母と子の間にある無償の愛、恋人たちの愛、仲間、友人たちとの愛・・・
愛は、如何にして生まれ育まれるのは・・・
これを化学実験で証明しようとした科学者がいました。
アメリカの心理学者ハリー・ハーロウです。
彼が一番情熱をかたむけて取り組んだのは、母親に対する子供の愛。
人間に近いサルを使って、動物実験を繰り返し、愛情のメカニズムを世界で初めて科学的に実証しました。

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しかし、その実験は残酷そのものでした。

愛とは何かを解明するために手段を択ばなかったハーロウ・・・執拗に愛を求めた男の光と闇。
科学は人間に夢を見せる一方、時に残酷な結果を突き付けます。
愛情は如何にして生まれるのか・・・残酷極まりない実験で、証明しようとしたある心理学者の物語です。

世界で初めて愛を実証した気鋭の心理学者ハリー・ハーロウ。
彼は幼いころから愛に飢えていました。
ハーロウは、1905年アメリカ・アイオワ州の貧しい農村で、男ばかり4人兄弟の三男として生まれました。
小さな雑貨店を営んでいた両親・・・父親は様々なビジネスに手を出すが、飽きっぽい性格で生活は常に苦しいものでした。
母親は近所でも評判の美人で、ハーロウはこの美しい母親を愛し、自分も愛されていると感じていました。
しかし、3歳を過ぎたとき、2番目の兄テルマーが当時不治の病と言われた脊椎カリエスにかかってしまいます。
母は、テルマーの看病にかかりきりになりました。

ハーロウが、母親の愛が足りないと感じていたことが、彼の人生に大きく影響を与えます。
幼少期の経験は、彼の研究にとっても根源的な問いかけに繋がっています。
自分が親にとって一番大事な存在ではないという疎外感・・・
こうした感覚が、その後の実験における「問題意識」を生み出す一つのきっかけとなりました。

孤独感にさいなまれたハーロウ・・・
寂しさを埋めるために、夢想することが多くなりました。
詩や絵を書くことに没頭・・・自分で描いた幾何学模様の動物たちが暮らす架空の世界に夢中になりました。
引っ込み思案な性格が、ますます内向的になっていきます。
高校の卒業アルバムには、にこりともしないハーロウの姿があります。
その一方で、将来の夢をこう書いています。

”有名になること”

心の奥で、スターになることを夢見ていました。
その後、名門スタンフォード大学に進学、死を書くことが好きだったハーロウは、英文学を専攻します。
しかし、ここで挫折を味わいます。
自分の書いた詩が、C⁺(中の上)の成績に終わったのです。
落胆したハーロウは、進路を変更します。
生涯研究することになる心理学を選びました。
心理学を選んだのは、母親の愛情不足や幼いころの人間関係がうまくいかなかったことに疑問を持っていたからです。

1928年、大学院に進学したハーロウ・・・動物行動学を専門とする心理学者カルビン・ストーンのもとで研究を始めました。
ストーンは、ラットを使った実験で、動物の学習能力を研究。
ハーロウは、ラットの実験に携わることとなります。
当時、アメリカの心理学会は、ジョン・ワトソンが提唱する行動主義心理学一色の時代でした。
ワトソンは、感情や愛情といった目に見えない意識を徹底的に排除し、目に見える行動のみを科学的に分析、全ての行動は、刺激による反応だとして説明できると主張しました。
それを実証するために行われていたのが、ラットや犬などの動物実験でした。

ハーロウは、ワトソンの行動主義心理学に批判的でした。
行動主義心理学で明らかになるのは、人間や動物の行動の非常に限られた部分でしかありません。
ハーロウは、その行動の内側にある感情や意識の部分を常に考えていたのです。

1930年、25歳でハーロウはスタンフォード大学の教授に就任。
この間、彼は自らの愛を育んでいました。
同じ心理学の研究者だったクララ・メアーズと結婚。
2人の子供に恵まれ、家族に支えられながらラットの研究を進めました。
しかし、ハーロウは、ラットの実験に物足りなさを感じ始めます。
人間に近い霊長類で実験したい・・・!!

