ワクチンを接種された400人近いインドネシアの労働者が命を落としたのです。
労働者の大量死・・・日本軍はインドネシアの研究者が毒を入れたとして逮捕、処刑!!
謀略事件として処理しました。
しかし戦後、冤罪ではないかと疑問の声が上がりました。
近年、研究者たちがこの事件の真相に迫ろうとしています。
日本軍が作った破傷風ワクチンの有効性を試すために、毒素のあるワクチンを労務者に接種してしまった・・・その結果、意図的ではなかったが、彼等は命を落とした??
戦場の感染症に向き合っていた日本軍・・・
ワクチン開発の舞台裏で何が起きていたのでしょうか??
太平洋戦争中、日本は石油資源の豊富なインドネシアを占領します。
オランダ軍を破り、3年にわたって軍政を敷きました。
1944年8月、ジャカルタの病院に、急患が次々と運び込まれました。
手当の甲斐なく、命を落としていきました。
治療に当たった日本人医師は、回想しています。
”口を固く食いしばり、背筋を弓のように張り、前震のけいれんを起こし、呼吸もできぬ悲惨な有様
恐るべき破傷風であった”
破傷風は、土の中にいる破傷風菌が傷口から入り感染。
脳やせき髄の神経に作用して、筋肉のけいれんが起こり、死に至ることもあります。
患者は当時、ロームシャ・労務者と呼ばれたインドネシア人で、泰緬鉄道の建設のため村々から動員されていました。
ジャカルタ東部のクレンデル・・・労務者たちは、港に近い収容所に集められました。
ジャングルの工事現場に送られる前に、予防接種を受けていました。
コレラ・チフス・赤痢の三種混合ワクチン、接種された直後、破傷風の症状が現れました。
一体何が起きたのでしょうか?
当時、東京の大本営に現地の軍医部長から報告が送られていました。
4回にわたる極秘の報告です。
474人が罹患し、364人が命を落としています。
事件を捜査した憲兵隊は、予防接種に当たったインドネシアの看護人3人とスレイマン医師を逮捕しました。
その後、スレイマン医師の自供により、捜査の矛先は思わぬ方向に向かいます。
当時、ジャカルタで感染症の研究に当たっていたエイクマン研究所。
アフマッド・モホタル所長をはじめ、13人の現地の研究員が連行されました。
憲兵隊の激しい取り調べの末、モホタルが自供したというのです。
”細菌謀略を行い、日本軍の誤れる労務者対策を是正せん”
モホタルが日本軍の労務者動員に反対して、破傷風菌を混入したとされました。
1945年1月、軍律会議はモホタルに死刑、スレイマンに禁固7年の判決を下しました。
事件は細菌謀略として処理されたのです。
しかし・・・捜査の過程に疑問が残ります。
最初は事実関係を述べていて、相違はないと思われます。
しかし、誰が犯人かというあたりで作為が感じられます。
モホタルは、最後まで悪者でした。
モホタルは、オランダへの留学経験があり、当時インドネシアではもっとも著名な感染症の研究者でした。
モホタルが、大量殺人を・・・??
当時、エイクマン研究所は、そもそもワクチンを製造していませんでした。
問題のワクチンはどこで作られたのか??
パスツール研究所は、元々はオランダの植民地時代に設立され、バンドンで感染症の研究を進めていました。
1942年、それを日本軍が接収し、南方軍防疫給水部の支部となりました。
問題のワクチンは、モホタルが所長を務めていたエイクマン研究所ではなく、南方軍防疫給水支部で製造されていました。
しかし、憲兵隊は、エイクマン研究所に疑惑の目を向けました。
拷問が続く中、とらわれていたアリフ医師が命を落としました。
日本の記録では、心臓麻痺とされています。
”アリフ医師の遺体は大きく膨れ、臭気を放っていました
許しがたい光景でした”
アリフ医師の死の直後、モホタルは自供を始めます。
そこには、どのような背景があったのでしょうか?
”逮捕の理由は、クレンデル収容所の労務者の死に関わることだとわかりました
伯父が事件の首謀者だと責められている
威厳があり、評価されていた伯父が、なぜインドネシアの労務者を殺すのでしょうか
全く筋が通りません?
モホタルは父に言いました
「憲兵隊の狙いは私なんだよ
心配するな、お前たちはもうすぐ釈放される」
そしてそれは現実になりました。
父は12月に、1月には全員が解放されました。
伯父以外全員です。
自分が自白すれば、全員が釈放されると・・・
想像できますか?どんな人だったかを?
私たちがどれほど怒り、憎んだかわかるでしょう”
結局、モホタルひとりだけが死刑となりました。
モホタルを断罪した日本軍には、政治的な意図があったのではないか??
大本営への報告では、モホタルは独立運動に関係しており、細菌謀略を以て原住民の半日反軍思想を醸成しようとしたとされていました。
独立運動の指導者モハメド・ハッタと同じ故郷でした。
スマトラのミナンカバウ族・・・民族運動のリーダーをたくさん輩出していました。
反日謀略のスケープゴートにするには一番都合が良かった。。。
最大の大物・・・反日的なミナンカバウ族の医者だったのです。
モホタルは、冤罪ではないのか??
