日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:水戸斉彬

高知県土佐清水市にある足摺岬には、はるか太平洋を見つめる銅像が立っています。
その人は、中浜万次郎・・・ジョン万次郎です。
今からおよそ180年前、日本が外国に対し、固く扉を閉ざしていた江戸時代に、一人で海を渡ったジョン万次郎・・・それは波乱に満ちた人生でした。

万次郎は、今の高知県・・・1827年、土佐国中ノ浜で貧しい漁師の次男として生まれます。
9歳の時に父を亡くした万次郎は、兄の身体が弱かったこともあって、幼いころから家計を助けて働きました。

1841年1月5日、14歳で初めての漁へ。
地ね煮は、筆之丞(37歳)、重助(24歳)、五右衛門(15歳)の三兄弟に寅右衛門(25歳)、そして最年少の万次郎を入れた5人が乗り込みました。
万次郎たちは、当初、順調に漁を続けましたが・・・
3日目・・・突然の嵐が船を襲います。
万次郎たちは、みるみるうちに沖に流されていきます。
船をこぐのに必要な櫓も折れてしまい、食料も水もつき、生死の境をさまよい続け・・・6日・・・
1月13日、島を見つけ上陸します。
そこは、土佐から750キロ離れた伊豆諸島最南端の絶海の孤島・鳥島でした。

通常、土佐沖を流れる黒潮は、日本列島沿岸に沿って北東へ流れています。
この流れに乗ると、太平洋の北へと流されてしまいます。
万次郎たちが漂流したのは真冬・・・凍え死んでもおかしくありませんでした。
どうして北ではなく、伊豆諸島の南へ・・・??
黒潮は、風や海水の温度で、定期的に流れを変えることがあります。
その流れが鳥島に向かうことがあるのです。
たまたま大きく蛇行する黒潮の流れに乗ったことで、鳥島に流れ着いたのです。

万次郎たちの命を繋いだアホウドリ・・・
アホウドリが島にいたことも幸運でした。
毎年10月上旬になると、鳥島には繁殖のために飛来します。
冬の間、ここで子育てをします。
万次郎たちが漂着したのは、今の2月上旬で、ちょうどアホウドリを食料にすることができたのです。
しかし、それも長くは続きませんでした。
子育ての終わったアホウドリたちは島を離れていきました。
さらに、70日間、全く雨の降らないこともあり、飲み水が無くなります。
しかし、万次郎は絶対にあきらめない性格で、一人で海藻や木の実をみんなに配って元気づけます。

万次郎は、あきらめずに海の向こうを眺め続けます。
すると・・・一隻の大型船から小舟が2艘降りてきたのです。
1841年5月9日、万次郎、鳥島について約5か月で救助されます。
5人を助けてくれた大型船は、ジョン・ハウランド号・・・アメリカの捕鯨船でした。
36歳のウィリアム・ホイットフィールド船長をはじめ、34人の乗組員が、クジラを取るために世界の海を渡っていたのです。
日誌には、万次郎たちを助けた日のことが書かれていました。

”島にウミガメがいるかどうか探すため、午後1時に2艘のボートを降ろす
 島に遭難して疲れ果てた5人がいるのを発見し、本船に収容した
 飢えを訴えているほか、彼らから何事も理解することはできなかった”

船から2艘の船を出したのは、万次郎たちを助けるためではなく、食料となるウミガメの卵を探すためでした。
万次郎は、奇跡的に命を救われたのです。
外国人に助けられたからには、ここから先どうなるかはわからないけど、命を大切にしようと決めたといいます。
生きてさえいれば、いずれ日本に帰れる・・・??

1825年江戸幕府は「異国船打払令」を発布!!
外国船が日本に近づけば、容赦なく砲撃をしていました。
万次郎たちは、船長たちと共に捕鯨の旅に・・・!!

