謎とき本能寺の変 (講談社現代新書)

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農民から身をお越し、天下人へと上り詰めた男・豊臣秀吉。
その人生最大のターニングポイントと言えば・・・戦国最大の軌跡・中国大返し。

羽柴秀吉だった天正10年、本能寺の変が勃発。
明智光秀の謀反で信長が討たれます。
この時、遥か遠く中国で戦っていた秀吉は、主君の仇討を決意。
京都に全軍を取って返します。

秀吉軍は、昼も夜も行軍を続け、200キロを7日間という驚異的な速さで戻ってきました。
決戦の地山崎では、わずか4時間で光秀を死に追いやります。

この大手柄をきっかけに、天下人に駆け上がるのです。

どうしてこんなに早く、上手く、出来たのでしょうか?
京都から遠く離れた備中にいながら、2日もしないうちに“信長の死”という正確な情報を掴んでいます。
恐るべき情報網と言えるでしょう。

そして、異常ともいえる速さで行軍します。
行軍しながら味方を増やし、4万の大軍を作り上げました。

その巧みな情報戦術は、残っている手紙からうかがい知ることが出来ます。

ふつう、行軍は1日40キロぐらいです。
しかし、秀吉はその1.5~2倍のスピードで行軍しています。

どうして鮮やかな成功を収めたのでしょうか?
①早く出発できたこと
②行軍スピードが速かったこと
が挙げられます。

本能寺の変が6月2日未明。
その2日後の6月4日の午前には、毛利輝元との講和を結び、打倒光秀に向かい体制を整えます。
6月6日午後全軍を率いて出発。
つまり、わずか4日で大返しをしています。

当時、有力な家臣はすべて遠征中。
そんな中起こった本能寺の変でしたが・・・

「信長様死す」

四国攻めの準備中だった丹羽長秀・織田信孝はパニックに陥り兵たちは離散、
越後の上杉軍を攻めていた柴田勝家が知ったのは6月7日ごろ、すぐには動けません。
滝川一益は6月9日に知ります。

秀吉はとても早くに情報を入手したのです。

光秀が毛利へ遣わした密使が、陣を間違えて秀吉軍に捕らえられたとも言われていますが・・・
そんな偶然を鵜呑みにして全軍撤退をするでしょうか???
独自の情報ルートがあったようです。

京都にある夜久野。この地の地侍に秀吉の送った書状がありました。
夜久野の地侍・中川清秀の協力のおかげで無事に行き返りが出来たというお礼状でした。

光秀は、本能寺の変の後、西国街道に目を光らせていたようです。
備中高松城―姫路―夜久野―京都のルートは、街道を避けて通る裏ルートでした。

この令状は二枚組で、一つは秀長の家臣から、もう一つは秀長本人からのものでした。
秀長からの直々の令状・・・その日付は6月6日・・・大返し出発の前日です。

忙しいときに、わざわざ令状を認める・・・。それは、もたらされた情報の大きさを見てとれます。本能寺の変の事と思われ・・・このルートで情報を手に入れたと思われます。

そして、その情報がガセネタかどうか??他の家臣たちはそれに悩みます。
しかし、秀吉だけが、情報に確信を持っていたのです。
裏ルートがあったかどうか?それは解りませんが、秀吉は、多角的に情報を得られるように工夫していたというのは間違いありません。

そんな用意周到な秀吉でも、本能寺の変は予測できなかったのでしょうか?
「信長が狙われやすい」ということには、気づいていたようです。

信長政権は、盤石ではなかったというほうが、正しいのかもしれません。
例えば・・・天正6年の荒木村重の謀反です。
自分の政権の弱さを直せなかった・・・
秀吉は、何が起こっても・・・と、想定していたと言えるでしょう。


では・・・驚異的な行軍スピードは・・・どうでしょう。
特に初めのころは凄まじく、2日目には台風の中を70㎞も進んでいます。
こんなことが本当に可能なのでしょうか???

中国大返しは、只の移動ではなく、闘いに向かう行軍です。
武将の装備一式を身に着けると・・・31kg
足軽は、自炊道具や食料、弾薬や弓矢を持って・・・30kg・・・
この格好では、山道を走るのはなかなかしんどいものがあります。
10分も持ちません・・・
きっと寝る暇もなく・・・過酷な行軍だったのでしょう。


でも・・・常識的に考えると、この重装備は無理なので・・・
荷物なしで・・・そうなると、食料がありません。丸腰で光秀軍に対抗できません。


翌年に行われた賤ヶ岳の合戦では・・・
もう一つの大返しをしています。
54キロを5時間で走破した“美濃大返し”です。

道に松明を持った人を立たせ、酒・飯・・・道筋に炊き出しを用意しました。
そして、もう一つの秘策は・・・長浜城から武器を集めておいて運んだというのです。


だから、この中国大返しの時も、武器をどこかに集めておいて戦いに向かったと思われます。
戦場近くに武器、道沿いに炊き出し、兵は軽装で・・・
さらに確実に成功させるために・・・姫路城にあった金銀や食料を皆に配りました。
御賞の先払いによって、士気を高めたのです。
信長様の後を継ぐのは秀吉!!ということと、自分が農民出身であったため兵の気持ちがわかったということが言えるでしょう。


