日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:次郎法師

主君 井伊の赤鬼・直政伝

新品価格
¥1,674から
(2017/6/29 17:52時点)



1600年9月15日関ケ原・・・この時、西軍に相対する東軍は、内部崩壊の危機に面していました。
その危機に立ち向かったのが、徳川四天王のひとり・・・井伊直政・・・おんな城主・次郎法師に育てられた虎松です。

徳川家康に仕え、外交交渉人としての才能を発揮し、戦場では赤鬼と呼ばれた勇ましさ・・・
その直政に徳川の命運が・・・??
徳川主力の遅参、先鋒は豊臣恩顧の福島正則・・・
前線で戦える徳川勢は井伊直政のみ!!
もしここで福島正則が先陣を切れば・・・戦は豊臣のものとなってしまう・・・
徳川のために・・・抜け駆けをして先陣を切るか??
それは同士打ちの危機でもありました。

山深く急峻な岩肌に囲まれた奥三河の地・・・
ここに、1300年の歴史を誇る鳳来寺があります。
井伊直政は、7歳から13歳までの7年間、命を狙われ・・・ここで過ごしていました。
直政は1561年、井伊谷の領主の子に生まれました。
当時の井伊家は、大国今川家に従っていましたが、直政が1歳の時に、父・井伊直親が敵対する徳川家康に内通したとして殺されてしまいます。
直政の後見となったおんな城主・次郎法師は、今川家によって領主の座を追われ、直政は殺生禁断の地である鳳来寺に匿われたのです。
耐えること・・・我慢することを学んだ直政・・・行く末の見えない中、自らの力と才覚で、運命を切り開いていきます。
1574年、今川家の勢力が衰え始めると、直政は、鳳来寺を出て母親の再婚先である浜松家の豪族・松下家に身を寄せます。
この時、浜松を支配していたのが・・・新興勢力の徳川家康でした。
1575年、直政は、鷹狩りに出た家康を路上で待ちます。
若者の面構えの立派さに目を止めた家康、自分のために殺された井伊当主の遺児と不憫に思い、召し抱えます。
急速に勢力を広げ始めた徳川家に仕えたことから、新しい人生が始まります。

この時、家康の軍団を支えていたのは、古くからの三河の武将たち・・・
後に徳川四天王と呼ばれる直政以外の人物(本多忠勝・酒井忠次・榊原康政)は皆、徳川家と縁の深い、三河武士でした。
結束の固さを誇る家臣団に突然ほうり込まれた異質な存在の直政。
常に家康のために、命を顧みない行動に出ます。
如何なるときも、家康の近くに控え、身を挺して主君を守る・・・最大の危機、伊賀越えでも、大きな働きをしたといいます。
そんな直政を、家康は寵愛しました。
しかし、直政は、武勇だけの若者ではなく・・・
1582年甲斐国若神子の戦いで、3か月に及ぶ戦いの徳川軍と北条軍。
和睦の使者として、21歳の直政が抜擢されます。
交渉にあたって直政の覚書には・・・
北条氏政の誓紙を差し出すこと。
徳川方家臣の妻子を返すこと。

若い直政の和睦締結の条書を見ると、細心なところに注意書きがいっています。
相手にいちいち了解をとる・・・
一を聞いて十がわからないと、使者は務まりません。
そんな能力を持っていることを家康は見抜いていたのです。

難しい和平交渉をまとめ上げた直政は、更なる重要任務・武田家の旧臣を徳川の家臣にという役を任されます。
直政は、主を失ったものたちの領土を安堵する取次を務め、たくさんの書状を送ります。
まさに文武両道・・・単なる武闘派ではなく、いかに戦わないで相手を屈服させるか??
その技術、能力・・・交渉役の資質があったようです。
家康は、忠誠を誓った武田旧臣数百人を直政に付け、”赤備え”を井伊が身に着けるようにいいます。
井伊の赤備えの誕生でした。

戦国時代の軍隊の力は、上杉武田がNo,1!!
その中でも、赤備えはとくに有名で、格好のいいブランド・・・責任の重い甲冑でした。
他の家臣たちは、直政に嫉妬します。
徳川四天王のひとり榊原康政は、武田の勇猛な家臣たちが直政に付けられたことを激怒、直政と刺し違えるとまで言ったといいます。
直政は、赤備えに相応しい結果を残さなければなりませんでした。
新しい直政の軍団の活躍の場は・・・1584年小牧長久手の戦いです。
信長亡き後の天下の覇権を家康と秀吉が争った大事な戦いで、23歳の直政は、自ら敵武者と組み合い、首をとるという危険を冒しています。
味方は直政をたしなめます。
「軍に将たるもの みづから手を下すべきにあらず」と。
それでも直政の激しい戦いぶりは収まりませんでした。その武勇は、赤鬼と恐れられたのです。
並みいる徳川家臣の中、際立った存在となっていく直政。。。
1590年天下人となった秀吉に家康が関東に国替えになった時、上野国に与えられた直政の所領は12万石。
四天王の本多忠勝・榊原康政が10万石、酒井忠次は隠居・・・まぎれもなく、徳川家の家臣筆頭となるのです。
時に29歳の若さでした。
やがて直政は、関ケ原の戦いで重大な決断をすることになります。

1600年9月15日早朝・・・
美濃国・関ケ原に東西両陣営15万を越える軍勢が集結しました。
笹尾山の石田三成から天満山の宇喜多秀家、松尾山の小早川秀秋、更に離れた南宮山の毛利勢まで鶴翼の陣の西軍・・・
東軍は桃配山に総大将の徳川家康、その前に軍勢の多い福島正則、藤堂、細川、黒田の陣が並んでいました。
井伊直政はその一角に布陣、近くには、直政の娘婿の松平忠吉がいました。
直政は初陣の忠吉の後見も兼ねていました。
しかし、この時家康は大きな誤算に・・・家康の焦りと怒り・・・それが、直政の選択に決定的な影響を与えます。

