その若者が、エリートが集う東京大学の学生にして金融会社光クラブの社長だったからです。
若者の名は、山崎晃嗣・・・山崎が経営していた光クラブは、高い金利でお金を貸す闇金融でした。
投資家から莫大なお金を集め、それを法外な金利で貸し出すことで大きな利益を得ていました。
しかし、光クラブ設立からおよそ1年後、突如逮捕され、ほどなくして自ら命を絶ちました。
遺書には・・・
「高利貸 冷たいものと 聞きしかど
死体さわれば 氷カシ(高利貸)」
エリートと呼ばれる東大生が、どうして闇金という世界に足を踏み入れ、26歳という若さで人生を終えなければならなかったのでしょうか?
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山崎晃嗣は、1923年、千葉県木更津に生れます。
父親は医師で、後に木更津市長を務めることになる地元の名士でした。
裕福な家庭で育った山崎は、幼い頃から成績優秀で、旧制第一高等学校に進んだのち、東京帝国大学法学部に進学しました。
東大に入ったとも、2年間で20科目中17科目で優を取得。
東大出身の総理大臣・若槻禮次郎以来の秀才と大学でもてはやされました。
太平洋戦争が収束して間もないこの頃、多くの学生は困窮し、その日暮らしの生活を送っていました。
彼らは身元がばれないようにゲートル姿で闇市へ行き、そこで仕入れた者を他の場所で高く売ることで食いつないでいました。
しかし、当時、食料品や日用品の多くは配給制・・・
学生たちが行っていた商売は、闇行為に当たり違法とされていました。
そんな闇行為に、やがて山崎も手を染めて行きました。
山崎は、一時期、ヤミ米の売買に従事していましたが、お金に困っていたわけではありませんでした。
大学そのものの在り方に嫌気がさしていたのです。
当時、山崎は東大で全教科での「優」の取得を目指していました。
しかし、教授の好みに合わず、「優」を取得できなかった科目があり、自尊心を木津つけられ、勉学に嫌気がさしていたのです。
そこで、勉学以外で実力を試したいと始めたのが、ヤミ米の売買でした。
しかし、農家を回って頭を下げなければ米を仕入れることはできません。
そのうえ、それを背負って帰るだけでも一苦労なのに、途中警官に見つかればすべて没収されてしまう危険さえありました。
運よく持ち帰り、東京で売ることができても、その儲けは・・・200円ほど。
今の価値で2万円ほどでした。
実家が裕福で、月に2000円の仕送りを受けていた山崎にとって、ヤミ米で得られるお金など、たいした額ではありませんでした。
「もっと楽に、大きく儲けられないか」
そんな時、一つの新聞広告が目を引きます。
元金に対し、毎月2割もの配当を約束し、元大学教授が管理するから安心とうたった投資を募る広告でした。
山崎は早速その広告主「財務協会」の事務所を訪ねました。
大学教授だったという財務協会の理事長の男と面会した山崎は、実家から用立ててもらった10万円(現在の1000万円)を増やしたいと相談します。
すると、理事長は自分が関係するアメリカ向け玩具を製造する会社への投資を勧めてきました。
「クリスマス用だから、8月中に作らねばなりません
投資する運転資金はかなりいりますが、その分短期間でもうけられますよ」
そして、10万円を預けてくれれば、担保にアメリカ向けの商品をつけ、2割の利子をのせた12万円(現在の1200万円)の手形を渡すというのです。
山崎は、その話を聞いたとき・・・
「手で働くことしか能のない下職たちのピンをはねて利殖できることと、担保がアメリカ向けの商品であるということが嬉しかった」by山崎
これなら楽に儲けられると、翌日、10万円を財務協会に託しました。
ところが、翌月訪ねてみると・・・
配当をもらえないばかりか、元金さえ返してくれませんでした。
理事長は、山崎の出資金と配当は、別の事業に投資したと言い張るばかり・・・
その後も理事長は、のらりくらりと言い逃れ、お金を払う気配がありません。
不審に思った山崎は、理事量がかつて教授をしていたという大学に行ってみると・・・
「そんな名前の教授、聞いたことがない
そういえば、前にも同じことを聞きに来た人がいたなあ」by大学職員
そう、全ては理事長の作り話でした。
ここでようやく山崎は、お金をだまし取られたことに気づきます。
光クラブ設立の1か月前のことでした。
「資本金なしで金融業を営む財務協会の方式を知り、自分の能力ならもっとスマートにできる自信を持った」by山崎
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学徒動員・・・軍隊の中での出来事が、闇金融に足を踏み入れたことに大きく影響していました。
山崎は、東大に入学後、程なくして陸軍の経理見習士官に志願します。
その後、主計少尉として北海道・旭川の北部第178部隊に所属します。
そこで、兵士の食料などを管理する任務についていました。
敗戦を迎えると、上官たちが、運送業者と結託して軍需品の食料などを横領・・・
山崎も、分け前をやると誘われ、その片棒を担いでいました。
やがて、もうけを巡って仲間割れすると、運送業者が警察に密告して横領が明るみに・・・!!