万次郎は、自ら英語を覚え、船乗りの仕事も覚えていきます。
万次郎たちを乗せた船は、1841年6月27日に鳥島を出発し、各地でクジラを取った後、1841年11月20日、ホノルルに寄港。
ホイットフィールド船長は、万次郎たちをホノルルで降ろしました。
ホノルルは、当時環太平洋地域における情報の中心的存在でした。
月に何十隻の捕鯨船が寄港し、水や食料を補給する吉でした。
ここで、中国行きの船に乗れば、日本に帰れるかもしれないと、考えてくれたのです。
しかし、船長は、万次郎にだけ・・・
「一緒にアメリカに来ないか??」と誘ったのです。
万次郎の人懐っこい性格を、船乗りたちは気に入り、彼に捕鯨の仕事を見せるようになっていました。
また、万次郎も、一生懸命学んでいたからです。
万次郎の好奇心と適応力に、アメリカの進んだ教育を受けさせたいと考えたのです。
外国に行くことは国禁を破る大罪でしたが、好奇心から誘いを承諾!!
ホノルルで、中国船を待つ4人と別れ、1841年12月1日、万次郎はホノルルを出発しました。

グアム、タヒチ・・・いろいろな島を回って捕鯨をし、およそ1年半・・・1843年5月6日にアメリカ・ニューベッドフォードに到着します。
そこは、各国から捕鯨船が集まる世界最大の捕鯨基地でした。
万次郎はついにアメリカ本土に降り立ちます。
それは、黒船来航の10年も前のことでした。

アメリカについた万次郎は、ニューベッドフォードの隣、フェアヘイブンで生活することになります。
船長の家がその町にあったからです。
しかし、帰ってみると船長の奥さんが亡くなっていたため、十分に面倒を見ることができないと、知人の家に寄宿させることにします。
そして、万次郎に小学校に通うように勧めます。
万次郎は、アメリカ留学生第1号に・・・!!
16歳ながら、小学生と共に英語を学ぶこととなった万次郎でしたが、英語を習得し、わずか1年で小学校を卒業します。

ABCの歌は、この時習ったと言われて・・・この歌を最初に日本に仕えたのが万次郎だと言われています。
万次郎は、航海士養成学校バートレットアカデミーで航海術や、測量術、高等数学を学びます。
この頃になると、船長が再婚し、万次郎も一緒に住むことに・・・
それでも母を想い、寂しかったようです。
心細くなったのには・・・敬虔なクリスチャンだった船長がある時教会に万次郎を連れて行くと、白人ではないからということで、出ていくように言われてしまいます。
当時のアメリカは、まだ奴隷制が敷かれていた時代でした。
差別は激しく、万次郎も差別を受けたのです。
しかし、船長は黙っていません!!
船長は、いろんな国を回り、いろんな船員を知っていました。
肌の色や国籍などによる差別は、意味がないということだと考えていたからです。

船長は、万次郎を受け入れてくれる教会を探します。
そして、人種差別のない宗派の教会に移ることに決めたのです。
自分のために、宗派まで変えてくれた船長の実直な人柄に、万次郎は深く感謝しました。
万次郎は、船長の深い愛に応えるように、1864年、19歳で養成学校を首席で卒業するのです。
船乗りとして捕鯨船に乗り込みました。
世界各地の捕鯨地を回る万次郎・・・

「ジョン・マン!!どうして日本人は困っている船乗りを助けない??
 困ったときはお互い様だろう・・・??」

と、船員たちに言われてしまいます。

日本が難破した船の救助をせずに、船員をまるで罪人のように扱っているというのです。
それは、日本が鎖国状態にあったためでした。
当時、外国船への水や燃料などの補給などは、一部で認められるようになってはいましたが、それも十分ではありませんでした。

アメリカは・・・日本人の私の命を助けてくれた上、様々なことを学ぶ機会を与えてくれた・・・
それなのに、アメリカと日本のために出来ることは・・・??

考えた末に、船長に手紙を送ります。

「私は努力して日本の港を開き、捕鯨船の補給ができるようにしたいと思います。」

帰国し、日本を開国させる・・・それは、とてつもなく大きな夢でした。

1849年9月23日、万次郎は3年4か月ぶりにニューベッドフォードに帰港します。
14歳で漂流した少年は、22歳の立派な船乗りになっていました。
万次郎は、改めて日本に帰国したいことを伝えると、そのためにカリフォルニアに行きたいと願い出ます。
当時、アメリカ西部はゴールドラッシュに沸いていました。
万次郎は無謀にも、その資金を自分で稼ごうとしたのです。
こうして万次郎は、サクラメントへ・・・!!
当然、日本人は万次郎一人、お金のためのならず者も多く・・・そこで万次郎は、ピストルを2つ携帯し、来る日も来る日も金を採掘し、70日で600ドルを稼ぎます。
これは、船乗りの給料3年分以上でした。

