですが・・・
信長に珍重されていた村重・・・まさに突如の謀反です。

可哀想です、村重。。。
中川清秀に炊きつけられたわけですが・・・
彼はこの後、高山右近と信長に下ることになります。
とっても厭らしいんです。

やっぱり正直にまっすぐなだけでは、天下人にはなれないのね。。。
次回の村重が・・・
そして、官兵衛にとっても踏ん張り時がやってきました。

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~秀吉が最も恐れた男~
THEナンバー2です。

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なかなか見るのが進みませんが、今回は豊臣秀吉を天下人に押し上げた軍師「黒田官兵衛」です。

彼は、抜群の頭脳と巧みな交渉戦術、そして奇想天外なアイデアで主君・秀吉に天下を取らせます。

有名な、中国大返しの大博打は、彼がいなかったら有り得ませんでした。そして、このナンバー2が、将来、天下を取った秀吉を脅かす存在になるのです。

そんな黒田官兵衛とは、どんな人物だったのでしょうか?

影の軍師として秀吉に仕えた官兵衛は、1546年、姫路城城主黒田職隆の長男として生まれます。が、当時は城主もいないようなちっぽけな城でした。御着城の出城のようなものでした。

当時の主従関係にある小寺政職に織田・毛利・三好のどちらの見方に突いたほうが良いか、聞かれます。家臣の殆どは毛利を支持しました。

そんな中、官兵衛は、三好は主君を殺した罪があるので問題外。毛利は吉川と小早川が両脇を固めているものの当主輝元は天下取りの器にあらず。信長の勢いはとどまるところを知らず、これからの日本を率いるのは彼しかいない!!。と、ひとり織田信長を推したのでした。

1575年官兵衛は信長に謁見します。
毛利攻めの際には、是非自分を最前線に!!と、願い出るのです。信長としても、中国攻めに向けて、地理に明るい官兵衛は都合が良かったのです。官兵衛を気に入った信長は、名刀「へし切」を与えます。
また、官兵衛は、長男長政を人質に出して、忠誠を誓うのです。

信長の毛利攻め、行く可能性が高かったのは荒木村重でした。1573年から信長に仕え、有岡城を本拠地に摂津の国を支配していましたが、1575年、信長に反旗を翻します。それは、家臣が裏切って、米を持って毛利方に寝返ったという噂が流れるのです。信長の性格を恐れて挙兵するに当たった、といわれています。これには中国方面の司令官を誰にするかで誰かが?画策した・・・。とも言われています。そうして、本来ならば村重が行くはずだった中国攻めに、秀吉が行くことになるのです。

官兵衛は、村重を説得するために有岡城へ向かいます。が、すぐに捕らえられ、城内の牢獄に幽閉されてしまいます。なかなか戻らない官兵衛に信長は激怒し、長男の殺害を命じます。
が、ここで竹中半兵衛が、「そんなことは絶対にない」と、長政をかくまうのです。

有岡城の牢獄で、最低限の食事、蚊や虱にまみれ、1年余り耐え続けました。そうして、落城と共に救出されるのです。が、この苦い経験から、決して主君を裏切らないという信頼こそが大切だと気がつきます。
この件で、もともと口の上手い、手八丁口八丁な男だと思われていた官兵衛は、彼が心底そう思い、命がけで説得する男であると一目置かれるようになるのです。

この官兵衛の忠誠心を疑ったことを悪いと思ったのか、信長は播磨1万石を与えました。官兵衛は小寺から独立し、秀吉直属の武将となったのです。

では、何故村重は官兵衛を殺さなかったのでしょうか?官兵衛は、ドン・シメオンという洗礼名を持っていました。官兵衛も、村重もキリシタンでした。つまり、殺し、殺されることは出来ないのです。

そうしていよいよ、毛利最前線へ配属されます。官兵衛の向かった先にはすでに播州入りをしていた秀吉がいました。これが、運命の出会いとなり、時代は大きく動き出すのです。

1582年3月高松城の水攻めが開始されます。これは官兵衛のアイデアで、川に堤防を作り、水攻めにするというものです。これには莫大なお金がかかりましたが、今こそ高松城落城に向けて投資するべきだ!!とはじめるのです。

この高松城の水攻めの秀吉本陣跡が、今も残っています。ここで、秀吉を中心に据え、官兵衛が左、蜂須賀小六が右に陣を取り、前のほうを堀尾茂助や仙石権兵衛らが山裾にじんを張っていました。

それと同時に、官兵衛は、安国寺恵けいと和睦を進めていました。それは、毛利の領地のうち半分に当たる5カ国(出雲・ほうき・美作・備中・備後)の受け渡しは成立しており、後は清水宗治の説得だけが未定でした。

日に日に水没していく備中高松城。そして、それを阻止できない毛利軍。さらに、この高松城は吉川・小早川の陣を張る山から一望できました。このような失態を目の当たりにした毛利についている備中・備後に不安が広がります。毛利を見捨てて、信長に着いたほうが良いのでは?もうあと一歩でした。

