日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:福島正則

治部の礎

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1590年豊臣秀吉が天下を統一。
しかし、加藤清正と石田三成の亀裂が関ケ原の戦いを生むこととなりました。
その真実とは・・・??

1574年長浜城・・・織田信長の家臣・豊臣秀吉がこの地で初めて一国一城の主となりました。
有能な少年が付きました。
その中に・・・加藤清正と石田三成がいました。

三成は15歳で、秀吉の身の回りの世話をする近習番という役で、抜群の計算能力を持つ勉強家でした。
二つ下の清正は、剣術の才能に・・・武芸に秀でていました。
切磋琢磨して大きくなったふたり・・・
最初に名を挙げたのは清正でした。

1583年賤ヶ岳の戦い・・・秀吉と柴田勝家が戦った戦で、七本槍として功名をあげます。
その後も武断派の中心として、秀吉の領土拡大に貢献します。
遂には功績が認められ、肥後国北半分・・・25万石の大名となりました。

三成は、胃腸が弱く、戦いでは腹を壊して戦えません。
その代わりに、豊臣の家臣随一の頭を生かし、兵員・武器・兵糧・・・兵站を担当し、裏方として活躍しました。
二人は秀吉の天下取りに貢献していきます。

1590年、秀吉は小田原討伐をし、天下取りを実現させました。
それは、清正と三成の夢が達成された時でした。


平和な世の中になったことで、戦が減ってしまい・・・武断派と入れ替わるように台頭してきたのは奉行派・・・。
その中心は三成・・・。
法治国家としての刀狩、太閤検地を実施し、豊臣政権になくてはならない存在となっていきます。
そんな三成に反発するようになっていく清正。。。

秀吉もこの関係は解っていたようで・・・
奉行派の三成には19万4千石、武断派の清正には19万5千石・・・と、武断派に優越感を持たせ、対立が大きくならないように苦心していたようです。
しかし・・・最悪の事態へ・・・!!

佐賀県唐津市には、名護屋城がありました。
1591年その築城を任されたのは、城づくりのスペシャリスト・加藤清正をはじめとする九州の大名たちでした。
清正は5か月で巨大な天主、たくさんの櫓・・・大坂城に勝るとも劣らない城を造ります。
さらに周囲3キロ圏内に120もの陣屋が築かれ、今までにない大戦の始まりを告げていました。

朝鮮出兵、明の征服です。
この秀吉の海外侵攻に燃え上がったのが・・・九州の清正でした。
小西行長と共に先陣を任されます。
奉行派に主導権を握られていた清正にとってチャンス!!

「武勲を立て、朝鮮で20か国を拝領したい!!」by清正

清正にとっては、自らの領地を拡大させる大きな夢の始まりでした。

三成は・・・大きな疑問を感じていました。

「今大切なのは・・・豊臣の世を不動のものにするための国づくり。
 新たな戦は、百害あって一利なし。」by三成

秀吉に異を唱えたものの・・・聞き入れてもらえませんでした。

1592年、日本軍・15万9千が朝鮮へと渡りました。
この大軍のうち、1万を任された清正は・・・陣頭指揮に立ち、釜山に上陸北上し、朝鮮の首都・漢城を陥落させました。
そして、朝鮮国の2王子を捕らえ、明との国境まで攻め上り、破竹の勢いでした。
武断派の面目躍如!!
朝鮮の兵士からは鬼上官、幽霊将軍と呼ばれ、恐れられました。
が・・・時間がたつにつれて戦況は様変わり・・・
民衆が立ち上がったのです。
朝鮮水軍が活躍しだすと、日本の補給路が断たれ、苦境に立たされてしまいました。
さらに、朝鮮の援軍として明の大軍が参加!!
戦況は膠着状態に入りました。
膠着状態・・・多くの兵がいるために、食料や武器がたくさんいることとなります。
この危機的状況を打開するために、秀吉に変わって朝鮮に渡ることとなった三成。

「早期終戦に向けた講和しかない!!」by三成

これが、異国で戦う武将・・・清正たちの反感を買うようになるのです。

三成は戦における消耗を最小限に抑えるために、親しかった小西行長と共に講和に向かいます。
その講和交渉の切り札が、清正が捕らえた朝鮮国王子の引き渡しだったのです。
これに猛反発した清正!!

「我々は何のために、この過酷な戦いをやってきたのか・・・!!」by清正

最前線で戦ってきた清正にとって明との講和は耐え難いものでした。

そこへ・・・秀吉からの帰国命令が・・・!!
最も活躍し、武功をあげた清正に、帰国命令とは・・・!?
そのまま謹慎処分となってしまいました。
清正の謹慎は、三成の謀略だったのでしょうか??
清正は、告げ口と思ったかもしれませんが、三成としては見てきたそのままを秀吉に報告したというのが正しいのかもしれません。
それが三成のいいところでもあり、悪い所でもあったのです。
三成は裏方、清正は表・・・と、住む場所の違った二人、もともとは憎みあったわけではありません。
誤解にせよ、三成のせいで謹慎となったと思った清正は、益々三成を忌み嫌うようになっていきます。

1585年秀吉が関白に就任、諸大名が直接謁見したり献上品を手渡すことが出来なくなります。
その窓口となったのが側近の三成でした。
秀吉に好かれるかどうかは三成次第・・・。
古参の武将たちも、かつての近習番・三成にひれ伏せざるを得ませんでした。
三成には諸大名からのわいろが殺到!!
ところが三成は私腹を肥やすことなくはねつけます。
よく言えば清廉潔白、悪く言えば融通が利かない・・・。
主君秀吉のために働けば働くほど敵が多くなっていく三成。

しかし三成は秀吉のせいで悪者になろうとも傍を離れませんでした。
秀吉から大名を打診されたときも・・・断っています。
自分が九州に行くと豊臣政権を支える人間がいなくなってしまう・・・!!と。

秀吉の忠誠心なら加藤清正も負けていません。
朝鮮出兵時の虎退治の逸話は・・・秀吉への忠誠心と思われます。
世継ぎが出来なかったため・・・当時朝鮮に生息していた虎の肉を秀吉に献上しようとしたのです。
清正の虎退治は、清正の勇敢さを示すとともに、秀吉への忠誠心からだったのです。