目をつけたのが、大学からほど近い動物園でした。
ハーロウは助手と共に動物園に出向き、サルの観察を続けます。
そんな中、ハーロウは、一匹のサルの行動に注目します。
ヒヒのトミー・・・普段は怒りっぽいトミーが、女子学生ベティーに手を差し伸べ彼女の手を優しく握ったのです。

”トミーはベティーに一目ぼれしている”

ハーロウは、サルにも人間に似た愛情があると考え検証したいと思いました。

しかし、この時は実験の具体的な方法が思いつきませんでした。
動物園では満足な実験ができないと考えたマーロウは、いつでもサルを観察できる実験室を大学側に要求します。
1932年、大学はハーロウに8メートル四方、二階建ての小さな廃墟を与えます。
ハーロウは、自ら費用を捻出し、この廃墟を霊長類研究所としてリフォーム、サルを飼育し、実験を行う環境を整えました。
うちに帰ることも寝ることも忘れ、サルの観察に没頭したハーロウ・・・
ある日の深夜、帰宅しようとしたとき、消したはずの飼育室の電気がついていることに気付きました。
一匹のオナガザルがスイッチで遊んでいたのです。
ハーロウは、サルが人間と似た好奇心のようなものを持っているのではないかと考えます。

当時、人間以外の動物に感情や知能はないと考えられていました。
ハーロウは、この常識に挑むことになります。
ハーロウが用意した実験道具は、複雑な仕掛けのあるパズル・・・
パズルを解くためには、①ピン②フック③留め金を決まった順番で開けなければなりません。
行動主義心理学で考えると、報酬の餌をサルに与えることでパズルを解く時間が早くなるはずでした。
しかし、正しくフックやピンを外すたびにサルにレーズンを与えると、途中で気が散りサルはパズルに関心を失ってしまいました。
レーズンを与えずに実験してみると、サルはパズルに集中し、短時間で効率的にパズルを解きました。
ハーロウは、論文を発表。

”サルは餌を与えたからといって学習するわけではない
 人が持つ好奇心のような内面的な動機によって問題解決をする”

つまり、これまで好奇心など持っていないと考えられていた猿に好奇心があることを証明したのです。

ハーロウは、サルの行動は単なる餌という刺激による反応ではないことを明らかにしました。
道具を見て、どう解くか予想して、自発的な動機でパズルを解くという知能をサルが持っていることを科学的に証明したのです。
この証明が、彼の心理学会での地位を確立させることになりました。

それまでの常識を覆し、サルの好奇心と知能を実証したハーロウ・・・。
一躍アメリカの心理学会で注目を集める存在となります。

サルに知能があることを証明して認められたハーロウ・・・さらに実験に没頭します。
家族を蔑ろにしたことで、妻のクララは家を出ました。
2人は離婚・・・その二年後の1948年、ハーロウはすぐに研究者仲間のマーガレットと再婚しました。
新たな家族に支えられ、ハーロウは更なる飛躍の足掛かりを手にします。

1950年、ウィスコンシン大学霊長類研究所をさらに広い建物に移転。
以前の3倍の広さとなりました。
いつでも実験用のサルを調達できるように当時では珍しいサルの人工繁殖をはじめました。
ところが、サルを集団で育てるとすぐに感染症が蔓延・・・多くのサルが死んでしまいました。
そこでハーロウは、子ザルが生まれると12時間以内に母親から引き離し、一匹ずつ檻に入れて育てることにしました。
隔離された子ザルを観察していたハーロウは、自分の運命を変えるあることに気付きます。
子ザルにはそれぞれオムツ代わりの布があてがわれていました。
布を清潔なものと交換するため、子ザルから引き離そうとしたとの時・・・子ザルはものすごい勢いで布にしがみつき泣き叫びました。
一体この行動は何を意味しているのか??
人間の子供も、毛布やぬいぐるみを抱きしめる・・・その行動と同じなのか・・・??

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そして、ハーロウはある仮説にたどり着きます。
布の柔らかい感触は、引き離された母親が持っている何かの代わりになっているのではないだろうか・・・
その何かを実験で解明すれば、子ザルの母に対する愛情が何か証明できるのではないかと考えました。
当時、主流とされてきた行動主義心理学は、母親と赤ん坊の間には授乳に基づいた関係しかないと主張していました。
赤ん坊は空腹であるからミルクを求め、その為ミルクを与えてくれる母親になつく・・・という考え方です。
行動主義心理学の創始者ワトソンは、この理論による子育て法を提唱・・・
子供の行動はすべて親が支配できると豪語し、厳しいしつけを勧めました。
母親が子供を抱きしめ、キスをするといったスキンシップは子供を軟弱にすると持論を展開、この行育児論は、当時の社会状況にもあっていました。

