今回の先生は、橋場日月先生です~~!!

今なお現代人を魅了してやまない戦国武将・・・。
血で血を洗う戦乱の世を勝ち抜くために、彼らが求めていたものは・・・お金でした。
戦国武将は、お金集めに必死でした。

織田信長・・・
当時、京都・大坂にまで勢力を伸ばしていた信長は、京都・大坂から多額の税金を徴収。
裕福な寺院、栄えていた堺・・・など。
この時集めていたお金は、ある金額と一致します。
それは、足利義昭を将軍に擁立する為に京都に攻め入った戦の費用でした。
戦をする・・・それは莫大な費用が掛かるという事。
優秀な武将や兵士を集める給料、費用、食費や刀、鎧、鉄砲・・・攻め落とした城の補修費・・・
何をするにもお金が必要でした。

戦国武将の力とは・・・すなわち資金力!!
腕っぷしの強さや大義だけでは勝てないのです。
天下を取る野望はあるが、お財布事情はギリギリ・・・
信長も資金繰りに悩む若手経営者だったのです。


豊臣秀吉が、信長の時代に大きな力を発揮したのが経費削減で下。
1581年、鳥取城を落とす際に・・・手っ取り早いのは兵糧攻め・・・
お金と時間がかかる・・・三木城の時は2年もかかってしまった・・・。
そこで・・・!!
秀吉は秘策で兵糧攻めを4か月に短縮しました。
その秘策とは・・・??
いつもの3倍の値段で米を買い占めたのです。
秀吉が潜り込ませた商人が、城の倉庫の米も買い占め・・・
この時の経費は2000万円。
しかし、米がない鳥取城はすぐに陥落。
これにより秀吉は、戦の時間を1年8か月短縮し、300億円もの経費削減をしました。

江戸幕府初代将軍・徳川家康・・・

戦国時代の家康は、250万石の大大名でありながら、戦国一のドケチでした。
食事は麦飯、服も質素で、下着も買い換えない・・・
そんな家康が天下人になれたのは・・・??

1595年秀吉の甥・豊臣秀次が謀反の疑いをかけられ、切腹させられる事件がありました。
そんな中、細川忠興の家臣が家康の元へ・・・
「実は我が殿は、秀次様より黄金100枚を借りておりました。
 一刻も早く借金を返し、関係を絶たねば、殿は秀次様の仲間と見なされ、切腹となります。
 どうか・・・お助け下さりませ。
 殿を救うと思うて、金子数枚だけでも貸していただけませぬか?」

戦国一のドケチの行動は・・・??
「・・・では、これを持っていかれよ」

なんと黄金100枚!!
現在の二億円、さらには、「返済は無用じゃ」と・・・
「その代わり、わかっておられますな・・・」
この時の恩を忘れていなかった細川忠興は、関ケ原の戦いで先陣を切って徳川方につきました。
普段ケチケチしてためたお金を、恩を着せるために使った家康・・・この買収戦略があったからこそ天下をとれたのです。

1605年、天下を統一した後も、決して贅沢をすることのなかった家康・・・
しかし、息子に将軍職を譲って大御所となった家康が、不思議な行動に・・・??
家康が金に糸目をつけずに買い始めたものは・・・石でした。
ある日突然大名を招集した家康・・・
「これより江戸城の石垣工事を行う!!
 皆も、協力せい」
庭の石を指し・・・
「大石は一つ白銀20枚(400万円)、小石はひと箱小判3枚(60万円)じゃ」
と、ただの意思を買い占め、高値で売りさばきました。
自作自演の恐ろしいマネー術でした。
当時のスペイン商人の手記によると、城の床がきんぎんの重みで抜けたほど潤っていました。


もう一人の達人は・・・伊達政宗!!
独眼竜で知られ、最盛期には114万石の大大名でした。
そんな政宗は、剛腕なマネー術が目立ちます。
領地でとれる砂金のパワーで、東北を席巻していた政宗は、秀吉にも莫大な賄賂を贈り可愛がられていました。

「ところでお前、会津に攻め入ったようじゃの?
 わしの許しを得ず、勝手に戦を仕掛けるなど、言語道断じゃ。
 仕置に会津は蒲生氏郷に与える!!」by秀吉

会津には欧州に匹敵する金山がある・・・政宗はそれを奪おうと会津を責め取っていました。
しかし、その行動に目をつけられ、よりによって会津はライバル蒲生氏郷の手に・・・!!

「いまに見ておれ!!」

と、政宗は常識外れの行動に出ます。
会津を引き渡す前に、事故に見せかけて金鉱を水没させました。
会津ではその後一切金が採れなくなり、奥州の金が高騰したとか・・・。

さらに江戸時代、政宗は会津への執着を捨ててはいませんでした。

「どうか、会津をお返しいただけませんでしょうか?」by政宗

「お前は素行が悪いから駄目じゃ」by家康

政宗の夢は再び潰えた・・・しかし、そんな中、あるニュースが舞い込んできました。

「いま、江戸は人が急に増えて、米が足りていないそうです。」by家臣
「何・・・??という事は?
 農民たちから余った米を買い占めるのじゃ」by政宗

安く買い占めた米を江戸で高く売るビジネスを始めます。
これにより年間10万石、約45億円の収入を得ました。

江戸っ子の胃袋を掴んだ政宗は、後に天下の副将軍と呼ばれるほどお金の力で幕府の実権を握りました。
しかし、病魔にむしばまれ死を悟ると、お金の力を誰よりも知っていた政宗は、市の3か月前、幕府の閣僚に頼みごとをしました。

「すまぬが少々金を貸してもらえないだろうか」
「して・・・いかほどに・・・」
「銀子1000貫・・・!!」
その額およそ30億円!!
お金がたくさんあるのにどうしてそんな大金を・・・??

「これで仙台藩は安泰じゃ
 わしの死後、仙台藩が無くなれば貸し倒れとなる・・・
 借金があれば、取り潰しになることはない」by政宗

仙台藩は、政宗の死後15代にわたり栄えたのでした。

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