朝鮮出兵の処罰で、弁明の余地も与えられず、伏見の屋敷に謹慎となった清正・・・
ひたすら法華経を唱える日々・・・。
そこへ・・・1596年慶長伏見地震が・・・!!
秀吉のいる伏見城に、甲冑をつけて一番に駆け付けたのが清正でした。
地震に乗じた反乱を防ぐために、戦支度を整えて参上したのです。
清正の忠誠心に感激した秀吉は、その場で謹慎を解きました。

三成、行長がしようとしていた講和が破談となり、朝鮮への再出兵を命じることとなった秀吉。
秀吉の命を受けた清正は、再び一万の兵を引き連れて朝鮮へと渡ります。
1597年慶長の役です。
その戦いは、前回にもまして過酷なものでした。
明・朝鮮軍の猛攻撃を受ける清正。
食料が尽きた日本軍は、苦しい戦いを続けます。
この危機的状況に三成は、援軍、食料、武器を送ろうと試みますが、朝鮮軍に海を抑えられてしまい、十分な輸送が出来ませんでした。
しかし、最前線の清正にはそんなことは解りません。
三成に対する不満が募る一方!!
1597年12月・・・明・朝鮮軍が日本軍の蔚山城を奇襲!!
劣勢に立たされたこの戦いで500人が討ち死に・・・!!
その後、包囲されてしまいます。
城内の日本軍は4500、対する明・朝鮮軍は5万7000!!
この時、10キロ離れた西生浦城にいた清正は、周囲の制止を振り切り救出に向かいます。
僅か500の兵で敵陣を突破!!
その日のうちに入城!!
しかし、ここからが地獄でした。
大量の死者を出した日本軍は、壊滅寸前。。。籠城するにも食料や武器は2,3日分・・・
しかも骨まで凍ってしまいそうな寒さで・・・凍死者が続出!!
それでも清正は弱音を吐かず励まします。
食料の尽きた城内では、紙をむさぼり、壁土を食べ・・・もはやこれまでか・・・!!
死を覚悟した清正でしたが、援軍が到着。敵を撃退してくれました。
この10日余りの籠城戦は、清正の戦いの中で最も過酷なものとなりました。
九死に一生を得た清正ですが、そこには援助をしてくれなかった清正への激しい怒りが残りました。
三成と清正の関係は、修復不可能となっていました。

天下人亡きあと、豊臣政権の後を継いだのは秀吉の忘れ形見・秀頼でした。
反目していても三成と清正の思いは同じ!!
幼い秀頼を盛り立てて豊臣政権を守り抜くことでした。
そんな二人の前に立ちはだかったのが・・・五大老筆頭の徳川家康でした。

朝鮮出兵に参加していなかったことで兵力を温存していた家康は、虎視眈々と天下を狙っていました。
1599年3月、前田利家死去・・・まさにその日に事件が勃発!!
武断派の七将(黒田長政、加藤清正、福島正則、加藤嘉明、池田照正、細川忠興、浅野長政)が三成の首をとるために挙兵・・・石田三成襲撃事件です。
直前に襲撃の知らせを受けた三成は、間一髪で難を逃れ・・・この時、仲をとりもったのが家康でした。
三成は奉行職を解かれ佐和山城に蟄居を余儀なくされました。

どうして清正たちは三成を襲撃したのでしょうか?
家康の謀略に引っかかった・・・??
秀頼を大切に思っていた清正、正則たちは、三成に丸抱えにされるよりも、家康に後押ししてもらうことを、描いていたようです。
家康にしてやられた清正!!
本当の家康をわかっていた三成と、わかっていなかった清正。。。

やがて天下分け目の関ケ原へ・・・
1600年6月、兵を東へ動かす家康・・・会津征伐へ・・・!!
三成は家康が上方を離れたのを知ると挙兵を決意します。
豊臣家を守るために、打倒家康を決意した三成・・・その心のうちを無二の親友・大谷吉継に打ち明けます。
しかし・・・
「諸大名に恨みを買っている三成殿が、決して総大将になってはならない・・・!!」と、忠告されます。
三成には人望がない・・・。
そこで三成は家安と並ぶ五大老の毛利輝元を総大将とし、西軍の陣を整えていきます。
そんな中、加藤清正にも西軍に入るように要請がありましたが・・・九州を動こうとしません。
どうして豊臣寄りの政権につかなかったのでしょうか??
三成への反発心から、九州において東軍に賛同する清正。

それがやがて豊臣家を滅亡へと向かわせます。
1600年9月15日、関ケ原の戦い!!
東軍7万4000VS西軍8万4000!!
軍勢では西軍有利も、徳川の裏工作によっての寝返り・・・結局は東軍の圧勝!!
三成は敗軍の将となりました。
密かに陣を抜け出し佐和山城を目指した三成・・・東軍の追手に捕まり京で引き回しの上、斬首となりました。
東軍についていた加藤清正は、西軍の小西行長の弟が守る宇土城に攻め入り、九州で東軍の勝利に貢献します。
1611年・・・清正は徳川の元、豊臣家を存続させるために二条城にいました。
徳川家康と豊臣秀頼の面会を実現させます。
これで秀頼さまも安泰・・・ほどなくして倒れ、50年の波乱の人生を終えることとなります。
天下をわがものにした家康は、大坂の陣で豊臣家を滅亡させてしまいました。
清正が死んで4年後の事でした。

関ケ原の戦いの3日前・・・三成が西軍の武将に送った書状には・・・

「人の心計りがたし・・・」とありました。

三成と清正・・・二人の心が通じ合い、力を合わせていれば・・・豊臣家の滅亡も、徳河の繁栄もなかったのかもしれません。




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<石田三成と関ヶ原合戦>反三成の急先鋒! 加藤清正と福島正則 (歴史群像デジタルアーカイブス)

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前回、大坂編の人物紹介、かなり面白かったですね。
そんな今回は「表裏」、それって、真田昌幸の言われた”表裏比興の者”なんでしょうか??
でも、前回の”真田丸”では、本当の表裏比興は”秀吉”でしょう・・・??

