日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:赤山靱負

その時、勤王志士・朝廷、慶喜政権、江戸幕府らは、西郷隆盛・大久保利通・薩摩藩年表帖 上巻 ペリー来航から王政復古まで、時系列でわかる! [ ユニプラン編集部 ]

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今から140年前の1878年5月14日、東京千代田区の紀尾井坂で事件が起こります。
明治維新を成し遂げた一人の英雄が暗殺されたのです。
殺されたのは、薩摩藩出身の大久保利通!!
大久保は、今の総理大臣である内務卿として、廃藩置県、身分制度改革などを断行。
そのため、武士としての特権を奪われた困窮した士族の恨みを買って、命を落とすこととなりました。
その死の間際まで大切に思っていた一人の盟友・・・それは、西郷隆盛でした。
背広の胸ポケットに・・・西郷の手紙が二通ありました。

「王政復古のことは、外国に良く説明すべし」
もう一つは、大久保の写真を送られた西郷が、あまりいい男ではないと大久保をからかった手紙でした。
西郷は、1877年自決してこの世を去っていましたが、西郷からの手紙を肌身離さず懐に入れていたのです。
その絆はどんなものだったのでしょうか?

大久保利通は1830年、薩摩国高麗町に生まれました。
父は、薩摩藩士の利世、母は薩摩藩医の娘・ふく・・・5人兄弟の長男でした。
大久保家は、下級藩士の家柄で貧しい暮らしでしたが、大久保はひたすら勉強し、学問に秀でていました。
幼い頃、高麗町から下加治屋町に引っ越して・・・運命の出会いが!!
同じ下級藩士の子で、3歳年上の西郷吉之助・・・後の西郷隆盛でした。
二人は、郷中教育という薩摩藩の青少年の教育制度の下、机を並べ学び、切磋琢磨しました。
西郷は大久保を「正助どん」と呼び、大久保は「吉之助どん」と呼ぶ親しい仲になります。
そして、赤穂浪士の討ち入りの日には、二人で夜を徹して「義臣伝」を読み、忠義を貫いた武士に胸を熱くしていました。
そして、二人は藩校「造士館」で学び、西郷は郡方書役助として、大久保は記録所書役助となりました。
そんな若き日の二人に試練が・・・
大久保が20歳の時に薩摩藩のお家騒動・・・お由羅騒動が起こります。
当時の薩摩藩主・島津斉興の家督相続をめぐって、正室の斉彬派VS側室の久光派の内紛です。
その結果、お由羅を寵愛していた斉興によって斉彬派が粛清され、斉彬派に属していた大久保の父・利世が喜界島に流刑となります。
1850年・・・大久保もこれに連座して免職・・・謹慎となりました。
収入を発たれた大久保家は困窮・・・大久保は恥を承知で妹の嫁ぎ先に借金を頼み込みます。
それでも先の見えない生活に大久保は・・・「何も心配することなか」と、安心させようとします。
そんな時、大久保を支えてくれたのが西郷家でした。
大久保は、西郷の家にやってきて、黙って食事をして帰ったともいわれ・・・西郷も大久保を弟のように思っていたようです。
西郷は、このお由羅騒動で、恩師・赤山靱負が切腹しています。
悔しい思い、苦しい思いを共有していました。
大久保の謹慎は3年に及び、解けたのは1853年のことでした。
島津斉興が隠居し、息子の斉昭が藩主となったからです。
復職した大久保でしたが・・・その時すでに、西郷は異例の大出世をしていました。
11代藩主は斉彬の手足となって東奔西走・・・そして大久保は・・・??