ところが、既に舞台は解散し、上官たちは帰郷・・・残っていた山崎一人が逮捕されました。
山崎は、警察で激しい尋問を受けますが、決して主犯格の上官の名を口に出さなかったといいます。
3カ月もの間拘留された山崎は、結局、懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決。
要約釈放された山崎は、約束していた分け前をもらうために上官を訪ねます。
ところが・・・上官は、山崎にびた一文渡さなかったのです。
この時の経験が、その後の山崎の人生に影を落としました。
国家を裏切り私腹を肥やす強欲な上官・・・
罪をかぶるも約束を反故にされた不条理・・・
なにが正義なのか、何が悪なのか??
この世に信じられるものなどない・・・??
そんな山崎が目をつけたのが、許可を得ないで営業し、収益を得ていた闇金融でした。
山崎は、軍で受けた理不尽な扱いと、詐欺被害に遭ったことで、地道に生きることがバカらしくなり、楽して儲けたいと闇金融の世界でのし上がっていこうと考えたのです。
光クラブ誕生・・・
丸の内線・新中野駅近くにある鍋屋横丁・・・
この町に、東大に復学した山崎晃嗣が闇金融「光クラブ」を設立したのは、1948年10月のことでした。
光クラブという名は、闇市「新宿マーケット」のスローガン”光は新宿より”からつけたと山崎は語っています。
「私が陰気で神経質なので、逆手に出て、明るくのびのびした「光」という字をつけた」by山崎
山崎は、共同経営者として2人の人物を迎えました。
一人は日本医科大学の学生・三木仙也、三木は、山崎が10万円をだまし取られた財務協会で秘書をしていた人物で・・・それが縁で知り合いました。
もう1人が、当時、山崎が交際していた10歳年上の恋人・A子です。
山崎は、洋服や洋書などを売って1万5000円(現在で150万円)を用立てます。
これを全部、新聞広告費に当てました。
掲載料の安い三行広告に、光クラブの広告を掲載。
”遊金利殖 月1割5分
堅実第一 光クラブ ”
山崎は、新聞広告を使って、闇金で貸し出すための資金を集めようと考えたのですが・・・
「果たして、こんな新聞広告で、本当に金が集まるだろうか??」by山崎
すると、共同経営者の三木は・・・
「君だって、10万円を広告ひとつで投げ出したじゃないか
君みたいなカモはまだいるさ」by三木
広告を出して2日目のこと・・・
山崎が、朝出勤すると、三木が中年男性の相手をしていました。
「来たよ、来たよ、初めての客が
3万円(現在の300万円)持っているそうだ
カモだよ」by三木
山崎は、客に、如何にして月1割5分もの高い利子を支払うかを丁寧に説明します。
そのからくりは単純なものでした。
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まず、客から数かったお金を別の客・・・つまり、債務者に月3割4分の金利で貸し出します。
債務者が支払う3割4分の利息のうち1割9分を光クラブが手数料としてとり、残りの1割5分が出資者の取り分に。
つまり、投資家から預かった金を、3割4分という高金利で債務者に貸し出すことで、投資家への高配当と光クラブの利益を確保したのです。
これは投資家にとって、かなり魅力的な話でした。
当時、銀行に100万円預金しても、利子は月に1,500円。
光クラブに預ければ、15万円もの利子がついたからです。
山崎の明快な説明もあってか、客は、山崎に3万円を託して帰っていきました。
この日を境に、投資したいという客が、次々とやってきて、何万円ものお金を光クラブに投資していきました。
しかし、資金が順調に集まっても、それを貸し出して利息をとらなければ投資家への配当を支払えません。
この頃、お金を貸す際の法定利息は最も高くて9分/月・・・
それに対して、光クラブは4倍近い3割4分・・・
普通に考えれば法外な金利で借りる人はいないはず・・・
ところが、連日光クラブにお金を貸してほしいという問い合わせが殺到し、多くの客が押し寄せてきたのです。
高金利にもかかわらず・・・!!
