日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:松平春嶽

幕末維新と松平春嶽

中古価格
¥1,983から
(2018/10/17 23:23時点)



今からおよそ150年前、大改革が行われていました。
参勤交代は、全国の大名が二年に一度江戸へ赴き、軍役奉仕を行う江戸時代の基本制度です。
その費用は莫大で、藩財政を圧迫・・・幕末には多くの藩の財政を圧迫し、破たん寸前となっていました。
当時は異国船の来航・・・防衛力の強化と財政の立て直しが叫ばれていました。

「最早参勤交代をしている場合ではない!!」

そういったのは、越前福井藩主・松平春嶽です。
春嶽は、大胆な緩和を幕府に提案し、大名の負担軽減と防衛力の強化を叫びます。
しかし、参勤交代は主従関係を確認する幕藩体制の根幹・・・周囲は難色を示します。
国家存亡の危機を前にしても帰られないその制度とは・・・??!!

松平春嶽が、参勤交代の帰り道を書いた日記によると・・・
江戸を出て間もなく、農民たちの姿を目の当たりにして・・・

”裕福なら牛や今を使えるが、貧しいとそうはいかぬ
 もし百姓の苦労や実情を知らぬ大名がいたら、嘆かわしきこと”

一国の主たるもの、領民を慈しむ政治をしなくてはならない!!
その政治信条を培ったのが、幕末の財政難でした。
90万両もの借財があったと言われていて、自分の藩を見つめ直し、領民に対する見方を戒めたのです。
つもりに積もった福井藩の借金・・・90万両=450億円・・・。
そのしわ寄せが領民の年貢に・・・打ちこわしや一揆が頻発していました。
危機的な懐事情で・・・春嶽ですら一汁一菜でした。
粗食で耐え凌ぐ有様でした。
他の藩も同様の状況で苦しめられていました。

その最大の原因が、莫大な経費を必要とする参勤交代でした。
その旅路は宿代だけでもバカにならず、2000人のお供を連れていた加賀藩の場合、1泊で1000万以上・・・
江戸までの片道の宿泊費は総額2億円にもなりました。
少しでも宿泊日数を減らそうと、速足で駆け抜けるという涙ぐましい努力をする藩もありました。
さらに、江戸へ人質として置いていた妻や子の住む江戸藩邸の維持費も大きなものでした。
5000人もの藩士がいた加賀藩では、年間予算の半分・・・50億円を江戸で費やしていました。

それなら参勤交代の規模を縮小すれば・・・??
御用商人たちの武鑑には、各大名の名前、石高、武器の種類や数まで事細かく書かれていて・・・それが大名の格となっていました。
江戸に暮らす庶民は、この武鑑を大名行列のガイドブックとしていたので、大名たちは、お家の威信にかけて格を下げるようなことはできませんでした。
しかも、この行列は、幕府にとっても大名にとってもメリットがあり・・・
江戸に大名が来るというのは、幕府の権威を非常に高め政権が安定します。
大名同士の序列の中で、自分の家が他藩より高いか努力します。
参勤交代の道具を増やすことを幕府に嘆願し、幕府が許可する・・・
それは、幕府の恩恵を感じ、大名は同等だった大名たちに一歩先んじる努力をしたのです。

将軍との謁見でも、格に応じて畳の何枚目に座るかが決まっており、大名の努力次第で位置を変えることができ・・・参勤交代は、大名同士の格式をめぐるせめぎあいでもありました。
しかし、その制度の改革を迫る未曽有の危機が日本を襲います。

1853年ペリーが浦賀に来航。
どう対応するのか??幕閣は連日議論していました。
しかし、結論を出すことができません。
時の老中・阿部正弘は、全国の大名に意見を募ります。
幕府としては異例の試みでした。
そして、1通の建白書が幕府に届きます。
その差出人こそ、26歳の福井藩主・松平春嶽で、その内容は、幕府にとって衝撃的なものでした。

全国の大名は参勤交代で疲弊しきっております。
この国難に対峙するためには、江戸に散布する大名を帰国させ、挙国一致で軍備を整えるべきかと存じます。

春嶽は、異国に立ち向かうためには、財政をひっ迫させている参勤交代を緩和する必要があると幕府に訴えたのです。
しかし、将軍の忠誠を誓う証である参勤交代の改革を主張すれば、幕府から反逆を疑われ、処罰されてもおかしくありませんでした。
どうして春嶽は危険を省みず主張したのでしょうか??
春嶽は、本来は田安徳川家の出身で、将軍になったかもしれない立場でした。
なので、福井藩のことだけを考えてはいなかったのです。
春嶽が生まれた田安徳川家は、八代将軍吉宗に始まる家柄で、春嶽は11代将軍家斉の甥に当たり、12代将軍家慶のいとこにあたるサラブレッドだったのです。
これは譜代からは言えず・・・親藩大名の将軍に近い自分だからこそ言える!!自信と使命感に溢れていました。
しかし、幕府はこれを却下。

「幕府を人体に例えれば、大名の参勤は、骨の最大なるもの。
 骨を砕いてしまえば、取り返しがつかない。」by阿部正弘

納得がいかない春嶽は、当時最も英明と言われていた薩摩藩主・島津斉彬に自分の意見を解き、幕府説得の協力を求めます。
しかし、斉彬は春嶽に同意するものの・・・外様の自分に言えるわけがないと答え、幕府の前で突飛な言動は控えるようにとくぎを刺されてしまいます。
しかし、建白書を出し続ける春嶽。

諸大名の忠誠と服従を繋ぎ止めてきた参勤交代を緩和すれば、幕府の権威は一気に崩れ去るかもしれない・・・
そんな危機感が幕閣にはあったのです。
このまま何も変えなくていいのか・・・??
春嶽の前に大きな壁が立ちはだかっていました。

