五稜郭の戦い: 蝦夷地の終焉 (歴史文化ライブラリー)

新品価格
¥1,944から
(2015/9/28 14:58時点)



日本・・・明治政府と並び立つ政府がもう一つありました。
蝦夷政府・・・蝦夷共和国です。
この空前絶後の独立劇を仕掛けたのは、旧幕臣の榎本武揚でした。
五稜郭を舞台に闘った箱館戦争(1868年~1869年)・・・これまで追い詰められた旧幕臣たちの無謀な抵抗だと考えられてきました。
が・・・その裏で榎本が目論んでいたのは独立国家・・・外国相手に交渉しもていました。

1853年ペリーが浦賀に来航。
圧倒的な武力に恐れをなした幕府は、疎かにしていた海軍防備へと力を注ぎます。
1854年蝦夷地の調査が行われました。
当時の蝦夷地は、南下政策を勧めようとしているロシアが虎視眈々と狙っていました。
箱館⇒宗谷岬⇒樺太⇒北海道一周・・・一行の中に、19歳の榎本がいました。
ロシアの近さに愕然とする榎本。。。

1857年長崎海軍伝習所に志願します。
航海学、数学、蒸気機関の動かし方・・・貪欲に学ぶ榎本・・・。
1862年オランダに留学。
その探究心は、経済学、自由主義思想、そして・・・国際法。。。
国際法を学んだことは、榎本にとって計り知れない財産となります。
榎本たち留学生の任務には・・・幕府がオランダに発注していた開陽丸を引き取って帰ってくることも入っていました。
当時としては最新の蒸気軍艦・・・クルップ砲を18門搭載した世界でも最強の船でした。

しかし・・・帰国した榎本を待ち受けていたのは、幕末の動乱でした。
その頃・・・薩摩や長州は朝廷と結び、天皇を中心とする国家を着々と進めていました。
が・・・将軍・慶喜は1867年大政奉還。
天皇のもとで新政府に入り、引き続き政治を行う・・・それが慶喜の目的でした。

あくまで徳川打倒の薩長は、戦いに及びます。
開陽丸艦長として徳川の海軍を率いる立場となった榎本は、薩長を迎え撃つべく兵庫沖へ急行します。
1868年1月4日阿波沖海戦・・・長州の軍艦一隻を鎮めて勝利します。
陸軍は・・・鳥羽・伏見の戦いで苦戦します。
天皇の・・・錦の御旗をもった薩長に大敗することとなるのです。
事後の対応を相談すべく大阪に上がった榎本を待っていたのは、思わぬ仕打ち・・・
朝敵とされ、戦意を喪失した慶喜が開陽丸で江戸へ逃亡してしまったのです。

もはや・・・なす術道無し・・・
呆然とつぶやく榎本がいました。

4月4日、江戸に入った新政府軍は・・・
”軍艦銃砲は全て引き渡すこと”と、条件を出します。
幕府の終焉・・・海軍を・・・手放す・・・??

海軍副総裁として旧幕府の指導的立場にあった榎本は、海軍の温存に向けて動き出します。
陸軍総裁・勝海舟と図り、新政府軍と交渉・・・8隻の軍艦のうち旧艦4隻を渡すことで同意してもらいます。
開陽丸以下無傷で残された軍艦をどう使うのか・・・??

新政府の徳川家処分は厳しく、直轄領400万石から駿河遠江など70万石へ移封。
このままでは3万人にも及ぶ旧幕臣の生活はたちいかなくなってしまう・・・。
海軍副総裁としてどう動くべきか・・・??

①開陽丸で一戦交え、抗戦策??
奥羽越列藩同盟を組んで戦っていた東北、海軍が同盟側に着いたら・・・??
徳川家処分を撤回してくれるかも・・・??
1868年7月、奥羽越列藩同盟から榎本に参戦要求。
しかし奥羽は一枚岩ではない・・・。

②勝海舟の恭順策??
徹底して内戦を避けようとした勝の考えでした。

③日本を二つに割る戦争など、本意ではない・・・!!
どうする武揚・・・??それは独立策!!
旧幕臣の力で開拓し、自給自足を!!
独立には、欧米列強の介入を防ぐ必要がありました。
アメリカと交渉。。。
幕府がアメリカから購入したストーンウォール号は、戊辰戦争開戦によって横浜に係留したままでした。
アメリカと交渉し、国際法にのっとって・・・

「ストーンウォール号は、我が主君・徳川家の金で購入されたもの。
 ほかの誰にも渡されるべきではない。」

榎本の狙いは、国際法のもとでアメリカに中立を認めさせることでした。

交戦か、恭順か、独立か・・・??
1868年8月19日、榎本武揚は・・・品川沖抜錨・・・目指すは蝦夷地!!
独立策を選びました。
12月蝦夷地を平定した榎本は、列強に政権樹立を宣言します。
蝦夷共和国の誕生でした。

政治体制を整備し、仕官以上の入札(選挙)で人を選びます。
明治政府に先駆けること20年以上の選挙です。
総裁に選出された榎本!!
国づくりに着手します。
蝦夷地をプロイセンの商人に300万坪を貸し与え、開墾契約をします。
その中には、ヨーロッパ流の農法の伝授が入っていました。
刀を鍬に持ち替えて・・・それが榎本の旧幕臣救済策でした。

外交は・・・政権を存続するために、各国に中立を願います。
「我々は、反逆者でも逆賊でもありません。
 祖国の地で立派に生きる権利をもち、武器を手にその権利を守ろうとしている戦士なのです。」
アメリカ、プロイセン・・・新国家を承認していきます。

しかし・・・予想もしない事故が・・・!!開陽丸が暴風雨で沈没!!
榎本には、致命的な出来事でした。

各国は中立を撤回し、雪崩を打ったように新政府支持へと・・・それを食い止める術はありませんでした。
1869年5月11日新政府軍が箱館を総攻撃!!
五稜郭は開城することとなるのです。
降伏勧告を拒絶する榎本は、2冊の国際法の書物「海律全書」を使者に渡します。
日本の国家に想いを寄せて・・・。

榎本は降伏勧告を受けて、獄に繋がれることとなりました。
新政府への反逆により死罪・・・??
しかし、世は、榎本を必要としていました。
きっかけは「海律全書」。
これを手に取った黒田清隆は、福沢諭吉に翻訳を依頼。
福澤は・・・
「本当によくこの本を扼すことができるのは、講義を直接聞いた榎本しかいない。
 榎本に頼めないようでは国家のために残念である。」と。

黒田は・・・頭を丸め、榎本の除名を願い出・・・1872年1月榎本武揚、出獄。
その後、新政府の一員として生きる道を選んだのでした。

獄中での書き物には・・・「君恩(国為)に未だ報いず」
徳川家に対して・・・国のために自分の能力を使わなければ!!
新政府の榎本は・・・樺太千島交換条約に貢献、列強と渡り合った対等な条約でした。
新政府悲願の不平等条約の改正・・・その第一歩は、薩摩でも長州でもない・・・旧幕臣・榎本武揚の手によってきざまれたのでした。


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

幕末・明治時代(日本史) ブログランキングへ

蝦夷と東北戦争 (戦争の日本史)

新品価格
¥2,700から
(2015/9/28 14:58時点)

古文書にみる榎本武揚 〔思想と生涯〕

新品価格
¥3,240から
(2015/9/28 14:59時点)