関白秀吉に、従おうとしない真田。
しかし、上杉も秀吉に降った。
上杉の人質として大阪にいる信繁は、苦境に立たされた。


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悪い知らせ・・・上杉が越後に帰ったことを知らされる信繁。
殿下に忠誠を誓われ、越後も生まれ変わると・・・信繁はどうなる・・・??
嬉しそうに信繁をからかう??いえいえ、眼は笑ってませんよ。。。

信繁は、殿下の馬廻衆に決定していました。
なんとも、話がスピーディーに進んで、殿下の家来といえば聞こえはいいですが、ほとんど人質ですね・・・。

馬廻衆は本来、戦場において大将を守る直属の護衛隊である。
秀吉に仕える馬廻衆は、戦がない時も、常に彼に付き添い、危険から守った。
 
ということで・・・
馬廻衆のお部屋に案内されます。
何でも人員が一人少なくなったという・・・。

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黄母衣衆なのだそうだ。
そして、いなくなった者の名は、立花権三。。。
思い出せばあの人・・・。

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酒に酔って井戸に落ちて死んでしまったのだという・・・
下手人は、加藤清正・・・??
どうして・・・??
それは茶々に気に入られていたから・・・??

なんだか信繁も茶々に気に入られてそうですが・・・
あぶないよ・・・こんなとこと、いくら命があっても足りないわ・・・!!

利休が持ってきたのは珍しいし品・・・。

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立派な帯は寧に・・・

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選んだのは秀吉だという秀次に、旦那様にこの色は選べない・・・あなたが選んだのでしょう??と、すべて御見通しの寧。。。
そうですね、秀次は、京の和歌や文化に詳しかったですから、そんなところも粋だったんでしょう。

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秀次はきりのことが気に入ったらしく、寧の鏡を見立てに連れて行ってしまいました。
なんでも、女性に手が早いらしいですよ・・・秀吉に似た・・・??血は争えません。

九州征伐が始まろうとしていました。
征伐に発つのは毛利と長曾我部・・・そして最後は止めの秀長!!

そうして寧には、九州からどんどん来るであろう人質の世話を頼むのでした。

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やっぱりこの二人、なんだかんだいっても相思相愛なのでした。

そして・・・茶々にも帯が・・・

「ねえ?ご権三って死んでしまったの??」by茶々
子供のように無邪気な茶々に焦る信繁。。。
「それで権三の代わりに新しく源次郎が加わったというわけだ」by秀吉
「そういう事なんですね、源次郎殿、これからよろしく頼みますよっ!!」
笑顔の怖い茶々様です。

長生きしたければ、茶々様には近づくな!!
権三が初めてじゃないから・・・
と、上司である平野長泰にくぎを刺される信繁!!

さらっと人の死を語れるところが怖いというか・・・
そんな死と隣り合わせの人生を送ってきたのでしょう。。。
その中でも茶々の壮絶なる人生!!
これからまだまだですっ!!

秀吉の留守中に・・・茶々に呼び出されてしまった信繁・・・秀吉の嫉妬が・・・??危ない・・・??
そこで大蔵卿局の重い一言が・・・
「あのお方は・・・悲しむのを止めたのです。。。」
なんと、重い一言でしょうか??
実の父と兄を失い、養父と実の母を失い・・・きっと、この大蔵卿局を母と慕い今まで過ごしてきたのでしょう。。。
きっと、心を許せるのはこの大蔵卿局だけ・・・。

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姫様はこの帯を締めたところを信繁に見せたかったのだという・・・。
しかし、なんとも・・・拒否る信繁・・・
次は殿下のいるときに・・・と、お願いします。
お留守の間にお目通りしたことも秘密にしてほしいと、茶々に願うのでした。


井戸を見ていた信繁を心よしと思わなかった清正が突っかかってきました。
殿下の命令ではない!!自分が考えてしたことだ!!と。

「虎!!やめないか!!
 お主も今や、三千石の領主なのだ!!
 わきまえろ!!」by秀長。

流石、豊臣家唯一の人望あるブレーンです。
彼さえ早くに死ななければなあ・・・

秀長は、「心がついてきていない」と言った。。。
我々は所詮百姓・・・切なくも的確な表現。
幸せなように見えてどこかに歪が出て来ている大坂城なのです。

そして・・・徳川では本多忠勝の娘・稲(小松姫)登場!!

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おお!!流石、藤岡弘、の娘って感じですが・・・。

本当の小松姫もこんな感じ。

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流石・・・藤岡弘、・・・でなかった。。。
流石、徳川四天王・本多忠勝の娘です!!


そして。。。
いよいよ真田討伐へ・・・!!



徳川家康が大軍勢を集めているという噂が真田にも届いていました。

おまけに・・・上杉が援軍を断ってきました。
そこに介入しているのはもちろん秀吉。。。

北条に徳川に上杉・・・周囲はすべて敵となってしまいました。
家康は・・・惣無事令のこともあるし、秀吉の許しを待っている・・・??と、考える信幸!!
家康さえも秀吉の下についたのか・・・??
最後まで生き残るだけのことはあるわ、お兄ちゃん!!
やっぱり賢いのね。

そして用心深い秀吉は・・・
今回の家康の”真田攻めの許し”を乞う書状の是非を・・・最近会ったことのある信繁に聞くのでした。

「本心ではないと思います。
 家康を信じてはなりませぬ!!
 家康は用心深い男です。
 もし断りなく真田を攻めれば、殿下は必ずお怒りになられる。
 真田にお味方なさるやも知れぬ。

 家康はそれを恐れたのではないでしょうか。
 全ては真田に勝つための算段・・・。
 家康の本心ではありませぬ。」by信繁

「家康に一杯食わされるところだったわい・・・。」by秀吉。

と、秀吉の結構お気に入りな信繁なんでしょうか??
偉くなられた殿下なのに、自分の話にも耳を傾けてくれている・・・と、秀吉の低姿勢に尊敬の眼差しの信繁?
そう・・・信繁の思うように事が運んでいる??
と思いきや、しかし、本当は・・・
片桐且元が・・・浜松へ使者として行くことが判明しました。

「お主には辛いこととなってしまったが・・・
 これも戦国の定め・・・辛抱して・・・」と言い出す且元!!

