一枚岩だと思われていた青年将校たち・・・

クーデターの目的を共有できていませんでした。

陸軍大臣官邸を占拠した青年将校は、蹶起趣意書を突きつけます。

決起の目的を“天皇の為、奸賊を誅滅”としていますが・・・

青年将校たちの供述には・・・

蹶起趣意書は官邸に来てから読んだ将校たちは・・・

しかし、その目的は、「趣意書の通りであります。」「内容は良くわかりません。」と、答えています。



決行日についても、早急にクーデターを起こさなければならないと思っていた将校と、次期尚早と思っていた将校・・・
4日前に決定します。

改造主義と天皇主義の対立がそこにはあったのです。

昭和維新のもとに決起したと言われていますが、そうではないの?でした。

天皇に認められたら解散してもいい!!と、思っていた人も多かったようです。


青年将校たちの上部工作に深くかかわっていたのが、陸軍上層部でした。

事件を巧みに利用し、自らの権力を拡張しようとする人たちです。

大元帥の天皇を頂点とし、24万人の兵を要した帝国陸軍・・・皇道派(精神主義)と統制派(官僚主義)、2つの勢力がありました。


皇道派は、政財界などの支配を排除し、天皇親政を実現しようとした考え方で、軍隊の多くは皇道派でした。

対抗したのが統制派。

官僚や財閥と提携し、国を挙げての総力戦に向けて強力な軍事国家にしようとしていました。

2.26事件の7か月前、皇道派だった真崎甚三郎教育総監は更迭されてしまいます。

皇道派は厳しい状況に!!
そこで、2.26事件を利用して巻き返しを図ります。


1936226日真崎大将が事件を知らされたのは4時半のことでした。

その3時間後・・・

青年将校を支持するような発言をします。


午後2時過ぎ軍事参議官会議は・・・皇道派が主導権を取ります。

クーデターを容認し、官軍と認めるような文章が青年将校たちに示されます。

これが、穏やかに収まったら手柄となるのは皇道派。


しかし、227日午前250分戒厳令公布、午前820分奉勅命令裁可。。。

その内容は、青年将校たちへの原隊復帰命令・・・青年将校たちの意見を一切受け入れないものでした。


激しい天皇の怒りが・・・!!

「憲法に違背し、明治天皇の御勅意に背き、国体に背き、明徴を傷つけた・・・」

28日早朝、クーデターを鎮圧するために2万人が動員。

クーデターは4日間で幕を閉じます。