<真田三代と戦国時代>幸村復活へ 九度山脱出と大坂城入城 (歴史群像デジタルアーカイブス)




真田は上田城において、またしても徳川軍を撃退した。

勝利に沸く真田家に、関ケ原の合戦で石田三成の軍勢が惨敗したという知らせが届く。

ということで、今回のサブタイトルは「信之」・・・。
信幸だったんですけどね。。。
悲しい板挟みの信幸です。

慶長5年9月15日・・・毛利が率いる西軍と、徳川の東軍は、美濃・関ケ原でぶつかった。。。
結果、何年も決着がつかないと皆が思っていた戦は、たった一日で勝敗がついた。。。

「降伏はせんぞ!!
 金輪際するもんか!! 真田は徳川に勝ったのじゃ!!
 そうだな?内記!!
 何で頭を下げねばならんのじゃ!!」by昌幸

「お気持ちはわかりますが、関ケ原で石田様が敗れてしまったからでは・・・」by信繁

まだまだ戦おうとする昌幸ですが・・・

大坂は徳川の兵であふれかえっているという・・・。
大坂城が徳川の手に落ちた・・・!!
もはやこれまで・・・??

「父上、勝敗は決しました。
 これ以上の戦いは無駄でございます。」by信繁

「まだ、上杉がおる!!
 上杉と図って、江戸を抑えれば・・・!!」by昌幸

「父上!!
 あとは・・・兄上に任せましょう。。。」by信繁

なんとも、眼光鋭い・・・悔しさMaxの昌幸ですが・・・。
致し方ありません。

信幸を通して、降伏を申し入れてきたという昌幸に・・・どうする??家康!!

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真田の処遇はどうなるのか・・・??

上田城の明け渡しには、平野長泰がやってきました。

「一つ、兵は一人残らず去らせる事。
 一つ、武具・鉄砲・玉薬はことごとく召し上げ 
 一つ、真田安房守ならびにその子・左衛門佐は・・・城内に於いて暫し蟄居。 
 処分については後日、 以上!!」by三十郎

読み上げたのは、かつて信繁を支えてくれた三十郎でした。
ああ・・・信繁も辛いけど、三十郎はもっとつらい事でしょう。

昌幸と信繁の命乞いのために大坂へ向かおうとする信幸・・・。

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「なんとしても二人を助けねばならん・・・」by信繁

そこへ、本多忠勝登場!!
信幸をねぎらい・・・信幸に心動かされ・・・一緒に命乞いをしてくれることに・・・!!

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「安房守を助けてやりたいのは山々だが・・・ここは親子ともども死んでもらう。」by家康
しかし、頭を下げるのは平八郎忠勝!!
許してもらえなければ、上田に籠り、徳川相手に討ち死にするという!!

本気の平八郎に根負けした家康・・・
「命まではとらぬ・・・
 平八郎にそこまで言われたら仕方なかろう。」by家康

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「ありがとうございます。」by信幸

父と縁を切る・・・そのために、諱を変えよ・・・と言われます。
昌幸の「幸」を捨てろというのです。

「かしこまりました。
  かたじけのうございました。」by信幸

涙をにじませながら・・・犬伏での約束を守ろうとする信幸がそこにはいました。

母もまた・・・不安な日を送っていました。

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信幸が来てくれたことで、ちょっと一安心でしょうが・・・
どこにいようと・・・今は、豊臣から徳川へ・・・変わっただけの人質に変わりはありません。