どういうこと??
なんと、秀吉が、家康の真田攻めを・・・真田討伐を認めたらしいんです
話が違う!!

「今・・・徳川全軍に攻められたら・・・真田はひとたまりもありません!!」

真田が・・・真田が滅びてしまう・・・!!

焦る信繁の目の前に登場したのは・・・笑みを称えた茶々でした。


本当に小日向秀吉黒いわ~~~!!
うすら寒いというか・・・なんというか・・・
でも、この秀吉&三成・・・なんだかんだと信頼している感があっていいですね。
せっかちな秀吉と、めちゃめちゃ合理的な三成。
秀吉の質問が終わる前にもう答えを出しているという・・・
まさにこの二人が出会った時のお茶の件を思い出してしまいます。

人たらしな秀吉・・・
もう・・・世の中は小日向秀吉の世ですよ。。。

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上洛する上杉景勝に従い、信繁は大坂を訪れる。
巨大な大坂城に圧倒される信繁。
やがて目の前に、関白秀吉が姿を現す。

ということで、副題通りの「秀吉」な回となりました。
私たち大河Fanとしては・・・秀吉はもちろんこの人ですが・・・どうなったのでしょう??

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この真田丸の殿下はこの人です!!

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信繁が控えている間にやってきました。人懐っこくって、人好きしそうな秀吉です。


なんと・・・上杉との面会を逃げ出して遊びに出かけてしまいました。

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せっかく三成がセッティングしたのに、すべてが水の泡です。

そして・・・秀吉が会いに来たのはこの人

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吉野太夫です!!

秀吉・・・目が💛💛!!
天下人の口説きも、軽くあしらってしまう吉野太夫です。
あ~あ・・・でも、秀吉らしい。

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お供は信繁と・・・福島正則です。
で・・・いきなり真顔で、
お前の親父は上洛もせずに喧嘩売ってんのか??!!ああ??と、言い出したかと思いきや・・・
三成に場所を見つけられて、「よくここが分かったな!!」と、嬉しそうに・・・
そして、信繁が来たかったからここに来たと、バレバレな言い訳をするのでした。

せっかく三成がセッティングした上杉との面談・・・
翌日に持ち越されました。

そして信濃では・・・秀吉の上洛命令に、頭を悩ませている昌幸・信幸親子!!
上洛するべきか否か・・・??

兄・信幸は、上洛すべきだと勧めますが・・・
昌幸は未だ上洛する気はない??悩んでいます。
信長のように門下に下った瞬間に・・・あんなふうにはなりたくはない。。。
信繁頼みの父・昌幸です。
自分は何をすればいいのか??微妙な立場の信幸です。
そして、佐助もまた出浦昌相に弟子入りしたという・・・私は何をすればいい??信幸!!

昌幸の耳掃除中の薫・・・
本当にこの二人は仲がいいですね。
信繁を褒める昌幸に・・・
「殿・・・息子は一人だけではありませぬよ。。。」
と、信幸をフォローします。
が、昌幸もそれはわかっていたようで・・・
「源三郎(信幸)が真田の力となるのはもう少し先じゃ。
 今は乱世。
 だが、いずれ世の中も落ち着く・・・
 その時こそ、源三郎の出番じゃ。
 
 荒れ果てた土地を再び耕し、国を立て直す。
 その時にこそ、アヤツが役に立つのだ。
 あの生真面目さがな。。。」by昌幸

「そんな世が・・・早く来るといいですね。」by薫

ということで、親の心子知らず・・・二人の子供たちをよく理解している父母なのでした。

夜に景勝&兼次に会った信繁・・・なんだかバツが悪そうです・・・。
そりゃあそうだ・・・信繁を連れて来てくれた景勝が、秀吉に会っていないというのに、自分が先に会ってしまったんだから・・・
おまけに「秀吉に会ったら、お主のことも話してやろう・・・」と、責任感強そうに、真面目な・・・とどめの一言を言う景勝。。。


三成の屋敷できりと過ごしていると・・・三成がやってきました。
「殿下の出しにされてしまったな」と、大谷吉継に引き合わせてくれました。

官僚な三成も、なんだか吉継はいいお友達のようで、信頼して吉継の堺代官の話を勧めます。

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そうそう・・・三成にもこんないいお友達がいるんですよ。

そこへ、加藤清正がやってきた・・・と、席を外す三成。。。

吉継と二人となる信繁・・・
「不思議な方ですね・・・なんと申しますか・・・
 これまで私に対しては至極そっけなかったのに、今宵は変わって随分と親しげなのです。」by信繁

「曲がったことが嫌いな男だ。
 だから私は好きなのだが、理が立ち過ぎるところがあって、人を立場で図ってしまう・・・」by吉継

殿下が信繁を気に入った時点で、三成にとっても大事な人になったという・・・。
まあ・・・三成には人望がない・・・と言われがちですが、こんな人だったんでしょうね。
でも、一貫して・・・豊臣のために・・・すべては豊臣のために・・・だったのです。
そして・・・そんな三成を唯一理解しているのは吉継!!
そうそう、みんなの見たい構図が完成してきましたよ!!

6月14日、上杉景勝は関白秀吉に拝謁しました。

「会いたかったぞ!!景勝!!
 かの軍神・上杉謙信の嫡男が、わしの目の前におると思うと感無量!!  
 こうして参ってくれた以上は、最高の令をもってもてなさねばのう・・・
 
 越後の本領は安堵、今後は東の要として関東を押さえてもらいたい!!
 おぬしの父は関東管領!!お主ほど相応しいものはあるまい」by秀吉

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と、従四位下左近衛権少将を授かりました。

もちろん、朝廷から頂く官位なんですが・・・
いい人秀吉がくれたように見えますが・・・そこには「お前はわし(関白)より下なんだよ!!」っていうメッセージがあるのは明白!!
人好きな感じを醸し出しながら、さすが百姓から成り上がって天下を取った男なのです。

しかし・・・さすが天下人!!