最早自分一人の力だけではどうすることもできない・・・春嶽は、行動に移します。
同じ志を抱く大名と党派を組んで幕府の政治を変えようというものでした。
春嶽は、水戸・徳川斉昭、薩摩・島津斉彬と共に、栄明と評判の高い一橋慶喜を次期将軍に推薦します。
さらに、1857年8月、江戸の藩邸に徳川家に近しい大名達と会談し、協力を要請します。
春嶽の意見を聞いた徳島藩主・蜂須賀斉裕は、神君家康公以来の法に触れるのは幕府に不審を抱かせると難色を示しました。
それでも春嶽は引き下がらない!!改革の意義を力説します。
その熱い想いにじっと耳を傾けていたのが鳥取藩主・池田慶徳です。
慶徳はその後も春嶽と会談を進め、大名の声が天下変革の響になるという春嶽の想いに共感し、幕府に建白書を提出します。
やがて春嶽達に同調するかのように幕府内からも参勤交代を見直すことが挙げられます。
特に海防を担当する海防掛大目付は改革の必要性を痛感。
「参勤交代の緩和が諸藩の出費を減らし、海防強化の一助になる」と、建白書を出しています。

春嶽が参勤交代の緩和を主張してから4年・・・改革の機運は高まりつつありました。
ところが・・・一人の男が立ちはだかります。
譜代最大の大名・井伊直弼です。
次期将軍に紀州の徳川慶福(のちの家茂)を推した直弼は、次期将軍をめぐっての主導権争いに勝利!!
そして・・・一橋派の一掃に乗り出しました。
世に言う安政の大獄です。
1858年7月、春嶽は隠居謹慎処分に・・・江戸藩邸で逼塞生活を送ることとなりました。
井伊直弼の強硬な姿勢に耐え忍ぶようにと、家臣たちを戒めます。
2年後、春嶽を謹慎に追い込んだ井伊直弼が桜田門外で暗殺されます。
幕府の権威は急速に傾き始めました。
しかし、春嶽の近親が解かれることはなく、4年にも及びました。
春嶽はどのような政治構想を持っていたのでしょうか。
虎豹変革備考・・・春嶽がイギリスの政治体制をもとに自らの政治構想を記しています。
上院と下院に分かれた議会で、幕府には行政のみを委ねる議会制度を構想していました。
上院には大名を、下院には武士や百姓町人を参加させるべきだと説いています。
春嶽は参勤交代の改革を突破口に、近代的な政治の導入を模索していたのです。

井伊直弼の暗殺から2年後・・・時代は大きく動きます。
1862年3月、島津久光が藩兵1000人を率いて上洛。
朝廷を後ろ盾にして、幕府に政治改革させようとしました。
それは、春嶽を大老に、慶喜を将軍後見役に就任させ、幕政の助けにするという要求でした。
これに慌てたのが老中たちです。
朝廷や外様大名の要求を受け入れ幕政改革が行われるような事態になれば、幕府の権威は地に落ちたも同然!!
1862年5月、春嶽は謹慎を解かれ江戸城へ登城!!
将軍家茂の元へ・・・!!
欧米列強の対応で亀裂の入っていた朝廷との関係を修復、公武合体の実現に向けての交渉役を依頼されます。
春嶽にとって、それは将軍の以来と引き換えに参勤交代の緩和の絶好のチャンス!!
しかし、幕府の権威が落ちた今、それを行うのは大きなリスクをはらんでいました。
どうする・・・??

参勤交代の緩和を今切り出すのか?それとも時期を見るのか・・・??

将軍を目の前にどう応えたのでしょうか?
春嶽は将軍自らが不退転の覚悟で幕政改革をすると約束しないならば、従うつもりはないと言い放ちました。
その上で、老中らに速やかに徳川優先の政治をやめ、大名を苦しめる参勤交代の緩和をはじめとする幕政改革を迫ったのです。

改革の時はいまを置いて他になし!!

1862年7月、将軍後見職に一橋慶喜、政事総裁職に松平春嶽を任命。

その一月後・・・幕府はついに参勤交代の緩和を布告しました。
この改正によって参勤は2年→3年となり、江戸の滞在日数を1年→100日としました。
江戸にいる間は幕府に積極的に政治的意見を具申するようにさせます。
大名妻子は帰国は自由とし、大名たちを最も苦しめていた江戸での経費削減を実施していきます。
効果は覿面!!
全国で藩政改革が進んで行きます。

大名達はこぞって軍艦や大砲を購入。
それまでできなかった軍事力の強化と産業の育成に励みます。

しかし・・・その先には、春嶽も予測できなかった時代のうねりが・・・。
それは、急速に発言力を持ちだした朝廷でした。
春嶽たちが幕政改革をし出した2か月後・・・大名に対し、帝のいる京都の治安を守るように京都警護を発令!!
幕府を通さず、天皇が直接大名たちに軍役奉仕を求めたのです。
強硬な公家・三条実美は将軍後見職の慶喜に対し、諸大名の参勤は江戸と京都で折半しようと持ちかけさえしました。
1863年2月、上洛のために家茂が江戸を出発。
開国を容認してもらうために・・・。
その交渉役を任された春嶽は、将軍上洛の数か月前から朝廷と開国容認の交渉を続けていました。
しかし、孝明天皇は認めず、攘夷実行尾を春嶽に迫ります。
交渉は暗礁に乗り上げていました。
幕府と朝廷との板挟みになる春嶽・・・

さらに盟友であった一橋慶喜との間で政治方針を巡って対立し始めました。
3月、春嶽は政事総裁職を辞任。
政治改革の道から離脱してしまうのです。
その後、日本は本格的な激動を迎えます。

1864年第一次長州征討
幕府は諸大名に出兵を命じます。
その1か月後、幕府は参勤交代の復旧を発令!!
幕府への統制力を強めようというのが狙いでした。
ところが大名たちは、国家の大事件だと困惑・・・。
春嶽にも問い合わせが来ます。

「幕命には従わなければならないが、そのまま様子を伺い、幕府から催促が来た場合には病気を口実に断ればよい」と。

春嶽から見ても、衰退は止めようがありませんでした。

1867年10月14日、大政奉還
仕える将軍がいなくなったことで、参勤交代制度は終焉を迎えます。

明治に入っていからの春嶽は、執筆活動に専念。
数々の著作を残しています。
井伊直弼のことは・・・
”徳川家の威光を盛んにせんとの志にて、決して私欲のためにやったことではない。
 彦根公の英断が今に至りては感すへし”
と書いています。

直弼の一連の決断は、幕府と徳川を思っての英断だったと振り返っています。

春嶽は、自分が行った改革を失敗だったと思っていたのでしょうか?
その真意が明かされることはなく、1890年6月、春嶽死去・・・63歳でした。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

横井小楠と松平春嶽 (幕末維新の個性)

中古価格
¥2,847から
(2018/10/17 23:23時点)

カメラが撮らえた 最後の将軍と徳川一族 (ビジュアル選書)

中古価格
¥2,915から
(2018/10/17 23:24時点)

王政復古 天皇と将軍の明治維新 (講談社現代新書)

新品価格
¥972から
(2018/10/4 17:50時点)



幕末動乱の京都・・・1867年12月9日、事件が起きました。
薩摩藩や土佐藩の兵士が、京都御所を制圧!!
天皇を中心とした新政府の樹立を宣言しました。
王政復古のクーデターです。
それから25日後の1868年1月3日、鳥羽伏見の戦いで新政府軍は、旧幕府軍に勝利し、明治維新への扉を開きました。
その中心にいたのが、薩摩藩の倒幕派、西郷隆盛と大久保利通でした。
彼等のシナリオ通りに倒幕は実現したかに見えがちですが、果たして真相は・・・??

