劇場型犯罪・・・
アメリカ西海岸有数の経済都市、観光地として知られるサンフランシスコ・・・
この町を、恐怖のどん底に陥れる殺人鬼が最初の現れたのは、サンフランシスコの北40キロのところにあるヴァレーホ市郊外でした。
1969年・・・アメリカ独立記念日が明けて7月5日になった深夜0時40分・・・
ヴァレーホ市警察の電話交換手が奇妙な電話を受けました。

「二重殺人の報告をしたい
 コロンバス・パークウェイを東に1.6キロ進んだところにある公共駐車場
 茶色い車にガキどもがいる
 ガキどもは9ミリのルガーで撃たれている
 去年も同じようにガキを殺している
 それじゃあ、さようなら」

この電話の40分前・・・確かに事件は起きていました。
郊外の人気のない駐車場で、一人の男が車に近づき・・・2人に10発以上発砲し、やがて無言で立ち去りました。
ダーリーン・フェリン(22歳)死亡、マイク・マジョ―(20歳)は奇跡的に一命をとりとめました。
現場の状況は、確かに電話の内容と同じでした。
事件は翌日、こう報じられました。

”謎のガンマン
 女性が死亡、友人も撃たれる”

さらに、「去年も同じようにガキを殺している」・・・
半年前の1968年12月20日、午後11時10分・・・
7月の現場からおよそ5キロ離れた場所で、若い男女が何者かに射殺される事件が発生していました。
犯人は特定できず、捕まっていない・・・。
深夜人気のない郊外で襲われた二組のカップル・・・
しかし、この二組の間には何らつながりはなく、無差別殺人と考えられました。
こうして、連続してカップルを襲う連続殺人鬼が登場したのです。

最初の犯行声明から3週間後・・・1969年8月1日金曜日。
犯人は、予想外の行動を起こします。
狙われたのは、サンフランシスコ最大の発行部数の新聞社クロニクル。
編集部あてに奇妙な手紙が届きます。
封筒には、”編集者へ至急”と書かれ、差出人の名前はない・・・
しかし、その内容は、衝撃的でした。

”これは殺人者からの手紙だ
 昨年のクリスマスに若者を2人
 そして独立記念日に少女を1人殺したのは俺だ
 犯人であることの証明として、おれと警察しか知らない情報を教えてやろう
 弾薬のブランド名はスーパーX
 弾丸は、10発発射
 少女は体の右側を下に、足は西を向いていた”

警察が公表していない情報が記してありました。
そして・・・差出人の名前の代わりに・・・円に十字を重ねた奇妙なマーク・・・
さらに、もう一枚は、謎の記号の羅列でした。

”同封した暗号文を、君たちの新聞の一面に掲載してほしい
 暗号文には、俺の正体が書いてある
 もし、この暗号文が8月1日金曜日の午後までに掲載されない場合、金曜の夜にひどいやり方で1人殺し、週末も殺しを続ける
 犠牲者の数は、12人以上になるだろう”

サンフランシスコ・クロニクルの元記者ダフィー・ジェニングスは・・・

「この手紙が届いたとき、クロニクルにいた全員が驚いていました
 殺人犯が、直接新聞社に連絡をしてきて、事件の詳細を明かすなんて・・・
 それまでにはほとんどなかったからです」

と言っています。

犯人の要求は、8月1日(金)午後までに、暗号文が掲載されない場合、金曜の夜にさらに殺す
しかし、この日は既に8月1日(金)の午前中・・・
朝刊は配り終え、そもそも夕刊は出していません。
要求にこたえることは不可能でした。
実は、この犯人の手紙は、クロニクルの外に、エグザミナー、タイムズ・ヘラルドにも届いていました。
手紙の文面も、要求も全く同じ!!
エグザミナーとヘラルドは、2紙とも夕刊での掲載が可能でした。
これなら犯人の要求に間に合う・・・しかし、実際は、2社とも対応に苦慮しました。

殺人犯の要求に従うかどうか、各新聞社で議論が行われました。
基本的に、これは脅迫です。
各社の編集者が心配したのが、殺人犯の楊きゅにうに屈して暗号文を掲載することで、他にも同じような脅迫を仕掛けてくる人間が出てくるのではないかということでした。

要求をのめば、新聞社は犯罪者の言いなりという前例になり、掲載しなければ新たな殺人が起きるかもしれない・・・
2紙の対応は分かれました。
エグザミナーは手紙の内容を掲載したが、1面ではなく3面、暗号文は掲載せず。
タイムズ・ヘラルドは、系列の夕刊紙で、要求通り1面トップに暗号文を掲載したのです。

