日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:淀

近江八幡名物 森商店 赤こんにゃく 330g

価格:418円
(2014/11/11 15:56時点)
感想(0件)



前回・・・官兵衛は如水となって引退し、関白・秀次の相談役になっていました。

しかし・・・三成に逆心・謀反の疑いをかけられる秀次・・・!!

鹿狩りと称して同心の者と山中で落ち合い、謀反のたくらみをしていると・・・!!

秀吉は、お拾いの行く手を阻むものをすべて・・・排除しようとしていました。

kan2












三成に対抗するため武装する秀次・・・それは自ら逆心・・・謀反と言っているようなものでした。

「太閤殿下と秀次公は、叔父・甥の御仲、ここで争っては天下は乱世に後戻り。
 天下のために伏見へ行かれませ。
 それが天下を治める関白殿下のお役目にございます。」by官兵衛。

「天下のため・・・関白の役目と申すか・・・。」by秀次

しかし・・・高野山にて蟄居を申し渡されてしまう秀次。。。
申し開きの場も与えてもらえません。

「ただ・・・拾の先行きをお考えください。」by茶々

蟄居で済まそうと思っていた秀吉・・・自分の感じた老いと茶々のこの一言で・・・
切腹が申し渡されたのはそれから7日の後でした。
高野山・青巌寺にて・・・

「無念じゃ・・・」by秀次。

秀次公の一族は、ことごとく成敗・・・
わずか6歳の嫡男仙千代を始め、拾君の許婚であった姫君、側室・・・39名が一族郎党が容赦なく・・・
三条河原は血に染まったのでした。

正気の沙汰とは思えません。。。
秀次には正室・側室併せて20人を超える妻妾を持っていました。
そこには四男・二女も・・・。


とりあえず、なんもしなくってビクビクして終わってしまった秀次ですが・・・
殺生関白なんて言われ、悪名を着せられましたが、その真の姿は学問や芸術に深い関心を抱いた、文人関白。

小田原攻めにおける後北条家の滅亡によって、庇護者を失った関東一の大学である足利学校の蔵書を京都に移して保護したりもしています。
大将としても活躍し、近江八幡を商人の町として活発化させたのは秀次以外の誰でもありません。
 
後半の豊臣政権は太閤秀吉と関白秀次の二元体制であったことに間違いありませんが、最終的には太閤殿下が決めていたことには変わりないでしょう。
この秀次事件で、天下人としてかなりおかしい秀吉が強調されポイントなんですが・・・
ああ・・・軽~く善助の報告で三条河原が終わりました。
ま、あまりにも悲惨な光景なので、これはこれで良かったのかも???

歳は隠せません・・・
おねしょをしてしまう殿下・・・
誰にも言わないと・・・淡々と処理する茶々・・・
これはこれで、どちらが上位に立っているか、立ち位置が変わったことを意味するのには良かったかも。。。
そう、もう、茶々の天下は始まっている・・・??

秀吉に呼び出される官兵衛・・・

kan3












拾に災いをなすものは全て排除しようとする秀吉。
不安を抑えきれない秀吉に・・・
官兵衛も、秀吉の老いを感じずにはいられませんでした。
秀次側が次々と処分される中・・・再び軍師として仕えてくれれば許す。。。と言われ・・・復帰する官兵衛。

「お主には、長政とは別に禄を与える。」

自分が治めていた播磨を・・・しかもたかが1970石で・・・
安堵する秀吉・・・しかし、蹴落とそうとしていた三成は苦々しく思うのでした。

そして・・・たかが2000石足らずで仕える官兵衛に、周りのめは冷ややかでした。

殿下の天命が迫っている・・・
誰も殿下をお止めすることができないのなら・・・最後まで見届ける。
それが、殿下を太閤にまで押し上げた自分の責任だと。。。
ま、若い三成には出来ないことでしょうね・・・これは。。。

明の国書が遂にもたらされました。
しかし、秀吉の和睦条件とは全くかけ離れたのでした。
またもや兵を出そうと言い出す秀吉・・・狂ってます。。。
あ・・・それは秀次事件で立証済みか・・・。

「何としても朝鮮を手に入れるのじゃ・・・!!」by秀吉。

秀吉の面目のための戦いなので、士気は低い・・・
という弱気な長政に、戦うことを薦める強気ないと。。。??
これって二人の亀裂の伏線なんだろうか・・・??