1850年9月、万次郎23歳の時にホノルルへ・・・!!
食糧やテント、日本上陸のボートを買うためです。
そのボートにはアドベンチャー号と名付けます。
ホノルルで別れていた4人と再会したのです。
結婚したものも2人・・・重助は病気で亡くなっていました。

寅右衛門は残留し、日本初のハワイ移民となりました。
万次郎は、伝蔵、五右衛門と共に、日本へ帰る策を練り始めました。
しかし、気がかりなのは・・・ホイットニー船長の事。
カリフォルニアに行くとは伝えていましたが、日本に帰るとは伝えていませんでした。
万次郎は、早速手紙を書きます。

「私を幼少のころより大人になるまで育ててくださったご慈愛は決して忘れることはございません。
 御恩返しもしないで、このまま帰国する不義理が許されることではありませんが、しかし、世の中は良い方向へ変わっていきつつあるので、私たちはいつかまたお会いできると信じております。」

1850年10月、万次郎は日本へ旅立ちます。
その作戦は。。。上海行きの船に乗せてもらい、琉球近くでアドベンチャー号で自分達で向かうということでした。
どうして土佐ではなく琉球・・・??
琉球は、薩摩藩に支配されていながらも、独立国で海外との貿易が活発に行われていました。
様々な外国船が来ていたので、鎖国をしていない琉球なら罪人としての扱いを受けないだろうと考えたのです。
ボートで上陸したのは、自力で帰ったところをアピールするためでした。

1851年1月3日、万次郎たちはついに摩文仁の浜に上陸。
万次郎24歳・・・漂流から10年がたっていました。
ようやく帰ってきた3人でしたが、ただただ怪しまれました。
洋装で海から現れ・・・日本語もうまく喋れなくなっていたからです。
万次郎たちは、那覇で8か月足止めされ、薩摩、長崎へ・・・
長崎奉行所では取調べが9か月に及びました。
幕府に伝えられた調書にはこのような一文が書かれていました。

「万次郎はすこぶる怜悧にして国家の用となるべき者なり」

長い取調べを受け、1852年7月11日、万次郎土佐に到着!!
土佐でも万次郎のことは話題になっていました。
再び取調べを受け、10月5日、中ノ浜に帰ります。
浜を出てから11年以上・・・万次郎は25歳になっていました。
母は、万次郎が亡くなったとお墓まで立てていたといいます。
万次郎は再び高知城下に呼び出されます。
藩主・山内容堂の命令でした。
容堂は外国を知る貴重な万次郎を藩校の教授に・・・
一説には、薩摩藩主・斉彬が万次郎を薩摩に譲り受けたいと言われていたこともあり、他藩に取られないように早々に取り込んだともいわれています。
さらに・・・福岡藩主・黒田長溥が1853年12月に幕府に建白書を提出。
万次郎に幕府の海軍を創設させようと進言しています。
万次郎が持つ知識と情報の価値は、いくつもの藩が認めていました。
万次郎は、容堂から武士の身分を与えられます。
犯行の教授として土佐藩の若い者を指導していくことに・・・。
その中には、後藤象二郎や岩崎弥太郎も・・・幕末や明治で活躍します。
しかし、唐の万次郎は悩んでいました。
日本を開国させるという船長との約束がまだだったからです。

そんな万次郎に大きなチャンスが・・・黒船来航です。
1853年6月3日、アメリカ海軍東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の艦隊を率いて浦賀にやってきました。
ペリーは幕府にアメリカと国交を結ぶことを要求。
1年後に返事を聞きに来ると、一旦日本を去りました。
このアメリカの要求に頭を悩ませたのが、時の老中・阿部正弘でした。

万次郎にアメリカの事情を聴くのがいいのでは・・・??
阿部は早速、土佐藩に万次郎を江戸へよこすように・・・こうして万次郎は再び土佐を離れて江戸へ・・・。
日本の港を開くという夢の実現のために、アメリカの事情を思いを込めて説明します。
万次郎は、持てるすべてを語りました。
そして・・・アメリカはあくまで捕鯨船が難破した際に、船乗りをきちんと助けてほしいと言っているのです。
そのために、港を開かせ、国交を開こうとしています。
日本を乗っ取る事はないと考えます・・・!と。
アメリカのもう一つの目的は、水・食料・燃料の補給であることも伝えます。
そして、日本が今後どのように動くべきかという指針まで理路整然と述べたのです。
大いに感心した阿部は、万次郎を幕府直参に取り立てます。
そして、生まれ故郷の中ノ浜を取って「中濱」という姓を与えられたのです。