結果・・・1969年8月1日・・・無差別殺人は起きませんでした。

翌日から、各紙は競うように大々的に暗号文を掲載し始めます。
殺人犯のアピールに、メディアが応える・・・劇場型犯罪の始まりでした。
さらに、この危険なやり取りに、警察までが加わろうとします。
ヴァレーホ市警察のスティルツ署長は、手紙の主にメッセージを出します。

「お前が犯人であることを証明する為に、より細かな事実を記した2通目の手紙を送れ」

すると殺人犯は、すぐさま返事をよこします。
しかしそれは、警察に出はなく、最初に暗号を1面掲載したタイムズ・トラベルでした。

”親愛なる編集者へ
 これはゾディアックからの手紙だ”

ゾディアック・・・占星術に使われる言葉です。

”ところで警察は、暗号を目の前にして楽しい時間を過ごせているのかな?
 もしも、過ごせていないとしたら、頑張れと伝えてほしい
 解読することが出来れば、俺を捕まえることが出来るのだから”

まるでスティルツ署長をあざ笑うかのような挑発的な文面・・・
こうしてメディアや警察は、劇場型犯罪の罠にかかっていきました。

1969年8月1日・・・
連続殺人鬼ゾディアックが、地元新聞3社に三分割して送った謎の暗号・・・
その暗号を、それぞれ新聞社が、ゾディアックの要求通りに掲載しました。
すると、暗号解読に挑む市民から電話が殺到!!
今まで郊外でのカップル殺人に無関心だった人々が、ゾディアックからの挑戦状に喰いついてきました。
そんな中、暗号文の記事が掲載されてからわずか1日で解読に成功した者がいました。
高校教師のドナルド・ハーデンです。
CIAなどプロよりも早く、アマチュア市民が解読して見せました。
子供の頃から暗号解読に興味を持っていたハーデン・・・どうやって説いたのでしょうか?

ギリシャ文字・・・天気記号・・・海軍の手旗信号・・・占星術の記号・・・アルファベット・・・

ハーデンは解読に当たり、まず犯人が使用する可能性の高い言葉が何か推測しました。
浮かんだのは、殺す・・・KILLの4文字です。
おそらく犯人は、私は殺人が好きだというような文章から始めていると推測したのです。
すると予測が的中・・・冒頭近くでKILLに当たる記号を見つけます。
そこからパターンを見つけ出し、解読したのです。

ハーデンによって解読された暗号が、新聞に掲載されました。
果たして予告通り、正体が書かれているのか・・・??

”俺は人間を殺すのが好きだ
 なぜなら楽しいからだ

 俺は自分の名前を貴様たちに明かしたりしない
 貴様たちに俺が、死後の奴隷たちを集める行為を邪魔も阻止もされたくないからだ”

ゾディアックの一方的な主張のみで、まんまと騙されました。
こうして市民も、暗号解読という餌によってゾディアックの罠にかかっていきました。
主役、脇役、観客・・・ゾディアックが仕掛ける劇場型犯罪の役者がそろったのです。



暗号騒ぎから1か月半後・・・1969年9月27日。
ゾディアック第三の事件発生・・・
被害者はまたもカップル・・・セシリア・シェパード(22歳)とブライアン・ハートネル(20歳)・・・
女性は死亡、男性は一命をとりとめました。
現場は釣りやボートを楽しめる市民憩いのベリエッサ湖・・・
これまで深夜人気のない場所で犯行を繰り返してきたゾディアック・・・
しかし、今回は、4時過ぎ・・・人目のつきやすい場所に突如現れました。
大学の同級生だった二人は、湖畔でピクニックを楽しんでいました。
そこに、全身黒づくめの男が近づいてきたのです。

「金と車のキーを出せ
 ヒーローになろうなんて思わない方がいい」

冷淡な口調で話す男は、ロープを取り出しました。

「うつぶせに寝るんだ・・・」

2人の両手両足を縛り上げ、そして・・・銃ではなく、何かで男性の背中を刺し、続けて女性にも・・・
2人をめった刺しにしたゾディアックは、最後に異常なアピールをします。

