日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:桂小五郎

幕末、・・・日本は未曽有の国難に直面していました。
攘夷か、開国か!!
国論は、真っ二つに別れ、遂には武力による討伐・・・明治維新へと突き進みます。
そんな幕末動乱の時代に、危機に立ち向かった先陣の英知とは・・・??

①老中首座・阿部正弘
200年以上守ってきた鎖国の危機に、阿部は人々の納得を取り付けながらシステムを変えるという最も困難な仕事に取り組みました。
1853年、ペリー浦賀に来航!!
その中には、最新鋭の蒸気軍艦二隻の姿もありました。
逆風をものともせず進む巨大な黒船・・・
これまで目にしたこともない黒船の異形に人々はパニックに陥りました。
当時の瓦版に書かれたペリーの姿は、同じ人間とも思えない風貌・・・黒船打ち払うべしという攘夷の声は、日本全土へと広がっていきます。
しかし、備えはまったくと言っていいほどなされていませんでした。
阿部が老中になる前年・・・1842年イギリスがアヘン戦争に勝利・・・清に領土を割譲させたという知らせは日本にも届いていました。
ところが、当時の幕府財政は火の車・・・海岸を守るための軍艦や砲台に回す資金はありませんでした。
ペリーはさらに、江戸湾内に船を進めます。
そこには驚くべき意図が・・・!!
ペリーが本国に提出した江戸湾の測量図があります。
ペリーは、江戸湾を測量し、どこまで陸地に近づけるかを調べていました。
国土への直接攻撃をにおわせる示威行動でした。
その上でアメリカは、船舶の補給基地として港を開くことと、交易の開始を要求します。
余りにも強引な開国要求でした。
ペリーの圧力に屈して鎖国を捨てれば幕府の威信は地に落ちる・・・
高まる攘夷の中、阿部は前代未聞の方法に踏み切ります。
それまで幕府政治への参加を許されなかった御三家や外様大名・旗本に、国書を開示し、意見を聴収します。
それは、挙国一致で当たるという幕府始まって以来の方針転換でした。

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挙国一致の課題は、大きな大名との協調政策です。
国の一番重要な政策について意見を聞きます。
有力大名の半数が、鎖国を守るためには戦争も仕方ないと主張!!
その代表が、水戸藩の徳川斉昭!!
御三家として大きな影響力を持っていました。

「刀や槍の戦いでは我が国に分がある
 電光石火のごとく戦えば、かの夷族を鏖にすることは掌のうちにある」by斉昭

圧倒的な攘夷派を前に、選択を迫られた阿部・・・!!

黒船に積まれていた最新式のペキサンス砲・・・その特徴は、爆弾を的に対して水平に発射できること!!
命中率が高く、破壊力も大きい!!
ペリー艦隊の攻撃によって、海岸沿いの下町は完全に火の海になる恐れがありました。
御城下が灰になるほどの事態になれば、幕府の威信は地に落ちてしまう・・・??

「外寇への備えは、交易の利潤をもって当てる」by勝海舟
勝は、通商を行って、利益を得ることが、国防の強化につながると説いていました。
しかし、通商を認めることは鎖国を捨て去ること・・・
国法を曲げては、幕府は弱腰であると、大名からの声が沸き起こるであろう!!

ハッキリとは回答しない・・・??
回答延引策は、薩摩藩主・島津斉彬たちが唱えていました。

「交渉は出来る限り引き延ばす・・・3年ほど待てば、軍備も整うのでその後に打ち払う」by斉彬

攘夷か?開国か?それとも回答延引策?
いずれを選んでも困難な道でした。
先の来航から半年経った1854年1月・・・ペリーは再び江戸湾に現れました。
果たして、阿部の選択は・・・??
それは、”ぶらかす”・・・回答延引策でした。
1853年6月、将軍・家慶死去・・・
阿部はそのことを口実に、交渉延期を申し入れます。
しかし、ペリーはこれを黙殺!!

「将軍の死は公務を遅らせる理由にはならない」byペリー

引き延ばしはもはや通用しない!!
阿部は、諸大名と共に撮るべき方策を協議しました。
実際の交渉にあたる役人は、通商まで譲歩しなければまとまらないと主張!!
しかし、阿部はあくまで慎重でした。
打ち出したのは、「開港容認・通商拒絶」でした。
1854年2月10日・・・
圧倒的な武力を持つアメリカに対する綱渡りのような交渉が始まります。
阿部の意を受けた役人は、頑なに通商を拒みます。
日本海国という名誉を祖国アメリカにもたらすことを重視していたペリーは、次第に焦り始めました。

「このまま通商に固執することは得策なのか・・・??」byペリー

交渉開始から1か月・・・日米和親条約締結。
開港を許したのは、大都会から離れた下田と箱館。
そこでは、航海に必要な物資の補給だけを認めました。
通商に関する要求は、完全に退けたのです。
阿部はいかにしてこの結果を手にしたのでしょうか?
近年、広島県福山でその資料が発見されました。
阿部の腹心である軍学者・江木鰐水の手記によると・・・
交渉のさ中、黒船に乗り込んだ江木は、事細かく書いています。
ペリーが話すときの声は温和・・・
交渉相手のことを事細かく調べたうえでの交渉に臨むことで、阿部は薄氷の勝利を得ました。
しかし、阿部は、自らが用意した日本の未来を見ることはできませんでした。
未曽有の国内に対処してきた重荷が、その肉体を確実にむしばんでいました。
1857年、阿部正弘死去・・・享年39歳でした。

②長州藩・高杉晋作
1864年・・・それは、長州藩が国内外の危機に直面し、がけっぷちに立たされた運命の年でした。
国政の主導権を握ろうとする長州に対し、薩摩藩と会津藩が反撃!!
世に言う禁門の変が勃発します。
7月19日、薩摩・会津の連合軍と衝突した長州軍は、僅か1日で惨敗・・・
御所に向かって発砲した長州藩は、時の帝・孝明天皇によって朝敵の烙印を押されてしまいました。
状況はさらに深刻化・・・
それは、武力によって外国船を打ち払おうとする祖国・長州藩の暴走でした。
8月5日、下関戦争・・・
長州は、関門海峡を航行する外国商船を砲撃!!
激怒した欧米列強によって報復攻撃を受けます。
関門海峡の殆どの砲台が列強連合軍により占領!!
植民地化という最悪の危機が予想されました。
追いつめられた長州は、停戦交渉を要請・・・
そしてその難しい立場での交渉に登場した男こそ、高杉晋作でした。
8月8日・・・交渉の席上、列強側は300万ドルという巨額の賠償金を要求。
晋作は啖呵を切ります。

「もし、戦争を続けるというのなら、長州は最後の一人になるまで戦うつもりだ」by高杉晋作

晋作たちの強硬な姿勢に、列強側は態度を一変・・・
関門海峡の砲台撤去、水・食糧・燃料補給のため下関上陸を求めてきました。
晋作たちは、本来は幕府の権限であるはずの下関の開港を独断で受け入れます。
下関を開港し、貿易を行えば、富国強兵を推し進めることが出来る・・・
晋作たちは、交渉の土壇場で、未来の実利につながる決断をしました。

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1864年7月・・・第一次長州征伐・・・幕府は朝敵の長州を攻め滅ぼすべく13万の大軍を大坂に・・・!! 
その一報を受け、長州藩の上層部が真っ二つに分かれます。
抗戦派・・・大義名分のため幕府に抵抗
恭順派・・・藩存続のため幕府に謝罪
この対立です。
11月12日、恭順派によって長州藩の三家老が切腹・・・幕府への徹底恭順の証とされました。
抗戦派に組していた晋作は、身の危険を感じ、九州・筑前藩に亡命!!
再起の時を伺っていました。
この時、晋作にはどのような選択があったのでしょうか?