手掛かりとなる絵が去年発見されました。
bosin小波魚青画「戊辰之役之図」です。

京都御所の鳥羽伏見の戦いの戦端が開かれた日の夕方の光景です。
舞台は、格式高い公家門です。

洋式の軍服に身を包み、門を警固する数えきれないほどの兵士たち・・・竹に雀の紋は宇和島藩です。
当時、宇和島藩は、徳川慶喜を支持していました。
戦いがが始まった時は、慶喜側の勢力が御所の要を押さえ、政局の主導権を握っていたのです。
西郷と大久保はどのようにして倒幕を成し遂げたのでしょうか?

黒船来航で幕を開けた幕末動乱の時代・・・政治の中心は京都でした。
二条城は、将軍上洛の時の宿所として徳川家康が築きました。
大広間にある四方を囲むように書かれた常緑の松は、徳川家の不滅の権力を表しています。
上段の間は最高の格式を表す”折上げ格天井”・・・太平の江戸時代を含めて、この部屋が歴史の表舞台に登場することはありませんでした。
しかし、長い時を経て、徳川慶喜がこの場所に現れたとき、時代は大きく動きました。

1867年10月14日・・・慶喜は、徳川幕府始まって以来の決断をしました。
”大政奉還”です。260年間、徳川が担ってきた政権を朝廷に返上したのです。
ところが・・・これを忸怩たる思いで見ていたのが、慶喜と対立していた薩摩と長州でした。
この時、薩摩の西郷隆盛と大久保利通はすでに、長州と共に武力討伐に動いていました。
大政奉還当日、朝廷から薩長両藩に下された「討幕の密勅」・・・
”逆臣・慶喜を”殄戮(殺し尽す)”せよ”と!!
しかし、慶喜は自ら政権を返上することで、密勅を無効にしました。
そこには、新しい政権でも主導権を維持しようという思惑が隠されていました。
西郷と大久保にとっては、どうしても食い止めなければならない事態でした。

一番大事なのは、徳川家の体制に打撃を与えること!!
残しておけば、今までと変わらない・・・
天皇の下、徳川慶喜が新たな政権の首班になる・・・。
そこには大きな大名も招集し、公議を尽くし新しい政権を運営する。
重要なことは会議で決めなければならない・・・。
そうなると、大久保や西郷が考えている大改革は発現しにくくなるのです。
二人は、志を同じくする公家・岩倉具視とともに、挽回の策を練ります。
たどり着いた結論が、大制復古のクーデターでした。

徳川慶喜の官位一等を降し、領地返上させる。

慶喜が持つ内大臣という官位を降格させることで、今後の政治活動を制限する。
全国400万石ともいわれる幕府直轄領をすべて新政府に返上、新政府のものとする。
徳川家への懲罰を天下に示すのが、大久保と岩倉の狙いでした。
具体的なクーデターの方法とは・・・??

当時の京都における幕府の警備体制は・・・
慶喜のいる二条城・・・周囲には、京都所司代を務める桑名藩の下、約400の兵が駐屯していました。
今の京都駅付近には新選組の屯所、兵士は約200人。
さらに御所の東にある金戒光明寺には幕府側最大の京都守護職・会津藩本陣が1000人!!
幕府の兵力は侮れませんでした。
そんな中でのクーデター・・・御所の迅速な制圧が重要でした。
御所の門は、外郭、内郭併せて15!!
諸藩の兵士がそれぞれの門につき、数十人単位で警護いていました。
難関は幕府側の桑名の公家門、会津の蛤門!!
しかし、不意を突いて門を押さえてしまえば、相手が御所に向けて発砲しない限りは奪い返されることはない・・・。
勝算は十分にありました。
クーデター側は、薩摩を中心に尾張、芸州、越前、土佐・・・山内容堂、松平春嶽などの慶喜と気脈を通じている
大名も参加していました。
彼等は、岩倉から次の政権にも慶喜を参加させるという条件のもとに、クーデターに同意していたのです。

そして決行の日・・・12月9日午前10時・・・。
武装した兵士たちが、御所への侵入を開始しました。
難関の一つ公家門の桑名兵は数十人・・・不穏な形勢に薩摩藩の到着前に退去。
蛤門を守っていたのは数十人の会津兵・・・。
不意を突かれた彼らは、土佐藩兵に門を明け渡し退去。
クーデター側は、完全に御所を制圧!!
王政復古の大号令が発布されました。

朝廷の最高官職である摂政、関白、そして将軍職を廃止する!!
天皇に直属する中央政府を創設し、総裁・議定・参与を政権を担う。
皇族や公家、クーデターに参加した大名だけでなく、大久保や西郷たち藩士も参与として登用されました。
大久保は、この日のことを興奮をもって日記に書いています。

我が兵を以て 禁闕警衛の様 未曽有の壮観 見る者肝を失う

クーデターは成功しました。
しかし、大久保は、この日が25日間に及ぶ熾烈な権力闘争の始まりだとは知る由もありませんでした。
どうして、大久保、西郷は執拗なまでに、慶喜を排除しようとしたのでしょうか?
①慶喜の能力、行動力への恐怖感
②下級藩士の大久保、西郷は新政府での主導権を握りたいという野心

武力衝突をしないで、大政奉還という安全策をとった慶喜・・・
大政奉還は、損を確定させる安全策でした。
しかし、それは経済的には合理的な方法で、この期に及んでこの方法をとれる慶喜が、恐怖の対象だったのです。

