日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:朝鮮戦争

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北朝鮮の脅威!!

年の初め、北朝鮮は水爆実験をし、翌月には長距離弾道ミサイルを発射、これを皮切りに弾道ミサイルを次々と・・・24発も発射、さらにワシントンD.C.を”核攻撃”するCGを作成・・・
建国記念日には5度目の核実験をし、核弾頭の小型化に成功し、ミサイルへの搭載へも可能となったと発表しました。
すぐここにある核の危機・・・暴走する北朝鮮・・・日本はどうする・・・??

張りぼてだった北朝鮮が、どうしてこんなに発展したのでしょうか??
核を自ら開発する能力を身に着けたのです。
今までは、ロシアやパキスタンに派遣したり招待して技術を提供してもらっていました。
ロシア、パキスタンは核保有国です。
ソ連が崩壊し、ロシア経済が悲惨になって・・・失業した科学者から核兵器の技術を学んだといいます。
その蓄積で、自ら技術者を養成できるようになったのです。
北朝鮮では子供たちがなりたい職業の第一位が科学者です。


ミサイル精度の向上!!
弾道ミサイル3発が、日本の排他的経済水域に落下しました。ほぼ、奥尻島沖に落ちたので・・・正確に狙えるようになったようです。


8月には潜水艦発射弾道ミサイルが、初めて日本の防空識別圏内に落下しました。
潜水艦から発射できるということは・・・どこから狙ってくるかわからないのです。

小型化・制度・潜水艦・・・世界にとって大きな脅威となります。
潜水艦から発射できるミサイルの射程は1000㎞!!
アメリカをも攻撃できるようになったのです。
今までのように脅しではないのです。

朝鮮戦争は、1950年に北朝鮮と韓国の間で勃発し、平和条約は結ばれておらず、休戦状態にあります。
アメリカも韓国側について参戦しています。
アメリカに力を見せつけて・・・平和条約を結びたいのです。
とにかくアメリカが怖い・・・核兵器を持ち、核攻撃ができるということを示しているのです。

朝鮮戦争が起きたときに、アメリカの司令部は日本に・・・東京・横田基地にありました。
日本にある米軍基地施設は128カ所。
もし第二次省線戦争が起きれば、韓国の基地は攻撃されてしまうので、日本に司令部が置かれることとなります。
つまり・・・日本のアメリカ軍基地もターゲットなのです。
日本をつぶすのではなく、アメリカをつぶすのです。

ではそのお金はどこから・・・??核開発。ミサイルの費用は、約200億円と言われています。
しかし、北朝鮮は、過去20年で最強の対北朝鮮制裁決議「2270」・・・経済制裁を受けています。
燃料の輸出、石炭などの輸入は禁止、陸・海・空の輸出入・・・すべてに厳しいチェックがなされています。
外貨獲得が厳しいはずなのですが・・・。

北朝鮮の資金源は・・・??
北朝鮮と国交がある国は、国連加盟国193か国のうち162か国。
北朝鮮は労働者派遣・・・約50か国に約6万人を派遣し、その人たちは年間2700億円を稼ぎ出しています。

直営レストランは世界に100店舗以上あり、その収入は北朝鮮の収入となります。
他にも巨大銅像を作っているのは北朝鮮国営の万寿台創作社。
高い技術と安さが魅力で、アフリカを中心に、海外からの受注がたくさんあります。
朝鮮画も人気!!
資金源は他にも、航空ショーで外国人観光客を呼び込みます。
観光業で外貨獲得を狙っています。

他にも・・・大きなお財布として中国があります。
経済制裁で航空燃料を輸出することができないのですが、それが中国です。
人道的支援ということで、石油を提供し、石炭を購入しています。経済支援を続けているのです。
経済制裁が効果がないことになっているのですが・・・北朝鮮の崩壊を中国は恐れています。

①陸続きなので、多くの難民が来ることを恐れています。
②韓国に駐留するアメリカ軍と対峙することとなってしまう。
 中国もとロシアも、北朝鮮が崩壊しない程度(緩衝地帯)でいてほしいのです。
 北朝鮮に対する効果的な経済制裁は、中国をどれだけ動かせるか??にかかっているのです。



トランプ氏が大統領となることで、北朝鮮に大きな動きが・・・??
1月大統領に就任するトランプ氏のおかげで、東アジアが不透明になりつつあります。

在日米軍が撤退??
今年の6月には金正恩について・・・北朝鮮に行くつもりはないが、来るなら会うと言っています。
北朝鮮を認めるのか・・・??