内乱挙兵の決起策か??
藩士以外の武士や、庶民で編成された奇兵隊を!!
最新式の銃を装備し、西洋式の戦術を学んだ長州の軍です。
それとも冷静に交渉の道を選び、藩の大義名分を取り戻す・・・??
朝敵の汚名をどうしたらいいのか・・・??

晋作の決断は・・・決起策でした。
反乱の兵をあげ、武力によって藩の方針を覆す道を選びました。

11月25日、高杉晋作、長州に帰還!!
奇兵隊をはじめとする諸隊に反乱の決起参加を要求します。
しかし、諸隊幹部は無謀な戦いだと消極的な態度に・・・!!
その姿勢に晋作は叫びます。

「僕は、毛利家300年来の家臣だ
 たとえこの身が討ち倒れようと長州に殉じる!!」by晋作

ここに、反乱軍は挙兵します。
晋作たちは長州藩の経済の要・下関の会所を制圧!!
さらに、藩の軍艦を強奪することに成功!!
最初は消極的だった奇兵隊たちが動き出しました。
反乱軍は、800人の大軍勢に膨れ上がります。

1865年1月7日、大田絵堂の戦い・・・
恭順派率いる軍の正規軍と激突します。
野戦戦術と、最新式のミニエー銃を使うことを学んだ奇兵隊は、藩の正規軍を圧倒!!
そして、晋作決起からおよそ40日後・・・
藩主・毛利敬親によって、徹底恭順は撤回!!
もし攻撃を受ければ、最期の一兵まで戦い抜くこと・・・武備恭順を藩の方針とさだめました。
晋作の決起が導いた奇跡の勝利・・・次なる幕府との戦争が始まる中、晋作はまったく独自の構想を抱いていました。
長州の将来について晋作が記した意見書・・・回復私儀・・・
そこには、晋作が最も力を入れている方策があります。
それが、「大割拠」でした。
徳川一強の時代は終わった・・・

「今こそ、我が長州藩の下関を世界に向けて開こう
 そして、欧米列強の力にも十分に対抗できる国力を身につけるのだ
 世界五大陸にこの長州藩を押し出して、長州の大割拠、独立を成し遂げるのだ」by晋作

しかし、その夢が実現することはありませんでした。
1867年4月14日、高杉晋作病没・・・享年29歳でした。
あまりにも早すぎる突然の死でした。

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③薩摩藩家老・小松帯刀

小松帯刀・・・薩摩で島津家に次ぐ名門の家に生まれ、28歳の若さで家老に就任。
当時、権力の座にあった国父・島津久光の抜擢によるものでした。
帯刀は久光のもと、富国強兵を推し進めました。
綿・・・当時、綿花はアメリカで始まった南北戦争の影響で世界的に品薄となっていました。
帯刀は、西国諸藩から綿花を調達し、ヨーロッパへ輸出・・・
その利益で5隻もの蒸気船を購入、海軍の創設に力を注ぎました。

1863年、帯刀は、久光から京都での政治工作を任されます。
目的は、雄藩連合です。
これまで幕府では、一部の譜代大名が政治や外交を独占・・・
外様藩である薩摩や長州は蚊帳の外に置かれていました。
薩摩は有力大名が手を組んで政治に参加する雄藩連合を構想し、実現に向けて動き出しました。
このことが、幕府側との対立を引き起こすこととなりました。
御所を警護する一橋慶喜、京都守護職・会津藩松平容保、京都所司代・桑名藩松平定敬ら一会桑勢力です。
1964年7月、慶喜は朝敵・長州を討つべく、15万の大軍を大坂に集結させました。
第一次長州征伐の発動です。
ところが、これに対し薩摩は思いもよらない行動に出ます。
10月、小松帯刀、慶喜に征伐中止を進言!!
その要因は、京都政局のパワーバランスでした。
一会桑は、有力な藩を国政運営に加えたくありませんでした。
薩摩としては、長州を敵に回さない方が得・・・恩を売るという考えがありました。
薩摩の行動は素早く・・・長州に対して禁門の変を主導した三家老を処刑し、幕府に謝罪するように打診します。
長州がこの条件を受諾したことで、第一次長州征伐中止・・・!!

薩摩への警戒を強める慶喜・・・
再起へ虎視眈々の長州・・・
幕末の風雲はいよいよ急を告げます。
1865年、幕府側の巻き返しが始まりました。
15万の大軍が、大坂へ・・・第二次長州征伐です。
幕府は諸外国に対し、長州に武器を売らないように要請!!
長州は、絶体絶命の窮地に陥りました。
この時、帯刀は驚くべき決断をします。
薩摩名義で7300丁もの銃を購入、長州へあっせんしたのです。
長州の使者に対し帯刀はこう答えています。

「幕府の嫌疑等意に介してはいない・・・ 如何なることでも尽力する」by帯刀

薩長両藩は、1866年1月・・・長州から木戸孝允が上京します。
帯刀のもとで交渉を担当したのは西郷隆盛!!
幕府側に対する武力行使も辞さない強硬派です。
ところが、西郷が発したのは思いもよらない一言でした。

「ここはまず、幕府の処分をあまんじて受け入れよ」by隆盛

この時点で、幕府は長州に藩主親子の引退、領地10万石削減などを通告する見通しとなっていました。
過酷な処分を受け入れよという西郷・・・実は背景には国父・島津久光の意向がありました。
注目すべき資料は、島津久光に宛てた伊達宗城の書簡です。

「近頃西郷はしきりに暴論を主張している 久光公は依然として持重」

久光にとっては幕府に対する武装蜂起など思いもよらない・・・
急遽京都藩邸に使者を送り、藩士全員に厳しく自重を命じました。
西郷と帯刀は、朝敵の汚名を晴らす政治工作は動けても、幕府への武力行使には協力できない状況に追い込まれていました。
しかし、長州は既に臨戦態勢にありました。
更なる処分を受け入れるはずもありませんでした。
交渉は平行線をたどり、木戸はついに帰国を口にしました。
このままでは薩長提携に向けて動いたことは、すべて水泡に帰す・・・
帯刀は交渉を続けるか否かの決断に迫られました。

交渉は打ち切るしかないのか??
このままいけば、幕朝開戦の可能性が極めて高い・・・久光公の本意は、幕府と事を構えることにないのは明らか・・・家老として、その御意志を越えてまで、長州との提携を進めることが許されるのだろうか??
しかし、久光の方針に従えば、薩長提携の道は閉ざされてしまう・・・!!
それは目指す雄藩連合からの後退を意味していました。

ここで長州を孤立させていいのだろうか・・・??
雄藩連合が頓挫してしまう・・・
久光公を説得して、同盟締結に持っていけないだろうか・・・??