復職した大久保は、薩摩の若手藩士らと、秩序と大義名分を重んじる朱子学の勉強会を開き、藩の力になろうとしますが・・・
彼等が藩を見限り脱藩を画策する思想集団へと変貌していきます。
そこには、藩主・斉彬の存在が大きくありました。
斉彬は黒船来航によって現実味を帯びてきた西欧列強の侵略を警戒し、この国難を乗り切るために、朝廷、幕府、諸藩が一体となって政治を行う挙国一致体制でなければならないと・・・実現に向けて奔走するものの・・・
あくまで幕府が主体となって政治を行おうとする大老・井伊直弼と対立!!
そんな中、1858年7月16日、斉彬が急死してしまいました。
その後を甥の忠義が継ぎます。
しかし、薩摩藩の実権を握ったのは、忠義の父で斉彬の弟・久光でした。
久光は、井伊直弼と対立していた斉彬のことで幕府から追及されないように斉彬の腹心だった西郷を島流しとし、蟄居を命じます。
これに猛反対したのが、勉強会のメンバーで後の精忠組です。
精忠組は大久保がリーダーとなり、蟄居となった西郷精神的な盟主として藩政に異を唱えるようになって過激化していきます。
久光は、幕府に対して恐れを抱いていました。
大久保はそんな態度が不満で、斉彬の遺志を継いでほしかったのです。
そこで大久保は考えます。
「わしらが動いたところで限界がある
 薩摩藩を動かすために、藩の事実上の支配者である久光公を、動かさなければ・・・!!」
しかし、下級武士で久光に会うこともままならない大久保が、どうやって・・・??

そこで大久保は久光に取り入るために策を練ります。

①囲碁

久光公は碁をする・・・相当な碁好きと知った大久保・・・大久保の趣味も囲碁でした。
そこで、久光の碁の相手をしていた碁の名手・吉祥院の住職に弟子入りします。
さりげなく住職に政治の意見を語り、住職を通じて久光の耳に入るようにします。

②書物
大久保は久光が読書家であることを知ると・・・
詠みたがっている本を知人からそれとなく聞き出し、その本を探し出し、藩の政治に対する自分の意見を挟み込みます。
そして久光公に献上し、喜ばせると同時に自分の意見も直接伝えていました。

幕府を恐れる久光に不満を抱く精忠組の薩摩藩士たち・・・
前藩主・斉彬が目指していた薩摩藩が参加する挙国一致体制を実現するため、リーダーだった大久保は大胆な行動に出ます。
精忠組四十数人が脱藩!!
水戸藩など尊王攘夷派の志士たちと共に、挙国一致体制の障害となる大老・井伊直弼たちの暗殺を計画したのです。
この計画が実行されれば、薩摩藩は窮地に陥ってしまう・・・!!
1859年11月5日、誠忠組全員が遺書を認め、船に乗り込もうとしたその時・・・
精忠組の計画を知った久光によって藩主・忠義の名で諭書が出されました。
そこには・・・
薩摩藩は斉彬公の遺志を尊重する。
精忠組の有志達も脱藩せず、協力してほしい。
と書かれていました。
久光が折れたのです。
大久保は、もはや脱藩の必要はないと、血気盛んなメンバーを説得し、計画は取りやめとなったのです。

しかし・・・この騒動は、大久保によって仕掛けられたものでした。
精忠組の中でも冷静で沈着冷静だった大久保は、内心では地方の浪士が幕府首脳を暗殺することは無理だと考えていました。
そこで、精忠組の脱藩計画を久光側に漏らし・・・
慌てた久光は、彼らを引き留めるために慌てて諭書を出すこととなったのです。
大久保は、久光が兄・斉彬と同じく挙国一致体制を目指しているのを知っていました。
久光を促すために、脱藩計画を利用したのです。
そして・・・精忠組を説得したことで、久光の信頼を得ます。
さらに大久保は、久光との交渉の中でもう一つの条件を出していました。
西郷隆盛を奄美大島から戻すことでした。
この転換期に、薩摩にとっても日本にとっても必要な男だと思っていたようです。