そんなこんなも注目していかなくてはなりません。


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第2次世界大戦後、世界各地で紛争が起き・・・アメリカは多額のお金を使うことになります。
お金を世界中にばらまいてしまったのです。

朝鮮戦争・ベトナム戦争の勃発・・・最盛期には、50万の兵士が南ベトナムに送られました。
そして、毎日大量の爆弾を北ベトナムへ・・・!!
とてつもないお金を使ってしまいました。

おまけに南米の反政府ゲリラが・・・腐敗した独裁政権を支援します。
アフリカでもソ連側に入らないように・・・アメリカ側につくならたとえ独裁政権であろうと援助をする・・・
アメリカの仲間であれば・・・と、お金を世界中にばらまいたのです。

アメリカの持っていた金の量が急激に減ってきました。
1949年には245億ドルあった金塊が、1970年には111億ドルとなってしまいました。

はじめ、アメリカ本土にある金の価値の方が、世界中にあるドルより高かったのですが、アメリカがドルをばらまいた結果、世界中に出回っているドルのお金の量が、アメリカ本国が持っている菌よりはるかに多くなってしまったのです。

アメリカに金が無くなってしまう・・・

アメリカは居直って・・・「交換できない!!」
1971年ニクソン大統領がホワイトハウスから交換しないと宣言したのです。

「アメリカはドルを守らなければならない!!
 世界中の通貨を安定させるため、ドルと金との交換を禁止することにした!!」

これをニクソン・ショックと言います。
ドルをいつでも金に変えることができるから、ドルには信用がありました。
ただの紙切れになってしまう可能性のあるドル・・・しかし、これに変わるものがなかったので、世界のお金として使われることになったのですが・・・ドルの価値がどんどん下がっていってしまいました。
金1オンス=35ドルで交換だったものが、38ドルとなったのです。

どうする??

改めて「1ドルいくら」ということを、決めなおそうということになりました。

「固定相場制を決めなおそう!!」ということで、ワシントンのスミソニアン博物館に世界の代表が集まりました。
これをスミソニアン体制と言います。

結果、1ドル=308円になりました。
これも長続きせず・・・固定しておくわけにはいかなくなって・・・変動相場制となり・・・外国為替市場が誕生するのです。

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人生の目標に向かって・・・信念に従って・・・!!
自ら信じる美学にこだわり続け、幾多の栄光と挫折を味わいながら俺流を貫き通した男・・・マッカーサーです。

終戦後の日本に現れたマッカーサー元帥・・・連合国軍最高司令官です。
桁外れのリーダーシップで政策を推し進めます。
若いころから常にトップのエリート軍人でした。

独特のスタイルと破天荒な男!!
奇抜なファッションと個性。。。

カリスマであり、英雄にはもう一つの顔がありました。

厚木基地での有名な写真。。。

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トレードマークは帽子、サングラス、コーンパイプです。
自らデザインした帽子で、クシャッとつぶれています。

「私の記憶に残る一番古い思いでは、兵営のラッパの音だ。」
1880年1月26日・・・ダグラス・マッカーサー誕生。
アメリカ南部のアーカンソン州の兵舎で生まれました。

裕福な家庭に育った母は、いつも身だしなみに気を付けていました。

「名家に恥じぬよう立ち振る舞いに気を付けなければいけません。」

父・アーサーは、南北戦争で活躍し、英雄と言われたエリート軍人でした。

「常に勇気を持ち、男らしくあれ。」

13歳の時・・・
父を超える偉大な軍人になることを決めました。

ニューヨーク州ウエストポイントにある陸軍士官学校。
アメリカでもっとも古い歴史ある士官学校・・・エリート養成学校に1899年19歳で入学しました。
軍人になるための第1歩を踏み出しました。
やんちゃで目立つマッカーサー。