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小松帯刀の選択は、薩長同盟締結でした。
幕府との対決にひた走る長州との同盟を、帯刀は独断で締結したのです。
薩長同盟には、両藩の公式文書は存在しません。
唯一その内容を伝える木戸孝允の書簡・・・そこからは、政治家・小松帯刀の周到な計算が読み取れます。
そこには巧妙なロジックが隠されていました。
戦うとしたら一会桑・・・と書かれています。
つまり、幕府とは言っていないのです。
一会桑との対立は、そう遠くはない・・・久光サイドも理解できていました。
薩摩が生き残るためには、長州を絶対に滅ぼしてはならない・・・帯刀は久光の許容範囲すれすれで同盟を結び、事後承諾を勝ち取ったのです。
新たな時代・・・明治を切り開いた薩長同盟・・・その意義とは・・・??

久光主導から、小松、西郷、大久保による主導に転換していきつつあるきっかけになりました。
両藩の間での正式の合意文書がない・・・第5条の決戦条項を久光には見せられなかったのでしょう。
それは、久光の初期の方針を逸脱したものだったからです。

全て自分が責任を負う・・・それが、歴史の方向を決定づけました。
阿部正弘、高杉晋作、小松帯刀・・・身分は違えど、三人に共通するのは、新たな時代は自分が作るという責任感でした。

老中・阿部正弘は、死の1年前、幕府の路線を大きく変更しました。

「交易互市の利益をもって富国強兵の基本とする」by阿部正弘

開国通商に舵を切ると宣言したのです。

その志は確かに受け継がれます。
鹿児島のとある釜元・・・薩摩焼は帯刀の進言で輸出用に作られたものです。
ヨーロッパで上流階級に珍重され、注文が殺到しました。
小松帯刀は病のため36歳で亡くなりました。
しかし、彼は最後まで来るべき時代の輝かしい日本の未来を夢見ていたのです。


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御無沙汰していました。
プライベートが忙しくなって、なかなか更新できない私ですが、やっぱり魅力的な作品は筆も進むわなあ・・・とも思ってしまいます。
今回は、あの薩長同盟です。

フランス公使ロッシュとの会談で舞うお芳・・・
この大河では、妾ではなく側室ってことになってるんだから、こういう色的な要素失くしませんか??
もっと本当の芸妓を連れてくればいいんだよ・・・。
この大河では、緊張感のある交渉であってほしいと願ってはいけないのだろうか??

京都に迫ってくる軍艦・・・
慌てる京都の人々・・・その要求は、兵庫の港を開港せよということ&長州征伐らしいんですけど・・・
開港と長州征伐は一緒ではないと思うんですけど・・・この大河ではすべてが一色たんになってしまっているし、吉之助はやっぱり戦うのが嫌なようです。
そんなに長州征討が大切なんだろうか・・・こんなに時間を割くのもなあ・・・。

そして浅はかな岩倉具視・・・。

いきなり胃痛になった一蔵・・・
お妾さんの・・・おゆうのもとへ。
またキンチョー感が消えちゃったよ・・・。
女が悪いって言ってんじゃないんだよ。
もっとかっこよく粋に書いてくれないかなあ・・・。

そこで一蔵の書き物に目を通し、感動する吉之助。
そこには、”非義の勅命は勅命にあらず”とありました。
=天子様が許しても、天下万民が納得しなければ勅命じゃないんだと!!

こんな書き方して、”倒幕の密勅”の時どうすんだよ・・・。
倒幕の密勅が全てなのに・・・!!

おまけに、外で盗み聞きして「こんな事は止めて!!」というおゆう・・・。
この展開もサゲサゲ~~!!
盗み聞きなんてはしたない真似みんなしてどうすんだよ・・・。

この写しが広まっていきます。
これは、密書なんじゃないの??
岩倉具視、「やりおったなあ~~!!」なんて言ってますが、この密書だけでなにを「やりおった」んや??
もっと、お上品にしてください。
お・・・慶喜にも知られてしまいました。
「芋侍が・・・!!」と怒っていますが、この時点で薩摩、アウトです!!
西郷切腹、薩摩おとり潰しもんだろ・・・??
どうして野放しにするんだよ・・・慶喜!!
密書にしとけよ~~!!

その密書は、桂小五郎に手にも・・・!!

吉之助から龍馬へ、商い・・・つまり武器の輸入の話になってます。

なんだかなあ・・・戦うのが大嫌いな吉之助なのに、いきなり武器の話??
おまけに桂さんと手を組みたいと言い出しています。
この時点で、長州と手を組むことが、薩摩にどれだけの利があるのか??
私の記憶が正しければ、もうにっちもさっちもいかなくなって、幕府と戦う武器も無くなった長州が、龍馬を頼って薩摩を通して武器を手に入れる・・・ここに、薩摩と長州が手を組むことになると思うんですけど・・・。
この時点で、武器を手に入れてあげる薩摩の方が上なんですけど・・・??
こんなあぶないテロな藩・長州と、平和論者の吉之助がどうして手を組みたいと思っているのか全く理解できません。

吉之助の命で、桂のもとへ向かう龍馬。
商品はミニエー銃でした。
首を縦に振らない小五郎を、写真で説得する龍馬。
もっと世界に目を向けろということなんでしょうが・・・。

年が明けて・・・京都にやってきた桂小五郎。
もちろん、会いに来たのは吉之助でした。

「長州は薩摩のために朝敵にさせられた!!」なんて小五郎が言ってますけど、御所に向けて発砲し、自ら朝敵となったのは長州の方なんじゃないの??
なんでこんなに長州藩が高飛車なんだよ・・・
この時、長州はホントに武器弾薬が欲しかったんだよ・・・??

で・・・この薩長同盟を国父・久光に聞く時間がないと悩んでいる薩摩のみんなですが・・・
小五郎も、恥を忍んで言ってるのだから・・・と、情に訴える吉之助ですが・・・情に訴えたらあかんやろ??
なんてったって、策士なんだから・・・。

毎回言ってますけど、いくら挙国一致で立ち向かうとはいってもそれは国外の相手というだけで、中にはいってしまえば彼らの国は藩なんだから・・・
藩の存続を第一に考えるのが普通でしょう。
そんな中、薩摩は泥船となった長州と手を組むわけだから、どうして手を組んだのか??ってとこをきっちりやってもらわないと何がなんだかわからんわなあ・・・。

御花畑屋敷にやってきたみんな。
??ところで、小松帯刀の屋敷って言ってますけど、こちらは近衛家の別邸です。
近衛家に別荘を借りることができるほど親密な関係だったということです。
この大河では何にもしていない小松帯刀どんですが、本当はこの人が全てを取り仕切っていたんです!!

don















頭を下げるまでは何も言ってはならん!!
時が過ぎるばかり・・・。
反対してバタバタとやってくる薩摩の仲間たちに、長州と手を組むのは日本を守るためだと言い出しました。
??
日本にテロを巻き起こしたのは長州ですよ??吉之助!!
おかしくないかい??