東軍は、もともと会津の上杉景勝を成敗する豊臣家による討伐軍だったので、豊臣家臣の大名が大半を占めていました。
その軍勢が下野の小山に向かった頃・・・三成らが挙兵!!
直政は軍をすぐに西に向けるべきだと強く進言!!
「時は既に至れり!!」
直政の固い決意を聞き入れた家康は西に向かう軍勢を二つに分けます。
東海道を進むのは、福島正則ら豊臣恩顧の大名が中心で・・・
秀忠が中心の徳川本隊は中山道を進みます。
家康は一旦、江戸に留まり、直政は家康の名代として東海軍を率います。
家康も江戸を出発しますが・・・上田で真田と戦っていた徳川本隊3万8000は、戦いに間に合いません。
家康の誤算・・・それは、徳川の主力本隊のないまま豊臣恩顧の大名の手を借りて決戦に臨まなければならなかったのです。

本隊は来ないけれど、機は熟している・・・
豊臣の大名たちが暴走してしまう・・・戦うしかない・・・!!
徳川主力軍がないまま戦うことになった徳川軍・・・
先鋒は、豊臣大名の中でも有力な福島正則となります。
もしこのまま福島正則が先陣まで果たせば・・・戦の全ては豊臣の手によってなされたものとなってしまう・・・!!
例え東軍が勝ったとしても、本当の徳川の勝利にはならない・・・
東軍で最前線にいる徳川勢は、井伊直政と松平忠吉の6000の兵のみ・・・
直政と忠吉が福島正則を出し抜いて先陣を切らなければ、徳川のメンツが立たない・・・。
しかし、戦場で先陣を横取りする抜け駆けは、軍法によって厳しく戒められていました。
家康が会津征伐の時の軍令には・・・
”先手を差し越し、軍法を背くの上は成敗すべき事”とあります。

先鋒は福島正則・・・
当時の武将たちは一番槍の高名や、誰が最初に乗り込むのか?大事な評価でした。
先陣争いで、味方同士が戦うケースも沢山ありました。
なので、先陣争いをして意思疎通が乱れてしまえば西軍に乗ぜる隙を与えてしまう・・・。

直政の選択は・・・抜け駆け??軍法を守る・・・??

直政は抜け駆けを決意!!
その日関ケ原は、朝から深い霧に包まれその霧が薄まっても両軍が様子見を続けて膠着状態でした。
直政は家臣に自らの陣を任せ・・・少数の兵を連れて動く!!
娘婿の忠吉の供をし、先陣・福島正則の陣の脇を抜けようとします。
これを福島正則の軍の可児才蔵が見咎めます。

「これは抜け駆けではない!!
 初陣の忠吉殿にお供をしての物見である!!」by直政

才蔵は道をあけます。
直政は忠吉と共に前進!!
偶然西軍に遭遇したという形で、敵陣に一番槍を仕掛けたのです。
1600年9月15日午前8時・・・関ケ原の激戦は、徳川勢の先陣のもと、開始されたのでした。

戦を仕掛けたのは徳川家の者がやったという証拠が残りました。
しかし、徳川氏の公子を一人無駄に殺してしまう可能性もあったのです。

直政たちの抜け駆けを知ると悔しがる福島勢は一斉射撃!!
東西両軍は激しくぶつかり合いました。
そして数時間後・・・西軍・小早川勢の裏切り、毛利勢の戦闘不参加によって東軍勝利の体制が決します。
石田三成ら主だった西軍の武将は退却・・・直政は忠吉と疲れた人馬を休ませていました。
そこへ・・・突如500騎ほどの軍勢が・・・!!
あれは味方か・・・??
敵と見るや、馬を駆り、軍勢を追撃にかかります。
忠吉も後を追います。
敵軍は、正面突破して戦場を離脱しようとする薩摩・島津義弘勢でした。
島津勢は必死の抵抗!!
多くの死傷者を出す井伊!!
敵と与して傷を負ってしまった忠吉。
直政は敵にわき腹と右腕を撃たれ馬から落ちます。
島津勢もほとんどの兵を失って薩摩に帰っていきました。

殆どの東軍の武将たちは、島津に抵抗して命をとられたら無駄死にだと思って道をあける中・・・
それも承知の島津が正面突破の中、徳川の意地を・・・!!という直政の思いが命知らずの行動に出させたのです。
その命知らずの行動が、家康からも認められ、三河武士達からも認めてもらう。。。
関ケ原の時にも、自分が島津を追いかけなければ・・・!!と、追撃したのです。
戦いは終わり、直政は傷を負ったまま家康のもとに参上・・・
家康は自らの作った薬で労い、直政の抜け駆けの罪を問うことはありませんでした。
先陣を奪われた福島正則も、あえてことを荒立てようとはしませんでした。
関ヶ原の戦後、直政は傷がいえる間もなく仕事に忙殺されます。
生き残った西軍大名との外交交渉・・・戦後処理を任されました。
島津、毛利に対しても穏便に処理するように・・・
戦場を離れれば、敵味方共に直政は信頼されていました。
毛利家当主・輝元は、直政の取りなしに深い感謝の状を送っています。
直政は関ケ原の功績で、近江・佐和山城を与えられ、18万石の領主となりました。
しかし、翌年、佐和山で没します。
関ケ原の傷の悪化が原因とされています。
まだ、40歳の若さでした。
家康は、直政を開国の元勲と称え、その後、井伊家は近くの彦根城へと移ります。
譜代一の家格となり、江戸時代の大老10人のうちの5人を輩出。。。
260年にわたる徳川政権を支え続けるのです。

死の2週間前、子供に宛てたものには・・・

「成敗利鈍に至りては 明の能く逆め睹るに非ざるなり」

とあります。

成功と失敗、賢いか愚かかはあらかじめわかることはない。
だからこそ、ひたすら行動するしかないのだ。。。



↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

井伊一族 - 直虎・直政・直弼 (中公文庫)

新品価格
¥756から
(2017/6/29 17:53時点)

井伊軍志 ― 井伊直政と赤甲軍団 ―

新品価格
¥21,600から
(2017/6/29 17:53時点)

女城主・井伊直虎と徳川四天王

価格:680円
(2017/4/13 18:22時点)
感想(0件)


今川を捨てて、故郷の岡崎に戻った松平元康!!
その裏切りに激怒した今川は、元康の妻・瀬名に自害を命じます。
瀬名を救うべく次郎は駿府に向かったが・・・時すでに遅し!!