しかし成績優秀で、密かに猛勉強もしていました。

首席で士官学校を卒業します。
成績は・・・ほとんど満点でした。
得点率98%という驚異的な成績でした。

その後は、エリートが配属される工兵隊に所属し、その前途は洋々たるものでした。
しかし・・・29歳のころ。。。
陸軍参謀総長への就任が有力視されていた父が、大統領と対立し失脚・・・!!
3年後帰らぬ人となってしまいました。

遺言には・・・「陸軍による葬式を拒否する!!」
と、書かれていました。

32歳の時・・・マッカーサーにとっての英雄だった父の死。。。

「世界はその夜変わってしまった。
 私の心のいてでは癒されることはなかった・・・」

父の無念を晴らしたい!!
自分自身が何が何でも頂点に立つ!!と思うようになります。

1917年第1次世界大戦に参戦・・・
37歳のマッカーサーは、指揮官としてフランス戦線へ・・・!!
長いマフラーをなびかせた奇抜なファッションで最も派手な指揮官として有名になりました。

あえて目立ち、古いタイプの指揮官を意識していました。
司令官で部隊のイメージが決まると考えていました。

そして行動も破天荒!!
銃弾が飛び交う中でもヘルメットなし!!

戦闘になると最前線に飛び出し、危険を顧みない勇猛な戦い方でした。
戦場では・・・”銃弾もマッカーサーを避けて通るのだ!!”と伝説となりました。
戦場の指揮官としての資質があったのです。
尊敬を得、効果的に指揮することが出来ます。

指揮した部隊は次々と戦線を突破し、勝利に貢献したのです。
15の勲章を授与され、英雄とされました。

1930年・・・50歳の時に最年少で陸軍参謀総長に就任。
父の果たせなかった夢を実現したのです。

しかし・・・世界大恐慌で、アメリカは深刻な不況にあえいでいました。
フランクリン・ローズベルト大統領は・・・
軍の予算を半分にすることを要求!!
これに猛反発したマッカーサーは・・・
「次の戦争で負けて 兵士が死に際に
 呪いの言葉をはくときには
 あなたの名前を口にするでしょう」

マッカーサーはその後も度々大統領と対立し、陸軍参謀総長を解任されてしまいました。
しかし・・・新天地を求めて・・・
1935年アメリカの植民地だったフィリピン軍の顧問に就任。
フィリピン軍の創設に関わることになります。

軍事顧問を足がかりに行政長官を狙うようになります。
いずれは政界へ。。。!!


1941年、61歳の時に太平洋戦争開戦。
ハワイの真珠湾を奇襲されたのです。
日本軍はその日のうちに、フィリピン上空へ・・・!!
この時、マッカーサーは大きな過ちを犯していました。

真珠湾攻撃の一報後、部下から出撃を提案されますが、承認せず・・・戦闘機や爆撃機はそのまま残っていました。そこを日本軍に狙われ・・・わずか数分で航空部隊の大半を失ったのでした。

開戦から3週間後、日本軍はマニラを占領、マッカーサーはコレヒドール島に撤退を余儀なくされました。
この時も、持久戦になることは考えずに、食料の備蓄はほとんどなく・・・深刻な食糧難へと陥るのでした。

前線の兵はマッカーサーのことを・・・
”ダグアウト・ダグ”・・・防空壕のダグと、揶揄しました。
第1次大戦の英雄が・・・!!