「それからもう一つ・・・
 これよりのち、真田への肩入れは無用とせよ。
 真田安房守はな、お主とは違って、いくらわしが上洛せよと申しても、一向に返事をよこさぬ不届き物じゃ!!
 ここは懲らしめてやらねばならぬ!!
 
 徳川家康が、間もなく真田征伐に乗り出す!!
 家康にとっては勝たねばならぬ戦じゃ!!
 ありていに言うがな・・・
 わしは家康に恩を言っておきたいのだ。
 あいつは面倒くさい男でな、ここらへんで手なずけておきたいのよ!!」by秀吉。

流石・・・!!
感服です!!
この・・・あけすけに策を話してしまうあたり、流石としか言いようがありません。
でも・・・あけすけどころか、何考えてんのか全くわからない・・・あの笑顔の奥が怖いわ~~~!!

「源次郎にどの面下げて会えばよいのだ・・・」by景勝

そんな景勝&信繁を、利休の茶に誘う秀吉でした。

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ここで前日に秀吉に会ったことをばらされてしまう信繁。
ビミョーな関係にされてしまいました。
二人の間に割って入ろうというのかしら・・・??

そしてこの茶会・・・小さな茶室での緊迫した感じがひしひしと伝わってきます。
信繁も、拳に力を入れてドキンチョー!!
この圧は、利休??それとも呑気な顔の秀吉・・・??

結局・・・茶を振る舞われたのは景勝のみ・・・。
そこには秀吉の・・・どんなたくらみがあるのでしょうか??
利休に、景勝という男を量らせたのでしょうか??
そして・・・茶をもらえなかった信繁には・・・”そんなこと”は期待していないのでしょう。

珍しそうに大坂城を見学しているきりが出会ったのは秀次!!

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鷹狩りの帰りに叔母上に枇杷を捥いできたのだという。。。
叔母上に・・・??それは、寧のことでした。

何を急いでいるの??秀次!!

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会議の場に遅れてきました、秀次!!
そこにはなぜか、秀吉のお気に入りの信繁も!!

「検地とは一言で申せばなんだ??秀次!!
 検地とは何ぞや・・・もういい!!三成!!」by秀吉

「????」秀次

「諸国の田畑を調べ、その値打ちを定めることでございます。」by三成

「では、それを調べることで何が分かるか?ハイ(秀次)」by秀吉

「・・・いろんなことが分かります。」by秀次

「もうよい!!三成!!」by秀吉

「検知をすることで、その所領がどれだけの石高なのかが分かります。
 それによって、そこから何人の兵を出せるかが割り出せます。」by三成

「しかし、これまで検地はどうももう一つ上手くいっておらぬ・・・
 なんでかわしは考えた。
 わけもない””
 米を量る升が各地でばらばらだからだ!!
 こんなますで量っている国もあれば、こんな升の場所もある。
 これじゃ何にもわかりゃしねえ・・・ではどうすればよい?源次郎!!」by秀吉

「・・・升の大きさを統一する・・・??」by信繁

「さすが、これからは升の大きさを統一する!!
 大きさを決めて、それで全国の石高を明らかかにするのだ。by秀吉

大仕事だが・・・それでもやらねばならぬ!!と、三成に話を進めるように命じるのでした。

このやり取りでも秀吉がどれだけ三成を信頼しているのかが分かりますね。
銅にもせっかちな秀吉&それに的確に答えなければならないことだけ答える三成です。

そして信繁を連れて茶々とかるたで神経衰弱です!!
初めてする神経衰弱も、持ち前の要領の良さで当てる信繁・・・
感がいいのか悪いのか・・・茶々と隣室に控えている美青年・立花権三の目くばせに気付いてしまいました。
そして・・・それに気づいてしまった秀吉!!
秀吉が茶々に執着している・・・その殺気に気付いてしまった信繁!!

そんなころ、秀吉の子飼いたちは・・・寧に可愛がられていました。

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羽柴秀長・福島正則・加藤清正・そして・・・秀次・小早川秀秋・・・
そこへ案内される信繁。
この頃にしては珍しく、恋愛結婚だった秀吉と寧。。。

恐ろしいほどに血縁には恵まれず・・・
おまけにもともと武士でもないので譜代の家臣もおらず・・・
そこが唯一のウィークポイントかな・・・??

この日、信繁が目撃した光景は、ひょっとすると秀吉とその家族たちのごく短い幸せな時だったのかもしれない。
やがてこの中の一人は、別の一人によって切腹に追い込まれ、この少年は自分のしたことの罪の重さに苛まれ21歳の若さで謎の死を遂げる・・・

と、丁寧にナレしてくれてます。
ばれるじゃないか・・・??と思う人もいるかもしれませんが、ま、この人間関係は、大河ではおなじみのところだったので、ばらしてもNoProblem・・・
というか、「夢のまた夢」な感じ・・・雰囲気がたっぷりで良かったですね。

この真田丸の秀吉・・・家康も未だかつてない家康ですが、秀吉もまた未だかつてない秀吉ですね。
今まで秀吉は竹中直人さんでないとダメだったのに、それを打ち崩すほどの小日向秀吉。
とっても黒くっていいですね。
もちろん人好きのする秀吉なんでしょうが、黒く・・・というか、人を出し抜くようなところがないと百姓から天下人にはなれないでしょう??

おまけに、このドラマの中ではすでに天下人。。。
真田昌幸は弱小なので、黒くってもそこには必死に領地を守っているみたいな大義名分も使えそうですが、すでに天下人なのに・・・容赦ないですね。。。秀吉!!
そこがまたgood!!
大坂編も、個性豊かなメンバーで、面白くなりそうですね。


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私たちが魅了する名城・・・それはかつて、戦国大名が、意地とプライドをかけて築いたものでした。
強く賢く勝ち抜いた者たちが主・・・勝者・・・城は、成功の証でした。

広島城・・・江戸時代の初め、意地をかけた対立事件が起こりました。
征夷大将軍VS広島城主・福島正則・・・。
福島正則は、猛将と知られた戦国武将でした。
正則は、豊臣秀吉のもとで武功を上げ、天下取りを支えました。
戦国大名として関ケ原の戦いでは、徳川家康に味方し、先陣を切ります。
強い男・福島正則。。。この正則と対立したのが、江戸幕府2代将軍徳川秀忠!!