そこへやってきたのは早馬!!

「松平元康が家臣・石川数正と申す!!
 鵜殿長照殿の忘れ形見を人質として預かっておりまする!!
 瀬名殿、竹千代君、亀姫様とお引替え願います!!」by数正


これが、後に語り草となる元康による瀬名の人質交換劇でござった。

ということで、なんとか瀬名と子供達の命は助かりそうです。

naotora8















そして助かった瀬名は・・・元康の松岡崎へ!!

そう。。。これで瀬名と次郎は敵味方。
そして瀬名にとっては母・佐名とも・・・。

「覚えていますか?
 あなた・・・いつか、今川を手に入れると言っていたんですよ?」by佐名

「夢見がちな子でございました。」by瀬名

「私は・・・たいそううれしかったですよ。
 あなたは幼いながらに私の心の内を感じ取り、私の敵を討とうとしてくれていたのでしょう。
 瀬名・・・岡崎へ行けば、あなたと私は敵となります。
 なれど、迷うことはありません。
 今度こそ、今川を手に入れなさい・・・!!
 それがあなたなら、母は本望です。」by佐名

「はい・・・」by瀬名

この後、佐名は、娘婿・松平元康の謀反のかどで、自害に追い込まる。
これを最後に、瀬名は二度と佐名に会う事はなかった・・・。

と・・・瀬名は、ただの勝気な子ではありませんでした。
子供ながらに、母のために・・・悔しい思いをしていた母のために、なんとか自分が頑張ろうと努力していたのですね。
そして・・・これが今生の別れとなることもわかっている二人なのでした。。。

その頃、井伊に帰った次郎は・・・今回のことを直親に話します。
元康のことが気にかかる直親・・・。
そして今川の変化にも・・・。

そんな井伊にやってきたのは元康の使いの者・・・先日の瀬名の一件の礼だという。。。

naotora9












そこには手紙が添えられていました。

naotora
















返事を書く直親。。。

その手紙には、松平からの鷹狩りの誘いでした。

「おそらく今川はもう立ち直れまい。
 その道連れになるのはまっぴらじゃ。
 となれば、どこかで松平と接触せねばならぬ。
 松平は今、このあたりまで来ておる。
 1年の後には、その波は遠江まで達しよう。」by直親

「じかに会うのはまだ早かろう。」by政次

「じゃが、前もって手を組めばこそやれることというものもあろう。」by直親

「その前に、今川に謀反の疑いをかけられるやもしれんがな!!」by政次

「だから!!政次に決めてもらわねばならぬのだ。」by直親

「選ぶ余地などないではないか・・・俺とて今川と共倒れなど御免だ!!
 その代わり、二つお約束いただきたい。
 一つは今川の間者がどこにおるかわかりますまい。この件は、決して口外なさらぬ事。
 私に一切をお知らせくださること。でなければ、いざという時守り切れません。
 御承知いただけますな??」by政次 

「選ぶ余地などないではないか・・・!!」by直親

ということで、鷹狩りに行ってしまった直親・・・。

そして・・・直親が会った元康は・・・手の甲に傷が・・・!!
私たちのみている元康とは似ても似つかぬ男だったのです

元康の影武者??それとも今川の手先・・・??
直親ピンチ!!

naotora2
















元康のことを政次に報告する直親・・・それはまさに、昔のように信頼しあっている二人でした。

次郎と政次を一緒にしようという直親・・・
しかし、政次は知っているのです。
次郎は直親を慕っていると・・・。

そこへやってきたのは次郎。。。

naotora3

















井戸を囲んで懐かしい空気がよみがえってきました。

今川屋敷に政次がやってきました。
それと同時に寺に次郎法師を訪ねて来た山伏・・・。
それは、南渓和尚の知っている常慶でした。
この知っているって点が信頼できるのだっ!!

naotora4

















元康からお礼の品を持ってきたという。
「??お礼はもう頂きましたが・・・??」by次郎

今川にはかられたことを知った次郎と直親。
その今川に呼びつけられていたのは政次。
寿桂尼にに問いただされます。
井伊が松平と内通しているのでは・・・??

「まことにございますか?
 それがしは存じあげませぬが、何故にそのような・・・??」by政次

寿桂尼が懐から出してきたのは、直親が元康に宛てた手紙でした。
松平との鷹狩りの件もばれてしまっています。

「殿の筆とは少し・・・違いますような・・・」by政次

しらを切る政次・・・。

「そうか・・・この者が持ち込んできたのじゃがのう・・・」by寿桂尼

その男の手の甲には刀傷が・・・
直親が家康と思っていた手の甲に刀傷のある男だったのです!!

その刀傷を見て・・・すべてを悟ってしまった政次・・・
そう、今川の仕掛けた罠だったのです。

「もう一度聞く・・・そなたは全く預かり知らぬ事なのじゃな・・・??
 まさか、目付でありながら、加担しておったのではあるまいな!!
 答えられよ、答えを選ばれよ!!」by寿桂尼

「選ぶ余地などございませぬ。
 父の代より恩顧を受けました。
 私は、今川様の目付にございます・・・!!」by政次

顔をゆがませながら返答する政次・・・
そこには満足そうな、寿桂尼がいました。

・・・この「選ぶ余地など・・・」って、政次&直親が言った時にはとってもかっこよかったんですが・・・
同じ言葉を屈辱と共に口にすることになるとは・・・!!

直親は、この緊急事態に、松平に助けてもらおうとします。
南渓和尚と次郎法師が、書状をもって常慶と共に岡崎に向かうことになりました。

今川より使いの者が・・・
直親に申し開きのために駿府まで来いと・・・!!