被害者の車のドアにメッセージを残したのです。
駆けつけた警察官たちは、身震いしたといいます。
ゾディアックのマーク・・・書かれていた二つの日付は、ゾディアックの二つの事件が起きたひでした。
そして第三の事件の日付も・・・午後6時30分・・・凶器はナイフで・・・。
瀕死の状態で救助された男性の証言により、ゾディアックの異様な姿が報告されました。
奇妙なコスチュームに、犯行声明・・・次から次へと謎のアピールをするゾディアック・・・
その後、新たな暗号文を新聞社に送り付けてきました。
円に十字のマークと共に、綺麗に配列された340の記号・・・通称Z340。

”この新しい暗号文をお前たちの新聞の一面に掲載してくれないか?
 無視されると、無性に孤独感に襲われてしまうんだ
 孤独過ぎて、俺は、あのことをしてしまうかもしれない”

地元新聞の各社は、ゾディアックの要求通り、すぐさま1面に掲載しました。
この暗号、Z340も、市民の関心を集めたものの、現在まで解読できていません。

1969年10月11日、午後9時30分・・・
多くの人々が行き交うサンフランシスコ市内の大通り・・・タクシーに乗り込んだ一人の男。

「ワシントン通りの交差点まで」

目的地へと到着するや否や運転手に銃口を押しつけ・・・殺害!!
タクシーの運転手ポール・スタイン(29歳)死亡・・・。
撃った男は、財布を抜き取り立ち去りました。
当時サンフランシスコ市の殺人事件の件数は、年間125件・・・3日に1件の割合でした。
警察は、よくあるタクシー強盗だと判断、新聞の扱いも小さかったのです。
しかし・・・事件の3日後、彼らは意外な事実を突き付けられます。
サンフランシスコにある地元新聞の中でも最大手サンフランシスコ・クロニクルに1通の手紙が届きます。

”これはゾディアックからの手紙だ
 昨夜ワシントン通りとメープル通りの間でタクシー運転手を殺害したのは俺だ
 同封したやつの血にまみれたシャツが証拠だ”

これもゾディアックの犯行だったのか・・・??
ゾディアックは、運転手を殺害後、このアピールのためわざわざシャツの一部を切り取っていたのです。
サンフランシスコ市民にとって、この事件で全ての状況が変わりました。
これまでの郊外のカップル襲撃とは異なり、ゾディアックが街なかに現れたのです。
犯人は誰なのか?
次に誰を殺すのか??
ゾディアックは新たな恐怖の波をサンフランシスコ全域で作り出したのです。
さらに、手紙の後半にとんでもない内容が・・・

”学校に通う子供たちは格好のターゲットだ
 いつか朝になったらスクールバスを襲ってやろうと考えている
 前輪を銃で打ち抜いて、子供たちが慌ててバスから降りてくるのを狙い撃ちにしてやる”

スクールバスの襲撃予告・・・!!
子供達がターゲットになった事で、人々はパニックに陥りました。
動揺した市民から警察に対して近所に怪しい男がいる・・・犯人を知っている・・・といった情報が殺到!!
警察は電話対応のため、交換台の当直員を三倍に増やしました。

さらに、危機感を募らせた州の検事総長が、思いもよらない行動に出ます。
ゾディアックに自首を求める嘆願書を発表しました。

”犯人には援助が与えられる
 その権利が保護されることを明確にしておきたい
 
 これ以上の血塗られた惨劇が、繰り返される前に、自首してくるのが最善である”
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ところが、その3日後、ゾディアックは誰も考えつかない前代未聞の要求突き付けてきます。

1969年10月22日午前2時・・・警察の交換台に男から連絡が入ります。

”ゾディアックからの電話だ
 俺が指名する弁護士を、7チャンネルのトークショーに出演させろ
 そうしたら、その番組に電話を入れる”

テレビ番組で弁護士と話をさせろというのです。
そうすれば、話し合いに応えてくれると・・・!!

警察は、直ちにテレビ局に連絡を取りました。
KGOーTVは、朝のトークショーでこの人物を出演させ、生放送すれば間違いなく視聴率がとれる・・・
必然的に収益も上がるとわかっていました。
新聞社と同様、テレビ局もビジネスを優先させ、決定を下しました。
KGO-TVは、朝の番組を取りやめ、2時間の特別番組を組みました。
ゾディアックは、テレビを見ているサンフランシスコ市民に何を伝える気なのか・・・??