もめてるとこにいきなり伊藤俊輔に写真を出させる吉之助です。

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イギリスに行った若者は、薩摩も長州もなく仲良く頑張っているということで、こちらも仲良くしようと一件落着・・・。

もうどうでもええわ・・・な展開でした。
ほんま、緊張感ないわ~~この大河。
幕末のピリピリ肌を刺すようなそんな緊張感が~~!!

don3















で・・・西郷が頭を下げて一件落着なのでした。

薩長同盟成立!!

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ほんと、全てにおいて、薩摩が下手に出た薩長同盟でした。

この薩長同盟、”同盟”って言ってますけど、ただの口約束だったと言われています。
なので、正式な文書としては残っていません。
残っているのは、もう後のない長州が、”薩長同盟”がなったことに喜んで・・・
その証拠を残しておこうと”話し合った事”を小五郎か書き付け、その証人として龍馬に裏書してもらっています。

そして、薩長同盟が成ったことをどれだけ小五郎が喜んでいたか・・・それは手紙にも残っています。

薩摩としては日本で幕府を倒そう!!なんて気持ちはなく、そこまで考えずにただのリップサービスだった薩長同盟というのが最近の通説になってるんですけどね・・・。
ま、リップサービスってなってしまうと重みもなにも無くなってしまうので、重厚には書いてほしいですけどね・・・。
挙国一致・・・こんな形になってしまうとは、斉彬もビックリ!!でしょう。

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ああ・・・もう、どうでもよくなってきたと言えばダメでしょうか?
またもや結婚とかの回です。

「たった今、勝ち目が見えもしたで・・・」とかなんとか、何が勝ち目なんだか・・・と思うが、そう思った吉之助。
政治的にどうするのかと思いきや・・・
訳の分からんまま、長州征討を一人で終わらせ、未来の将軍・慶喜にドス突き立てて帰ってきました。
う~ん・・・この時点で、西郷吉之助切腹でなくその場で斬り殺され??薩摩藩おとり潰しだわよ・・・。

その活躍ぶりは、薩摩に広まっていました。
みんな、年上の人も頭を下げて、「よしなに・・・」と、土下座をする始末。
それをしないでくれと頼む吉之助の紳士的な行動がスゴイのかな??
目上の人が・・・それも薩摩隼人が頭を下げるなんてもってのほかなんじゃないの??
と、斜めに見てしまう・・・。

吉之助はすでに次の一手を見ていたというけど・・・。

don















「もう・・・幕府に日本国を任せておくことは出来ん・・・」
なんて、一蔵に言ってます。
幕府に滅ぼされると・・・!!
でも、京都が無残な焼け野原になったのも本当は長州のせいだし、幕府が守りたいのは徳川だけとか言ってるけどそれは違うし・・・。
日本国は俺らが守らねば・・・!!
などと、言い出しています。
う~ん・・・
幕府を潰そうなんて、この時点で誰も考えていませんでした。
当時は、国と言えば、薩摩、長州のことであって、日本国のことではないんです。
つまり、薩摩が寝返ったのはもっと後で、幕府側と長州を天秤にかけ、最後の最後に幕府を裏切った・・・裏切ったのは、薩摩の方なんです。
でも、そこには、薩摩藩の生き残り作戦があって、それを悪とするのもダメですけどね・・・。

で・・・鑑賞にふけりながらまたもやウナギとりをしていたら、義理の姉にこき使われている糸を発見!!
ああ・・・もういいよ・・・朝ドラみたいなこと・・・。

相変らず貧乏な西郷家・・・ボロボロです・・・。
でもね、そんなボロボロな家で恥ずかしくないのかと思う。
こんな立派な兄のところへ嫁に来られてよかったと、弟の嫁が言っていますが・・・。
そんな立派か??
ダメな男のことを「うだつのあがらぬ男」って言うじゃないの?
家を建ててこその一人前じゃないのか??と思っていたら、嫁取りの話になってしまった・・・。
ま、嫁取りも一人前の証拠だからなあ・・・
と思っていたら、吉之助の嫁になりたいという女性が殺到してきました。
ああ・・・そんなこんなもどうでもいいわ・・・

don2















そこへ、雪篷も島からやってきて、ワイワイガヤガヤ楽しそうな、でもどうでもいい一コマでした

参勤交代が再開されたのは、吉之助のせいだと怒る久光
「お前のせいじゃ」×③!!って、バカ以外の何物でもないやろ・・・こんなコント仕立てのエコーな演出・・・。
演者さんの力量をもっと信じてあげればいいのに・・・
この件について、非は自分にあると土下座して久光に謝る→土下座した西郷にあからさまにいい気分になる久光→すんなり久光に謝ったことをご機嫌を取ったと思って怒る一蔵→「いかにも・・・」by吉之助
という、そんなこと・・・”土下座してご機嫌を取る”だけで、凄いのか??吉之助!!
もう既に、長州と手を組むことを考えている吉之助・・・。
そのためなら、国父様の気持ちを動かす、媚も売って謀もして、偽りの涙を流すそうだ・・・。
口で言わずに体で・・・芝居で表現してくれよ・・・。
頼む・・・そうすれば、役も薄っぺらではなく骨太な西郷吉之助になれるのにね・・・。

そんな話をしているところを桂久武にボーイズラブと勘違いされるというバカげた演出も止めてくれ!!
ちょいちょいこんなの入れるの遊びのつもりなのかな??
ボーイズラブ関係入れるなら、もっと京の政治や人間関係をしてくれよ・・・!!
だから嫁を取れと言われているように思う。。。

で・・・この嫁取りの話で1話終わってしまった・・・。
ま、みんなが知っているのでなんの感動もなかったですが・・・糸が嫁に来るんですが・・・違和感大ありでした。
糸は、離縁されて実家に帰ってきていました。
実家に糸の居場所がなかったのは本当かもしれません。
あ・・・史実では、吉之助と糸は再婚同士だったのでは?と言われていますが、16歳違いとなっています。
このドラマでの離縁の理由は「子供ができないから」という理由でした。
嫁をとれ、嫁をとれ!!と、みんなではやし立てた理由は、西郷家の人手不足と跡継ぎを・・・!!ということがメインだったのに、糸が出てきた途端にその「跡継ぎ」の話がどっかに飛んでしまいました。