軍師として朝鮮に出向くという官兵衛に、子供のように喜ぶ秀吉。
今回の秀吉は、まさに落ちゆく巨星。。。
老いていく秀吉・・・竹中直人さんお見事です。。。

1596年12月お拾改め秀頼誕生!!
秀頼・・・この人も・・・生まれながらにしての関白ですね。

これで豊臣家は安泰??
いえいえ、秀次を処刑した時点で豊臣家を支える人は皆無。。。
なので、屋台骨はボロボロです。。。
そう、このあと3年で秀吉はなくなってしまうので、きっと自分の寿命も解っていたのでしょう。

徳川家康はこの時55歳。
まだまだ生きるわけですが、彼もまた、この若くて聡明な秀頼への嫉妬心、恐怖、自分の老いとの戦いで大坂の陣を引き起こすのですから、ま、みなさん天下人はこんなふうなんでしょう。


黒田家は、朝鮮へと出陣する時期が来ました。
熊之助、元服して朝鮮に渡りたいらしいです。。。

kan5















yuuki

この熊之助、泣かせたら子役一番の今井悠貴くんです。
大きくなりましたね。
個人的にはこちらの悠貴くんがぴか一です。


そんな子供たちの複雑な気持ちのなか・・・
黒田軍を始め、14万の軍勢で出兵していきました。
第二次朝鮮出兵です。





みんなそれぞれの最期を迎えようとしていました。

ここにも・・・

kan4












小早川隆景です。

後を継ぐのは・・・あの有名な、小早川秀秋。

kan1












この父に?なことをしでかす彼です。
って言っても、血は豊臣。
そう、この人も、秀頼誕生によって運命が変わってしまった人です。

秀頼が誕生するまでは、可愛がられていました。。。
秀次に次ぐ豊臣家の後継者と思われていたにもかかわらず・・・
秀頼の誕生で、秀吉と官兵衛によって、小早川家に養子に入りました。
まあ・・・小早川家に実子のなかったことが、隆景にとっても不幸中の幸いだったのかもしれません。
やっぱり誰でも血統で継がせたいものね・・・。

そして・・・隆景もまた、秀秋のことを官兵衛に託すのでした。

空気の読めない官兵衛に、ひとこと忠告をして・・・
中国大返しを思い出しながら・・・
「あのころが・・・あのころは・・・楽しゅうございましたな。。。」by官兵衛。
あ~~~、それはそうだろうな。。。
一番脂の乗り切った、楽しい時だったでしょう。

毛利を支えてきた小早川隆景も、その生涯を閉じたのでした。

そして・・・熊之助は、吉太夫と共に・・・朝鮮の船にもぐりこんでいました。

熊之助の事は、資料がないのでよくわかりませんが、朝鮮に渡ったのは本当のようです。。。

そう・・・嵐が待っている次回なのです。
振り回される相手が変わりそうですよ!!

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ
 

武将ボクサーブリーフ 小早川秀秋/裏切者 【 ボクサーパンツ ・ ボクサー ブリーフ ・ 戦国武将 ・ 小早川秀秋 ・ 小早川 ・ 裏切者 ・ 戦国 】

価格:1,296円
(2014/11/11 15:57時点)
感想(0件)


李舜臣のコリア史 秀吉の朝鮮出兵の全貌 / 片野次雄 【単行本】

価格:2,376円
(2014/11/11 15:59時点)
感想(0件)

【新品】【書籍・コミック 文庫活字】有明の月 豊臣秀次の生涯

価格:596円
(2014/11/5 17:32時点)
感想(0件)



おお・・・遂に、如水誕生です。

官兵衛が蟄居を命じられてしまいました。
それも・・・軍師なのに三成の罠にかかって・・・。

「この太閤をコケにした罪は重い・・・!!」by秀吉。

このことで、黒田家に激震が・・・!!

