日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:金正日

ひとつの民族でありながら、二つに分断された朝鮮半島・・・
2018年4月、南北にやっと平和が訪れると思われました。
しかし・・・和解と対立を繰り返す南北の駆け引きは終わることがないのでしょうか??
20年前のあの日、分断を越えるための一歩を踏み出しました。
韓国の大統領・金大中、北朝鮮の最高指導者・金正日・・・
史上初の南北首脳会談は、北朝鮮に変化をもたらすように見えました。
それまで閉ざされていた北朝鮮が、アメリカや日本との関係改善に乗り出します。
さらに、ヨーロッパの国々と国交を結び始めました。
南北の人々を歓喜させた初めての首脳会談・・・あの日の希望は如何にして生まれ、失われていったのでしょうか??

韓国の大統領が初めて38度線を越え、敵対する北朝鮮の首都・ピョンヤンに降り立ちました。

①大統領・金大中
1998年2月、韓国の第15代大統領・金大中・・・
彼には就任した時、ある大きな目標がありました。

「我々は、北朝鮮に南北和解のための特使の交換を提案します
 北が望むなら、首脳会談に応じる用意があります」

それは、北朝鮮の最高指導者・金正日総書記と直接対話することでした。

「私は、こうした民族的に重要な問題は、首脳同士が直接会って話し合うのが一番望ましく効果があるとずっと思っていました
 なので、私は大統領になった当初から、キムジョン総書記と二人で会談したいと考えていました」

半世紀の間、一度も実現したことのない南北首脳会談・・・
そうすれば、北朝鮮を対話のテーブルに座らせることができるのか・・・??

大統領は、離散家族の再開だけは、何としても実現したいと思っていました。
1950年に起きた朝鮮戦争・・・
北朝鮮の南下から始まったこの戦争は、300万人以上といわれる死傷者と、1000万近くの離散家族を生みました。
当時、20代で海運会社を経営していた金大中・・・
戦争で同じ民族同士が戦う姿を目の当たりにします。
その経験は、彼の人生を大きく変えることとなりました。

「私と家族が生き残ったのは、幸運だったが、朝鮮戦争は骨身にしみた
 何のために戦い、何のために死ななければならないのか
 戦況が変わるたびに、同族間の殺戮戦が繰り返された

 だから一生、民族の和解と戦争のない世を夢見ながら生きてきた」

金大中は、朝鮮半島の平和と統一を目標に掲げ、政治家としての道を歩み始めました。
しかし、80年代には、韓国の大統領を狙ったラングーン事件(1983年)や、大韓航空機爆破事件(1987年)など、北朝鮮のテロ行為により対立は激化するばかり・・・

離散家族の多くが次々と亡くなっていく中、金大中にとって南北の改善は急務となっていました。
打ち出したのは、”太陽政策”です。
閉ざされた北朝鮮を開かせるため、経済支援と交流を通して対話の道を模索します。

「北朝鮮も、こちらが強硬な態度に出ると、韓国や日本に対して危険な存在になり得ます
 だから、私たちは北朝鮮に対して、経済的支援を進め、私たちの胸に抱きしめなければならないのです」

しかし、今まで対立を続けてきた北朝鮮に、手を差し伸べるのは容易なことではありませんでした。

北朝鮮は、当時太陽政策を批判していました。
韓国は自分たちを吸収しようとしていると激しく反発したのです。
だから当時、北朝鮮の潜水艦が侵入してきたり、北朝鮮の監視船と韓国海軍との間で銃撃戦があったりと、不安定な状況が続きました。

韓国をアメリカの手先と見なし、対話をしようとしない北朝鮮・・・
どうすれば振り向かせることができるのか・・・??
金大中には、一つの考えがありました。

大統領は、アメリカと北朝鮮が敵対視する限り、朝鮮半島に平和は訪れないと確信していました。
だから、何としてもアメリカを説得する必要があったのです。
北朝鮮は、いずれ崩壊するとみて、強硬な政策を続けてきたアメリカ・・・
金大中は、当時のクリントン大統領に、自ら説得を重ねました。

「ベトナムを見てください
 米国はベトナムを仇敵とみて戦争をしたが、結局、敗北しました
 その後、国交を結び、経済援助をした結果、今やベトナムは親米国家になりました
 共産主義に対するときは、軍事的な力によって、さらなる長髪ができないようにし、その一方で、解放するように誘導すべきです」

ベトナム戦争までも引き合いに出して説得する金大中を、クリントンは積極的に支持するようになります。

大統領は、アメリカをはじめ、日本、中国、ロシア・・・4か国の役割が非常に重要だと考え、強力を求めていました。
北朝鮮が世界に出られる雰囲気を、みんなで作らなければいけません。
そう仕向ける責任が、韓国にあると大統領は考えていました。
北朝鮮との対話に向けた奔走は、2年に及びました。
そして、遂に・・・2000年4月!!

北朝鮮が、首脳会談の開催に合意・・・
その知らせを聞いた金大中は、涙を流したといいます。
大統領は政治家になってから、共産主義と揶揄され、死刑宣告を受け、収監されたこともあります。
アメリカに亡命することを条件に、刑を免れたのです。
様々な苦難を乗り越えながら、平和統一のために努力してきました。
やっと民族の問題を解決できるかもしれない・・・!!

しかし、一つの大きな悩みがありました。
当時、金正日の情報は、ネガティブなものばかりでした。
ベールに包まれていた金正日・・・その声すら公開されたことがありませんでした。
情報が本当ならば、会見の成果は期待できない・・・!!
そこで、金大中は・・・部下に北朝鮮に渡り事前交渉をし、合意文書の作成をし、人となりを見極めることを命じます。
あと2週間・・・!!
北朝鮮は、金大中がピョンヤンについた日に、金日成の墓に参拝することを首脳会談の条件にしました。
しかし、それは受け入れがたいことでした。
朝鮮戦争で、韓国に侵攻した北朝鮮の指導者の墓に参拝をすれば、国民の支持が得られなくなる・・・!!
金大中は、苦しい選択を迫られます。

「首脳会談まで10日も残っていなかった
 首脳会談は開かれなければならなかった
 国民が歓呼し、世界が声援したのに、開かれないとなると
 南と北は天下の笑いものになるだろう
 もし、このチャンスを逃したら、今後は首脳会談という言葉そのものを、口に出すことができなくなるだろう」

リスクを背負ってでも、苦渋の選択を決断します。
交渉条件は、階段が成功すれば参拝する道も開けてくるということでした。
金正日と交渉することができるのだろうか??