今でも男の子を・・・!!という家も多い中、”子供のできない出戻り”設定なら嫁には絶対にもらわないでしょう。

「翔ぶが如く」では、吉之助の最初の妻・俊(名前が須賀どんではないんです)が、吉之助の留守を守っているんですが流産してしまいます。
で・・・「旦那様に申しわけない」と、自ら身を引きます。
実家に迎えに行く吉之助ですが・・・実家では親戚に預けていると、帰ってもらいます。
が・・・襖の向こうで泣く俊・・・。
今なら・・・吉之助を追いかけるか??と、家族に聞かれ、偉くなって帰ってきた旦那様に恥をかかすわけにはいかないと、二度と会うことなく別れるシーンがあります。
何が本当かはわかりませんが、これこそがみんなの求めているシーンなんじゃないかと思うんです。

都合よく好きになってもらったり、都合よく引き下がってもらったり、でも、会いたいからって何度も会いに行くとか・・・
西郷どんでは女性があまりにも現代的で訳が分かりません。
もちろん、”好き”って気持ちは大事だけど、それと同じくらい当時は”跡継ぎ”が大事だったと思います。
愛加那の子がいるからもういいと、思っているのかどうか知らないけど、例えば糸の離縁の理由がもっと違っていたらすんなりお祝いできたかもしれません。

don3















もう・・・どうでもいいけど、結婚する二人でした。
この大河ドラマを見ていて思いました。
糸の良いところは今でも足が速い事だそうです。
実際には薩摩藩士・有川矢九郎が、妻のいとこにあたるイト(糸子)をいきなり連れて来て、西郷に了解させたと伝わっています。
当時は恋愛なんてなくて当たり前の時代だったんでしょうが・・・

惚れて結婚する設定なら、足の速い・・・そんなところに惚れたのか??
もっと糸の良いところを好きになってやれよ・・・。

こんなところでも人物の掘り下げが足りないんじゃないか?と、満足できない私なのでした。

この頃になってくると、幕末の志士たちがわんさか出てくるはずなんだけどなあ・・・
それを見ているだけでも面白いのに・・・残念!!

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う~ん・・・かなり挫折しそうです。
私がブツブツ言いながら「西郷どん」を見ていると、旦那がいつも言います。
「だって、これが史実だから~~」
今回も、ブツブツ言っているといいました。
「歴史なんてそんなもんやで。
 普通の人間がやったことを、あとからお前みたいなのが美化するんや。」って。
言っている意味は分かるし、私が美化しているのもわかっています。
でも・・・今回はほんと、歴史がねじ曲がっていると思うので、きっと美化ではないと思うんです。

そう思ってもう一度見ます、「西郷どん」を・・・。

幕末維新史上一番のターニングポイントとなる禁門の変です。

・・・軍賦役・・・”ぐんぷやく”ではなくって、”ぐんふえき”だよ・・・。

コロコロコロ・・・と長州の・・・久坂玄瑞たちの京都火の海作戦の紙くずを吉之助に見せた男・・・
don2















「侍の本懐はの・・・戦をするこっちゃなか・・・」
またもや民を守ることだと、言う吉之助です。
う~ん・・・もういいのよね・・・。
民のために・・・なんて考えてると思う??
それって、今の考え方だと思うのよね・・・。

村田新八も、久光が、戦の先頭に立たせて吉之助を殺そうとしているとか・・・憎んでいるとか・・・
そんな内輪の細かい話はどうでもいいし、そんな汚い考え・・・久光を小さい男にしたいのかなあ・・・
そんな話をすること自体、大義の前には小さい事なんだよ・・・って思ってしまう。
それを、「よか、よか」と言う西郷が、懐の広い大きな男だって言いたいのかなあ・・・。

鍵屋に西郷に合わせろって人物がやってきました。
先日の物乞い・・・
あ・・・長州の桂小五郎って、変装しているのにあっさり自ら名乗ったよ・・・
もう。。。薩長同盟は要らないな・・・
小栗旬、大好きなのに、龍馬さんの出番は無くなりました。
あんなに東奔西走して薩長同盟を成し遂げたのになあ・・・見せ場が無くなってしまったよ・・・残念です。

でもって、話しは”長州を助けてほしい”みたいな感じなんだけど。
長州過激派の秘密をばらしてしまいます。
そして、一橋慶喜に妾を通して会わせてほしいと言っています。
朝廷工作で会わせてもらいなさいよ・・・小五郎・・・。
だから・・・龍馬さん、出番なしね・・・

慶喜は・・・孝明天皇に「頼みはそなただけじゃ・・・」と言ってもらっていますが・・・
そう言ってもらうのは、やっぱり松平容保でしょう。
周りのみんなが嫉妬するぐらい、容保を信頼していた孝明天皇なんです。

一方、吉之助は小五郎を慶喜に会わせてみようと考えます。
・・・ああ・・・小松帯刀が吉之助と久光の伝達係に成り下がっているのも最悪だ・・・

人斬り半次郎も出てきました。
平岡を斬った犯人では??と、問われているのです。
う~ん・・・いい男というか・・・綺麗すぎる・・・。
ハンサムが悪いって言っているんじゃないの・・・

izou













こちらは龍馬伝の岡田以蔵です。
これぐらい眼光鋭く小汚い感じが人斬りにはちょうどいいかなあ・・・って感じなんです。
この以蔵は最期までどろくさかったからなあ・・・.。

慶喜からヒー様になる・・・
とか、そんな場面もホント必要ないよなあ・・・。
「西郷さまと一緒なら安心ですね。」byお芳
「俺のことは信じていない・・・??」byヒー様
「ヒー様には惚れています。」byお芳
これも必要なし!!それに、お芳、慶喜に無礼すぎるだろ・・・??

と、吉之助が会わせた慶喜と小五郎も遊郭でした

don3















って・・・ほうっかむりして鼻を赤くして・・・バカボンのパパかと思っちゃいました。

papa





先日見ちゃったからなあ・・・玉鉄のパパ・・・。

本当の小五郎かどうかもわからずに会わせるのか??って思っちゃいます。






暗殺が流行っている当時、みんな本当に慎重でした。
だから吉之助はいくつも名前を変えているし、写真がないんだよ・・・。
慶喜だって、平岡が暗殺されているんだから、自分の行動にも責任を持ってほしいんだよね・・・。

??幕府と長州が組めば、乱れた世を治すことができる・・・と言い出す慶喜でした。

小五郎は、長州過激派の説得をはじめました。
そこへ半次郎がやってきます。
自分は、長州の桂小五郎だと自ら名乗り、話しをつけるんですが・・・これ、OKですか??
逃げの小五郎が、ガタガタと崩れ落ちていきます
この大河では、正々堂々と話をして片を付けるんだろうか・・・??
天誅、天誅、暗殺、暗殺と殺伐とした時代に、なんだ・・・この生ぬるい感じ・・・。
そこでも、半次郎が、薩摩で西郷先生を知らない者はいないとか、小五郎が西郷のおかげで長州が救われたとか・・・
一体何の話をしているんだ・・・??って話を重厚そうにいう小五郎です。

一月後の祇園祭の日・・・。
慶喜が命令したのか・・・池田屋事件を・・・。
一瞬で終わった池田屋事件でした。
ま、新選組ファンとしては、一瞬で済んで良かったわ・・・

でも、この大河で思うことがあります。
真田丸や直虎で、一瞬で終わる・・・関ケ原とかね?そんな描写が話題となりました。
でも、それは、関ケ原が誰もが知っていて、基本的にわかりやすいからだと思うんです。
当時の地方の大名たちはタイムラグも今より長かったでしょうし・・・
でもね、こんなに混沌としている幕末を、訳も分からずサクッと端折ってしまうと、何が何だか分からなくなると思うんですよね・・・。
違うかな・・・??

