日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:濱口梧陵

津波救国──〈稲むらの火〉浜口梧陵伝

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濱口梧陵ってどんな人?

江戸時代から明治時代にかけての人です。
安政地震津波の襲来時、稲むら
こんな人です。

幕末・安政の大地震に立ち向かった男はこちら

すごいことを成し遂げた郷土・和歌山の誇れる偉人です。

戦前の尋常小学校の教科書には載っていた有名な人物です。
東北で大震災があって・・・最近また、5年生の教科書に載るようになりました。
それは、戦前の日本の教育が悪かったというアメリカナイズされた教育が削除させたのでしょうか?

そんな濱口梧陵さんのことを教えてくれるのが、”稲むらの火の館”です。

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こちらです。
こちらは、津波防災教育センターになっています。

ここでは、濱口御陵の防災精神や、「稲むらの火」の人命尊重の精神を踏まえて、来たるべき津波災害から大切な生命や暮らしを学ぶことができます。
私たちが行った時にも、いろいろな団体の人が見学・研究に来ていました。

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和歌山県最南端の串本では・・・5mの津波が来るの???
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他にも、津波の威力も再現してくれています。

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これは・・・なかなかできることではありませんが、とっても大事なことです。

誰でも思っちゃいますよね。
「私は大丈夫!!」って。。。


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こちらが浜口梧陵さんが造らせた高さ5m・根幅20m・延長600mの大防波堤です。私財を投じて安政5年に完成したものです。

上が遊歩道になっているのは、人に歩いてもらうことによって防波堤を固めるため、松が植わっているのは津波で人がさらわれないように(引っかかるように)するためです。

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防波堤の門です。
津波が来ることになったら、ここを閉めるのですね。

で・・・その前は・・・
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行った日は、とっても暑くって・・・
でも穏やかな海でした。

この海がひとたび地震となると、津波が来て・・・大変なことになるのですから自然ってすごいですね。

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こちらは、広八幡神社です。
安政南海地震津波の際は、村人たち、みんなここに逃げて守ってもらいました。
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こちらは、濱口梧陵さんのお墓です。
この奥にあります。

濱口梧陵が知られるようになったのは・・・
ラフカディオ・ハーン・・・小泉八雲さんが、”生き神様”として紹介したからです。

日本の神の概念は、外国の概念とは著しく異なっていることを紹介した”A Living God”の中で、日本では尊敬される人物を生きながらにして神として祀ることがある・・・と、濱口後兵衛(濱口梧陵)の活躍を紹介しています。

濱口梧陵本人は、これを固く固辞していたようですが。。。

いつも思うんですよね。
和歌山って、本当に宣伝が下手だなあ・・・って。
昨日も”天空の城ラピュタ”やっていましたが、和歌山市にある友ヶ島は本当にラピュタの島みたいだし、南方熊楠もエコ・自然保護に貢献しているし、濱口梧陵も・・・広川町自体が防災の村になっているのがよく分かりました。

みんな、和歌山に来てくれないかなあ・・・


友ヶ島という名のラピュタ~①~はこちら
孤高の科学者~南方熊楠を訪ねて~はこちら

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BS歴史館~復興の鍵は民にあり 幕末・安政の大地震に立ち向かった男「濱口梧陵」です。稲むらの火と言った方がピンとくるかも知れませんね。

これは、知っていないとまずい郷土の有名人です。が、人間の頭なんてあやふやです。こんなにバイタリティに溢れた人とは思っていませんでした。

ちなみに、戦前の教科書には載っていた有名な人物です。去年から5年生の教科書に載るようになりました。それは、戦前の日本の教育が悪かったというアメリカナイズされた教育が削除させたのでしょうか?

この安政の大地震は、安政元年に起こった安政南海地震のことで、西日本で数千人の死者が出たといわれています。

濱口梧陵は紀州藩広村の醤油を生業とした商人です。巨大な津波から村人の命を救い、広村に奇跡の復興をもたらした人です。

広村は、今の広川町のことで、たちうお、しらすなどの捕れる漁港です。この町を、100年~150年ごとに大きな津波が襲っていました。

そんな中、後々語り継がれるほどの大地震、安政南海地震がおこります。震源は沖合M8.4の大地震で、高さ4.2mの津波でした。これは幕末最大級で、今回の東北の津波の二分の一ですが、防波堤などはなかったので、同じぐらいの津波といえるでしょう。

手記より
「七つ時頃に至り、大震動あり、瓦飛び 壁崩れ 塀倒れ 塵空を蓋う」という大被害でした。
冷静に海岸の異変に気づきます。
「巨砲の連発するが如き 響きをなす数回 伝え聞く 大震の後 往々海嘯(津波)の襲ひくるありと」
と、津波を予感しています。
「村民一統を警戒し 氏神八幡境内に立ち退かしむ」