午前6時30分・・・緊急特別番組放送開始。
本当に、ゾディアックは電話をかけてくるのか・・・??
待つこと50分!!ついにかかってきました。
弁護士が質問します。

「君のことは何と呼べばいいかな?」
「サム・・・」

サムとは本名か??
サンフランシスコ市民はテレビにくぎ付けとなりました。
男は、警察の逆探知を警戒しているのか・・・??電話をかけてきては突然切るという行為を続けます。

「子供を殺す」と口走る男・・・!!
次第に興奮が抑えられ無くなります。
まとまりのない話は2時間にも及び、計12回の電話が放映されました。
その後、逆探知の結果が判明します。
電話をかけてきたのは、州立病院の患者でした。
本物のゾディアックではなかったのです。
テレビを通じ、皆が偽物に振り回された・・・
連続殺人鬼との危険なやりとりの結果、これほどの大混乱を生み出してしまったのです。

1969年10月・・・サンフランシスコ市民は、ゾディアックの恐怖におびえていました。
郊外のカップル殺人から、スクールバスを襲撃する警告へと変わり、当事者意識が高まったのです。
民衆が体験したことのない恐怖でした。

スクールバス襲撃の手紙を受け、州政府から緊急警告が発令されました。
全てのスクールバスはパトカーで追尾、同情したりするなど、厳重な警戒態勢が敷かれました。
特に異常事態を伺わせるのが、ゾディアックの襲撃に備え、スクールバスの運転手に出された指令です。

バス警報発令・・・
もし、タイヤがパンクしても、バスを走らせ続ける
決して止まってはいけない
信号は、クラクションを鳴らしながら通過する
スクールバスは、人気の多いところに出るまで停止してはならない

子供を預ける親も、警備する警察も、極度の緊張状態を強いられました。
さらにゾディアックは、サンフランシスコ市民に追い打ちをかけます。
1969年11月9日、7通目の手紙がクロニクルに・・・!!
それは、手作り爆弾の設計図でした。
これまでは、ゾディアックの予告に基づき、スクールバスが銃で狙われることに対策をとってきましたが、今度は爆破するという脅迫・・・!!

”もしお前たち警察が、俺が言ったとおりの方法でバスを襲うなんて思っていたら、自分の頭に穴をあけた方がいいぜ
 殺人装置は、もうできあがっているんだよ
 こいつの良いところは、全ての材料が普通の店で手に入るということだ
 それも、何の質問のされずにな”

これを掲載すれば、まさしくサンフランシスコ中がパニックになる!!
クロニクルは、この爆弾設計図については記事にしませんでした。
ところが・・・1970年4月29日・・・爆弾設計図の手紙から5か月後。。。
クロニクルにゾディアックから新たな手紙が届きます。

”俺に爆弾を爆発させたくなければ、バス爆弾のことを報道しろ
 それも、組み立て方まで細かくだ”

この要求を拒絶すれば、ゾディアックは、本当に事件を起こすかもしれない・・・
殺人犯とのやり取りを続けてきた結果、もう引き返せないところまで来ていたのです。

「俺の爆弾が爆発したら、お前たちも楽しんでくれ」

クロニクルは、ゾディアックからの要求をのみ、手作り爆弾の設計図について公表しました。
ところが、その後、スクールバスは襲われることなく、ゾディアックからの手紙も次第に途絶えていきます。
4年後・・・1974年の手紙を最後に、ゾディアックは姿を消しました。

しかし、ゾディアックが始めた劇場型犯罪は、その後も引き継がれていきます。
1994年、ニューヨークで連続殺人事件が発生!!
犯行現場には、ゾディアックのマークのついた手紙が残されていました。
犯人ヘリベルト・セダ(28)は逮捕されましたがゾディアックとは無関係でした。

また、暗号文を真似する犯罪も起きるなど、模倣犯が続出しました。
ゾディアックは、アメリカ社会に深い爪痕を残した・・・
しかし、こうした負の遺産は、大きな教訓をもたらすことになります。

このような劇場型犯罪は、もうアメリカではおこらないだろうといわれています。
ゾディアック事件を経験したメディアは、殺人犯からの電話や手紙に飛びつくことをやめました。
仮にそれが事実だったとしても、殺人犯は自らの何らかの目的を果たすために、テレビや新聞を利用したいだけだと気が付いたからです。
そして、二度と殺人犯の手先になってはいけないと知ったのです。

アメリカを震撼させた劇場型犯罪・ゾディアック事件・・・
警察が容疑者として捜査リストにあげたのは2500人以上、しかし、未だ犯人は捕まっていません。

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