日本資本主義の父・渋沢栄一
およそ600の事業設立に加わり、東京ガス、帝国ホテル、日本銀行、キリンビール・・・多くの一流企業の根幹を作り上げました。
その渋沢栄一に肩を並べた男がいます。
銀行家・松本重太郎です。

彼につけられた異名は、西の渋沢栄一でした。
しかし、そんな彼の晩年は、知り合いの大工が善意で貸してくれた貧しい借家で、ひっそりとその生涯を終えるのです。
西の渋沢栄一とまで呼ばれた男が、どうして・・・??

明治11年、織物業で莫大な財を築いた松本は、それを元手に第百三十こ国立銀行を設立。
当時半休だった土曜日を全日営業、送金手数料無料など、常識破りの企画をいくつも実行・・・!!
周辺の銀行を次々と買収。
設立20年時には、預貯金&貸出額で住友銀行と肩を並べました。
メガバンクに成長し、関西経済界の重鎮となった松本は、大阪・堂島に贅を尽くした和館や洋館の並ぶ大豪邸を作り、栄華を極めました。

明治17年、順調に銀行を拡大していた時・・・新しい事業を・・・!!
鉄道!!
阪堺鉄道(現南海電気鉄道)、浪速鉄道(現JR片町線)、阪鶴鉄道(現JR福知山線)などの敷設に参画。
大阪紡績(現東洋紡)、大阪麦酒(現アサヒビール)、明治生命保険(現明治安田生命)など、12社で経営トップとなりました。

栄光からの転落は突然でした。
取り付け騒ぎが・・・
明治34年、未曽有の金融危機が起こります。
銀行がつぶれるという噂が流れ、国民が銀行から預貯金をすべて引き出しだしたのです。
松本の銀行も、急激に資金繰りが悪化・・・紡績業の輸出大不振・・・!!
松本グループは大赤字に・・・!!

他の銀行に支援を求めようにも、経営拡大の為に業界の暗黙の了解を破ってきたことが、仇となっていきます。
ひとりだけ・・・??

「私の会社、すべてが極めて厳しい状況です。
 どうか、お力を貸していただけないでしょうか?」

松本が助けを求めたのは、後の富士銀行となる安田銀行創始者・安田善次郎でした。
松本のライバルでした。
当時、数々の経営難の銀行を再建し、”金融界の救世主”と呼ばれていました。

「松本さん・・・
 あなたは、豪華な家屋や美術品を持っていると聞きましたが・・・
 それをひとつ残らず売る覚悟はありますか?
 私財をすべて経営再建の為に捧げる覚悟はありますか」

「覚悟をしてここに来ました!!」

松本は、社員の為に自分の地位や財産をすべて投げ打ち、ライバルである安田に経営権をすべて渡しました。
経営から手を引いた松本は、二度と表舞台に立つことはありませんでした。
後に、彼はこんな言葉を残しています。

「この松本はどうなっても構わない
 仕事が潰れば、結局松本も残るわけですから」


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