その夜、電話が鳴りました。
電話の相手は、北朝鮮に渡った部下でした。
なんとか、金正日と面談できたと・・・

「キム総書記は、相手の話に耳を傾け、自ら話すことも好きな人物でした
 見識も広く、頭も切れ、物事を即断即決する性格です
 話題が飛ぶ傾向はありますが、重要な点はきちんと押さえて結論を出すタイプです」

それを聞いて大統領は安心し、首脳会談の開催に自信を持つようになりました。
金正日は、全く対話のできない相手ではないらしい・・・。
しかし、産廃問題は譲らず、結論を出すことができませんでした。
さらに、金正日は、通常の首脳会談では常識ともいえる事前の協議内容を決めることに強く反対していました。

「南北首脳が会えば、共同宣言を発表しなければなりません
 私たちはその草案を北朝鮮に提示したのですが、すべては来てからだの一点張りで、我々が示した案に合意しないばかりか、自分たちの案も出しませんでした
 とにかく、細かい心配の種がたくさんありました」

金正日が、会談の席でどう出るのか・・・??
何一つつかめないまま、運命の日を向かえます。

②大統領府の報道官パク・ジュンヨン
ピョンヤンに同行し、大統領の近くで一挙手一投足をメディアに伝える役割をしていました。
ピョンヤンでの3日間の駆け引きとは・・・??

大統領の言動を、常に事細かく記録していたパク・・・
20年前の手帳を、今も大事においています。
大統領に同行し、初めて越えた38度線・・・彼がピョンヤンで見たものは、北朝鮮の意外な姿でした。
2000年6月13日、大まかな日程しか知らずに向かいました。
誰が大統領を迎えに来るのかも、事前に知らされていませんでした。
不安を抱えたまま、ピョンヤンの空港に・・・
パクは、大統領より先に飛行機を降りて、空港の様子を確かめました。
他国との首脳会談では、外務大臣や次官クラスが出迎えに来ることが多い・・・
ここでも同じ状況を予想していました。

その時・・・

「突然歓声が聞こえて、見て見たら、金正日総書記が来ていました
 金正日本人だったのです
 ビックリしました」byパク

韓国側の誰も予想しえなかった金正日本人による出迎え・・・!!
あの歴史的な瞬間は、唐突にやってきました。
分断55年ぶりの南北首脳の歴史的な出会いです。
パレードが続く盛大な迎え・・・それは、敵対する国の大統領に対して考えられないほどの歓迎ぶりでした。

いよいよ始まった1回目の会談・・・
史上初の首脳会談で、両首脳はどのような話をするのか・・・皆が耳を傾けました。
しかし、その時、パクはある重大なことに気付きます。

「その場に韓国の報道陣が一人もいないんです
 これは、大変だ・・・!!
 担当者に”私たちのカメラマンは何処にいるのか”と聞くと、
 ”北朝鮮側が入れないようにしているので扉の外にいる”と言うんです」

報道陣には、北朝鮮の指示に従うように事前に伝えていました。
少しでも会談の決裂に繋がる状況を作りたくなかったからです。
しかし、会場に北朝鮮の記者はいるのに韓国の報道陣は一人もいない・・・
歴史的な会談を、北朝鮮のメディアだけが記録するなどということはあり得ない・・・!!

「私は大きな声で
 ”何を言うか、南北首脳が初めて座って話をされるのに・・・ 早く入ってくるように伝えろ!!”と言いながら、急いで扉を開けました。
 それで、両首脳の様子を撮影することができたんです
 今思い返すと、ゾクッとします
 もし、取れていなかったら、どのように報道されたかわかりません」byパク

この時、金正日の声が、初めて世界に報道されました。

初日の会談は、わずか27分・・・顔を合わす程度で終わりました。
歓迎に驚かされたのもつかの間、パクは、北朝鮮の二面性に不安を抱くようになりました。

6月14日・・・2日目の午後3時・・・
いよいよ本格的な首脳会談が行われようとしていました。
和やかな雰囲気で向かい合った金大中と金正日・・・
しかし、記者たちが退場した後、雰囲気は一変しました。
早速、金正日が別の表情を見せたのです。

当時、会談に参加していたイム・ドンウォン
「北朝鮮は、会談が始まるや否や、その場をしはいする為に私たちに圧力をかけてきました
 キム総書記が、こんなことを言い出したのです
 ”昨日、南のテレビ番組を見て知りましたが、北朝鮮の国旗を掲げた大学が、検察の取り調べを受けているようです
 これはどういうことですか
 こんな状況で首脳会談をして何の意味があるんですか”
 と、いきなりけんか腰だったんです」 

イムは、会談で有利に立つための北朝鮮の戦略だったとみています。
緊張感漂う中始まった南北首脳の綱渡りは、3時間50分もの間続くことになります。
会場の外で、ただ成功を祈っていたパク・・・
会談が終わるや否や、大統領の下へと駆け寄りました。

「あらゆる努力を尽くし、渾身の力を振り絞った」by金大中

パクの手帳には、大統領が金正日について語ったことがこう記されています。

”博識で合理的、納得したら受け入れる
 相互にとって何が一番利益になるのかを考えている”

疲労困憊するほど会談は難航していましたが、一定の会話ができたと手ごたえを感じていました。

「二人は南北共同宣言に完全に合意しました
 皆さん祝福してください」

会談の結果は、期待を越えるものでした。
両国が力を合わせて統一問題を自主的に解決していくこと・・・
社会、文化、経済など、あらゆる分野で交流をはじめ、双方の信頼を固めていくことが決まりました。
さらに、合意文書には、”金正日のソウル訪問”まで明記されていました。
ようやく両首脳は、共同宣言に完全に合意・・・
しかし、その裏では、またもや韓国メディアが決定的な瞬間を取り逃しかねない事態が起きていました。
それは、常に大統領から目を離さなかったパクが、トイレに行った時の事・・・
会場の外にいる韓国の報道陣を見かけます。

