【バーゲン本】図説 安倍晴明と陰陽道 [ 大塚 活美 編 ]

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今からおよそ1000年前・・・
至る所に鬼が・・・そういわれていた平安時代、その鬼を追い払ったのが、陰陽師・安倍晴明。
不思議なことに、人々が恐れていた鬼を使って鬼と戦ったという伝説まであります。
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彼を主人公にした物語は数知れず・・・
この安倍晴明は、平安京に実在した人物。。。
この晴明、天皇に仕える国家公務員の占い師であり、藤原道長のコンサルタントでした。
国家の運命を左右する重要人物だったのです。





伝説ゆかりの場所・・・大阪和泉市にある信太森葛葉稲荷神社は晴明の両親が初めて出会った場所と言われています。
美しい女性”葛の葉”。。。実は白狐。
狩人に追われていた白狐を、晴明の父が介抱したとか・・・
美しい宝玉を授かった晴明、不思議な力・・・魔力を母から受け継ぎます。
それは、”式神”という鬼を操る力。

庶民に人気のあった晴明は、平安時代に実在した人物です。
晴明が生きたのは、都・・・平安京。
当時の都の北東に・・・鬼門にありました。
悪いものが入ってこない様に・・・晴明の家が守っていたのです。
陰陽師は当時、国家公務員の占い師でした。
陰陽師が勤めていたのは、陰陽寮。およそ70人が勤めていました
天文・暦・時刻・占い、4つの部門に分かれ、晴明は天文と占いを担当していました。

京都にある晴明神社。
ここに肖像画が残されています。
実際に活躍したのは晩年、40歳を超えてからのようです。
夜中に2度起きて、ひたすら肉眼で星を観測する生活をしていたようです。
50歳を過ぎてから、天文博士として活躍するようになります。
当時としては、50歳で長寿の祝いをする・・・かなりの遅咲きだったようです。

伝説に彩られた安倍晴明・・・
曖昧模糊としたところが魅力的です。
が・・・遅咲きなところ、父か陰陽師ではないというところ・・・
まさにたたき上げ・・・努力して頭角をあらわした人であるようです。

ある時を境に、平安京で大きな力を持つようになります。
993年の記述には・・・京の路頭に病人が溢れている・・・死者多数・・・とあります。
それは、天然痘やインフルエンザだったようです。
人々は、遺体を京の外へ出そうと、水葬します。
しかし・・・その多さに、鴨川の流れは止まってしまったと言われています。
疫病は宮中へも・・・63人の貴族が死亡。。。
当時の人々には、怪現象でした。

「往生要集」には・・・
”地獄”の文字が!!この地獄は、この書物が出てくるまでは、一部の人しか知りませんでした。
地獄の悲惨な苦しみがありありと書かれています。。。
現実の平安京の生活と共に、地獄の存在を身近に感じるようになります。
”鬼がやって来ている!!”
平安京の人々は、そう考えるようになります。
また、大火事も頻発し・・・それも、鬼の仕業となりました。
闇の平安京・・・人々は、鬼を感じ始めます。

そこで、安倍晴明の登場です。
地獄の主・泰山府君という地獄の番人、鬼を支配する力を持つと言われていますが・・・
晴明は、泰山府君を祈祷すれば!!と、主張し、人々はそれに習います。
閻魔様よりも泰山府君の方が力が強い!!そして、その泰山主君と会話できるのは陰陽師だけ!!
「闇の時代」に「闇の力」を!!
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その祈祷の力は強く、伝説となり絵巻物になりました。
式神を操る陰陽師として知られるようなっていく晴明。。。
病に伏した天皇の母の為に、泰山府君に祈祷を行ったという記述もあります。



当時そのような力を持っていたのは、密教のお坊さんでした。
しかし・・・徐々に陰陽道も・・・道教の知識を取り入れて対抗し、占いだけではなくなっていったようです。
闇は、自分に負い目のあるものをすべて鬼に換えていく世界でした。
病気や邪気も鬼、政治的な反乱なども鬼・・・
鬼にはいろんな意味もあったようです。

984年8月27日。
国家の一大事、天皇の譲位が行われました。
日付は、晴明が占った日でした。
陰陽師が朝廷に信頼されていた証拠です。
陰陽師たちは、六壬式盤を使っていたと考えられています。
占いは陰陽道・陰陽五行説によって行われます。
それは、全てが対になり影響を与え合うようになっているという思想です。
「人」と対になっていたのは「星」・・・天文でした。
つまり、天体の異常は、人々の世界の異常・・・人々は天体の異常を強く怖れました。
北極星と北斗七星・・・禍への恐怖心に駆られた人々は、星の化身に願いを託します。
流れ星、日食、月食・・・いつも通りではないことに恐怖を覚えたのです。
陰陽師は、天体を細かく観測していました。
それを中国の書と照らし合わせることで、吉凶を占っていました。
陰陽師は貴族に欠かせない存在・・・コンサルタントへとなっていきます。
そして・・・外出する際にも吉凶を占い・・・陰陽師なしではいられないようになっていきます。

お気に入りの陰陽師をお抱えに・・・
それは、権力者・藤原道長でさえも!!
道長が相談役とした陰陽師こそ、安倍晴明だったのです。
娘を天皇に嫁がせることで権力を思いのままにした道長・・・
その道長も、娘を皇后にする日を晴明に占ってもらっていました。
陰陽師は、国に関わるようになっていました。。。

85歳まで生きていた事・・・それだけの知識を以て祈祷する・・・
権力者は人一倍もののけを背負っている・・・
だからこそ、晴明のような人が必要だったのかもしれません。

陰陽道は・・・中国にはなく・・・
陰陽道には教義もなく・・・宗教ではない???
信仰とはちょっと違う???
科学的な考え方を持っています。
正確な天文観測があってこその陰陽師なのです。

また普通の人々の間では・・・呪詛合戦も行われていました。
そんな中、晴明は人々を驚かせます。。。
それは、1001年の事。節分のもととなった追儺という儀式。。。
晴明は自宅で追儺を行ったという記録がります。
この年に、天皇の母親が亡くなったばかりで、宮中は追儺の儀式を自粛を決定していました。
平安時代大みそかに行われる追儺の儀式は、新年を迎えるのに欠かせない儀式でした。
鬼を祓って、新しい年の平安を祈ることが出来なくなったのです。
これが人々の不安を掻き立てます!!
そこで、晴明は家で追儺を行ったのです。
儀式は、現在の豆まきとは違い、鬼を払ったのは弓矢と大声でした。
自宅でその儀式を行った晴明・・・人々は大声で鬼を払います。。。
しかし、朝廷は晴明を罰することはありませんでした。

盛り上がった鬼払い・・・晴明は陰陽の達者なり・・・。
その4年後に・・・85歳で亡くなります。
死の数十年後には、書物に現れます。
庶民の逸話と共に!!
彼は、式神を使う天下無双の陰陽師!!

それは。。。江戸中期にも・・・現代にも・・・
いつの時代になっても蘇えります。
それは。。。鬼はいつの時代にもあり無くならない・・・
その不安とどのようにして付き合っていくか・・・
それを示してくれているのかもしれません。
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