この頃、日本を占領していたGHQは、経済顧問であるジョゼフ・ドッジを中心に、インフレが続く日本経済を立て直そうと、緊縮財政を進めていました。
いわゆる、ドッジ・ラインです。
GHQは、日本の復興を支援していた融資などを停止、すると、日本の銀行も融資に消極的になっていきました。
これに困ったのが、中小企業などの経営者たちでした。
銀行から貸し渋りを受けていた中小企業の経営者などは、運転資金を調達するために、高金利の闇金に頼らざるを得なかったのです。
そうした需要に応えるように、この頃、数多くの闇金業者が生まれていました。
そして、山崎が設立した光クラブにも、運転資金の調達に困っていた多くの人がお金を借りにやってきたのです。
しかし、山崎はやみくもにお金を貸しませんでした。
大学で学んだ法律の知識を生かし、債務者からはキッチリ担保を取り、公正証書を作成し、契約内容を書類に残したうえで、客にお金を貸したのです。
また、期日を守らない債務者に対しては、厳しく接しました。
「人間と人間の関係は”合意は必ず守られなければならない”という国際法の基本原則で割り切れる」by山崎
債務者に契約を守らせるため、暴力団を雇い入れ取り立て専門会社「光不動産」を設立。
時に、強迫まがいの荒っぽい取り立てを行い容赦なく担保を取り入れました。
その一方で、投資家たちには毎月利子を支払い、信頼を得て行きました。
こうして、光クラブの借入金総額は、わずか3か月で1000万円(現在の10億円)にも達しました。
3か月で1000万円の資金を集めた山崎は、1年間で15倍の1億5000万円にまで増やしたいと考えていました。
今まで以上に合理的、かつスピーディーに光クラブの業務を拡大させるには、どうしたらいいのか??
そこで打った新たな一手が、繁華街・銀座への進出でした。
中野にあった事務所を銀座の裏通りに移転させたのです。
それを機に、光クラブを株式会社化し、自らが社長に就任しました。
社員も30人ほどに増やして、女性社員には制服を用意しました。
さらに、宣伝活動にも力を入れます。
銀座の街中に派手なポスターを張り出したのです。
キャッチフレーズは”堅実と近代性を誇る日本唯一の金融株式会社”でした。
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銀座への移転と宣伝効果に、大口の投資話が舞い込んでくるようになります。
大企業の経営者のような人物が、200万、300万もの大金を投資したいと訪ねてきたのです。
そんな上客に対し、あらかじめ改ざんしておいた帳簿を見せます。
それで資金が順調に回転していると思わせ、こう説明します。
「我々学生のアルバイトは、口が下手でいわゆる舌先三寸の芸当はできません
そこで、何も言わずに数字を信用してくれと、洗いざらい帳簿をお見せし、一緒に協力して資金の回転を研究していただくのです」by山崎
そして最後に事務員に金庫の扉をあけさせて、金庫の中の溢れんばかりの札束を見せました。
「今日回収した貸付金の一部です」by山崎
と、うそぶいたのです。
実はその札束、一番上と下だけが本物で、間に挟まれたお札はざら紙を100円札の大きさに切りそろえた偽物でした。
本物の札束だと思い込んでいる客たちは、山崎の言葉を信用し、大金を託して帰っていきました。
お金を集めるためには、もはや手段は選ばない・・・
それは、詐欺同然の手口でした。
その一方で、山崎は闇金融界の風雲児・東大生社長としてメディアに取り上げられ、注目を浴びるようになっていきました。
果たして山崎は、良心の呵責に苛まれることはなかったのでしょうか?
「人生は劇場である
僕はそこで脚本を書き、演出し、主役を演じる」by山崎
東大生社長という役を演じ切っていたため、罪悪感は全く感じなかったようです。
むしろ、学生である自分が投資家から莫大な金を集め、それを平身低頭になって借りにくる人たちに貸すことに満足していました。
成功すると、山崎は決まって不敵な笑みを浮かべたといいます。
彼らを騙すことで、自尊心を満たしていたのかもしれません。
貸出金額も順調に伸びて行きました。
老舗機械メーカーの経理部長や、銀座の貴金属商の番頭などが、運転資金を借りに光クラブへやってきました。
こうして、山崎の光クラブは、1日の取扱額100万円(現在の1億円)もの金を動かす一大金融会社となりました。
破滅への序章・・・
世間から大きな注目を集めることとなった闇金融・光クラブは、順調に業務を拡大していきました。
しかし・・・その陰で、徐々にほころびを見せていきます。
あるとき、光クラブの営業部長Bによる66万円(現在の6600万円)もの使い込みが発覚。
Bは、もともと新聞記者で、広い人脈を持っていたことから営業部長に抜擢されていました。
山崎はすぐにBを解雇、使い込んだお金を返済することを条件に、警察沙汰にはしなかったのですが、Bは一向にお金を返しません。
そこで山崎は、暴力団で構成する「光不動産」を使って脅迫します。
Bはそれに動じないどころか、別の暴力団を使って山崎を恐喝!!