「私のテーブルにいた北朝鮮の幹部に”なぜカメラを入れないのか”と言ったんです
 すると隣の人が、”そういえば、先ほど両首脳が前に出て合意したと発表していましたが、誰も撮影していませんでしたよ”というのです
 私は唖然としました」byパク

もっとも重要な合意の場面で、北朝鮮はまたしても韓国メディアを締め出していたのです。
しかし、この歴史的な場面は何としても記録に残さなくてはいけない・・・!!
悩んだ末、パクが選んだのは・・・

「大統領の左側に行き、
 ”さっきお二人が合意したと発表した時、記者がいなくて撮影できませんでした
  大統領、申し訳ありませんが、もう一度お願いします”と言ったんです
 これは、報道官としてはやってはいけないことです
 演じてくださいということですから・・・
 でも、その時、キム総書記がパッと立ち上がって
 ”私たちが役者になりましょう”と言ったんです」byパク

実は、合意発表の前、金大中はこんな言葉を残しています。

「汲む総書記が”役者になりましょう”というから、もう一度やります
 二人は南北共同宣言に完全に合意しました
 みなさん、祝福してください」

報道陣を厳しく規制しながらも、寛大さを見せる北朝鮮・・・その意図はつかめないまま、翻弄されていくしかありませんでした。
パクの一瞬の判断で、なんとか記録することができたこの場面は、今や初の南北首脳会談の成功を象徴するシーンとなっています。
一方、金日成主席の墓への参拝問題で、頭を悩ませていたイム・・・
参拝を行わずに済むように、裏で交渉を続けましたが、結論に至りませんでした。
しかし、会談後の晩餐会の時、金正日はイムを呼んでこう告げました。

「イムさんの勝ちです
 あなたの言うとおりにしましょう 
 参拝はしなくて大丈夫です」

多くの人の努力によって、成功したかに見えた南北首脳会談・・・
握手から始まった両首脳の挨拶は、3日目にハグに代わっていました。
このままいけば、南北和解への道を順調に歩んでいく・・・はずでした。

会談から2か月後には、離散家族の再開が実現され、朝鮮半島を一つに結ぶ鉄道の復旧工事も始まりました。
さらに、経済、社会、文化など様々な交流が行われるようになりました。
しかし、南北の融和ムードは長続きしませんでした。
その理由の一つは、会談の見返りとして韓国から北朝鮮に多額の不正な送金が行われた疑惑が浮上したことでした。

③記者・キム・ダン
会談当時、ソウルのプレスセンターで取材をしていた彼は、南北首相の歴史的な出会いに感動した一人でした。
しかし、2年後、その裏に隠された真実に近づくことになります。

90年代に実在した韓国の工作員ブラック・ヴィーナス・・・
この映画は、核開発の実態を探るため、ブラック・ヴィーナスが北朝鮮に潜入するという実話をもとにしています。
キム・ダン・・・彼はこの映画の原案者で、ブラック・ヴィーナスを始めて取材した記者です。
北朝鮮に関する工作や情報収集などを行う韓国の情報機関”国家情報院”・・・
キムは、この組織を25年にわたって取材してきました。

数々のスクープをものにしてきたキム・・・情報機関の内部に深く入り込んだ彼だからこそ、南北首脳会談の裏に隠された真実にたどり着くことになります。
初となる南北首脳会談は、韓国に多くの感動と衝撃を与えていました。

北朝鮮との融和ムードが漂っていた韓国・・・
金正日の人気は高まり、彼の訪問を歓迎する団体までもが登場しました。
当時、週刊誌の社会部にいたキム・・・
実は、会談から4か月後、北朝鮮の変化を取材しに、ピョンヤンに渡っています。
その時、北朝鮮の高官の取材に成功・・・
そこで分かったのは、北朝鮮が会談をきっかけに変化を図っているということでした。

「北朝鮮の高官が、クリントン大統領の訪問を確信していたと、記事にしました
 アメリカの大統領がピョンヤンを訪問するということは、米朝が国交を結ぶという話に繋がります
 だから、北朝鮮は、南北関係と米朝関係の改善を通じて、国際社会に出るチャンスを掴もうとしたんです」byキム

本格的に、アメリカとの関係改善に動き出した北朝鮮・・・
2000年10月、北朝鮮の特使がアメリカを訪問
はじめてとなるアメリカ大統領との会談を心待ちにしていました。
しかし、少しずつ歯車が狂い始めます。

北朝鮮が期待していた米朝首脳会談は、結局開催できず、北朝鮮を悪の枢軸と名指ししたブッシュ政権が登場

20001年1月20日、ブッシュ大統領就任式 

米朝関係は冷却化していきます。
さらに、南北関係も新たな局面を迎えました。
会談から2年後、金大中政権が終わりを迎えるころでした。
韓国国内で、ある疑惑が浮上します。

それは、首脳会談の対価として、韓国から北朝鮮に対して多額の送金が行われたという疑惑でした。
”金で買った会談ではないのか??”と、ささやかれ始めます。
その時、キムは1本の電話を受けました。

情報源によれば、送金は首脳会談で韓国と北朝鮮をつないだ”現代”という財閥が行ったもので、送金の際に、国家情報院が便宜を図ったという・・・
国家情報院にパイプのあるキムなら、疑惑の裏どりがとれるのではないか??とのことでのタレコミでした。
キムは、半信半疑で取材に取り組みます。
関係者をしらみつぶしに当たっていきます。
しかし、誰も口を割りません・・・
残された選択肢は、一人しかいませんでした。
現役の国家情報院のTOP・・・その男は、会談後に就任しているため、疑惑とは無関係でした。
真実を話す可能性はあると、小さな希望を抱きました。
彼には、一度取材経験があり、直接電話をかけました。
どんな反応をするのか??