池田屋のリベンジに、長州が2000の兵を率いて上洛します。
でも・・・私怨で戦ってはいけないとやっぱり戦争反対の吉之助です。
ま、これに乗り気ではなかったのは確かですが・・・。

薩摩藩邸の訓練に吉之助がやってきました。
昔、江戸に行った西郷を叱った迫田がここにいました。
昔の失礼を土下座して謝る迫田・・・それを「やめてくれ、38番西郷吉之助、ちょっとでてきもす。」と、言う吉之助・・・。
こんなにへこへこしていいのか??迫田!!やめろよ~~こんな演出~~!!
武士が、土下座なんかしないでくれ~~!!
もっと他にいい演出あるだろう・・・??

don















半次郎も再会!!
子供の半次郎は、眼光鋭く人斬りらしかったのになあ・・・優し過ぎだろ・・・この眼・・・。

鉢巻を巻いて、陣羽織・・・戦支度をしている慶喜ですが・・・桃ちゃんにしか見えないのは私だけだろうか・・・??
誰が敵で誰が味方かわからん!!と、ヒステリックになる慶喜・・・。
「もう、お前しかおらんのだ・・・」と、またもや吉之助アゲアゲに言うのでした。

don5















この戦いは、長州を討つことに非ずなんだそうです。

長州軍が御所をめがけて進軍してきました。
禁門の変!!です。
あ・・・いきなり会津軍も出てきました。

don4















ラリアットも健在・・・??

が・・・大将の来島又兵衛が死んだことで、長州軍は、みんな刀を落とすのでした。
2000人も引き連れて来て、又兵衛が死んだぐらいで戦意喪失すんの・・・??
って、そこへ会津が鉄砲を打ち込んで・・・斬り込んで・・・またもや戦闘再開!!
吉之助はそれを止めようとして足を討たれ負傷!!
それでも戦いを止めようとする吉之助なのです。
西郷さんは軍人でしょ??
人によったら・・・最終的には国家転覆を謀るわけだからテロリストっていう人もいるんですよ・・・
清濁併せ吞む男だから、得体のしれない・・・カッコいいんじゃないの??

おもんない・・・こんな展開・・・。

悪者は会津だったんだな・・・
戦いの中、吉之助負傷・・・退場するから戦いが再開してもいいんだろうな・・・。

そして・・・望んでいない京都が火の海に・・・!!??

なんだかネットでは八重の桜を懐かしむ声がたくさんあるようで・・・
ま、別にハンサムにしてほしいわけではないけれど・・・私は桂小五郎さんは・・・いやいや、玉山鉄二さんは・・・

yamakawa













山川大蔵でいて欲しかった。。。


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1866年1月・・・風雲急を告げる幕末の京都で・・・時代を大きく動かす密約が結ばれました。
薩長同盟です。
交渉に当たったのは、薩摩藩が小松帯刀と西郷隆盛、長州藩が木戸孝允、そして・・・交渉成立に深くかかわったとされているのが坂本龍馬です。
薩長同盟を機に、薩摩と長州を中心に討幕運動が加速!!突き進んでいくこととなります。
元々は犬猿の仲だった薩摩と長州がどうして・・・?

1853年浦賀にぺりーが来航し、開国を要求します。
これをきっかけに、外国勢力を打ち払う攘夷の機運が高まります。
外様大名の雄・薩摩藩は、朝廷と幕府と諸藩とが一体となって富国強兵を行い、国力が備わったところで攘夷を行うのがいいと主張。
これに対し、同じく外様で力を持っていた長州藩は、即時の譲位を主張!!
一部の公家を巻き込みながら、過激さを増し、幕府を悩ませていました。

そんな中、1863年8月18日・・・
会津藩、薩摩藩を中心とした幕府側勢力が、長州藩と急進派の公家を京都から追放します。
ところが・・・長州藩は、翌年の1864年、京都での復権を図り、3人の家老が軍勢を率いて上洛・・・(禁門の変・蛤御門の変)。
蛤御門付近で会津藩、桑名藩と激突!!
長州藩は、一進一退を続けるも、京都にいた西郷隆盛の薩摩軍の部隊が幕府側につくと、形勢は不利に・・・!!
長州藩は、京の町に火を放ち、逃げていきました。
その時、御所を背にした幕府軍に対して発砲したとして長州軍は朝敵に・・・!!
そんな長州藩に対し、薩摩藩が望んだのは厳しい処分・・・長州征討でした。
禁門の変の時に参戦していた西郷は、その時の強硬派の中心的人物で、盟友・大久保利通に手紙を送っています。
「長州藩には、兵力をもって迫り、東国当たりへ国替えを命じるべきである」と。
厳しい処分を考えていたようです。
朝敵となってしまった長州藩は、薩摩や会津に対して敵愾心を燃やし、薩摩を薩賊、会津を会奸と呼び、憎しみを忘れないようにとその4文字を下駄に書いたと言われています。

禁門の変から5日・・・7月24日、幕府は、西国諸藩に徴収を攻撃するように命じました。
第1次長州征討です。
ところが、あれだけ厳しい処分を望んでいた薩摩藩が、「長州には寛大な処分を望む」と、その態度を軟化させます。
どうして方針が変わったのか・・・??
それは、当時の薩摩藩の権力者・島津久光の意向によるものでした。
久光は、京都でで行われた参与会議に参加し、新しい国づくりに参加していました。
しかし、薩摩藩の力が強くなることを恐れた徳川慶喜が、久光と対立。
慶喜の暴言によって、参与会議はなんの成果もないまま瓦解してしまいました。
それ以後、幕府の政治は、一会桑政権(一橋徳川家・慶喜、会津藩・松平容保、桑名藩・松平定敬)となります。
国元に戻った久光は、薩摩藩のみの富国強兵に舵を切ります。
そうとなれな、藩の支出が多くなる長州征討などもってのほか・・・戦を避けたいという久光の意向が、薩摩の方針転換の大きな要因でした。
さらに、久光が慶喜と対立したことで、薩摩藩が幕府から危険視されたともいわれています。

もし・・・長州藩が滅ぼされてしまったら・・・次の標的は薩摩に向かうのでは・・・??という意見が内部から出てきました。
あまり長州藩を追いつめないように・・・。
しかし、禁門の変で直接対峙した西郷は、厳しい処分にこだわっていました。
これを西郷の上司である薩摩藩家老・小松帯刀が説得。
西郷はようやく態度を改めて、久光の意向に従い、その手腕を発揮していきます。

1864年10月・・・大阪城で軍議が開かれた際には、薩摩藩の代表として参謀役として任じられた西郷は、長州征討軍の総督・尾張藩主徳川慶勝に進言します。

「いま、長州藩の中は、内部分裂を起こしています。
 これを利用し、長州人をもって長州人を征するのが良いかと・・・」

当時、長州藩は、穏健派と強硬派に分かれていました。
そこで西郷は、穏健派を支持し、実権を握らせることができれば戦を行うことをやめることができると考えたのです。
しかし、征討軍はすでに15万で長州藩の国境に・・・!!