同じ幕臣の江川太郎左衛門に預けられた万次郎・・・。
江川は、幕府きっての開明派で、大砲などを開発、蒸気船の建造も担っていました。
万次郎もその聡明さに惹かれ、付き従うようになり、共に交渉準備に邁進します。
そして運命の時・・・
1854年1月16日、ペリーが再び浦賀に来航。
幕府から交渉を任せられた一人の江川は、万次郎を通訳にと考えます。
ところが思わぬ横やりが・・・前水戸藩主・徳川斉昭が・・・万次郎に難色を示します。さらに、万次郎には幕府の評議を知らせず、アメリカ人に直接あわせないようにと提言します。
どうして用に反対・・・??
斉昭は江川に手紙を送っています。

”本国を慕い、帰ってきたほどの者で感心ではあるが、万次郎も一命を救われた上、幼少から20歳までの恩義があるので、アメリカの不利になることは決して好まないだろう”

つまり、万次郎が相手に有利な条件で条約を結ぶことが考えられる・・・??
斉昭は、アメリカは漂流民に依頼して、日本の情勢を調査させるつもりかもしてれないと考えていました。
斉昭は万次郎がアメリカのスパイではないか??と疑っていたのかもしれません。

しかし、”万次郎が腐らないように十分報酬を与えること”とも書かれていました。

①日本の情報がアメリカに漏れることを恐れ
②万次郎をアメリカに連れ去られることを恐れていました。

結局、万次郎は通訳として参加することはできませんでした。
しかし、1854年3月3日、日米和親条約締結
それによって下田・箱館が開港され、アメリカの船が難破した際は、漂流民を保護して引き渡すという条約が盛り込まれました。
万次郎の夢が現実の者となりました。
その後、万次郎は結婚、子供も設け、明治の代を迎えます。
1870年、万次郎は明治政府の通訳として欧米へ・・・!!
その途中、アメリカで2日間の休暇をもらった万次郎は、ホイットフィールド船長に会いに行きます。
万次郎43歳、船長は65歳になっていました。
万次郎は、21年の時を経て、言い尽くせないほどの感謝の気持ちと、約束した開国の実現を伝えることができたのです。
1808年11月12日死去・・・71年の生涯・・・その人生は、まさに波乱に満ちた大航海でした。

20世紀になって、第30代アメリカ大統領カルヴィン・クーリッジは、こう言っています。

「ジョン・マンの日本への帰国は、アメリカ最初の隊士を日本に送ったことに等しい。
 なぜならば、ジョン・マンが我が国の本当の姿を当時の日本首脳部に理解させていたからこそ、我々の使節ペリーはあのような友好的な扱いを受けることができたのである。」

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あらまあ・・・今回もダイレクトな副題で・・・。
でもね、それなら「上様の死」はどうなるんだよ・・・。

今回は、全く訳の分からないままドラマが終わってしまいました。
わが家では、文句を言いながら見ている私の横で、「そんなん史実やからなあ~~~!!仕方ないわなア~~!!」というわが家の旦那さんの言葉が茂蔵のごとく1時間聞こえてくるだけでした。

sigezou













「そんなん、怒っても、これが史実やろ~~!!」って!!

では、そんなめちゃくちゃな史実をどうぞ!!

前回、「俺が将軍になろう!!」と、啖呵を切った慶喜。。。
将軍が慶喜となるように、朝廷に口添えを近衛&月照にお願いしに行く左内&吉之助。

帰ったのか??
貴族を前に、飛んで出ていくなんとも作法のなっていない左内&吉之助。
そして、月照の数珠が・・・。なんと不吉な!!
同じく左内&吉之助も鏡のように割れてしまいました。
何のこと??不吉ってことかな??

ということで、OP。始まり始まり~~~!!