これは・・・父・直満の時と同じ・・・!!

そして頼りにしていた岡崎の・・・松平の答えは・・・

「今、剛力することは出来ぬ!!
 今、ここから井伊にまで兵を出す余力は万津平にはござらぬとの事にございます。」by常慶

焦る次郎法師!!
瀬名を頼ろうとするものの・・・情景によると瀬名は寺にいるという。。。
捨て置かれるはずだった瀬名・・・今川の手の妻子など捨て置けばよいと松平の者は言ったという。
しかし、元康や石川数正が助けたのだ。

それでも瀬名を頼ろうと会いに来る次郎・・・
そりゃあ、無茶だわ・・・。


「私と一緒に井伊に来てくだされ。
 ことがなれば、すぐにでもこちらへお返しする。」by次郎法師

naotora5
















「なれど・・・私どもでは人質にはなりませぬ。」by瀬名

食い下がる次郎法師・・・
どうにかこうにか瀬名が聞いてくれる・・・??と思ったものの、寺を出るところで、瀬名を残して扉が閉まってしまいました。

「私は参れませぬ!!
 井伊に置き去りにされては、私は今川を手に入れることはできませぬ!
 母と・・・亡き母と約束したのでございます!」by瀬名

瀬名がこだわり続けている今川・・・
その今川はもうすぐ滅びるというのに・・・
でも、そんな瀬名も、元康が庇わないことによって自害させられるのだから、本当に悲しい運命・・・
切ないというか・・・この時、井伊に帰っていたら死なずに済んだのかしらね・・・??

に対して、”助けたではないか”と恩を売っている次郎だけれども、時間稼ぎが今回の恩を売れるほどの助けになったかどうかは、わかんないわよね・・・。
その頃・・・もう一人の針の筵・・・政次は、父の言葉を思い出していました。

「お前は必ずわしと同じ道をたどるぞ。。。」by政直

井伊が呼び出しに応じぬのじゃ!!と言ってきた氏直に・・・

「すこし・・・脅されるがよいかもしれません。」by政次

この時すでに政次の顔は、面をかぶったかのようになっていました。。。
そう・・・直親を売ることで、井伊を守る道を・・・
どんなに井伊のために今川に尽くしても、井伊に嫌われる・・・父と同じ運命を受け入れた瞬間でした。

もたもたしているうちに今川の兵が・・・!!
もう、待てない・・・!!

迎え討つという大爺様・・・井伊の者はみな、そう考えていましたが・・・

「はい、是非さように願います。
 もしも、虎松がかような目に追い込まれたときには・・・!!

 此度のことは、それがしの失態・・・それがしが申し開きに参れば、それで済むことにございます。」by直親

「わしはもう、これ以上見送るのは御免じゃ!!
 見送るのは御免じゃ!!」by直平

ほんと、子供の逆を見るだけでも悲しいのに・・・子、孫までもが・・・

政次は何の音沙汰もなく・・・。

「私は・・・政次は井伊を守ったのではないかと・・・そう、思いとうございます。」by直親


「しの・・・虎松が生れてから寺の井戸には水が湧き始めてな。
 虎松はきっとご初代様の生まれ変わりだと思うのだ。
 この子は井伊をよみがえらせる。
 お前が産んだのは、そういうただならぬ子だと思うのだが、お前はどう思う??

 虎松を頼むぞ・・・!!

 虎松!!
 覚えてほしいことが一つだけある。
 生きておれば、必ず好機はある!!
 わかるか??よし。。。良い子じゃ・・・!!良い子じゃ!!」by直親

と、家族の最後の別れを惜しむ直親・・・。

だったのに・・・!!

naotora6

















このシーンだわ・・・

「我が男子に生まれておればよかったのじゃ!!
 さすれば明日、駿府に参るのは我であったはずじゃ・・・!!」by次郎法師

「それは困る。
 おとわが女子でないのは・・・。
 もし、おとわが女子でなければ・・・ 
 俺のたった一つの美しい思い出がなくなってしまう・・・」by直親


ここいる・・・??
それまでの、次郎法師がちょかちょかしなければ、目をつけられることはなかったのは本当かもしれない。
次郎法師が男子に生まれていたら、こんな悲劇はなかったかもしれない・・・。
って言っても、今川から目をつけられている井伊の男子はことごとく殺されてるけどね・・・。

でも、たった一つの美しい思い出がなくなってしまうって・・・
しのはともかく虎松との日々は・・・??
美しい思い出ではないのか・・・??
あのまま、家族三人の直親がよかったよ~~~!!

川名での経を読んでほしいと頼む直親・・・
しかし、死者を悼む経なので、読まない・・・と、断る次郎法師。。。

「戻ったら一緒になってくれ・・・!!」by直親
「心得た・・・!!」by次郎法師

抱き合う二人だよ・・・。
無理だろ・・・どうしてしのじゃいけないんだ・・・。

「待っておるからな!!」by次郎法師
卑怯な手を使ってでも帰って来いという次郎法師。

う~ん・・・腐ってももう一つの饅頭になるって決めたんじゃないの??
それとも死に行く運命の直親を優しく包んであげたのか・・・??

誰もが直親が生きて帰れるとは思っていなかったのだから・・・

naotora10












今川に向かう途中・・・
そこには、敵が・・・!!

naotora11












ということで、ラブシーンが蛇足な今回でした。

実際、次郎法師が私が男であったなら!!と、思っていたでしょう。
もちろん、生まれる前から男子であってほしいと両親も、大爺様も思っていたと痛感していたはずです。
そんな次郎法師の心の叫びが発せられた一コマの後に、ラブシーンはなあ・・・

次郎法師に女性の部分って必要でしょうか??
例えば・・・浅井長政の娘・茶々が、自分の血筋(織田信長の姪)と父・長政の敵討ちを心に秀吉に取り入って、最終的に天下を取るという”どす黒い”部分を書いてくれるのなら女性もアリですが・・・。
あ・・・”江”の時も、いろいろ活躍した江なのに、お饅頭食べて子供産んでばっかりで、彼女の最大の功績である娘・和子を御水尾天皇の中宮として嫁がせたことは触れもしなかった大河もありましたね・・・。

出家してるんだから、女性はダメだろ・・・!!



↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

おんな城主 井伊直虎 その謎と魅力 [ 石田雅彦 ]

価格:1,404円
(2017/4/13 18:22時点)
感想(0件)

城主になった女井伊直虎 [ 梓沢要 ]

価格:1,188円
(2017/4/13 18:22時点)
感想(0件)

>井伊直虎のことがマンガで3時間でわかる本 [ 津田 太愚 ]

価格:1,512円
(2017/3/10 05:35時点)
感想(1件)


今回は、こんな呑気な題に似つかわしくない・・
爽やかブラックな直親に、ドキドキ(ってじゃないわよ・・・)する回だったかな・・・??

直親との夫婦約束を断った次郎法師・・・
そして、直親は奥山の娘・しのと、祝言をあげたのでした。

直親も帰参して、安定した生活が始まった・・・
幸せな井伊の生活の中で、直親の笛に合わせているのは、しのの鼓・・・。
この鼓は自分がたたくのではなかったか・・・??ふと、そう思う次郎法師。。。


謀反人の息子の帰参と、家督相続を願い出る井伊・・・
さて、今川の答えは・・・??

naotora2















もちろん、井伊の娘(次郎法師)との結婚は無理で・・・
帰参を許す代わりに検地をしに来るという・・・
しかし、検地の先には大爺様の隠し里が・・・!!
見つかっては!!と、井伊では大騒ぎ!!

naotora3












「わしの川奈を検地なぞされたら、たまったもんではないわ!!」by直平

「そうじゃ!!川名は井伊の最後の砦じゃ!!敵の目に晒すなど、言語道断じゃ!!」by直由

「一歩でもあそこへ立ち入ろうものなら、血の雨が降ることになるからな・・・!!」by直平

と、相変らずに聞かん坊な、最年長の大爺様です

大爺様に連れられて、直親が隠し里を見にいくことに・・・。

naotora4













そこには、綺麗で見事に豊かな山里が・・・。

「ここは、もしもの時に、井伊の民が逃げ込むところでな。
 かつて、今川に追い込まれたとき、わしらがここに隠れ住み、時を稼ぎ、命脈を保ったのじゃ。
 ここがなければ、井伊は滅んでおったかもしれん。

 ここは文字通り、最後の砦なのじゃ。
 今は今川が強い。
 その下におれば、我らは安泰じゃ。

 しかし、それがいつまで続くかは、誰にも分らん。
 その時に、いったい誰が、この井伊を守るというのじゃ。」by直平

大爺様も、いろいろ筋肉頭で考えているのね・・・。

「隠し里を隠し通す・・・!!」by直親

でも・・・役人がくる・・・。
それを、誤魔化したり丸め込もうとする作戦の直親です。

「そもそも、検地を被りましたのは、それがしの帰参のお許しを頂いたが故・・・。
 それがゆえに、井伊の最後の砦を失うなど、耐えがたきものがございます。
 川名の件は、何卒、それがしにお任せいただけませんでしょうか?」by直親

おお!!頼りがいのある直親!!
一体どうする・・・??

川名から帰った直親・・・しかし、また出かけていきます。
不安に見つめるしの・・・。
その出先は、次郎法師の元でした。

検地に来る役人の、困っている事、弱み・・・を瀬名姫から聞き出してほしいという。
やるだけやってみてほしい・・・こちらでもなんとかしてみるという直親・・・。
竜宮小僧!!と、さわやかにおだてられ、頑張るのかな??
ってか、それでうまくいくのか・・・??

新婚早々次郎法師の元へ出入りする直親を不安におもうしのですが・・・
直親はまたもや川名へ出かけるという。。。
・・・単細胞なんだ・・・直親・・・

川名へ向かった直親は、川名を隠蔽工作・・・って、入り口に”行かさん”するだけですか・・・??
そんな結託した井伊の人々のお目付け役の小野兄弟は大変そう。。。
駿府からの返事はまだ来ない・・・。
謝る次郎法師だけど・・・自分で何とかしないとね、直親・・・??

「ずっと気になっておったのじゃが、政次にはこの話はしたのか?
 この話、政次が”隠そうとしておる”と、役人に話してしまえば、全てが終わりなのではないのか??」by次郎法師

そうなんです、どうするんでしょ??政次・・・まさに忠誠を誓う踏み絵状態・・・!!
でもね・・・そこに賭けるしかないそうです、直親は・・・!!
策を練れよ・・・策を・・・。

「甘いかの・・・」by直親

夜に、政次の元を訪れた直親・・・川名の指出を持ってきました。
そこに、隠し里の分はなく・・・もう一つに分けられていました。
川名の隠し里の分は、出さずにおきたいという・・・。

「鶴は、今川の目付という立場もあろう。
 隠していたことが露見したときに、今川より落ち度を責められるのは小野だ。。。

 そして、そうなった小野を、井伊は守りはせぬであろう。

 だが、今川もまた小野を駒としか思っておらぬ。
 ここが小野の苦しいところなのであろう。
 
 その生き辛さは、俺には量りかねるところがある。

 そこで一案だ・・・

 もし、鶴が隠すことに加担したくないと思うのなら、この冊子をつけて出してくれ。
 もし、ひと肌脱いでくれるというなら、そのまま破り捨ててくれ。
 俺は、鶴の決めた方に従う・・・

 では・・・よろしく頼む。」by直親

・・・よろしく頼むって・・・酷い・・・卑怯だよ・・・直親。
鶴・・・いえいえ政次・・・可哀想・・・。
脅されてるよ・・・これ。。。

まさに、踏み絵だ・・・けど、信じたからって何もしてくれないんでしょ??井伊は・・・!!

「竹馬の友とは、よきものにございますな!!」by玄蕃
??玄播は阿呆か・・・??