「このままでは長州藩が潰れる・・・
 そうなれば、次は薩摩藩が危ない・・・。
 何としても、総攻撃を回避せねば・・・!!」

西郷は急いで、岩国藩主・吉川経幹に長州藩の穏健派に恭順の意を見せるようにと要請します。
交渉が成立するように、禁門の変で捕らえていた捕虜10人を長州藩に返しました。
その後、自ら長州藩に乗り込んで、薩摩藩に敵愾心を抱く強硬派とも交渉を行います。
乗り込んで・・・殺される危険性は大でした。
それでも西郷は、承知の上で行ったのです。
西郷ならではの問題解決方法でした。
こうした西郷の本葬によって、長州藩が禁門の変に加わった三人の家老の首を差し出すなどの幕府に恭順の意を示したことで、総攻撃は中止!!
西郷は、間一髪のところで薩摩藩を戦に巻き込まずに事態を収束させたのでした。

1865年5月、幕府は再び抵抗の姿勢を見せた長州藩に圧力をかけるために、第14代将軍徳川家茂自ら軍勢を率いて江戸を出発!!
これを知った西郷は怒りをあらわにします。
そして、家老小松帯刀にぼやきました。

「将軍の江戸出発は、自ら災いを迎えるようなもので、幕府の威厳を示すどころではありません。
 これによって、天下は動乱と徳川氏の衰退はまさに、この時よりはじまるでしょう。」

薩摩藩は、この時、西国雄藩連合を作って幕府にせまり、二度目の長州征討を阻止しようと考えていました。
ただし、これを実現させるためには、当事者である長州藩の協力が必要で・・・
薩摩と長州の和解が急務でした。
そして、この和解実現の立役者となったのが、土佐脱藩浪士・坂本龍馬でした。
この時、龍馬は薩摩藩の庇護のもとにありました。
それは、龍馬が勝海舟の門下生として参加していた江戸海軍塾が1865年に閉鎖され、行き場を失くした龍馬が、交流のあった薩摩藩・小松帯刀に相談し、預けたのです。
小松は、近代的な海軍教育を受けていた龍馬は使える!!として、庇護下に置いていたのです。
そして、龍馬が長州藩士たちとも交流があったことで、薩長和解の道を探らせたのです。

早速、知人を通じて下関に入った龍馬は、長州藩の中心的人物・木戸孝允との会談にこぎつけます。
しかし・・・相手は、薩摩への深い恨みを抱えていました。
どのようにして説得する??
鹿児島にいる西郷が、上洛する際に、下関によるらしい・・・
そして、木戸との面会を希望しているという噂が・・・。
そこで龍馬は、西郷を木戸との会談の場に連れてくることができれば、薩長の和解が進む・・・
そう考えた龍馬は、同じく土佐脱藩浪士・中岡慎太郎に、西郷を下関に連れてくるように頼みました。
龍馬は木戸と共に、西郷の到着を待ちます。
しかし・・・戻ってきたのは中岡だけでした。
なんと、西郷は、下関によることなく、京都に向かってしまったのです。

どうして西郷はこの時現れなかったのでしょうか?

この時点で、西郷は木戸と会う意志がありませんでした。
京都がもめている今、一刻も早く京都に戻らなければ・・・!!と、西郷は思っていたのです。
そして、薩摩藩の最高実力者・島津久光に答えもしていない中、木戸とあったとしたら??
どんな激しい怒りを買うかもしれません。
あやふやな情報で、糠喜びをさせてしまったとして、龍馬と中岡は木戸にひたすら謝ります。
しかし、木戸の怒りは収まらず・・・その要求は・・・??

「薩摩藩が信用できると言うならば、長州藩のために、名義を貸してくれますか?」by木戸孝允

この頃、長州藩は、武器の輸入を幕府から禁じられていたので、外国から新しい武器を手に入れることが出来ずにいました。
幕府と対峙する為に、軍備強化を図りたい木戸は、薩摩藩から名義を借りることで武器を調達しようと考えたのです。
龍馬はすぐにこれを薩摩側に報告!!
なんとか長州藩と和解したい小松と西郷は、名義を使うことを許可します。
こうして長州藩は、4000丁の最新式の銃と、蒸気船を手に入れることに成功したのです。

9月・・・西郷は、再び龍馬を長州に向かわせています。
今度は、二度目の長州征討を阻止しようと奔走していることをあえて使えることで、お互いの信頼を構築しようとしたのです。
この時、大きな役割を果たしたのは、西郷が龍馬に持たせた大久保利通の書簡の写しでした。
そこには・・・

「義のない勅命は勅命にあらず。
 いかに朝廷の命令であろうとも、天下万民が認めなければ、誰も支持することはない。」

長州征討に断固反対する言葉でした。
これが、長州藩に多大なインパクトを与えました。
そして、薩摩藩の信頼が回復・・・薩長同盟へ・・・??

徳川慶喜が権勢をふるう幕府と対立しつつあった薩摩藩は、長州藩が潰れれば、次は薩摩藩が・・・と、警戒!!
長州征討を何が何でも阻止する必要がありました。
一方、長州藩は、軍備を増強し、二度目の長州征討に備えなければなりませんでした。
「出来れば、長州単独で戦うのは避けたい・・・」と、他藩と協力することを模索!!
そんな中、12月・・・木戸孝允の元を一人の男が訪れます。
後に総理大臣となる黒田清隆・・・この時は、薩摩藩の下級藩士でした。
黒田は木戸に対してこう言います。

「京都にいる西郷が会いたがっているので、是非あってほしい・・・。」と。

しかし、これは黒田の全くの作り話でした。
黒田の中には、いがみ合っていたのでは、根本的に解決しない・・・という思いがあったのです。
黒田清隆こそ、薩長の交渉のおぜん立てをした最大の功労者といっても過言ではないのです。
一度、薩摩藩に騙された木戸は・・・懐疑的・・・。
そこで黒田は・・・

「すでに西郷の心は、長州とひとつになっています。」

俄に信じがたい・・・でも、長州としても味方が欲しい・・・。
そこで、木戸は、黒田と共に京都に向かうことに・・・。
すべて、黒田の独断であったために、何も知らなかった西郷ら薩摩藩幹部は戸惑います。
しかし、せっかくの機会・・・と、そのまま京都で会談することに。