山崎は、20万円(現在で2000万円)ものお金をゆすり取られてしまいました。
さらに山崎は、光不動産の暴力団ともトラブルに・・・
山崎が知らないところで、勝手に債務者から金品をゆすり取っていたことが判明します。
光不動産の連中を告訴しました。
こうして、光クラブに大きなひずみが生じ始める中、さらに衝撃的なことが起こります。
会社の機密情報が外部に漏れてしまったのです。
それは、山崎の女性秘書C子の仕業でした。
もともとC子は、秘書募集の広告に応募してきました。
山崎は容姿端麗でよく気が利くC子に惚れ込み、強引に言い寄り恋人にしてしまいました。
ところがある日・・・山崎はC子の不審な行動に気付きます。
C子が頻繁に会社からどこかに電話をかけていたからです。
どこに電話をしているのか??かけてみると・・・
「はい、こちら、京橋税務署です」
C子が頻繁に電話をしていたのは、税務署だったのです。
興信所を使って、彼女の身辺を調査してみると・・・C子は税務署に勤務する男性と婚約していて、子供まで身ごもっていることが判明します。
C子は光クラブに送り込まれたスパイだったのです。
山崎は、銀座に店舗を構えたり、派手な広告を打って、メディアにも取り上げられていました。
目立っていた光クラブの存在は、大蔵省などの当局にとって面白くなかったのです。
光クラブを野放しにすることは、闇金融そのものを認めることになります。
大蔵省や国税庁には、東大法学部出身の職員が大勢いました。
「東大法学部」ブランドを使って人を集めていることが許せなかったのです。
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人生劇場の閉幕・・・
1949年7月4日、突如、京橋署の刑事が銀座の光クラブにやってきて言いました。
「山崎晃嗣だな
逮捕状だ
書類を押収する」
物価統制法違反などの容疑で逮捕!!
警察が、流出した光クラブの機密情報をもとに動いたのは明らかでした。
山崎は、警察署から検察庁・国税庁などを引き回され、事情聴衆を受けました。
どこでも、光クラブの3割を超す金利が高すぎると責め立てられました。
それに対し山崎は、金利が高いことは認めながらも、そのことで罪に問われるいわれはないと、豊富な法律の知識を駆使しながら力説します。
結局、1か月後、山崎は不起訴処分となり釈放されました。
一説に、大蔵省が、これから闇金融業者の取り締まりを強化していくことを知らしめるために、山崎は見せしめとして逮捕されたともいわれています。
山崎が銀座の光クラブへと戻ると、半数以上の社員が辞め、事務所には投資家たちが押し寄せていました。
山崎の逮捕を聞いた投資家たちは、元金の返還を迫ります。
山崎が逮捕されたことで、すっかり信用を失ったのです。
この時、山崎が背負った債務は3600万円・・・現在の36億円でした。
ひとまず山崎は、3か月後の11月25日までに、1割の360万円を支払うことを約束します。
山崎は、新たに金融会社「銀座証券」などをを設立し、心機一転、再起を図ります。
運に見放されたのか、何をやっても上手くいきませんでした。
約束のお金を用意できないことを悟った山崎は・・・11月24日深夜・・・青酸カリを飲んで返済期日だった25日未明、息を引き取ったのです。
「高利貸 冷たいものと
聞きしかど
死体さわれば 氷カシ(高利貸)」
他人や世の中を信じられないと闇金融の世界に足を踏み入れた山崎晃嗣が信じられたのは、己の力とお金だけでした。
山崎は、機密情報を持ち出した女性秘書との結婚を考えていました。
人を信じられなかった山崎・・・
結局、人に裏切られ、破滅してしまいました。
絶望した山崎は、死を選ぶしかなかったのかもしれません。
現役東大生が起こした光クラブ事件・・・それは、今にも通じる問題を私たちに教えてくれています。
人生に一番大切なものとは一体何なのかを!!
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