しかし・・・アメリカでは、日本軍と戦う英雄となっていました。
新聞やラジオは連日マッカーサーを称え、通りもできました。
そこには・・・??
マッカーサーには、報道発表という戦場もありました。
リーダーシップの他に、個人的野望も発揮していたのです。
日本軍に追い詰められ負ける中・・・
140回報道発表しています。

なかには、ありもしないでっち上げもありました。
”日本軍の輸送船を撃沈し、多数溺死させた”

激しさを増す日本軍の攻撃・・・
コレヒドール島陥落は、時間の問題でした。


1942年3月、大統領はマッカーサーにフィリピン脱出を命令します。
絶大な人気を誇るマッカーサーが、日本軍にとらえられたら・・・???
と、判断したのです。

マッカーサーは、大半の部下を戦場に残したまま、オーストラリア・メルボルンへと脱出します。
初めての負け戦でした。

オーストラリアについたマッカーサーは・・・

「 I shall Return 」

と、演説するのです。

軍から「I」を「We」に変えるように要望がありましたが、マッカーサーは「I」と表現しました。

常にマッカーサーが背後にいる!!
Shallという古い言葉をあえて使うことで、強い決意を表現しているのです。
20世紀最大のサウンドバイトです。

「マッカーサーを大統領へ!!」

太平洋戦争中に、ポスターが作られます。
1943年65歳の時・・・1通の手紙が届きました。
共和党の大統領候補に???

マッカーサーは表向きには無関心を装っていましたが・・・
部下に自分の人気を調べさせていました。


サングラスでミステリアスを醸し出し・・・コーンパイプでアメリカを表現します。
このスタイルには、大統領選挙の意欲が感じられるのです。
1944年黙認する形で大統領選挙へ・・・!!

しかし・・・最初の戦いに負けると・・・

「私は指名を切望しないし、その受託もしないだろう」

このまま選挙戦を続け、負けることはありえない・・・!!
この頃から、自分の見え方を意識するようになります。

1944年10月レイテ島を日本軍から奪還!!
約束を守り、再びフィリピンにやってきたマッカーサー・・・
しかし、船は浅瀬に座礁し・・・服がぬれることに・・・
激怒したマッカーサーでしたが、写真を見て・・・

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水しぶきを上げ男らしい自分に気分を良くし、ポスターを作らせます。

”マッカーサーは戻った”

300万枚まかれたのでした。

1945年8月、65歳で太平洋戦争終結。

マッカーサーは、日本を統治する連合国軍最高司令官として厚木基地に到着!!
敵地にひとり、タラップに丸腰で立つマッカーサー。。。

カメラマンの前でコーンパイプをふかします。
部下の護身用の拳銃に・・・
「そんなものは外せ
 彼らが我々を殺そうと思ったら、拳銃など役に立たない
 それよりも、おそれを見せない堂々とした態度に勝るものはない」

その姿は、敗戦国・日本国民の目に焼き付けられたのでした。

一方マッカーサーは、日本を理解しようと猛勉強していました。
日本の歴史・・・天皇に敬意を払って民主化をすすめます。
その結果が、日本の力強い経済と発展への道を開いたのでした。

日本でのマッカーサーは、厚木基地に一目見ようと人が溢れかえり、1日に1000通の手紙が届いたほどでした。

この業績は、アメリカ国民にも伝えられていました。
1948年68歳で大統領選挙。
アメリカでの人気は絶大のマッカーサー。

日本にいながら、大統領選挙出馬を正式に受託します。
大統領になる夢を捨ててはいませんでした。

「ここ日本にいる限り、神秘性が保たれる」

と、日本にいながら選挙に挑んだのです。

しかし・・・1094票中11票と、惨敗でした。
そして・・・態度を一変させました。
「私は公職を求めることもないし、日本での任務を離れる予定もないと、繰り返し伝える必要があると思う」

1950年朝鮮戦争勃発!!
70歳となったマッカーサーは・・・再び戦場へ舞い戻りました。
しかし、中国の参戦を機に原爆投下をを主張したマッカーサーは、第3次世界大戦を怖れるトルーマン大統領と激しく対立します。
「マッカーサー大統領の解任は、我々の政策の遂行のために不可欠と判断した」
マッカーサー解任。。。52年にわたる軍人生活に終止符が打たれました。

その決定を下したのも、またもや大統領でした。
1951年4月、14年ぶりにアメリカに帰国します。

議会での演説で・・・

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”老兵は決して死なず ただ消え去るのみ
 いまや自分の軍歴を閉じ 消え去るのみである
 神が与えてくれた才能に従って、
 任務を果たさんとした1人の老兵として”