西郷、大久保は、自分が日本のすべてだと、自分で代表できません。
天皇というフィルターを通すことが必要でした。
大政奉還によって、慶喜もその方法をとってしまったので、より分かりやすく排除する必要がありました。

どうして簡単にできたのでしょうか?
それは、この王政復古の大号令が、事前公開クーデターだったからです。
松平春嶽達には、「慶喜は議定という役職で参加させる」と、うそを伝えます。
これが慶喜の耳にも入り、恭順の道をとるのですが・・・強硬派である会津・桑名藩にはこの情報は漏らしませんでした。
考えたのは、岩倉、大久保たちだったのです。

クーデター当日の午後4時・・・
武装した兵士たちが取り囲む中、紫宸殿の北東にある小御所で、慶喜の処遇をめぐる会議が開かれました。
小御所会議です。
三部屋続きの広間で、公家や大名たちが議論します。
ここには岩倉は入っていますが、大久保たちは下の部屋・・・。
身分の差から、基本的に発言は許されていませんでした。

会議は紛糾します。
慶喜の失政を責め、新政府入りを阻もうとする岩倉達倒幕派。
話が違うと、土佐・山内容堂が真っ向から反論します。
「大政奉還という大英断を行った慶喜公を、この場に参加させなくては公議の意味が失われる!!」
越前の松平春嶽も続きます。
「徳川氏が数百年にわたって朝廷を助け、政治を行った功績は、今日の罪を覆う」と。
徳川擁護の理路整然とした主張が会議を支配しようとしていました。
その時・・・大久保が!!
「幕府の失政は重税に値す!!
 慶喜の官位を貶し、所領を収め、それに不平を言わず応じることがなければ、新政府入りは認められぬ」

大久保や岩倉は、厳しい条件を突き付けて、丸裸に資、一旦は新政府に完全服従すると意思表示させる・・・
耳目を一新する!!
世の中が変わったんだということを、日本中に知らせて、改革を覚悟させようとしたのです。
外で警護を担っていら西郷は・・・
「短刀一本あれば片が付く」と、岩倉達に伝えて鼓舞しました。
そんな岩倉は、慶喜の参内を拒否!!
徳川擁護派も頑強に抵抗!!
春嶽は、国元への書簡にこう書いています。
”死しても我魂は 守護天幕する”・・・と!!
激しい議論の末、慶喜の辞官納地については、春嶽らが交渉したうえで慶喜から返上を申し出るという穏便な形でおさめられました。
大久保や西郷にとってクーデターの結果は、苦い勝利と終わりました。
さらに・・・12月12日、思わぬ事態が・・・
春嶽との交渉も始まらないうちに、慶喜が会津、桑名の大軍と共に大坂へ・・・!!
このままでは辞官納地は棚上げされかねない・・・大久保と西郷の危惧は深まります。
おまけに、大名達が新政権に背いてしまったら、完全に薩摩は孤立してしまう・・・!!
12月24日、西郷と大久保は、更に大きな後退が・・・!!
”先刻の大名は話し合いのうえ、新政府の財政のため領地を提供する”事が決まりました。
徳川以外の大名も領地を提供することになれば、徳川だけ領地を召し上げ懲罰を天下に示すという目論見は吹き飛んでしまう・・・!!
12月28日、慶喜、新政府の決定を受け入れる!!
官位は返上するものの、徳川の権威は維持したまま新政府に入るという道が開けたのです。
風向きの変化に動揺したのか岩倉は・・・
「自分は最初、討幕論だったが、大政奉還で慶喜公を見直した。
 新政府には不可欠な人物である。」と漏らしています。
徳川擁護派にすり寄るかの岩倉の態度・・・
西郷と大久保は次第に窮地に立たされていきます。

薩摩藩上屋敷・・・この地で政局を揺るがす事件が起こります。
1867年12月25日、薩摩藩邸焼き打ち事件!!
旧幕府の治安部隊が、薩摩藩邸を焼き打ちしたのです。
発端は一月前・・・
江戸市中の豪商が、浪士団に襲撃される事態が横行!!
治安部隊は、浪士たちが薩摩藩邸に匿われていることを突き止め、引き渡しを要求!!
しかし、これを薩摩藩が拒んだことで、焼き打ちとなったのです。
従来、この件は、武力討幕のきっかけを作るために、西郷が浪士を使い旧幕府軍を挑発した謀略だとされてきました。
ところが・・・近年異なる説が・・・。
根拠となるのが、このことを聞いた西郷の書簡に・・・
「大いに驚愕している
 残念旋盤の次第」と書いているからです。
西郷は、この件には関与していない・・・??
薩摩にとっては、予想もしなかった事態に・・・!!

大久保の武力倒幕か・・・??
西郷の薩摩に帰って時期を待つのか・・・??

1868年1月2日、旧幕府軍、京へ向けて進発!!

目的は、敵対する薩摩藩士を新政府から排除すること・・・!!
巨大は軍事力を擁した慶喜のデモンストレーション!!
西郷、大久保、どうする・・・??

決断が下されたのは、クーデターから24日目・・・1月2日でした。
大久保の日記には・・・
慶喜は上京して薩摩の罪を問うつもりだろうが、その機先を制して戦に決する!!・・・と!!
旧幕府軍の上洛を阻止せよと朝命を受けた大久保に西郷も同意!!
ここに、武力倒幕が決まりました。
御所から10キロ・・・伏見区小枝橋・・・薩摩・長州両軍は、藩兵を布陣させます。
そして・・・1月3日夕刻・・・進軍してきた旧幕府軍に薩摩の大砲が火を噴き、鳥羽伏見の戦いが始まりました。
周到に陣地構築していた薩摩兵の前に、旧幕府軍は不意をつかれ、次々とうち倒されていきます。
初戦の勝利によって戦局は大きく動きました。
日和見をしていた公家たちは、鳥羽で維新派が勝ったと知り、岩倉や討幕派の公家たちに面会を求めます。
1月4日・・・戦場に錦の御旗が・・・慶喜追討が発せられます。
諸藩は雪崩を打ったように新政府軍に・・・!!

土佐・山内容堂も・・・「この上は、朝廷の御沙汰次第に・・・」と、答える以外にありませんでした。
武力倒幕という危険な賭けにまで出て、西郷、大久保が手に入れたいものとは何だったのか・・・??