江戸城では・・・”次期将軍の事で、思いを一つにした家定と篤姫が・・・”とナレ。
この二人で将軍が決まってしまうのなら世話ないんだよ!!と言いたくなってしまう。。。
仲睦まじく過ごす二人・・・。

don1















上様は、秋でもないのに柿を書いていました。
秋になったら、甘い柿を食べようと約束するのです。
が・・・いきなり倒れる上様。。。

またいきなりかよ・・・。
持病の脚気が悪化して、予断を許さない状況に・・・!!
そこへやってきたのは、悪者丸出しな井伊直弼・・・

don2















井伊が用意したのではなく、自ら「筆と紙を・・・」と、御所望して持ってこさせます。
??ちょっと足りないんじゃなかったの??上様。
と思いつつ・・・。
ああ・・・このシーン、2年前にも見たような気がするけど・・・その時みたいに感情移入できないわ・・・。
そして、次の公方は井伊の陰謀通り、慶福となりました。
「たのむ・・・!!」by家定
こんな都合よく言う訳ないだろ??って感じ。
いや・・・策を弄するにも、演じるも恥ずかしいほどの拙い演出でした

おまけに、突然大老に就任する井伊直弼。
ナレで、突然って言っちゃってるのもおかしいよね?何が突然なんだよ・・・。
なるならなるで、策を講じてくれ!!
手に持つ赤鬼も恥ずかしい・・・。

そして、条約締結に向けて、跡継ぎ問題も一気に解決に動き出す!!
ああ・・・井伊直弼は、もともと14男なので、部屋住みで終わるはずでした。
なので、文化芸術にも明るいし、政治の事もよく勉強していました。
開国する以外に方法はないということで、一生懸命考えた末の開国だったんですが・・・
なんのこっちゃのいきなりな展開です。

跡継ぎが紀州・慶福ということで、知らせるべく薩摩に早馬・・・でなく、吉之助がで走るようです。
江戸で、京都で何かあったらどうすんねん!!

紀州・慶福となったということで、ご満悦の本寿院。。。
納得のいかない篤姫・・・。
この時点で私と旦那さんは・・・
「??こんなに呑気な話し合いで、上様、もう死んじゃったん??」でした。
まだ生きているのになんだか緊張感がまるでありません

そこへ・・・賢く慶福登場!!

慶福のあいさつで、まだ生きていることが分かったわ~~~。

don3















嬉しそうに慶福と話をする本寿院ですが・・・自分の息子が死の淵を彷徨っているのに高笑いです。
自分の子はいいのか・・・??

ドロドロになりながら、道なき道を走る吉之助・・・だから、馬に乗れよっ!!
その格好のまま、斉彬の元へ・・・!!
何が分かったのか??斉彬。。。
う~ん、全くわからん視聴者です。

いきなり馬を走らせる斉彬に斉彬を有難がってひれ伏する農民たち・・・。
あんたたちが重税に苦しんでいるのはこの人のせいだからね・・・??
って・・・この何かあったら壮大な自然でロケをするという展開必要なのかっ??
ということで、西郷が初めて声をかけてもらった場所へきているのでした。

「夢は砕けた・・・」by斉彬。

う~ん・・・そんなこと言わないと思う、斉彬さま。。。
本当の斉彬さまはこちら。
「幕末ヒーロー列伝~これが薩摩藩の底力だ!!~」

ドロドロになって、失意のどん底で家に帰ってきた吉之助。
やっぱり嫁に行った妹は家にいました。

don5















何でか知らないが、殿からお役を解かれてしまったらしい・・・。
??そんなこと言ってたかな??

何もできなかった・・・万策尽きた・・・と、泣きごとを言う吉之助。
「やっせんぼ・・・」と言いつつ、励ます正助・・・。
やっせんぼの意味もあんまり解んないし、女の格好して知ろうとしたとか、御前相撲で殿を投げ飛ばしたとか・・・それをやり抜いてきた吉之助がスゴイと言い出す正助・・・。
「そいが・・・俺の知っちょう西郷吉之助っちゅう男じゃ。」by正助
ふ~ん・・・この大河が始まるまで、きっと誰も知らんかったわ・・・。と思ってしまった

西郷さんは基本、軍人です。
清濁併せ飲める男だと思っています。
なので、もっと策を・・・賢いところを見せてほしいものだと思うんです。
でもって・・・庭先で相撲を取る吉之助・・・もっとやることないんかい!!と、こちらも突っ込みたくなります。

江戸では、将軍継承に勝利した井伊が、幕府を意のままに動かし始めていました。

上様が身罷られました。
家定の死が公表されたのは、亡くなってから1か月後の事で、条約が全て終わるまで伏せておいたという・・・
将軍継承問題は、南紀派の勝利に終わりました。
と、全て井伊が目論んだふうな感じに仕上がっていましたね。

う~ん・・・この将軍継承問題に関しては、斉彬、春嶽、慶喜も謹慎蟄居でした。

みんなが無理ってことを諦めなかった・・・などという正助の言葉が吉之助に頭の中でリフレイン・・・。
突然、殿の元へ押しかけて・・・

「兵を挙げてたもんせ!!
 こんままでは、異国に飲み込まれてしまいもす!!
  そげんなる前に、殿が立ち上がり、こん国を守ってたもんせ!!