マッカーサーは、表舞台から去ろうとしていました。
翌日ニューヨークで行われた帰国歓迎パレードでは・・・
大群衆が!!
沿道には750万人が・・・!!
自分がまだアメリカの英雄であると実感した瞬間でした。

翌年の大統領選挙では・・・
自ら出馬せずに大統領候補の応援に・・・!!
当選の暁には、副大統領と全軍総司令官代理の地位が・・・!!
最大の敵は、自分の部下だったアイゼンハワー。

マッカーサーと並ぶ英雄となっていました。

候補者争いに勝ったのは、アイゼンハワーでした。
アイゼンハワーは、孤高の人・マッカーサーと正反対の人物で。。。
軍人たちを褒め称えました。
「I」ではなく「We」で人々の心をつかんだのです。

「I」で自分を貫き通したマッカーサー。。。
その後、政治の表舞台に立つことはありませんでした。

1964年4月5日マッカーサー死去、享年84歳でした。
アメリカ全土で英雄の死が悼まれたのでした。

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第2次世界大戦中、連合国としてともに戦ったアメリカとソ連。。。
戦後処理や復興政策の違いで対立していくようになります。

ソ連は、ナチスドイツから解放された東ドイツで勢力を広め、東欧諸国はソ連の指導下で社会主義圏を形成。

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これに対し、イギリスの首相チャーチルは、“鉄のカーテン”が下されているとソ連を非難します。それと共に、アメリカも対立していきます。

第2次世界大戦中の連合国の異質な存在だった大国ソ連。
ソ連・・・ソビエト社会主義共和国連邦です。
1917年のロシア革命により誕生したソビエト政権を経て、1922年に成立しました。

ソ連が力をつけていく中で、自由主義の代表となってきたアメリカが、経済的にも軍事的にも対抗していくようになります。
宇宙競争をはじめ、あらゆる面で対立していくようになります。
冷たい戦争=冷戦と呼ばれています。

帝国主義のような支配下に置いて植民地化にする(市場と原料を求める)領土を広げることではなく、経済・イデオロギー・・・すべてにおいて違うお互いへの危機感が、“小国が大国によって分断されてしまう”・・・という構図を招くのです。


第2次世界大戦から4年後の1949年NATO(北大西洋条約機構:アメリカを中心とする反ソ軍事同盟)結成。
その6年後、1955年には、ワルシャワ条約機構(ソ連と東欧諸国の8か国による軍事同盟)結成。
世界は、アメリカを中心とする資本主義国家とソ連を中心とする社会主義国家に二分されるようになります。
静かに睨みあうアメリカとソ連・・・
そこで起こったのは・・・朝鮮戦争。

第2次世界大戦後の朝鮮半島は、38度線で南北に分け、ソ連とアメリカが占領。
3年後の1948年にアメリカ占領地域で大韓民国成立。(大統領:李承晩)
同じく1948年にソ連占領地域に朝鮮民主主義人民共和国(首相:金日成)が成立します。

朝鮮は、もともと1910年に日本の植民地となりました。
太平洋戦争が終わり日本の支配が無くなり・・・朝鮮半島をどうするのか?
というときに・・・話し合いの結果、朝鮮を独立国家にすることが決まっていましたが・・・

敗戦間直の1945年8月8日に日ソ中立条約を破り、ソ連が対日参戦します。
満州国・朝鮮に侵攻しました。
1945年2月ヤルタ協定で米・ソ・英の間で密約されたことです。
朝鮮をどんどんソ連が制圧していく・・・これにあせったアメリカは、二つに分けて統治しよう・・・将来的には一つに・・・。

話し合いをしても決着はつかずに、それぞれの主義をもった国が登場してしまいました。
数年後・・・アメリカもソ連も撤退し・・・
半島統一の為に戦い北朝鮮・金日成に対し、ソ連のスターリンは・・・
アメリカとの戦争を危惧して許可しません。
しかし1950年・・・ついに許可をします。