「一体何があったのだ・・・??」

利休のこと・・・今の殿下のこと・・・官兵衛は覚悟を決めている様子・・・??

kan3















そんな官兵衛のことを噂話しながら腹の探り合いをするこの天下人ふたり・・・。

「ところで殿下・・・黒田殿をどうなさるおつもりで・・・??」by家康

「あ奴は知恵があり過ぎたんじゃ。。。
 それで己の首を絞めたんじゃ・・・!!」by秀吉


その怒りを鎮めるために・・・北政所も淀殿を頼ることに。。。

朝鮮から急いで帰ってきた善助・・・
利休のときと同じだと怒り心頭です。

「このまま黙って死ぬおつもりではありますまいな・・・!!」by善助。

そう、何もかもが三成の陰謀によるものだそうです・・・

そんなころ・・・お拾誕生!!

名護屋にいる秀吉は、大坂に急ぎ戻ろうとしますが・・・

「黒田殿の仕置きが残っておりますが、いかがなされますか?」by三成。。。

わざわざ言うなよ・・・

「明日・・・登城させよ・・・!!」

って、官兵衛、どこで蟄居してるんだろう??

説としては・・・
①名護屋城 ②中津 ③引き返して朝鮮
があるのですが・・・???どうかな??

で・・・登城する官兵衛・・・。

kan1












なんと、頭を丸めていました。

「この黒田官兵衛・・・本日をもって名を如水円清と号しとう存じまする。
 身は褒貶毀誉の間に在りと雖も心は水の如く清し。」
「人にどう思われようと、心は澄み切った水のように静かであると・・・。」

と、いらだつ秀吉。。。

言い逃れはいないと言いながら、官兵衛、自分のしたことは死に値するほどのことでもないといけしゃあしゃあと言っております。

利休と同じように意地を通そうとも思ったが、それは自分の性分ではない・・・
なんと言われようとも、はいつくばって詫びを入れてでも生き延びるのが自分に相応しいと・・・

「それがし・・・まだ死ぬわけにはいきません。
 この命、お救い願いたい!!」by官兵衛。

如水とは・・・「水ハ方円ノ器ニ随フ」・・・そう、秀吉の意のままに役に立つのも立たないも、秀吉次第・・・。

土下座をする官兵衛に・・・

「人を食った男よ。。。」

官兵衛の助命嘆願の書状がたくさん秀吉のもとへと来ていました。
そう、おねに書かされたであろう淀の手紙も・・・。

「官兵衛・・・お主を許す。。。
 二度とわしの命に背くな。」
 
と、隠居することを願い出た官兵衛でした。

許可して秀吉は大坂へ帰ってしまいました。
「戦は終いじゃ・・・!!」

三成、本当に悪よのう・・・
個人的にはそんなに喜怒哀楽の見えにくい人のように思えるのですが、この軍師官兵衛では???怒でもないなあ・・・哀でもないなあ・・・何処に属するんだろう、あの演技・・・嫉妬???

大坂にある黒田屋敷に帰ってきた官兵衛。
みんなびっくり、丸坊主。
ほんと、あの丸坊主、よく出来てますよね。
皮膚の感じが、ぼこぼこで・・・というか、つるつるでなくて。。。
岡田くんが本当に丸坊主にしたみたい。
でも、丸坊主にしても男前は男前、丸坊主にした方が男前ってわかるわ~~~


お拾にぞっこんの秀吉。
淀の欲しいものは・・・お拾が天下人になること。。。
どうする?三成???


聚楽第では秀次が・・・官兵衛を頼みにしていました。
ま、秀長とか・・・利休とか・・・三成を快く思わないメンバーに官兵衛も入っているでしょうから、秀次が頼ったものとも思えますが。。。


この秀次さん、とっても優秀でした。
近江八幡を商人の町として発展させたのはこの人の功績です。
後からの・・・勝ち組の話で殺生関白なんて言われますが、政治的にもですが、農民の子であるにもかかわらずおじゃるとも仲が良く、和歌を詠んだり物語を読んだり・・・と、優秀でした。


日本を5つに分けてその4つを秀次に、1つを秀頼に与えると約束します。。。
なんだか不穏な空気が漂ってます。

で・・・秀次の忠義の証として・・・
秀次の娘と秀頼の婚約という知恵を与える官兵衛ですが。。。

これはどうでしょう???