「北朝鮮に、2240億ウォンを送ったんですか??」
「ああ・・・2240億!!」
これは本当だと確信しました。
トップは、キムが真実にたどり着いていると思い、名前を伏せることを条件に口を開いたのです。
取材を重ねると、具体的にわかってきました。
それは、政府関係者が、初めて送金を認める大スクープでした。

現代は、北朝鮮で30年間、事業を行うため、先行投資として巨額の資金を渡していました。
しかし、北朝鮮への送金の際、国家情報院が手を貸したことや、送金が会談の前に行われたことから、会談の見返りだったという可能性が高くなりました。

2003年1月29日、キムは、いよいよ記事を掲載します。

”ヒョンデ 北朝鮮に2240億ウォンを送金
 首脳会談の前に国家情報院が便宜を図る”

はじめて送金の事実が明らかになったこの記事は、国を揺るがすスクープとなりました。
金大中政権のバトンを受け継いだ廬武鉉政権は、この問題を裁判にかけることにします。
結局、違法な方法での送金と認められ、送金の便宜を図った政府関係者らが罪に問われました。
金大中の右腕だったイムも、有罪判決を受けました。
しかし、スクープを出したキムは、政権側に立てばそうせざるを得ない事情があったと考えています。

「誰もできなかったことをするためには、道を開拓する必要があります
 だから、送金は避けられないことだったのかもしれません
 ある意味、これ以上の工作などありませんから、一国家に働きかけてその指導者を引っ張り出して、改革開放に導く・・・それが上手くいって、北朝鮮が変わっていれば、こんなに大きな工作は他にないです」byキム

国内で高まる批判の声・・・
太陽政策への国民の関心も、失われていくことになります。
さらに北朝鮮も、送金の関係者を有罪にした廬武鉉政権に不信を抱きます。
そして、金正日がソウルを訪問することもありませんでした。
あの首脳会談の評価は、韓国の中でも分かれています。

金大中政権は、北朝鮮を延命したことには違いありません。
すでに、資金は底をついていました。
アメリカは、秘密資金のありかを押さえにかかっている状況でした。
結局、金一族に出口を与えて、体制を維持させたことになりました。

2005年2月、北朝鮮は公式に核兵器を保有していることを宣言・・・
しかし、いつから開発していたかは、明らかにされていません。
あの時の支援があったから・・・??
核を作ることができたのは、あの時の送金があったからなのか??
会談は、当時、変化を求めた北朝鮮の人々に対するショーであって、核兵器を作るための時間稼ぎだったのか・・・??

しかし、南北が対話を続けていることが大切です。
2018年には南北関係がとても良好でしたが、長く続かなかったのは、前の会談からすでに11年の空白があったからです
その間、交流を積み重ね、信頼をしっかり築き上げていたうえであれば、関係はさらにステップアップできたかもしれません。
長年の空白や、政権ごとに代わる政策は、その度m南北関係を白紙に戻してしまうので、改善すべきかもしれません。
南北関係の抜本的改善は、未だに大きな課題として残されています。

「文大統領が、金正恩と板門店で会って、ピョンヤン市民の前で演説したりと言いムードでしたが、突然南北共同連絡事務所が破壊されるとはだれにも予想できませんでした
 結局これは、アメリカと北朝鮮の関係がうまくいかないと、いくら南北関係を改善しても、一瞬で崩れてしまうということです
 それを誰よりも知っていたのが、金大中大統領で、彼のようにアメリカの信頼と支持を得ながら政策を進める必要があると思います」byキム

初の南北首脳会談から20年・・・
その後、計4回の首脳会談が行われてきました。
朝鮮半島で核を無くし、今も休戦状態にある戦争を終わらせようと、前向きな共同宣言が何度も行われてきました。
しかし、その後の北朝鮮の核開発のこともあり、南北関係は行き詰ったままです。
朝鮮半島の人々の統一への思い・・・
今まで重ねてきた会談・・・
そして、合意を導くために奔走してきた人々の努力が報われる日が来ることを願わずにはいられません。

南北を分ける軍事境界線から、およそ20キロ・・・北朝鮮から近いところに統一村があります。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

戦国時代ランキング

金大中自伝(1) 死刑囚から大統領へ [ 金大中 ]

価格:4,290円
(2021/3/7 22:18時点)
感想(0件)

【中古】 金正日と金大中野心と野望 / 趙 甲済, 黄 民基 / 講談社 [新書]【メール便送料無料】【あす楽対応】

価格:328円
(2021/3/7 22:19時点)
感想(0件)

国際社会から孤立した国・北朝鮮・・・謎に包まれた独裁国家です。
労働党機関紙は、英雄たる最高指導者を連日称えます。
まるで、時が止まったかのよう・・・
兵士の数は、世界第4位ともいわれ、三世代にわたるキム一族の冷酷な支配が続いています。
国連が厳しい制裁を行う中、どうして体制を維持できているのか・・・??

オランダ・ライデン大学のレムコ・ブロイカー教授によると・・・
北朝鮮の見た目と実態は異なります。
最高指導層の行動原理が象徴的です。
体制にとって最大の目標はキム一族のために金を稼ぐことです。
私の関心ごとは、金の調達方法です。
集めた金は、どこへ行くのか、どれだけ稼ぐのか・・・
北朝鮮は、私に対する告訴状をオランダ政府宛に送りつけました。
「最高指導者の威厳を傷つけた罪」・・・北朝鮮では死罪です。

核開発により、国際的孤立を深めた北朝鮮・・・
合法的な収入源を絶たれた政権は、違法な資金調達に打って出ました。
国連は、2006年以降、10回にわたって、北朝鮮に制裁決議を採択、専門家8人が監視します。
その活動内容は、メンバーの身の安全を確保する為に秘密です。
取材対応が許されたのはひとり・・・国連専門家パネルコーディネーターのヒュー・グリフィス

制裁は一面では大きな打撃を与えています。
石炭も、鉄鉱石も、亜鉛も、合法的に輸出できません。
経済を外国に閉じた国でも、外貨獲得は重要です。
北朝鮮の指導者にとっての問題は、次のどちらを優先するか・・・
核ミサイル開発か、国の経済発展か・・・!!

