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戦上手の武将たちは、忍者の使い方も上手でした。
そう、忍者の使い方も大事な兵法の一つです。
武田信玄・上杉謙信・北条氏康は、不敗の名将で知られています。
信玄の用いた忍者は”透波”
透波の出身は、山岳地帯で狩猟・竹細工を生業とする山窩(さんか)と呼ばれるものや、野伏(のぶせり)です。
「甲陽軍鑑」には・・・
「信濃の国よりかかえおき給う、すっぱ70人のうちより38、足手すくやかなる者えらび出し、妻子を人質にとり・・・」
と、抱えている透波のうちから知能優れ、忍びの術にたけた者を選び、裏切りの警戒の為、人質を取ったうえで、近隣の国に放ち、敵情を捜索するように指示しています。
謙信が利用した忍者は”軒猿”。
その名は、忍術の始祖と言われている中国古代の伝説の帝王である黄帝の名、軒轅(けんえん)に由来すると言われています。
透波と同じ役目・・・
敵を探り、謀略をめぐらすだけではなく、刀槍を手に、少人数で夜討ち朝駆けなどの奇襲攻撃をかけ、敵の攪乱をはかりました。
氏康の使った風魔は、忍びの専門集団です。
これは、風魔の小次郎ですが・・・
風魔の小次郎 夜叉篇 VOL.1 [DVD] / 難波圭一, 速水奨, 小山茉美, 本田智恵子...
頭領は風魔小太郎。身の丈が7尺2寸(2.2㍍)だったと言われています。
その配下は野武士上がりの200人で、山賊・海賊・強盗・窃盗の4つの専門部隊に分かれていました。
みな、馬術が巧みで、山岳地帯を平野のように駆け、戦うことができました。
信玄・謙信・氏康は、関東・甲信越を舞台に、時に戦い、時に結び、三つ巴の死闘を演じてきました。
その陰で、透波・軒猿・風魔の忍び達も卍巴に戦っていました。
忍びの者は、忍びのみが知っている間道、隠し道に潜み、疾風のように移動し、秘術を尽くして影として戦い続けました。
忍び達は、それぞれの主人の命に従い、非情の掟を胸に、闇に生き、闇に消えていきました。
そうなんですよね。
バイキングが、寒い冬に他国に海賊(出稼ぎ)していたみたいに・・・
貧しくて耕す土地もなく、情報をお金に換える・・・
盗賊であり、山賊であり、特殊能力のあるものが・・・それが忍者でした。
「ここまでわかった!?忍者の真実~乱世の影に忍びあり~」はこちら。
服部半蔵~家康を救った忍の棟梁~はこちら。
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