秀忠は正則よりも18歳年下・・・子供のようなものでした。
対立のきっかけは・・・広島を襲った大雨で、川が決壊!!
広島城の大部分が破壊されました。
正則は、城の修復を実施!!
ところがこの改修工事が大問題に発展します。
広島城改修を知った秀忠は激怒!!
その理由は、武家諸法度・・・城については厳しい決まりがあったのです。
”城を修築する際には、必ず報告しなければならない”のです。

秀忠は、改修工事はこの一文に反するとしたのです。
広島城のほとんどを壊すように正則に言いつけます。
正則59歳・・・苦しい選択でした。
これは、徳川幕府と諸大名の関係を決めた事件といえます。


1582年本能寺の変、天下統一を目前にした信長の死によって、その後継者争いが始まりました。
1583年賤ヶ岳の戦い・・・天下取りへの大きな一歩を踏み出した羽柴秀吉に従っていたのが23歳の福島正則でした。
秀吉に仕え始めたとき・・・石高はわずか200石でした。
この賤ヶ岳の戦いで一番槍の功績をあげ、秀吉に大きく貢献しました。
正則は賤ヶ岳の七本槍として名を上げました。
これが秀吉に認められ、石高は5000石に・・・!!
この後も秀吉の戦場には正則の姿が・・・秀吉の天下とりを支えたのです。
1595年正則は35歳で清洲城主・・・24万石の大名となりました。
清須城は、豊臣政権で特別な意味を持つ城・・・
この城は、正則が城主になる前は、関白の豊臣秀次が城主でした。
そのあとに、正則が入った・・・秀次の跡を受けて、豊臣氏を支える存在である・・・!!
わずか200石の小姓から有力大名へ・・・!!
戦場の実力でのし上がった男・・・それが福島正則でした。

一方、江戸城・・・250万石の大大名の息子として大事に育てられた徳川秀忠。
秀忠の少年時代に秀吉が天下統一を達成しました。
なので、戦を知らないまま成長します。
秀忠は、「父君の御庭訓をかしこみ守らせられ」・・・家康に従順な息子でした。
歳の差は18歳・・・育った時代も環境も違う二人・・・。
時代の流れが二人を手繰り寄せていきます。
1598年天下人・豊臣秀吉死去。。。享年62歳。
豊臣政権は大きく揺らぎ始めました。
跡を継いだのは、わずか6歳の豊臣秀頼。
この天下人を誰が支え、権力を握るのか・・・??
豊臣政権内部で権力闘争が勃発!!
それは、最大の実力者・豊臣秀吉と豊臣政権の実務官僚・石田三成との戦いでした。
数多くの戦いを潜り抜けてきた家康は、正則ら武将の信頼が厚く・・・
三成は、家康を豊臣の敵として糾弾!!
秀頼を守るべく軍勢を集めていました。

秀頼を囲う三成とどう戦うのか・・・??
小山評定で・・・
家康は、自分につくか、三成につくか・・・武将たちに判断させようとします。
その時・・・正則が口火を切りました。
「秀頼公の名を借りて、勝手な振る舞いをする三成を討つべし!!」
豊臣家乗っ取りをたくらむ三成が許せない!!
この猛将の叫びが、武将たちを結束させたといわれています。

しかし・・・正則は小山評定には参加せず、すでに戦場に向かっていたという節が出てきました。
家康が正則に宛てた小山評定6日前・・・7月19日の書状には・・・
「早々の御出陣ご苦労のことです。
 上方で石田三成に何やら不穏な動きがある。
 急いで人数・軍勢を登らせてもらいたい。」
つまり、正則は、小山評定よりも前に、いち早く戦場に向かっていたというのです。
家康は、正則に家康の軍事力の中核として期待していたようです。

1600年9月15日。。。関ケ原の戦い!!
家康の東軍の先鋒は福島正則!!
この時正則は、自らの3倍もの敵を引き付けて戦います。
激闘を続ける福島勢・・・やがて戦況は東軍有利に・・・!!
戦いは半日で決着がつきました。
福島正則・・・40歳、見事に家康の期待に応えます。

一方秀忠はこの時・・・

主力3万を率いて、家康の待つ戦場に向かっていました。
ところが上田で真田の抵抗に遭い軍勢はストップ!!
関ケ原の戦いに間に合わなかったのです。
秀忠の失態・・・歴戦の勇者・福島正則ここにあり!!

1600年11月・・・正則40歳の時、関ケ原の戦いの功績で新しい領地が与えられました。
広島県・・・安芸・備後49万石・・・倍の石高となりました。
広島城は、大きな天守に小さな天守が二つ連なり、規模は当時最大級のものでした。
天下一の城・・・敷地も今よりもはるかに広大で・・・今の広島市の中心部のほとんどが敷地で・・・
防御設備として天然の川を外堀として使い、櫓の数は88、鉄壁の城でした。

ところが・・・衝撃的な出来事・・・徳川家康征夷大将軍に就任!!
これは、正則達大名が、家康に従わなければならないことを意味していました。
1605年家康は、将軍の地位を息子・秀忠に譲ります。
将軍は代々徳川家が継いでいくことを示します。
そして、大名たちの力を削いでいく家康・・・!!

家康は、正則たちに江戸城の増築を命令します。
征夷大将軍の城・・・従わざるを得ない正則・・・!!
それ以外にも名古屋城の普請!!
この城は家康の息子とはいえ、一大名の城の普請・・・侮辱・・・!!
しかし、猛将・福島正則と言えども、他の大名が積極的に手伝う中、正則だけが拒否することなどできませんでした。
豊臣政権から徳川政権への完全なる移行!!