なぜスターリンは北朝鮮の韓国侵攻を許したのか?
①ソ連が核開発に成功
②1949年中華人民共和国成立
③1950年アチソン演説(アメリカ不介入)
1950年、アメリカのアチソン国務長官が行った演説で・・・
アチソン・ライン(不後退防衛線)というのを示します。
これは日本やフィリピンを含むアメリカが責任を持つ郡司防衛ラインのことです。
そこに朝鮮半島は含まれていなかったのです。
必ずしもアメリカの朝鮮戦闘介入を否定したものではなかったのですが・・・


1950年6月北朝鮮が韓国に侵攻。
その数日後、アメリカが参戦。
予想外のことが起こった北朝鮮・・・
アメリカは国連を利用して、アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・トルコ・・・国連軍を構成します。
実際はアメリカ軍が主体でしたが・・・。

中国は、人民解放軍を使ってまたもや南下してきます。
丁度38度線で膠着状態になってしまいました。

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大国の思惑によって民族が分断された瞬間でした。
同じ民族同士が血を流し・・・今もまだ国が・・・民族が分断されています。

これは、世界大戦につながる可能性がありました。
マッカーサーは、満州地域を空襲しようとか、原爆を落とそう・・・と、提案していましたが・・・トルーマン大統領は、38度線を守れればいいのでは???
と、意見が相違し、マッカーサーは解任されました。
この時アメリカが攻撃していれば、第3次世界大戦が勃発していたかもしれません。


ベトナム戦争は・・・
ベトナムは、フランスや日本に1945年まで占領されていましたが・・・

1945年9月2日革命家ホー=チ=ミンが、ベトナム民主共和国建国を宣言。
しかし、フランスが戻ってきます。
南部の肥沃な地域が欲しかったようです。
傀儡政権を南政権に作ります。
しかし、インドシナ戦争に負けることとなるフランス。
ベトナム撤退などを定めた条約を・・・
1954年ジュネーブ休戦協定が結ばれます。
統一国家をつくっていこうとなっていましたが、これをアメリカが容認しませんでした。
もし南ベトナムを含むベトナム全土が共産主義になってしまったら???
カンボジア・ラオス・・・他の国々が、共産主義になってしまうことを恐れたのです。

フランスに勝利をおさめながらも、北緯17度で南北に分断・・・

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ベトナム戦争はどのようにして始まったのでしょうか?
アメリカは、もともと支援だけ・・・
北ベトナムが南へ南へと・・・進んできたので、なし崩しに始まってしまいました。
始まったのはいつか分からない・・・というのがベトナム戦争の特徴ですが、1965年に北爆し、本格的な軍事介入が始まりました。
アメリカが南ベトナムを支援し、北ベトナムの爆撃を開始・・・北ベトナムにはソ連と中国がつき、南北の争いは激化していきます。

どんどんアメリカ兵、韓国兵・・・
共産主義化を防ごうとします。
ジャングルを丸裸に!!
枯葉剤をまいて・・・泥沼の戦争を始めます。

勝ったのは、北ベトナム・・・
アメリカは撤退し、北ベトナムの政府が誕生します。
アメリカは、大量の兵を投入しながら、敗れることになったのです。

大国の思惑で始まった戦争でしたが、そこには新しい形の戦いが・・・

ベトナムの民族自決・・・独立戦争でもあり、大国・アメリカとも戦っていく!!
アメリカ・日本でも反戦運動が起き、アメリカ・ソ連・中国などの大国の思惑も外れたものになっていきます。


当時の社会では、社会主義・・・共産主義化・・・などを持っていたソ連と、自由主義のアメリカ・・・今では考えられないイデオロギーの戦いがそこにはありました。


なぜ冷戦下で戦争が起きたのか?
戦争とは、大国の思惑によって引き起こされます。
大国が大きく変わらなければ、これからも連鎖していく・・・
その連鎖はなかなか止めることは出来ません。

20世紀は、大国の思惑と、戦争を支持した民衆の悲劇の時代でした。

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