戦後、遺族は疑問を投げかけてきました。
近年になって、現地に渡ったアメリカの感染症研究者・ケビンが、新たな光を当てようとしています。
2015年、インドネシアの研究者と共に、著書を出版します。
”日本軍占領下インドネシアにおける戦争犯罪”
この本では、モホタルが冤罪の可能性が高いとしています。
日本軍医たちが、意図的に労務者たちを殺したとは思えませんが、即席で作った破傷風ワクチンの有効性を証明しようとしたと考えられます。
日本軍兵士に接種する前に、試そうとしたのです。
そのワクチンが、労務者を殺すことになった・・・
日本軍が破傷風ワクチンの開発のため、労務者で実験をしたのではないか??
当時、日本軍は破傷風ワクチンの開発・製造を急いでいました。
南方の戦場で、破傷風は感染すると死に至る病と日本軍兵士から恐れられていました。
もともと破傷風の治療法は、日本の北里柴三郎博士によって発見されました。
破傷風の毒素を馬に注射して、抗体を得、それを患者に注射する血清療法です。
しかし、血清はすぐに患者に打たないと、効果がなく、大量生産や輸送も難しかったのです。
一方、アメリカ軍などの連合国軍は、太平洋戦争開戦前に破傷風ワクチンの開発に成功していました。
第2次世界大戦中、破傷風の感染はたった12件・・・
陸軍と海軍、そして公衆衛生局が協力して破傷風ワクチンを推奨しました。
ワクチン開発のために軍は民間の研究所と協力しました。
マラリアとの戦い同様に、協力体制を整えたのです。
アメリカは国が主導して、第2次世界大戦中に従軍したすべての兵士に破傷風のワクチンを接種していました。
連合国に追いつこうと、ワクチン開発を急いだ日本・・・
北里柴三郎ゆかりの北里研究所は、日本軍のワクチン開発には不備があったと指摘します。
ワクチンは疾病に対する武器です。
その認識が、陸軍の人たちにありましたが国として重要性を感じていませんでした。
一部の人が認識しているだけで、陸海軍と一緒になって軍全体でやろうという考えはなかったのです。
陸軍と海軍が別個に進めていた破傷風のワクチン開発・・・
海軍が開発を急ぐ中で人体実験を行っていた記録がありました。
日本のBC級戦犯の裁判記録・・・
1945年、インドネシアのスラバヤで、海軍の軍医が死刑囚に破傷風ワクチンを接種し、その効果を確かめようとしました。
その結果、15人が亡くなり、戦後戦争犯罪に問われました。
裁判で実験を担当した軍医将校は、次のように供述しています。
「連合国軍の上陸を前にワクチンの有効性を実証する必要があり、時間がありませんでした
100%成功する自信を持っていたが、予想に反した結果になったのは実験の過程に原因があったからだと思います」
実験では、破傷風の毒素にホルマリンを加えて不活化。
トキソイドと呼ばれるワクチンを製造します。
このワクチンを、2回にわたって接種。
その後、毒素を注射し、免疫ができているかどうかを確かめます。
軍医と共に裁かれた法務官・・・海軍における法の番人として、当初実験には反対だったと供述していました。
「私は、囚人が処刑されるまで、決まった手順で収監されるべきであり、弁護士の立場から賛同することはできないといいました」
しかし、海軍の准尉から強く説得されたといいます。
「ワクチンの実験が必要との結論に至ったので、実現するために協力してほしい
心配だろうが、専門家からの意見によれば動物実験でも成功しているので不幸な結果にはならないであろう」
結局、実験では19人中15人が死亡しました。
軍医は最後に接種した毒素の量が多すぎたことが原因だと認めました。
軍医は禁固4年、法務官は3年の判決を受けました。
破傷風の毒素を測定することは非常に難しく、本来はモルモットで試すべき実験です。
彼等は人間を動物として扱いました。
バンドンの日本陸軍も、労務者の存在を実験の機会だととらえたのでしょう。
クレンデルでも日本軍が労務者を使って破傷風ワクチンの効果を確かめようとしたのではないか??
労務者の大量死事件を大本営に伝えた報告書・・・
コレラ、赤痢、腸チフスのワクチンに、破傷風の不活化したワクチンを一緒に入れた・・・
入れた破傷風の毒素が完全に不活化されていなかったことが一番の大きな原因でした。
破傷風の毒素をホルマリンで不活化しワクチンを作った際に問題があったのではないか??
製造のミス・・・混合する前に不活化されているか、チェックする必要がありました。
そもそも日本陸軍は、破傷風ワクチンの開発をどのように進めてきたのでしょうか?