大久保はこの日のことを日記に記しています。

「藩全体で立ち上がってこそ、大偉業が出来る。」

大偉業とは、挙国一致体制・・・更なる作戦を繰り出します。

大久保利通は、西郷隆盛を鹿児島城下に戻すことに成功!!
そして、亡き斉彬の遺志を継いで西郷と共に奔走します。
しかし、外様大名の薩摩藩の言葉が簡単に幕府に通るはずもなく・・・
久光は、自らが上洛して朝廷を動かそうと考えます。
それを実現させるために動いたのが大久保でした。
1862年1月京都・・・島津家と関係の深かった近衛忠煕・忠房親子と対面します。
薩摩藩が目指す挙国一致体制の実現を訴えて、強力を要請します。
そして、近衛親子を通じて、久光が上洛し、幕府の改革を要求する建白書を朝廷に提出することとなったのですが・・・
大久保が準備を整えた上洛に異を唱えたのが西郷でした。
西郷は久光は藩主ではなく後見人だと主張します。
「久光公は、憚ることなく申せば田舎者!!
 しかも不用意であり、今乗り出したとしても、事が成就するとは思えませぬ!!」
この言葉に激怒する久光!!
大久保が仲裁に入り、事なきを得ます。
3月16日、久光は上洛するため、大久保ら1000人を従えて薩摩を出発しました。
上洛に伴う準備を任された西郷は、下関で久光一行の到着を待つように言われていましたが・・・
京都で尊王攘夷派の過激な志士たちによる挙兵の動きがあると知ると、それを阻止する為に、久光の命に背き、無断で京都へ・・・!!
またしても、西郷が・・・!!
激高した久光は、西郷に対して捕縛命令を出します。
4月9日・・・それを知った大久保は、兵庫の浜辺に西郷を誘います。

「最早・・・久光公の怒りを鎮めることは難しい・・・
 きっと吉之助どんは捕縛を免れられない・・・
 そうなれば、吉之助どんは面目を潰されたと切腹をするだろう。
 自分にはそれを止めることもできない。
 吉之助どんが死ねば、自分も生きている甲斐はない
 だからお互い、ここで刺し違えて死ぬことにしよう。。。」by大久保

この言葉が、西郷を動かしました。

「自分はどのような辱めを受けようと、耐え忍び、わしらが目指す前途を見つめるつもりだ。
 自害はしない。
 ここで二人して死んだら、誰が斉彬公のご遺志を実現するのか・・・??」by西郷

こうして西郷は、捕らえられることを受け入れ、沖永良部島に流されたのです。

8月21日武蔵国生麦村で・・・薩摩藩を揺るがす大事件が起こります。
大久保は一部始終を目撃していました。
大久保が久光の行列に付き添っていた時に・・・ 
イギリス商人チャールズ・リチャードソンと遭遇。
警護役が馬を降りて端によれというものの・・・彼等は無視しました。
すると、激怒した薩摩藩士が無礼打ちとして4人に斬りかかったのです。
その結果、一人が死亡し、二人がけがをしました。
世にいう生麦事件です。

イギリスは、悪質な攘夷行動と受け取りました。
怒り心頭のイギリスは、幕府に対して正式な謝罪と、10万ポンド(約370億円)の賠償をもとめてきました。
薩摩藩に対しても、犯人の逮捕と死刑執行、遺族と負傷者に2万5000ポンド(90億円)の賠償を要求します。
もし要求に応じない場合は、軍事行動に・・・!!
横浜に停泊していたイギリス艦隊に恐れをなした幕府は、事件の発生から8か月後、賠償金全額を支払いました。
ところが、薩摩藩は拒否!!

1863年6月・・・薩摩藩との交渉が難航する中、イギリスは軍艦7隻を横浜から薩摩に向かわせ、軍事的圧力で要求をのませようとします。
そして7月・・・薩英戦争火ぶたが切られました。
イギリス艦隊のアームストロング砲が炸裂し、鹿児島城下は火の海となり、街の半分が焦土と化します。
薩摩藩側の中心となったのは、攘夷派の武士たちでした。
この時大久保は、圧倒的なイギリスの軍事力に、攘夷論に限界を感じるようになりました。

9月28日、横浜のイギリス公使館で講和交渉が行われました。
薩摩側は賠償金の受け入れを決めました。
しかし、大きな問題が・・・薩摩藩には賠償に充てる資金がなかったのです。
そこで大久保は??
江戸へと向かいます。
幕府の担当者に・・・
「英吉利の要求通り、賠償金は支払います。
 ただしそのお金は、幕府が用立てていただきたい。」
と、幕府に圧しつけたのです。
幕府はこれに激怒し、拒否!!
すると大久保は幕府を脅します。
「薩摩藩は賠償金を支払えません。
 幕府が支払わないと、また戦争になりますが、それでもいいのですか?」
この大久保の一言で、幕府は賠償金を肩代わりすることになったのです。