村から八幡様まで1.7km20分はかかる距離でした。

後の計算によると、広村にくる津波の第一波は40分後。

この時、村人たちは八幡神社に逃げて救われます。が、第二波、第三波が来るはずで、逃げ遅れた人達のために目印に・・・

「路傍の稲むらに火を放したむるもの十余」
稲わらに火をつけ
「以って漂流者に其身を寄せ、安全を得るの地を表示す」

暗闇に忽然と現れた炎。その火を頼りに高台へ逃れた人達。多くの命が救われました。
他の村では村人の半数が被害にあった地域もありましたが、広村の死者は、30/1323人中であったのです。

この安政元年とは、その前年、ペりーが来航し、情勢が不安定で落ち着かない時代でした。そんな時代に・・・。

安政元年   11月4日  安政東海地震
       11月5日  安政南海地震
       11月7日  豊予海峡地震
  2年    2月1日  飛騨地震
       10月2日  安政江戸地震

と、地震が誘発しています。本当に不安な時代だったのです。

小泉八雲はこの「稲むらの火」を外国に伝承しています。それは、日本人独自の共同体のあり方に興味を抱いたからでしょう。

では、何故津波を予知できたのでしょうか?

濱口家は、広村の名家で、代々醤油屋(今のヤマサの前身)を営んでいました。ここには1万冊以上の本が梧陵文庫として残っています。
この中の「日本三代実録」(平安時代に編纂された歴史書)に、貞観地震というのが記録されています。869年に東北地方で起こった地震で、激しい轟音、雷のことが記録されています。

梧陵は、広村では知的階級を代表する人であり、地震と津波が連動しているという知識があったのです。

では、何故田畑の貴重な財産である稲むらに火をつけたのでしょうか?
火をつけたのは、梧陵が私財を投じて作った「耐久舎」の教え子たちでした。梧陵は、幕末の不安の中、防衛・教育を地域で行うことを目指していました。高い危機管理能力を持っていたのです。

では、どうしてこんなにリーダーシップがあったのでしょうか?

当時まだ、士農工商の身分制度が残っており、商人である梧陵はお金持ちで名家であるにもかかわらず、政治的には一番下の階級でした。

江戸時代、殆どが農民で、米だと年貢は40%取られていた時代、醤油醸造の商人だと税金を払わなくて良い=人として重きにおかれていない存在だったのです。

でも、富は貯まっていく。これを社会還元、地域に還元するというのが、当時の商人の人間の倫理であり、義でした。それが、梧陵文庫にも表れています。
梧陵は、地域の自治の確立を目指します。

「人家は概ね崩壊して
 只ニ三の旧態を存するあるのみ
 人生の悲惨茲に至りて極まれりと謂うべし」

濱口家が炊き出しをし、みんなを飢えから救います。また、長屋を建てたりと広村の復興に尽力します。

家を流され、田畑は塩水に浸かり、生活の手段をなくした人々。
紀州藩は、藩全体が被害を被っているため全域に支援できない状態。
そんな中、梧陵は紀州藩に手紙を出します。

「波除土手の増築、御免許蒙奉候
 右工費は乍恐 私如何様にも勘弁仕る」

と申し出たのです。

千葉県銚子市には、黒潮に乗って紀州からの移民も多く、当時は利根川を遡ると江戸であったため、江戸への搬入口として栄え、交通の要所となっていました。梧陵はそこでも醤油醸造所を経営していました。

ここで稼いだお金を広村の復興に充てたのです。総額5億円といわれています。広村では、仕事のなくなった住民を使い、女子供であっても日当を払ったそうです。

が、安政2年10月2日安政江戸地震が起こります。江戸は壊滅し、醤油の江戸支店も閉鎖することになるのです。でも、この銚子では、広村復興の為に今までにないほどのたくさんの醤油を製造し、バックアップするのです。

この梧陵のした共同事業は、村人に仕事を与えたばかりでなく、帰属意識の高まりを作ったのです。

4年後に堤防は完成します。これは、世界初の津波用堤防です。
そして堤防と海の間には、6000本の松を植えます。松は根を張るばかりではなく、松林で人を津波で持っていかれないようにしたのです。

この堤防の上にははぜの木が植わっていて、木の実はろうそくの材料となります。それを売って、堤防の維持費に充てたのです。

昭和21年12月21日昭和南海地震が起こります。M8.0高さ4mの津波が広村を襲いますが、堤防のおかげで市街地に被害は殆どなかったといいます。

商人から初めて勘定奉行に任命された梧陵は、今までの禄高制をやめ、能力給の給料制にしたりと、政治にも精を出します。大久保利通の目にも留まりますが、民間人の実力をつけるという考え方は、専制主義国家である明治政府とは相容れませんでした。

後に和歌山県議会議長となりますが、かつての夢だった世界旅行の途中、アメリカのニューヨークで亡くなります。

本当に、一般人にしておくのは勿体ないくらいです。が、民間人たればこそ、これだけフりーに動けるからこその決断力なのかも知れません。

今の政治家の皆さんは、お互いの顔色ばかり伺って、落としどころを考えながらお話して、政治をしている感がありますよね。(≧ヘ≦)

もっとリーダーシップのある人を求めるのは酷なのでしょうか?自分で見極めて、庶民のパワーから持っていかないとだめなのかも知れませんね。

ホント、これ以上、天災も人災もおこりませんように(* ̄∇ ̄*)


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