 向かうは江戸ではなく京!!」by吉之助

展開速すぎて何を言っているのかわかりません。
天子様に詔を改めてもらって幕府に開国を迫ろうというのです。

斉彬さまはわかったようで・・・

「西郷!よういうた!!
 まさか、あのやっせんぼに言われて腹が決まるとはな!! 
 泣くな!!
 西郷、今すぐ京へ戻れ!!
 道中我等と思いを同じゅうする諸藩に告げよ!!
 京へ着いたら近衛さまを通じてすぐに天子様にも申し上げよ。
 支度が出来次第、わしもすぐに後を追う!!
 京で会おう!!
 西郷、今からお前はわしになれ!!」by斉彬。

??何言ってんねん、突然!!って置いてきぼりの視聴者(私)です。

戦じゃ、戦じゃ、と、喜ぶ幼なじみたち・・・。

京に来た吉之助ですが・・・
お虎という女性が登場!!
「お虎・・・おこしやすは一元さん、西郷はんはお得意はんやからおいでやすでええんや!!」
そんなんどうでもええねん!!
朝ドラでやってくれよっ!!

左内、月照と密談です。

そしてお虎が案内してきたのは・・・俊斎でした。
嘘をついて、江戸を出てきたのだそうだ。
そんなんも、どうでもええねん!!

吉之助お虎もどうでもええねん!!
大体、メロメロになるほどこの西郷どんは魅力的かい??

そして、用意のための教練中・・・いきなり斉彬死亡!!

don4

















「安政5年7月16日。
 島津斉彬さまはこの世を去られました。
 あまりに突然な、そして心を残してのご最期でございました。」

??いきなりナレ死でした。
あんなに吉之助に影響を及ぼした人なのに・・・こんな死に方って・・・どうよ??

「西郷・・・」と、最後まで、西郷な殿でした。

ああ・・・今回は、何につけても残念な回でした。
幕末の志士たちが魅力的なのは、彼らに思想があって、正義を待って、大義名分があるからです。
何を考えているかもわかんない西郷どんにどんな魅力があるのか?ほんと、わかりかねます。

今回で斉彬さまが亡くなったわけですが・・・斉彬さまは「日本一致一体」を唱えていました。
今回は、新政府軍を主人公に置いているわけだから、斉彬さまの考えである「日本一致一体」「挙国一致」を学んでいた薩摩藩士たちがいたからこそ、スムーズに明治維新がなされたとドラマの筋をもって行く方がかっこよかったんじゃないかと思います。
西郷的にも、斉彬的にもね。

そうして、井伊にも井伊の正義があったわけで・・・
井伊がどうして彦根藩にいるのか??
それは、井伊の赤鬼と呼ばれた家康の信頼篤い井伊直政が大坂に目を光らせておくために西に・・・彦根に置いたということです。
それだけの信頼が、井伊にはありました。
そして、お正月の将軍様へのご挨拶は、私の記憶違いでなければ、井伊が最初だったように思います。
つまり、譜代の中でも、井伊は特別で、将軍様のためには、徳川のためには命を捨てる覚悟がいつでもあったということなのです。

つまり・・・
将軍に仇名す者は自分が死のうが引き受ける・・・たとえ殺されようとも・・・!!
それが、譜代大名・井伊家の務めだったのです。

ということで、この大河では全く腹黒いというか、「将軍様を慶福に・・・」以外、何を考えているのかわかんない井伊直弼ですが、将軍様のためを思って信念を持っていました。
桜田門外の変も、暗殺されるのを解っていてお供を増やすことなく登城したともいわれていますし・・・。
とにかく、勝てば官軍ということで、今は明治維新の人々が築いた時代です。
つまり、薩長の人々が作った世というわけです。
なので、安政の大獄で吉田松陰先生を殺してしまったことで、極悪人になってしまった井伊直弼なのです。
彼には彼の正義があったことを解ってほしいのでした。