大久保は、1863年には久光の秘書役・御側約に就任します。
そんな大久保の悲願は、前藩主・斉彬の挙国一致体制を確立し、新しい政治の枠組みの中に薩摩藩を組み入れることでした。
しかし、これに大きく反発したのが幕府でした。
朝廷の力を背景に、久光の幕政改革案を飲まされた幕府は、薩摩藩を恨んでいました。

そんな中、1864年1月、久光の提案で京都に新しい政治の決定機関・参預会議ができました。
参預と呼ばれる評議員を幕府と諸藩の有力者から選出し、朝廷がそれを任命・・・。
朝廷から参預に任ぜられた人物が重要な政策を協議するというものでした。
参預として参加したのは、徳川慶喜・松平容保・松平春嶽・伊達宗城・山内容堂・・・諸藩からは、藩主や経験者が選ばれ、久光は本来ならば藩主でないので参加できないものの朝廷から「左近衛権少将」の官位を授かり参預として参加しました。
この6人で、日本の重要問題が協議されることとなりました。

ところが・・・会議は、開港していた横浜港を巡っていきなり紛糾・・・
久光は開港を続けるべき・・・他のメンバーも同意しましたが・・・慶喜が反対し、鎖港を訴えたのです。
幕府中心の政治を展開したい慶喜は、薩摩藩が力を持ちすぎることを警戒していました。
どうしても、自分が主導権を握りたかったのです。
そう・・・参預会議は、幕府と薩摩の権力闘争の場となってしまったのです。

慶喜は、攘夷論者の孝明天皇の支持を得ていました。
攘夷思想の孝明天皇に、横浜鎖港を主張し、取り入ったのです。
幕府主導の公武合体を画策したのでした。
大久保の悲願だった参預会議が行き詰ってしまいました。
行き詰ったのを心配した朝廷が設けた酒席で、酔った慶喜が大暴れ!!
久光らを指さし、罵倒したのです。
最早慶喜との話し合いは不可能と・・・幕府を見限って参預辞職を申し出た久光。
こうして新しい政治体制は短期間で瓦解・・・。
薩摩藩が朝廷や幕府と共に政治に参加する道が閉ざされてしまいました。
挙国一致体制が不可能と知った大久保・・・考えを一変させます。

「幕府を倒す!!」討幕へと舵を切ったのです。
奇しくも、久光が参預を辞職したのと同じころ・・・島流しを許された西郷が・・・!!
こうして大久保と西郷は討幕へと突き進むこととなるのです。

王政復古を断行し、新政府を樹立、廃藩置県、版籍奉還などの近代国家への大改革を成し遂げていきます。
大義の為ならば命がけで・・・!!
しかし、二人はやがて決別・・・西郷は西南戦争の首謀者として自決!!
大久保は大改革の反発を一身に受けて・・・
1878年5月14日、道半ばで暗殺されてしまいました。
49歳の若さでした。


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う~ん、今回は、ちょっと一休みな回でしょうか?
でも、斉彬さまやお篤のの登場で、とっても大切な回だったんでしょうね

1851年・・・斉彬が薩摩にお国入りをし・・・みんなはとっても期待大!!
これから新しい政策が始まるのか・・・??
そんな空気に満ち溢れていました。

そんな折・・・殿さまが御前相撲をするという・・・。
優勝賞品は、米俵10俵!!
みんな大ハッスル!!ハッスルって・・・古いかしら・・・??

そんな中、正助は相変らずの蟄居で勉強中!!