秀吉は信長の参戦を待っていたのです。そうして、この中国攻めに向かう途中の1582年6月2日本能寺の変で信長は明智光秀によってその生涯を終わりにさせられるのです。

絶対的な信長、その信長の背中を追ってきた秀吉・・・。言いようのない喪失感と信長の無念を思い泣き崩れる秀吉・・・。

毛利攻めは、あと一息で終わらせることが出来たのに。。。

信長亡き後、毛利に攻め込まれる可能性は大いにありました。ここを乗り越えるには・・・。

官兵衛は言います。「殿、開運の時が参りましたなあ。今こそ、天下を取るときにございます。」と。

思いもよらなかった?秀吉。この一言が秀吉を変えます。
官兵衛は、すぐに東に向かうため、夜中にもかかわらず安国寺恵けいとの一大交渉に臨みます。官兵衛は、清水の説得を明日にする代わりに5カ国を3カ国で良いと申し入れます。

敵ながら信頼をしていた安国寺恵けいは、この交渉が毛利にとっても有利であるとして交渉が成立しました。敵に見抜かれないように、顔色ひとつ買えずに・・・。

翌日、清水宗治自決を見届けると、秀吉は光秀を討つため東へ反転します。これが、世に言う「中国大返し」この時、官兵衛は、毛利の2人の人質を返しています。明智を倒したならもちろん秀吉の天下なので人質など必要ないし、帰れないなら死ぬまでだから・・・。と。

3万の軍の大移動。姫路城にある金品を与え、10日~2週間はかかるところを6日間で走破しました。距離、実に200キロ。その後、賤ヶ岳では柴田を打ち破り、天下へと突き進むのです。

この中国大返し、出世できるかもしれない!!という人間の欲が6日間で走破させたのだといいます。つまり、秀吉が光秀を討つ、そうなれば仕官→大名、足軽→仕官になれるかもしれない!!という噂が戦場を駆け巡ったのです。そして、それにかけてみようと思った人たちが、人間の欲がそうさせたのです。

官兵衛の天下取りの進言・・・。しかし、秀吉は、自分と同じ事を考えている人間が隣にいる・・・。ということに不安を感じるようになります。

官兵衛の生涯最大の失敗は、秀吉に天下を取れと進言した瞬間かもしれません。そのせいで、トントン拍子に天下をとりに行く秀吉に対し、1585年、関白に叙任されると同時に、九州中津12万石に飛ばされてしまうのです。中国大返しの最大の功労者であるにもかかわらず・・・。

秀吉に警戒される官兵衛。44歳で家督を長男長政に譲ります。

1597年50歳の官兵衛は隠居し、黒田如水となります。「如水軒円清」(水の如く)のことで、この如水とは号で、号とは学者、文人画家などが、大名のほかに用いる呼び名のことです。天下を取るつもりはない。おとなしくしているという意味が込められており、自由に生きたいと表明しています。

が、天下に対する野心はあり、能力の高い武将であることには間違いないのです。ナンバー2の人生は終わったかに見えた1598年秀吉が死にます。

これは、官兵衛にとって衝撃的で、軍師の血が騒ぎ出します。53歳、人生最大のかけに出ることになります。

浪人や農民を訓練し、はじめは2~3万だった軍隊も、中津城を出る頃には10万人の大軍になっていました。関ヶ原に向かい進軍しようとしていたそのとき・・・。予想ははずれ、半年はかかると思われた徳川VS石田の関ヶ原。それが、一日で終わってしまったのです。官兵衛は、関ヶ原が長引くと思い、お互いが体力を消耗するのを虎視眈々と狙い、天下を取ろうと画策していたのです。

その原因を作ったのは皮肉にも、息子長政でした。この長政、凄く良くできる人で、竹中半兵衛と、黒田官兵衛という二人の軍師に学んだ人なのです。小早川との交渉に当たったのが長政だったのです。家康は長政が第一の手柄と喜び握手を交わすほどでした。

それを父官兵衛に話すと・・・。「右手で握手をしていたとき、左手は何をしていたのか?何故左手で刺さなかったのか?」といったと言われています。そんなことをすれば長政は斬られてしまいます。息子の命と引き換えにしてまでも天下が欲しかったのかも知れません。別の説によると、この言葉で家康をけん制したとも言われています。

その裏には、自分と秀吉の関係を、息子長政と家康に見たのかも知れません。

1604年3月20日、京都伏見亡くなります。享年58歳

おもひおく
 言の葉なくて
  つひに行く
道はまよはじ
 なるにまかせて

戦国時代は、皆さんぎらぎらしていて、エネルギッシュ。生きているなあ・・・。って感じがしますね。どの人にも色々なドラマがあって、それを少しでも知ることが出来たらうれしいですね。


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