「大坂にて徳川内府様におすがりしました。 
 お二人の命までが取らぬということで決しました。」by信幸

「そんなことは当たり前じゃ・・・!!」by昌幸

「無念ですが、小県の料理は全て召し上げ。」by信幸
「後に入るのはどなたです?」by信繁
「まだ決まっておらぬが、おそらくは俺だ。」by信幸
「兄上が治めてくださるのなら、願ったりかなったりです。 
 真田の地が守れます。」by信繁
「・・・で、わしらはどうなる?」by昌幸
「お二人は、高野山に流罪と決まりました。」by信幸
「流罪・・・??
 高野山の坊主たちと暮らせというのか・・・??」by昌幸
「高野山は、女人禁制ゆえ、麓の九度山村に屋敷を建てます。」by信幸
「九度山??
 聞いたこともないわ・・・!!
 この役立たずが!!
 何のために、徳川についた!?」by昌幸

そうですね・・・いらだつ昌幸です。
やんちゃしてきた昌幸と、堅実な信幸とでは、最後のあがきが違うのかもしれませんが・・・
でも、高野山に・・・ということは、本当は出家せよ!!ということです。
が・・・女性を連れて行けるようにと九度山に・・・これって、かなりの配慮だと思います。
信繁が、春を連れて行きたかったからお願いした・・・という説もあるくらいです。
後に子供ももうけていますし、そんなに厳しい蟄居ではなかったのかもしれません。

やっぱり時代に取り残されていってる昌幸なんですね。。。

「すまん・・・言い過ぎた・・・」by昌幸

「これからも、力を尽くします。
 お許しください・・・!!」by信幸

そうですね・・・この板挟み、大坂の陣まで続くんですよ・・・。
どうするよ・・・胃に穴が開いちゃうんじゃないかしら??信幸!!

そして・・・義兄・小山田茂誠は、信幸に付くことに・・・
なるべく真田を生かすためです。

泣く作兵衛は、村に戻って、すえを育てることに・・・。
「すえは、信濃の女子として育ってほしいのだ・・・。」by信繁

内記は、歳も年だし自分の思うようにせよ・・・と、昌幸に言われ・・・九度山について行くことに。。。
死ぬまで殿のおそばで・・・!!

「では・・・各々、ぬかりなく・・・!!」by昌幸

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信幸に任せた昌相にも別れを・・・
病床で・・・大坂城の攻め方を・・・
「徳川内府の寝首をかけ・・・!!」by昌相
「相分かった・・・」by昌幸

二人とも・・・もうそんな時代が帰ってくるとは思っているのかいないのか??
いつまでも二人で戦う・・・そんな昔を夢見ているのでしょうか??

16歳になったすえ・・・信幸の世話になれという信繁に・・・
「すえにとって父は一人でございます。
 作兵衛伯父上だけでございます。」byすえ
父親らしいことを何もしてこなかった信繁・・・これもちょっと辛いなあ・・・。

1600年12月13日・・・上田城は、正式に徳川に明け渡されました。

徳川家康は、信幸に上田を与え・・・信幸は、9万5000石の大名となりました。
父上と縁を切れ・・・と言われ、幸の字を捨てることとなった・・・と、家臣たちに告白する信幸・・・。

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「真田伊豆守信之!!」

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「読みは変わらん・・・
 わしの意地じゃ・・・!!」by信之

高野山へ向かった昌幸は、家康に呼ばれ大坂に立ち寄りました。

そして・・・死罪にすることはできたが・・・死よりも苦しい仕打ちを与えようとしている・・・という。
「一切の兵と、馬と、武具と、城と・・・そして、今後戦にでる一切の機会を奪う・・・
 残りの人生を、高野山のちいさな村の中で過ごすのだ・・・
 1,2年で帰ってこられるなどと、ゆめゆめ思う出ないぞ。
 10年になろうが、20年になろうが・・・お主は死ぬまでそこにおるのだ・・・!!
 この生き地獄・・・たっぷりと味わうがよい・・・
 真田安房守・・・二度と会うことはなかろう」by家康

声高らかに去っていく、家康がそこにはいました。

大坂城で・・・家康が三成を討伐したことを秀頼に報告し・・・三成がすべての罪を被ってくれたので、他のみんなが救われたことを片桐且元に聞く信繁。

そうですね、この時点では、秀頼がトップなわけです。
タヌキオヤジがトップではありませんよ!!
ということで、謀反人・石田三成を徳川家康が討ったという大義名分ができてるわけですよね。
さすが・・・腹黒い・・・徳川家康!!