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斉彬の政策は・・・斉興の政策をそのまま継ぐというものでした。

「「襲封して3年、先君の政、曲げること叶わじ」とあるが、如く余もそれに倣う!!
 先代の時に劣らず、更に励んでくれ!!」by斉彬

つまり・・・正助の父も島流しから帰ってくることはなく、また正助もそのままの蟄居・・・??
どうしても理解できない吉之助たちは、御前試合で殿にお目見えし、直訴することを目論みます。

糸に・・・縁談話が・・・。
正助→糸→吉之助なのにね~~どうする??
そして、この御前相撲には糸の縁談相手も来るようです。

当日・・・そこには茶目っ気たっぷりの・・・篤姫が・・・!!
相撲男子・・・みんなのテンションMaxです!!
下鍛冶屋町の代表は、村田新八でしたが、食べ過ぎてお腹を壊して、西郷吉之助に・・・。
何ともベタな展開です。が・・・年配の方にはこっちの方が、わかりやすいのかな・・・??

「おいは・・・下鍛冶屋町、西郷吉之助でごぜもす。」by吉之助
「西郷・・・吉之助・・・??」by斉彬

う~ん、吉之助は、いっぱいお手紙を書いていたわけだから、直訴はお手紙でもよかったんでないかな?と思うんです。
こんな風に大っぴらに直訴しちゃったら、切腹もんですよ??
と思っていたら、村田新八の代わりが認められて、吉之助が御前相撲に出ることに・・・!!

篤姫は、もう一人の姫とどちらが勝つかかけることに・・・。

う~ん、個人的には、北川景子さんは綺麗ですが、あんまりお上品ではないかな?というか、和風な顔ではないかな??って思っています。
なのですでにちょっと・・・
おまけにお転婆を印象付けるためか、賭けをしたり、お菓子を一口でパクッと食べたり・・・それ以上に品がないなあ・・・と思ってしまう残念な仕上がりでした

ま・・・今はまだ若く、天璋院篤姫ではないのにしてもね・・・
糸にしても、男性と一緒にいたり、正助のもとに通ったり、吉之助におんぶされてみたり・・・当時の人のお転婆を表現しているのかもしれないけど、こんな女性は結婚すら出来ないでしょう
糸は、山本八重子のように鉄砲をぶっ放したり、寿桂尼や、直虎のようにおんな城主であったわけでもないのに・・・普通の女性なのに可哀想です
ま、史実通り、西郷と糸が16歳の年の差を考えて、吉之助が女の子をおんぶするなら、ほほえましかったでしょうがね・・・

正助は糸が西郷が好きなことを知ってしまい・・・
吉之助は、糸の縁談相手と決勝戦をすることに・・・。
そんな決勝戦に斉彬と賭けをするお篤。
もちろんどういう訳か、篤姫は吉之助を応援します。
??吉之助の何を知っているというんだ??
その肉体美か・・・??

don















ケガをした相手に、正々堂々と戦ってかつ吉之助。

そして、負けじと斉彬も相撲をし出す始末・・・さっきの決勝戦はデモンストレーションか、前振りか・・・??

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「いけ、西郷!!」と何回も、はしたなく叫ぶ篤姫・・・

そして・・・勝ってしまった・・・
切腹させられるかもしれない・・・吉之助・・・。
って、心の広い斉彬さまはどこにいったんだい・・・??
そして・・・その牢にいた洋装の先客は・・・いったい誰・・・??

ということで、この洋装の男の会わせるために投獄だったのかな??とも思います。

ま、今回の内容は、創作なのでどうでもいいですが、この作品は、明治維新で終わるのかな??とも思えます。
西南戦争までやって下さいよ~~~
これからいろんな謀略の渦に巻き込まれていく人たちです。
外圧がなければ根本から変われない日本・・・
その外圧があって変わったのは、乙巳の変と明治維新・・・長い日本の歴史の中で、2回だけです。
御前相撲が悪いわけではない・・・コイバナじゃなく、もっといろんなことを・・・
例えば御前相撲なら、もっと斉彬と絡ませてくれるとか・・・
去年と違って、行事が目白押しの西郷さんなんですが・・・。
これからのいろんな心の動きを丁寧に書いてほしいなあ・・・と思います。
とにかく、正助との間には、三角関係じゃなくって、語らなくてもわかる友情をお願いします