ポリオなど、感染症が蔓延し、乳幼児の死亡率が高まっていたことから、医師たちは母子の接触を控えるように呼び掛けていたからです。
子供とスキンシップを取ることはダメだという今考えるとおかしなことが、心理学の世界でも世間でも常識となっていました。
ハーロウが考え出した実験は、その名も代理母実験です。
愛の存在を実験するため、無機質な二体の母親人形を作ります。
針金だけで作った円柱の代理母、布の代理母。
二体並べておきました。
一方には布の代理母に哺乳瓶を取り付けた部屋、もうひとつは針金の代理母に哺乳瓶を取り付けた部屋です。
生後間もない子ザルを一匹ずつ部屋に入れて、およそ1か月にわたって観察しました。
子ザルが、それぞれの代理母と過ごす時間を計りました。
布の母に哺乳瓶を取り付けた部屋では、子ザルはほとんどの時間布の母に抱き着いていました。
そして驚いたことに、針金の母に哺乳瓶を取り付けた部屋でも、布の母に抱き着いている時間の方が多かったのです。
針金の母に抱き着いていたのはミルクを飲む時だけで、すぐに子ザルは布の母にもどって抱き着きました。
そして、どちらのサルも布の母の上で眠りました。
飢えや渇きをいやすミルク以上に、子ザルは柔らかく心地よい布に触れることを求めています。
つまり、母と子のスキンシップこそが、愛情を育む重要な要素だと実証したのです。

ハーロウは、この時実験によって、目に見えない愛情を科学的に実証しました。
まさしく、行動主義心理学へ挑戦状をたたきつけたのです。
そして、ハーロウは、独創的な実験方法で、愛を科学的に研究することは、可能だということを示しました。
代理母実験は、サルの「愛」への渇望を、視覚的に見ることができる画期的な実験で、学会だけでなく、世間の注目を浴びたのです。

1958年8月31日、ハーロウは、アメリカ心理学会会長に就任。
就任演説でこう宣言しました。

「心理学者、わけても教科書を執筆する心理学者は、愛や愛情の起源や発達に興味を示さないばかりか、その存在すら気付いていないようです
 このデータが明確に示しているのは、接触による安らぎが愛情の発達の上で極めて重要であるのに対し、授乳はたいして重要ではないということです
 スキンシップによって得られる安らぎが、愛情の要因になっていることは明らかです」byハーロウ

ハーロウのスピーチは、心理学会から論文として刊行されます。
タイトルは「愛の本質」・・・
母と子の間には授乳関係しかないと主張してきたワトソン、行動主義心理学を真っ向から否定したのです。
代理母実験は、テレビでも放送され、世間の注目を集めます。
子ザルを放つと一目散に布の母に飛びつきました。

スキンシップが愛を育むと証明されると、子供との接触を禁じられていたことに違和感を感じていた全米の母親たちからもハーロウは支持されるようになります。
新聞や雑誌に登場し、時代の寵児としてもてはやされるようになります。

有名になって輝きたいというのが、彼のモチベーションでした。
彼が待ち望んだスターにようやくなったのです。

母と子の間にある愛を実証し、心理学会の頂点に立ったハーロウ。
しかし、その結果だけで満足はしていませんでした。
実際のサルの親子を観察し、子ザルが母ザルと離れて遊んでいても必ず自分の母親のもとに帰ってくるという行動に注目。
子ザルは自分の母親にだけ安心を求め、依存しているのではないかと仮説を立てました。
特定の母と子供の間にある強い絆を実験で明らかにしようとしました。

ハーロウが考えた実験は、母と子の絆を物理的に引き裂くことでした。
名付けて、モンスターマザー。
モンスターマザーは4体、身体は布の代理母でしたが、子ザルをわざと引き離すための装置がつけられていました。
①激しく揺れる母
②強烈な圧縮空気を発射する母
③子ザルを突き飛ばす母
④真鍮のスパイクが胸に仕込まれ何の前触れもなく突然子ザルを突く母

実験に使われたのは、生後間もなく母ザルと引き離され布の代理母を母親だと思っている子ザルでした。
実験は何度も繰り返されます。
①②には、子ザルはますます強くしがみつきました。
③④には、子ザルは力づくで引き離されました。
しかし、恐怖で泣き叫びながら、すぐ母のもとに戻って抱き着きました。
何度繰り返しても、子ザルは戻ってきたのです。

モンスターマザーの実験では、たとえ虐待する母親であっても、子ザルにとってはその母以外に選択肢はなく、その絆は物理的なことでは引き裂くことができないということがわかりました。
危害を加える母親にさえ、子供は愛情を持ち続けるということを証明したのです。