そして・・・指出をまとめてきた政次・・・隠し里の指出は、破り捨てたという。
怒ってもいいんじゃね??政次!!

検地当日!!

naotora5













やってきた岩松は、とっても真面目で曲がったことの大嫌いなお酒も飲まない堅物でした。
きっちりと測っとります。

取りつく島もなく・・・そして川名も見にいくという・・・。

その夜・・・直親が出掛けたのは次郎法師の元でした。
おい・・・接待はいいのか??って、接待もしなくていい堅物なのか・・・??

瀬名の便りが来ないのか??と、次郎法師に聞くのですが・・・
ここまで来たら、自分で何とかしろよ・・・直親。。。

誤魔化せないのではないか・・・と、心配する政次のもとへやってきたのは次郎法師。

「鶴、この通りじゃ。
 此度の検地は、亀の味方をしてやってほしい。
 鶴は亀の事を信じておる。
 どうかその気持ちを裏切らないでほしいのじゃ!!」by次郎法師

お前が出てくると、ややこしくなるのだ・・・!!
ずっと一緒に大きくなった鶴の事を、もっ信じてやれよ!!
第一、裏切るなんて一言も言ってないのに・・・!!

「亀に言われてきたのか・・・??」by政次

「われは・・・亀の役に立ちたくて・・・勝手に来たのじゃ。」by次郎法師

「では、還俗して俺と一緒になるか??
 次郎さまは、俺の立場では物を考えぬお人であるらしいが、俺はあいつのせいで二度も好機を失っておるのじゃ。
 一度はあいつゆえにおとわさまが出家をし、もう一度はあいつが戻ってきたせいで良い話を失った・・・。
 味方をするのはやぶさかではないが、俺も俺で、もう、とりっぱぐれは願い下げでな・・・。
 何の覚悟もないのなら、寺で経でも読んでおれ・・・」by政次

ぐうの音もでん・・・な、次郎法師、当たり前だ・・・
政次が正論だよ・・・政次も、井伊のために働いてくれているのに、それをみんなでいじめてるんじゃん・・・ほんとは。

そこへ・・・南渓和尚が手紙を持って、寺に戻ってきました。
瀬名からの手紙を・・・。
でも、次郎法師は・・・??

みんな、川名に発ってしまいました。
って、手紙は手にできないわ、みんなを説得できないわ・・・どうしたよ・・・次郎法師・・・??

手紙を手にすると・・・そこには岩松様の弱点が・・・??

「直親を助けに参ります!!」by次郎法師

馬で川名へ・・・!!
それも、しのの目の前で・・・これも酷い・・・。
ああ・・・しの、泣いちゃったよ・・・可哀想。

瀬名の手紙には、岩松様は変わり者だと書かれていました。
でも・・・竹千代とは仲がいいらしく・・・

naotora6













岩松様がこよなく愛するのは、数と算術、そして亡くなられた奥方様でした。

川名へ来たのも、政次の差し金か・・・??と、疑う大爺様。
隠し里を隠せ通せるのか・・・??

ここには何もないよ??なんて、吉本新喜劇ヨロシク・・・発見されてしまいました。
指出にはない土地が・・・そこへ次郎法師登場!!

「岩松殿!!
 この里は、井伊の者ではございませぬ!
 故に、この里は、指出に入っておらぬものと存じます。」by直親

「では、ここの里はどこのものじゃ。」by岩松

「そこは、何分、帰参いたしましたばかりにございまして・・・
 但馬!!この里は、井伊のものではないのであろう?
 指出を渡した時も、何も言うておらなかったが・・・」by直親

naotora7












あ・・・直親、目恐い・・・
「ここは・・・かつて、南朝の皇子様が隠れてお住まいになられていた里にございます。
 故に、井伊の領地にありながら、井伊の領地にあらず、という扱いにございます。」by政次

naotora8












 
長い沈黙のあと・・・
「心得申した。」by岩松

そして・・・龍潭寺の僧としてやってきた次郎法師。。。
この日は、丁度、岩松様の亡くなった奥方の月命日で。。。供養のための読経をし、機嫌を取る次郎法師なのでした。

naotora9












って・・・次郎法師、いる??

江の時も、花燃ゆの時も・・・どこにでも主人公を無理くりほうり込むのは止めてほしいのよね・・・。

naotora10












どうにもこうにも、政次を悪者とする井伊の人・・・もう、見切りつけてもいいんじゃないの??政次!!

「それがしを信じておられるならおられぬで構いませぬ。
 されど、信じているふりをされるのは気分が良いものではありませぬ。」by政次

「井伊を守るのは、おとわのためだと思うてはもらえぬか。
 井伊のためにすべてを捨てたのは・・・おとわだ・・・
 おとわのために、共に好む荷を守っていこうとは思うてはもらえぬか?」by直親

「お前のそういうところが好かぬ・・・。」by政次

そして・・・政次の弟・小野玄蕃に、しのの妹・なつが嫁いだのでした。
小野を親族に・・・丸め込みたい井伊がそこにはいました。
そして今川も・・・家康と瀬名の婚儀が執り行われたのでした。

それにしても、正論は政次にあると思うのですが・・・どうでしょう。
このドラマでは、今川に媚びようとも生き抜こうという政次の気持ちが見え隠れします。
ま、いけずなところもありますが、直親と次郎法師がもっと政次のことを信じてあげれば、政次は心の底から井伊のために頑張れると思うんですけどね。。。

直親が嫁をもらい、玄蕃が嫁をもらい・・・この後のことを考えても、政次が今川に、そして井伊の仕事をすればするほど直親・次郎法師の想いと離れて行ってしまいそう・・・。

「井伊を守るのは、おとわのためだと思うてはもらえぬか。
 井伊のためにすべてを捨てたのは・・・おとわだ・・・
 おとわのために、共にこの国をを守っていこうとは思うてはもらえぬか?」by直親

「お前のそういうところが好かぬ・・・。」by政次

と言ったのは、おとわを引き合いに出すんじゃなくって、面と向かって
”井伊のために、俺と一緒に頑張ってほしい。お前を信じている”
と言ってほしかったのでしょうね。。。

三人の絆を前面に出すくせに、おとわも亀も、鶴を信じてやれよ・・・!!