一説によると、前田利家の仲人で、秀頼と秀次の娘を婚約させたといいます。
つまり、天下をあげてしまってでもどうしようもないので、考えた末に秀吉側から持ち寄った話・・・
ということですが。。。
どちらがホントなんでしょうね。
ま、この大河では、なかなか前田利家が出てこないので、官兵衛の勝ちにしときましょう。

kan4















で・・・
黒田がみんな朝鮮から引き揚げてきて・・・
久しぶりの一家団らんです。

でもって・・・徳川家康が動き出しました。
武断派の福島正則・黒田長政が取り込まれようとしていました。


kan2












官兵衛のおかげで上手くいっているという秀次・・・。
天下人としてのありようを説く官兵衛ですが、自分の力を手に入れたいと思うようになった秀次・・・。

天下人を催促する淀殿。。。秀次の若さを・・・秀吉の死後を心配するのでした。
って、これは、秀頼を恐れた家康と状況がピッタリ似ていますね。
やはり自分の子供に・・・と思うのは誰しも同じなのでしょう。

1595年7月3日・・・
秀次を訪ねて・・・聚楽第に三成がやって来ました。
秀次に謀反の疑いありと・・・!!

おお~~~これも三成の仕業ってか・・・??
この大河は、みんな三成と官兵衛でまわっているのか???と思ってしまいますね。
次回、秀次どうなる事やら・・・知ってるけど・・・
ドキドキな展開です。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村


戦国時代 ブログランキングへ

【バーゲン本】【送料無料】豊臣秀吉のすべて【バーゲンブック】 [ 桑田 忠親 編 ]

価格:1,242円
(2014/11/5 17:33時点)
感想(1件)

やっと、体力が回復してきました。黒ハート

THEナンバー2・天下人を支えた「おかか様」~北政所おね~です。

【送料無料】 北政所おね 大坂の事は、ことの葉もなし ミネルヴァ日本評伝選 / 田端泰子著 【全集・双書】

価格:2,730円
(2013/6/12 05:52時点)
感想(0件)




1615年大坂夏の陣、栄華を誇った豊臣家は大坂城落城と共に運命を断ちました。
おねは、京都で大坂の空を見上げて
「なんとも申し上げるべき言葉もありません」
と言ったと言われています。

豊臣家に嫁いで54年、この言葉にはどんな思いがあったのでしょう?

名もない足軽からスタートして、知恵と愛嬌で天下の階段を駆け上ったNo,1秀吉。その日本一の出世物語の相方が、No,2北政所おね。

尾張弁丸出しの夫に物申し、数多くの戦国武将を育てた天下を支える母。
しかし、秀吉亡き後は、徳川に加担した悪女とされてきました。その真実は、一体どこに・・・?

天下一の出世男を支えたおね、本人も、足軽から一国一城の主の妻となりました。
その秀吉とおねとの結婚は、当時としては珍しく、恋愛結婚でした。

1561年同じ長屋のひょうきんな男と結婚。その式は、土間に蓆をひいただけの質素なものでした。
秀吉は、織田の家臣として、快進撃を支えていました。

おねは14歳・織田家家臣の足軽の娘として生まれ、引衆・浅野長勝の養女となっていました。
当時の秀吉は、25歳。小者・武家の雑役に使われていて、身分的にもつり合いがとれていたようです。

あけすけで明るい夫婦だったようで、おねは、頭のよい人で、裏方を任せる良き伴侶だったようです。

1566年美濃の斉藤を攻めあぐねていたとき・・・墨俣の一夜城を築いてその勝利への突破口を開きます。
また、夜襲をかけ、念願の近江制覇。

秀吉は、おねに、戦のことを意気揚々としゃべるのが好きでした。
そして、それを楽しそうに聞くおね。あけっぴろげで気さくなその人柄は、偉くなっても変わることがなかったといわれます。

1573年小谷城攻め。
秀吉は、先陣を切って大活躍。その功績に、近江12万石を拝領します。
そして、この琵琶湖のほとりに長浜城を築いたのです。

この長浜城、砦や山城ではなく、政治と商業を司る中枢としての機能としての城になっています。
新しい城下町という町づくりに着手。

広々とした道路、掘割、水路・・・。整然とした町並みを作りました。
その町の区画には、職人や商人たちを移住させ、年貢を減免する措置をとりました。
また、戦に欠かせない、鉄砲集団の育成に力を入れ・・・。
最先端の、町づくりをしました。