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1849年12月・・・調所広郷を失った島津斉興は、嫡男・斉彬を支持する一派を粛正していきます。
お由羅の方の策謀ともいわれ・・・「お由羅騒動」と言われました。

吉之助たちは、赤山靱負を幼いころから師と仰いでいましたが・・・
っていうか、父・吉兵衛の上司だよね・・・赤山様って・・・。
赤山様に切腹の命が下りたので、久光さまに直談判しに行くみんな・・・。

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「自分には何もできん!!」と逃げる久光、本当にバカボンに書かれてしまって・・・嘆かわしい・・・
そして、バカボン久光と、浅はかな&親ばかなお由羅が寸劇を始めてます・・・。

「みんな・・・私を憎むがいい!!
 みんな、私を斬りにいらっしゃい!!」byお由羅
 
ああ・・・興ざめだわ・・・。
調所さまは守りたかったのがこれかと思うとなんだかなあ・・・

don4















みんなと酒を酌み交わしたかった赤山靱負。。。
納得できないみんな・・・。

「芋ちゅうのは一つとして同じ形のもんはなか。
 こいを桶ん中に入れてごろっち洗えば、お互いがぶつかり合うて、きれいに泥が落ちる。
 おはんらも同じじゃ。
 一人一人姿かたちも違えばそれぞれ考え方もちご。
 こいからもこん郷中ちゅう桶ん中で、ぶつかり合うて、切磋琢磨して立派な侍になってくいやい。。。」by赤山様

と、赤山様が前回助けてくれた半次郎がもってきた薩摩芋を食べて昔を懐かしみます。

そして・・・赤山様自刃・・・介錯を務めたのは、吉之助の父・吉兵衛でした

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理不尽な師匠の死・・・
最期の召し物を手に、怒りが収まらない吉之助・・・。
江戸の斉彬にも知らせが届きました。
しかし、その後も斉興の粛正は続きます。

この赤山靱負をはじめ、10人余りが切腹、50名余りが遠島、蟄居の処分を下されました。
その中には、もちろん大久保正助も職を失い謹慎処分、父・次右衛門も遠島となりました。

って・・・これで終わり??
お由羅騒動・・・。
もっと面白く書けたはず・・・というか、この幕末にあって珍しいお家騒動なんですが、なんでもっと真剣にしてくれないのかと、疑問符です

藩の現状を、書状で斉彬に訴える吉之助!!
だって・・・この調所さまを自害に追い込んでしまった斉彬に対して、父・斉興の態度は硬化していたんだマラ・・・そりゃあ、家督を譲ってくれないよね

って・・・阿部正弘によって、将軍様からと、茶器が渡されました。

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この茶器を渡すということは、引退勧告されちゃったってことです。
??ってことは、こんな回りくどいことしなくっても、将軍様に茶器を渡してもらったらよかったんじゃないの??と思いがちですが・・・。
実は、このお由羅騒動・・・家臣たちの勇み足で始まったとも思われますが・・・仕方ないのかな??って思っていたら・・・。

親子対決です。
が・・・すべて調所のやったことだとしらばっくれる斉興・・・
でもね、ここは、全ての罪をかぶってくれた調所への哀愁でもっと引っ張ってくれても良かったのに、さらっとしちゃって・・・
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当主の座は譲らないと駄々をこねる斉興に対して、なんとビックリ!!
ロシアンルーレットで決着がつきました
ここでも、まだ会ったことのない吉之助を褒める褒めるの斉彬です
ま、実際、書状はたくさん書いて送っていたようなので、否が応でも名前は覚えたかもしれませんね

しぶしぶ当主の座を渡した斉興でした。

そして・・・斉彬が当主として薩摩にお国入りの知らせが・・・。
赤山様の墓前にもみんなで報告!!