合理的な進軍方法と、モチベーションを高める工夫・・・そんな軍略が、中国大返しを達成させたと言えるでしょう。

では・・・ここまで急いだ理由は???
信長が亡くなった今、自分の首が危ない・・・
織田家臣団の序列で秀吉は、5番目でした。
柴田勝家や丹羽長秀らに比べると、決定権は低かったのです。
早く結果を出さなければ・・・後の評定でのことを考えると、ここががんばりどころだったのです。

一直線に京都に向かった秀吉軍、ハードな道中には落伍者が続出します。
出発時に2万あった軍勢は、1万余りに半減・・・
ところが・・・山崎についてみると・・・秀吉軍は4万にもなっていました。
光秀軍をはるかに凌駕していました。

ここでも秀吉の情報戦略が・・・
毛利軍と講和を結んだ際に、毛利軍から旗と指物を手に入れていました。
大返しの途中、掲げたのです。
強国毛利が秀吉軍に加勢したと思った人々。

他にも有力大名を引き入れました。
摂津衆と呼ばれる3大名をどのようにして味方に付けるか?
中川清秀・池田恒興・高山右近・・・この3人は、秀吉につくか光秀につくか・・・悩んでいました。
彼らを説得したのが、秀吉の手紙作戦でした。

秀吉から中川清秀に送った手紙には・・・
「信長様は、難もなく切り抜けて、生きていらっしゃる」
とありました。

そう、本能寺の変は起こったものの、信長の首は見つかっていませんでした。
つまり、信長の死が確定していなかったのです。
この偽情報には・・・光秀の方に加担したら、あとで親方様に大目玉をくらうと、思わせようという意味がありました。
おまけに光秀軍に不利なこと、具体的なことを述べ、手紙の信憑性をわからせようとします。

また他の手紙では、柴田勝家も京都に来て参戦する予定とか、全体的に光秀討伐に向かっていると思わせています。
高圧的ではなく、丁寧に理詰めで、いかに自分が優勢かということを知らせているのです。
他に選ぶ道はありませんでした。

摂津衆三人は、秀吉に協力すると約束します。
こうして、兵力の増強が完成したのです。

秀吉の情報収集能力は周りの武将は知っていたでしょう。
だからこそ、大きな嘘にも乗ったのかもしれません。

秀吉にとっては、情報は“命”であり“金”でした。
その武器を手に、のし上がってきたのです。
そして、あらゆる階層に対しての理解力・・・周囲が自分をどう見ているのか?その情報こそが秀吉最大の武器だったのです。


大返しの行軍は、後半はスピードは落ち着いてきていました。
秀吉は慎重に軍議を開きながら進んでいました。
信長の三男・信孝と合流。打倒光秀に向かって進みます。

光秀が頼りとしたのが、細川忠興と筒井順慶。
細川忠興は、光秀が最も信頼していた人物です。
筒井順慶は、光秀に取り立ててもらっていたので大恩がありました。

この二人が、自分の元へ馳せ参じてくれる・・・そう信じて疑っていませんでした。
が、この二人にも、秀吉の手が回っていたとも思われます。
大返しの最中、秀吉の側近から細川藤孝の重臣に宛てられた手紙には・・・
毛利と講和を結んだことや、姫路に到着したことなどが書かれています。
秀吉と細川が内通していたかも???

そして、筒井順慶の元にも手紙が・・・
秀吉が信孝を総大将にして支えていること、信孝が高槻に着陣したことを伝えています。

当時の御公儀である信孝が秀吉の味方になったこと・・・もう一度寝返らないように根回しを・・・。

そして・・・出陣しない、籠城してしまった二人・・・

山崎で両軍会い見えます。
その時秀吉軍に味方したのは中川秀勝。4時間後には決着がつきました。
明智光秀は、逃走中に殺害されてしまいました。

其の2週間後、清州会議が行われます。
信長の後継者を決める会議です。次男・信雄と三男・信孝・・・
どちらでしょうか???

やはり、山崎の合戦で武功を上げた信孝が有力でした。
勝家は、迷いもなく信孝を推薦。
しかし、秀吉はともに戦った信孝ではなく、亡き信忠の長男・三法師、まだ3歳でした。
その時丹羽長秀が・・・

「信長様の無念を晴らしたのは秀吉
 その顔を立てるべきではあるまいか」

総大将こそ信孝でしたが、全軍を指揮して勝利した功労者は秀吉でした。
そして、三法師に決まりました。
その目的は、織田家の簒奪だったのです。

中国大返しを成功し、信長の敵を討った時から、天下人への道は決まっていたのです。


ああ、何だか今回は、すっきりと理解できる内容で、さっぱりしました。るんるん


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