しかし、城主秀吉は、すぐに戦地へ・・・。

1577年毛利征伐のため、中国遠征に。
12万石の領国経営はおねに任されました。
辣腕経営者のおね、秀吉の戦国一の懐刀だったのです。

2人は常に手紙でやり取りをしていました。秀吉は常におねに判断を仰いでいたようで、秀吉にとっての知恵袋でした。

また、おねは人材の育成にも着手します。
少しでも見どころのある人間を引き取りました。

尾張では・・・福島正則・加藤清正
長浜では・・・石田三成・増田長盛

などです。

采配を振るって、飯を食わせて、教養を付ける。
みなには、「おふくろさま」と、慕われていました。


秀吉。その戦い方は、知恵のある参謀を使っての調略が主でした。武力によって戦うのは、いたずらに兵を失うだけだったからです。

三木城の干殺しでは、2年にわたって兵糧攻め、高松城では水攻め。向かうところ敵なしの秀吉でしたが、時代は激変。

1582年本能寺の変。
明智光秀の謀反により、信長自害。
秀吉は、わずか6日で取って返し、山崎の戦いであっという間に明智を蹴散らし、天下取りレースに名乗りを挙げました。

その後3年、調略と武力で
1585年見事関白に就任。

自らの権力の象徴として豪華絢爛の大坂城を築城。
おねはこの時から北政所となるのです。

大坂城を築城したものの、秀吉は九州の島津征伐のために兵を出します。
2人を繋ぐのは手紙でした。この手紙、単なるラブレターではなく、政治のホットライン。重要な機密が書かれていました。

例えば・・・。
1587年島津義久が秀吉に降伏。
その時のおねへの書状には・・・。
①島津義久の人質は15歳の娘。
①重臣も十人ほど人質に。
①弟・義弘の人質は15歳の長男
①8歳になる息子も人質とする。

などと書かれています。

「人質」戦略を使い出す秀吉。
この人質の監督管理がおねの役割でした。


京都・聚楽第の周りには、大名屋敷が何十件と次々に出来、「人質」が送り込まれます。
秀忠も12歳の時に「人質」としてやってきます。

秀忠も、北政所が世話をしていました。
以来秀忠は、上洛するたびに、おねを訪ね、折々には贈答の挨拶、お歳暮などを送っていたといいます。
「おかか様」として、情を結ぶのです。

当時の人質の重要性として・・・。
人質とはいえお客様。子供が大きくなると城主になって、天下人を支えられる人に・・・豊臣家を慕うようになるように育てたのです。

つまり、人質とは、教養をつけ、裏切らないように育てる。だから、戦術や礼儀作法まで教えたのです。

黒田長政は、関ヶ原の時、調略して東軍に寝返るように工作をしますが、この時の京での人脈・仲間意識を利用して交渉し、寝返らせるのです。

つまり、おねの役割は大きいのです。
秀忠も、徳川と豊臣が仲良くなれるようにと、育てたのです。
おねがいなければ、秀吉は天下が取れなかったのでは?


そして、最大のライバル淀殿が出現します。
2人の間には様々な噂がありますが。。。2人の真実はどこにあるのでしょう?

1589年鶴松の誕生。ここから確執が生まれるのです。

「二人かかさま体制」の誕生です。
家を守る女性と子供を育てる女性、役割分担が生かされました。

1590年小田原城攻めの時、秀吉は北政所に頼んでいます。
「長い戦になるので淀の者を呼び寄せとうござる」
京を離れられない北政所に代わりに陣中における妻の代わりを淀殿に託したのです。

翌年、そんな3人に悲劇が・・・。
1591年鶴松病没。

跡継ぎをあきらめた秀吉は、甥の秀次に関白職を譲ります。
自らは、朝鮮征伐の指揮官として九州にわたります。
朝鮮での戦いに邁進する日々・・・。
そんな中、思いがけない懐妊の知らせが。。。
秀頼の誕生です。

何としても秀頼に跡を!!
秀吉に暗い野心が灯りました。

自ら位を譲った秀次を高野山に追放。
1595年自害に追い込みます。

豊臣家の将来は?