1614年、正則54歳で、家康が豊臣秀頼打倒の兵を挙げます。徳川の政権を確固たるものにするために・・・!!
大坂の陣で家康が諸大名を動員した総数は、およそ20万!!
ところが、そこに福島正則の姿はありませんでした。
江戸に留め置かれたのです。
秀吉や秀頼との結びつきが強かったから・・・
もはや邪魔者と化した正則・・・!!

一方大軍勢の指揮を大将として任されたのが36歳となった将軍・秀忠!!
「秀忠が武家を動員して戦争に勝てるのか・・・??」それが大坂の陣の意味でした。
秀忠は圧倒的な軍事力で秀頼を追いつめていきます。
1615年5月・・・まさのり55歳の時についに、豊臣家滅亡!!
福島正則の唯一の願い・・・秀頼の助命は叶わなかったのです。

天下を手中に入れた徳川親子・・・次の狙いは・・・
大坂の陣終結2か月後・・・1615年7月、武家諸法度発布!!
内容は13か条!!
諸国の城の修理と言えども、必ず報告しなければならない・・・
新しい城の建築は禁止・・・
戦国の世ならば自由にできたことをことごとく禁止したものでした。
戦の時代はもう終わった・・・それを大名に知らしめたのです。
人生をかけた豊臣が滅び、世の中も太平に向かう中・・・猛将・福島正則の出番はなくなりつつありました。

大坂の陣から2年後・・・
1617年、57歳の正則。。。
すでに老境に差し掛かっていましたが、運命の大災害・・・広島が大雨に見舞われます。
城の外堀としていた川が決壊!!
広島城は大洪水に見舞われました。
広島城本丸・二の丸・三の丸・総構の櫓・塀・・・
正則にとって広島城はプライドの象徴!!
元の姿を取り戻すために、城の修築を命じます。
形のそろった石垣は、敵に攻撃されにくい・・・広島城は、さらに守りの堅い城へと生まれ変わり、この改修工事に正則も満足なのでした。

しかし、この改修工事が二代将軍・秀忠の逆鱗に触れるのです。
この修築は、武家諸法度に背いている・・・!!
武家諸法度には城の修築について・・・
”諸国の城の修理といえども、必ず報告しなければならない”
正則の行為は、その条文違反・・・??

秀忠は正則に・・・
”本丸だけはそのままにして、二の丸、三の丸、城の囲いまで残すことなく破却するように!!”
つまり、本丸以外はすべて壊せ!!というものです。
そうなると、防御力はゼロに等しく、広島城は丸裸・・・城としての役割を成しません!!

正則・・・どうする??


正則は、秀忠の側近・本多正純に、城改修の申請をしていました。
にもかかわらず、秀忠が聞いていない・・・??

将軍・秀忠の命令に正則は・・・
正則が崩した石垣は、外からはほとんどわかりません。
防御の重要性のない石垣・・・本丸内部を破壊します。
城の破却を、本丸の石垣と櫓のみとしたのです。
城の一部だけ壊す・・・秀忠の言うように、すべて壊すことなど正則にはできませんでした。

その対立は、日本中に知れ渡ります。またもや戦乱になる??その可能性は・・・??
幕府は有力大名の家臣を呼び出し伝えます。
「福島正則の件は城を壊すことですでに決着した。
 正則を処分することはない。」と。

ところが・・・将軍・秀忠が下した処分は、改易!!
1619年6月2日、正則59歳の時・・・正則から安芸・備後49万石を取り上げ4万石の地へ・・・!!
戦場を駆け巡りのし上がった正則の戦人生は事実上終わりを告げたのでした。

この当時、城割といえば「防御をなくすこと」というのが秀忠の当たり前となっていました。
これからの平和な時代、籠城するような城は必要なかったのです。
戦国の猛将・福島正則が、幕府への対応のまずさで改易となったことは、全国の大名たちを震え上がらせます。
広島城改修事件・・・この事件で将軍の権威は絶対的なものとなって・・・その後、江戸幕府は大名の反乱もなく、250年保ち続けるのです。

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あ~、遂に前回・・・
慶長3年(1598年)8月18日・・・豊臣秀吉没す。
それは徳川家康の耳にも入ったのでした。
家康・・・三成・・・如水・・・天下はどう動く・・・??

秀吉の死によって・・・意味の無くなった朝鮮での戦い・・・
将兵には帰国命令が出されました。
最前線の武将たちは、多くの兵を失い・・・疲弊しきっての帰国でした。

豊前・中津城に帰ってきた長政たち・・・如水に朝鮮出兵の経緯を報告です。

一生懸命戦って疲弊しきって帰ってきたのに・・・博多に迎えにきた三成が言うには・・・
「恩賞はない」とのこと。。。
どの面下げて・・・と、長政は怒っていますが、それを諌める如水。。。

あ~、そうなのです。武断派と文治派では、すっごい温度さがありました。
もちろん、外で戦った者に恩賞がない・・・というのはひどいですが、日本での戦いではありません。
だって、土地もぶんどってないんだから、恩賞はもらえないでしょう。
お・・・元寇のときみたい。。。

でも・・・三成たちにしてみれば、物資の調達はとっても大変だったようです。
というか、あれは三成でないと出来ないぐらいの采配だったようなのです。
つまり、みんな頑張ってたのです。

ま、武断派にしてみれば、まさに命を削っての戦いなので、不公平さは感じてもちろんなのですが。。。
あそこまでブラック三成も面白いですが、それなら島左近や大谷吉継なんかはついてこないだろうし。。。

そんな三成は、小西行長と密談中。

「わしは・・・朝鮮から兵を退く折に、あやつら(武断派)のせいで酷い目に遭うたぞ・・・」by行長

なにか・・・悪いことを思いついたようです、三成。


黒田家臣も戦になるのではないかと酒の肴にお話中。
信長の死と、秀吉の死を重ねあわせ・・・次は・・・??