政権は、爆弾を選択・・・
2005年、核兵器の保有を公式に宣言!!
他国からの攻撃の抑止を名目に、国内の支配体制強化も図ります。

選ばれた者たちの街・・・ピョンヤン・・・
ゴミひとつない道路沿いに、真新しい高層マンションが立ち並びます。
都市に住めるのは、体制に忠誠が認められた一部の上流階級のみです。
地方からは、許可証がないと入れません。

ピョンヤンにある経済研究所のソン・ギュンチュル
外国メディアからの取材に応えることが許されています。

「完全な制裁など不可能
 我が国は、今も貿易で外貨を獲得しています
 制裁したければすればいい
 我々は、前進するのみ
 国の競争力を剣に変え、犠牲を厭わず、勇敢に突き進みます。」

北朝鮮への制裁は、かつてなく厳しいものです。
これほど広範囲に制裁を科された国はないでしょう
でも、効果はありません

北朝鮮から亡命した高官の多くは、政権中枢の隠し資産を預かる秘密機関の存在を指摘しています。
金日成と、その息子・正日が70年代に設置し、幅広い権力を与えた組織です。
キム一族の権力基盤を固め、核開発と、指導者の贅沢な生活を支えるのが任務です。
”39号室”と呼ばれています。

ピョンヤンの南・・・韓国のソウル・・・北朝鮮の元外交官だったコ・ヨンファンは、1991年に脱北。
その後、韓国国家安保戦略研究院の副院長を務めました。

「キム・ジョンイルが、朝鮮労働党の財務部門を「39号室」に改名したと言われています
 3階の9号室にあったからという説・・・設置を命じた日が、3月9日だったからという説もあります
 以来、39号室はキム一族の秘密資金を調達し、管理しています」byコ・ヨンファン

国連は、北朝鮮に対する制裁の履行状況も監視しています。
39号室ほどの組織なら、真っ先に制裁対象になってしかるべきですが・・・
39号室の名前を口にするのは、脱北者だけです。
国連が調査するのは、北朝鮮の銀行やダミー会社で、国外で活動し、稼いだ外貨を本国に送金する組織です。

39号室は、国外では存在しない名で、職員も特定できません。
そんな組織や要員は、制裁対象に特定できません。

アフリカ中央部にあるコンゴ民主共和国・キンシャサ・・・
1980年代から北朝鮮はここで外貨を獲得してきました。
米ドル紙幣を偽造するための印刷機を所有していたのです。
1ドル紙幣の1の文字を消し、100の文字を印刷します。
資金洗浄のからくりは簡単で、まずドルで現地通貨を買います。
これには、地元の闇両替商を使います。
1万ドル相当の札束を渡す際に、偽札を数枚しのばせてあります。
交換して得た現地通貨は、地元の銀行に入金するのです。
正規のドルで引き出せば、資金洗浄は完了です。
そのあと、ピョンヤンに運び、39号室につきます。

秘密裏に活動する39号室の資金集めは、世界各地に広がっています。
カンボジアにある世界遺産アンコールワット・・・毎年、250万人を超す観光客が、1億ドルの外貨を落としていきます。
遺跡の入り口である博物館が出来ました。
3Dでクメール王朝の歴史を紹介するパノラマ絵画が展示の柱です。
全て北朝鮮の画家の絵です。
63人の画家が、1年4か月をかけて完成させました。
博物館も、北朝鮮の人が建設しました。
国連制裁を迂回した北朝鮮は、建設の資金も賄いました。
その見返りに、最初の10年間の収益はすべて北朝鮮に入る・・・その後は、カンボジアと分け合います。
北朝鮮から来た運営会社のTOPは、カメラ取材を断りましたが、入館料だけで年に700万ドルになると話しました。
収益はすぐに倍増する見込みです。
北朝鮮とカンボジアは、数十年前から友好関係を維持してきました。
金日成とシアヌーク国王が親交を結び、経済協力の基盤を築きました。
国連の制裁決議を横目に、今日のビジネスに繋がっています。

博物館が閉まり、夜になると別の扉が開きます。
北朝鮮レストランは、撮影禁止・・・
店内は、常に予約でいっぱいです。
メニューには、レーメンやナマコなどの北朝鮮料理が並びます。
コース料理は、高いもので50ドル・・・カンボジアではかなりの高額です。
客は主に、韓国や中国からの観光客・・・
働く女性の多くは、ピョンヤンで芸術を専攻する学生です。
レストランの上の階で寝泊まりし、数年間敷地を出ることは許されません。
毎晩同じ時間に衣装に着替えショーの出番を待ちます。
北朝鮮レストランは、世界各国に130店・・・そのうち3店がカンボジアにあります。
収益は、年間数百万ドルにのぼると言われていますが、ウェイトレスに報酬はありません。
ドルは、ピョンヤンの秘密の金庫に直行します。

北朝鮮労働者は、世界中に派遣され、EU内・・・例えばポーランドでも働いています。
建築現場では、北朝鮮から来た出稼ぎ部隊がいました。
12時間のシフトを終えた労働者は、夕方バスで宿舎に戻ります。
彼等の行動は、24時間国家保衛省によって監視されています。
それでも、労働者の一人が実態を話してくれました。

「稼ぎに来たのにどんなに働いても全然だめです
 労働環境は悲惨で、自由もない・・・
 狭い部屋に、大勢詰め込まれて暮らしています
 賃金の殆どが国に吸い上げられ、手元に残るのはわずか・・・
 30代だし、故郷に妻子もいる・・・
 収入はないに等しいのに、妻と子を思うと続けざるを得ない
 ほかに選択肢はない」

熟練工をポーランドの造船所や建設現場に派遣して、外貨を稼ぐ北朝鮮・・・
奴隷となる労働者の家族は、人質として本国に残されたままです。
労働者の月収は、1万円ほど・・・
残りはすべてキム一族に吸い上げられます。
北朝鮮は、国際社会の目をかいくぐり、各国に労働者を派遣してきました。
その数、最大で15万人!!
およそ4万人がロシア、そして10万人が中国、さらにクウェート、マレーシア、カンボジア、モンゴル、オマーン、カタール、アラブ首長国連邦、そしてアフリカ諸国・・・
国連の制裁で、本国に送還されるはずでしたが、派遣は今も続いています。
専門家は、北朝鮮が年間10億ドルに達する外貨を、こうして得ているといいます。

そこでどう稼いだ金であろうと、すべて39号室につきます。
39号室は絶対的権限で、金の流れを管理します。

39号室は、どこにあり、どれだけの大金が流れ込んでいるのでしょうか??