1851年5月8日・・・吉之助にとって忘れられない日となりました。
薩摩藩第11代当主・島津斉彬がお国入りを果たしたのです。
華やかな行列・・・喜ぶ民、吠える民!!
って・・・そんなに期待をしている理由が、謙さん以外にわかんないわ・・・

「斉彬さまじゃ!!斉彬まさじゃ!!」
その声を、蟄居部屋で聞く正助・・・。

そして、行列に飛び出て来た子供たちに・・・

「よいよい、子は国の宝じゃ。
 新しい殿さまはこんな顔だ。
 よろしく頼む!!」by斉彬

・・・そうね・・・これじゃあ、謙さんじゃないとやってられない感満載な斉彬公となりました。
おまけに、相対する久光があんなにバカボンとは、釣り合いがとれないわなア。。。
カッコいいライバルにはなれないよね・・・。

おまけに、祖父・重豪に長い間実権を握られ、その借金返済を必死に頑張った斉興の隠退の仕方って・・・
もっとカッコいい引き際を作ってあげたかったけどなあ・・・って思うのでした。
ほんと、斉彬がいっぱいお金を使えたのは、お父さんと調所広郷のおかげなんだからね~~~!!


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今回も、薩摩がどれだけ酷かったか??
農民たちはどれだけ貧しかったのか??
そして、草莽の志士たちの素地がどんなふうに酷い環境だったのか??の説明な回でした。

で・・・どんなお話??

酷い、酷い、藩政を行っていた島津斉興&調所広郷に対し、斉彬待望論が・・・!!
ということですが、もちろん、この二人は緊縮財政・・・というか、かなり農民を苦しめる税制だったようですが、本当の犯人は薩摩藩中興の祖・重豪の莫大な・・・500万両もの借金です。
この借金を返すために、頑張ったのが調所広郷だったわけで・・・
本当の悪人は、重豪なんじゃないのかな??って思える私です。

と、西郷さんは、熊吉と鉄砲でイノシシを仕留めていました。

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こんな農民みたいな武士な生活も、生産性のない武士の割合がとっても高かったことに起因しています。
おまけにサツマイモを栽培するぐらい土壌も今一つだしなあ・・・。

下級武士の西郷家は、貧しくおまけに大家族・・・
三男の信吾が病気なようで・・・

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刀を借金のかたにしようとする吉之助ですが・・・武士の刀は・・・と止められ。
代わりに獲ったシシを町に売りに行こうとするも、恥さらしだと父に止められ・・・
借金をすることに・・・。
赤山様の紹介で、横柄な父・吉兵衛には貸してくれなかったものの、なりふり構わずな吉之助を見込んで貸してくれましたとさ・・・。
それも、100両!!

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だいたい、100両ものの大金をこうも容易く貸してくれるのか?とも思うし、でも、小判はあんまり流通していないよね・・・見たことのない人が殆どだったでしょう。
おまけに、この頃の西日本では、”銀”なハズなんですが。。。
ま、細かいところはいいかな・・・??
だって、この返済は、明治になっても苦労してしていたって話だからね。

その頃江戸城では・・・阿部正弘・・・に、我が藩の密貿易を密告する斉彬。

でもっていも泥棒をしている子供に出くわします。

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子どもの名は半次郎。
かなりの剣の使い手です。
そうね・・・だって、後に西南戦争まで吉之助に従う人斬り半次郎(桐野利秋)なんですもの。

でもって、この借りた100両で、米を買ってたらふく食べる西郷家の人たち。
ああ・・・なんて暢気なんだ・・・。
おまけに、世話になっている熊吉の実家にも持って行くことに・・・。

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こんなに大盤振る舞いして・・・
借りた金だよ、借りた・・・大事に使わないとなあ・・・西郷家の人たちよ。

熊吉の実家で一夜を過ごした吉之助&熊吉・・・
逃散??と思われる人を発見!!
それは先日のいも泥棒でした。
もと侍の少年・・・武士なら脱藩、百姓では逃散・走りと言われ、土地から離れることはあってはならないことでした。
侍は・・・二度とは侍には戻れない・・・。
と、吉之助に言われ、逃げようとする母を、説得する半次郎。