それとも、この三角関係・・・いや、しのも含めて四角関係で進んでいっちゃうんだろうか・・・??
それだけは嫌だ~~~!!



↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

>おんな城主井伊直虎と井伊直政の真実

価格:1,080円
(2017/3/10 05:36時点)
感想(4件)

>直虎・直政、家康まるっとガイド

価格:972円
(2017/3/10 05:36時点)
感想(0件)

女にこそあれ次郎法師 [ 梓沢要 ]

価格:2,592円
(2017/1/31 14:27時点)
感想(0件)




今年の大河ドラマの舞台は、群雄割拠した戦国時代。
主人公は、戦に明け暮れ力こそ正義の時代にひときわ異彩を放ったおんな城主です。
史料には・・・

”次郎法師は女にこそあれ
    井伊家惣領に生まれ候”

とあります。

女性の身でありながら当主となり、後に直虎と名乗ったともいわれている次郎法師。
しかし、次郎法師がとうしぃとなったのは、井伊家の長い歴史の中で最大の苦難の時代でもありました。
次々と命を落とす井伊家の男たち・・・。
度重なる軍役で農村は荒廃し、領地経営は破たん寸前でした。
そんな次郎法師を追いつめたのが、主家である今川家の無理難題です。
借金を棒引きにする”徳政令”施行の命令でした。
この命令の裏には、今川氏の恐るべし意図が隠されていました。

一歩間違えば。井伊家を滅ぼしかねない徳政令・・・
果たして受け入れるか否か・・・??

静岡県浜松市にある井伊谷が、井伊家の領地でした。
起源は古く、家は平安時代に始まると言われています。
井伊家の居城は井伊谷城・・・
戦国時代でも古い形態を持つ城であったことがわかっています。
沢山堀を巡らせるような後の時代の城ではなく、要塞化していない城・・・
領主と領民が隔絶した存在ではなく、領主が地域に溶け込んでいる姿が見出せます。
当時の井伊家は、三か国(三河・遠江・駿河)を有する戦国大名・今川氏の支配下にあり、付き従う国衆でした。
その惣領の家に生まれ、幼いころに出家したと言われる次郎法師。
女性の身でありながら、どうして当主に選ばれることになったのでしょうか???

以外にも、戦国時代には女性が活躍していました。
今川氏の実権を握り女戦国大名と呼ばれた寿桂尼、美濃岩村城おんな城主となり戦に身を投じた岩村御前、筑前立花氏の家督を継いで一国一城の主となった誾千代・・・
男勝りの女性が数多いました。

当時来日した宣教師によると・・・
ヨーロッパでは財産は夫婦間で共有する。
日本では別々に財産を所有し、時には妻が夫に高い利子で貸し付ける・・・と書いています。

江戸時代に作られた封建的な女性のイメージと、戦国の女性は違っています。
戦国時代の女性は経済力を持っていました。
実家からの持参金(敷金)です。
当時の資料には、女性商人の姿も・・・女性の活躍する時代だったのです。
とはいえ、次郎法師が領主となったのは、井伊家が危機に直面したから・・・
きっかけは桶狭間の戦いです。
1560年5月、今川義元が2万5000の大軍を率いて尾張へ侵攻!!
迎える織田軍は2000!!
ところが合戦は、信長の奇襲攻撃によって今川が敗北し、義元は戦死してしまいました。
今川の敗戦は、井伊家にも甚大な被害をもたらします。
当主・直盛討死!!
さらに、井伊家家臣、領民も200人以上討死したと思われます。
その後も合戦で・・・跡継ぎの男子が次々と討死・・・
桶狭間で討ち死にした直盛のあと当主となった直親は、徳川(松平)との内通を疑われ殺害され、直平も急死・・・
家督を継ぐべき男子は、直親の子・・・3歳の直政(虎松)のみとなりました。
この危機的状況を打開するために白羽の矢が立ったのが直盛の娘・次郎法師でした。

史料によると・・・
次郎法師は井伊直親が殺害されたのち、井伊家の領主となった。
とあります。
井伊家存亡の危機に当主となった次郎法師。
それは苦難の始まりでした。

今川家から見ると、国境に近い井伊谷は、武田方・松平(徳川)方に裏切るかわからない存在・・・
井伊家から見ると、四方八方から誘いがくる・・・疑いの目を受ける・・・そんな厳しい状況でした。
女性であるということで、中継ぎ・・・という目で見られ八な次郎法師が、どう戦ったのでしょう?

そんな井伊・・・領地経営は、困難を極めていました。
原因は度重なる軍役。。。
桶狭間の敗北以降、今川の領国内が不安定となり、争いが絶えなかったのです。
戦となれば徴集される井伊谷の男たち・・・男性の多くが失われ、年貢が滞り、田畑を担保に商人に借金する者が少なくありませんでした。
そんな中・・・今川氏から思わぬ命令が・・・!!

1566年、次郎法師に主家である今川氏真から命令が届きました。
それは・・・井伊谷に徳政令を施行せよというものでした。
徳政令とは・・・債権、債務の破棄を命じる法令で。。。借金棒引き命令です。
度重なる貧困にあえぐ領民にとって、徳政令の施行が救いになるのは事実・・・
しかし、徳政令は諸刃の剣!!
領民たちの借金は棒引きになるものの、銭主(商人・寺院など)の損害は計り知れない・・・
商人や寺院は、井伊家にとって領地経営に資金を援助してくれるなくてはならない存在・・・
徳政令は彼らの離反を招きかねない!!

そこには今川の隠された意図がありました。
井伊谷の秩序を壊し・・・今川が井伊谷を自分のものにしたかったのです。
井伊氏の支配を終わりにしようとしたのです。
どうして・・・配下であるのに??
今川は、桶狭間の戦いで三河を家康に奪われていました。
国境を接している井伊が徳川に下れば、信仰を許し、今川の領国は崩壊しかねません。

徳政令を受け入れるか?否か・・・??