寧にも最後のご挨拶・・・。

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そこに登場したのは小早川秀秋!!
が・・・オドオド逃げちゃいました。。。
自分のしたこと・・・
徳川と通じていたこと・・・
三成を裏切ったこと・・・
その精神は、幻覚を見るまでに・・・!!

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なんとこんなところで初登場!!
毛利勝永!!

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明石全登!!


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宇喜多秀家!!

小早川秀秋は、関ケ原の合戦より2年後・・・
自分のしたことの罪の重さに苛まれ、21歳で謎の死を遂げる・・・。

って、この時点で↑の皆さんは行方知れず・・・死んでないんですが・・・
そうそう亡霊ではないのです。
が、小早川秀秋・・・世が世なれば、天下人だったかもしれません。
秀頼が生れたことで、小早川家に養子に出されて追いやられ・・・
関ケ原になかなか参加しなかったのは、病気だったからという説もありますが・・・
最後はアルコール中毒で亡くなっちゃうんですよね。。。
なので、やっぱり自分のしたことに後悔していたんでしょう。。。

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大谷吉継は・・・
自分の首を敵に渡すことなく、大名で唯一の自害を遂げることとなります。

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「治部・・・楽しかったぞ・・・!!」by吉継

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小早川秀秋の裏切りのせいで窮地に追い込まれた吉継ですが・・・
実は、小早川の裏切りは予想済みで、その”おさえ”としての大谷吉継って説もあります。


なので、赤座直保、朽木元綱、小川祐忠、脇坂安治・・・脇坂は東軍に寝返り予定でしたが、他3人はその場で寝返ったようです。
この4人の裏切りが、大谷吉継を切腹に追いやったと言えるでしょう。

家康も一目置いていたという大谷吉継。
もちろん、三成の親友だったことは間違いありませんが、今までのように”負けるとわかっていても親友のために・・・”ではなく、”三成に勝利をもたらせる”ために、戦った男でした。


加藤清正が、信繁に会いにやってきました。
「会わせたい者がおる・・・」と、三成の妻・うたがやってきました。
三成の最期を伝えるために・・・!!

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「それは・・・見事なご最期でございました。」byうた
この見事な最期って・・・??
見ての通り、三成は、市中引き回しの上刑死です。
吉継が家臣に首を敵に取られないように隠させたように、本当ならば、無念!!が最期な一言でしょうが、
三成は最後にこう言っています。

「大義を思うものは、首を刎ねられる瞬間まで命を大切にするものだ。
 それは、なんとかして本望を達したいと思うからである。」by三成

最後の最期まで、豊臣家のために戦う・・・という意志からでしょう。
上にも書いていますが、この三成の死によって、他の者が罰せられることなく許されたということから見ても、無念な最期ではなかった・・・”見事な最期”・・・。

よく考えれば、小さな石田村の土豪・・・
秀吉に見いだされ、出世しても20万石の小大名が、徳川家康に立ち向かい、日本中を巻き込んで関ケ原の戦いを起こした・・・そう考えると、本人も満足な、それこそ”見事な最期”だったことでしょう。


そして・・・昌幸と信繁は・・・

1611年初め・・・紀州九度山村の屋敷へ・・・!!

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信繁たちの新しい暮らしが始まろうとしていました。

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ということで、次回からはわがふるさとの誇る高野山の玄関口九度山です。

ま、信繁としてはパッとしない時代に入るわけですが・・・
どんな感じになるのでしょうか?
楽しみにしています。
ちなみに↑の村の写真・・・今でもこんな感じよ・・・



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<真田三代と戦国時代>人質生活から大坂夏の陣まで 幸村の波乱万丈なる生涯 (歴史群像デジタルアーカイブス)