韓国・ソウル・・・39号室で働いていたという男性に話を聞いてみると・・・
彼は、中国を拠点に外貨を密輸していましたが、その後亡命・・・重要な任務に就いていたため、北朝鮮から殺害予告を受けています。

「北朝鮮はもう、社会主義計画経済ではありません
 社会主義は、国家が食料と必需品を全国市民に供給するのが決まりです
 しかし、その役割は、既に放棄されています」

39号室と、ピョンヤンの資本主義的な体質を理解するには、歴史を振り返る必要があります。
1991年12月、ソビエト連邦崩壊・・・北朝鮮は、最も重要な貿易相手国を失います。
そして、金正日が指導者の地位についた1994年、飢饉が発生します。
90年代の大飢餓で、多くの北朝鮮国民が餓死しました。
配給システムは崩壊、死者数は100~300万人!!
以来、農村部の住民は、自給自足で凌がざるを得ず、各地に闇市が出現・・・ジャンマダンと呼ばれました。
現在も、多くの闇市が並び、そのうち認可された400の市場は税金も支払っています。
売り買いされるのは、主に中国から来た食品や商品です。

「中国と北朝鮮の国境線は、1000キロ以上にもなるのに、8割近くは有刺鉄線もない
 国境付近の住民は、国の漢詩を逃れ、中国相手に活発に商売している
 この商売が、北朝鮮の闇市の基盤となっています」

北朝鮮政権は、闇市場を取り締まれません。
配給できないのに取り締まれば餓死者が続出します。
こうして経済が崩壊した社会主義国は、資本主義国家へと変質したのです。
2つの経済体制が混在した国へと!!



闇市場で暴利を得ているのが、ピョンヤンの政府高官です。
キム体制も、忠誠心を繋ぎ留め、その利益に預ろうと地下経済を許容しました。
幹部連中は、数年で裕福になりました。
贅沢品を売り、原材料を密輸し、不動産に投資・・・ドンジュ・・・金主と呼ばれています。

「僕にとっては、イデオロギーより金や社会的地位が大事でした
 39号室で働いたのも、それが目的です
 僕ら世代が、経済関連の仕事を好むのは当然です
 上の世代に比べて、富や地位にこだわるのです

 39号室の任務は、党のための資金集めです
 国家保衛省でさえ手出しできません
 外貨獲得という名目のもと、違法行為も即座に許可されました
 
 組織内での僕の肩書は、ある会社の”従業員”ということになっていました
 担当は、輸出業務でした」by元39号室輸出担当

ドイツ・ハンブルク・・・数年前まで、北朝鮮国営の保険会社・KNICがごく普通のアパートに支店を置いていました。
6人の職員が、ヨーロッパの大手保険会社と取引していました。
39号室には外貨保険を担当する部署があります。
その仕事は保険金詐欺です。
例えば、ロシア製の軍用Mi-8ヘリコプターを使った手口です。
老朽化したヘリを選んで再保険をかけます。
英国のロイズのような大手と保険契約を結びます。
最初につきの保険料を・・・例えば5000ドル支払う・・・
その後、ヘリコプターは爆破されるか、火災に見舞われます。
こうして保険金をだまし取るのです。
EUは、2015年、北朝鮮の保険会社を制裁リストに加えました。

「ポンコツの軍用ヘリを大金に変え、多くが勲章をもらいました」

こうした大金を、ピョンヤンに届ける手段とは・・・答えは簡単、外交官特権を使うのです。
39号室の職員の多くは、大使館や領事館で働いています。
北朝鮮の製品を外国に売り、外国製品を本国に送るのが彼らの仕事です。
外交旅券を使えば、札束を詰め込んだスーツケースでもノーチェック!!
金の流れが滞ることはありません。
北朝鮮大使館にとって外交は、二の次でしかありません。
本当の役割は違法に資金を調達することです。
武器や麻薬の密輸だろうと外交旅券には手を出してきません。

ベルリン・・・市の中心部にある北朝鮮大使館は、建物の一部をホステルとして貸出、月に500万近くの家賃収入を得ています。
大使館の敷地を商業目的で使うことは、外交のしきたりはもとより、国連とEUの制裁にも違反しています。
ドイツ当局は、閉鎖を求めていますが、営業は何年も続いています。
制裁の対象には、大使館による営業活動も含まれるでしょう。
軍事訓練や軍需品の提供が、北朝鮮大使館を通じて行われています。
特に、アフリカと中東で活発です。
中でもシリアは北朝鮮と違法な結びつきを強化しています。
北朝鮮軍との協力関係です。
シリアに独裁体制を敷いた先代のハーフェザー・アサド大統領と金日成は、1960年代から友好関係を結んできました。
中東戦争でイスラエルと戦っていたシリアに、北朝鮮は武器や弾薬を供与・・・今も重要な収入源です。
39号室は、かつての海賊さながら、偽の国旗と名前を付けた船を使います。
2012年から17年の間に、北朝鮮の船40隻がスエズ運河を通りました。
国連は、こうした船舶の一隻を2018年に取り押さえました。
積み荷は、特殊タイルとバルブ、化学兵器開発に使われるものでした。
タイルは耐酸性、弾道ミサイル計画にも用いられます。
船荷証券にはシリアの住所が書かれていました。
シリア科学研究調査センターSSRCのダミー会社の住所です。
弾道ミサイルと化学兵器の開発で、シリアの中核となる機関です。
そうして造られた化学兵器を、アサド政権は自国民に向けて使用してきました。
北朝鮮の科学者や技術者の協力が、シリアの化学兵器製作を支えていたのです。
アメリカ軍がシリアの化学兵器施設を爆撃した時、北朝鮮の要員も巻き込まれました。
その存在を、アメリカ軍が知っていたかは不明です。
シリアにおける北朝鮮の影響力は、過少評価されています。
シリアが北朝鮮から武器やミサイルを買えず、化学兵器の援助もなかったら、アサドは内戦に勝てなかったでしょう。