「わかりもした。おいがなんとかすって!!」by吉之助

と、またまた安請け合いをして熊吉に怒られる始末。

子供は国の宝だ・・・と、教えてくれたのは斉彬でした。
江戸の薩摩藩邸では・・・斉彬の子・寛之助が息を引き取っていました。
斉彬はこれまで立て続けに3人の子を失くしていました。
探したら・・・呪いの札が・・・!!
と、お由羅の仕業では??と、うわさ話になっていました。

夜逃げを助けたのではないか??と、上司に怒られる吉之助。
タダではすまん!!と言われてしまいましたが、赤山様が助け舟を出してくれました。
ということで、この件は、赤山様お預かりとなったのです。

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でもって、半次郎の件も、赤山様にお願いしてしまいました。
貧しくても必死に生きている!!と言ってますが、どうも、半次郎の父親は、貧しさから藩の金を使い込んでしまっていたらしい・・・それでも、それは貧乏のせいだ!!と、何もかも貧乏が悪い体になってしまっています。
武士は食わねど高楊枝ではないのか??
そんなレベルでもないぐらいの貧乏なのか??
遊郭に・・・女郎となって落ちぶれても、武士の娘であってほしい・・・その凛とした一本気なところがいいんじゃないの?
例えば、桂小五郎の奥さんになった芸妓・幾松とかさ~~~!!

この年の12月、江戸城に呼び出された調所広郷・・・相手は阿部正弘。
呼び出された理由はもちろん密貿易でした。

斉興は関係なく、全て自分がやったこと・・・と、全ての罪をかぶります。
そして・・・その密告者が斉彬であることも知った上で・・・

「どうじゃ・・・今宵、一献傾けんか。
 わしを廃嫡せしめんとするは専らその方が首謀者という噂があってな・・・
 いささか疎遠になってしもうた。
 このまま終わりとうはない・・・。
 これからの薩摩の事など教えてほしい・・・」by斉彬

「残念ながら、今宵はちと野暮用がございもして・・・
 お世継ぎ様がお生まれになった日・・・われら一同そいは喜んだもんでございもす。
 こいで、薩摩は安泰じゃっち・・・。
 そん時に飲んだ酒の旨さをふと思い出しもした・・・。」by調所

そしてその野暮用の夜・・・

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毒を煽り切腹!!

この知らせは、薩摩にもすぐに届きます。
ここに、斉彬VS斉興&久光の構図が完成されました。

斉彬派な人々が、次々と島流し、切腹・・・50人を超えました。
これがお由羅騒動です。

そして・・・赤山靱負に切腹の沙汰が下ったのでした!!

って、斉興&調所が悪者で、キ~って怒っているのがお由羅、アタフタしているおバカな久光・・・って感じですね・・・
とりあえず、上にも書いたように重豪の莫大な借金・500万両を返済し、200万両もの蓄財を築いたのは調所でした。
分母の割に分子の多い生産性のない武士・・・人員削減することもなく、米に適さない土地柄の中、藩のために一生懸命頑張ったのは調所でした。
この重豪がどうして借金を作ったのか??
それは、洋学かぶれだったからで・・・斉興&調所は、斉彬とダブるところがあって、やっぱり久光しかいいんじゃね?
と、40歳を過ぎた息子・斉彬に藩主の座を譲らなかったんです。

ちなみに、お由羅がき~っと、怒っていましたが、”呪いのお札事件”が噂になったのは事実です
もちろん、斉彬が、斉興を藩主の座から引きずり下ろすために、阿部正弘に密告したのも事実なんですが・・・

ただ・・・
密貿易や、商人たちが御禁制の品を取り扱うのを見逃す代わりに借金の棒引きをしてもらったり・・・
奄美大島の黒砂糖とか・・・
いろんな禁じ手を使っての借金返済でしたが、斉興&調所・・・この二人がいたからこそ、斉彬もいっぱいお金を使えたんじゃないかな??なんても思ってしまいます。
そんな悪者にしなくても良かったんじゃないか?ってことです。

単純ではなく、結構みんな賢い、自分たちの正義のために、信念をもって動いていた人たちなんです。
そんなこんなをもっと表現してほしかったんですが・・・
そんなドラマは重いのかな・・・??


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