1598年秀吉が62歳で亡くなります。
北政所にとっては、2人で作ってきた豊臣政権。秀吉の死によって、私は私の道を行こうかしら・・・。と、思ったのかもしれません。豊臣さえ残れば・・・天下一でなくても良いのでは?

淀殿の力が大きくなって・・・おまけに育てた子供たちが反目しだしました。
尾張は武断派、近江は文治派に割れてしまうのです。
朝鮮戦争を戦った尾張派。他国に攻めていって負けたということは、恩賞がありません。その不平不満も、死んでしまった秀吉には文句が言えません。矛先は、石田三成ら近江派に向けられたのです。

しかし、近江派は、朝鮮戦争の用意をしたり、準備をしたり、みんなが帰れるように、兵を退くための用意もしました。「中途半端に戦ったくせに・・・」

この近江派が、淀殿と秀頼方になるのです。

俺たちは排除される・・・追いやられたくない。。。尾張派は、北政所のところに泣きつきに行きました。
相談に乗る北政所。当時五大老筆頭だった家康を頼るように言います。

北政所は、大坂城を淀殿と秀頼に託し、京でひっそりと暮らします。
自分の役割は、夫の菩提を弔うこと・・・。

晩年に建立した高台寺には、御膳・スリッパ・杖、ゆかりの道具や衣装が数多く残されています。
しかし、時代は静かな生活を脅かします。

天下をめぐる争いが・・・。虎視眈々と家康が狙っていました。
秀吉と北政所が育てた小早川秀秋・福島正則・加藤清正は、にわかに権力を振るい始めた石田三成に反発していました。

家康はこれを利用して、内部から切り崩しにかかります。
東軍につくか、西軍につくか・・・。水面下で激しい攻防が繰り広げられました。

北政所のところにも、次々相談にやってきました。その中に、小早川秀秋の姿もありました。
豊臣家を滅ぼしたのは北政所だった! 天下に愛された女・おねの生き様に秘められた真実
豊臣家を滅ぼしたのは北政所だった! 天下に愛された女・おねの生き様に秘められた真実
周りの武士は、北政所を味方につければ「使い道」がある。北政所には逆らえない。。。
そこを突いたのが、策士・黒田長政でした。

いち早く徳川に味方した黒田長政。黒田長政も、北政所が家康に動きかけているのを察知して、小早川に揺さぶりをかけます。

「徳川方につくことを早々に決断されよ
 われわれ北政所様に恩義がある者は、それこそがお心に従うことだとわきまえよ」

東軍につくように勧めます。

1600年関ヶ原の戦いの火ぶたが切って落とされました。
しばらくは互角に見えましたが、小早川の1万5千の軍が東軍へ寝返ります。

これを機に、西軍は総崩れ。わずか1日にして幕を閉じたのです。
このことからも、北政所が天下を大きく左右したと言えるでしょう。

この戦いに豊臣が負けた一番の要因は、尾張閥・近江閥が一致団結していれば・・・。
奥の秩序が保たれていれば・・・。ということに尽きるのではないでしょうか?

事実、北政所は、石田三成に追い出されたような節がありました。

秀吉と最後まで相思相愛だったおね。秀吉の死後は、抜け殻のようになって、思い出に生きたようです。

秀吉辞世の句はあまりにも有名です。

「つゆとおち
  つゆときえにし
    わがみかな
 なにわの事も
    ゆめのまたゆめ」

1615年大坂城落城の折、豊臣家も滅んでしまいました。

たったひとこと

「大坂のことは
  なんとも申し上げる
    言葉もございません」

高台寺霊屋には仲良く二人の木造が並んでいます。
日本一のおかか様はいま、夫婦ゆっくり暮らしているのです。


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

【バーゲン本】【送料無料】豊臣秀吉と天下統一-CG日本史シリーズ8 CG日本史シリーズ【バーゲンブック】【50%OFF】【バーゲン 本 ブック】

価格:490円
(2013/6/12 05:53時点)
感想(1件)



【バーゲン本】 豊臣秀吉改訂新版 [ ムック版 ]

価格:735円
(2013/6/12 05:54時点)
感想(1件)


このページのトップヘ