いよいよ坂に挑戦です。

有間皇子のお墓の近くには・・・

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お地蔵さんがありました。

ここから藤白坂を登っていきます。

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はじめは平坦な道ですが・・・

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ああ、階段が!!
峠に突入です。黒ハート


動くのが苦手な私ですが、道には1丁ごとにお地蔵さんが立っています。

この地蔵は元禄年間(1688~1704)に海南の高僧全長上人が、安全祈願と坂の長さを計るために1丁ごとに建てたものです。

全部で18体あるそうです。

私も、あと〇丁・・・と、勘定しながら登りました。黒ハート
けっこう励みとなりました。

ずんずん進んでいくと、竹藪もあります。

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笠をかぶった平安美女が、赤い衣装で出てきそうです。

そんな趣も感じながら、

十四丁まで行くと、筆捨松と硯石がありました。
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この筆捨松、そのいわれは・・・
平安初期の仁和(885)のころ、絵師巨勢金岡は熊野への途中、藤白坂で童子と出会い競画をすることになりました。
金岡は松にウグイスを、童子は松にカラスの絵を描いたのですが。。。

金岡は童子の絵のカラスを、童子は金岡の絵のウグイスを、手を打って追うと、両方とも飛んでいってしまいました。
童子がカラスを呼ぶと、どこからか飛んできて絵の中に収まったのですが、しかし、金岡のウグイスはついに帰りませんでした。

金岡は「無念!」と筆を投げ捨てたといいます。
その筆は、「投げ松」のところへ落ち、以来、筆捨松と呼ばれてきました。

その童子は熊野権現・・・おもいあがった巨勢金岡を、熊野の神様がいましめたというお話です。

その故事にちなんで初代紀州藩主徳川頼宣公が筆捨松のそばに造らせたのがこちら。
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硯石です。

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ピンとはった空気の中、今も昔も変わらない・・・そんな空間を楽しみながら

たどり着いたのは

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峠のおじぞうさん、地蔵峰寺です。

この中には、大事にお地蔵さんが祀られています。
この裏にある丘は御所の芝といい和歌浦から淡路島まで見渡せる景勝の地です。

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この日は朝から雨だったので、ちょっと靄がかかっていますが、片男波がとても綺麗でした。

熊野への行幸は、宇多天皇が最初だと言われています。

熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野行幸からと言われています。
白河上皇はその後あわせて9回の熊野行幸を行いました。
これにより京都の貴族の間に熊野詣が行われるようになり、その後、後白河上皇も34回の熊野行幸を行っています。
ちなみに回数は、有名どころで・・・
宇多法皇(1)・白河上皇(9)・鳥羽上皇(21)・崇徳上皇(1)・後白河上皇(34)・後鳥羽上皇(28)・・・と、いろいろな天皇や貴族に愛されていました。

でも。。。
ホントに、天皇行幸ってなったら、輿はいるは荷物も多いは・・・よくこんな道を歩けたものだ・・・と思います。
決死の覚悟だたのでしょうね。
だからこそ、景色にも、温泉にも、大自然の神秘にも、心の底から感動したのでしょうね黒ハート


ああ、ほんとに、視聴率低迷の”平清盛”ですが、もっと熊野古道もタイアップしてれば良かったのに・・・!
出てきた天皇、みんな熊野詣してるじゃん!!


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