全土で街が破壊されたシリア・・・
悲劇とみるか、ビジネスチャンスと見るか・・・アサド政権は国際社会に対して多額の復興支援を要求しました。
労働力を提供するのは、北朝鮮です。
2019年6月・・・黒い契約が結ばれました。
その手の金が、ベンツなどの購入に充てられます。
何処からか、北朝鮮に流入し、制裁を潜り抜けています。
外貨はもっと重要な分野にも使われています。
優秀なハッカーの育成です。
1980年代に金正日が始めたプログラムで、数学やプログラミングに秀でた子供をハッカーに英才教育するのです。
資金の稼ぎ手としても、彼らは優秀です。
”ワナクライ”などのウィルスは、北朝鮮製だといいます。
史上最大のサイバー攻撃です。
無数のコンピューターが、150か国で使用不可能に・・・アメリカ政府は”ワナクライ”による犯行を、金正恩のサイバー部隊によるものと断定。

「北朝鮮ハッカーの動きをこの10年追ってきました
 以前は韓国の国防省や政府機関が主な標的でしたが、2015年以降、攻撃対象を世界の金融機関に移しています」byサイモン・チョイ

北朝鮮のインターネットアクセスは限られていて、使えるIPアドレスは、1000個ほどしかありません。
北朝鮮ハッカーは、それらを駆使して他国へ攻撃を仕掛けます。
ハッカーの数は、600人から1300人程度とみられています。
金融機関を襲うと自認するのは、北朝鮮の”ラザルス”と背後にロシアがいるとされる”カーバナック”だけです。
被害の8割は、北朝鮮の犯行で、ロシアは2割程度でしょう。

北朝鮮は、中上流階級を対象にした効率的な教育法を生み出しました。
ピョンヤンの中学校では、コンピューター技術者、科学者、エンジニアの卵たちが国の未来を背負って学んでいます。
コンピューターも学びますが、アクセスできるのは、北朝鮮版インターネットのみ・・・検閲されていない世界への接続は、厳禁です。
そうした中、北朝鮮史上初ともいえるデータ漏洩が起きました。

日々徒然〜歴史とニュース?社会科な時間〜 - にほんブログ村

ピョンヤンの200万件の住所と住民のデータが流出したのです。
コピーを入手した教授は、内容の分析を始めています。

「社会の現実を伝える情報は、今まで手に入らなかった
 ピョンヤンの経済活動を分析し、地図を書くことも可能になりました。
 以前は脱北者の記憶に頼って、建物の位置などを推定していました。
 今は、だれがどのビルで働き、どの企業のどんな部署がどこにあるのかまで分かる・・・」

データによれば、39号室の本部は、ピョンヤンの権力の中枢にあることが分かりました。
朝鮮労働党本部の目と鼻の先です。
6つの部局からなり、ピョンヤンだけでも数千人の職員がいます。
専用の自動車、幼稚園、ゴルフコース、ダチョウ牧場、専用の銀行までありました。
6つの部局はこれまでに、国内にある数百の企業を取り仕切っています。
鉄鉱石、ダイヤモンド鉱山、宝石工場、繊維工場などを運用し、輸出を管理しています。
外貨を稼ぐ企業は他にもあり、強制労働や武器の密輸、保険金詐欺を生業としています。
ルールはひとつ・・・39号室の名前を国外では決して口にしないこと・・・
見えない組織である限り、国連の監視の目は届きません。

あらゆるものを取り扱い、管理職だけで数千人いました。
従業員をあわせれば、数十万人です。
なんにでも手を染めました。
指示はただひとつ・・・”Make Dollars”ドルを稼げ・・・

北朝鮮は、変化を続けています。
貧しい社会主義国は、高度に発達した地下経済を持つ国家へと変貌を遂げました。
貧富の差は、開き続けています。
ピョンヤン市民が繁栄を続ける一方、農業人口の4割は、栄養失調に苦しんでいます。

データが証明したのは、39号室の存在だけではありません。
どの部署の配下のどの企業が外貨を稼ぐかまで証明しました。
キム・ジョンスク製糸工場・・・キム・ジョンウンの祖母の名を冠した工場です。
1600人の従業員の殆どが女性です。
国内産の蚕を使って、年間およそ200トンの絹糸を生産しています。
人手はかかりますが、高級品として高く売れます。
製品はすべて輸出に回りますが、輸出先はどの国なのか、責任者は口を割りません。
制裁は、39号室の収入に大きな影響を与えないでしょう。
製造ラインは365日、止まることはありません。
私が担当する工場では、国家の年間計画に基づき、年間数十万から数百万ドルを政府に納めていました。
そうした傘下の企業が、800~1000社と計算すれば、39号室が得る総収入は、容易に想像がつくでしょう。
繊維製品は、石炭に次いで2番目に重要な輸出製品です。
合弁事業ですることが多く、パートナー国は中国や東南アジアの会社です。

中国・丹東市・・・北朝鮮と国内を結ぶ玄関口は、国連制裁のむなしさを強調する場所でもあります。
国境の検問所には、毎日トラックの長い列ができます。
北朝鮮の輸出の9割は、中国を通過すると専門家は指摘します。
中国側では、繊維工場が立ち並び、北朝鮮からの労働者が数多く働いています。
中国企業は、北朝鮮の労働力を雇うのは、中国人より賃金が安いからです。
法制を担当する女性たちは、昼も夜も働き、敷地内で寝泊まりします。
家族から離れ、何年も監禁される人生です。