会談が行われた場所は諸説あって・・・
その一つが、現在の同志社大学の敷地内にあった薩摩藩邸。
そして、近年有力視されているのが・・・森之木町にある御花畑御屋敷・・・
ここは、小松帯刀が公家の近衛家から借り受けていた場所で・・・1800坪の邸宅でした。
つまり・・・小松帯刀の私邸というよりは、薩摩藩の迎賓館のような場所だったのでは?と言われています。
小松は、人目につきやすい薩摩藩邸を避け、迎賓館的な御花畑屋敷を会談の場にしたと考えられます。
そして、1866年1月18日・・・薩摩と長州の会談が始まりました。

ところが・・・14代将軍家茂が第二次長州征討に向け、大坂城に入ります。
そして、幕府は、長州藩に新たな処罰を出そうとしていました。
そんな中、1866年1月18日、薩長同盟の交渉が開始されます。
薩摩藩側は、家老・小松帯刀を始め西郷隆盛、大久保利通、島津伊勢、桂久武、吉井友実、奈良原繁。
対して長州藩は、木戸孝允ひとり・・・。
口火を切ったのは、西郷でした。

「幕府が近く下す長州への処分案を、今は忍んで受け入れてたもんせ。」by西郷

西郷の言う長州処分案とは、長州藩主の蟄居、10万石削減・・・これはまだ幕府で協議中の極秘事項でしたが、西郷は独自のルートで情報を入手していました。
薩摩は長州と共に戦ってくれると期待していた木戸は、幕府側ともとれる西郷の発言に驚きます。

「三家老の首を差し出したことで、もはや、長州藩の処分は済んでいる。
 更なる処分など、納得いきません。」by木戸

双方、黙ってしまい、会談早々に交渉は決裂・・・。
しかし、どうして西郷は、幕府が下す処分の受け入れを勧めたのでしょうか?
薩摩側は長州藩士が、禁門の変で御所の前で発砲した以上、何らかの処分が必要だと考えていました。
この時、西郷は・・・一旦、幕府が下した処分命令を受けさせておいて、長州側に村にならないよう収束させるつもりだったようです。
長州側が、幕府の処分案を拒否すれば戦争になってしまう・・・それを避けたかったのです。

薩長の会談が物別れに終わってしまった2日後・・・薩摩藩の有志によって、長州に戻ることとなった木戸の送別会が行われました。
そこに・・・坂本龍馬がやってきて・・・話し合いの結果を知らない龍馬は木戸に・・・。
そして、西郷と小松にもう一度話し合うように説得します。
これによって、もう一度話し合いが持たれることとなりました。
決裂した交渉・・・知恵を絞ったのは西郷でした。
木戸の希望に沿う条件を提示しました。
その内容が、唯一記録として木戸の書簡に残っています。

・幕府と長州の戦いが始まれば、薩摩藩は二千ほどの兵を国元から上洛させ、幕府に圧力をかける。
・戦が発生して、長州側が勝利を収めそうな勢いになった時は、薩摩藩は長州藩の復権を朝廷に働きかける

その中身は、薩摩藩がいかにして長州藩の復権に尽力するかというものばかり・・・
中でも注目すべきは・・・

・一橋、会津、桑名の三者が今までのように朝廷を擁し、薩摩藩の終戦尽力の道を遮った際には、決戦も已む終えない。

これらの内容に、木戸も納得し、1月21日薩長同盟成立!!

この決戦は、対幕府ではない??
薩長同盟は本当に軍事同盟??
西郷が念頭に置いていたのは、一橋、会津、桑名との戦いで、武力討幕を全く考えていませんでした。
実際に戦闘が想定されるのは、京都で軍事力を持つ会津のみでした。
つまり、戦いが起きても藩同士の戦い・・・
「決戦」という言葉には、長州と共に幕府と戦うという意味はなかったと思われます。

つまり、薩長同盟は、討幕のための軍事同盟ではなかったのです。
この時点では、薩摩は第二次長州征討が実行される可能性が低いと想定していたので、木戸に伝えた内容は履行されないと見ていました。

薩摩藩にとって記録に残すほどでもなかった会談も、四面楚歌の長州にとっては大切なものでした。
その証拠に、薩摩藩が長州藩に有利な内容を提示してきたこの会談の内容を”皇国之大事件”とし、木戸はその言葉を書簡に何度も書いています。
そして、木戸は龍馬にこの書簡に裏書を書くように強く求めます。
交渉の場には、長州側は木戸だけでした。
なので、交渉内容を証明する人物として・・・龍馬は長州藩からは、薩摩藩士のひとりとして認識されていました。
後に、書簡を受け取った龍馬は、朱色の墨でこう記します。
”表に記されているのは、私は同席したときに、話し合われていた内容に相違ありません
2月5日 坂本龍馬”と。
龍馬に裏書してもらうことで、交渉を確かなものとして長州に持ち帰ったのです。

薩長同盟締結からわずか2日後・・・
1866年1月23日、寺田屋にて・・・
坂本龍馬は会談の成功を祝い、伏見の寺田屋で、長州藩となじみの深い長府藩三吉慎蔵と祝杯を挙げていました。
するとそこへ・・・幕府の役人が・・・!!
龍馬は持っていた銃で応戦しますが、刀で切りつけられ両手を負傷!!
命からがら近くの薩摩藩邸に逃げ込みます。
世にいう寺田屋事件です。
2017年、鳥取藩の記録が発見されました。
そこには・・・
”坂本龍馬というものが泊まっていた寺田屋に、薩摩と長州が密談していたことを記していた手紙があった。
 それによれば、長州が挙兵した際は、薩摩藩が京都の幕府軍を追い払うという密約があるらしい。”
 龍馬が寺田屋に置き忘れた手紙が、幕府の手に渡り、極秘の密談の内容が数日のうちに幕府に漏れていたのです。
一説には、龍馬はわざと手紙を残して幕府にリーク、薩摩の方針を幕府に知らせることで、この同盟が破棄されないよう、薩摩藩の退路を断ったのでは??とも言われています。
果たしてその真相はいかに・・・??

寺田屋事件の後、龍馬が家族に送った手紙には・・・
「寺田屋で襲われたことは、幕府に薩摩藩と長州藩の関係を知らせることができて、かえって幸いだった。」と。
龍馬は、薩摩と長州の温度差・・・この同盟の考え方の違いに気づいていたのでしょうか??

薩摩藩にとっては、記録に残す必要のない、リップサービスだった薩長同盟・・・
幕府の知るところとなった瞬間に、歴史は大きく動くのです。
同盟締結から5か月後・・・
6月第二次長州征討・・・幕府は10万の軍勢で開始します。
単独で幕府軍を迎え討つ長州軍は、3500ほどの兵で善戦。
この時、兵士たちが手にしていたのは、薩摩藩名義で入手した最新式の銃だったのです。
二度目の長州征討はないという思惑が外れた薩摩藩・・・
木戸との約束を守るために征討軍参加を拒否!!
西郷も、早期終戦に向けて尽力します。
長州藩は戦いを優位に進め、征討軍を撃破!!
この後、薩長両藩の討幕への勢いは、大きなうねりとなり、江戸幕府は終焉へと向かうのです。
薩長同盟成立からわずか2年後のことでした。

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