全国の藩主が版籍奉還・・・
この精神があったようです。
”一君万民”の体制を作ること・・・天皇の下に、日本の全人民を結集できる体制を作ること。。。
挙国一致体制を作れれば、西欧からの圧迫も跳ね返せるのでは・・・??

明治維新へと至る25日間の戦い・・・
勝敗を分けたのは、この国の形を根底から覆そうという西郷と大久保の固い志でした。



↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

大政事家 大久保利通 近代日本の設計者 (角川ソフィア文庫)

明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ

新品価格
¥1,620から
(2018/10/4 17:52時点)

幻の宰相 小松帯刀伝(改訂復刻版)

新品価格
¥2,052から
(2018/9/15 08:54時点)



御無沙汰していました。
プライベートが忙しくなって、なかなか更新できない私ですが、やっぱり魅力的な作品は筆も進むわなあ・・・とも思ってしまいます。
今回は、あの薩長同盟です。

フランス公使ロッシュとの会談で舞うお芳・・・
この大河では、妾ではなく側室ってことになってるんだから、こういう色的な要素失くしませんか??
もっと本当の芸妓を連れてくればいいんだよ・・・。
この大河では、緊張感のある交渉であってほしいと願ってはいけないのだろうか??

京都に迫ってくる軍艦・・・
慌てる京都の人々・・・その要求は、兵庫の港を開港せよということ&長州征伐らしいんですけど・・・
開港と長州征伐は一緒ではないと思うんですけど・・・この大河ではすべてが一色たんになってしまっているし、吉之助はやっぱり戦うのが嫌なようです。
そんなに長州征討が大切なんだろうか・・・こんなに時間を割くのもなあ・・・。

そして浅はかな岩倉具視・・・。

いきなり胃痛になった一蔵・・・
お妾さんの・・・おゆうのもとへ。
またキンチョー感が消えちゃったよ・・・。
女が悪いって言ってんじゃないんだよ。
もっとかっこよく粋に書いてくれないかなあ・・・。

そこで一蔵の書き物に目を通し、感動する吉之助。
そこには、”非義の勅命は勅命にあらず”とありました。
=天子様が許しても、天下万民が納得しなければ勅命じゃないんだと!!

こんな書き方して、”倒幕の密勅”の時どうすんだよ・・・。
倒幕の密勅が全てなのに・・・!!

おまけに、外で盗み聞きして「こんな事は止めて!!」というおゆう・・・。
この展開もサゲサゲ~~!!
盗み聞きなんてはしたない真似みんなしてどうすんだよ・・・。

この写しが広まっていきます。
これは、密書なんじゃないの??
岩倉具視、「やりおったなあ~~!!」なんて言ってますが、この密書だけでなにを「やりおった」んや??
もっと、お上品にしてください。
お・・・慶喜にも知られてしまいました。
「芋侍が・・・!!」と怒っていますが、この時点で薩摩、アウトです!!
西郷切腹、薩摩おとり潰しもんだろ・・・??
どうして野放しにするんだよ・・・慶喜!!
密書にしとけよ~~!!

その密書は、桂小五郎に手にも・・・!!

吉之助から龍馬へ、商い・・・つまり武器の輸入の話になってます。

なんだかなあ・・・戦うのが大嫌いな吉之助なのに、いきなり武器の話??
おまけに桂さんと手を組みたいと言い出しています。
この時点で、長州と手を組むことが、薩摩にどれだけの利があるのか??
私の記憶が正しければ、もうにっちもさっちもいかなくなって、幕府と戦う武器も無くなった長州が、龍馬を頼って薩摩を通して武器を手に入れる・・・ここに、薩摩と長州が手を組むことになると思うんですけど・・・。
この時点で、武器を手に入れてあげる薩摩の方が上なんですけど・・・??
こんなあぶないテロな藩・長州と、平和論者の吉之助がどうして手を組みたいと思っているのか全く理解できません。

吉之助の命で、桂のもとへ向かう龍馬。
商品はミニエー銃でした。
首を縦に振らない小五郎を、写真で説得する龍馬。
もっと世界に目を向けろということなんでしょうが・・・。

年が明けて・・・京都にやってきた桂小五郎。
もちろん、会いに来たのは吉之助でした。

「長州は薩摩のために朝敵にさせられた!!」なんて小五郎が言ってますけど、御所に向けて発砲し、自ら朝敵となったのは長州の方なんじゃないの??
なんでこんなに長州藩が高飛車なんだよ・・・
この時、長州はホントに武器弾薬が欲しかったんだよ・・・??

で・・・この薩長同盟を国父・久光に聞く時間がないと悩んでいる薩摩のみんなですが・・・
小五郎も、恥を忍んで言ってるのだから・・・と、情に訴える吉之助ですが・・・情に訴えたらあかんやろ??
なんてったって、策士なんだから・・・。

毎回言ってますけど、いくら挙国一致で立ち向かうとはいってもそれは国外の相手というだけで、中にはいってしまえば彼らの国は藩なんだから・・・
藩の存続を第一に考えるのが普通でしょう。
そんな中、薩摩は泥船となった長州と手を組むわけだから、どうして手を組んだのか??ってとこをきっちりやってもらわないと何がなんだかわからんわなあ・・・。

御花畑屋敷にやってきたみんな。
??ところで、小松帯刀の屋敷って言ってますけど、こちらは近衛家の別邸です。
近衛家に別荘を借りることができるほど親密な関係だったということです。
この大河では何にもしていない小松帯刀どんですが、本当はこの人が全てを取り仕切っていたんです!!

don















頭を下げるまでは何も言ってはならん!!
時が過ぎるばかり・・・。
反対してバタバタとやってくる薩摩の仲間たちに、長州と手を組むのは日本を守るためだと言い出しました。
??
日本にテロを巻き起こしたのは長州ですよ??吉之助!!
おかしくないかい??

