日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:毛沢東語録

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毛沢東は、大躍進政策の責任をとって国のTOPを劉少奇に譲ります。

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=毛沢東の求心力が低下していくのですが・・・


outakutouこれに危機感を抱いた毛沢東は、権力を奪い返そうとします。
その運動は、常に革命が必要である!!
自分達こそが革命である・・・!!

毛沢東が権力を奪い返そうという運動・・・
この時に使ったのが、毛沢東の個人崇拝です。
”毛沢東語録”を作り、毛沢東の言葉を一冊の本にまとめました。
”毛沢東がいかに偉大であるか”という一大キャンペーンです。
そして毛沢東が始めたのが文化大革命です。
「権力を取った者は腐敗していく。
 常に革命が必要である。
 それまでの権力者を打倒することが大事である。」
というものです。

つまり、劉少奇など、毛沢東が権力を失って、代わりに権力を取った連中を打倒しようというものです。
常に国家の新陳代謝が必要であると説いたのです。
その為には、若いものが年寄りを打倒しなければならない!!
”紅衛兵運動”が盛んになりました。
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”紅”=革命のシンボルである”赤”・・・つまり、共産主義を守る兵隊のことです。
このような運動が、高校生・大学生を中心に始まりました。

文化大革命のスローガンのひとつに”造反有理”というものがあります。
「反逆には道理がある」というもので、今の秩序をひっくりかえすというものでした。

毛沢東語録を振りかざしていれば、とがめられることはない!!という事態となったのです。
何をしようとも、警察も一切手を出さない!!ということになってしまいました。

「学校で試験をすること自体が反革命である」
=白紙で答案を出すと高く評価される

「革命をしなければならない時に授業をやっている場合ではない」
=全国の学校が全て止まる

毛沢東語録に真理が詰まっているので、これだけ読めば後は一切学ぶ必要がない!!
ということで、1960年代に全国の学校が閉鎖され、学生は読み書きを含めた教育を受けなかったのです。
その人たちは今、50代・60代の人たちです。
文化大革命の影響で、今でも読み書きの出来ない人たちがたくさんいるのです。


当時北京の警察では、
「紅衛兵が人を殺してしまっても取り締まってはならない」
という通達が出ました。

紅衛兵同士の殺し合いが全国各地で起こっていきます。
さらに当時の幹部たちは、紅衛兵によって吊るし上げにあっていくのでした。
その結果・・・毛沢東による権力の奪い返しが成功するのです。

毛沢東は権力が手に入ると・・・紅衛兵たちが邪魔になってきました。
中国経済も停滞し、失業率が非常に高くなります。

毛沢東は・・・
「お前たち学生は、インテリ・知識人である
 知識人は本当の意味での革命家ではない
 地方に行って、労働者・農民に学べ」
ということで、都市部の学生・・・若者たちを全国の農村地帯に追いやるのでした。
これを下放といいます。

文化大革命によって何百万人の人が亡くなったのか?それははっきりしません。

ただ・・・大躍進政策や文化大革命によって
「うっかり御上の言うことを信用したらろくなことはない」
ということが刻み込まれてしまったのでした。

tousyouhei毛沢東が亡くなった後、経済の立て直しが始まりました。
中国が発展する政策をするのが鄧小平。

生産責任制で農業を立て直します。
中国は社会主義で、土地はすべて国有地・・・”人民のもの”。
しかし、それぞれの農地について・・・
自分の担当の農地で作ったものは、自由に処分をしていい」と決めます。

農家の人たちがみんな働き始めました。
飢餓状態が解消していきます。
農家が豊かになっていき・・・”万元戸”という言葉ができました。
年収が1万元を超える農民(大金持ち)のことです。
ここから大金持ちが出てきます。

そして、改革開放政策によって、社会主義の仕組みを改革しようとします。
鎖国状態だったものを・・・海外からの投資を認めるのです。

そんな鄧小平の求めたモデルが日本でした。
鄧小平は、日本の経済状況を見て衝撃を受けていたのです。
大躍進政策や文化大革命の間に、こんなにも差がついてしまった・・・!!

で・・・できたのが、社会主義市場経済なのです。
社会主義とは、国が計画を立て、国有企業でマーケットを通さずに全ての経済活動を行うものです。
市場経済とは、生産や消費をマーケットに任せ、自由な経済活動で発展するというものです。
社会主義なのにマーケットに任せる・・・??