佐野史郎さんって、すごく歴史に詳しいんだよね・・・ナビゲーターするぐらい。。。
どう思って井伊直弼を演じているんだろう・・・

「独裁者か?英傑か?~大老・井伊直弼~」はこちら
「無念なり!悲運の大老~井伊直弼・開国への決断~」はこちら
「井伊直弼 鬼か改革者か!?」はこちら
井伊直弼~死によって歴史を変えた大老~はこちら

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前回の「安政の大地震」は、未曽有の被害をもたらしました。
マグニチュード7.0、被害は最大で2万人ともいわれています。
このドラマでは、紀行でなくなっていた吉之助にとっての大事な人・藤田東湖も亡くなっていますが・・・
そう、東湖先生は、この地震で実母をかばって亡くなったと、ドラマ的にはとってもいい話なのに・・・
そんなこんなはどうでもいいのか、吉之助はダメになってしまった篤姫の輿入れの準備に大忙しです。
う~ん・・・最後には、材木問屋?で、のこぎりで材木を切ってお手伝いをする始末・・・。
壊れてしまった花嫁道具を1年で整え直しました。

・・・これって、吉之助でなくてもよくね・・・??
幕府にとどめを刺したのでは??とも思われる安政の大地震の何もかたらずでしたね・・・

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そして、輿入れする篤姫。。。
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上様はこんな人。

西郷は、篤姫の輿入れを成功させたとしてご褒美です。

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薩摩切子で、焼酎で乾杯です。
尚古集成館で一生懸命特産物づくりをした産物の焼酎と薩摩切子です。
斉彬の命令で、一生懸命薩摩の特産品を作っているところも出してほしいんです。
失敗に失敗を重ねてやっと作った特産品たちで乾杯した方がとってもいいお話だと思います。

すんなり作って・・・そういえば、篤姫の輿入れの用意をする西郷さんも結構簡単に、うわべだけでしてしまっているように見えます。
もう、朴訥で愚直な西郷さんはお腹いっぱいです

薩摩の仲間たちは、相変らず磯田屋で遊んでいます。
私は少年漫画が大好きなんですが、大ヒットな作品は、本当にサブキャラが目立ってカッコいいんですが・・・
ワンピースでも、スラムダンクでも、ドラゴンボールでも、幽遊白書でも・・・
少年漫画の主人公が格好いいのはもちろんですが、周りのメンバーが魅力で来てないと、お話しが全く面白くないんだよ~~~!!
この西郷さんでは、仲間の皆さん、全然魅力的ではありません。
まず、誰が誰だか、さっぱりわかりません。
西郷さんが忙しくしているのをねたんだり・・・
今回も、目黒で祈祷をしてきたと吉之助がいうと、「不犯の誓い」(エッチしない)を立ててきたのでは??と言い出しました。
これだけ遊郭に入り浸った作品にしてしまっているのに・・・と思っちゃいましたが、だからこそなのか??
ほんと、英雄色を好むのごとく、全ては遊郭で・・・と思っているんだろうか??作者は・・・

薩摩に帰ることとなったみんな・・・
斉彬は近衛家によることに・・・ここで初めて近衛家登場!!
篤姫の輿入れに関して、いろいろ尽力してくれたことはさっぱりわからず・・・。
そして、ここで月照登場!!
吉之助にとっては、斉彬、藤田東湖、そして月照・・・まさに影響力の全てになった人・・・とえるでしょう。
ここで、一橋慶喜を将軍に!!という作戦がスタート!!
ただ・・・近衛忠煕にしても、月照にしても、どうしてそこに食い込んでくるのか?の思想が全くなく、何が何だかどうして近衛忠煕に頼んでいるのかもさっぱりわからず。。。


そして、正助には嫁取りの話が進んでいました。
久し振りに家に帰ってきた吉之助・・・家のみんなは大喜びです。

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が・・・相変わらず、みんな内職に励んでいましたが・・・なんと、吉兵衛の借金と、吉之助を江戸に行かせた借金とで、家畜を売ってしまっていました。
家も売らなければ・・・となって、内職を増やし、琴の婿にまで借金をしているという・・・

「とにかく江戸は、金がかかってなあ・・・」という吉之助ですが、そりゃあ、遊郭に入り浸っていればないだろうよ・・・お金!!