もめてるとこにいきなり伊藤俊輔に写真を出させる吉之助です。

don2















イギリスに行った若者は、薩摩も長州もなく仲良く頑張っているということで、こちらも仲良くしようと一件落着・・・。

もうどうでもええわ・・・な展開でした。
ほんま、緊張感ないわ~~この大河。
幕末のピリピリ肌を刺すようなそんな緊張感が~~!!

don3















で・・・西郷が頭を下げて一件落着なのでした。

薩長同盟成立!!

don4















ほんと、全てにおいて、薩摩が下手に出た薩長同盟でした。

この薩長同盟、”同盟”って言ってますけど、ただの口約束だったと言われています。
なので、正式な文書としては残っていません。
残っているのは、もう後のない長州が、”薩長同盟”がなったことに喜んで・・・
その証拠を残しておこうと”話し合った事”を小五郎か書き付け、その証人として龍馬に裏書してもらっています。

そして、薩長同盟が成ったことをどれだけ小五郎が喜んでいたか・・・それは手紙にも残っています。

薩摩としては日本で幕府を倒そう!!なんて気持ちはなく、そこまで考えずにただのリップサービスだった薩長同盟というのが最近の通説になってるんですけどね・・・。
ま、リップサービスってなってしまうと重みもなにも無くなってしまうので、重厚には書いてほしいですけどね・・・。
挙国一致・・・こんな形になってしまうとは、斉彬もビックリ!!でしょう。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ 

龍馬を超えた男小松帯刀

新品価格
¥1,904から
(2018/9/15 08:55時点)

明治維新 司馬史観という過ち

新品価格
¥1,620から
(2018/9/15 08:55時点)

島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵”であり続けた男の真実/安藤優一郎【1000円以上送料無料】

価格:1,728円
(2018/8/20 14:52時点)
感想(0件)



ああ・・・もう、どうでもよくなってきたと言えばダメでしょうか?
またもや結婚とかの回です。

「たった今、勝ち目が見えもしたで・・・」とかなんとか、何が勝ち目なんだか・・・と思うが、そう思った吉之助。
政治的にどうするのかと思いきや・・・
訳の分からんまま、長州征討を一人で終わらせ、未来の将軍・慶喜にドス突き立てて帰ってきました。
う~ん・・・この時点で、西郷吉之助切腹でなくその場で斬り殺され??薩摩藩おとり潰しだわよ・・・。

その活躍ぶりは、薩摩に広まっていました。
みんな、年上の人も頭を下げて、「よしなに・・・」と、土下座をする始末。
それをしないでくれと頼む吉之助の紳士的な行動がスゴイのかな??
目上の人が・・・それも薩摩隼人が頭を下げるなんてもってのほかなんじゃないの??
と、斜めに見てしまう・・・。

吉之助はすでに次の一手を見ていたというけど・・・。

don















「もう・・・幕府に日本国を任せておくことは出来ん・・・」
なんて、一蔵に言ってます。
幕府に滅ぼされると・・・!!
でも、京都が無残な焼け野原になったのも本当は長州のせいだし、幕府が守りたいのは徳川だけとか言ってるけどそれは違うし・・・。
日本国は俺らが守らねば・・・!!
などと、言い出しています。
う~ん・・・
幕府を潰そうなんて、この時点で誰も考えていませんでした。
当時は、国と言えば、薩摩、長州のことであって、日本国のことではないんです。
つまり、薩摩が寝返ったのはもっと後で、幕府側と長州を天秤にかけ、最後の最後に幕府を裏切った・・・裏切ったのは、薩摩の方なんです。
でも、そこには、薩摩藩の生き残り作戦があって、それを悪とするのもダメですけどね・・・。

で・・・鑑賞にふけりながらまたもやウナギとりをしていたら、義理の姉にこき使われている糸を発見!!
ああ・・・もういいよ・・・朝ドラみたいなこと・・・。

相変らず貧乏な西郷家・・・ボロボロです・・・。
でもね、そんなボロボロな家で恥ずかしくないのかと思う。
こんな立派な兄のところへ嫁に来られてよかったと、弟の嫁が言っていますが・・・。
そんな立派か??
ダメな男のことを「うだつのあがらぬ男」って言うじゃないの?
家を建ててこその一人前じゃないのか??と思っていたら、嫁取りの話になってしまった・・・。
ま、嫁取りも一人前の証拠だからなあ・・・
と思っていたら、吉之助の嫁になりたいという女性が殺到してきました。
ああ・・・そんなこんなもどうでもいいわ・・・

don2















そこへ、雪篷も島からやってきて、ワイワイガヤガヤ楽しそうな、でもどうでもいい一コマでした

参勤交代が再開されたのは、吉之助のせいだと怒る久光
「お前のせいじゃ」×③!!って、バカ以外の何物でもないやろ・・・こんなコント仕立てのエコーな演出・・・。
演者さんの力量をもっと信じてあげればいいのに・・・
この件について、非は自分にあると土下座して久光に謝る→土下座した西郷にあからさまにいい気分になる久光→すんなり久光に謝ったことをご機嫌を取ったと思って怒る一蔵→「いかにも・・・」by吉之助
という、そんなこと・・・”土下座してご機嫌を取る”だけで、凄いのか??吉之助!!
もう既に、長州と手を組むことを考えている吉之助・・・。
そのためなら、国父様の気持ちを動かす、媚も売って謀もして、偽りの涙を流すそうだ・・・。
口で言わずに体で・・・芝居で表現してくれよ・・・。
頼む・・・そうすれば、役も薄っぺらではなく骨太な西郷吉之助になれるのにね・・・。

そんな話をしているところを桂久武にボーイズラブと勘違いされるというバカげた演出も止めてくれ!!
ちょいちょいこんなの入れるの遊びのつもりなのかな??
ボーイズラブ関係入れるなら、もっと京の政治や人間関係をしてくれよ・・・!!
だから嫁を取れと言われているように思う。。。

で・・・この嫁取りの話で1話終わってしまった・・・。
ま、みんなが知っているのでなんの感動もなかったですが・・・糸が嫁に来るんですが・・・違和感大ありでした。
糸は、離縁されて実家に帰ってきていました。
実家に糸の居場所がなかったのは本当かもしれません。
あ・・・史実では、吉之助と糸は再婚同士だったのでは?と言われていますが、16歳違いとなっています。
このドラマでの離縁の理由は「子供ができないから」という理由でした。
嫁をとれ、嫁をとれ!!と、みんなではやし立てた理由は、西郷家の人手不足と跡継ぎを・・・!!ということがメインだったのに、糸が出てきた途端にその「跡継ぎ」の話がどっかに飛んでしまいました。