伏見の家康の屋敷でも・・・家臣が密談中。。。

みなさんいろいろ策を練っておりますが・・・
家康は如水の動きが気になる模様。。。

そうだ・・・京には妻子が常駐していたんだった。。。
この時初めて娘・菊姫と会った長政。。。
糸はなんだかおかしい・・・??
やはり、男子でなかったことを思い悩んでいるようでした。


で・・・家康がみんなを呼び出しました。


kan4












「小西行長が、朝鮮での所業についてお主たちを訴えた。」by家康

その訴えは・・・朝鮮で兵を退く際に、最後尾の行長が到着する前に、清正と長政が町を焼いたことについて・・・でした。

で・・・裏に三成がいたことを上手い具合に匂わせて・・・
狸おやじにまんまと乗せられる・・・若いなあ。。。

「できる限りのことはいたそう。。。」by家康


1599年・・・秀頼の後見人として、前田利家が大坂城に入城・・・。
???出てくるんだ・・・前田利家。

ま、どう考えたって、この時点で家康に対抗できるのは利家ぐらいしかいないでしょう。
みんな経験値が足りませんよ・・・。
親族に次いで近しい存在の利家。。。
秀吉が頼らないはずはないのです。

が・・・

kan5














咳きこんだりして・・・すでにもう・・・
あと1年の命です。
って、この頃にはもう、利家は有馬温泉へ湯治に行ったりしているからなあ・・・。

そんな・・・今まで全くと言っていいほど出ていなかったのに・・・あと1年って頃に出すか・・・利家。。。
傾いていた利家・・・
今、信長協奏曲では藤ヶ谷太輔くんが演じています。

mataza

















信長の小姓の時期もあり、オシャレで傾く・・・”槍の又左”とまで言われ、戦国の世を秀吉と共にここまで生き残っていた男にしては・・・乱暴にも、あと1年なんて・・・。
どんな策を立てられるというの・・・??

家康が動き・・・光秀が腹を探る・・・

利家がどんなに頑張ってもこの2人のせいで戦いが始まろうとしているのは火を見るより明らかでした。

勝手な縁組をしたとして家康を糾弾する三成一派。
しかし・・・そこは狸おやじ。。。抜け目がありません。

そして・・・ここに武断派VS文治派の争いが決定的に・・・表面化するのでした。

前田利家と話し合いの場を持つ如水。。。

「前田様・・・
 あなたは天下人にはなれませぬぞ!
 ここで四大老が力を合わせ、伏見へ攻め込めば・・・あるいは徳川様を討てるやもしれませぬ。
 徳川様を討てば、大老筆頭は前田様となる。。。

 されどあなたの病は重く、もはや長くはない。。。
 それは御自分が一番お解かりのはず。。。

 天下の重したるお二人なくしては間違いなく世は乱れまする。
 和睦をなさるのが天下万民のためにございまする。
 何卒・・・ここはお退きいただきたい・・・」


って、そんな酷いこという?如水!!

う~ん・・・ドラマだから仕方ないんだけれども・・・
この頃、すでに前田利家は病魔に侵され、布団での生活を余儀なくされていました。
まず、利家が伏見に赴き、家康が大坂に利家を訪ねる・・・。
そんなお話の場が持たれました。
一説によると、利家は布団の下に刀を忍ばせ・・・
家康の命を狙うチャンス!!を考えていたようです。

が・・・
自分の命があとわずかだということ・・・
自分が死ねば徳川の力が強大となること・・・
矢面に立たされるのは凡庸な?息子の利長だということ・・・。
家康が死んでも賢い秀忠が控えているということ。。。
そして何より常に№2を歩んできた自分の危機管理能力が働いたのでしょう。
天下人になれるかもしれない千載一遇のチャンスを逃してしまうのです。

って・・・こんなすごいことがここにあるのですが・・・
この「軍師官兵衛」では、ただのよぼよぼおじいさんになってしまっている。。。

前田利家が亡くなります。。。
均衡が破れ・・・
血気盛んな武断派は、三成を排除しようと七将が三成の大坂屋敷を襲撃しますが・・・
ここは有名ですが、三成は、なんと狸おやじ家康のもとへ逃げ込むのです。

って、三成が一番軍師っぽいんじゃないの・・・??

しかし家康は、三成を蟄居させる模様・・・

「徳川の狙いは、天下を揺るがす大乱じゃ!!
 生かされた三成は、死に物狂いで味方を集めるであろう。
 国中の大名が、どちらに着くのかを迫られる・・・。
 そうして、三成に兵を挙げさせ、しかる後に、その敵を根こそぎ滅ぼし、天下を取る・・・!!
 そうじゃ・・・。
 それが徳川家康の天下取りだ・・・!!」

???全部見えているの?如水!!

「大殿はいかがなさるので?」
「三成にはつかぬ・・・。」
「では。。。徳川殿に。。。??」
「播磨を思い出す。。。
 あの時もそうであった。。。
 織田につくのか、毛利につくのか?生き残る道を必死に探った・・・」
「このたびはどの道を??」
「生き残るは無論大事。
 しかし・・・わしは、我が道を行く!!」by如水

kan3













「天下を狙われますのか?」
「われら・・・どこへなりともお供つかまつる・・・!!」

如水たちは、最後の大勝負に舵を切った瞬間でした。

う~ん、今回は、関ヶ原を予想してくれた如水ですが・・・
関ケ原の戦い、後世の人間の私たちが見れば、圧倒的な徳川にはむかった三成・・・って感じですが、実は家康もヒヤヒヤものだったことが解ってきています。
まさか・・・西軍・石田が負けるはずのない戦いだったのです。

なので、この時点での家康も必死だったように思うので、如水のように簡単に答えが出る筈もなく・・・。
関ヶ原の戦いには、息子・長政が兵を率いて東軍として参加します。
が・・・如水自身は奇妙な行動をとることになります。
全ての兵を長政に預け・・・自分は農兵を率いて九州平定に乗り出したのです。

東軍・西軍共にあんまり差はなく、如水は漁夫の利を得ようと思っていたのかもしれません。
そう、如水の誤算は・・・
関ヶ原の戦いがわずか6時間で終わってしまった・・・そのことだったのです。

そんななんか目論んでいる如水を堪能したいわ~~~

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