つまり、政治は共産党独裁体制を、経済は資本主義をとなるのです。

「共産党にさえ逆らわなければ自由に金もうけをしろ」というのが、今の中国のやりかたなのです。

自由な経済をやれば何が起きるのか・・・?
”自由”や”民主主義”といった思想も入ってきます。


結果的に中国のやり方に矛盾が起きてきます。
学生たちの民主化運動が始まるのです。

この民主化運動への対応が、指導者たちの運命を左右します。

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学生たちの民主化運動が起きた時、国家主席だったのが胡耀邦。
胡耀邦は、1980年代に改革指導者として国民から支持されていましたが、学生の民主化運動に同情的でした。
厳しく取り締まらなかった結果・・・責任をとらされて失脚します。
胡耀邦は日本の当時の首相・中曽根康弘とも仲が良かったのですが・・・
罪状のひとつに「親日的である」ということも挙げられたのでした。
=うっかり日本と仲良くすると、胡耀邦の二の舞になるのでは??
という恐怖感も出てきました。

tyousiyou胡耀邦、その後を継いだ趙紫陽の裏には鄧小平がいて、闇将軍のような”最高実力者”となっていました。
国の役職にはつかないものの、”共産党中央軍事委員会主席”だったのです。
これは、中国の軍隊=共産党の軍隊なので、軍を動かす最高責任者ということです。

学生たちは「胡耀邦は学生運動に同情的な人だった。 改めて功績を認めて欲しい。」という運動を始めます。
影の権力者たちは抑えようとしますが・・・趙紫陽も学生たちの民主化運動に同情的になって・・・
厳しく取り締まりませんでした。
で・・・天安門に学生たちが集まってくるのでした。

天安門で・・・「胡耀邦を認めて欲しい」「民主化したい」というお願いの平和的な集会でした。
鄧小平はこれを許せず、徹底的に取り締まるのです。
それが天安門事件で、趙紫陽も失脚していくのでした。

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その後鄧小平があとにつけたのが江沢民でした。
1989年総書記・1993年国家主席に・・・。

江沢民が鄧小平から言われたことは・・・
「改革開放政策は進めろ、しかし学生たちの民主化運動は抑え込め!!」というものでした。

江沢民が「中国共産党を愛しましょう」という運動をはじめ、「いかに日本がむかし悪いことをしていたのか」を徹底的に教えるのです。

愛国運動が反日運動になっていくきっかけが、天安門事件でした。

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途中になってしまっていました。

1964年、文化大革命、これは、失脚させられた毛沢東の復讐劇です。
1959年に国家主席を劉少奇に譲った毛沢東、自分を失脚させた実権派を打倒するため立ち上がります。この国家体制に対して、大学生や高校生を使い始めます。

1966年6月、エリートの清華大学附属中学校壁新聞で、今の体制を厳しく批判し、これを毛沢東が支持、勢いに乗った生徒達は反乱を起こします。

自分達を「紅衛兵」と名乗り、「造反有理」がスローガンになり、今のありとあらゆる体制を潰そうとします。

8月、天安門広場に100万人の紅衛兵が集まります。これを、毛沢東が激励します。紅衛兵は熱狂し凶暴化!!改革運動に進んでいきます。

街を歩く女性の服装をチェック、パーマ・スカートは駄目、髪はおさげで化粧も駄目、男性もスーツは駄目、全国民が人民服を着ることになります。

教会・寺院を破壊しました。酷かったのは、チベットで、寺院を破壊、仏像も破壊、経典は奪われました。こんな状態がずっと続いたのです。

車も赤信号で進んだりして、あちこちで交通事故が起こりました。高級レストランもなくなりました。

1966年、北京市公安局(警察)が恐るべき通達を出します。それは、「紅衛兵による暴力、殺戮、殺害を制止してはならない」というものでした。もう怖いものはありません。紅衛兵は、毛沢東のお墨付きもあるし、やりたい放題です。

「毛沢東語録」を片手に、”これのみが真実”と、改革運動に突き進む若者達・・・。ブルジョア教育は行わなくていい!!と、学校教育をやめます。

全国で、紅衛兵達は共産党幹部の頭を坊主にしたり、暴力を振るったり、吊るし上げたり・・・。共産党員達ではなく、自分達こそが改革!正しく!と、今度は「紅衛兵」お互いがケンカをしだし殺人事件に発展するようになりました。

香港には中国大陸からの死体がたくさん流れ着きました。その人たちは、両手を縛られ、殺害されていました。大陸では何が起きているのか?それは大量殺人なのか?全くわかりませんでした。

中国国内では、過激派がまかり通って大混乱!このことで、劉少奇が失脚。毛沢東は、まんまと返り咲いたのです。そうしてこの文化大革命は、江青が強い力を持って、さらに推し進めるのです。

権力闘争に勝利した毛沢東は、「紅衛兵」が邪魔になってきます。一掃しようと考えました。

1968年12月知識青年は農民に学べと、体のいいことを言って、2000万人の若者を農村に追いやります。「下放」したのです。
そうして、この権力奪還闘争は収束を迎えるのです。

この文化大革命で50万人が処刑されました。終わりを告げるのは、1976年毛沢東の死によってでした。

こんなに混乱したものの、今でも毛沢東の肖像画が掲げられています。毛沢東を否定することは、中国共産党を否定することになるので決して出来ないのです。

そこで、毛沢東には7分の功績、3分の過失があった。全体としては、すばらしい功績を作った人、と、位置づけています。


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