731部隊の破傷風の実験の記録・・・
731部隊でも、ワクチン研究は重要視されていました。
関東軍防疫給水部・・・731部隊。
石井四郎陸軍中将のもと、旧満州で細菌兵器の開発に携わっていました。
ワクチン開発も重要な任務でした。
破傷風ワクチン開発のために、人体実験を行っていたのです。
破傷風の毒素をマルタと呼ばれる中国人に接種し、筋肉の電位変化を測定した実験・・・14人全員が死亡しています。
こうした731部隊の研究は、南方軍防疫給水部に引き継がれたといいます。
731部隊の人脈が、南方軍防疫給水の創始者になっています。
大連にあった支部では、ワクチンの研究が盛んでした。
大連にいた人間が、バンドンの初代所長になっています。
太平洋戦争開戦と共に731部隊の多くのメンバーが、南方軍防疫給水部の設立に関わりました。
彼等はシンガポールやバンドンでワクチン開発を続けていました。
さらに、南方軍防疫給水部でも、細菌兵器の開発も行われていました。
陸軍省の業務日誌に記された南方軍防疫給水部からの報告・・・
”粟は南方において発育良好なり
繁殖力も大なり
種餅を1回輸入すれば、あとは現地自活も可能なり”
ノミを粟、ネズミを餅と・・・本来の防疫給水とは違う、国際法に違反することをしているのです。
ペスト菌が体内に入っているノミを敵方の支配地域に投下する作戦を考えていました。
細菌兵器となるペストノミが製造されていたのです。
しかし、使用されることはありませんでした。
細菌兵器を使用すると、連合軍から倍返しされるのではないか?と。
ペストノミの製造と共に、シンガポール本部でもワクチンの開発が進められていました。
当時、ワクチン製造に従事していた現地の男性の証言によると・・・
「私たちは、破傷風のワクチンを作っていた
豚の胃や肝臓を集めて、培養液を作り、日本人が破傷風菌をいれた
ネズミやモルモットに注射して、死ぬかどうかを試した」
731部隊から南方軍防疫給水部へと引き継がれたワクチンと細菌兵器の開発・・・
インドネシアの大量死事件を読み解くには、このつながりが重要でした。
開発したものが、日本軍兵士にとって効くかどうか??
南方軍防疫給水部にマルタはいないので、とりあえず労務者に打ってみて効果があれば日本軍兵士にすると・・・労務者を使って試したのではないのか??
日本軍のワクチン接種によって400人近いインドネシア人が命を落としました。
しかし、遺族に事件の詳細が知らされることはありませんでした。
労務者の大量死は、戦後何故問題にならなかったのでしょうか??
戦中、日本軍に協力して労務者動員の先頭に立っていたスカルノ。
戦後、初代大統領となっていました。
スカルノは、日本と賠償協定を結び、インフラの整備を進めていました。
インドネシア社会で、労務者が声をあげることは難しかったのです。
南方軍防疫給水部が本部を置いたシンガポール。
敗戦と共に、旧宗主国のイギリス軍が戻ってきました。
南方軍防疫給水部は、細菌兵器などの証拠書類を隠蔽しました。
イギリス軍は、細菌兵器を製造できる部署がシンガポールやマレーにあったことに気づきませんでした。
その後、各国独立し始めて、誰も追及、研究しようとしませんでした。
段々闇の中に消えてしまって今日までになったのです。
南方軍防疫給水部の隊員が、戦後どのように生きたのか??
現在、確認できただけで30名が細菌や感染症に関わる研究で、医学者として学位を受けていました。
多くが、医療や製薬会社の中枢で活躍しています。
防疫給水部のことは一言も話さず・・・。
戦争中のインドネシアの大量死・・・
その全容は、今も解明されていません。
戦後、BC級戦犯として裁かれたスラバヤでの海軍の破傷風ワクチンの実験・・・
疑問を抱きながらも立ち会った法務官・・・裁判で次のように供述していました。
「彼らが病気になったと聞いたときには大変驚き、すぐに全員を病院に送って治療を受けさせ、私もできる限りのことをしました」
法務官は、禁固3年の刑に服したのち、1950年に帰国。
戦後は弁護士として生きました。
ジャカルタ郊外のアンチョール墓地・・・
日本の占領時代に命を落とした人が葬られています。
終戦の直前・・・1945年7月3日、木の下でモホタルは日本軍の手によって斬首されたという・・・
遺体は密かに葬られたが、近年埋葬場所が明らかとなりました。
6年前から、モホタルの追悼を続けています。
仲間を救うために、自らの豊かな人生を犠牲にしたこと・・・
実験の責任を取らなかったことに対して、無罪の人間に罪を着せ、殺したことに、怒りを抱いています
この事件は、これまで埋もれてほとんど知られていませんでした
私はも夫ひろく知ってほしいと思います
医学の人道的責務が、軍事に踏みにじられた
戦争が軍医たちにそうした道を選ばせたのです
モホタルをめぐる事件は、厳しく強い教訓を残しています byケビン
戦後・・・日本軍の感染症対策、その真相に迫る試みが、今も続いています。
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