今でも男の子を・・・!!という家も多い中、”子供のできない出戻り”設定なら嫁には絶対にもらわないでしょう。

「翔ぶが如く」では、吉之助の最初の妻・俊(名前が須賀どんではないんです)が、吉之助の留守を守っているんですが流産してしまいます。
で・・・「旦那様に申しわけない」と、自ら身を引きます。
実家に迎えに行く吉之助ですが・・・実家では親戚に預けていると、帰ってもらいます。
が・・・襖の向こうで泣く俊・・・。
今なら・・・吉之助を追いかけるか??と、家族に聞かれ、偉くなって帰ってきた旦那様に恥をかかすわけにはいかないと、二度と会うことなく別れるシーンがあります。
何が本当かはわかりませんが、これこそがみんなの求めているシーンなんじゃないかと思うんです。

都合よく好きになってもらったり、都合よく引き下がってもらったり、でも、会いたいからって何度も会いに行くとか・・・
西郷どんでは女性があまりにも現代的で訳が分かりません。
もちろん、”好き”って気持ちは大事だけど、それと同じくらい当時は”跡継ぎ”が大事だったと思います。
愛加那の子がいるからもういいと、思っているのかどうか知らないけど、例えば糸の離縁の理由がもっと違っていたらすんなりお祝いできたかもしれません。

don3















もう・・・どうでもいいけど、結婚する二人でした。
この大河ドラマを見ていて思いました。
糸の良いところは今でも足が速い事だそうです。
実際には薩摩藩士・有川矢九郎が、妻のいとこにあたるイト(糸子)をいきなり連れて来て、西郷に了解させたと伝わっています。
当時は恋愛なんてなくて当たり前の時代だったんでしょうが・・・

惚れて結婚する設定なら、足の速い・・・そんなところに惚れたのか??
もっと糸の良いところを好きになってやれよ・・・。

こんなところでも人物の掘り下げが足りないんじゃないか?と、満足できない私なのでした。

この頃になってくると、幕末の志士たちがわんさか出てくるはずなんだけどなあ・・・
それを見ているだけでも面白いのに・・・残念!!

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ 

島津久光=幕末政治の焦点【電子書籍】[ 町田明広 ]

価格:1,566円
(2018/8/20 14:53時点)
感想(0件)

素顔の西郷隆盛 (新潮新書) [ 磯田 道史 ]

価格:885円
(2018/8/20 14:53時点)
感想(0件)

大河ドラマ 翔ぶが如く 完全版 DVD-BOX全巻セット

価格:38,880円
(2018/8/9 14:47時点)
感想(0件)



西郷どん・・・なんだか見ていて全く理解できず、虚しくなってしまいました。
そんな第28回「勝と龍馬」でした。
小栗旬さん大好きなのに・・・その大好きな小栗旬さんをもってしても、私の興味は薄れてしまったの・・・??
銀さんの方が、一本筋が通ってたりして・・・??

で・・・お話は・・・??

禁門の変の時に右足を負傷した吉之助、幕府軍の圧勝に終わったんですが、しかし戦火は京全体に・・・!!
薩摩軍は、長州の残した兵糧米を炊き出し、負傷した長州兵も治療しました。
ということで、とってもいい人な吉之助です。

焼け野原になった京の都を見て呆然とする吉之助・・・。
死んでいった人を思いやる吉之助。
瓦礫の中から犬を助け出す吉之助。
「お!!この犬があの犬か??」byわが家のパパ。
あの犬・・・??そうそう上野の西郷さんが連れている犬です。
緊張感も全くないし、笑っちゃったわ・・・。

そこにたたずむフキどん・・・
慶喜の側室なんだったら、もうフキどんって言っちゃだめでしょ?
それに、そんな綺麗なベベ着て・・・不釣り合いなんだよ~~~!!
と、地底の果てまでゲンナリ・・・。
とと思っていたら、どうしてこんなことになってしまったのか?誰が悪かったのか??と、フキに追及されます。
う~ん・・・そういう問題じゃないんだよ・・・。
と思っていたら、「みんなじゃ・・・」と言い出す吉之助。
おもんないんだよ・・・。
みんなそれぞれの正義のために戦ってんじゃないの??
だから、誰のせいでもなくって、生みの苦しみって思いたいのよね・・・

長州征伐にイケイケどんどんな慶喜・・・
「長州許すまじ!!天子様の勅命じゃ!!」と言い出しています。

吉之助と小松帯刀の話を襖越しに盗み聞きするお虎・・・
これが密偵なら緊張感があるし、花燃ゆの文なら女主人公だからな・・・盗み聞きしないと話が進まないのか??って思うけど、こちらは男性主人公の西郷吉之助であり、明治維新になってもその中心にいる人物なんですけど・・・??「なんで盗み聞きやねん・・・はしたない・・・」って思っていら、ケガやのに動いたらあかんとか言い出して・・・なのに、拒否されると「わかりました。すぐに駕籠を呼びますさかい・・・」なんて言い出しコントする・・・。止めるなら、命をかけて止めてみたら・・・??
こんな間延びした雰囲気もNo thank youです。



慶喜にべらんめえ調ではなす勝さんもNo thank youです。
ここに出てくる人は、節度ってもんがないんでしょうか??
ほんと、折り目正しい日本人が・・・困ったもんです。

そこへ吉之助が来て勝さんと初めての出会いでした。
呼び出されていた吉之助は慶喜とお話し中・・・
そんなところへフキが乗り込んできて、
また戦をするのか?とか言い出しました。
目の前で町が焼け、民が苦しんでいるのが見えぬのですか?と、ウザい限りです。
戦などやめてください、西郷さまからも言ってください!!
と言われた吉之助は・・・
「口を慎みなされ、ここは、女子の来るとこじゃなか・・・!!」と、言いました。
う~ん・・・吉之助が変わったと表現したいのでしょうか?
それにしても、みんなの味方の優しい西郷さんで突き通すんじゃなかったのか・・・??
ブレブレな西郷さんな気がします。
女性を無碍にしただけで、人格が変わったことを表現したいのでしょうか??
違う気がする・・・。

”勝海舟を説得しろ”と吉之助に命令する慶喜。
う~ん・・・慶喜・・・勝海舟は幕臣なんだから、どうして吉之助に頼むの・・・??