その夜・・・懐かしい仲間が集まりました。
下司にも、みんな江戸での話を聞きたがります。
そこは隠密だからか、話しをしたがらない吉之助・・・遂に怒ってしまいました。
し~ん・・・井戸端会議か!!
しらけムードを一新したかったのか、正助が嫁をもらうという話をし始めました。
単細胞なみんなは、酒を飲み直し、翌日は正助の嫁を盗み見しに行きます。
あ~、ほんと、品が無いわ・・・
この時代の人は、結婚するまでどんな顔かも知らないってことも多かったのに・・・
ほんと、下司いわ・・・

吉之助が願掛けをしたおかげで?斉彬に跡継ぎ誕生!!
そんな中、山田為久をモデルに写真を取り出す斉彬さま・・・。
そうなんですよね・・・尚古集成館でも写真を研究していたのは事実です。
が・・・こんなに呑気に撮ってたのかなあ???もっと、研究していたんじゃないかと思うの・・・
??正室も子も、薩摩にいるのかな??
どうしてもお気楽仕立てにしたいとしか思えない・・・

久光に「変わらねばならない・・・」と言い出す斉彬。
久光をバカにするなよなあ・・・。
??何考えてんのかわかんないまま、正助の結婚が・・・。
急遽、斉彬に呼び出された吉之助!!
江戸から急の知らせが・・・阿部正弘の訃報でした。
・・・結婚式当日に充てる必要あったんかな・・・。
う~ん・・・。
そして、斉彬に江戸に向かえと言われる吉之助・・・殿にお願いをしました。

結婚式当日・・・終わてしまったか・・・と思っていたら、正助登場!!
初夜もなく・・・そういえば、吉之助の初夜も家族が居たり変だったわ・・・
正助を江戸に一緒に連れて行きたいと殿に申し出て、お許しをいただいたという吉之助。
願ってもないのにそんなこと、上から目線で言うな!!という正助。。。
しかし、それって、お殿さま命令なんだから命令違反はダメだろ??正助。

が・・・いいこと言うなあ・・・正助。
湯水のように江戸でお金を使ている間も、薩摩ではみんな一生懸命、貧乏に負けずに生きてきたんだという正助。
??この正助のことを引き出したくって、吉之助をバカにしていたのかな・・・??
とも思う・・・自分の力で江戸に出るという正助に、今はそんなことを言っている場合ではないとか、いろいろ言い出しますが、そんなこんなの思想を全くやってくれていない西郷どんなので、何を言いたいのか全くわかりません。

ケンカ別れをしたまま、江戸へ旅立つ日がやってきた吉之助。。。
意地を張っている正助の尻を叩いたのは満寿でした。
吉之助を追いかける正助・・・・
そこへ、戻ってくる吉之助。



「吉之助さあ・・・どこに行っとじゃ?」

「忘れもんをした。」

「そげな大事なもんを忘れたとか?」

「おはんじゃ・・・」

「え・・・??」

「大久保正助を忘れてきた。」

ということで、めでたく再出発!!

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最後だけ少年漫画でしたね。

最初っから少年漫画のノリでやってくれたら何の違和感もなかったんですが・・・
少年漫画ファンの801オタクたちは、きっと「大久保正助を忘れてきた」できゅんと来るでしょう

でもなあ・・・ここまで少女漫画で来ててこれは無いわ・・・って思っちゃいました
沢山の男の子が出て来ていて、その男の子たちが成長して幕末の志士となっていくわけです。
何が面白いって、新選組も、長州も、薩摩も、そのメンバーは幼なじみであったり、無二の親友なわけです。
例えば近藤勇をキレイな局長にしておくために、闇の部分はすべて担った土方歳三・・・
二人はまるで陰と陽で・・・でも、二人には幼なじみの言わなくってもわかっちゃう二人感が随所に出ていると思うんです。
それは、長州もあんな狭い町からたくさんの有名な志士が出ていて・・・そこは薩摩も同じなわけで・・・
もっと男がカッコいい・・・男の子たちの成長と、友情と、信頼があってこその命を懸けた物語に出来ると思うんですが・・・
この「西郷どん」で目立っている吉之助の幼馴染は正助だけです
歴史が大好きで、だからこそみんな知っているけど、大河ドラマとして理解できる幼なじみは正助だけです。
ああ・・・なんて勿体ない・・・

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