この実験は、親に虐待され、トラウマを抱えた子供に対する心理学者の見解を、革新的に変えたといえます。
臨床心理学的に、重要な研究で、サルを犠牲にする価値があったという心理学者もいます。
しかし、サルたちは、実際苦しめられました。
支持できない実験でした。

さらにハーロウは、仲間や家族の間にある愛が如何にして生まれるのかを実証しようとしました。
そして、スキンシップと全ての関係性を断ち切ったらどうなるのか、実験しました。
その方法は、完全な孤独を作るという残酷なものでした。
実験装置は、”絶望の淵”と名付けられました。
小さなピラミッドを反対にしたような形をしていて、上の方は広く下の方に向かってVの字になっていました。
ハーロウは、生後間もないサルを絶望の淵の底に入れました。
開口部は網でおおわれ、サルが逃げ出すことはできませんでした。
絶望の淵に閉じ込められたサルは、1日、2日は逃げようとし、急斜面を登ろうとしました。
しかし、3日目になると、底の方でうずくまって全く動かなくなってしまいました。
実験は、最長で1年行われました。
わかったのは、仲間との関係性を断ち切ると、サルが抑うつ状態になるということでした。

動物はハーロウにとって、科学を理解するための道具でしかありませんでした。

1967年、ハーロウは、アメリカ国内で科学者に与えられる最高の栄誉・アメリカ国家科学賞を心理学者として初めて受賞。
ハーロウ62歳・・・人生の絶頂を迎えていました。

(5)「愛と絶望の心理学実験」


4年後の1971年8月11日、最愛の妻・マーガレットが乳がんでこの世を去りました。
52歳の若さでした。
ハーロウはひどい抑うつ状態に陥りました。
失意の底にあったハーロウに救いの手を差し伸べたのは、元妻・クララでした。
マーガレットの死から8か月後、1972年3月、ハーロウは67歳でクララと再婚します。
亡くなったマーガレットとの間に生まれたジョナサン・ハーロウは、当時の父親の心情を語っています。

「父は、最後まで誰かにそばにいてもらわなければいられない人だったんです
 それでクララと再婚したのだと思います
 鬱を乗り越えて、とにかく研究を続けるためにも、彼女の助けが必要だったんです」

クララに支えられながら研究をつづけたハーロウ。
しかし、パーキンソン病を発症・・・1974年にウィスコンシン大学を退職し、研究の一線から身を引きました。
この頃、アメリカ国内で徐々に広まっていた動物愛護運動が加速。
動物愛護運動に大きな影響を与えた書物「動物の解放」
著者ピーター・シンガーは、ハーロウの実験を断罪しました。

「動物に対して、一種の無感覚さに陥っている
 ひとりの人間を対象として行う場合に、許しがたいと考えられる実験は、動物に対しても行うべきではない」

ハーロウは、この批判に一度だけ公に反論しています。

「虐待されているサル一匹一匹の背後には、それぞれ100万人もの虐待されている子供がいる
 もし、私の研究がそれを指摘することによって100万人の子供だけでも救えるのなら、実のところ10匹のサルのことなんて全く気にならない」

ハーロウは、とにかく自分は人助けのためにサルの研究をしていたんだという自負がありました。
本気で人の役に立っていると信じていました。
だから、動物愛護活動家がなぜそのようなことを理解してくれないのかをハーロウ自身は全く理解できないでいました。
そんな中、衝撃的な事件が起こります。

1981年9月、シルバースプリング事件
神経科学の研究者エドワード・ターブが、カニクイザルの足や腕の神経を切断、サルの感覚を失われた上で訓練によって切断した神経が回復するかどうか実験を繰り返していました。
この実験を、動物愛護活動家が告発!!
警察が捜査に入りました。
それまで科学者だけが知っていた動物実験の実態が、初めて明らかになりました。

この頃、ハーロウはパーキンソン病が進行し、ほとんど寝たきりとなっていました。
シルバースプリング事件の3か月後、1981年12月6日、人生の幕を閉じます。
享年76。

その4年後の1985年、アメリカで実験動物の保護をうたった改正動物福祉法が制定されます。

”霊長類については実験においてその心理的健全性を促進する環境を確保しなければならない”

サルにストレスを与える実験をしてはならないと定められたのです。
この法改正に、皮肉にもハーロウの研究が影響を与えました。
この改正法には、霊長類にも福祉は必要だから科学者が動物実験をする際に、霊長類の生活をよくするために環境を向上させなければならないと明記されています。
これは、ハーロウの実験によって、霊長類にも愛や知能があることが分かったことによるものです。

これはハーロウの功績なのだろうか??

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