圧力に屈して徳政令を受け入れたら、商人たちに大損させ・・・再びお金を借りることができなくなる・・・
そうすれば、領国経営ができなくなる・・・
徳政令を凍結すれば・・・??

徳川家康も、武田信玄も、今川の領国を虎視眈々と狙っていました。
特に、家康にとっての井伊は・・・遠江侵攻の手がかりになるのでぜひ欲しい・・・。
今川氏真が周辺大名への対応に追われているのは次郎法師にとっては好都合。
今川は徐々に焦り始めていました。
徳政令を凍結すれば・・・徳政一揆になる??
そうなると、井伊の存続が・・・!!
例えば・・・正長の徳政一揆・・・この一揆を皮切りに、一揆は頻発し・・・
それがひいては室町幕府の弱体化、崩壊につながった・・・。

さらに戦国時代の百姓には、郷中明と呼ばれることがあり・・・
村単位で逃亡し、他の国に逃げ込めば・・・領国経営は立ちいかない・・・

徳政令を施行するのか?しないのか??

徳政令が出される理由は・・・戦乱、天災、代替わり・・・井伊谷徳政の場合、特に桶狭間の影響が・・・
領国の混乱で、今川氏真は立て直しに必死でした。
今川氏真は、義元が討死し、弔い合戦もしなければなりませんでした。
氏真が戦争をしようとすればするほど人々の負担が増えてしまっていました。
相手の国を侵略して自分たちの領地が増えるわけではない・・・
骨折り損のくたびれ儲けだったのです。
次郎法師にとっては・・・氏真が人気を取って戦争をやられてはまずい!!と思っていたのです。
地域を大事にしなければ・・・!!

今川氏から井伊家に突き付けられた徳政令・・・次郎法師は・・・??

今川氏の命令にもかかわらず、次郎法師は自らの判断で「徳政令を凍結」しました。
龍潭寺には・・・
「天下一同の徳政ならびに私徳政、一切許容あるべからず候」
龍潭寺の債権や事業には一切徳政令の効力が及ばない事を次郎法師が保証しています。
戦国時代の寺院は、在地で大きな力を持っていました。
井伊谷の龍潭寺も、広大な農地を持ち、金銭の貸し付けを行っていました。
こうした力を背景に、龍潭寺は井伊家に大きな影響力をもっていました。
事実、次郎法師が領主となるときも、龍潭寺の意向が大きく反映されていました。

次郎法師は、徳政令を先まわしにしている間に、寺社勢力や商人の損害を最小限に食い止めようとしたのです。
さらにこの頃、今川の領国内では混乱が・・・
家康や信玄になびく国衆の反乱が起きていたのです。
徳政令を凍結したのは、こうした政治的混迷の行く末を見極めるため、時間を稼いだのです。
しかし、これに黙っていられないのは、徳政令を待ち望んでいる農民・・・領民たちです。
史料によると、井伊家を飛び越え、今川に・・・本百姓から訴訟の申し立てがったと書かれています。

1568年、圧力に耐えきれなくなって・・・井伊谷に徳政令が施行されました。
結果、2年にわたって徳政令を凍結した次郎法師・・・そして書状には、直虎という名が残されていました。
徳政令施行後、次郎法師は絵洋酒の座を奪われてしまいます。
今川の家臣がその権限を奪ったのですが・・・
この2年の間に情勢は大きく変わっていました。

大事件・・・
家康は信玄と大井川を挟んで、駿河は武田、遠江は徳川という約束がなされました。
つまり、今川の領国に侵攻することが決まったのです。
徳政令施行後のわずか1か月後、家康は井伊谷からの遠江に侵攻・・・
この時、導いたのは井伊家の旧家臣を含む井伊谷3人衆・・・という武将でした。

1569年5月、今川氏滅亡!!
徳政令施行後、わずか半年のことでした。
2年にわたって徳政令を拒んだ次郎法師・・・
それは、井伊家の歴史の礎となったのです。


2016年12月、新資料が発見され、直虎が今川家家臣の男子という説が出てきました。
大河ドラマの主人公が次郎法師と名乗り、井伊谷を支配していたのは間違いありません。
この次郎法師が後に直虎と男のような署名や花押を押したりしたのか??
それとも直虎は今川から派遣された者なのか??

次郎法師の名が再び現れるのは・・・徳政令から7年後の1575年。
次郎法師は小袖を仕立てたとされています。
その人物こそ、天塩のかけて育てた虎松・・・後の井伊直政です。
次郎法師の小袖を着て、家康に仕えることとなった直政。
今川に奪われていた井伊谷を取り戻すことに成功!!

以降、家康配下の武将として活躍していく直政。
1582年6月2日本能寺の変!!
この時、堺に見物に来ていた家康に同行していたのが直政。
堺から領国三河への逃避行!!
それは家康最大の危難”伊賀越え”でした。
直政は、家康を守護し、帰郷に成功!!
その後も、家康の天下統一事業を支え、徳川四天王のひとりとなるのです。

次郎法師は・・・龍潭寺で静かに余生を過ごしました。
本能寺の変から3か月後・・・直政の無事の帰還を見届けると息を引き取ったのでした。
次郎法師が守った井伊は、徳川家譜代の筆頭となり、彦根城・35万石の城主となりました。
江戸幕府260年、5人もの大老を輩出したのは井伊家を置いて他にはありません。


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

井の国物語 戦国井伊家を支えた次郎法師直虎御一代記

価格:1,620円
(2017/1/31 14:27時点)
感想(0件)

【おんな城主直虎】プレミアム戦国武将Tシャツ「井伊直虎」2017年大河ドラマをイメージした井伊直虎Tシャツが新登場!戦国乱世に力強く咲く一輪の華!【送料無料】【お土産】【プレゼント】

価格:2,700円
(2017/1/31 14:28時点)
感想(0件)

このページのトップヘ