勝を訪ねて行った大坂には坂本龍馬がいました。
あ~~~この呑気な音楽、なんなんだ・・・恥ずかしい・・・。
やめてくれよ~~~!!

don















これ見よがしにピストル見せんのもおかしいんじゃないの・・・??
刀然り、ピストル然り・・・抜くときは殺すときだよ・・・??
そんなこと、したのかなあ・・・龍馬。
そこへ、めっちゃフレンドリーな勝海舟登場!!
なんか・・・この場面の音楽・・・ほんと・・・なんじゃ・・・。

don2













色々話してますが、内容が薄すぎて頭に入ってきません。
現在勝海舟がどんな立場の人間なのか??
今現在、政治がどうなっているのかわからないからです。
でも、ここだけはわかりましたよ・・・

「なるほどな・・・あの島津斉彬さまが見込んだだけのことはある!!」by勝海舟
どの斉彬だよ・・・??
「俺が斉彬さまならこう言うね・・・もう、幕府なんざ、見限るこった!!」
と、慶喜の書状を火鉢にくべてしまいました。

「俺の書状を燃やしやがっただと・・・??!!」

と、相変らず品のない慶喜です。
勝には軍艦がある、万が一江戸城に向けられたら・・・??と、いきなりな話をし出す吉之助。
どうして軍艦でやられると思うんだよ・・・。
勝が嫌がるから、長州征伐を言い渡された吉之助。

don3















戦をするのが嫌だというかと思ったという慶喜に、
「たった今、勝ち目が見え申したで・・・
 おいにお任せくださいませ」と言い出す吉之助。
だ・か・ら!!どんな勝ち目なの??
何が何だか理解できないのは、私が阿呆だからか・・・??

ってことで??
総大将は、前尾張藩主徳川義勝です。
この人も、いろいろ考えがあって行動しているはずなのに、なんとも阿呆に表現されています。
なんでこんなにバカな感じにするかなあ・・・??と思っていたけど、旦那が言いました。

「まあ・・・300年近く、戦ってないんだからこんな感じかもなあ・・・」と。
う~ん・・・そうかもしれないけど、それをドラマ化はして欲しくないよなあ・・・。

密偵を放つも、もう帰ってきています。
見せ場になるあんなこんなを全部カットするから緊張感が全くなくなるんだよ・・・。

おバカな義勝のもとへやってきて、長州に行きたいと言い出す吉之助。
みんな戦を望んでいないとか言い出し、一人長州に出向いて、戦わずして終わらせてみせると言い出しました。

don4















岩国に、単身で乗り込む吉之助。
返すものがあると、先の戦で傷つけた兵を養生させておいたと連れてきました。
ここはある程度事実です。
やっぱり、結局いいひと設定なんだ・・・吉之助。

ということで、西郷さん一人で申し状に従うと、決めてきました。
吉之助一人で長州を倒したそうだ・・・。
それでも、手助けをしただけだという吉之助。

戦争をすると思っていたのにしてこなかったことに「失望した」という慶喜・・・。

そうなんだよね・・・
この長州征伐は御所に向けて発砲した長州に対して、孝明天皇が怒り遊ばしたことが発端で・・・
慶喜はそんなに戦いたくはなかったと思っています。
でもね・・・この時に長州をたたいておけば・・・!!と、幕府側が後に思うのも事実です。

慶喜に楯突いた吉之助は「腹を切れ!!」と言われ・・・

don5















決別します。
ああ・・・この演出も興ざめです。
高倉健がしてそうですよ・・・
あ・・・誤解のないように、高倉健さんは私の一番の俳優さんです。
命のやり取りをするヤクザが多かった健さんです。
背筋がピンと伸びて、着流しがとっても似合うギラギラとしたいい男・・・
それを思うと、ギラギラしていない吉之助は命のやり取りをしてないからだろうなあ・・・

で・・・腰を抜かし、「くっそお~~!!」と悔しがる慶喜。
みんな、ホントに品がないんだよなあ・・・

吉之助は徳川だけが残るのではなく民のために・・・と言っとりますが、この時点では、そんなに幕府を見限っているわけでもなく、長州と仲良しなわけではありません。
禁門の変後・・・長州の人たちは、こんな思いでした。

satuma

















「薩賊会奸」と、下駄に書き、それを踏みつけて・・・憎んで再起を図るわけです。
当時の藩は=国で、みんな自分の国のために戦っているわけで、「民のため」に戦っているわけではありません。
吉之助も、薩摩藩の利になるように働いているわけです。
この幕末明治にかけて、薩摩藩が一番うまく立ち回ったと思います。
日和見というか・・・。
元々倒幕だった長州、佐幕だった会津・・・そして、佐幕だったのに倒幕に寝返った薩摩!!なんです。
私は小さい頃からやっぱり佐幕が好きで、でも、一貫している長州も好きで・・・寝返った薩摩は嫌いでした。
でも、国を守るために清濁を併せ飲んだ結果、国を守るために佐幕から討幕に寝返ったわけで、そこには西郷隆盛という男の才があったと思います。

ドラマとして・・・この時点で長州を思いやっている時点でアウト!!
なんでもいがみ合っている両者が手を組むからこそドラマがあると思います。
もちろん、薩摩も幕府も確固たる信念をもって動いていました。
そこらへんも書いてほしいのは山々ですが、そこら辺を目をつぶったとしても、薩摩と長州がいがみ合っていないと話は全く面白くないのが現状で・・・龍馬が頑張る必要は1000%要らないわけです。

ドラマとしても面白くない、間延びした・・・
「西郷どんは凄い!!」と言いながら、その凄さを何に求めているのか・・・??
全くすごくない西郷どんが仕上がってしまいました。
西郷隆盛は策士であって、軍人です。
これから戊辰戦争、明治維新、下野、西南戦争・・・どうやって表現するのか??
「民のため」とか、「戦いはしたくない」と連呼すればするほど、担ぎ上げられてなんの能力もない・・・つまり、凄くない西郷どんが仕上がっていっていますよね

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ 

司馬遼太郎全集(第35巻) 翔ぶが如く 1 [ 司馬遼太郎 ]

価格:3,669円
(2018/8/9 14:48時点)
感想(0件)

西郷どん 完全版 第四集【Blu-ray】 [ 鈴木亮平 ]

価格:14,303円
(2018/8/9 14:49時点)
感想(0件)



このページのトップヘ