ブロイカー教授は、労働問題に詳しい弁護士や、貿易の専門家、データ分析官らと調査団を結成!!
ヨーロッパの服飾ブランドが、北朝鮮労働者を雇う中国企業と取引していないか、調べています。
検査結果には、驚きました。
北の労働者の中国での奴隷労働はもちろん、中国側が、北朝鮮の工場に外注し、製造まで請け負わせていたのです。
世界に名だたる有名ブランドのサプライチェーンに、北朝鮮の奴隷労働ががっちり組み込まれているのです。
製品の9割が、中国以外の場所で生産されているケースもありました。
欧米が、労働環境が適正か監視する工場では製造されていないのです。
正当な製造現場は、1割のみ・・・残りの9割は、北朝鮮で作られています。

ブロイカーのチームは、中国のある衣料品メーカーを詳細に洗いました。
”ヴァンデスト”です。
会社のサイトでは、低コストと豊富な労働力を歌い、国際的ファッションブランドが顧客に名を連ねています。
中国が服を作るための材料を、北朝鮮に送ります。
1か月後、完成した服が、同じコンテナで返送されます。
その衣服が、オランダ、ドイツ、アメリカなどに出荷されます。

2013年~16年にヴァンデスト社は北朝鮮に1000万ドル相当の生地や原材料を送りました。
同じ期間に、ヴァンデスト社は、2500万ドルの完成品を北朝鮮から受け取りました。
輸出先のひとつがアルマーニでした。
ヨーロッパでは、219ユーロで売られています。
これが、北朝鮮製だとは言い切れませんが、可能性は残されています。
アルマーニ社に見解を求めました。

「何年もの間、北朝鮮からの亡命者に証言を聞いてきました。
 強制収容所で輸出用の衣料品を作らされていたと・・・
 欧米の有名ブランド向けです。
 今回初めてデータから官僚機構の関与を立証できました。
 ピョンヤン郊外の州要所で行われる繊維の製造を管理しています。
 欧米の店舗で私たちが買う衣料は、強制収容所で作られたものかも・・・??
 死ぬまで収容所に閉じ込められた人々を働かせて作った・・・
 その恐ろしい現実に、私たちは加担しているんです。」

独裁体制を支える名も知れぬ幾多の労働者たち・・・
彼等の未来を犠牲にして作っているのが、指導部の贅沢な暮らしと、
西側の繁栄です。
金正恩は、常軌を逸した独裁者ではなく、国家を企業のように運営する冷徹なビジネスマンです。
そのビジネスを担うのが、北朝鮮39号室・・・私たちも、無縁ではないのです。

↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると嬉しいです。
にほんブログ村 歴史ブログ 歴史の豆知識へ
にほんブログ村

戦国時代ランキング

「招待所」という名の収容所 北朝鮮による拉致の真実 [ ロバート・S.ボイントン ]

価格:2,970円
(2020/8/3 15:29時点)
感想(0件)

三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録 [ 太永浩 ]

価格:2,420円
(2020/8/3 15:29時点)
感想(1件)

今週の未来世紀ジパング。金正日の死去に伴って、池上彰さんを迎えての、緊急生放送でした。

題は、もちろん、「北朝鮮の今後は?」という問題でした。

まず、アメリカの報道について・・・。

金正日が体調思わしくないということは、CIAでは把握していたようですが、こんなに急なこととは思っていなかったようです。

AP通信は、「北朝鮮の移り気で不可解な指導者が死亡した。」

ワシントンポストは、「核兵器で世界を脅迫した北朝鮮のリーダー」

ニューヨークタイムズは、「不可解な人物だったが、おそらく共産主義で最後の個人崇拝を維持した人物だった」

と、報道しました。この、個人崇拝とは・・・スターリンや毛沢東、チャウシェスクのことを指します。

そして、2011年12月17日8時30分に亡くなったとのことですが、そのことについて訃告文が発表されました。この訃告文は、「全党員と人民軍将兵と人民に告げる・・・」と始まっており、人民の上に共産党と軍のあることがわかります。

そしてその中で金正日は、「いかなる敵もあえて手出しすることの出来ない核保有国・無敵の軍事強国へと変貌させた」人物として、功績を称えています。

そして、その文では、正恩に従うようにと明文化されています。
「わが革命が、世を継いで粘り強く前進していくことのできる強力な政治・軍事的地盤を固め、わが祖国と民族万代の無窮の繁栄のための強固な土台を整えた。今日わが革命の陣頭には、主体革命の偉大な継承者であり、わが党と軍隊と人民の卓越した領導者である金正恩同士が立っている」

とあるのです。内容は、今までの外交方針には変わりなく・・・。ということなのですが。

金正日は、
1942年 金日成の長男として誕生。
1974年 32歳で後継者として指名されます。
1993年 51歳で国防委員会委員長に就任。軍を掌握します。
 94年 金日成死去、3年間喪に服した後、
 97年 55歳で朝鮮労働党総書記となります。

その後は、先軍政治を行い、ミサイル開発、核開発は、周知の事実です。
後継者には三男の金正恩を指名。

北朝鮮は、目上の人を敬うため、金日成の時と同様に、喪に服すかもしれません。この間に権力基盤を作り上げるかもしれません。

問題は、金正日と一緒にやってきた目上の人たちとどう上手くやっていくかにかかっているということでした。

アメリカ的には、金正日が亡くなる前に、6カ国協議の再開に向けて協議していました。そこでは24万トンの食糧支援を条件に、ウラン濃縮停止などで合意していました。
これを守るのでしょうか?

また、韓国では、国家安全保障会議が緊急招集されました。韓国軍は、非常警戒態勢に入り、緊張が高まっています。北朝鮮としては、国内の支持を集めるためには強行したいところですが・・・。

中国は、北朝鮮のために沢山の血を流してきました。やはり支えていく方針だそうです。

日本ではやはり、拉致問題がキーポイントでしょう。

いつも拉致問題の報道を見ると思うことがあります。
親って、本当に有難いものです。いつまでも、子供のことを思ってくれます。

だから、拉致問題にも、進展があってほしいですね。

↓ランキングに参加しています。るんるん
↓応援してくれると嬉しいです。揺れるハート

にほんブログ村 経済ブログ 世界経済へ
にほんブログ村

このページのトップヘ